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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


バレンタイン、今夜はかなり嫌がらせ。〜VKI niceguy〜


 節分を無事に済ませた草間興信所は穏やかな夜を迎えていた。部屋にはうっすらと明かりがあり、部屋の中では零が申し訳程度に投げた豆を拾い集めている。このまま踏み潰せばゴミだが、拾って洗えばまた食べられる。贅沢は敵。彼女は森の中に住むリスのように豆を探す。
 彼女が身を屈めてそれを拾おうとした時、部屋の中に誰かいることに気づいた。兄の武彦は夜半から続く自治会の集まりからまだ帰ってこない。名目上は『集まり』だが、早い話が酒を飲んで騒ぐだけの会合だ。今日は気合いを入れて行ったところを見ると、タダで酒が飲めることをいいことにまだまだ帰ってこないはず……とりあえず零は自分と同じ姿勢になった相手の顔を見た。相手は女で誰が見ても「美しい」と思える顔をしている。しかしその口から出てくる言葉には慎ましやかとかそういうものがまったく感じられない。これではせっかくの美貌が台無しだ。

 『あのぉ〜〜〜、こちらが草間興信所ですよねぇ?』
 「はい、そうですよ……ってあれ、もしかして自縛霊さんですか?」
 『さっ、さすが怪奇探偵さん! もう私のことを見抜かれたのですね! お願いです、私の願いを聞いてください!』

 出会って数秒しか経っていないのに、自縛霊の女は目をキラキラと輝かせながら零に尊敬の眼差しを送る。さすがに困った。零はここでの仕事はある程度こなせるが、仕事を受けたことだけはない。それは兄がすることであり、自分の領分ではないのだ。このまま彼女の話を聞けば、間違いなく自分が決める決めないの判断をしなければならなくなる。彼女は状況のまずさから顔を曇らせた。しかし、相手はそんなことなどお構いなしで喋り始める。一緒になって部屋に散らばる豆を拾い上げながら。

 『私、聞きました……クリスマスの日、100人もの男の人が道行くカップルに対して嫌がらせした話。感動的でしたわ。しかも最後に全員が成仏できるなんて、本当に素晴らしいことです。』
 「確かにうちが、いや私もいろいろやりましたねぇ。」
 『だったら、同じことがバレンタインにもできるんじゃなくって……?』

 急に語彙を強める女性。零がはっと彼女の方を向くと、その女はわなわなと悔しそうに身を震わせていた。どうやら彼女はあの時の男どもと同じ立場の幽霊らしい。それに気づいた零は彼女がやっている豆拾いをやめさせ、とりあえずソファーに座るように勧めた。そしてその隣に彼女も座る。零に背中をやさしくさすられたからか、幽霊も少し落ちついた。

 「あの〜、もしかしてそれを聞きつけてうちにご依頼に……?」
 『ええ、そうよ。私たちはバレンタインを前に死んだ幽霊なの。相手のことを思うせいで日々自縛霊として立派に成長を続けている悲しい女よ。一年が過ぎるたびに私たちは大切な人のことを思い、さらにその呪縛から逃れられなくなる。私たちの感じる一年なんてあっという間だから、本当に辛いわ。』
 「……お察しします。」
 『でもある日、私は草間さんの活躍を耳にしたの。もしかしたら私たち、胸のもやもやがスカッとすれば成仏できるのかもしれないって思ったわ。本当にいいアイデア……なんで今まで思いつかなかったのかわかんないくらい!』
 「本当に前と同じパターンになってますね……」
 『お願い、私たちにはあなたしか頼る人がいないの。もう100人の女が東京の片隅で待機してるわ。助けて下さい!』

 冷静に前回の騒動と照らし合わせる余裕の零に、依頼の実行を必死で懇願する女性。おそらく彼女は100人いるという幽霊のリーダーなのだろう。ということは、ここで断ればやはり零を巻きこんだ『101人女祭り』が開催されてしまうのか? どんな恐怖なのかはイマイチ想像できない零だったが、武彦にとっては地獄であるはずだ。それだけは理解できる。そして零は勝手に決断を下した。

 「わかりました。兄に言っておきますね。『前例のあるお仕事は簡単だ』って日頃から言ってますし。」
 『ほっ、本当?!』
 「ええ。ところでバレンタインっていつですか?」
 『2月の……14日ですわ。その日にまたカップルたちに嫌がらせしてくれるんですか!』
 「やってくれる人がいたらなんですけどね。私、能力者の皆さんに電話してみます。」

 なんとも恐ろしいことを安請け合いしてしまった零。武彦が帰ったらどうなることか……彼女はバレンタインデーに嫌がらせしてくれる能力者たちを探すために電話をかけ始めた。


 帰宅の遅い所長を迎えに行ったシュライン・エマが武彦を肩に担いで興信所に戻ってきた。そして零の隣にいる女性の顔を見ていつかの事件を思い出し、あまりのショックに武彦の腕を離す。武彦は地面へ勢いよく顔から突っ込んだ。盛大な音が鳴り響く中、シュラインは身を震わせながらきょとんとした顔の零に迫る。彼女の手元には愛用のメモ帳があった。まさか、ということは……彼女の予想はわずかな時間で現実に近づいていく。不思議なものだ。悪い予感がこんなにもよく当たるなんて。

