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<東京怪談ノベル(シングル)>


アカーシャの樹

 初めに家を作ることにした。
 形がどことなく可愛かったという理由で、目に留まった弓状の島国に降り立つ。奔放に育った広葉樹と緩やかに曲線を描く山並みが気に入ったので、そこを住処にすることに決めた。
 クリスティアラは後で知るのだが、そこは原住民からは奥多摩と呼ばれる山地だった。
 落ち葉の降り積もった腐葉土の地面は柔らかく、思いのほか崩れやすい。ものを描くのには適していない。
 力法術の補佐に使う魔法使いの杖で無理矢理魔法陣を描きながら、なんとなく、ホロテレビのバラエティで芸能人が『未開惑星三億年サバイバル生活!』とかやっていたのを思い出す。
 他人事だと思って、四苦八苦する様子を笑いながら見ていた自分も同時に思い出す。
「ごめんなさい、ごめんなさい! まさかこんな大変だなんて思いませんでした!」
 クリスティアラは心の中で精一杯謝った。己の身に降りかかって初めて辛さが身にしみる。ちょっと泣いてしまった。
 しくしくと泣きながら、出来上がった魔法陣に力を通す。亜空間のポケットとこの場所にとの間に繋がりを作るためだ。術自体は簡単なもので、危なげなく成功できた。
 繋がった亜空間に庵を作って、簡単な生活用品を用意して……満足できる部屋を作り上げたころには現地時間で二〇時過ぎ。
 空を見上げると、とっくの昔に日は沈んでいた。
(いいじゃない。辺境惑星の環境調節なんて、わざわざ見回り来る試験官もほとんどいないし、サボり放題だよ。一億年くらい寝て過ごして、最後適当にチョチョイってレポート上げりゃ完璧。だいじょーぶ、ばれないばれない!)
 出発前、クラスメイトの少女が言っていた言葉を思い出す。
 たしかに、その通りかもしれない。
 適当に手を抜いても誰も咎めはしない。
 そもそも、こんな地味な実習だ。少しくらい落ち度があったところで気付かれないかもしれない。
 適当に遊んでいれば一億年程度の時間はすぐに過ぎてしまうだろう。
 しかし――
「それじゃ、勉強にはなりませんから」
 ――クリスティアラはサボりを好しとはしなかった。
 これから一億年。たった一億年。されど一億年。課題終了まで精一杯、出来るかぎり地球の環境調節に力を尽くそう。
 いつの間にか涙は止まっていた。
「よぉし、がんばりましょう」
 出来あがった庵を見て、クリスティアラは誓いを新たにするのだった。

「まずは現状把握。そうしないと何も出来ませんからね」
 一星系程度の広さであれば、クリスティアラには特別なことをしなくとも簡単に見渡すことが出来る。
 それでも予断は禁物だった。脳裏を、チラリと『記者は生きて帰る事が出来るかッ!!』の見出しと、煽情的な週刊誌の記事が過ぎる。
 同時に、見送ってくれた友人たちの言葉が脳裏を過ぎる。
(チ・キュウハマダ文明れべるEニモ達シテナイ超乱暴ナ原始人ノ住ム星ヨ)
(角の折れたところから赤黒いぐちょぐちょの肉がはみ出して、血はいつまでたっても止まらない。どろりどろりと流れて医者に行くことも出来ず、クリスティアラの意識は段々と薄く……)
 思い出すだけでクリスティアラの顔色は、今にも泣き出さんばかりに蒼ざめていく。
 自分でも分かっていることだが、この時点でクリスティアラは地球という星の、人類という種族にかなりの先入観を持ってしまってた。
「け、けど。自分で確かめない限りはっきりとは分かりませんよね」
 先入観に振り回されていては、いくらよく見える目をもっていても公平に判断することは難しい。
「冷静に。冷静に……」
 言い聞かせながら、クリスティアラは額の角に集中して意識を広げる。
 その途端、太陽系全体の生命力の動きが情報となって意識に流れ込んできた。
 クリスティアラも神々や星々に学ぶ力法術士の端くれである。太陽系の事情を理解するまでにさほどの時間はかからない。
 人類は確かに自滅の方向に向かっていた。
 それも、ここ一万年程度で自滅率は劇的に加速している。森を侵し、大地を枯らせ、大気を腐らせ――
 星ごと食いつぶすまでもう一万年もかからないのではないかと思えるほど急速な滅亡だった。クリスティアラも人類から見れば永遠に思えるほど永い時を生きているが、これほど自滅率の高い種族はほとんど見たことがない。
 地球人があれほど、幼稚で野蛮であるとはやし立てられていたことも容易に納得できる。
「ど、どうしましょう。実習が終わるまでに星が壊れたりしたら、ちゃんと単位はもらえるんでしょうか?」
 実際、心配になるほど絶望的な様相だった。
 いや。と、頭を振る。まだ分からない。先入観があるかもしれない。もう少し詳しく見てみれば、また別の発見があるかもしれない。
 そう思い直し、更に意識を凝らして――
「な、なんです。これは?」
 ――次の瞬間見たものに、思わず息を飲んでいた。
 地球周辺の混沌さは予想をはるかに上回るものだった。
 クリスティアラの居る奥多摩のすぐ近く、東京という都市を中心に、人間だけではない、多様な高等生命体の息吹が感じられる。
 クリスティアラより高次に位置する神々や、精霊の類を始めとし、精神生命体や電子生命体、およそ人類の手により作られたであろう不恰好な人工生命体や、それらのうちのどれにも属さない、クリスティアラも初めて見るような特異な生命体もだ。
 無論、東京だけではない。
 南海の底には強大で不可解な神が眠り、成層圏には他星系から訪れたと思しき星系間航行船の群れが見られる。
 周囲の不毛な惑星やその衛星にも、一体どういう進化をたどったのか知れない炭素生命種が住み着いていた。かと思えば地中深くマグマの海を、どこから紛れ込んだのか珪素生命種が泳いでいたりもする。
「こんな、無茶苦茶な。ある意味、うちの学校以上かも……」
 あまりのことに呆然と立ち尽くして、クリスティアラは小さくつぶやいた。

