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『逢魔封印』
春一番が吹いたという。
ただ、まだそこここに冬の残滓が見られ、本格的な春には遠い。
フェンドは、青い空を眺めながら、ゆっくりと人通りの少ない道を行く。
(ん?そういや……)
そこで、目的としている場所の途中に、顔馴染みの店があることに思い当たり、彼はちょっと立ち寄ってみることにした。
「……臨時休業?珍しいこともあるもんだ」
占いグッズ専門店『瑪瑙庵』。そこは、店の内容とは裏腹に、外見は古びた小さな日本家屋である。その戸口に、筆文字で書かれた『臨時休業』という木の札が掛かっていた。
フェンドの記憶にある限り、この店が休んでいるなど聞いたことがない。
「まぁいっか」
そう呟くと、彼は再び目的地へと向かい、歩き出した。
閑静な住宅街の一角にある、広大な日本家屋。
その巨大な門の前に、一人の男が立っていた。群青色の和服に、茶色く染めた長髪がミスマッチである。
フェンドは、その後ろ姿に見覚えがあった。
「……瑪瑙?」
試しに声を掛けてみる。すると、男が振り返った。フェンドが予想した通り、男は先ほど立ち寄った『瑪瑙庵』の店主、瑪瑙亨だった。顔を顰めていた亨の表情が緩む。
「ああ、フェンドさん、こんにちはぁ。こんなところで会うなんて奇遇ですねぇ」
いつものように間延びした声に、いつものような笑顔。ただ、そこに潜む影を見逃すほど、フェンドの目は節穴ではない。
「よぅ、正月以来だな。物騒な顔して、この家に何か用か?」
「そういうフェンドさんこそぉ、このお宅にご用があるんですかぁ?」
「ああ、ここの旦那がウチの店のお得意さんの一人でな。嬢ちゃんの具合が悪いってんで、見舞いの品を持ってきたんだ」
フェンドは、本来の目的には触れないように、簡単に説明をする。だが、そこで亨の目が妖しく光った。
「……どうやら、目的は同じようだ。俺も同行させてもらう」
豹変した亨の態度に、いまさら驚かされるようなフェンドではない。彼はニヤリ、と不敵に笑うと、言葉を発した。
「ああ、いいぜ。その代わり、説明だけはしてもらおうか」
門の脇についていたインターフォンを押すと、暫くして若い男の声がスピーカーから流れてくる。
『はい。どちらさまでしょうか?』
「俺だ」
聞き覚えのある声であることを確認すると、フェンドは端的に答えた。一瞬の沈黙の後、声の主は、丁寧に返事を返してくる。
『畏まりました。暫くそちらでお待ち下さいませ』
少しの間の後、奥の方で扉が開く音がし、続いて小走りに駆けてくる足音がした。やがて、門が開けられる。
現れたのは、黒い短髪に、和服を着た男。どことなく朴訥な印象を受ける。彼は、フェンドを見て、明らかにホッとした顔をした。その表情には疲労の色が濃い。
実は男は、フェンドと同じセイの一族だった。しかし、そのことはこの家には秘密にしており、偽名を使って使用人として働いていた。そして、もうひとつ秘密にしているのは、ここの一人娘と恋仲であること。今回の事態に困り果てた彼は、密かに一族の長であるフェンドに相談を持ちかけてきたのだ。
「で、ではこちらへどうぞ」
男がフェンドと亨を門の中へと招き入れる。亨を最初見たときには、一瞬驚いたような顔をしたが、助っ人か何かだと納得したのか、深くは追求してこなかった。
三人は、綺麗に整備された日本庭園を突き抜け、奥へと向かう。
暫く歩くと、やがて家の入り口へとたどり着いた。立派な木の引き戸を男が開けると、奥から和服姿の女性が覚束ない足取りで出てくる。
「……あら水崎、お客さまなの?今はどなたもお通ししないでって言ったのに」
「申し訳ありません、奥さま。旦那さまがご懇意にしていらっしゃる琳琅亭の方が、京都からわざわざお見えになったものですから……」
「そうなの。それなら仕方ないわね」
そこで、初めて女性はフェンドと亨を見、明らかにぎょっとした顔をした。黒一色の服にスキンヘッド、サングラスというフェンドの風貌が怪しげだからであろう。
