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<バレンタイン・恋人達の物語2005>


『小さな小さな恋の物語』

「なんぢゃ? 先ほどから誰かの泣き声が聞こえるのぢゃが…」
 それはとても哀しい誰かの声を押し殺して泣く…まるで悲鳴のような哀しい声でした。
 あやかし荘に住む座敷わらし嬉璃はそっと押入れの襖を開けました。しかしそこには誰も居ません。
 眉根を寄せる嬉璃。確かに声が聞こえるのに。
 いや、待て。声は……
「恵美の雛人形が閉まってある箱から聞こえているのぢゃな?」
 そう想い、嬉璃がえっちらほっちらと箱を開けると、さらに泣き声が大きくなり、そして大きな箱から、泣いている人形がしまわれている小さな箱を取り出しました。
「泣いておるのは誰ぢゃ?」
 箱を開けて人形を取り出すと、それは女雛でした。
 女雛はしくしく泣いています。とてもとても哀しそうに。
「おんし、何で泣いておるのぢゃ? わしに話してみろ。ひょっとしたらわしがおんしの力になってやれるかもしれん」
 女雛は着物の袖で涙を拭いつつ、しゃくり声で説明し出しました。
「じ、実は男雛様が三人官女のひとり、三宝を持つ娘と駆け落ちをしてしまったのです」
「な、なんと……」
 嬉璃はちょっと…いや、だいぶショックを受けた。
「お、おのれ、これぢゃから男という奴は…」
 だんだんと地団駄を踏むように畳を踏みつける嬉璃。この瞬間に、またあやかし荘における女尊男卑が強まったのです。きっと今頃あやかし荘に住む男性陣は身震いしたでしょう。まあ、それは今は関係ありません。
 嬉璃は哀れむように泣いている女雛を見つめました。
「もう直に今年も恵美様に飾ってもらえるというのに、なのにこのような事になるなんて。わたくしはとても口惜しくって口惜しくって」
「うむうむ。ならばおんしも新たな男を見つけてはどうぢゃ?」
「え?」
「おんしほどの美貌の持ち主ならば男などいちころぢゃろうて」
「そ、そんな」
 先ほどまで泣いていた女雛は恥ずかしそうに顔を両手で覆いました。
「どうぢゃ、同じ雛人形の中で男雛以外に気になる男はおらんのか? 例えば左大臣などはどうぢゃ?」
「い、いえ、殿方は若い方が……すみません」
「お、おんし…」
 実は結構乗り気かもしれない女雛に嬉璃はほんの少し呆れたが、こほんと咳をすると右手の人差し指の先を女雛の顔に突きつけた。
「ならば右大臣ぢゃな」
「はい」
「偶然にも近々バレンタイン、などというイベントもある。その日に右大臣に告白ぢゃ」
「はい。あの、でも嬉璃さま」
「なんぢゃ?」
「わたくしはばついち。右大臣に相手をしてもらえますでしょうか?」
 しゅんとする女雛に嬉璃は憐れむような表情をしたが、しかしそれもほんの一瞬。次の瞬間に嬉璃はどんと胸を叩いて、請け負ってみせました。
「わしに任せておけ。おんしのために右大臣への最高のバレンタインプレゼントを用意してやるのぢゃ!!!」
 そして嬉璃は時空をも飛び越える翼を持つ鳩の足に事の詳細を書いた手紙を付けて、飛ばしたのでした。


 というわけで、女雛のためにおんしらの考える最高のプレゼントを用意して欲しいのぢゃ。おんしらの作ったプレゼントとか、珍しい秘宝とか。それと女雛へのメッセージも付けてやってくれなのぢゃ。