 「れ、零ちゃん、もしかしてそのお客さんは……」
 「ええ。バレンタインで成仏できない自縛霊さんの皆さ」
 「武彦さんっ! だから早く帰りましょうって言ったのよ! また事務所占領されちゃうじゃない!」
 「う、うるへぇなぁ、お前だって町内会長から勧められへ飲んでたじゃねーか。ヒック。」

 シュラインのせいで地面に落とされた時、鼻の穴にうまく節分豆が入ったらしくかなりマヌケな顔になっている武彦。鼻から息が抜けないのとろれつが回らないのでなんとも情けない声になっている。彼女は武彦に向かって右の鼻を指差し、豆が入っていることを強調しながら話を続けた。

 「あ、そうそう。零ちゃん、豆は紙とかに数個ずつ包んで投げるといいわよ。後で拾うのが楽だから。」
 「はー、そうですね〜。それって生活の知恵ですね。」
 「じゃないと、こうなるから。」
 「んへ?」

 完全に酔っている武彦は豆のない反対の穴に指を突っ込んで懸命にシュラインに言われた探し物をしていた。彼女はパチッと武彦の手を叩き、「逆よ!」と腕をつかんで移動させる。ところが武彦は人差し指を立てたままにしていたので、そのまま勢いよく豆を鼻の奥に押しこんでしまった。ようやく異物感に気づいた武彦は今さらながら大騒ぎ。そんなことも知らないシュラインは「やっと気づいたようね」と小さく溜め息をついた。大狂乱している武彦を無視して、今度はそのリーダー格の自縛霊に近づく。

 「ぶしつけな質問で申し訳ないけど、あなた……いや、あなたたちは少しでもお金持ってる?」
 『そ、それは依頼をする以上、金銭的な面は100人で助け合うつもりです。私たち、結束してますから。』
 「それを聞いて安心したわ。実はね、あなたたちが幸せに成仏できたと思ってる男の人たちが成仏した後でヒドい目に遭ったっていう風の噂を聞いたの。なんでもあの世にまで取り立て屋が来て、それ相当の現金を回収されたらしいわ。私たちは善意であなたたちの成仏に協力するけど、中にはそうじゃない人もいるってことだけは覚えといた方がいいわよ。で、零ちゃんのことだからおそらくは経験者を優先して電話したと思うんだけど、その辺はどうなってるの?」
 「あっ、豪徳寺さんには連絡しました。今回も来られるそうですよ。」
 「やっぱり。嵐は何らかのタイミングであなたたちに依頼料をせしめると思うから、今のうちにまんべんなくお金を散らしといて。全員が成仏できないんじゃ、やっぱりかわいそうだもんね。」
 『わ、わかりました。そうしておきます……』

 なんといっても零が引き受け、零が持ちかけた話である。その辺のチェックから始めることが重要なのだ。シュラインはよくその辺を心得ている。続けて今回の依頼に協力してくれそうな返答をした人の名前を聞いた。それを聞いているうちに、彼女は当日になって事務所が大混乱する前に今から手を打ってしまおうと考えるようになった。おそらく嵐もそうだろうが、彼らは当日に一気に成仏させてしまおうと考えているはずだ。だからこそ、自分たちで前日までにできることがあれば実行し、少しでも不幸になる幽霊の数を減らしてしまおう……そう考えたのである。シュラインはさっそく受話器を取った。

 「あ、リーダーさんはとりあえずみんなのところに戻って、ひとりずつのお名前と住所をメモしてきてくれない? よかったら零ちゃんもお手伝いしてあげて。私は協力してくれる人に確認を取ってみるわ。まだマトモに話を聞いてくれそうな人は先に呼び出して、ひとりでも多くの幽霊を成仏させられるようにしてあげるから。そして武彦さんには……」
 「ふがっふがっ、鼻に豆がっ!!」
 「……まぁ、明日にでも説明するわ。」

 シュラインは夜も深けていたので遠慮がちにダイヤルを回し、協力者たちの今の様子を伺うことにした。相手がどんな性格をしているのかを事前に把握しておこうと思ったのである。しかし受話器を置くたび、シュラインはさまざまな表情を見せた。溜め息をついたり、自信ありげに頷いたり……果たして今回はどうなるのだろうか。


 翌日から興信所は大忙しになった。鼻から豆、身体から酔いが抜けた武彦は、シュラインの指示でリーダーから手にしたメモを頼りにある情報を集めるのに都内を奔走した。クリスマスとは違い、バレンタインは相手がいてはじめて成立するイベントである。ということは、彼女たちの想い人がかなりの確率で存在するはずだ。少し残酷なようではあるが、その人物がどうしているのかを調査するのが目的なのだ。もしかしたら状況次第では女祭りで憂さを晴らす必要のない幽霊がいるかもしれない。シュラインはそんな幽霊が多数出てくることを切に祈った。また彼女は100人が溜まっている場所に行き、自縛霊の得意技でもある身の上話を真剣に聞く。そして夜には武彦と情報を照らし合わせてなんとか救えそうな幽霊をピックアップしていくという地味な作業が連日続いた。実際にそれを実行に移せるほど情報が溜まったのは14日の数日前である。
 武彦の調査の進捗、そしてシュラインが絞り込んだ見込みのある女性が噛み合わないのは仕方のないことだった。情報の精査に時間がかかったことはこの際忘れて……と思っているところに、季節ハズレのサンタクロースのように白い袋を担いだ男が興信所にやってきた。誰かと思えば、シオン・レ・ハイである。まだバレンタインデーではないのに彼は興信所にやってきたのだ。そして大きな袋をそーっと応接に使うテーブルの上に置き、ふうっと大きく溜め息をつく。

