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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


羽ばたき日和  −ハバタキビヨリ−



「羽角くん」

呼びかけに目を開けようとすると、途端に日の光が目を射ってきて、俺は目を細める。
 と、そんな俺の気持ちが伝わったのか、傍らに止まっていた鳩の一匹が片翼を広げ、俺に小さな小さな影をもたらす。
くぅ、という喉を鳴らす音と、覗き込んでくるまん丸な目が可愛くて、俺はちょっと笑ってしまった。
「羽角くん?」
 もう一度、声がした。
そういや、この声に起こされたんだっけ、とちょっとだけ恨みがましい気持ちを抱きつつ、俺は寝そべっていた枝から体を少しだけ起こし下を見た。
 ――俺がいたこの木は、枝ぶりも立派だし、校庭の隅にあって人も来ないしで、俺のお気に入りの昼寝場所の一つ。
真ん中よりやや下の幹から張り出す枝にちょっとだけ身を縮こまらせて、太陽の下でぬくぬくとするのが俺のたまの楽しみだ。
「ん?」
「あ、いた。やっと見つけたわ」
 木の根元から俺を見上げ、その女の子は安堵したように笑う。
風にさらり揺れる長い黒髪に、俺はかすかに見覚えがあった。
「あれ、……お前か。また来たのか?」
無遠慮にそう尋ねると、彼女は困惑したように眉を寄せる。
「また、って。羽角くんが『用があるならそっちから』って言ったんでしょう?」
「そだっけ、悪い悪い。えーっと名前、なんだっけ」
「……私、初瀬日和です。同じクラスの」
「ああ、そっか!」
すとん、とまるで何かがはまったようにすんなり思い出し、俺は思わず手を叩く。


 
 俺たちが高校に入学してからまだ間もない。
真新しい制服に身を包み、真新しいクラスメイトたちと過ごす時間。毎日相手を探るような会話に……俺は早々から脱落して、大抵一人で時間を過ごしていた。
 別に愛想悪いとか、つっけんどんにしてるつもりはない。話しかけられればちゃんと答えたし、レクレーションの類では率先して提案もしたりした。
 ――だけど、それだけ。
 俺は特に親しい友人が欲しいとは思わなかったし、作りたいとも思わなかった。
 
 その中で、とてもって訳じゃないけど。……少しだけ、気になる存在がいた。
 席が一番後ろ、窓から2列目の俺は、授業中ぼんやりしてはよく外を見ていた。
んでその窓と俺との間、視線の途中に、その女子は座っていたんだ。
 それが初瀬だった。
 
 腰ぐらいまである黒い髪を見て「からまったりしないのかな」と思ったのが最初。
それからも「シャンプーすんの大変なんだろうな」とか「重くないのかな」とかいろいろ思って……ふと気がつくと、じっとその子の後ろ姿を見つめていた。
 ――後ろ姿が凛としててさ。すごく綺麗な子だと思った。

 今彼女が話しかけてきてすぐに分からなかったのは、忘れてたからじゃない。
 バカなことだけど……いつも、あんなに後ろ姿をまじまじと見つめていたのに、正面からちゃんと見たのは数えるほどだったから。


「ここ、いつもいるとこと違うのに。よく俺がいるって分かったな」
 普段天気のいい日は、俺は大抵屋上にいる。学校の中で一番高いあそこが、一番太陽に近い気がするからだ。
昨日も確かあそこで昼寝してて……ああそういえば、その時もやっぱり初瀬が来たんだっけ。
 この場所のことは誰にも言ってなかったのに、と聞くと、彼女はこれ、と手の中にあったものを示してみせる。
「羽が、落ちてたから」
 それは墨で塗ったように真っ黒な――だけど日に透かすと少しだけ光るんだ――俺の背中にある、この翼の羽だった。
あ、そっか、と俺はかるく黒翼をはためかせる。
 と、翼に止まっていた鳩がぱっと飛び立った。羽の日よけがなくなってクリアになる視界。瞬きを2回、俺は繰り返す。
「それにしても、最近お前よく俺を呼びに来るよなあ。んで? 何か用か」
「用か、じゃなくて。今週、私たち週番よ。私たち同じ『は』で、出席番号一緒でしょう?
昨日もその前も、毎回呼びに行ってそう言ったと思うけど……」
「ああ、そうだった、ごめんごめん。言われるまで忘れてた」
 本当は初耳だった(綺麗サッパリ忘れてたらしい)が、そのことは伏せておく。
「早く教室に戻って来てね。仕事、手伝ってもらいたいの」
「オッケー、分かったよ」

 ひらひらと手を振ると、初瀬はぱたぱたと校舎の方へと駆けていく。
 その踊るように揺れる黒髪を見送りながら俺は再び寝そべって……そして、ようやくヤバイことに気がついた。
 ――あの子に、俺の黒い翼しっかり見られてるじゃないか。
あの子が言う通りなら『昨日もその前も』、毎回呼びに来られたその度に。

 口止めしなきゃ、と俺は慌てて木を降りたが、着地した途端、またはたと気がつく。
 ――何言ってんだ、そのつもりならもうとっくに言いふらされてるはずじゃないか。
だけど、そんな噂はさっぱり聞かない。クラスメイトたちの俺への態度が変わった様子もない。


 なぜ、黙ってるんだろう。なぜ何度も俺の元へ来るんだろう。
 俺のこの翼が、怖くないんだろうか?
 
