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Edoing―蛞蝓が歩けば事件に当たる
――プロローグ
江戸は日本橋、往来を大八車飛脚が飛び回る街角で、一悶着起きているようだ。
ふくらみはじめた梅の香りがふわりと風に舞い、江戸の喧騒に花をそえている。ここは江戸城下町、やたらめったらうまいウナギと何人も喉に詰まらせて死んだってぇ噂のダンゴ屋が隣り合っている。
その隣の長屋がなにやら騒がしかった。火事と喧嘩は江戸の華ってぇいうが、同じ長屋に住む者同士、いらぬ怪我はしないが花だ。
「やいやいやいやい、どうしたってんだ広坊!」
蛞蝓(なめくじ)の武彦は着流しの裾をたくしあげながら、野次馬を掻き分けた。
そこには小男の上に馬乗りになっている広坊ことカタクチイワシの広志がいた。
小男は広志が武彦に目を上げた隙に、彼の腕をかいくぐり野次馬の群れに突っ込んできた。それを、ぱっと武彦が捕まえる。
「なんだってんだい」
蛞蝓の武彦通称武ちゃんは、この辺りじゃあちょっとは名の知れた人情屋だ。……とは本人の談。トラブルメーカーということで、知らぬ者はおらぬものの、人情屋とはよくもまあうそぶいたもんだ。蛞蝓の由来は簡単、どこへいっても騒ぎを起こすばかり、道の筋を追うのが簡単その上生タマゴには滅法よわいところからだ。
「武ちゃん、大変だぁ、そいつが、俺の恋人のおつうちゃんを連れてっちまったんだ」
「なんだってぇ!」
武彦が小男を掴みあげる。
そこへ、鋭い女の声がした。
「ちょっと、お兄さん、何やってるんですか!」
身を竦めて武彦は小男をつい手放し、ゆっくりと後ろを振り返った。野次馬が道をあけている。そこには長い髪を結った少女零が立っていた。
「また人のいざこざに首を突っ込んで! 今月のお給料はどこへいったんですか。こんなに騒ぎを大きくして! 傘作りのアルバイトも花作りのアルバイトも終わってないじゃないですか。このままでは、私が、私が……!」
零は涙を飲み込んで長屋の中へ入った。
武彦は舌を出す。
「いけねぇ! こんなことしている場合じゃなかった!」
武彦は広志を振り返りもせず、下駄を鳴らして大慌てで零の後を追おうと走り出した。
そのとき、ざわめきが増した。
武彦が振り返る。
「御用だ、御用だ」
見ると広志に縄が打たれている。これはどうしたことだ?
「おつう殺しの下手人、広志! 観念しろ」
だから、どういうことなんだ?
――エピソード
笠を深く被っていた。時折吹き荒れる木枯らしが、袂を揺らしていく。
江戸まであと数里である。リオン・ベルティーニは後ろを振り返り深川の町を見た。それから行く先へ視線を移した。峠がある。関所はない。その代わりに、一軒のダンゴ屋があった。
リオンは通り過ぎるような顔でダンゴ屋の前を行き過ぎようとしたが、看板娘と目があって彼女がニッコリと微笑んだので、ここで一息つくことにした。
「ダンゴを一つ、それと茶を」
リオンの元へ少女が三色ダンゴとお茶を持って現れた。
「お侍さん深川で休まれなかったんですか」
彼女は不思議そうに遠慮深くリオンを見ている。侍と町人では身分が違いすぎるのかもしれない。
「ああ、ちょっと江戸まで急いでいてね」
「さっき六つの鐘が鳴りましたから、夕刻までには城下町に入れますよ」
リオンがダンゴに手をつけると、娘は奥へと帰っていった。
深川から来た旅装束の男達が口々に「ダンゴ四つ」「お茶くれ」と言いながら、腰を下ろす。二人は顎をさすりながら話をしている。
「しかしなあ、そのおつうって女も気の毒だ」
「そうか? 兵の助だって十分かわいそうじゃないか」
二人は言い合って出てきたお茶に早速手をつける。