女性は、五十代くらいだろうか。髪を結い上げ、上品に着物を着こなした姿は美しかったが、頬は削げ、目は落ち窪み、やつれていた。黒い髪には白髪が数本混じっている。
それでも彼女はゆっくりと床に座ると、三つ指を立て、『亨に向かって』静かにお辞儀をした。
「お初にお目に掛かります。わたくしは、西条の妻の静、と申します。いつも主人がお世話になっております。わたくしも幾度かお伺いしましたが、琳琅亭さまのお料理は大変美味しゅうございまして……」
「お初にお目に掛かります。京都の琳琅亭のセイと申します。そのようなお言葉を頂けて光栄です」
流石にこのまま勘違いをされつづけるのも困るので、フェンドは早めに訂正することにし、静の言葉を遮って、挨拶をした。すると、彼女は弾かれたように顔を上げ、口に手を当てる。
「あ、あら……わたくしったら、とんだ勘違いを致しまして……本当に申し訳ございません……どうぞお許し下さい」
「いえ、どうかお気になさらないで下さい」
スキンヘッドにサングラスを掛けた強面の大男と、茶髪とはいえ、和服を着て穏やかに笑みを浮かべている男のどちらが京都の有名な老舗料理店の関係者に相応しいかを考えると、静の勘違いは致し方ない、と言えるかもしれない。
「お嬢様がご病気とお聞きし、お見舞いに伺いました。琳琅亭一同、一刻も早いご回復を心よりお祈りしております」
フェンドはそう言うと、手に持っていた見舞いの品を静に差し出す。彼女は「ご好意、痛み入ります」と言うと、恭しくそれを受け取った。
「それから、先日お越し頂いた際に、お嬢様よりご依頼された品を持って参ったのですが、必ず御本人さまにお渡しするよう店主より厳命されておりまして……」
続けて言ったフェンドの言葉に、静の表情が目に見えて曇った。彼女は暫く視線を彷徨わせてから、おずおずと言葉を発する。
「あ、あの……娘の小夜子は、現在お客さまとお会いできるような状態ではありませんので……そのお品物はわたくしの方でお預かり――」
「今、お宅にいらっしゃるのは、奥さまとお嬢さまだけですか?」
そこで、それまで黙っていた亨が、唐突に口を挟んだ。
「え?……ええ、主人は仕事で外出中ですし、少々事情がありまして、今自宅におるのは、わたくしと娘、あと、この水崎だけでございますが……それが何か?」
「それなら都合がいい――これを見て下さい」
亨は懐から一枚のタロットカードを取り出す。
『月』のカード。
それに視線を合わせた途端、静は床に崩れ落ちた。
「お、奥さま!――貴方、一体何を!?」
慌てて静に駆け寄り、非難の声を上げる水崎に、亨は笑顔を見せた。
「大丈夫。ちょっと幻覚を見てもらっているだけだ。あまり良いカードではないが、現状よりはマシな夢を見てるはずだ。暫くしたら目覚める」
「おいおい……瑪瑙、やり口が強引だぞ」
「仕方がないだろう。手段は選んでいられない」
呆れたような声を出すフェンドに、亨は平然と答える。
「そうだな……とりあえず、嬢ちゃんの部屋まで案内しろ」
フェンドの発した言葉に、水崎は戸惑いながらも頷いた。
小夜子の部屋は、離れにあるらしい。
水崎の案内で、渡り廊下に差し掛かったとき、フェンドが顔を顰めた。
騒々しい『音』。
頭の中を、遊び盛りの子供が走り回っているような感覚。
「フェンド、大丈夫か?」
「ああ……しかし、騒がしくてかなわねェ」
亨が掛けた声に、フェンドがこめかみを擦りながら答える。
その理由は、小夜子の部屋に入った瞬間に分かった。
部屋にある物体が、文字通り空中を飛び回っている。
中央には、布団に寝ている人の姿。よくは見えないが、あれが小夜子だろう。
「ポルターガイストか……」
亨がそれを見て呟く。水崎は、ただ呆然とその様子を眺めていた。
「瑪瑙、封印するんだろ?さっさとやってくれ」
「ポルターガイストは金にならない」
「がーっ!この腹黒占い師が!!」
あくまでさらりと言う亨に、フェンドは呆れるしかない。
「それに」
「それに?」
「ポルターガイストは、唯一動いていない物を壊せば、自然と収まる」
「じゃあ、さっさとやれ」