 「早いじゃないか、シオン。お前、カレンダー持ってないのか?」
 「まさか。フライングなのは十分に承知してますよ。もちろん当日にお手伝いしますけど、どうしてもこれを先に渡しておきたくって。」

 そう言いながら袋の中に手を突っ込んでがさがさ掻き回す。中から出てきたのはそれなりに丁寧にラッピングされた箱だ。おそらく中にはチョコが入っているのだろう。その不器用な外見から察するに、どうやらシオンが自分でチョコを作ったらしい。だがそれは見ただけで十分に手作りさが感じられる暖かいものだった。

 「さすがに100人分を作る財力はなかったですが、30個くらいなら用意できました。これ、何かに使ってもらえませんか?」
 「お前、これ作るのに自分の金をはたいたのか?!」
 「嫌がらせするのはあまり得意じゃないので、こういうことで報いれればと思いまして。あ、チョコは公民館の調理室で作ったんでご安心下さい。路上でとかそういうことは絶対にないので。ああ、梱包もそこでやりましたから。」

 バレンタインデーに向けてオッサンがチョコを作る……さぞかし公民館のおばちゃんも驚いたことだろう。シュラインはそんな彼の真心のこもったチョコを喜んで使わせていただくことにした。彼女は手元にあった付箋に『メッセージカード』と走り書きし、いつも使っている電気スタンドに貼りつける。

 「まだ日数には余裕があるわね。シオンさん、本当にありがとう。ナイスタイミングよ。これがあれば2割の女の子は浮かばれるわ。」
 「え……使って頂けるのはありがたいんですけど、これはいったいどういうことでしょう?」

 シュラインは状況を説明した。実はある程度の女性たちに成仏のチャンスが残されているという。それは相手がまだ彼女のことを大切に思っていることが調査でわかったからだ。もちろん彼女たちのほとんどは自縛霊。彼への想いがないはずがない。しかしそれを伝える手段が誰もどこにも見当たらないという悲惨な現実があったのだ。
 だが、このチョコがあれば問題はない。さっきメモした『メッセージカード』に彼女たちの積年の思いを書いてそれを贈ることで、もしかしたら相手の反応を見ることで満足しそのまま成仏するかもしれないというわけだ。説明を受けたシオンは納得の表情で頷く。

 「とにかくチョコが無駄にならないのでしたらどうぞお使い下さい。チョコはもちろん、私も喜びます。」
 「本当に助かったわ。武彦さん、明日は見込みのある女の子のメッセージを聞いてくるからデータの照合と確認はよろしくね。」
 「ああ。しかしそれで成仏してくれたらいいんだがな……女は男よりもフクザツにできてるからな。どうなることやら。」
 「そうですねぇ。私もそう思います。じゃなかったら、自縛霊にもなってないんでしょうし……」
 「あら、恋する乙女は純粋なのよ。知らなかったの?」

 男ふたりはシュラインの言葉を聞いて顔を見合わせた。なぜなら彼女がチョコを口元に持ってきて意地悪な微笑みでそれを言ったからだ。零が笑顔で首を傾げると、シュラインは「ふふっ」と笑うのだった。


 その頃、広大な敷地に建てられた特殊な倉庫の中に次々と男の浮遊霊や自縛霊たちが運び込まれていた。それはこの家の長男でありデーモン使いでもある修善寺 美童が屈強なボディーガードを引き連れて毎夜のように捕らえた男の霊である。ところが捕まった彼らは広い倉庫の壁を前にしょぼーんとうなだれて三角座りしているだけ。今さら捕らえられようが魂を消滅させられようが関係ないといった面持ちの暗い連中ばかりだ。美童は部下から捕らえた霊が100人に近くなっていることを聞くと、安心した面持ちで近くに備えつけられていた豪華な椅子に腰を下ろす。彼の肌は真っ白で、一目で見ると女性と間違えそうなほどの美貌を持っていた。長いまつげに薄く細い眉、整った鼻筋に小さい口元……そして私服もユニセックスなものだ。立場と外見にピッタリな趣味といえば聞こえが悪いかもしれないが、まさにそんな印象を受ける少年だった。
 彼は零の話を聞いてバレンタインデーにこの場所を提供しようと言った。だからこそ、これだけの男の幽霊を集めたのだ。自らが使役するデーモン『ソウル・ファッカー』を使い、アルビノ体質で無理のできない身体に鞭打ってここまでがんばったのだ。すべては不幸なレディーのため……別に目の前でメソメソし、バレンタインを恨んでいるような奴らのことはどうでもいい。美童は次なる行動を起こすべく、備えつけられた豪華な装飾の施された電話の受話器を取った。

 「ああ、蓮さん? ちょっと聞きたいことがあるんですけど、今よろしいですか……?」

 彼はアンティークショップ・レンの店主にある質問をした。ここまでは予定通りである。はたして当日はここで何が行われるのだろうか?


