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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


リゼの街へ


 これは義理だ、義理なのだ。
 彼女は自分にそう言い聞かせながら、箱を紅い包装紙で包む。
 今日は2月14日だが、藍原和馬に渡す『箱』は、『義理』なのだ。いかに美しく、いかに愛らしくラッピングしたとしても――去年パンを食べながら渡したものより一回り大きくなっているのだとしても――義理だ。自分は未だに、本命というコトワリがわからない。
「それとも……わからないままで、いたいのかな……」
 葛はラッピングを終えた贈り物を、そっと鞄の中に入れた。そろそろ、約束の時間だ。
 藤井葛はいつもよりも少しだけおめかしをして、家を出る。彼女を、見慣れた車が出迎えた。
「よう! 乗ってく?」
 ナンパじみた台詞を吐きつつ、窓を開けて手を上げたのは、まぎれもなく藍原和馬であった。葛が、今日会う約束をしていた男だ。
「5丁目の本屋まで」
 助手席に乗り込みながら、葛は言った。
「俺ァタクシーか! アッシーか!」
 たちまち爆発する和馬の唾を払いつつ、葛は笑った。
「ついでついで。どっちみち、町のほうに行くんだろ? ちょっと、でかい本屋でないと置いてないっぽい本だから」
「なんだ、論文の資料か何かか?」
「そう」
「んなもん、ネットで買えるだろ」
「中身を見てから買いたいのさ。貧乏なんだから」
「そうか」
 和馬はちらりと時計に目をやった。
「まァ、問題なし」
 それから、和馬は車を走らせた。相変わらずの、荒めの運転だった。


 繁華街に向かう途中にある書店は、東京でも大規模なものとして知られる大仰な店舗で、そこで手に入らない本はないとさえ言わしめるほどのものだった。しかし在庫が多いのはいいことだが、どうも棚の配置や本の分類に問題があり、迷子の案内や呼び出しの店内放送が絶えない店でもあった。
「この本屋、俺、好きじゃねンだよなァ。格闘技棚の隣が哲学だぞ?」
「でもって、政経棚はコミックコーナーの隣。ま、用があるジャンルだけ押さえとけば大丈夫さ。端末で棚検索できるようになったし」
「パソコン関係どこだった?」
「入り口近くだったと思うけど」
 話しながら店内に入ったふたりは、しばし呆然とすることになる。
 ……棚の配置が、がらりと変わっていた。

 そこはスミソニアン博物館の倉庫か、はたまたミスカトニック大学付属図書館か。迷い迷って葛がようやく目的の本を見つけ出せたのは、店に入ってから一時間近く経ってからのことだった。見つけてみればあまり役に立ちそうもない資料だったが、半ば意地に(ヤケに)なった葛は、万札を握りしめ、その資料を抱えて、レジに向かっていた。
「ひ、ひでエ目に遭った……おーい、巻きで頼むぞ巻きで! 時間がホラ! 押してんの!」
「わ、悪い……まさかこんなことになってるなんて……」
 芸能人とそのマネージャーのようなやり取りで、ふたりは書店を飛び出していた。この日のために和馬が席を予約していたレストランは、まだ遠い。
「何時の予約?」
「6時半」
「ヤバイね」
「ヤバイな」
「それで時間気にしてたんだ……」
「それに今日はホレ、時間と言やァ、リゼの街で祝福イベントがある」
「あ!」
 葛は頭を抱えた。
 リゼの街というのは、ネットの中にある。ふたりが毎日のようにログインしている(もっとも、最近葛はだいぶ自制することが出来るようになっていた)MMOの、そこは『恋人の街』なのだった。バレンタインデーの深夜には、盛大なイベントが催され、イベント限定アイテムも配布されることになっている。
「しまったー……すっかり忘れてたよ」
「まー、現実世界のイベント優先で行きましょうや」
 和馬がウインカーを出した。警察に止められても文句は言えないスピードを出して走っていたおかげで、ふたりは、予約の時間に間に合った。