「視界が悪くてどれが動いていないか分からない」
確かに、亨の言うことも最もだった。あまりにも物が飛散しているために、動いていない物を見つけるのは難しい。
「仕方ねェな……」
フェンドは溜め息をつくと、意識を集中した。
騒々しい『音』の所為で、中々目的の物を探し出せない。
頭痛を堪えながら、彼はさらに『耳』を研ぎ澄ませた。
水に描き出される波紋の中心のように、静かな一点。
「あれだ!」
空中を舞っていたブロンズ製の人形を片手で掴むと、フェンドは部屋の片隅に向かって投げつけた。
陶器の割れる音がする。
と同時に。
空中にあった全ての物の動きがぴたりと止まり、それが一気に落ちてきた。
「小夜子さん!!」
水崎が悲鳴のような声を上げ、寝ている小夜子へと駆け寄ろうとした。しかし、物が落ちてくる速度の方が速い。水崎の目の前にもテーブルが落ちてきて、彼の行く手を遮る。
辺りが静かになる。
全ての物は、小夜子の寝ている場所だけを避けて散らばっていた。
安堵の息が、誰からともなく零れる。
「どうやらこれからが本番みてェだ。お前は外に出てろ」
「しかし……私は……」
「俺たちが何とかする。心配するな」
フェンドの言葉に、水崎は抵抗したが、一族の長の言葉には逆らえない。彼は、肩を落としながらも、ゆっくりと頷くと、名残惜しそうに後ろを振り返りながら部屋を出て行った。
そして、フェンドと亨は、寝ている小夜子へと近づく。
彼女は、見ている者の胸が痛むほどにやつれ果てていた。
顔は蒼白く、目の下にはくっきりと黒い隈が出来ている。恐らく母親似なのであろう日本的な美しさを湛えたその顔は、苦しそうに歪められ、口からは荒い息と、時折うめき声が漏れる。
「恐らく、インキュバスの類だな……精気を吸い取られている」
亨が抑揚のない声で呟いた。
「かなりヤバそうだ……『音』が弱くなってやがる」
フェンドの言葉に、亨も頷く。
「しかし、出てくる気はなさそうだな」
「何とか脅してでも出せないものか……いや、待てよ」
ポルターガイストが収まって部屋の中の物が落ちて来たとき、『小夜子の上だけ』を避けていた。それはつまり、彼女の体を傷つけられると困るからではないのか。
「一か八かだ。嬢ちゃんの心臓を止めて、仮死状態にする」
そう言うと、早速フェンドは小夜子の心臓の脈動を止めた。
暫しの沈黙。
あまり長く心臓を止めていると、彼女は本当に死んでしまう。
ぎりぎりの賭け。
もう、これ以上は無理だ、と思ったその時――
小夜子の体から、何かが飛び出してきた。
フェンドは急いで、能力の使用を止める。
小夜子が、また息をし始めた。
そして空中には、ボロボロの着物を身に纏った、男の姿が現れていた。
『お前らか!私の邪魔をするのは!!』
「何故、こんなことをしやがる?」
フェンドの問いに、半透明の男は、耳障りな笑い声を上げる。
『私はかつて、この家に丁稚奉公に来ていた身だった。そして、お嬢さまと恋に落ちた。だが、それを知ったこの家の連中は、身分不相応だと言って、私とお嬢さまの仲を引き裂き、私を追い出したのだ!私はそれを呪いながら、自ら命を絶った。この家の者に、いつか復讐すると誓って!!』
「馬鹿じゃねェのか?お前」
フェンドが、心底不機嫌そうな声で言う。
「男ならな、嬢ちゃんかっさらって駆け落ちするくらいの根性見せたらどうなんだ?え?勝手に自分で諦めて、勝手に死にやがって、それで今度は復讐だと?全部人の所為かよ。お門違いもいいとこだ。最低な野郎だな……瑪瑙、こんな奴、さっさと封印しちまえ」
『お前らなんかに、私の気持ちが分かるものか!!この娘は、必ず私がとり殺す!!普通に成仏など絶対にさせない!!未来永劫苦しませてやる!!』
そうヒステリックに叫び、男は小夜子の体に戻ろうとする。
「――させるかよ!」
霊体にも、振動するものがある。
即ち、『音』が。
フェンドは、意識を一点に集め、男の霊子の振動数を下げていく。
『や、やめ――』
「フェンド、もう少し弱らせてくれ!」
亨が、懐から白いカードを取り出しながら言う。
『音』が。
ぶつかる。
回転する。