 そしてバレンタイン前日になった。クリスマスの時とは違い、この時点で恨みの仲間から抜けていく幽霊がごくわずかではあるが存在した。シオンのチョコ、そしてシュラインが書いたメッセージ……それを持って彼の側に届けただけで今までの邪念が消え去り、集合場所に戻ってきた頃には自然と身体が空に向かって浮いていた。それは彼女がこの世と別れを告げる合図でもある。シュラインたち生身の人間も一緒になって、昇天する娘に手を振りながらこの世から送り出した。それがひとり、またひとりと増えていき、予定通り2割の幽霊は先に成仏できた。これは草間興信所の努力であり、シオンの真心が生み出した立派な成果である。
 しかし……残っている。猛者がまだ残っている。心からバレンタインデーの存在を逆恨みする女性の怨念は80人になっても萎えることはない。逆に武彦とシオンはしっかり萎えた。これは何の勢いなのかと。何のために燃えているのかと。ふたりの想像を絶する恨みを心に秘めた彼女たちの足は決して地面から離れることはない。となると、明日にかかっているわけだ。結局、やることは前と同じ嫌がらせ。本当にそれで彼女たちをすべて成仏させることができるのだろうか。

 「もしひとりでも残ったら、来年もこれするんですか?」
 「シオンよ、やる前から負けたと思うな。お願いだから。」

 後は当日組にすべてをゆだねるより他にない。全員が似たような不安を抱えながら、眠れない一夜を過ごすのだった。


 今年のバレンタインは平日ということもあり、武彦は夕方からの活動を提案した。集合場所は彼女たちが決起したあの場所である。武彦は荷物満載の車をトロトロと運転し、その横をシオンとシュラインが重い足取りで歩いていた。助手席に乗っている零はなぜかクリスマスと同じドレスや髪飾りなどで美しく着飾っている。これは前に実行した作戦から察するに、おそらく嵐の入り知恵だろう。今回も嫌がらせに余念のないちびっこ姿の彼のことを思うと、武彦もごく自然にため息が出る。『よくもここまで計画性を持って嫌がらせができるもんだ』と感心してしまうほどだ。いや、もうここまで来たら感心するしかない。他の連中もこれくらい、いやこれ以上の嫌がらせを考えてくれればなんとかなるのか……ふと武彦がそう思った時、大きく首を横に何度も振った。今回も人に頼るのにそんな贅沢は言ってはいけない。俺は俺のできることをするまでだ。そう思うと自然とハンドルを持つ手が強くなる。
 彼らは残っている霊たちのいる場所へ着いた。そこではさっそく嵐が首から下げているがま口を開けて、浮遊霊の皆様から嫌がらせをするための依頼料をせっせと集めていた。しかも今回は成仏後ではなく、成仏前にキッチリガッチリ頂こうという算段のようだ。仲間の到着に気づかない嵐はいつもの調子で女性たちに言う。

 「いつもニコニコ現金払い〜♪ もう成仏した人がいるらしいから今回は計画変更なんだな〜。払えない人はさっさといつもいるところへ帰ってほしいんだな。」
 「簡単に言うと、あの人は極悪人ですね。」
 「言うまでもなくな。前もあんな調子だった。」

 そんな嵐は周囲の女性はおろか、シオンや武彦からも悪者扱いされる始末。シュラインが事前に策を与えたおかげもあり、ここで嵐にお金が払えずに自縛霊へ逆戻りする女性は誰ひとりいなかった。ひとまず作戦がうまくいき、シュラインは胸を撫で下ろす。と、そんな彼女の背後からある女性が顔を出した。

 「集合場所はここでいいのかな?」
 「わっ、ビックリするじゃない……もう。」
 「翼か。別にここに来なくても、先に修善寺家へ行っててもよかったんだぞ。自慢のスポーツカーでな。」
 「僕への気遣いなら必要ないさ。むしろ彼女たちの様子を早く見たかったんだ。」

 トップレーサーとして名を馳せる男装の麗人・蒼王 翼は怨念渦巻く女性たちの姿を前にしてそう言った。横に立った彼女をちらりと見たシュラインは思わず息を呑む。それは彼女の瞳が悲しく光っているように見えたからだ。翼が嫌がらせに来たわけではないことは明白である。そんな意味の視線を武彦に送ると、彼もやりきれなさをにじませた表情のまま頷く。

 「あなた、もしかして彼女たちを心配して……?」
 「バレンタインの伝説を由来とするチョコレートのやり取りが人間関係の潤滑油になっていることは確かだし、贈った人も贈られた人もそれで少しでも楽しい気持ちになれるのなら……それは素敵なことだと思わないか。僕が行った先で彼女たちを待つことをやめた理由はそれさ。すさんだ気持ちを持って成仏するなんて、それはそれでかわいそうな話だからね。」

 ふとシュラインはあの日の雪を思い出す。男の幽霊たちは嫌がらせよりも心暖まるプレゼントに癒されて消えていった。バレンタインを楽しむ人間への嫌がらせは同じ境遇の彼女たちを天に昇らせるきっかけにはなるかもしれないが、果たしてそれが本当の解決になるのかどうかはわからない。それに気づかせてくれた翼の言葉はいろんな意味で重かった。シオンもその話を小耳に挟んで大きく頷いている。同じような人が来てくれて嬉しいのだろう。彼は目に涙をにじませながら感激していた。
 しかしそんなシリアスな雰囲気を吹き飛ばす嵐は、がま口の中身を丁寧に確認し終えるとさっそく女性たちを連れて街中へと歩き出す。彼に金を払った以上、見るべきものは見ようという心構えの彼女たちはぞろぞろと嵐についていった。今回はバレンタインで賑わう街を通り、そのまま美童の倉庫に向かう予定だ。武彦が美童本人から話を聞く限り、誰かに対して大掛かりな嫌がらせをするような準備はしていないような気がしていた。しかし天才で金持ちの考えることはよくわからないのが相場だ。その倉庫に行くまでは決して安心できない。
 そしてすでにもうひとり、狩野 宴という心理学者が倉庫で待機中だ。ところが彼女がまたよくわからない性格の持ち主らしく、何をしでかすかわからないとまぁ一癖も二癖もある連中ばかり。このまま翼やシオン、シュラインが思うように進めばいいのだが……一団は街へ向けて進むのであった。


