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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


□■□■ 監獄お年始会 ■□■□


「それじゃ、そろそろ、始めるとー……しよぉ、かあー」
「正月ぐらいしゃきっとしなさい、まったく」

 玄夜の言葉にあふ、と欠伸を噛み殺しながら、志戯は院長室のロッカーから極彩色の衣装を引きずり出した。和風のようで中華風、総合何処と無くアジアンテイストのそれは、普段黒いコートと白いシャツでモノクロの色彩だけを纏う志戯にはイメージが合わない。所々ほつれているところから、それが長い間使用されたものであることは判るが――同時に、暫くは使われていなかったような気配が漂っている。

 志戯はそっと、刺繍を指で撫でる。
 ほんの少しだけ無表情に陰鬱を浮かべながら。
 玄夜は、ロッカーの上から、それを見下ろしていた。

「虫食い穴が……」
「直しなさい!!」
「裁縫できない……」
「アンタって人は!!」
「困った困ったー」
「それはこっちの台詞ですよ!!」

 相変わらずの突っ込み三昧の中、志戯はへらりと空の笑みを浮かべる。

「人、呼んでいー? 玄夜ー」
「好きになさい、看守は、主はあんたですよ」
「わーい、嬉しいなー……お裁縫出来る人呼ばなきゃ、あと料理とかー」
「あんた、舞が本分ですよ?」
「…………」
「…………」
「やだなー、そんなこと……わかって、るよー」
「嘘吐きなさい」

 さくー。
 ドリルくちばしが、志戯の頭を刺した。
 あはは、笑う彼のピアスが、しゃらんと音を立てた。

■□■□■

「でも、監獄とお年始会って、何だかミスマッチな響きですよね……」

 ぽつん、と呟いた声が廊下に広がるのを感じながら、初瀬日和は手に持ったバスケットを持ち直した。廃墟なのだから当たり前なのではあるが、監獄――都内某所の癲狂院跡はひどく散らかっている。窓は木の板で塞がれていて明かりも僅かしかないし、床のタイルは剥がれて浮いている。ぺきぺきと歩く度に音が鳴っているし、何より、埃っぽい。ここが本当にただの廃墟ならば何も感じないのだが、少なくとも人間が一人生活している空間という認識からすれば、是非掃除をしたいところだった。キョロキョロと辺りを見回す日和の様子に、シュライン・エマは苦笑を漏らす。

「まあ、それを言ったら廃墟を監獄にしているというのもミスマッチね。でも癲狂院跡だと思えばむしろ自然かしら……昔の精神病院って本当に、患者を収監していたようなものだから」
「ふむ、そう言われればそうかもしれないな。まあ終わった場所をどう使おうが勝手だろうが、取り敢えず掃除はしてもらいたいな……料理に埃が入ったら勿体無い」

 シュラインが抱えている重箱の風呂敷包みと日和のバスケットを交互に眺めながら、葉陰和歌は肩を竦めて見せる。

 お年始会をやるよー……のほほんと間延びしていながらも感情の篭らない声で、古殻志戯がそんな言葉を寄越したのは、先日のことだった。ふよふよと目の前を漂う妙なシャボン玉を割ってみた所、言葉が零れる。どうも妙な招待状だったが、監獄から出られない彼の連絡手段なのだろう。電気ガス水道新聞の無い場所に電話だけが引かれていることもないし、大体連絡先を教えてもいない。
 年始と言う言葉には一ヶ月ばかり遅れているが、なるほど旧暦では確かに正月になる。長生きらしいから未だに昔のリズムを引き摺っているのだろうが――きょろ、と汚れた廊下に人影を探し、和歌は薄紅に染められた自身の髪に指を引っ掛ける。和装の裾から入り込む冷気が、少しだけ寒気を促した。

 正月には東京を離れていたため、知人や仕事関係者が開く年始会には顔を出していなかった。別に取り立てて出たかったわけでもなかったが、仕事に追われて雑煮を食う間もなかったのは未だに悔やまれている。餅があってこその正月。これ日本の鉄則。
 衣装の繕いやら料理やらを求めているらしいが、生憎とあまり得手ではない。長い廊下を歩きながら、和歌はぽんっと自分の懐を軽く叩いた。そこには愛用の筆と、竹筒に入れた『墨』が納めれている。まあ宴の余興には出来るだろう。あとは取り敢えず食う。そして見物。