 嬉璃



 ――――――――――――――――――
【1】


「では、お嬢様、よろしいですか?」
「はい、お願いします」
 穏やかな料理長の問いかけに草間零は緊張した面持ちで頷いた。
 ここはセレスティ・カーニンガムの屋敷の台所で、この屋敷の料理長による零への個人レッスンが行われている。
 もちろん、レッスンの内容は数日後にあるバレンタインのためのチョコレートケーキの作り方だ。
 セレスティは台所に用意された椅子に腰掛けながら料理長と零の料理教室を眺めていた。明るい日差しが差し込むキッチンで、愛する妻と愛しい娘とが楽しそうにお菓子作りをするのを幸せそうに眺めている父親のように。
 零が持ってきたお菓子作りの本なんかを読みながら時折、視線を上げて零を眺める。
「あ、お嬢様、そうではなく」
「え?」
 がしゃーん。
 どうにも零は一つの事に集中すると周りが見えなくなるようで、だから手際よく他の事をしながらもう一つの作業も同時に進めるという事が苦手なよう。
 落ちた材料を急いで集めながらぺこぺこと頭を下げる零にセレスティは苦笑した。
「どれ、ここは私も学ばせていただきましょうかね」
 椅子から立ち上がり、零と料理長の隣に立つ。
「零嬢、お菓子作りの生徒の後輩となりますがよろしくお願いしますね」
「え、あ、はい。お願いします」
 慌ててぺこりと頭を下げた彼女にセレスティは優しく微笑み、そして料理長に視線を移す。
「では、料理長。すみませんがもう一度最初から教えていただけますか?」
「はい、では最初から」
 その言葉を聞いて零が嬉しそうな顔をする。
 一つの作業に集中してしまって、だから他の説明を聞いて覚える事ができなかった。でもそうだと素直に言う事ができなくって困っていたのだけど、セレスティが新に料理教室に参加する事でもう一度説明を聞ける。それが零には嬉しかったのだ。
 自分の隣でうんうん、と真剣に料理長の話を聞く零を横目で見て、セレスティは軽く肩を竦めながらくすりと微笑んだ。
 それから料理教室は零の様子を見ながらセレスティが的確に料理長に質問をして、という風に進んでいき、なんとかケーキを焼くところまでこぎつけれた。
 オーブンで焼成中のケーキを嬉しそうに見つめている零の背中を見守るように見つめながらセレスティは口を開く。
「チョコレートケーキ、お兄さんが喜んで食べてくれるといいですね」
 もちろん、あの草間武彦ならば喜んで食べるだろうが。
 セレスティはハードボイルドを気取っているあの男がチョコレートケーキを食べて、妹に礼を言ってる姿を想像してくすりと微笑んだ。
「はい、兄さんにも食べて喜んでもらいたいですし、あとはシュラインさんにもいつも兄共々お世話になっているので、そのお礼にプレゼントしたいんです」
 胸の前で手を合わせながらそう言った零に、セレスティは穏やかな顔で頷いた。
 今頃あの二人は零の服を買いに行っているはずだ。もちろん、零を驚かせるためにそれは内緒。
 だからセレスティは二人が買い物に集中できるように零の子守りを引き受けた。あとは早くあの二人が上手くいくように時間を作ってやるつもりもあったのだけど。
「零嬢」
「はい」
「お兄さんは好きですか?」
「はい。好きです。兄は独りぼっちだった私を引き取ってくれて、優しくしてくれますから。もう寂しくはありません」
「そうですね」
 セレスティはにこりと微笑んだ。
 その気持ちは自分もよくわかるから。
 前の自分は恋愛感情など信じてはいなかった。
 恋だ、愛だ、などと言っているのは自分には何も無い人間がだから自分に少しでも存在価値をつけたくって、言ってるだけのモノと。
 だからそういう誰かの感情に縛られるのが嫌だった。
 自分の心は自由だ。
 誰のモノでも無い。
 自分は唯一自分だけのモノ。
 触らせない誰にも。自分の心は。
 ひとりで平気だった。
 そのひとり、という事すらも自分自身の絶対的自分への価値観と有能性の証拠だと信じて疑わなかった。
 事実、セレスティ・カーニンガムは海から陸に上がり、リンスター財閥を作り上げた。富も名声も手に入れて、さらにリンスター財閥はその規模を広げていっている。
 それだけの力があるから誰にも頼る事は無い。
 友情には恋愛感情ほど否定的ではない。でも敵には容赦はしない。だけどそれは人を欲していた訳ではない。ただ他人を認められる、それだけの事なのだ。
 ずっとそういう風なのだと想っていた。
 自分の方向性は変わらない、そう信じていた。
 だけどその価値観が簡単に引っくり返された、ひとりの女性によって。
 ――――いや、案外人などとはそういうモノなのかもしれない。
 頑なだったはずの心はいともあっさりと壊されて、まるで春先のそよ風のように彼女は入り込んできた。
 誰かに心を縛られるのは、
 誰かに心に触れられるのは、
 嫌だったはずだった。
 だけどそれが心地良かった。
 彼女の心が自分の心に重なるたびに、伝わってくる彼女の心の温もりが、凍てついていた心を溶かし、温かくしてくれた。
 手は欲していた。彼女の手を。彼女を。ぎゅっと握りしめたい。抱きしめたい、と。
 前は自分の事だけに使っていた時間。
 自分以外のモノのために使うのがもったいなく感じていたのに、気がつけば彼女の事を考えていた。
 彼女の顔を思い出して、幸せになれる。
 彼女とした会話や、彼女の失敗、彼女のむくれた顔、そういうのを思い出す度にくすぐったいような嬉しさを感じた。
 徹底的に壊された価値観。
 もう戻れない昔の自分。
 だけどそれが嫌じゃなかった。寧ろ、嬉しかった。
 今は自分の周りには愛する女性が居て、信頼する部下たちが居て、そして仲間たちがいる。
 決して自分はひとりではない。それが嬉しかった。幸せだった。だからこそセレスティはそういうモノを得て、自分が前よりも、誰よりも強くなっていっているのを感じた。
 何度も邪悪なる者たちとの戦いで人間たちが誰か守るべき者のために実力以上の力を発揮して、それを撃破するのを見てきたが、今はそれがセレスティにも理解できた。
 ―――私も愛する人たちのためならばいくらだって強くなれる。
 それが絆という名の力。
「セレスティさんは」
「はい?」
「セレスティさんも誰か大切な人は居ますか?」
「ええ、居ますよ。誰よりも幸せになって欲しい、幸せにしてあげたい人が」
 とても優しい表情でセレスティは頷いた。
                   *
「どうですか、セレスティさん?」
 零はうさぎのような少し潤んだ目でセレスティの顔を見つめてきた。
 セレスティは零が見守る中でチョコレートケーキの欠片をフォークで口の中に運んだ。そして零に向かい微笑を浮かべる。
「とても美味しいですよ、零嬢」
「本当ですか!」
「ええ。お世辞でも何でもなく事実です。私の舌をも充分に満足させられる味ですよ」
 胸の前で両手を合わせて零はとても嬉しそうに笑った。
 チョコレートケーキを食べ終えて、温かなアールグレイを飲んでいると、セレスティの携帯電話がメールの着信を報せた。
「零嬢、草間氏からです。どうやらご帰宅なされたようですよ」
「あっ、そうなんですか?」
 二人で時計を見る。
「少し予定の時間よりも遅かったようですね、お二人とも」
 セレスティは軽く肩を竦めると、ティーカップの中の最後の一口を飲み干して静かにカップを皿の上に置いた。
「では零嬢、車でお送りいたします」
「はい。よろしくお願いします。セレスティさん」
 料理長は可愛らしい生徒を屋敷の外まで見送ってくれた。
「それでは14日もケーキ作りの用意をしてお待ちしておりますね、お嬢様」
「はい。お願いします」
 ぺこりと頭を下げた零にセレスティは柔らかに両目を細め、
 そして車のドアを開けて、優しく言った。
「さあ、零嬢。どうぞ」
「はい」
 もう一度ぺこりと料理長に頭を下げて車に入る零。
 それからセレスティも車に入ろうとして、ふと夜空から来るそれに気がついた。
「あれは、鳩? でもどうやらただの鳩ではないようですね」
 セレスティがすぅーっと空に手を向けると、白い鳩は彼の手の平の上にとまり、光となって消えた。
 手の平に残されたのは一通の手紙だけであった。
「この手紙は?」
 それに触れて、能力発動。セレスティは書籍や情報保有物の無機物に触れる事で読み取る事が出来る。
「嬉璃嬢、ですか。なるほど、さすがは怪奇探偵。しっかりとこの嬉璃嬢の手紙を受け取ってしまって、帰りが遅くなったというところですかね」
 ひとり呟きながらセレスティは肩を竦めた。
 そして料理長と一緒に玄関まで見送りにきた執事長にセレスティは微笑しながら言った。
「私は少し草間氏の所に寄ってきますので、帰りが遅くなります」
                   *
 次の日、セレスティ・カーニンガムはすべての予定をキャンセルしてひとり、足の不自由なセレスティでも運転できるように改造された車に乗って、出発した。
 車で出発するとすぐに電話がかかってきた。
「通話ON」
 音声入力で電話が繋がって、スピーカーから草間武彦の声が流れた。
「おはようございます」
『ああ。車なのか?』
「ええ。これから人形作家の方の所へ行くつもりです」
『人形作家?』
「ええ。手作りの物を頂くと、やはり嬉しく想うのでできたら協力させていただきたいと昨夜申しましたよね。それで一晩考えて、右大臣さんは和服が似合う、と言いますかそういった和風装束を身につけていますから、その雰囲気を壊さぬように扇につけてある飾りの組紐を差し上げてはどうかと想いまして。ついでに扇も作ろうと想いましてね」
『それで人形作家か』
「そういう事です。これならば私でも作れますから。身近に身につけてもらえる方が嬉しいと想いましたので」
『なるほどな』
「それでシュライン嬢は?」
『ああ。彼女は白酒を作る材料を探しにいっているよ。俺もこれからあやかし荘に行って嬉璃と打ち合わせだ。何人が彼女の手紙を受け取って、それとどういう手はずで14日を迎えるかも打ち合わせせねばならん。まあ、こちらの方は任せおいてくれよ』
「ええ。では遠慮なくそちらに任せます。こちらも人形作家の方の屋敷に到着しましたので、一端通話を切ります」
『ああ。じゃあ、また後で』
「ええ」
 そしてセレスティは「通話OFF」と音声入力して、電話を切ると、車を停車させて、降りた。
 訪れた人形作家の家は古めかしい純和風の家屋で、何となく懐かしい感じがした。
 人間国宝に、という声も上がっている人形作家 坪内光洋。それがセレスティが師に選んだ人形作家だった。
 玄関のチャイムを鳴らすと、すぐに玄関が開けられた。
「いらっしゃい、日和。遅かっ……たじゃない、って、すみません。いらっしゃいませ」
 砕けた表情から心底驚いた顔、それから恥かしそうな顔をして、おそらくは坪内光洋の孫娘なのであろう彼女は頭を下げた。
「えっと……」
「ああ、すみません。私はセレスティ・カーニンガム。人形作家の坪内光洋氏にお会いしたくって訪問させていただいたのですが、ご在宅でしょうか?」
「あ、ちょっと待ってて下さい」そう言って身を翻すと、彼女は奥に向って廊下をばたばたと走っていった。「おじいちゃーん、すごい美人な人がおじいちゃんに会いたいってー」
 ひとり玄関に佇むセレスティは苦笑を浮かべた。