 街は赤い服をきれいに着飾っている。その中をたくさんのカップルが歩いていた。まだ風が冷たい街の中をアツアツのカップルたちが幅を利かせている。自縛霊の女性たちはそれを見ると機嫌が悪くなるらしく、自分の爪を噛んだりカップルを睨みつけたりと女の恐ろしい面を恥ずかしげもなく見せてくれた。
 さっそく嵐は嫌がらせを開始した。年上カップルがいちゃいちゃしているところに飛びこんで、男の脚にしがみついて一言こう叫ぶ。それはあまりにも残酷な一言だった。

 「お父さん、どこ行くの〜?」
 「……えっ、人違いだよ。ボク〜、迷子なの〜?」
 「お父さんって、お母さんじゃない人と今日お出かけ?」

 彼女はそのやり取りを聞くと血相を変える。そしてスーツ姿の男のネクタイを引っ張って顔を引き寄せ、囁くような声で問い質す。

 「あんた……未婚じゃなかったの?」
 「そ、そ、そ、そ、そうだけどぉ?」
 「今の何?」
 「おっ、お前、俺のぉ……俺のことが信じられな」
 「い・ま・の・な・に……!!」

 修羅場とはまさにこのこと。この露骨な作戦に女性たちは口に手を当てながらも肩で盛大に笑っていた。どうやらツボにはまったらしい。女性がゴタゴタを始めた瞬間に嵐は姿を消し、次なるターゲットに向かって襲いかかる。今度はカジュアルな服を着た若いカップルに近づき、彼氏の手を無理やり引いた。そしてそれを彼女のお尻の上でさわさわと動かす。

 「きゃっ! 何すんのよ、街中でっ!」
  パシン!
 「おぅっ……俺じゃない、俺じゃないってば!」
 「じゃあ誰なのよ。誰がしたって言うのよ?!」

 そんなことが彼氏に説明できるはずがない。その隙に嵐は女性の手を使って、戸惑っている彼氏の鼻の穴に指を突っ込んだ! 見事、彼女の指はシュートし、そのままエグい角度でグリグリと回転する……

 「いだだだだっ! お、おいっ、ぞこまでずる必要はないだろ……あがががっ!」
 「だ、だ、だってこんなことしたくなくっても指が勝手に……」
 「お前、さっき俺に同じこと言っておきながらそんなことするのか、ひぃーっ!」

 嵐が仕掛けるトラブルはカップルの数だけ巻き起こる。さすがに立て続けにこれだけのものが起こると幽霊たちも気をよくした。武彦が予想した通り、見事な仕事っぷりである。そんな様子を遠くで見ていると、ひょっこりと嵐が運転席の窓から顔を出した。突然のことに武彦は驚く。

 「うわっ! ってなんだ、お前か。」
 「我輩、そろそろ零ちゃんにご協力をお願いしたいんだな。前みたいにやるんだな〜。」
 「あ、私はチョコを渡すだけですよね。じゃ兄さん、行ってきます。」
 「守銭奴の片棒担ぐのも楽じゃないな……ま、がんばってこい。」

 ちょっとした嫌味を言いながら助手席から妹を送り出す武彦。いつの間にか嵐は自前のタキシードに着替えて零と釣り合う格好をしていた。そしてカップルが数多く通る公園の入口で予定通りの芝居を始める。

 「嵐さん、はいチョコ。」
 「嬉しいんだな〜。我輩、これには言葉もないんだな。これは大した物じゃないけど、零ちゃんにお返しするんだな。」
 「あら……素敵。」

 零に差し出されたのは大きな大きな花束と高価な指輪だ。嵐がわざとらしく大声で喋るもんだから、道行く誰もがその様子を見てしまう。女性はそれを見てはじめて自分が手ぶらだということに気づかされるのだ。彼女たちの心の隙間に嫉妬にも似た声が吹きこむ。

 『私、彼にチョコあげたのに手ぶら……もしかして返す気すらないとか?!』
 『ホワイトデーのお返しなんてただの慣例じゃん。今すぐなんか欲しいなぁ〜。もしかしてこの人ってケチ?』
 『チョコレートだけで結構な値段してるんだけど、ちゃんとこれに釣り合うお返しあるのかな。大丈夫かなぁ。』

 嵐と零のカップルは周囲をどぎまぎさせるには十分過ぎた。仮にも彼氏である人間を疑念の目で見る彼女の姿を見て、幽霊たちは抱腹絶倒の大騒ぎ。しかし何の罪もないカップルたちの被害は計り知れない。さすがに穏健派は完全にこの状況を見て引いた。このまま彼女たちが成仏するならそれもいいが、このままでは生きてる者まで彼女の嫉妬か何かで昇天させられるかもしれない。なんとも言えない不安に襲われるシオンとシュライン。

 「後の祭りっていうか、後が祭りですよ。怖いことしますね〜、嵐さんって。」
 「いったいいくらもらってあれだけのことをやってるのかしら。ホント、信じられないわ。」
 「さすがにフォローできそうなのは疑念を持った女性たちだけか。全員は無理なのは承知の上だ。よし……」