「おつうは兵の助に惚れてたんだろう? なら縁談なんかせず、逃げて二人で暮らせれば幸せだったろうさ」
「おつうはそれでいいだろうさ。だが兵の助は男、働き先も見つけにゃならん。兵の助は内田屋へ奉公へ出ている身。まさかお嬢様とは逃げられない」
二人はそこで口を噤んだので、リオンは訊いてみた。
「それで? その二人はどうなったんです?」
町民二人は声を揃えて言った。
「待ち合わせ場所に来なかった兵の助に失望したおつうは江戸へ逃げ、そのことが丸ごとバレた兵の助は内田屋を追放! それだけじゃない! そのうえ兵の助はおつうを逆恨みして江戸に向かったってえ話だ」
あまりのことにリオンは口を噤んだ。
そりゃあ、おつうって娘にはとんだ災難だった。
カタクチイワシの広志は呆気に取られた顔をしながら、首を横に振っている。
「俺じゃない、俺はおつうちゃんを殺してない」
「話は番屋で聞こう」
下町同心は素っ気無く話を打ち切った。手下の物が縄をうった広志を追い立てる。それを見ていた武彦は、大慌てで大声をあげた。
「広坊、助けてやるからな」
広志と武彦は寺子屋時代からの友人である。
草間の隣には、着物を着崩した遊郭を歩いているような赤い髪の女性が立っていた。彼女は音羽の呪寿、太夫をやって客を取っているとも三味線を弾いて金をもらっているとも言われているが、その実体は誰も知らない。
彼女は怪しげに口許を歪めて、
「困りマシタネー」
言って武彦の袖を引いた。すると武彦の逆隣にいた大男が腕組をしながら唸った。
「武彦、これは無実の罪だな」
その男は紫桔梗・しずめという男だった。彼はどこかの名家の次男坊で、江戸の街を散策するのが趣味だという。もう五十も過ぎたというのに、元気いっぱいの老人だ。
「むむ! 許すまじ、江戸幕府!」
しずめは街の往来でそう叫び、両手を握り締めた。武彦は慌てて彼をたしなめる。
「しずめさん、ここでそういうこと言うと、反逆罪で捕まっちゃうよ」
「捕まえてみろ! 腰抜けども!」
しずめは至ってやる気である。武彦は、巻き添えを食って役人に捕まる前にしずめから逃げ出そうとしたが、しずめはがっしりと武彦の肩を掴んで離さなかった。
「目安箱を設置だ」
しずめは意気揚々とそう言う。
それは将軍の仕事である。
む? 名家の次男坊が将軍……そんな時代劇があったような……。
「ともかく広坊のやってない証拠を集めなくっちゃあ」
武彦が顎を撫でて言うと、零が長屋から出てきて、涙声で怒鳴った。
「お兄さん!」
武彦の家も火の車、さっさとアルバイトをこなさなければ零が売られてしまうのだ。
広志が打ち首も辛いが零の女郎行きも阻止しなくてはならない。武彦が困って固まっていると、隣の呪寿が武彦の肩を叩いた。
「ミーに任せるネ、武彦は、好きに調べててイイヨー」
彼女はふわりと白粉の香りをさせて、パチンとウィンクをしてみせた。
「……本当に大丈夫か」
ふふりと笑って、呪寿は武彦へ投げキッスをした。
「ヘイ、ハニー、安心して調べるとイイネ」
武彦はハニーの響きに若干顔を引きつらせながら、「わかった、頼む」そう言って駆けていった。
「俺は悪人共をぶっつぶしてくるぞ」
しずめはそう捨て台詞を言って、誰が悪人なのか確認することもせず、去っていった。
音羽の呪寿は街中の悪霊を使って多くの町人を集め、まず草間宅にあるアルバイトとやらを片っ端から片付けてしまうことにした。これも、愛する武彦の為である。
武彦が辺りにちょっと聞き込みをして、おつうの死体の上がった神社の境内へ向かった。
もう死体は片付けられたのか野次馬はいなかった。武彦は境内のあちこちを見て回り、血のついている箇所を二つ見つけた。その二つは離れているように思える。
「二つの血の痕?」
