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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


彼の目


 外科医として過ごす毎日は、忙しく過ぎていく。高季は食事もそこそこに、さっさと寝てしまおうとベッドに横たわった。一日中張り詰めていた緊張が、一つの深呼吸でようやく和らぐ。今日も疲れたと思いながら、ゆっくりと左右異なる色合いの目を閉じた時だった。寝室の扉が、高季が目を閉じるのと同じだけゆっくりと開いた。
「高季」
 名を呼ばれた高季は、目を開けずに身じろぎをした。目を開けるのも億劫だったのだ。
「頼みがあるんだ」
「‥‥何だ」
 いつになく真摯な闇虎の口調に意外さを覚えた高季は、仕方なく目を開いた。細く開いた高季の目に、口調と同じか、それ以上に真剣な顔をした闇虎の顔が映る。彼は足音も立てず、高季の横たわっているベッドの枕元にしゃがみこんだ。そして枕元に腕と顔を乗せ、闇虎は口を開いた。
「バイト、したいんだ」
 緩く開いていた目を瞬かせ、高季は闇虎を見返した。
「俺の許可を得るようなことでもないだろう。好きにすればいい」
 すると、カーテン越しに漏れてくる淡い街灯の光しかない室内でも明らかに分かるほど、闇虎が嬉しげに目を細めた。その表情を見た高季は、睡眠と覚醒の狭間でぼんやりと、まるで満足しきった猫のようだと思った。そんな高季に闇虎が手を伸ばし、頬に触れてくる。
「ありがとう」
 柔らかい手つきだが、何らかの明確な意図を持つ熱の篭った手で頬を撫でられれば、警戒心も湧くというものだ。
「このお礼は、俺のカラダで」
 案の定、それまでの真摯な表情を一瞬でかき消し、いつもの表情でいつもの言葉を口にした闇虎に、高季は即答した。
「断る。バイト禁止にするぞ」
「‥‥許可を得るようなことじゃないって言ったくせに」
 ぼやいた闇虎だったが、案外あっさりと高季から離れた。そして立ち上がった闇虎は、最後にもう一度高季に手を伸ばしてきた。彼の指先が、本来の高季のものである右目を覆う瞼に触れた。目で感じる闇虎の指先は、僅かに温かかった。
「おやすみ」
 闇虎の声は聞こえたが、それに答える前に高季は眠りに落ちた。

 翌朝、出勤のために身支度をしていた高季は、同じく朝から身支度をしている闇虎を見て、思わず手を止めた。
「出かけるのか?」
「ああ。バイト」
「どこに」
 高季が尋ねると、闇虎が口の端を持ち上げるようにして笑った。
「何。あんた、俺のすることがそんなに気になるんだ?」
 一瞬言葉に詰まった高季だったが、別段顔色を変えることもなく、再び尋ねた。
「自分が契約した鵺の行き先を気にすることの、何が問題だ」
「つまんない答え。もっと面白い答えなら、行き先教えようかと思ったのになあ。‥‥例えば、愛してるからこそ気になるんだ、とか」
「俺が、おまえにそう言うのか」
「そんなこと言われたら、真っ先に病気を疑うね。しかも、たちの悪いやつ」
 下らない戯言で答えをはぐらかした闇虎は軽く肩をすくめてまた笑い、そして高季よりも先に家を出て行った。
「まったく」
 闇虎を見送った高季はため息を一つ吐いてから、結びかけたままだらしなく垂れ下がっていたネクタイを手早く結んだのだった。
 以来、闇虎は毎日朝早く出かけては、夜遅くに戻ってくるようになった。その理由を聞いても、返ってくる答えはいつも同じだ。
「ヒ・ミ・ツ♪」
 妙に上機嫌な闇虎を見ている限り、危ないことをしているようではない。とはいえ、気になるものは気になる。
「なに」
 高季の視線に気づいた闇虎が、居間を横切っていた足を止めた。
「‥‥いや」
 軽く首を振り、高季はそれきり口をつぐんだ。いくら尋ねたところで無駄だと分かっているのに、再度問うのもばかばかしい。
「拗ねてくれてたりすると、嬉しいんだけどなあ」
「誰が」
「分かってるよ。あんたが、そんな可愛い性格してないってことくらい」
 心配してくれてるんだろ、と近づいてきた闇虎に言われ、高季は軽く顔をしかめた。図星を突かれたとは思いたくないが、「気にする」ということは、限りなく相手を案じていることに近いということくらいは、高季にもよく分かっているのだ。
「俺の、目」
 にい、とひどく満足げに目を細めた闇虎が、高季の左目を覗き込んできた。
「俺の目にもあんたの目にも、いいもの、見せてやるよ」
 高季の左目は、もともと闇虎のものだ。この鵺と契約を交わした際、高季の青みがかった濃い灰色の目は闇虎のものとなり、闇虎のものであった朱金の目は高季のものとなったのだ。
 そう言った闇虎の顔が近づいてくる。思わず目を閉じると、右の瞼に乾いた暖かいものが触れた。瞼に感じる闇虎の唇が、ものを呟いているように少し動いた。
「何か、言ったか?」
 目を閉じたまま問うと、闇虎の唇が少し震えた。笑ったのだろうか。笑ったとすれば、彼はなぜ笑ったのだろうか。