 ――――――――――――――――――
【2】


「あー、ダメ。案外簡単には作れないものなのね」
 坪内光洋の孫娘は溜息を吐きつつ肩を竦めて、苦笑しているセレスティが作り上げた扇と自分の作った扇とを見比べた。
「でも早苗嬢は扇を作ったのはそれが初めてなのでしょう? 私はこの扇を作るまでに随分と作りましたから」
「まあ、あたしがケーキを買いに行ってる間にそんなに作ったんですか?」
「要領と手際はいいので」
 セレスティは苦笑しながら肩を竦めた。
 そして早苗はちょっと意地の悪い表情をして、頬にかかる髪を掻きあげながらセレスティの顔を覗き込んだ。
「じゃあ、セレスティさんがそのお気にの扇を作れるまでに作った奴、見せてください♪ 未来の有能な人形作家の自信を取り戻せるように」
「何を言っとる、この馬鹿娘が。おまえは人形作りには興味なかったんじゃないのか?」
「あら、セレスティさんが内弟子になるなら喜んであたしも人形作りを始めるわ」
 セレスティの腕に両腕を絡めた早苗の頭をぽこーんと丸めた新聞紙で光洋は叩いた。
 軽口を叩き合う祖父と孫娘にセレスティはくすくすと笑った。
 早苗は大袈裟に頭を両手で撫でながらセレスティに軽く肩を竦めてみせた。
「しかし実際に良い出来ですよ、セレスティさん。この扇なら売り物にしても恥かしくない」
「あ、だったらあたしのお婿さんになるとか」
 もちろん、祖父に頭を叩かれた。
「ほれ、もうおまえはいいだろう。もう直に友達も来るんじゃないのか? 布の用意は出来ているのか」
「ああ、うん。大丈夫よ。だけど日和、遅いなー」
 早苗は肩を竦める。
「布?」
 セレスティがそう訊くと、早苗は嬉しそうに頷いた。
「ええ。友達が匂い袋を作りたいから、人形の服を作る布が欲しいって」
「ふむ、なるほど」
 口許に手をやってセレスティは両目を細めた。ひょっとしたら……
「あとは組紐ですよね、セレスティさん」
「はい。でも組紐、これは少し拘った物を使いたいのですがね」
「拘ったモノですか」
 腕を組んでうーんと唸る早苗。ちょうどそこにぴんぽーん、とチャイムが鳴る。
「あ、来たみたい」
 早苗はにこりと笑うと、立ち上がってばたばたと走っていった。
 残されたセレスティと光洋は顔を見合わせあって苦笑し、そしてそこに早苗に連れて来られた初瀬日和が来た。
 彼女と顔を合わせ、セレスティは穏やかに微笑む。
「ああ、やはり日和嬢でしたか」
 日和もにこりと微笑んだ。
「こんにちは、セレスティさん」
「あら、知り合いなの、二人とも」
「ええ」
 日和はこくりと頷く。
 そしてセレスティはにこりと微笑みながら言った。
「やはり日和嬢も嬉璃嬢からの手紙を受け取って?」
「あ、はい。そうです。私は匂い袋をプレゼントしようと想って」
「私は扇と組紐を」
 お互いにくすりと笑いあう二人に早苗は小首を傾げた。
 そしてセレスティは人形作り用の布をもらった日和と共に坪内家を後にした。
 セレスティの車でひとまずあやかし荘に行き、14日の予定を立てようという事になったのだ。
 しかしその二人の前にあの冥府が現れたのだった。
「来て。白亜と、それとこの世界とは違う世界の仲間が皆を待ってるから。女雛の物語を幸せな物語にするために」
 


 ――――――――――――――――――
【3】


 冥府の守る扉をくぐるとそこはうず高く積まれた本に四方を囲まれた書斎であった。
 本の塔の向こうからは何かを書き綴る音が聞こえてくるが、しかし気配を感じる訳ではない。
「こいつは驚いたな。ここはどこなんだ?」
 オーマ・シュヴァルツは頭を掻きながら身長227センチの自分よりも高い本の塔を見回す。
「ここはカウナーツ氏の書斎。異界の東京を縛る物語の内容を書き換える能力を持つ方たちが居る場所です。ここも異界、という事になるのでしょうね」
 流れるような銀の髪を掻きあげながらそう言ったのはセレスティ・カーニンガム。
 二人の男は顔を見合わせあって微笑みあうと握手をした。
「俺様はオーマ・シュヴァルツ。オーマでいいぜ。ソーンという世界から来た」
「私はセレスティ・カーニンガム。呼び名はご自由に。それで……何と言えばいいのでしょうか、私が居た世界は?」
 小首を傾げたセレスティにオーマはにぃっと悪戯っ子の表情で笑う。
「地球、っていう名前で俺らはその世界を呼んでいる。ソーンにも地球から来た奴らは大勢居るし、俺様もつい今さっきまではそこに居た。あやかし荘にな」
 オーマがそう言うと、セレスティが意外そうな表情をした。
「ほお、あやかし荘に。それで大丈夫でしたか、あそこに居て。あそこは何と言うか嬉璃嬢によって男性の尊厳は無いですから」
 苦笑混じりにセレスティがそう言うと、オーマが愉快そうに笑った。
「ああ、らしいな。三下って兄ちゃんは相当にやられてそうで見ててちぃーっと哀れだったよ」
「ああ、彼は本当に」
 男二人で笑っていると、
「ソーンっていう世界はさすがに僕らも行った事はありません。どんな世界なんですか、オーマさん?」
 如月縁樹がにこりと笑いながらオーマに訊く。
「ああ、いい世界だぜ。空気も美味いし、自然も豊かだ。もちろん、飯もな」
『へぇー、それは是非に行ってみたいもんだね。ね、縁樹』
「うん。あ、順番が逆になりました。僕は如月縁樹と言います、オーマさん」
『ボクはノイ。よろしくね』
「おう、よろしくな」
 オーマは大きな右手の指でノイの頭を撫でた。
 そして縁樹の右隣にシュライン・エマ。
 左隣に初瀬日和が立った。
「私はシュライン・エマよ」
「私は初瀬日和です」
「おう。俺様はオーマ・シュヴァルツ。どうやら俺様以外は皆、地球の住人みたいだな」
「みたいですね」
 日和が全員を見回して、それから初顔合わせの縁樹にぺこりと頭を下げる。
「よろしくお願いします、縁樹さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします、日和さん」
 縁樹がぺこりと頭を下げた。
 そして縁樹と日和が飼っているイヅナの千早と末葉が勝手に飛び出てきて、イヅナ同士の旧交を温める。
 お互いの匂いを嗅ぎ合って、何かを喋りあっているような二匹に日和も縁樹もくすっと笑いあった。
「さてと、それで私たちはここで何をすればいいのかしら? 女雛さんの物語を幸せな物語にするために来て欲しい、とかって言われたのだけど…」
 シュラインは小首を傾げた。
 このうず高く本が積まれた書斎で何をしろ、というのだ?
「それは彼女が説明してくれますよ、シュライン嬢」
 セレスティが静かにそう言った瞬間、ふわりと五人の真ん中にひとりの少女が現れた。半透明のふわふわと宙に浮いている彼女は――
「こんにちは、白亜」
 そうセレスティが穏やかに言う。
 白亜はにこりと微笑み、そして五人を見回した。
「ここにも嬉璃さんの手紙が届きました。そしてやはりわたしも女雛さんに幸せになってもらいたいと想います。だから皆さんをここに呼びました」
「あの、でも白亜さん。あなたとカウナーツさんの能力は物語に支配された異界の東京にのみ有効なんじゃないの?」
 日和は小首を傾げる。
 白亜は静かに微笑みながら頷いた。
「はい。ですからこれは祈りにも似た賭けです。わたしは皆さんの想う力を集めて、それをカウナーツさんに送ります。それをカウナーツさんがいつものように書き綴ります。今回は書き換えるのではなく、書く、という事に。もちろん、それが引き起こすトラブルは予測ができませんし、世界の修正能力も働くかもしれません。それでもよろしかったらわたしたちにもお手伝いをさせてください。あなた方の想いをわたしたちは形にします」
 シュラインはくすりと笑いながら白亜の頭を撫でた。半透明の彼女の体には意外にも触れられた。
「もちろんよ。それで私たちはどうすればいいの?」
「はい。想像してください、あなた方が女雛さんにしてあげたい事を。そうすれば、それが物語となります」
「わかったわ」
 言われた通りにシュラインは想像する。彼女が女雛に伝えたい事を。女雛の幸せを。するとその彼女の前の空間に想像した事が文字となって書き綴られるではないか。
 それは皆も同じで、そしてそれは白亜の両の手の平の上に集まり、蝶となって、本の塔の向こうで何かを書き綴っているカウナーツの方へと飛んでいった。
 そして再び冥府の扉がそこに現れたのだった。