 微かに響いた声の気配に、シュラインは耳を澄ます。長い廊下の突き当たり、一番に奥まった場所が、志戯の生活する院長室だ。廃墟の中ということで他の場所の例に漏れず、そこは暗く埃っぽく散らかっている。生活感のまるで無い部屋の重い扉、その奥から聞こえるのはいつものように鴉が主を叱り飛ばす声である。くすくすと笑みを漏らしながらドアに手を掛ければ、そこにはいつもの光景が広がっていた。

「ッだから、なんであんたは毎年毎年飽きもせずに舞を忘れているわけですか――――ッ!!」
「だって、別に、普段はどうでも良いからー……」
「そう言ってもう本当に、千年前から毎年ただの一度も欠かすことなく忘却されたら、いい加減こっちだって怒鳴り飛ばしたくなりますよ! あんたと言う人は何処まで甲斐性が無いんですか、いい加減にしなさい、本気でいい加減にしなさいよ!?」
「うー……玄夜がいぢめるー、助けてー」
「誰に助けをッ……と、皆様何時の間に!?」

 つんつくつんつく志戯のぼさぼさ頭を突いていた玄夜がやっと日和達に気付いて、その舌鋒を納める。一瞬呆気に取られながらもどうにか正気に戻り、日和は苦笑と共にぺこりとおじぎをした。ばつが悪そうにする玄夜と逆に、志戯はいつものへらりとした笑みを浮かべて見せる。そのまま軽く、片手を上げた。

「やっほー、エマちゃんに日和ちゃんー……和歌ちゃんも、いらっしゃいー」
「お邪魔するわね、志戯くん。それにしても玄夜ったら随分キてるみたいね……ふふ、いつも通りに案内役さんが来ないから心配したのだけれど、どうしたのかしら?」
「どうしたもこうしたもッ……この男、この男は!! 毎年毎年繰り返している舞だと言うのに、もう千年は確実に続けていると言うのに、軽く千回は舞っている筈だと言うのに、ふらっとすぱっと忘れているんですよ!!」
「……なんだ志戯くん、君は記憶力皆無か? 若いナリをしていながら随分なもうろくだな、手先を動かしてボケ予防をした方が良いのかもしれないぞ?」
「皆無以前の問題だと思いますけれど……」
「以前も以前、原始人もビックリですよ、なんで毎年毎年忘れられるんですかあーもうー!!」

 ばっさばっさと巨大な翼で空気を叩きながら、玄夜はつんつくつんつくと志戯の頭をその嘴で突いた。いつも以上の激しさを持つ突っ込みに、シュラインは思わず笑い出す。くすくすと肩を揺らし、軽く息を吸い込み―― 一歩踏み出した。日和と和歌を庇うようにその前に立ち、ふぅっと、声を発する。

「――――ッ!!」

 声と言うよりは音、空気の波。
 直撃を受けた主従が、がくりと床に落ちる。

「……あ、頭がぐらぐらー……」
「はいはい、落ち着いたかしら? ともかく玄夜は志戯くんに早くその舞を思い出させて? 私と日和ちゃんはお料理の準備をしておくから……と言うか、ここにお台所は望めないわよね」
「あー……向こうの給湯室、掃除しておいた、よー。つかってくれて良い、からー。んー、お重とバスケット……何持って来てくれた、のー?」

 すん、と鼻を鳴らす仕種の志戯に苦笑を向けて、シュラインは風呂敷に包んだ重箱を軽く掲げて見せた。日和もまた、手に持ったバスケットを胸の高さまで上げる。殆ど手ぶらの和歌は、二人の荷物に期待の眼差しを向ける。