武彦が顎に手を当てて仁王立ちをしていると、石段を誰かが和やかに会話をしながらやってきた。
「蛞蝓の、じゃないか」
一方の男が言った。彼は目新しい紋様の着流しを着こなしている。両袖に手を通していない。
彼の名は葉桜の真雄、職業は不明である。姉が針子をして生計を立てているらしいが、それにしてはいつもいい物を着ている。医者の知識も若干あるらしい。
「葉桜の……この事件に噛んでるのか」
武彦が真雄の邪気のない横顔を見ながら言うと、隣にいた女の子が口を開いた。
「うちの先生が尾張に出張になってしまって、検分を頼んでいたのです」
養生所の茉夕良がかすかに微笑む。
武彦は頭をがりがりかいて、茉夕良に言った。
「信用できるのか?」
「失礼だぞ、武彦」
だが言ったこととは裏腹に、真雄はからからと楽しそうに笑った。
「瓦版で見たんだが、カタクチイワシの広志が捕まったらしいじゃないか」
真雄は境内の血の痕に目を向けながら武彦へ言った。武彦はうなりながら一つうなずいた。
「ここでおつうは死んでたよ」
真雄は言った。それから境内の奥へ進んで、もう一つの血の痕を見た。
「実はね、武彦。お役人にも進言したんだが、おつうは自殺の線が濃厚なんだが」
武彦が目を丸くする。茉夕良の小作りで華奢な顔を振り返って彼女がこくりとうなずくのを見てから、真雄に視線を戻した。
「刺し傷をみればそれぐらいはわかる、だがねえ持っていた小太刀がどうも傷と合わないんだよ。どういうことかな」
武彦は首をかしげて、トントンと頭を叩いた。それから胸元から煙草を取り出して、一本口にくわえた。
「キミねえ、江戸時代なんだから煙管を吸いなさい」
真雄が呆れ顔で言う。しかし草間からマルボロを取ったら半熟タマゴしか残らないので、この際は勘弁してあげてほしい。
「……なんで広坊が下手人に?」
「小太刀の所持者だったようです」
茉夕良が短く答えた。
怪しい、あからさまに怪しいではないか。
その頃江戸城内では、フウテンのしずめこと紫桔梗・しずめが暴れていた。
まず城内へ入る際役人に引き止められる。
しずめはおもむろに胸からカップヌードルを取り出し、どこで沸かされていたのか熱湯をカップヌードルに注ぎ込んだ。そしてちょっと遠くへ隔離しておく。
「怪しい奴め!」
役人達が刀を構える。しかし、しずめは腰に提げた刀を抜く素振りはない。
えいやぁ! と斬りかかってきた役人の刀を持つ手をむんずと掴み、しずめはてりゃあと彼を投げ飛ばした。そしてもう一人の役人の顔を大きな拳で殴りつける。
そして観音開きのドアを思い切り蹴破って突破したしずめは、カップヌードルの存在に気がついて後戻りをした。
そしてカップヌードルを開けてずるずると麺をすする。
「まずい! もう一杯!」
スープまで残さず食べたしずめは、その後ぐんぐん巨大化して、江戸城の半分ほどの背丈まで成長した。そして中を覗きこみ、中にいる老中を探して窓から手を入れた。ガラガラと江戸城の壁が崩れ落ちる。
やがてこんな声が聞こえた。
「殿対抗のカラクリモス郎を呼べ!」
カラクリモス郎とは、幕府の科学力を注ぎこんで作った対しずめ用兵器である。
しずめは名家の次男坊などではない。彼は現在の将軍だったのだ。しかも暴れん坊な将軍だった為、江戸城はよく破壊され、役人は殴り倒され、襖は蹴破られ……被害は拡大するばかりだった。
江戸城の中から老中が言う。
「もうやめてくだされ。カラクリモス郎を呼びますぞ!」
「おおう、望むところだ!」
江戸城の広大な庭に、カラカラと音を立てて羽の生えた蛾のような物が現れる。それがカラクリモス郎である。カラクリモス郎はまず、粉を飛ばした。それはなんとコショウであった。
巨大化したしずめが大きなくしゃみをする。
「へっくしょい」
まず江戸城の瓦が落ちる。それも盛大に!