 それから数日後の夜、闇虎は家にも戻っていなかった。とはいえ、今晩闇虎が戻らないことはあらかじめ聞いていたことである。心配はない。だが、気にはなるのだった。
「なぜ、俺が」
 振り回され続けていることが腹立たしく、高季は珍しく、幾分乱暴な手つきで着ていたスーツの上着をベッドの上に放った。すると、かさりという神の乾いた音がした。訝しく思いながら、今しがた放り投げたばかりのスーツを手に取った。すると、一枚の紙片がひらりとベッドの上から落ちた。どうやら、ベッドの上に置かれていたらしい紙片を拾い上げて目を落とした高季は、思わず瞬きをした。
「‥‥ファッションショー?」
 ブランドにさほど興味のない高季でも知っている高名ブランドが行うファッションショーの、関係者招待券。このブランドの関係者は高季の知り合いにはいない。だが、自分のベッドの上にチケットを置ける者には心当たりがある。
「何を考えているんだ、闇虎は」
 訝しく思いもすれば、呆れもしたが、高季はチケットを放り投げたりはしなかった。闇虎が何をしているのかと、至って保護者的に案じる気持ちが強かったのだ。
「過保護が過ぎるかもしれないな」
 ため息混じりに呟いた高季は、チケットを丁寧にベッドサイドの棚に置いたのだった。

 ファッションショーが行われる会場に着いた高季は、些かの居心地の悪さを覚えていた。何しろ、こんなところに出入りしたことはない。場違い、という言葉が頭を過ぎる。だが、実際のところ、長身を無難な、だが上等なスーツに身を包んだ高季はごく自然に周囲に溶け込んでいた。
 関係者優待席というのは、なかなかいい席だった。ステージがよく見える。会場の電気が一度消えたかと思うと、すぐさま大音量の音楽とともに、華やかな電飾とスポットライトがきらめき始めた。ステージの上を、ひっきりなしに着飾った女たちが歩く。彼女たちは、皆堂々と服と彼女たち自身を誇示していた。その誇示の仕方は、ステージ上だけあって過剰ではあったがいっそ清清しい気分にさせるものだ。そのせいだろうか。高季は、ショー自体を楽しんでいた。
 だが、それにしても闇虎はどこへ行ったのだろうか。このショーに来れば彼に会えるだろうと思っていたのだが、闇虎は一向に姿を現さない。高季の両隣の席も見知らぬ男女に埋められており、闇虎がやって来る様子はどこにもなかった。
 そうこうしているうちに、ショーは終盤となっていた。このショーの目玉であるのか、モデルをとらえるカメラのフラッシュが、驚くほど眩しく光り始める。
 だが、高季が驚いたのは、カメラのフラッシュの量にではなかった。ブランドの服を隙なく着こなした女が一人、ステージを歩いていく様を見たからだ。
「闇虎‥‥?」
 呆然と呟く。ステージの上で、胸元が大胆にくつろげられ、深いスリットの入ったワンピースの裾をこれも大胆にひらめかせながら歩く彼女は、どう見ても女だ。だが、同じくらい確かに、青みがかった灰色と朱金の目、漆黒の髪は間違いなく闇虎のものだという予感がする。
 半ば唖然としてステージ上を見上げる高季に気づいたのか、女性体となった闇虎が唇の端を持ち上げるようにして笑った。その表情で、予感が確信に変わる。ステージ上で鮮やかな存在感を顕示する彼女は、間違いなく闇虎だった。妖が目立ちたがりでいいものなのだろうかと、高季は盛大なため息を吐いた。

 ショーを終えて家へ戻ってきた闇虎に、居間のソファに据わっていた高季は至って冷静な一瞥を向けただけだった。
「驚いた?」
 その一瞥に気づいているのかどうなのか、闇虎が悪びれずに尋ねてくる。
「ああ。驚いたし、呆れた」
「結構、見れただろ」
 能天気な闇虎の言葉に、高季はまたため息を吐いた。とはいえ、確かにあの女性体はなかなか見事にショーをこなしていたことは事実だ。
「そうだな」
 率直に答えると、闇虎が満足げに笑う。
「惚れ直した?」
 ばかなことを、と思い、高季は返事をしなかった。すると、返事を強いることもなく、闇虎が手にしていたものを高季に向かって放り投げてきた。反射的に受け止めたそれに、高季が目を落とす。受け止めた物は、赤みの強い琥珀の裸石だった。
「琥珀のルース?」
 裸石は、光に透かすとさらに赤みを増した。闇虎の目の色に、似ている。
「それが、俺のギャラ。あんたにやるよ」
「おまえのギャラだろう。俺がもらういわれはない」
「あんたにやりたいと思って、わざわざあんな真似したのに」
 聞けば、闇虎はブランドのイメージポスターに使われたこの裸石を高季に贈るために、目立つショーのステージに立ったという。
「それじゃあ、さ」
 裸石を突き返してきた高季の手を石もろともに握りこみ、闇虎がソファに座る高季にのしかかる。
「この石で、一晩俺に買われてろよ」
 耳元で囁かれ、高季は仕方がないとばかりに緩く目を閉じた。

 闇虎の熱を感じながら目を閉じていると、彼の目を手の中に握りこんでいるような錯覚を覚え、高季はふと鳥肌が立つような愉悦を感じたのだった。