「私はお正月と同じで御節をね。一応音霊達の分もだから多めに作ってきたのだけれど」
「あ、私は飲茶です。餃子やシュウマイなんかの軽食が中心ですけれど、温めてからお出ししますので」
「おお、和食と中華か、中々に豪華だな。良いニオイがするから気になってはいたんだが、成る程成る程……じゃあ僕は志戯くんがサボらないように見張りでもしていようか」
「……和歌ちゃんおみやげはー?」
「はっはっは。宴を盛り上げてやろう」
「……ぷきゅー。でも良いやー、綺麗どころ独り占めー」

 えへへー、と笑う志戯の頭を、玄夜が激しく刺した。

■□■□■

「あ、良いニオイがするっ!!」
「ですですですっ!」
「……んー、おきゃくさんー、なのぅー?」

 給湯室の簡素な台所に立って持って来た餃子やシュウマイの類を暖めていた日和は、入り口に固まっている面立ちのそっくりな四人の子供達の声に鼻歌を止めた。真白なワンピースに銀色の髪をした子供達――音霊、喜怒哀楽の四人である。監獄に足を踏み入れた時から妙な笑い声や気配には気が付いていたので、今更驚きはしないが―― 一人の少女が、とてて、と日和の足元に寄った。

「日和ちゃん、何作ってるの、だよんっ?」
「飲茶ですよ。中華まんや餃子を持って来たので、暖めているんです。志戯さんが舞の後でちょっとしたお茶会をすると言っていたので……そんなに沢山持って来なかったのですけれど、やっぱり音霊さん達も何か食べるのでしょうか……」
「んー、食べるよ、いっぱい食べるっ。そっかー、もうお正月なんだねー……あはは、志戯ってばどーせまた舞を忘れて、玄夜に怒られてるんだよんっ」
「ふふ、今頑張って思い出しているところみたいですよ」

 蒸し器から出てくる湯気が、ふわふわと漂っている。換気扇を回そうとスイッチの紐を引っ張るが、まるで音沙汰が無かった。まあ、コンクリートがむき出しで監獄の中は冷えるし、少し暖かいぐらいが丁度良いだろうが――喜は随分嬉しそうに、蒸し器を見ている。ちょこちょこと狭いスペースに怒達も入り込み、あっという間に動く間がなくなってしまう。
 ぎゅうぎゅう詰めは正直少し動きにくいのだが、不思議と圧迫感は無い。彼らが子供の姿をしている所為なのか、それともその気配がともすれば見逃してしまいそうなほどに希薄であるためなのか。判らないが不快ではない心地に、日和は笑みを零す。シュラインの重箱を風呂敷から出す指先までも、踊るように軽やかだった。

 人数の多い家庭で育ったためなのか、日和は人の多い場所に対しての抵抗はあまり持たない。一人でいるのも落ち着くし集中できるが、かと言って沢山の人々に囲まれているのが嫌いと言うわけでもないのだ。自分の周りに人がいると言う事は、自分が孤独ではないということ。『一人』は嫌いではないが、『独り』は嫌いだ。
 漏れる鼻歌がふわふわと湯気の中を舞い、その度に喜がくすくすと楽しそうに笑う。他の三人は日和の様子を見ながら、ひそひそと何か話し合っていた。てこてこ、あどけない顔立ちの哀が日和の隣から手を差し出し、重箱の段を解していく。

「あら、摘まみ食いはいけませんよ?」
「ち、違うですですよぅ、お手伝いしてるのですですっ」
「俺達も、なんかすることあったら言って良いからなっ?」
「ぇう、だよー……お手伝いー。働かざるもの、食うべからずー……」

 ぴょこぴょこ跳ねて手を挙げる子供達に、日和はまた笑みを漏らす。眠そうな顔をしていた楽が、ふぅっと笑った。

「それじゃあ少しだけ、火を見てて下さいな。私はちょっとお掃除をして来ます――確か、遊戯部屋が会場になるのでしたよね?」
「あ、じゃあ俺がそれ手伝うっ! 哀、お前もな。喜と楽はここで待機!」
「はーい、なのぅー」
「りょーかいなんだよんっ」