「へっくしょい!」
巨大しずめのくしゃみは江戸に震度三ほどの揺れを感じさせる。町民達は慌てて外へ飛び出した。
「へーっくしょい!」
最後のあまりにも大きなくしゃみはによって、なんと隕石が落ちてきた。
凄まじき、カラクリモス郎!……のコショウ。
しかしそれぐらいでやられるしずめではない。彼は上半身の着物を肌蹴させ、強靭な肉体をむき出しにして、カラクリモス郎に襲い掛かった。しかも、なんとスタイルはお相撲である。手足のないカラクリモス郎にとっては至極不利な試合であった。
ノコッタノコッタノコッタ! と江戸城の広大な庭で相撲を楽しんでいた巨大な二人だったが、やがてしずめが下手投げでカラクリモス郎を江戸城下町へ放り投げ、しずめの勝利となった。
三分間の時間がきれ、胸元のネックレスがきらきらと光り、しずめがきゅるるるると小さくなっていく。
しかし小さくなったといってもしずめである。
彼は江戸城への出入り口を尽く壊しながら、中へ入って行った。
老中が慌てて降りてきて言う。
「上さま、一体何事です!」
しずめは、ここまで何を怒り狂ってたのだろうかと考えた。
だが怒りはカラクリモス郎との大戦で消えてしまったので、まるで覚えていない。
「うむ」
意味もなくしずめは言い、老中が「いけません、ご公務がご公務が」と袴にすがりつくのを無視して江戸城を出た。
たしか、武彦のところで何かの話をしていたような気がしたからだ。
武彦家には大変大勢の人間がいた。六畳二間の一方の部屋には、呪寿の操る町民達が傘貼りや花作りをしている。
お茶ッ葉が切れていたので、蛙の小便と見紛う事なき薄いお茶が入っている。零はソバ屋のアルバイトに出ていた。
リオンはお茶を眺めただけで、手はつけなかった。あまりにあまりだったのだ。
真雄も茉夕良も微笑を浮かべているが、お茶に手をつける様子はない。
そこへ茶菓子を買いに出ていた呪寿が戻ってきた。
「オーイエス、イチゴクリーム大福が売ってタネ」
ここは江戸時代。なぜイチゴクリーム大福があるのか甚だ疑問である。
彼女はいそいそと武彦の隣に座って、紙包みの中から大福を取り出して、武彦の口許へ持って行った。
「ハイ、あーん」
「あーん」
つい武彦が口を開ける。そして一口もごもごと租借をしてから、大仰に反応した。
「何やってんだお前!」
「愛のスウィートラビリンスネ」
「言ってることさっぱりわかんないし!」
武彦の狼狽は続くばかりである。
全員がその様を呆れたように眺めていた。リオンはイチゴクリーム大福に手を伸ばしながら、手元の瓦版を読んだ。そこには『兵の助竹やぶに死体となり発見、下手人は誰か』と文句が書いてあった。
「武さん、あんた、たしか境内に血が二つあったって言ってたよね」
リオンは金髪の頭をかきながら、イチゴクリーム大福を食べた。
「あ、案外うまい」
「言ったぞ。二つあった、なあ?」
真雄に武彦が話を振る。真雄はかすかに口許をほころばせて、頭をうなずかせた。
そのとき長屋の引き戸が勢いよく開いた。
そこには岡引らしい男が立っていた。
「てぇへんだ、養生所の茉夕良ってのはここかい? 代理の先生お願いできねえかな」
どうやら役人共は瓦版に先にすっぱ抜かれたらしい。
真雄が腰をあげる。
「兵の助の検分だね、わかったよ」
茉夕良と真雄が立ち上がって外へ出て行く。
「俺達も行くか?」
武彦がいきり立って言ったが、リオンは首を横に振った。
武彦の肩に寄りかかりきりだった呪寿がふと身体を持ち上げて立ち上がる。
「どこへ行くんだ?」
武彦が訊く。
「ユーの為ネ。事件スグ解決ヨ」
彼女はとろんとした目でウィンクをした。
リオンはそれを見送りながら、もう一口大福を食べた。
「おつうさんと兵の助さんが会ってしまい、兵の助さんをおつうさんが殺害。竹やぶに隠してみたものの、良心の呵責に耐え切れず自害……が筋でしょうが……どうして広さんが」
武彦も腕を組んで眉間にシワを寄せている。