 ――――――――――――――――――
【4】


「こいつは驚いたぜ。ここはソーンじゃねーか」
 オーマが驚いた声をあげた。
 その言葉にオーマ以外の全員が目を見開く。
「すごい。すごい。ここがソーンなんですね。想像していた通りのすごい綺麗な世界ですね」
 嬉しさを隠せないように縁樹が周りを何度も見回した。そんな縁樹が嬉しいようにノイもにこにこと微笑んでいる。
『ついにボクら、次元をも超える旅をしちゃったね、縁樹』
「空気がすごく違うわね。ここの空気はすごく澄んでいて美味しいわ」
 シュラインは大きくソーンの世界に満ちる空気を吸い込んだ。
「まるで物語の中に入り込んでしまったみたいですね」
 日和も感慨深げに呟いた。
「ここソーンにおいて私たちが願う女雛の幸福な物語が綴られる、そういう訳ですね。しかし確かにここには観光か何かで来てみたかったものですね。まあ、こう言うと女雛には失礼になってしまいますかもしれませんが」
 肩を竦めるセレスティに、女性陣も苦笑した。同じ事を考えていたのだ。
「まあ、何はともあれようこそ、聖獣に守護されし神秘の世界ソーンへ。歓迎するぜ」
 優雅に一礼をしたオーマに皆はにこりと微笑んだ。
『にしても、お腹が空いたよ、ボク』
「も、もう、ノイ!」
 恥かしそうにノイを注意する縁樹。
 オーマはけたけたと笑った。
「んじゃ、飯でも食いながら作戦会議と行くか? 旅の醍醐味は観光と食事。最高に飯が美味い店に連れて行ってやるからよ」
「まあ、それは楽しみね」
 シュラインが嬉しそうに微笑んだ。
 そしてオーマによって案内されたのは白山羊亭という店であった。
「ほぉー、これはまた何とも素敵なお店ですね。日和嬢が先ほど言っていた通りにまるで物語に出てくるようなお店だ」
 セレスティは白山羊亭のルディアに案内された席に腰を下ろし、興味深そうに店内を見回して、それから自分の向かいの席に座った日和に微笑んだ。
 日和も嬉しそうに頷く。
「なんだかすごく不思議な気分ですね。そういえばオーマさんは私たちの世界に来た時はどういう風に感じられたのですか?」
 全員がオーマの顔を見た。
「ん? ああ、とっても愉快だったぜ、やっぱり。昨夜の…あちらで言う午後8時に向こうに到着してよ、それからまあやと三下にあちらの世界を案内してもらったんだ。電車、自動車、バイク、それに自転車、どれも面白くってな、まるで子どもね、ってまあやに言われちまうぐらいに楽しんだよ。それにこちらの世界とは比べ物にならない夜の世界に溢れる人工の光。あれも東京タワーから見下ろしたんだが、まるで光りの川のように車のヘッドライトが見えて、それは綺麗だったもんだぜ。もちろん、飯もな。ああ、だけど飯は夜に食い倒れそうになるまで食べた品々(東京にある飲食店すべてを回るような勢いで色んな店に訪れて食べていた。)よりも恵美の作ってくれた朝飯の方が美味かったな。それにあやかし荘の露天風呂での朝風呂も気持ち良かったしな。ありゃあ、本当に最高だったぜ」
 にぃっと笑いながらオーマが言うと、あやかし荘の現状……悲惨な男風呂を知っているセレスティたちは苦笑を浮かべた。
「間欠泉は大丈夫でしたか?」
「いんや、俺様は恵美のおかげで女風呂で湯をもらったから気持ち良く安全に入れたよ」
 そして何を思い出したのかオーマはいきなりけたけたと笑い出した。
「随分と楽しそうね、オーマ」
「おう、ルディア。じゃんじゃんと料理を運んできてくれ。この店の美味い物を片っ端からな」
「あら、このお店のお料理はどれも美味しいわよ」
 にこりとルディアは微笑んで、それからあらためて皆を見る。
「こちらは新顔さんね。すぐに美味しいお料理を持ってきますから、お待ちくださいね」
「ええ、お願いするわね、ルディアちゃん」
 シュラインは穏やかな笑顔でルディアを見送ると皆を見回した。
「じゃあ、お料理が来る前に作戦会議と行きましょうか」
「そうですね。時間は有効に扱わねば」
 セレスティもこくりと頷く。
「まずは皆はあのカウナーツさんの書斎で何を願ったのかしら?」
 シュラインの問いにひとりひとりが想像した事を述べ、次に女雛に用意するプレゼントが議題に上った。
「俺様はこのルベリアの花だ」
 そう言ってオーマが見せた花は偏光色に輝く美しい花であった。
「これもソーンの花なんですか?」
 すっかりと旅人の顔になっている縁樹が興味深そうに訊いた。ノイも目を輝かせてオーマの顔を見ている。
「いや、こいつは俺様の友人の故郷で採取した花だ。このルベリアの花はな、想いを映し見るとされる異世界の偏光色に輝く花で、希少で薬等に用いるが想い人に贈ると永久の想いという絆で結ばれると言われている」
「なるほど。女雛へのプレゼントとしては最適ですね」
 テーブルの上で手を組み合わせてセレスティは頷いた。
「おう。あとはこの花と俺様の能力とを組み合わせたプレゼント。その二つだ」
「あの、私は匂い袋を」
 日和はテーブルの上に型紙と親友の家から貰ってきた布を出した。
「あとはお香を手に入れて小袋を完成させれば良いんですけど、肝心のお香が見つからなくって」
「私も似たような現状ですね」
 セレスティはテーブルの上に人形サイズの扇を置いた。
「うわぁー、すごく可愛いですね」
 喜ぶ縁樹にくすりと微笑み、セレスティは扇を指差す。
「この扇に合う飾りの組紐を作りたいのですが、良い素材が無くってね」
 シュラインと縁樹は顔を見合わせた。
「あの、僕らは二対の杯を。これに桃の花を描いて贈ろうと想ったんです」
「私もこのミニ酒樽に白酒を入れて贈ろうかな、って。ほら、お雛様の歌にもあるでしょう。白酒を飲んでる歌詞。チョコボンボン風もいいかなって思ってるんだけど、まずは白酒を作りたいと想ってるの。それで酒屋さんで縁樹ちゃんと出会ったって訳」
 そしてシュラインは日和を見る。
 小首を傾げる日和。
「あとは私も橘モチーフの香水を使って香り袋を作ろうと想っているから、日和ちゃん。一緒に小袋を作りましょうか?」
「あ、はい」
 日和は嬉しそうに頷いた。
 テーブルの上でノイは舞台俳優のように大きく両手を開いて、肩を竦める。
『んー、でもさ。縁樹にも言ったんだけど、だからアンタがプレゼントでいいじゃんって想わない?』
「わ、わわ。だからノイ!!!」
 慌てる縁樹。かわいそうにアッシュグレイの髪に縁取られた美貌は真っ赤になっていた。
 毒舌人形ノイに腹黒イロモノ親父なオーマはけたけたと笑って頷く。
「だよな。最高のプレゼントは女雛の嬢ちゃんだよなー」
『お、わかるねー、オーマさん。だよね♪ 首にリボンでも巻いてさ、わたくしがプレゼントです、って』
「綺麗にラッピングした箱に入って、渡してもらうとかな」
 握手しあうオーマとノイに縁樹は顔を片手で覆って天井を見上げ、シュラインは笑顔で日和の両耳を押さえている。
 和やかな空気の中、セレスティは笑みを消すと口許に手をやって考え込んだ。
「しかし、と、言う事はここソーンに私たちの足りない物があるという事でしょうかね?」
「確かにこの世界ならあちらでは手に入らないような物も入りそうよね」
 シュラインが窓の向こうの青空、そこを飛ぶユニコーンを見つめながら呟いた。
「まあ、何はともあれ、まずは腹ごしらえだ。それから考えようぜ」
 オーマが手をパンパンと叩いた。
 運ばれてきた料理の数々に皆も顔を見合わせてこくりと頷く。
「うわぁ、美味しそうなお料理ですね。実は僕、お腹が空いていたので嬉しいです」
『何だ。やっぱり縁樹もお腹が空いてたんじゃないか』
「ごめんね、ノイ」
 縁樹は顔の前で両手を合わせた。腰に両手をやっていたノイはくすっと笑いながら肩を竦めて、運ばれてきた料理を指差して縁樹に早く食べようと言う。
 日和はスプーンですくったスープを口に入れて、とても幸せそうに微笑んだ。
「音楽は人の心を癒すから大好きなんですけど、美味しいお料理も人を幸せにしてくれるから大好きです」
                   *
 それぞれ食後のデザートや食後の飲み物を口にしている中、白山羊亭にひとりの少女が飛び込んできた。
 そしてその彼女は店内を見回してオーマを見つけるとほっとしたような笑みを浮かべた。
「ようやく見つけた、オーマさん」
「ん、おう、ペティじゃねーか。どうした?」
 チョコレートパフェに乗っかっていたりんごを口に持っていこうとした手をオーマは止めた。
「エルファリアさまがお呼びなの。すぐにお城に来て」
 彼女の言葉に皆が顔を見合わせた。
「どうやら物語が進み始めたようですね」
 ナプキンで口を拭って、セレスティは立ち上がり、彼の言葉に頷いた皆も席を立ち上がった。
 エルザード城、謁見の間。そこで一同はエルファリアと会った。
 そしてエルファリアから命じられたのはヤマタイコクという小さな島国で何やら不穏な動きがあるのでそれを調査して欲しいとの事であった。
 一同はエルザード城のユニコーンを借りて、その国へと旅立った。