 アカシックレコードとは宇宙の記録である。
 宇宙とは時間的な広がり『宙』と空間的な広がり『宇』の両方のことであり、すなわち現在過去未来全てにわたる森羅万象のことを指す。
 読み解くことはつまり世界を知ることに等しい。
 クリスティアラはまさにそれをしようとしていた。地球のことを知るのに、これほど手っ取り早い方法もない。
 意識を自らの肉体から剥離し、エーテルの波に身を任せる。地球人類の超心理学で言うところの空間的透視。仏教的に言うと天眼通。虹色のエーテルを掻き分け高次世界へと昇っていく。
 ふいに図象化された知覚が開ける。聳え立つ巨大な樹木が見えた。
(……なに、これ?)
 クリスティアラは確かに、この星のアカシックレコードにアクセスしたはずである。目の前にあるような樹木の存在に心当たりはない。
 首をかしげて辺りを見回と、樹木を見上げる人の影が目に留まった。
 丁度いい、訪ねてみようと声をかける。
「あのぅ、すいません。ここはいったい……」
 言いかけて、止まる。少女が振り返ったからだ。
『……え?』
 少女の顔には見覚えがあった。すらりと伸びたしなやかな馬の肢体、腰まで届く長い髪、そして、その間から覗く真珠色の角。
『……私?』
 声が唱和した。
 鏡かと疑う。すぐにその可能性を意識から除外した。目の前の存在は、自分と同じ動きをしていない。服装についても微細に違った。
『あなたは誰ですか?』
 また唱和する。測ったように同じタイミング、同じ呼吸。目の前に居るのは、間違いなくクリスティアラだった。
「あのぅ、すいません。ここはいったい……」
 不意に背後から声が聞こえて、振り返る。
 そこにいたのはクリスティアラだった。つい先ほどの自分をそのまま持ってきたような、驚いた様子の自分がそこにいる。
「……私?」
「……私?」
「……私が、どうしてこんなに?」
 上下左右全方位見渡す限りに数千、数万のクリスティアラ・ファラットが立ちすくむ。鏡の迷宮に入り込んだような錯覚。しかし、違う。どの“自分”も、微細なところで自分とは違っている。
 これは、この“自分”たちは――
「まさか鏡界現象!」
 ――声に出して叫んだのは、果たして自分だったか、それとは違う“自分”だったか。
 ハッと思い立って、樹木に目を戻す。
「じゃあ、これがこの星の記録……?」
 意識を、樹に預ける。
 この星の過去、この星の今、この星の未来が、幾重にも折り重なって意識に流れ込んできた。
 赤く灼熱する溶岩。闇からの天地創造。原生生物からの進化の系統樹。泥人形からうまれた人類。滅び沈んだ大陸。大量戦略兵器の投入により砂漠化する地表。地球全土を覆うバイオハザード。
 断片的に浮かぶそれらのヴィジョンは明らかな矛盾を孕んでいる。
 高次から俯瞰した時、本来宇宙とは糾われた一本の縄のような形をもって見られる。
 無限といえる数の因と果が交錯し、混ざり合い、あるいは分裂して、天地開闢から終末の時まで世界を織り成していく。
 地球のアカシックレコードは明らかに異常だった。それは巨大な一本の樹のように、無限の根より過去が集合し、無限の幹へと未来が派生していく。
 この星の、東京という街を中心に、あらゆる可能性を含んだの平行世界、異界が広がっている。
 無限に広がる無限。
 膨大な量の情報に意識が悲鳴を上げた。視界が白く弾け飛び、クリスティアラの意識は儚く押し流されていく。

 気がつくと元の庵に戻っていた。
「なに、いまの……」
 信じられない光景だった。今まで様々なことを学んできたクリスティアラだが、自分も含めた平行世界と衝突したのはこれが初めてだ。
「チ・キュー。ちきゅう。地球……」
 恐るべきは原住生物の存在だけではなかったのだ。今にして思えば、週刊誌の記事はむしろ控えめだったとさえ言える。
「自滅率の異常な数値も、これと関係してるのかも」
 地球という星の運命律の荒れ果て具合は、もはや放ったらかしにされた盆栽の比ではない。
 一般的な知的生命の存在する惑星を手入れされた庭園に例えると、地球という星はシダ植物の生い茂る太古のジャングルのようなものだった。
 いつ、どこからひょっこりと大型肉食恐竜が顔を出すか知れたものではない。
「あたしがここで勉強する意味って何でしょう……」
 問いに答えるものは、もちろんいない。
 クリスティアラはここに至ってついに途方にくれた。