それは、どんどん緩やかになっていく。
「我が言葉は鎖なり!彼の者を捕らえる檻と化す!」
亨が、叫んだ。
「――逢魔封印!」
眩い光がカードから発せられ、触手のように男を絡め取ったかと思うと、カードの中へと引きずり込んだ。
「……あなたたち……誰……?」
「おう、嬢ちゃん、気がついたか」
程なくして、小夜子が目を覚ました。フェンドと亨は、それを見て微笑む。
「私……とっても怖い夢を見ていたの……」
小夜子がか細い声で、言葉を発した。
「怖い夢は、もう終わりだ。これからは、楽しいことだらけだぜ」
そう言って、フェンドは手に持っていた包みをそっと渡す。
「これ……琳琅亭のお菓子……?あなた、琳琅亭の人なの?」
「ああ、そうだ」
「ありがとう……この和菓子、美味しかったから……どうしても……バレンタインに、水崎さんに渡したかったの……今日、何日?」
その問いには、二人とも答えなかった。
「日付なんか関係あるかよ。大事なのはココ、だろ?」
そう言って、フェンドは自分の左胸を人差し指で数回叩いた。
「そうね……ありがとう……また、お料理食べに行くね」
「おう、待ってるからな」
三人は、穏やかに微笑む。
窓からは、柔らかな西日が差し込んで来ていた。
「あぁ、肩こった……」
「フェンドさん、お疲れさまでしたぁ」
帰り道。フェンドと亨は、肩を並べて歩く。
「瑪瑙、結局お前、殆ど何もしなかったじゃねェかよ」
「封印はしましたよぉ」
そう言って、亨は手に持ったカードをひらひらさせる。口調も、いつものように間延びしたものに戻っていた。
「……それから、今さら猫被ったって遅ェぞ」
「さぁ、何のことでしょうねぇ……さて、そろそろぉ、戻ってぇ、明日の店の準備しないとぉ」
「どうせ客なんか、姉さんと嬢ちゃんしか来ねェだろ」
「それは、言わない方向でぇ……」
フェンドの的確な指摘に、亨は情けない顔をする。
「じゃあ、ここでぇ。また店に遊びに来て下さいねぇ……これからも宜しく頼むよ、フェンド」
そう言って片目をつぶり、背中を向けた亨に向かい、フェンドは片手を挙げる。
「全く……面白い奴だぜ」
それに答えるかのように、空を舞う鳶が、高い声で鳴いた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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■PC
【3608/セイ・フェンド(せい・ふぇんど)/男性/652歳/【風鈴屋】】
■NPC
【瑪瑙亨(めのう・とおる)/男性/28歳/占い師兼、占いグッズ専門店店主】
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■ ライター通信 ■
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■セイ・フェンドさま
こんにちは。いつも発注ありがとうございます!鴇家楽士です。
お楽しみ頂けたでしょうか?
今回は、セイさん一族である使用人さんの名前で、かなり悩みました。フェンドさんが日本語名ではないので、カタカナ名にしようかとも思ったのですが、旧家の使用人、ということで、何となくしっくり来ないものがありまして……なので、あえて彼の名前は偽名、ということにして、日本語名にしてみました。
そして、オープニングでも宣言したとおり、亨は封印以外は何の役にも立っていません(爆)。
……あ、一応奥さんは昏倒させましたが(笑)。
そして、今回は、プレイングも踏まえ、亨とフェンドさんの距離を、少し縮めてみました。勝手に呼び捨てにしてしまい、すみません。これから先、もっと仲良くなる……かも。
あとは、お話を楽しんで頂けていることを祈るばかりです……
それでは、読んで下さってありがとうございました!
これからもボチボチやっていきますので、またご縁があれば嬉しいです。
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