 もくもくと蒸気でぼやけた給湯室、くすくすと笑い合いながら喜と楽が顔を見合わせて笑い合う。

「えへへー……楽しそうだったね、日和ちゃんっ」
「ぇう。嬉しそうだった、のー……」
「美味しかったねー」
「ぇう、なのー」

■□■□■

「……綺麗な衣装なのだけれど、これは随分ね?」

 苦笑するシュラインの肩に乗った玄夜は、げんなりとその肩を落としてみせる。金糸銀糸の唐錦は日月の経過を表すように少し色褪せてはいるが、相当に手の掛かった衣装らしい。形としては直衣のようだが、細部が微妙に異なる。あまり見たことの無いタイプの、装束である。
 上衣と袴、そして唐靴。冠も日本のものではなく、大陸の王のようなイメージだった。しゃらしゃらと無数に飾られた数珠は、不恰好だが上質の宝石である。瑪瑙に瑠璃、水晶に翡翠。一財産二財産になりそうなほどに豪奢だが、やはり所々が傷んでいる。

 価値の正確なところは判らないが、少なくとも粗雑に扱うには抵抗があるそれを、ただロッカーに掛けていたと言うのだから驚きだ。何処か頭の螺子が緩いとは思っていたが、単に価値観の違いなのかもしれない――針に糸を通し、シュラインはまず上衣を手繰り寄せた。

「本当に、もう志戯はどうしてこうがさつと言うか、無関心なのか……あれとの付き合いも随分になりますが、私もそろそろ泣きたくなって来ました、本当に」
「まあまあ、そう怒ってあげないで……むしろ失望してあげないで? それにしても、随分立派な衣装ね。普段が結構よれよれなイメージだから、これを着ているところってあまり想像できないわ」
「昔はそれなりに似合っていたものですよ、私も誇らしかったものです」

 それが今は……はあ。言葉を話す鴉も珍しいが、溜息を吐く鴉と言うのも中々に珍しいかもしれない。しかも突っ込み。糸の飛び出た箇所や穴の開いている部分に待ち針を入れながら、彼女はただ苦笑を繰り返す。あの主だからこそのこの従者なのか、それとも志戯が昔はこんな性格だったのか。後者は少々、想像がつかない。志戯はあの性格でしか考えられない、かもしれない。

「でも、奉納舞って一体何に奉納するの?」
「と、仰いますと? シュライン様」
「舞い踊る、奉納する。その対象は誰なのかしら、とね。そもそも装束からして和中折衷……なんだか変な言葉だけれど、そうでしょう? 志戯くんはあまり神職者には見えないし、一体誰に奉納するのかなって」

 ちくちくと針を動かしての作業を繰り返す彼女の言葉に、玄夜は口ごもるように黙った。何かを言い掛けて、しかし、その視線――盲いて白濁した眼と顔を、背ける。快活に質問に答えるいつもの様子とは違うことに、触れられたくないことだったかと察したシュラインは、何気なさを装って話題を変える。

「神話とかなら、鴉も結構よく出て来るわよね。ヤタガラスだって神鳥の一種でしょう?」
「そうですね……鴉は太陽に深い縁を持っています。大陸の神話では、太陽には三本の脚を持つ金色の鴉が住んでいるとされたものですよ」
「転じて、日本の神話では天照大御神の子孫だったかしら。行き先を導く鳥、ね」
「……えぇ」

 中国の神話にちなみ、太陽を金烏、月を玉兎と呼ぶことがある。月のクレーターの形が兎の姿に見える、と言うのがその所以だと、彼女は記憶していた。昔読んだ本の中にそんな呼び名が出てきて、どうして太陽が烏に見えるのか悩んだことがある。
 黒い鳥に日の光をイメージすることも、その逆も、どこか無理がある。玄夜は名の通り淡い夜の色合い、藍色掛かった青をしているが、それでも青空は連想できなかった。上衣を退け、下衣を引き寄せながら、シュラインは新しく糸を通す。