 ――――――――――――――――――
【5】


 オーマ、縁樹&ノイ、日和、シュライン、セレスティ、という個々の戦闘能力を考慮した順でユニコーンを走らせていたが、その一同の前にヤマタイコクの軍が現れた。
 オーマはエルファリアからの手紙をその部隊の隊長に見せ、ヤマタイコクの長との謁見を申し出て、そしてそれは認められた。
 皆はヤマタイコクの長、女王イヨとの謁見をしていた。
「よくぞ参られた、皆々様。私がこのヤマタイコクの女王イヨです。何分、まだ先代の女王ヒミコ様より代替わりしたばかりで不手際が多く、そのせいでエルファリア様にご心配をおかけしたようですね」
「いや、それはかまわねー。しかし、女王ヒミコは何故にご逝去された?」
 部屋の隅に控えていた兵たちがざわめく。
 女王イヨはわずかながらに顔を曇らせたが小さく溜息を吐いた。
「静まりなさい」
 腰の太刀に手をかけていた兵たちはその言葉に手を離し、縁樹もノイのチャックを開けた背中から抜きかけていたコルトトルーパーから手を離した。ちなみにノイはセレスティの案によってもしもの時の保険としてただの人形のふりをしている。
「お互いに無駄な怪我人を出さずとも済んだようですね、縁樹嬢」
「はい、セレスティさん。でもどうやらヒミコさんの死には何か都合の悪い秘密があるようですね」
「ええ。そのようです」
 セレスティと縁樹は女王イヨが口を開くのを見守った。
「このヤマタイコクは今、八竜という八つの頭を持つ竜の脅威にさらされています。女王ヒミコ様もこの八竜に戦いを挑まれて……」
 イヨは沈痛な面持ちで口を閉じた。
「それであなた方はその八竜に対して何らかの対処はしているの?」
 シュラインがそう問うと、イヨは哀しそうな顔をした。
 そしてその彼女の隣に立つ顔を仮面で隠した女性が代わりに答えた。
「八竜が言ったのです。一ヶ月に一度、娘を人身御供として差し出せば何もしないと」
「それで、あなた方は娘を差し出しているのね?」
「先代女王ヒミコ様は優れた戦巫女でした。ですがそのヒミコ様の力ですら八竜には敵わなかったのです。このヤマタイコクはもう八竜に逆らう術は無かった」
「ですから人身御供を、ですか」
 セレスティは冷静に呟き、そして自分を睨みながら太刀を抜きかけた兵を横目で見据え、指をぱちんと鳴らした。
 転瞬、その太刀が根元でぱきんと澄んだ音を奏でて折れた。
 どよめきが起こる中、セレスティは女王イヨを見る。
「ご覧の通り、私には力がある。だから八竜の事は私たちにお任せくださいませんか?」
「あの、私たちは地球という世界から来ました。その世界で私たちは多くの事件を解決してきたんです。それにオーマさんもいらっしゃいます。ですから、どうか私たちを信じてください」
 日和が訴える。
 そしてオーマは女王イヨに力強く頷いた。
「俺様たちに任せておきな。ここに居るのは間違いなく最強のメンバーだぜ」
                   *
「作戦はこうよ。昔話にあるようにまずは酒を用意して、その酒で八竜を酔わせて、酔って弱った所を仕留める」
 優秀な女教師のようにシュラインは立てた人差し指を振った。
「では人身御供役は僕がやりましょうか? 僕ならもしもの時にはコルトが使えますし」
 ただの人形のふりをしているノイはだけど大きく目を見開いた。そして約束も忘れて、縁樹に意見をしようとした。
 しかし結果で言えばノイは人形のふりをそのまましていれば良かった。
「いえ、縁樹嬢、キミはシュライン嬢、日和嬢と共に人質としてここに残ってください。二人を守って欲しい。人身御供役は私が請け負います」
「セレスティさん」
 心配そうな顔をする縁樹にセレスティは優しく頷いた。
「では、日和ちゃん。あなたはセレスティさんにお化粧なんかをして、綺麗な女の人にしてくれるかしら?」
「はい、わかりました。シュラインさん」
「お願いしますね、日和嬢」
「では、私と縁樹ちゃん、オーマさんとで白酒を用意しましょうか」
「はい、シュラインさん」
「おうよ。わかったぜ」
 そして皆は自分のやるべき事をやるために立ち上がった。



 ――――――――――――――――――
【6】


「では、あなた方にはこの座敷牢に入っていただきます。もしもあの二人が八竜に負けた時、あなた方には人身御供となってもらうべく」
 顔を面で隠した女性によってシュライン、縁樹、日和は座敷牢に入れられた。
「まあ、扱いとしては座敷牢に入れられるだけマシな方なのかしら?」
 おどけたように肩を大きく竦めるシュラインに日和も縁樹もくすりと笑いあう。
「牢屋はごめんですよね」
 そして座布団の上に座って、縁樹はノイの中からシュラインと日和から預かっていた布と針、糸を取り出した。本来なら人質のために取り上げられていた物だ。
「ノイ君って本当に便利よね」
「お菓子もありますよ」
 そう言いながら縁樹は皆の真ん中にポテトチップス塩味、それと1,5リットルのペットボトルのオレンジジュースと紙コップ3つを出した。
「何かセレスティさんやオーマさんに悪いですね」
 日和はくすりと笑った。
「ねえ、縁樹ちゃん。縁樹ちゃんも作る? 布なら私、余分に持ってるから大丈夫よ」
「本当ですか?」
「ええ」
 縁樹はとても嬉しそうにシュラインから布と針、糸を受け取って、ちくちくと縫い始めた。
「日和ちゃんもお香が見つかって大万歳よね」
「はい」
 嬉しそうに頷く日和。そう、セレスティのために用意されたお香の中に日和の気にいるモノがあったのだ。
 シュラインも嬉しそうに極上の白酒が入った酒樽を見つめる。
「あとは八竜を倒すだけですね。それとセレスティさんの組紐の材料。桃の花」
 日和が言った言葉にシュラインはうーんと小首を傾げた。
 その態度に日和も小首を傾げる。どうかしたのだろうか?
「やっぱりシュラインさんも不審に想いましたか?」
 縁樹がひそめた声で言った。
「ええ。だけどまあ、それは小袋を作ってからにしましょうか?」
「はい」
「?」
 三人でちくちくと小袋を縫いながら女子高のようにお喋りに花を咲かせる。
 そしてシュラインが先に小袋を仕上げて、苦戦している縁樹や日和に優しく指導した。
「できました」
 日和が嬉しそうに言い、
「僕もできました」
 縁樹もふぅーっと安堵の溜息を吐きながら満足そうに出来上がった小袋に微笑んだ。
 紙コップの中のオレンジジュースを飲み干したシュラインはうん、と頷くとノイを見た。
「では、ノイ君。そろそろとこちらも行動を起こしましょうか?」
『了解! にしてもようやく体が動かせる。あー、肩が凝った』
 ぶんぶんと両腕を回すノイに皆はくすりと微笑んだ。
「じゃあ、私たちをここに連れてきたあの女を気絶させて、彼女の服と仮面を持ってきてくれるかしら。クールに出来て?」
『任せてよ。万事つつがなくやってみせるよ』
 親指を立ててノイはそう言い、コタンコロカムイの羽根に乗って、とても高い場所にある窓から出て行った。
 縁樹と日和は頷きあうと、千早と末葉をノイの後に続かせた。
 そして日和はシュラインと縁樹の顔を見て、小首を傾げる。
「でも、あの、いいのですか?」
「ええ。どうにもあの女王イヨは疑わしいわ」
 日和は大きく目を見開いた。
「それって」
 縁樹も頷く。
「女王イヨは女王ヒミコが八竜に倒された時点でもう手が無いような事を言っていたけど、でも国のために民を犠牲にするような手段をとるぐらいなら、他の国に助けを求めてもいいんじゃないかな?」
「そう。それが国の面子のために嫌だったのなら、それならどうして私たちを介入させたのかしら? おかしくない、それ?」
「確かに…。私は深く考えてませんでした。そういえばそうですよね?」
 ヤマタイコク、という国の面子のために民に犠牲になってもらう?
 ならばそのような方法を選びながら今になって自分たちに頼ったイヨ。
 いや、心変わりをしたのかもしれない。だけどならばこの時点で他の国に今からでも助けを求めれば……。
 しかしそうする事も無く、イヨは自分たちを人身御供とするべく捕らえた。
 ……何かが腑に落ちない。まるで八竜と戦う意志は無いかのような………。
 頑丈な座敷牢。先ほどまでは窓と戸の向こうの格子を無視してさえいれば高級旅館のようなこの座敷にとても満足できていた日和はしかし、なぜかこの座敷牢にぞっとした。ひょっとしたらここは最初から人身御供に選ばれた者たちの部屋だったのかもしれない。
 何人の人たちがここから八竜の下へと――――
 明り取りの窓から何かが飛び込んできた。
 まさか浮ばれぬ魂が!!!
「きゃぁ」
 日和は悲鳴をあげた。
 頭を両手で抱えた日和の背中がぽんぽんと優しく叩かれる。
「大丈夫よ、日和ちゃん。あれはノイ君たちよ」
「へぇ?」
 縁樹の肩でノイがピースをした。
「じゃあ、動きますか、シュラインさん」
 笑顔で言いながらノイの両目を手で目隠しして縁樹が言い、シュラインは着ている服を脱いでノイが調達してきた服に着替えて、顔には面をつけた。
「ノイ」
『OK』
 ノイはコタンコロカムイの羽根を剣へと変えて、格子を切り倒して道を作り上げた。
「では、行きましょうか」
 お得意の声帯模写でシュラインは面の女性の声真似をして、座敷牢から脱出した。