 
 
 
 
 クラスに戻ったのは、昼休みもそろそろ終わるかな、という頃合だった。何気なく窓辺の席に視線をやったが、初瀬はまだ教室に帰ってきていないようだ。
 寝癖をなでつけつつ席に着くと、隣の席のヤツが驚いたように振り返る。
「あれー、羽角。お前珍しいな、こんな早く戻ってくるなんて」
いつも大体ギリギリじゃん、というそいつに、たまには俺だって早いんだよ、と蹴りを食らわしてやる。するとすかさず返ってくるラリアット。
 なんだとこのヤロ〜、やるかコイツ、などとしばらくプロレスもどきの応酬をし合っていたら、ふとそいつがニヤリと笑った。
「ふーん?」
「……なんだよ」
「お前、最近嬉しそうだな?」
 どういう意味だよ、と俺が聞き返すと「ま、報道部たるこのオレの観察眼はかわせませんぜ、ダンナ?」とヤツはおどけながら胸を張ってみせる。

「そうだよなぁ、今週はお前と初瀬が一緒に週番だもんなぁ。出席番号同じで良かったな、羽角?」
「……ど、どういう意味だよ」
「ああいい、いい! まあ黙って聞けって。
だが! どこかの照れ屋な羽角クンは週番の仕事もすっぽかし、休み時間はろくすっぽ教室にもいない。さて、なんでだ?」
「な、なんでって……別に理由なんて」
尋ねられているのは確かに自分のことなのに、なぜか上手く答えられない。
 思わず視線を逸らしてしまうと、追うようにそいつが顔をのぞきこんできて、またまたニヤリと笑う。
 ……ったく、蹴飛ばすぞお前。
 
「そこでオレは考えたわけだ。どこかの照れ屋な羽角クンはぁ〜」
「その言い方やめろ」
「照れるな照れるな。ま、あれだ。羽角はわざとサボって初瀬に探させてんだと思ってたんだよ、オレは」
「そうなのか?!」
 考えもしなかったことを言われ、俺が思わず聞き返すと、そいつは案外真面目な顔で「違うのか?」と返してくる。
「いや、別に俺そんなつもりで……」
「じゃあ、どんなつもりだ? そりゃ確かにお前はよくいなくなってたけどさ、ここんところは毎日だろ。急にペースを変えたのはなんでだよ」
まくしたてるように返されて、俺にはもう返す言葉が残っていなかった。
 黙りこむ俺をからかうつもりか、そいつは俺の肩を二回叩き、やれやれ、と大仰にため息をついてみせる。
「ま、自分でも気づいてなかったってやつか。いいねぇ〜セイシュンだねぇ」
「お前、俺と同級生だろ……」


 が、そいつに指摘されたことはそう的外れでもない気がしていた。
 ざわざわと、胸のうちがさわぐように落ち着かない。しまいには座っていられなくなって、俺は立ち上がった。
「おい、どうした羽角。もうすぐ5限始まるぞ」
「フケる」

 すたすたと歩き出した俺は、教室の入り口でふと振り返った。と、こっちを見ていたままのそいつと目が合う。
 ヤツはやっぱり俺をからかうように笑っていた。
「伝言は?」
 ヤツのからかうような問いに、俺はしれっと答える。
「いつもの所にいるって言っておいてくれ」
「分かった、いつものところで『待ってる』って伝えといてやるよ」

 『ありがたい』仰せに、俺はバシーンと思い切り教室のドアを閉めてやった。





 今度は屋上へと行った俺は、そこに誰もいないことを確認してから、給水塔の上へと昇る。
 ハシゴさえついてないこれに昇ろうなんて考えるやつはそうそういないだろう。……もちろん、羽のある俺にとっては障害にすらなってない。
 おかげで誰にも邪魔されず、俺一人でいられるって訳。よく屋上にいる理由の1つだ。

 黒い翼を広げたまま、俺はごろんと横になった。と、5限目の鐘が鳴る。
 音が遠くで響いているような、そんな妙な現実感のなさ。風はない、雲もない。日の光はぽかぽかと限りなく暖かい。
 ……ふぁああ、眠いなぁ。
 とろとろと溶け出した意識の中、俺はさっき言われた言葉をぼんやりと考えていた。

 ――だったら、また初瀬が俺を探しに来てくれればいいんだけどな……。



 ふと気配を感じて俺は目を覚ました。
感じる風がわずかに冷たくなっている。まぶたの裏でも感じる日の光は、もう茜色を帯びているようだ。
 そして、すぐ傍に誰かがいる。
俺はすぐに目を開いたりせず薄く開けた視界のまま、傍らの人物を確認しようとした。
(……初瀬?)