 いつもはお喋りに話し掛けて客を退屈させないようにと気を配る玄夜が、遠くを見るように顔を下げていた。自身の足元を覗くようだが、彼の眼には何も映らない。何も映らないが、何もかもを映す。人の真実を、悟ることが出来る。
 ぷつん、とシュラインは糸を切る。手繰り寄せた帽子は、しゃらしゃらと珠を鳴らした。静かな空間に、それは、妙に響いた。

「シュライン様」
「ん? どうしたの?」
「誰に奉納するのかとお尋ねになられましたが、それはきっと、誰でもありません」
「……それは、どういう意味?」
「先祖かもしれないし、もしかしたら続く未来にかも知れない。ですが、過去も未来も現在ではないのだから無関係です。これから始まる一年が、これまでと変わるように。『自分』に願いを掛けているのだと――私は思います」
「――――……」
「まあ志戯なんて何も考えていないのだと思いますが。所詮はあの人ですからね!」

 いつも通りの軽口に、シュラインは相槌て笑った。

■□■□■

「うー、えーうー……」

 黒いコートの裾を靡かせながらスィッと脚を運ぶ志戯の表情は、心底から面倒臭そうだった。いやいやにやっているのが判る、何と言っても絶えず妙な唸り声を上げている。くるくると舞う様子を眺めながら、和歌は興味深げにその様子を眺めていた。

「なんと言うか、あまり見た事の無い脚捌きだね。僕は怪奇作家をやってる手前色々と宗教の祭事を調べることもあるんだけれど、あんまり記憶に当たらないな……聞くけれど志戯くん、君の流派ってなんなんだい? 古神道か何かかな、さっき玄夜は千年とか言っていたようだけれど」
「んー……難しい事は、よく憶えてない……よー。昔から、僕の仕事だったんだ……昔から踊らされてばかり、いたー」
「……ほう。そりゃまた特殊な家系だね、ダンサーか何かかい? あれだ、伝説のダンサーだった父か母を越えるために毎日血の滲むようなレッスン、だけど同門の僻みでトゥシューズに画鋲を入れられるんだ」
「んー、そっちの方が楽で、たのしそー……だなぁ」

 とんッと脚を踏み込ませ、志戯はその腕を振った。手は何かを握るような形にされているのだから、衣装のほかにも何かを使うのだろう。だらしないコートではさまにならないが、はて、どのような舞を見せられるのか。それも気になるが、どんな料理が出されるかも気になるところだった。日和やシュラインの荷物から漂っていたいかにも美味そうなニオイを思い出し、くふふ、と和歌は笑みを漏らす。
 懐には筆と墨筒の感触がある。同時に、折り畳まれた懐紙。良い風が吹くと、一足先に咲いた外の桜がはらはらと散っていくのが窓を塞ぐ板の向こうに見えた――眼を転じれば、室内で踊り狂っている今にも寝そうな眼差しの青年。外が健全に見えるのは、当たり前である。

「しかし、練習も本番も外でやれば良いだろうに。こんな薄暗い中で踊り狂っているなんてはっきり言って不健康にも程があるよ、志戯くん。見たところあまり顔色も良くはないし、身体も細いな……もりもり食べないと大きくなれないぞ」
「あははー、成長は流石にもう止まってると思う、なあー……んー、僕の弟なんかはね、背が高かったよ……お兄ちゃんとしては、追い抜かれてかなり傷付いたなー」
「不摂生をしているからだ。その身体は何と言うか、存在自体が不摂生を語っているように思えるぞ」

 冗談めかして彼女は呟くが、志戯はふふふっと空気の漏れるような笑いを零すばかりだった。身体が動くたびに、喉元に掛けられた包帯が揺れる。しかし何故にリボン結びなのか、それが判らない。可愛いが。身体の周りに浮かんでいる包帯は、その身体と一定の距離を保ちながら、付かず離れずに浮かび続けている。
 書かれている文様はコートの裏地に見えるものと同じようだが、やはり見たことのない文字だった。何が書いてあるのか、そして何の意味があるのか、多少の興味はそそられるが――のらりくらりの相手は、あまり相性が良くない。かわされれば言葉は逃げ惑うのみである。