 ――――――――――――――――――
【7】


 まるで御伽噺に出てくるような不気味な湖であった。
 水は濁り果て腐る寸前のように想えた。
 周りの木々も八竜の瘴気にやられたのか枯れ果ててしまっている。
 その地獄絵図のような光景の中に美しい衣を纏ったひとりの女性がいた。
 彼女は祭壇の上に静かに座っていた。
 ぼこぼこ、と湖から気泡があがる。
 そして水面を突き破って現れたのは八竜であった。
 八竜の目が鋭く細められて女を見据える。
 俯く女の瞳から零れ落ちた涙に八竜は笑ったようだった。
 しかしそんな八竜たちの気は香りよく漂う祭壇の周りに置かれた酒樽に行った。
 美しい女性の身体から香る香り良いお香の香りにも食欲がそそられるが、しかし周りの酒樽から香る白酒の芳香がまた八竜を誘うのだ。
 八竜はその欲望のままに酒樽に口を入れて、白酒を飲み干した。
 極上の白酒は味が良いだけでなく酔いのまわりも早かった。
 そして酔っ払った八竜が我が先にと女性に襲い掛かる。
 だがしかしその八竜に巨大な翼在りし銀の獅子が踊りかかった。そう、もうひとつの姿となったオーマ・シュヴァルツが。
 獅子と竜、熾烈な戦いが始まる。
 獅子の爪が八竜の頭の一つを潰せば、他の竜の牙が獅子の身体を穿つし、
 獅子の牙が八竜の身体を穿てば、八つの竜の口から放たれた瘴気が獅子を襲い、その瘴気が獅子の身体の傷を腐らせた。
「なるほど。確かに強力な竜ですね。オーマによって潰された頭もいつの間にか再生している」
 女性が呟いた。
 そして彼女は杖をついて立ち上がると、頭から被っていた布を放り捨てて舞台役者の早変わりのように女物の衣装を剥ぎ取った。
 顔をハンカチで拭い、いつもの美貌を取り戻したセレスティ・カーニンガムは不敵に微笑んだ。
「では、これならばどうですか?」
 セレスティがぱちんと指を鳴らした。
 転瞬、湖から数の概念を越える水弾が八竜を襲った。一瞬のうちに八つの頭が同時に潰れる。
 誇る事無くセレスティは肩を竦めながら呟いた。
「同時に八つの頭を潰された場合はどうですか?」
 オーマに縛りついていた八竜たちが力無く崩れるように湖に沈んだ。
 それで終わった? いや、まだだ。
 湖の水が爆発したように跳ね上がって、そして八竜が飛び出る。
 八つの頭が牙を剥き出しにしてオーマとセレスティに襲い掛かる。
 オーマは四肢で大地を蹴って、鋭い爪で四つの首を切り落とし、同時にセレスティも水弾で残り四つの頭を落とした。
 だがそれでも竜の首八つが再生する。
「セレスティ、八竜の頭の動きを封じられるか?」
「やってみましょう」
 セレスティがまるでオーケストラの指揮者かのように両手を優雅に華麗に振った。
 湖の水が八つの頭を持つ蛇となって八竜に襲い掛かり、大きく口を開け広げた水蛇に八竜の頭それぞれが飲み込まれて、八竜が水蛇の中で溺れる。
 そして翼在りし銀の獅子は天高く舞い上がると、そこから弾丸のように八竜に体当たりして、それの体を完全に粉砕したのだった。
「やれやれ。これでも無理ですか?」
 セレスティが呟く。
 そのセレスティを囲むどろりとしたスライム状の物体。それが彼を襲わんとしたその時、間一髪でオーマがセレスティを救った。
 セレスティを背に乗せてオーマは天高く舞い上がる。さすがのそれらもここまでは来れなかったようだ。いや、待て。セレスティが両目を細めて、静かに微笑した。
「つまりはそういう事ですか……」
「どうした、セレス?」
「いえ、なんでもありません。それよりも一度、ヤマタイコクに戻りましょう」
「そうだな。おそらくは嬢ちゃんたちも何かしらの行動を起こしているはずだ」
「でしょうね」
 そしてオーマは翼を羽ばたかせて空を駆けんとするが、しかしそのオーマとセレスティの前に巨大な鳥を駆るヤマタイコクの兵たちが立ちはだかった。