「小男も気になりますね、それに小太刀も」
「……ああもう! わからん」
リオンは蛙の小便に目を落とし、まあよいかと一口口に含んだ。
大福で口の中が甘かったのだろう。
呪寿は奉行所の牢屋にそっと忍び込んだ。もちろん監視は術で操っているので問題ない。
広志に霊を憑依させてことの真相を知ろうというのだ。
広志は数日の生活をぽろぽろと零し出した。どうやら、小太刀は盗まれたらしい。おつうと出会ったのは三日前で、行く宛てがないというので家に置いてあげていたらしい。彼は本当にやっていないようだった。それから、記憶を辿っていくうちに新事実が露見した。
どうやら広志は、大工の仕事で往復している道にて、辻斬りらしき男を目撃したようなのだ。これは広志の記憶にはあるが、広志の意識にはない情報だった。つまり、聞いても広志はまるで知らない情報だったのだ。
これは胡散臭い。
そのあと小太刀が盗まれ、そして広志は下手人に……。
呪寿はそれだけ聞き終えると、浮世絵師を尋ね広志から得た情報を憑依させ似顔絵を作らせた。
だがその必要はあまりなかったかもしれない。その顔は江戸では有名なヤクザ辰五郎の家の小悪党だったのである。
小悪党の居所を突き止め、真相を聞きにいこうとすると、真雄と茉夕良と出会った。
彼等は彼等サイドで調査を進めていたらしい。
「ヘイユー、これはミーの獲物ネ」
呪寿は引き戸の前で言った。二人は苦笑をしてみせて「そんなつもりじゃない」と言った。
「お役人に確認したのですけれど、小太刀はおつうさんの死体が握っていたそうなんですが」
「再度確認してみたけど、どう考えても違う刃物の傷だったからね」
真雄の言葉に茉夕良がうなずいて続けた。
「広志さんの家から逃げた小男、小太刀の行方を知っているのではと思いまして」
そして三人は引き戸を開けた。
呪寿の術により場は完全に三人が有利であり、真実の情報も簡単に聞き出せた。
小太刀はおつうの死体を発見してから、広志の長屋から盗み出して交換しておいたとのこと。
しかしその理由を……小男は知らなかった。
しずめが武彦の長屋の扉を蹴破ったのと同時に、呪寿や真雄、茉夕良が帰って来た。一人が提灯を持っている。
もう時は八時を過ぎている。外は暗かった。
全員から事情を聞いて、ふいにリオンが言う。
「……辻斬りらしき男を目撃」
しずめが「ええい、まどろっこしい!」と立ち上がった。
「広志が無罪なのは事実、こうなれば奉行所へ殴りこみじゃ!」
武彦が慌ててしずめを止めようとする。だが、しずめのバカ力には敵わない。
そこへ武彦を守る為に呪寿が霊を放ってしずめを沈めようとした。だが、しずめは尚も抵抗をしている。なんという精神力だろう。
「これは機密事項ですが……」
リオンがあぐらをかき直し小さな声で告げた。
「どうやら今回のここらでの辻斬り、お役人が関わっているとか」
全員の顔に緊張が走る。
「広志さん、もし見てしまったとしたら、……殺されるかも」
真雄がただ熱いだけのお茶をすすりながら、目をぱちくりとさせる。
「でも、奉行所の牢屋なら安心なんじゃないかな?」
ぬおおお、としずめの唸り声がする。
そしてしずめは、またも武彦の長屋の扉を蹴破って奉行所へ駆けていった。
それを追うように呪寿がさっと闇に消える。
広志が殺されるとあっては、こうしちゃいられない。他の四人も奉行所へ駆け出した。
広志の元に笠を被った侍が一人やってきていた。
侍は広志の牢の鍵を開け、そして一言言った。
「逃げろ」
広志は戸惑いながら侍を見上げ、それでも牢から逃れられるという欲求に負けて外へ出た。侍を振り返りながら、外へ一歩踏み出す。ここから逃げ出すことなんて可能なのだろうか。だが見張りはどこにも立っていない。
訝しみながら広志は奉行所を出た。そして右へ……長屋の方向へ向かって走りはじめた。
後ろに足音が聞こえる。振り返ると、そこにはさっきほどの侍が立っていた。