「外にはねー、出られないんだー」

 ぼんやりと、感情のまるで篭らないふわふわとした声が、漏れる。

「……異界の核が君なのだからそれはそうだろうけれど……庭先にぐらい出られるものじゃないのかな」
「無理ー……この千年、一度も、外に出てないー。必要も無かったから、ね……言霊のハイエンドなんてー、何もかも口先で片付けられるよ……和歌ちゃんも、知ってるでしょー」
「…………」
「ふふ、ふー……」

 例えば。
 石ころに米とでも書けば、それは握り飯になる。
 砂に水と書けば、それを飲むことは容易い。
 だが、それは極論だ。
 極限の、論理。
 崩壊した言霊。

 ふっと、背筋が寒くなる。
 目の前の男は、狂っているのだろうか。

「そんなわけで、失敗して物体Xになった、かつて料理と呼ばれたものも食べられるのですー」
「それは料理がいまいち得手ではない僕に対する皮肉なのかな志戯くん、喧嘩を売っているのならば絶好調に買い叩いて差し上げようじゃないか。言っておくが僕は口喧嘩で相手を再起不能に叩き込んだ事はあっても、負けたことはまるで無いぞ」
「それは、それはー……そろそろ時間、だからー。僕は着替えてくるね……」
「ち、逃げたな」

 和歌は舌打ちと共に志戯の背を見送り、
 それから――窓を塞ぐ板に『軟』と字を与える。
 べりべりと軽い力で剥がれたそこから、解放された外。
 彼女はそこから、飛び出した。

■□■□■

 しゃん、しゃんと音が鳴る。
 しゃん、しゃんと音が繰り返される。

 日和が掃除をした遊戯部屋。
 壁際には喜怒哀楽の四人がちょこんと座り、その周囲に可視と不可視を彷徨う無数の気配が漂っている。
 その向かい側の壁際に、シュライン達は座っていた。
 一畳だけ敷かれた畳の上に、正座をする。

 部屋の中央には、志戯が立っていた。

 普段のだらしないコート姿ではない。
 いつも周りに浮かせている包帯すら、今は無い。
 豪奢な衣装に包まれているのは、別人のようだった。
 虚ろな眼が、天井を向いている。
 手には、きらきらと金属の連なった錫杖。
 音を立てるのは、無数のコイン。

 病室の一つに、そのコインで埋められた部屋があるのを、シュラインは知っている。

 不意に志戯が脚を踏み込む。
 同時に腕が振られ、しゃん、と音がした。
 ひらりと、思い錦の上衣が揺れる。
 唐靴が、乾いた音を響かせる。



「椋鳥 山鳩 黄金蜘蛛
 大紫も夢の中
 お月見草は眠れない
 銀の雫を飲んだから
 夜の声森に渡れば
 おやすみ良い子
 明日醒めたらあげましょう
 懸鉤子 夏胡頽子 山法師」



 ぼんやりと、ゆったりと、響いていく。
 子守唄のような幼く優しい歌の声。
 しゃん、しゃんと鳴り響くのは悲しい音。
 いつしか。
 全員が、眼を閉じる。



「夕菅 黄菅 木の葉木菟
 夜更し 野兎 紅雀
 尻尾の切れた蜥蜴の子
 変わりに付ける柳の玉
 夜の声森に渡れば
 おやすみ良い子
 明日醒めたら あげましょう
 紫雲英の絨毯 耳飾り」



 物悲しくなるような、どこか滑稽な。
 不思議な音が木魂するのは、鉄筋の中。
 ここがどこだか忘れそうだ。
 何をしていたのか、忘れそうだ。



「毒芹 馬酔木 赤楝蛇
 百舌の枝には雨蛙
 狐が食べた鹿の子は
 月の桃色見て死んだ
 夜の声森に渡れば
 おやすみ 良い子
 裏の杉の木 泣いたなら
 赤い服着て 逃げましょう
 おやすみ 良い子」



 しゃん、しゃんと音が続く。
 しゃん、しゃんと音が響く。
 とん、と靴が乾いた音を立てて。
 とん、と靴が死んだ音を立てて。
 呼吸の音も忘れられて。
 ただ、そこに、踊る狂人。
 彼は、笑っていた。