 ――――――――――――――――――
【8】


 シュラインの声帯模写は完璧であった。
「その者たちは確か…」
「うむ。イヨ様の命令で、場所を移す事になった」
 通りで会う者たちにその都度説明して三人は渡り廊下を歩いていく。
 そして皆が向った先は女王イヨの間であった。
 間の扉の前に立つ兵士たちは不思議そうにシュラインたちを見てくる。
「どうしたのですか、オト様? その者たちは座敷牢に」
「うむ。イヨ様の命にてここに連れて来た」
「イヨ様の?」
 兵士は胡乱気にシュラインを見据えた。
「確認を取ってまいります。いま少しここでお待ちを」
 ひとりが扉の鍵を開けたその瞬間、縁樹が素早くその兵士の後ろに立って、延髄にコルトのグリップを叩き込んだ。
 そして腰の太刀に手をかけたもうひとりにノイが襲い掛かる。コタンコロカムイの羽根を一閃させて巻き起こした風でその兵士を吹き飛ばして、壁に背中から叩きつけて気絶させたのだ。
「お見事」
 面を外したシュラインはにこりと微笑み、そして日和もぱちぱちと手を叩いた。
 部屋の中に入ると、そこは漆黒の闇に包まれていた。
 そしてその闇にとても苦しそうな息遣いが響いていた。
「はあはぁはぁ、誰か、誰か助けて」
 助けを求める声に三人は顔を見合わせて、そして声の方に走った。
 御簾をノイが投げナイフで落とす。
 そして一同の視界に胸を掻き毟りながら苦しむ女王イヨの姿が映る。
「イヨさん」
 慌てて近づこうとした日和の手首をシュラインが掴んで、後ろに引いた。
 シュライン、日和を守るようにコルトを構えて縁樹が二人の前に陣取る。
 イヨのはだけた胸元には奇怪な女の顔があった。それはどこかイヨに似ていた。
「あれは何ですか?」
『うぇー、気持ち悪い』
 日和とノイが感想を漏らす。
 縁樹は銃口の先にあるその光景に哀れむように両目を細めた。
「寄生されている?」
「おそらくね。そして多分あれは、先代女王ヒミコ」
 シュラインの言葉に顔が奇怪な笑い声をあげた。
「大人しく我の餌になればよかったモノを。愚か者どもめが」
 ヒミコは嗜虐的な笑みを浮かべた。
 イヨはそんなヒミコの顔を両手で押さえつけながら訴えた。
「お願いします。私を助けてください。この許されざる者をお討ちください。私ごとでいいですから」
「どうしてこんな事になったんですか? イヨさん」
 縁樹が叫んだ。
「ヒミコ様は老いを恐れていました。故に魔に魂を売って、魔に転生されたのです」
「馬鹿な事を」
 シュラインは首を横に振った。
「ヒミコ様は私に取り憑き、そして私の体を完全に乗っ取るための力を得るために八竜に娘たちを食わせていたのです。私はこれまでヒミコ様に意識を封じられていましたが」
「なるほど。八竜が倒された事で、ヒミコの力が弱ったのね」
「ふん、馬鹿な事を。あいつらはこちらに逃げ帰ってくるわ。その前に貴様らまとめて食ろうてやるわぁー」
 ヒミコの顔はイヨの身体に溶け込んで、そしてイヨ…いや、ヒミコが老獪な顔で叫んだ。
 意味不明な言葉。「********」
 その言葉に女王の間に兵たちが入ってくる。その顔は全てが正気を無くしていた。
『あー、もう。冗談じゃない』
 ノイは風を巻き起こして兵たちを吹き飛ばして外へと続く道を作り、そこから全員が逃げるが、しかし庭で囲まれる。
「*******」ヒミコの命令のままに兵たちは三人に弓を構える。
「くぅ」
 シュラインは下唇を噛んだ。
「あともう少しなのに」
 その言葉の意味は?
 そして弓が!!!
「私に任せてください」
 日和が叫び、能力を発動させる。
 瞬間、空気中の水分子が寄り集まって、水の防御壁が展開されて、三人を包み込んだ。
『ふぅー』
 ノイが大きく溜息を吐く。
「大丈夫ですか、日和さん?」
 縁樹が問う。
 疲労で蒼白な顔をしている日和はそれでも頷いた。
「ふん、しかしそれもいつまでも続くわけではなかろうが小娘ぇー」
「*****」ヒミコが命令をする。
 その命令通りに弓が射られ、だけど―――
「させません」
 弓が日和の水の防御壁で弾かれる中でシュラインはにこりと優美に微笑んで見せた。
 そして彼女は歌うような声で言うのだ。
「*******」
 瞬間、ヒミコ以外のすべての三人を取り囲んでいた者たちがその場に倒れた。
 その理由はわかっていた。戦慄に歪む顔でヒミコがシュラインを睨んだ。
 シュラインは前髪を右手の人差し指で掻きあげながらさらりと言う。
「理解させてもらったのよ、あなたの使っていた言葉を。あとはあなたの声帯模写をすればそれであなたが言霊で操っていた人たちを私でも操れる」
 それでもヒミコの顔からは笑みは消えなかった。まだ自分の方が優位だと。
 しかし、屋敷を潰して舞い降りる翼在りし銀の獅子。
 その土煙が収まった時、そこから銀髪赤目の青年とセレスティが現れる。
「どうやら間にあったみたいだな、嬢ちゃんたち」
 銀髪赤目の青年、オーマ・シュヴァルツがにやりと微笑んだ。
 そしてセレスティが指をぱちんと鳴らして、日和の水の防御壁を請け負う。
「あとは私にお任せを。日和嬢」
「はい」
 小さく微笑みながら日和はそう呟くと、気絶した。
 彼女を抱きとめたシュラインがにこりと笑う。
「あなたの負けよ、ヒミコ」
 ヒミコはぎりっと歯軋りした。そして叫ぶ。
「負け? 負けだと、私の。ふざけるなよ、ひ弱な人間どもが。私にはまだ八竜がいる」
 そうヒミコが叫んだ時、そこに大量のスライムが現れ、それが八竜となった。
 だが、それにセレスティが肩を竦める。
 そして誇る訳ではなく、ただ私は鉛筆を指で折れますよ? と言うぐらいの気安い感じで言った。
「すみませんが。もはや八竜は私にとって脅威ではありません」
 セレスティが指を鳴らす。
 瞬間、八竜の体は大地から噴き出した水によって天高く舞い上げられて、そしてあっさりと蒸発した。
 空には美しい虹だけがかかる。
「オーマが空を飛んだ時、私の体に付着して、私の命を狙っていたスライムはしかし気化した。凄まじく強い再生力を持つこれも気圧の変化には弱かった。なるほど、あなたが呪術によって作り上げたモノだったのでしょうが、どこかに強い能力を持たせれば、そのツケがどこかに出るのもまた呪術の特性です。相手が悪すぎたのですよ」
「お、おのれぇー」
 ヒミコは腰の太刀を抜いて、斬りかかってくるが、しかしその彼女に縁樹が銃口を向ける。
 彼女の愛銃コルトトルーパーMkV6インチの弾倉に装填されているのはコタンコロカムイの羽根が変化した弾丸だ。
「残念ですね。僕らは協力という事ができるんです。それがたった独りのあなたとの決定的な違いです」
 そう囁くように言いながら縁樹はトリガーを引き、
 そして弾丸はイヨの体を穿った。
 彼女の体を貫通した弾丸。しかしイヨの体には傷は無く、
「ぐぅぎゃぁ――――」
 イヨの体から追い出されたヒミコが悲鳴をあげる。
 その彼女の前にオーマは立つ。
「俺様は確かに言ったはずだよな、あんたに? ここに居るのは間違いなく最強のメンバーだぜ、ってよ。縁樹の言うように俺たちの絆の力がおめえさんの能力を遥かに超えてんのさ」
 そして最後の力を振り絞り、オーマの体を乗っ取らんと襲い掛かって来た醜い老婆をオーマは具現化能力で作り上げた瓶の中に封じ込めた。



 ――――――――――――――――――
【9】


 東京、あやかし荘。
 管理人室に皆の姿があった。
 女雛は不安そうに皆の姿を見つめている。
「女雛よ、おんしのためにここにいる全員ががんばってくれたのぢゃ。さあ、お礼を言うがよい」
「あの、ありがとうございました。ですがわたくしは……」
 しゅんとして俯く女雛。
 あの嬉璃も言葉を探すように口を閉じてしまう。
 皆は顔を見合わせあって、頷きあった。
 まずはシュラインが前に出て、女雛に酒樽と香り袋を贈った。
「この酒樽には白酒が入ってるわ。二人で飲んで。味は保証するから。それとこの香り袋はあなた自身に」
「わたくしに、ですか?」
 小首を傾げる女雛にシュラインは優しく頷いた。
「ええ。どんな時でも女の子は美しくいたいじゃない。ね」
「はい」
「それとね、人の心は其々だから答えが是か非かも分からないけれど、真摯に伝えれば逃げた男雛と違いを相応の誠意で対応して下さると思うから頑張って。大丈夫。あなたは充分に魅力的よ」
「はい」
 後ろに下がったシュラインと交代で縁樹とノイが前に出る。
「これは僕とノイからです。この二対の杯はね、とても心をこめて作られたモノですから、だからきっと女雛さんの想いを助けてくれると想います。どうかこの杯でお二人でシュラインさんから贈られた白酒を飲んでくださいね。ちなみにこの杯に描かれた桃の花は僕が描いたんですよ。桃の花はね、何でも邪なる者を追い払う力があるらしいんです。だからきっとこの桃の花の絵が女雛さんの不幸を今後は追い払ってくれるはずです。ソーンっていう聖獣に守られた世界の桃の花の絵ですから、ご利益は万全のはずですよ」
 くすりと笑う縁樹。
『そうそう。ってか、だからアンタが』
「もう、それはいいの、ノイ」
 縁樹はノイの口を両手で押さえて、そして女雛に言う。
「頑張ってくださいね。女雛さん、魅力的な方なんですからもっと堂々として大丈夫だと思います。一生懸命、好きだってことを伝えられればきっと上手くいきますよ。それとね、白さんに聞いたんですけど、桃の花の花言葉って、私はあなたに夢中、っていうのもあるんですって」
 恥かしそうに俯く女雛。
 その女雛にノイが言う。
『心配ばかりしてても始まらないじゃん? あたって砕けたら…マズイけど。まぁ、頑張ってみてよ』
「僕たち応援してますから!」
 そして日和が進み出る。
「これを右大臣さんにあげてください。あなたと一緒に春を、これから先の季節を迎えていきたいです、という気持ちを込めて四季の花を刺繍した匂い袋です。中のお香もソーンの物ですから。とても香り良いんですよ」
 女雛はこくりと頷く。
「前よりもっといい笑顔になれて、もっと幸せになることが一番だと思います。どうかしっかり顔をあげて、いいお顔を見せてくださいね。応援しています、頑張って」
 セレスティが穏やかに微笑みながら女雛にプレゼントをそっと差し出した。
「私はこの扇と扇の飾りの組紐を。扇も組紐も私の手作りです。組紐はソーンの世界に住まう竜族の方や大蜘蛛に分けてもらった物をヤマタイコクの伝統技術を使って作った、この世界に一つのモノです」
「まあ、とても綺麗」
 皆の心に触れて女雛はとうとう笑みを浮かべる。
「告白するのはとても勇気がいりますが、でもきっとその勇気は報われますから、どうかその想いを素直に言葉に紡いで、がんばってください」
 そしてオーマはルベリアの花を女雛に贈った。
「昔、ひとりの女が世界一の男に惚れてこの花を贈った。その女はそいつと結ばれて、とても幸せに暮しているぜ。これはな、そういう花なんだ」
 ルベリアの花は女雛の想いを映している。
 オーマは女雛が両手で持つルベリアの花にそっと両手をかざし、そして能力を発動させる。
 ルベリアの花が映す女雛の想いはオーマの能力によって具現化同調されて、二つの輝石となった。
 とても綺麗に輝く輝石に皆は笑みを浮かべた。それが女雛の想いだから。
「女雛の嬢ちゃんも旦那をガッツリ腹黒筋肉ホールドしてカカア天下万歳地獄の番犬様ロードへGO…じゃねぇ。まぁ何だな、想いっつーのはどんな形でも本当にラブキュンな奴にゃぁ、必ずどっかで想い見て繋ぎ行くモンだってかね? だから自分の想いに素直になりな」
 そして恵美が小さな箱から右大臣を取り出した。
 右大臣はぱちりと目を見開く。
「ひゃぁ」
 女雛は逃げようとするがしかし、そこで足を止めて、皆を見回した。
 シュライン、縁樹、日和、セレスティ、オーマは優しく微笑みながら頷いた。
 そうして女雛は右大臣の前に緊張した足取りで歩いていく。
「女雛様、いかがいたしましたか?」
 小首を傾げる右大臣に女雛は言う。
 皆が見守る中で。
「右大臣殿、お慕い申しております。ですからなにとぞわたくしと結婚してください」
 女雛は頂いた数々の品を右大臣に渡し、必死に想いを紡ぐ。
「どうか、わたくしを」
「お、お待ちください。男雛様は? あなたは男雛様を慕っているのではないのですか?」
「そ、それは」女雛は首を横に振った。「勝手のいい話かもしれません。でもわたくしはあなたを今は慕っております。誰よりも。ですから、どうかわたくしを。わたくし、ばついちですけど、それでもよろしかったら…」
 しゅんと俯く女雛を右大臣は抱きしめた。
「女雛様、ずっと私もあなたをお慕い申しておりました」
 そうして管理人室に盛大な拍手があがった。