 そうつぶやくと翼は目を閉じ、嵐に気分を害された女性たちの心に働きかける。そして自分が望む明るい気持ちに切り替わるように事象操作したのだ。零たちが見えなくなったところで、彼女たちのもやもやはすっきり改善される。

 『気持ち、だよね。チョコは私の気持ちだから。受け取ってくれた彼に見返りを望むなんて贅沢よね。』
 『そういえば私からしかチョコもらう気ないって秋頃から言ってたっけ。こいつがそうなんだから私も待たなきゃダメか。』
 『釣り合わなくってもいい。だいたいチョコレート選んだのは自分だし。何かで返してくれればそれで幸せよ、きっと。』

 ふたりの仲に溝ができないようにと願い、自らの力を発揮した翼は静かに微笑んだ。これは翼自身がこうあるべきと望んだことで、彼女たちが心の底から思ったことではないことは事実だ。しかしきっとそれが本当の気持ちに変わる時が来るはずだ。彼女はそう信じていた。そしてゆっくりと目を開き、シュラインたちに声をかけた。

 「さぁ、行こう。もう……誰も傷つかない。」
 「……翼さん?」

 シオンが不思議そうな顔で穏やかな表情の翼を見る。嵐の嫌がらせが誰にもわからないように、翼のフォローも誰にもわからない。生ける者たちが感じたひとときの邪念は、まさに不幸な自縛霊となった彼女たちのためだけに存在したのだ。


 幽霊の一団が修善寺家に着くと、まずはその敷地の広さに圧倒される。いくつも建つ大きな屋敷……いったいどこが集合場所なのかさっぱりわからない。武彦も零も困った顔で玄関の門の前で立っていると、美童がいつものようにボディーガードを引き連れてやってきた。どうやら出迎えにやってきたらしい。同じ年の頃の青年に比べて歩幅は短く、ゆったりとした歩き方をする美童。しかし逆にそれが優雅で気品のある態度に見えるから不思議だ。少女に見間違えるほどの美貌を持つ彼を見た一部の幽霊がざわめく。どうやら薄幸の美青年が好みのタイプだという幽霊もいるらしい。

 「ようこそ修善寺家へ。ボクはキミたちを歓迎するよ。さ、あの倉庫へ向かおう。面白いものをたくさん用意したんだ。」
 「こっちもそれなりに面白いものを用意したのよ。シオンさん、悪いんだけどガスコンロ持ってくれない。後は武彦さんと私で運ぶから。」
 「はいはい、荷物持ちくらいならいくらでも。」

 武彦が車に乗せていた物を下ろし始めると、美童は他の連中を倉庫へと導いた。まるで草原のように果てしない芝生の先にあるのは、とても倉庫とは呼べない外見をした建物である。これも実に立派な館だ。だがこれを美童はさらっと『倉庫』と呼ぶのだからスゴい。翼が、そして幽霊たちがその言葉の意味を知るのはすぐのことだった。倉庫への扉が屈強な男の手で開かれ、中の様子が明らかになると全員が首を傾げる。目の前には滑稽とも言える風景が広がっていた。
 屋敷に見えたこの場所が敷居も壁も何もないぶち抜きのだだっ広い部屋、つまり倉庫であることは理解できる。だが、その中心にたくさんの男の幽霊がおり、彼らを取り囲むように円形のテーブルがいくつも用意されていた。幽霊でも飲めるシャンパンやワイン、そして有名店のチョコレートなどが平面を華やかに飾り、曇りひとつないグラスが照明を反射している。一番端のテーブルにはプレゼントが何種類かずつ積まれていた。ちなみにこれらは蓮から購入したものであることは言うまでもない。いったい何が起きるのか……翼は当然のように不安を口にする。

 「………僕にはキミの考えてることがよくわからないんだが。」
 「ボクはレディーには優しいのさ。あそこにいる男たちはどうでもいいんだけどね。まぁ、今日はパーティー、いや合コンでもして楽しんでもらおうかと思ってるんだよ。今日という日はもうすぐ終わる。それまでに新しい恋を見つけてバレンタインを成就させるのもいいと思わないか?」

 荷物を持って遅れて入場したシオンはその言葉を聞いて危うくコンロを落としそうになった。なんと美童が計画していたのは幽霊同士の合コンなのだ! そのスケールの大きさに思わず溜め息する翼とシオン。後からやってきたシュラインもこれは何事かと首を激しく動かした。

 「もうやらかしてる人もいるけどね。さっきから宴さんはあのテーブルで椅子に座ってシャンパンとワインを飲みっぱなしですよ。」
 「いやいやいや、みんなが来るの遅いから先にやらかしちゃってるよ。ははは、やっぱり高い酒はおいしいねぇ〜。かわいい女の子がたくさん来たところでさっそく始めましょうか。美童、主催なんだから乾杯の音頭をちゃちゃっと適当に取ってさ。」
 「言われるまでもなく。さ、皆さん遠慮なくグラスを持って下さい。召使いやシェフがお望みのものをお注ぎますから。」

 乾杯も何も、もうかなりできあがっている感のある宴。彼女は白のスーツをかっちり着こなし、常に片手にはグラスを持っている。武彦は宴を女性と聞いていたが、身長も高くスタイルも抜群で男性に見えなくもないというのが素直な感想だ。この後、彼女がグラスを手放したところを誰も見ることはないのだが……まぁそれはともかくとして、男も女も幽霊は遠慮気味にグラスを取って思い思いのものを注いでもらう。武彦はニヤケながらここぞとばかりにビールを頼むが、シオンが控え目にオレンジジュースを頼んでいるところを見ると飲みもしないうちから絡み始めた。