■□■□■

「んー……おせち美味しいー」
「ッだー志戯! あんたは着替えてから食べなさい、どうせまた零すんでしょうが! まったく学習しない人ですね、せめて手で受けなさい!」
「あ、日和ちゃん、このシュウマイ美味しいわね……自分で作ったのかしら」
「母と一緒に作ったんです。お口に合えば良いのですけれど」
「うんうん、どっちも美味しいねぇ、こんなお嫁さんを貰える人は幸せだね! はー、欲しい……物体X以上の料理を作れる人間なら誰でも大歓迎だよ、嫁万歳だね」
「なんか根本的に間違いを感じるのですが、和歌様……」

 畳の上にちょこんと集まってのお茶会は和やかな空気を纏っていた。志戯もいつもののほほんとした様子に戻っているし、玄夜も口喧しい。思えば何処か保護者のようなその姿はどこか滑稽である。割り箸でシュラインの御節をつまむ日和は、志戯の背中に寄り掛かってぽむぽむと腹を叩く喜怒哀楽に眼を向ける――彼らが食したのはほんの少しの料理だけだった。曰く、楽しい空気の中で進む茶会は、いるだけで満腹になるらしい。音霊、奥深し。

「それにしても志戯くん、その衣装の解れ、酷かったわよ。機会があったらちゃんと専門の人に修繕してもらった方が良いと言うか……まず防虫対策はちゃんとしなくちゃ」
「んー、だってめんどくさくてー……」
「大事な衣装でしょう? 虫除け用の木片持って来たから、後で渡すわね。香りが無くなったらヤスリで表面を削れば、また使えるようになるから」
「はーい……んむー、玄夜、こまめにニオイを確認してね……」
「ッて、私にやらせんですか!?」

 さくー。
 あはは。
 くすくす。

 そこにあるのは異常なほどの安穏。

「さて、ここで僕だけがただ食糧を摂取しに来た状況になるのは是非とも避けておきたいところだからね。宴の余興に少々ばかし芸でも披露しようかな」

 言って立ち上がった和歌が、その懐から折り畳まれた懐紙を取り出す。ただ単純に折り畳まれているわけではなく、何かを包むように、複雑に畳まれていた。日和はそれを見上げ、首を傾げる。和歌は同じく懐から瀟洒なデザインの筆と竹の墨筒を取り出し、ささ、っと、手早く懐紙に何かを書き付ける。

 瞬間に、紙包みは弾けた。

「あ――――」

 はじけた、紙吹雪。
 中には、桜吹雪。
 くくく、と和歌が笑う。
 書き付けた意味は、嵐。

「志戯がここから出られないと言うからな、庭の桜から花弁を拝借した。宴には花が付き物だからな……何かネタがあるなら多少はサービスしよう、なぁに料金は僕の本でも全巻揃えてくれれば良いさ」

 おどけた言葉が、舞い散る。
 志戯が笑う。
 いつもの感情の無い笑みではなく。
 ただ単純に本当に嬉しそうに、眼を、細めて。

「今年も、よろしく、だね」
「ふふ、よろしくお願いします」
「あ、はい、こちらこそっ」
「気が向いたらねー?」

 よろしく、お願いされてくださいな。


■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

0086 / シュライン・エマ / 二十六歳 / 女性 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
3524 / 初瀬日和     /  十六歳 / 女性 / 高校生
4701 / 葉陰和歌     / 二十二歳 / 女性 / 怪奇小説家

<受付順>


■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 ちゃんと九日に納品されるのかをほんのりと心配しつつ、こんにちは。または初めまして、ライターの哉色ですっ。随分久し振りにネタを出した異界で、挙句に旧正月という微妙な季節ネタなのですが、ご依頼下さいましてありがとうございました〜。女性ばかりだったので志戯共々ハーレム気分で、げふげふ! 謎の咳が! 色々謎を出しながらゆっくり進んで行く異界なので妙な箇所も多々ありますが、少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。それでは失礼致しますっ。