侍は言った。
「下手人が逃げたぞ! 牢破りだ」
広志がぎょっとする。
侍が、すらりと刀を抜く。
広志は腰を抜かして、道に転がった。後退りながら、手を振った。
「俺じゃねえ、俺じゃねえんだよ。やめ、お侍さん」
「知ってるよ。お前がおつう殺しの下手人じゃないことはな」
侍がにやりと笑う。
そこへ手裏剣がカンカンカンと道に刺さった。そしてどこからともなく闇の中から、呪寿が現れ侍の後ろへ立っている。片手には小太刀があった。
侍が叫ぶ。
「出会え、出会え!」
大勢の役人達が奉行所からやってきて、広志達を囲んだ。そこへ、しずめが到着する。しずめは大きくジャンプして役人達の群れに蹴りを繰り出した。刀を抜く暇を与えずに、拳を振るう。リオンもずいと中へ入り、刀を抜いた。数名の侍と刀を戦わせてから、彼は自分の刀を睨みそれから捨てた。そして胸の中からワルサーP38を取り出して構えた。
「悪いけど、邪魔立ては無用」
真雄はくすくす笑いながら侍達の利き手に、鋭い刃物を操って切込みを入れていく。
リオンは言った。
「伊達・隆三郎、辻斬りの容疑で御用。これは幕府直々の勅旨である」
どうやらリオンは隠密同心という職業らしい。
しずめは尚も辺りの役人を千切っては投げ、千切っては投げ……である。
隆三郎はがっくりと膝をついて、悔しそうに唇を噛んでいた。
しずめが叫ぶ。
「目撃者の町人を公的に始末する為、下手人に仕立て上げた罪、重いと思え!」
そしてしずめは、まだ、千切っては投げ、千切っては投げ……。
真雄が微笑みながら言う。
「あの人、喧嘩が好きなんだね」
「そのようですわ」
広志はすぐに釈放された。
――エピローグ
南蛮渡来のバームクーヘンを食べながら、武彦達はくつろいでいる。
呪寿のおかげでアルバイト代も無事入り、広志は釈放された。
問題と言えば、しずめが来るたびに扉が壊されることぐらいだった。
「あ、ヤッテしまったネ!」
わざとらしく呪寿が武彦の着流しの足部分にお茶を零す。あちいと飛び上がった武彦を抑えて、呪寿は丁寧に布巾で武彦の足や股間を拭いている。
武彦はいよいよ耐え切れなくなった。
「自分でやる!」
「武彦テレ屋さんネ」
真雄はバームクーヘンの欠片を食べながら言った。
「そういえば、あのヤクザの小男、どうして二度も広志の家に行ったのかな」
「そうですわね」
茉夕良も不思議そうに小首をかしげた。
広志が説明する。
「どうやら俺んちにある、浮世絵に一目ぼれしちまったんてんで、見に来たっておしらすじゃあ言ってたぜ」
本日はしずめの来訪がないので、まだ扉は無事である。
リオンはすでに、江戸を旅立ったようだった。
――end
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0585/ジュジュ・ミュージー/女性/21/デーモン使いの何でも屋(特に暗殺)】
【3359/リオン・ベルティーニ/男性/24/喫茶店店主兼国連配下暗殺者】
【3628/十里楠・真雄(とりな・まゆ)/男性/闇医者(表では姉の庇護の元プータロー)】
【4621/紫桔梗・しずめ(シギキョウ・シズメ)/男性/69/迷子の迷子のお爺さん?】
【4788/皇・茉夕良(すめらぎ・まゆら)/女性/16/ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニスト】
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■ ライター通信 ■
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edoing―蛞蝓が歩けば事件に当たる にご参加ありがとうございました。
お気に召せば幸いです。
文ふやか
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