 「おいおいシオンよ、こういう宴会でそれはないだろう。ゴメンゴメン、この人もビールで〜!」
 「私、お酒ダメなんですって。それこそぐでんぐでんになっちゃって何のお役にも立てなくなりますよ。いいんですか?」
 「じゃあ聞くがよ、お前……美童と宴の態度を見てここから何かができるとでも思ってんのか?」
 「……もしかして草間さん、つまりそれってヤケ酒ってことですか?」
 「まーまーまー、そんなことは気にせずに。ビールっ、ビールにしましょうっ!」

 すでに酔った感のある武彦の様子に異変を感じたシオンは周囲を見渡す。おかしい。たった今、乾杯の音頭を美童が優雅にこなしているのに幽霊たちはすでに武彦と同じくもうできあがっているようだ。さっきシュラインに頼まれてシオンが運んだガスコンロはチョコレートフォンデュを作るための道具のひとつで、シュラインと零がせっせと板チョコを大きな鍋の中に何枚も何枚も割り入れていた。しかしその製作工程はふたりの性格からは考えられないくらい適当で大雑把。それこそ宴が全員に乗り移ったかのような感じである。嵐はフライングでシャンパンをラッパのみする始末だ。
 その異変は自分の身にも襲った。シオンは一滴も酒を口にしていない。武彦が頼んだビールすらはまだ手元にない。なのに自分も少しずつ酔い始めているのだ。これは明らかにおかしい……壊れかけ寸前まで来た時、隣に翼がやってきた。なぜか彼女だけはこの状況でも平然としていた。シオンはそれが不思議でならない。

 「な、なんで……翼さんだけ大丈夫なのへすか?」
 「あの宴という女性が精神波を出しているんだ。『酔っ払えばいいんだよ、楽しくやろうよ』という波動をな。見てみろ、いつの間にか右目の眼帯を外している。おそらく右目にその力を宿しているのだろう。この術は僕には通用しないが、ここにいる幽霊たちになら通用する。ましてやキミのように精神攻撃に抵抗のない能力者も……」
 「くしゃましゃ〜ん、ビールまだぁ??」
 「まぁ、こうなるというわけだ。とりあえず僕は素で乾杯させてもらうがね。」

 翼の説明の途中でぶっ壊れたシオンもまた宴の術中にハマってしまった。未成年の美童は体質の問題もあり周囲がアルコールを飲ませないよう、それに見せかけた飲み物を注ぐ。そして彼の乾杯を合図にとんでもない合コンが始まった。何と言っても、飲みもしないうちからすでに全員できあがってしまっているのだから。酔った勢いでアタックする男性はともかく、女性も積極的にそれをするのだから場は混沌となる。
 美童はすでに武彦から「今日までに女性がすでにある程度成仏している」という情報を聞いていた。彼がデーモンを使役して捕獲した幽霊は100人キッチリ。ということは女性の数の方が少なくなっているからある程度の配慮が必要だ。そう考えるのが普通である。そのことを事前に宴にもそれを説明したが、彼女はそんなことお構いなし。自分の気に入った女の子を男の幽霊どもに遠慮することなく捕まえては自分のテーブルに好きなだけ呼んで、まさにハーレム気取りで自分なりに楽しいひとときを過ごしていた。

 「う〜ん、君は本当にきれいな瞳だね。死んでるのがもったいないくらいだよ。」
 『ま、またそんなぁ……』
 「遠慮することはないよ。本当のことなんだから。」
 『え、宴さん……♪』 

 もう眼帯はスーツの胸ポケットに入れてしまっている。宴の両目は能力全開、魅力全開で次々と女の子を口説いていく。ワインを注いでもらってはそれを煽り、また色気たっぷりの言葉で幽霊の娘たちをその気にさせていくのだ。もう宴はこの依頼を引き受けて大満足。言うことなし。
 酒が入ったことでますます倉庫内はヒートアップ。幽霊たちが鍋を囲んでのチョコレートフォンデュはシュラインがあらかじめ用意したフルーツだけでは間に合わず、続きは美童が部下に用意させた最高級のもので舌鼓を打った。やっぱり女はいくつになっても甘いものが大好き。だから参加しているのは女性だけ……と思いきや、甘いものが大好きな男もその輪の中に混ざっていたのだ。宴の力で妙な線引きをされることもなく、遠慮なくその場に受け入れられる男たち。チョコレートフォンデュの食べ比べをネタに、即席のカップルが何組かできていた。

 「シュラインさん、なんかいい感じになってますね〜!」
 「そうね、零ちゃん! なんかいい感じ〜!」

 ふたりはすでに『何がどういい感じ』なのか理解できていなかったが、確かに状況は悪くない。これがいいきっかけになっていることは間違いない。いくらでも食べられる甘いお菓子を飽きもせず楽しむ集団がいるかと思うと、美童は用意された椅子でノンアルコールの飲み物を優雅に煽りながらその状況をつぶさに見ていた。まさか自分まで酔わされているなどとは微塵も思っていない。

 「ふふふ、どうだいボクのアイデアは。これでみんなまとめて昇天さ。」
 『美童くん、素敵だしき・れ・い♪』
 「我輩が行く先々で気分を盛り上げたから、この合コンは成り立ってるんだな。その辺は忘れて欲しくないんだな。」
 『嵐ちゃんも偉いよー!』