 俺の顔を覗きこむ様にして、初瀬が傍らに座っていた。その顔の近さに思わず動悸を早めたが、よくよく見ると、彼女の視線は微妙に横にずれている。
 ……横?
 そういえば頭がなんだかちくちくする。髪の毛を引っ張られてるような……。
「あ」
「きゃ」
 俺が起き上がると、目が覚めてたことに全然気づいてなかったんだろう、初瀬が小さく声を上げて軽くのけぞる。俺がまじまじとその顔を見つめていたせいか、その頬をピンクに染めると、わずかにうつむいて「ごめんなさい」と言った。
華奢なつくりの体つきは、まるで人形のようだ。


 ――俺は驚いた。
 女の子って、こんなに小さくて、かわいいもんなんだな……。
 なんだか、触れたら壊れてしまいそうだ。


 あまりにも長い間じっと見ていたせいだろう。初瀬が小首をかしげた。
「羽角くん?」
「……ああ、悪い」
 俺は不器用に視線をずらした。と、その拍子に背中の黒い翼が目に入って来る。
 寝ぼけていたのかもしれなかった。俺は再び彼女に視線を戻すと、ためらいなく口を開く。
「なあ、お前怖くないのか?」
「何が?」
「だから、この……俺の翼」

 ――言ってしまった後から押し寄せた後悔。
 風が吹き、ぱさ、と翼が揺れた。一本の羽がふわりと漂い初瀬の膝の上に落ちる。
彼女はそれをそっと広い上げて胸に抱き、それから「ううん」と首を振った。
「怖くなんてないわ、だって綺麗だもの」
「綺麗……か? 俺の黒い翼が」
「それに」
 彼女は笑った。
「さっきも、昨日も。この前もよ? 鳩が翼の先に止まってたでしょう?」
「あ、ああ。昼寝してると寄って来るんだよな、あいつら」
「すごくね、すごく仲良さそうだったの。とてもうらやましいって思ったわ」


 誰にも内緒にしていた、俺のこの黒い翼。
忌み嫌われるかもしれない、だからこそ隠してきたこれを『綺麗』と言ってもらえた。
 大きく力強く、時には手足以上に俺の行動の手助けをしてくれるこの翼のことを、俺はすごく気に入っていた。だからこそ俺は本当に嬉しかったんだ。
 
 そして、それと同時に俺は自覚した。
 ああ、俺はこいつのことが……好き、なんだな、と。
 
 

 そのことに気づくと、途端にあることが気になりだした。――つまりだ、「彼女は俺のことをどう思ってる?」ってこと。
 席が隣のあいつのにやにや笑いが見えるような気さえしてくる。柄じゃないってことは充分分かってるんだ、ッたく。

 と、初瀬が再び口を開いた。
「その……羽角くん、いつも私の髪のこと、見てるでしょう?」
「気づいてたのか?」
 俺が聞き返すと、初瀬は「最近だけど」とはにかむように笑う。
「だからその、ちょっとだけ、仕返し」
「仕返し?」
その言葉の不穏さに俺が思わず眉をひそめると、彼女は慌てたように手を振る。
「あ、その、ごめんなさい、かわいいと思って。思いついたら止まらなかったの。……そうよね、怒るよね」
言っている言葉の意味が分からなくて、俺は思わず手を頭にやり……そして気づいた。

 切る暇がなく、なんとなく伸ばしていた後ろ髪。それが綺麗に結われていて、しかも。
「三つ編み……」
「ご、ごめんなさい!」
勢いよく頭を下げる初瀬の様子が必死で可笑しくて、俺は思わずぷっと噴き出してしまった。
「お前、おもしろいこと思いつくなあ。いーよいーよ、うん。意外と似合うんじゃないか、俺?」
 俺が笑ってみせると、初瀬はホッとしたように肩を下ろし、それからもう一度「羽角くん?」と言った。
「ん?」
「あの、お願いがあるんだけど。……ここから降りる時、手伝って欲しいの。上るのは出来たんだけど、その、一人では降りられそうになくて。
あと、まだ週番の仕事残ってるから、ちゃんと手伝ってね?」

 俺はそうして、彼女が大人しいだけじゃないことと、何事に対しても真面目なところとを、同時に垣間見たのだった。


「なあ、初瀬。名前、なんだっけ」
「……羽角くんってば」
「あーそういう意味じゃなくって! 下だよ、下の名前!
俺は悠宇。羽角悠宇っていうんだ。な、今度から俺のこと悠宇って呼べよ。分かったか?」
「あのね、羽角くん」
「悠宇だって。なあ、ついでに聞くけどさ。……俺のこと、どう思う?」
はしゃいだついでにさらっと(内心は必死で)言うと、初瀬はふふ、と笑った。
「えっと、じゃあ、……悠宇くん」
「ん?」
「私もここで問題。どうして悠宇くんの視線のこと、気づいたと思う?」
「……え?」

 思わず絶句する俺に初瀬はよりいっそう微笑みを深くしてから、俺の翼にそっと触れた。
「あのね。週番一緒になれて、すごく嬉しかったわ」



 そして「……日和、です」とはにかみながら言った。