 2月14日。
 あやかし荘では男雛となった右大臣と女雛の結婚式が行われていた。
 それはオーマの意見で、オーマたちがソーンに旅立った日から嬉璃たちが用意していたモノであった。
「皆様、今日は本当にありがとうございました。わたくしたちのためにこのような」
 シュライン手作りのウエディングドレスを着た女雛はとても感激したように言いながら頭を下げた。
 からあげを口に放り込みながらオーマが肩を竦める。
「はん。それは言いっこ無しだぜ、女雛の嬢ちゃん。皆、おめえさんたちのためにがんばったんだからよ」
「そうそう。料理を作るのも、結婚式の準備をするのもとても楽しかったんだから」
 シュラインは優しく微笑みながら女雛にウインクした。
 そのシュラインの横でセレスティがくすりと笑いながら言う。
「そうですよ。美しい花嫁さんを見られてこちらも楽しませていただいているのですから」
「ええ。こんなにも可愛くって綺麗な花嫁さんは初めて見ましたよ、僕。ね、ノイ」
『う、うん』
 何やら珍しく反応が鈍いノイに縁樹はくすりと笑う。
「いやだ、ノイったら、照れてるの?」
『違うよ、縁樹。ボクは縁樹一筋!』
「はいはい」
 くすくすとその場に笑いが起こる。
「男雛さんもこんなにも綺麗な女雛さんを見れて幸せですよね」
 そう言う日和に男雛も照れてぎくしゃくとした動きで頷いた。
 そしてやっぱりそんな男雛に笑いがあがって、女雛と男雛も顔を見合わせあって、幸せそうに笑いあった。
「さてと、んじゃ、俺様からの最後のプレゼントだ」
 オーマはウインクして、そして窓の向こうに顎をしゃくる。
 外に出た皆の目の前でオーマは巨大な翼在りし銀の獅子へと変化する。
 そして優しい眼差しでオーマは女雛と男雛を見つめながら言った。
「さあ、スカイウェディングだ」
 女雛と男雛、そしてセレスティ、縁樹、シュライン、日和、嬉璃、恵美、皆を乗せてオーマは世界を駆け巡ったのだった。
 それはとても楽しく優しい幸せな時間だった。



 ――――――――――――――――――
【ラスト】


 あやかし荘からの帰り道、セレスティの携帯電話が着信を報せた。
 セレスティは車を道の片端に停めて、携帯電話を手に取って、通話ボタンを押した。
 携帯電話から聞こえてくるのは愛しい人の幸せな声だった。
 その心地良い声に優しく両目を細めながらセレスティは口を開く。
「はい。では、今から迎えに行きます」
 そう言って電話を切って、セレスティは車を発進させようとして、そしてふと夜空を見上げた。
 とても美しい夜空を流れて行く流れ星。
 セレスティは小さく口を開いて何かを言おうとし、だけどその口で笑みを形作った。
「願いはある。けどその願いを口にせずともあなたは私の隣に居てくれて、そしてその願いを叶えてくれますよね。私と一緒に」
 愛しい人の名前を口にして、セレスティは今度こそ車を発進させた。
 彼女との待ち合わせ場所に向けて。



 ― fin ―



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】


【1953 / オーマ・シュヴァルツ / 男性 / 39歳 / 医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】


【3524 / 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生】


【1431 / 如月・縁樹 / 女性 / 19歳 / 旅人】
&ノイ

【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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こんにちは、セレスティ・カーニンガムさま。
いつもありがとうございます。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
今回はご依頼ありがとうございました。


このたびは怪談とソーンの世界を行き来するお話を書きたい、と想い募集した依頼に参加していただけてとても嬉しく想っております。^^
最初はバレンタインなのにお雛様が出てくるし、オープニングが怪談だしで、ソーンのPLさんは参加し辛いかな? と不安に想っていたのですが、とても嬉しい事にオーマさんが参加してくださって、
無事に最初の計画通りに二つの世界を行き来できるお話を書けて嬉しかったです。
そ、それから三宝を持っている三人官女さんって、結婚なされているんですね。;
全然知りませんでした。ですから、既婚者同士で駆け落ちしたみたいです。;
こうやってお雛様、一体いったいにも物語があるのですね。^^
教えていただいた時はびっくりとしたのと同時に面白いなーと想いました。
今度調べてみたいと想います。^^



今回も本当に皆様、ものすごく素敵なプレイングを用意してくださって、とても楽しく書けました。^^
詰る事無く皆様のプレイングもまとめる事ができましたし。
ひとつひとつのプレイングをリンクさせて、集合して行くシーンがとても書いていて楽しかったです。


結婚式とスカイウエディングはオーマPLさんがプレイングで提案してくださり、最初に考えていた案よりも僕自身もすごく納得できるラストを書く事ができて、とても嬉しく想います。
怪談のPCさまはソーンに、ソーンのPCさまは東京に、いつもとは違う世界で動くPCさんたちを書けたのは本当にすごく新鮮でした。^^
また機会がありましたら、今度はソーンで事件が起こって、それでソーンのPCさんと怪談のPCさんとが協力するお話を書きたいと想います。^^
本当にありがとうございました。^^



セレスティさま。
過去の恋愛に不信感を持っていた頃のセレスティさんの想いと、大切な彼女に出会う事で変わったセレスティさんの想い、
その両方を書く事でまたセレスティさんという人を描く事ができて嬉しかったです。
こういう雰囲気は僕自身も大好きですし。(拳)
あとはさりげなく零を助ける優しいところとか。^^
戦闘部分でもめさめさカッコよく書けましたし。><
ラストの流れ星を見て、だけど流れ星に願わずとも大切な彼女なら自分の願いを叶えてくれると信じて疑わないセレスティさんを描けて、
とても嬉しかったです。^^
扇や組紐もなるほど、その手があったのかってすごく納得できて面白かったです。^^



それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、本当にありがとうございました。
失礼します。