 シュラインのチョコレートフォンデュ大会、宴のハーレム、そして美童と嵐の周囲にも多数の女性が集まっている。ところどころでは美童のバレンタイン作戦を実行する男女が少なからず存在し、会場の隅の方で話を弾ませるカップルもいた。しかしこれではせっかく集められた男の幽霊がかわいそうだ……と誰もが思うかもしれない。ところがそこはハードボイルドを自称する草間 武彦と酒であっけなく壊れたシオン・レ・ハイが身を粉にしてがんばっていた。なんと倉庫の奥では男だらけの大宴会が行われていたのだ。もうここだけは治外法権で無法地帯。一芸や身の上話を誰も彼もが勝手に披露するハイテンションかつトリップでドリップな空間になっている。しかもここには美童のボディーガードも数人参加していた。

 「お前偉いなぁ、幽霊になってもそうがんばってんのかぁ!」
 『うう、そうっす。俺、胸張っていいっすか?!』
 「胸を張りましょう! 張りましょうっ!!」
  バチンっ!

 シオンは言葉の意味を思いっきり取り違えて幽霊の胸を張り手でドツく。しかしそんなこと誰も気にしない。幽霊は感動の涙を流しながら腰に手を構え一言「オス!」と叫ぶと周囲から喝采を浴びた。もはや盛りあがることに理由などない。この倉庫はもはや収拾のつかない宴会場と化してしまっていた。

 そんな中、たったひとりだけ酔いのパワーから逃れていた翼が少し遠慮気味にしている女の幽霊たちにある贈り物をしていた。実は彼女、先に修善寺家の駐車場に車を止めてからあの場所へ向かっていた。その車の中には彼女たちがそれぞれ好きな色の花束と翼の手作りトリュフが静かに出番を待っていた。彼女は車まで行き来する苦労を惜しまず、ふとそれぞれの宴会から離れた幽霊たちにそれを贈る。

 「バレンタイン、おめでとう。これはキミへのプレゼントだよ。」
 『えっ、この花束は……なんで翼さんには私の好きな色がわかるの?』
 「ふふ、風が教えてくれたのさ。喜んでくれて嬉しいよ。」

 翼はそう言いながら透けそうな肩に手を置いて微笑んだ。彼女のやさしさは宴会が終わるまでには分け隔てなく配られる。もちろんシュラインや零の分も用意していたが、それは明日でもいいだろうと敢えて今渡すことは控えた。


 宴会がいつ終わったのか。それは誰も知らない。
 しかし夜が明ける頃には、あの幽霊たちは影も形もなかった。女性はおろか男性までも……広い広い倉庫には彼らを成仏させようとがんばった連中がやすらかなに眠っていた。彼らは皆、即席の椅子のベッドに寝かされている。チョコレートフォンデュのかすかな匂いを嗅ぎながら、今は夢の中で宴会をしているのだろう。宴は出会った女の子の名前を何度もつぶやいていた。
 朝日が差しこむ窓を見ながら壁を背にしてたったひとり翼が立っていた。青天井の盛り上がりを見せる宴会にストップをかけるため、日が変わる前にまず生ける者すべてを眠らせたのだ。そして幽霊たちにそろそろ時間であることを告げる。それは行くべき場所へ向かえるかどうかの問いかけでもあった。成仏できるかどうかは本人たちにかかっていたが、彼ら彼女らは誰ひとりとしてそれができないとは言わなかった。翼は小さく頷き、少しだけ寂しそうに「そうか」とつぶやく。そして全員を空の見える修善寺の庭へと連れ出し、そこで全員が消えていくのを見送った。その数、実に200人近く。なかなかやろうと思ってもできない仕事だ。翼は全員が消えた後「ふうっ」と息をつくと、祭りの後となったあの倉庫へと戻っていった。
 あれから彼女は寝ていない。ここで寝てしまうと起きた時に何とも言えない寂しさが心に残るような気がしてならなかった。それはシオンにせよ、シュラインにせよ同じことだろう。自分にはそれが耐えられない……だから今まで起きているのだ。

 こうしてバレンタインの大騒ぎは幕を閉じた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/ PC名 /性別/ 年齢 / 職業】

0086/シュライン・エマ /女性/ 26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2863/蒼王・翼     /女性/ 16歳/F1レーサー・闇の皇女
3356/シオン・レ・ハイ /男性/ 42歳/びんぼーにん(食住)
4378/豪徳寺・嵐    /男性/144歳/何でも卸問屋
0635/修善寺・美童   /男性/ 16歳/魂収集家のデーモン使い(高校生)
4648/狩野・宴     /女性/ 80歳/博士・講師

(※登場人物の各種紹介は、受注の順番に掲載させて頂いております。)

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■         ライター通信          ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。今回はバレンタインを舞台にした物語でした。
実はクリスマスをやった時点で決めてました。「あ、バレンタインもやろう」って。
今回はなんかドタバタしてスゴいことになってます。詳しくは本編をどうぞ(笑)。

シュラインさん、興信所を毎回ヒドい目に遭わせて本当に申し訳ありません(笑)。
武彦さんとのコントから本格的な調査、そして零ちゃんとの大はしゃぎなど大活躍!
宴の後にシュラインさんはいったい何を思ったか……それはご想像にお任せしますね。

今回は本当にありがとうございました。皆さんのおかげで物語が盛り上がりました!
それではまた、別の依頼やシチュノベなどでお会いできる日を心から待っています!