 和馬が席を手配した創作洋食レストランは、洒落た大人の店ではなく、どちらかと言えば親しみやすい空気に満ちた店だった。かといって、居酒屋のように騒がしいわけでもない。へんに気取ったディナーや、色気のない食べ放題60分よりは、ずっと和馬と葛らしい夕食だった。葛も肩の力を抜ける店であったことに感謝している。
「いい店じゃない」
「だろォ。ここのパスタ、茹で上げなんだ。だからコースは時間厳守の予約制」
「詳しいんだね。いつもは誰と来てるの?」
 椅子に座って半ばふんぞり返っていた和馬の表情が、ぴくりと凍る。
 葛のその台詞は、冗談のようなものだった。だというのに――
「おーおおお俺はべつに誰かを誘っていつもメシ食ってるわけじゃないんだ、本当だ! この店だって何で知ってるかって言われたら、ネット! そう、ワールド・ワイド・ウェブ! 情報収集ならば今やネットという時代でありましょう!」
「……何慌ててるんだよ、誰と来たってあなたの自由じゃないか」
 きょとんとする葛と、大汗をかいている和馬のテーブルに、料理が運ばれてきた。
 1品目、『温野菜と自家製生ハムのサラダ ゴールドソース』。
 ほぼ同時に2品目、『新鮮なムール貝と芝エビのパスタ バジルソースとともに』。
「あ、これは美味しいねえ! さすが茹で上げ!」
「んまい!」
「でも和馬にはちょっと物足りないんじゃないの?」
「コースだぞ、まだまだこれからよ」
 3品目、『エリンギとトリュフのシュープリーム・ピッツァ』。
「トリュフだって!」
「トリュフだって!」
「で、どれ?」
「どれだ?」
「んーん、美味しいよ、チーズもよく伸びるね!」
「んまい!」
『タラバガニのテリーヌ 濃厚なウニソースを添えて』、4品目。
「……これ美味しい! すっごくコクがある!」
「んまい!」
「……そればっかりだね」
 デザート、『特製ティラミス 木苺添え』。
「甘さ控えめだね。ラムがちょっときついかな。でも何個でもいけそう」
「んまい!」
「……」
「さて、このコース、おいくらでしょうか!」
「って、ゴチ?!」
 おひとり様4500円、『ふとっちょシェフのおすすめコース』だった。


 ネットの世界で盛大なイベントがあることは、覚えている。しかし和馬は帰り道、遠回りをしていた。葛も文句は言わなかった。イベントは深夜からだし、もし参加できなかったとしても、今後のゲームに大した影響はない。ただ、出来れば参加したい、というだけの話だ。もらえるアイテムはなかなかおいしい逸品なのだが。
 こうしてふたりが繁華街まで出かけた夜、いつも帰りに寄っていく場所があった。東京の灯を見ることが出来る、静かな高台だ。車を降りてそこに立ったところで、ふたりは愛の言葉を囁き合うことも、見詰め合うことさえもない。ただ東京を眺めながら、いつでも出来るような、普段の会話を楽しむだけだ。
 確か和馬は、いつかのホワイトデーに、チョコレートのお返しにと――初めてこの場所に葛を連れてきた気がした。
 それから何度、この夜景を見ながら、他愛もない話に花を咲かせてきただろうか。
「あの本屋、チビ助連れて行けんな」
「そうだね」
「何て言うだろうな、あの店入ったら。やっぱり……」
「『うわー、迷路なのー!』」
「わはは、それしか有り得んわな!」
 この夜は、葛の小さな同居人と、あの巨大な本屋の話題があった。2月の夜風はまだ冷たく、ふたりは割合すぐに、車中に戻っていた。
 話の続きも、やがては途切れた。

 見慣れたアパートの前に車を止めて、和馬は、助手席の葛が眠っていることに気がついた。

 ――今日は、リゼの街でイベントだぞ。
 しかし和馬は、何も言わない。葛は、熟睡しているわけでもないようだ。まぶたは今にも開きそうだった。揺り起こそうと和馬が手を伸ばしたとき、葛が頭をわずかに動かした。
 顔を覆っていた黒髪が、音もなく流れ、彼女の白い顔をあらわにした。
 ――……。
 和馬は、知らず、息を呑んで身を乗り出していた。何も考えてはいなかった。それは本能であったのか――自然と彼の顔は、葛の寝顔に、のろのろと近づいていっていた。
「……あ、」

 声を漏らしたのは、和馬だった。
 ふと視界に、翠が飛び込んだのだ!

「……」
「……」
「……」
「……」
 ――あー、えーと、そのー、おまえさんは目ェ開けて寝るタイプなんだな! 起きてんのか寝てんのかわからんな! 今日はイベントだ!
 和馬の頭の中を、実にさまざまな口実や言い分が慌しく駆け巡る。葛はそれにはあえて触れず、無言で鞄の中に手を入れた。
「和馬」
「う?」
「これ」
 ぽん、と素っ気なく、小麦色の手に託された箱。
 それは綺麗な赤。
 リボンまで、赤。
 和馬は言葉を失って、ただじっと、まるで念力でも込めているかのような視線を、赤い箱に送り続けた。葛は助手席のドアロックを外して、微笑んだ。
「今日は……ありがとう。ごちそうさま」
「ああ、いや、いいってことよ。こんな日なんだから」
「またあとで会おう」
「ああ、間に合えば」
「じゃ」

 葛は、笑っていた。
 彼女が何を見て、何を感じたか。和馬にはわからない。
 葛でさえも、わかっていないのだから。

 ふたりの夜は、さまざまな街で更けていった。




<了>