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おまじない
*オープニング*
最初は、良くある恋のおまじないだった。占いなら当たるも八卦当たらぬも八卦と言うが、おまじない等と言うものは端から見れば単なる気休めである。が、年頃の少女達には恋愛は重大な問題であり、おまじないはその為の重要なプロセスなのであった……。
どこで聞いたおまじないだったかは忘れてしまった。でも、凄い効果があると聞いて、これは絶対やらなくちゃ。そう思った事だけは確かだ。
用意するものも簡単。白い紙と朝露。これは赤い薔薇の花弁に溜まっているのを集めるのが一番効果的だから、赤くないけど庭のピンクの薔薇の雫を集めた。後は緑色のボールペンとピンク色の蛍光ペン。これで、全部。
まずは、白い紙の上にピンクの蛍光ペンで図案を描く。教えて貰った通りに描…いたつもりだけどちょっと歪んじゃった。だって、見せて貰った見本のあの紙、透き通るぐらいに薄っぺらでくしゃくしゃだったんだもん。でもま、いいか。
で、それから指先に朝露を付けて図案の上をなぞりつつ、好きな人の名前を心の中で唱えて…。
「それで、どうなったんですか?」
少女の話を聞いているのは武彦ではなく、零だ。白い紙や朝露はともかく、蛍光ペンだなんて妙に現代的ね、といろいろ突っ込みたかったが、神妙な顔の依頼者に向かってはさすがに出来なかった。ソファの向かい側で今にも泣きそうな顔をしている少女が鼻を啜り上げる。
「そうしたら…図案の真ん中からモクモクっと白い煙が湧いて出て来て…」
それと共に、見た事もないような化物染みたイキモノが現われた。牛でもない、羊でもない、猫でも犬でもない、そのどれでもなくどれでもありそうな混沌たる生き物。明らかにそれは魔物だった。
その魔物が、くぐもった声で少女に告げたのだ。
【貴様の願いを叶えよう。そいつの首を必ず狩って来てやろう】
「ええっ!?」
驚いた零が思わず叫ぶ。少女もついには、わぁっと泣き出してしまった。
「どうしよう、恋を叶えてくれる筈のおまじないだったのに!一週間以内に殺されちゃう!」
言葉を失った零だったが、そこは長年の武彦との付き合い。既に彼女の頭の中では、助力を求める誰かの顔が幾つか浮かんでいたのだった。
*1*
「阿呆か」
いきなり、ざっくりと景気よく袈裟懸けに切り捨てられ、少女は思わずびくりと身体を竦ませる。そんな少女の怯えた様子を気にかけた様子など微塵もなく、上総・辰巳はぎろりと少女を見下ろし、睨み付けた。
「そんなものに頼って、あれやこれやと材料を集めて準備をするぐらいなら、とっとと行動に出た方がどれだけ実りがある事か。自分ひとりの妄想だけで終わらせるならともかく、ついうっかり呪いが掛かってしまっただと?同情の余地もないな」
吐き捨てるような辰巳の言葉に思わず泣き出しそうになる少女の肩を、瞳・サラーヤ・プリプティスが優しく抱き寄せた。
「…そんな…厳しい事…言わないであげて……この子だって…好きで、呪いを…掛けた…訳じゃないのだから……」
細い声で、でもはっきりと瞳はそう抗議をする。勿論、瞳の言葉に感じ入った様子もなく、辰巳はふんと顎を尖らせただけだったが。
「上総さんの仰る事はご尤もですが、現実問題、呪いが掛かっている事は事実ですわよね。このまま見殺しになさるおつもりなのかしら?」
篠宮・夜宵が、たおやかな手の指を頬に宛がいながら小首を傾げる。それに対しても、辰巳は目を眇めて夜宵の顔を見るだけだった。そんな様子を少し離れた所から眺めていたセレスティ・カーニンガムが、小さく口元で笑いながら車椅子の車輪を軽く回し、皆に近づいた。
「夜宵さんの仰る通りでしょう。幾ら面識のない方とは言え、このまま見捨ててしまっては目覚めが良くないのでは?」
「いや、何とも思わん」
あっさりそう答えられ、セレスティも笑うしかないようだ。言葉に笑みを滲ませつつ、セレスティが辰巳を見上げる。
「しかし、ここで何もせずに状況を見守っているだけだったら…きっと、評判は下がると思うのですよ」
「評判…?…誰、の……?」
…草間…さん、…?と瞳が付け足して、少女の背中を宥めるように撫でながら首を傾げる。セレスティは緩く首を左右に振った。
「それもそうですが、それ以上に、この依頼を手伝ってる私達の、ですよ。役に立つだろうと言う事でここに集まったのに手も足も出なかった、なんて噂が広がったら…」
「…それは由々しき問題だな」
本当は、そんな事は全然思ってもいなかったが、じーっと訴えるように自分を見詰め続ける少女と瞳の視線に根負けしたよう、辰巳が諦めの溜息混じりに小さく頷いた。
「と、纏まった所で…いいですか?」
一瞬、場が静まり返った時を逃がさず、零が一歩前に進み出る。その傍らには制服姿の海原・みなももいた。
「纏まったかどうかは分かりませんけど、一応、解決させようとの方向は纏まりましたわ」
夜宵がそう言って、念の為に辰巳の方を見ると、何か言いたげな表情ながら辰巳は、取り敢えずのようにひとつ頷く。
「さっき、皆さんがお話している間に零さんと相談していたのですが、まずは彼女が執り行ったおまじないが、本物だったかどうかを確認した方がいいんじゃないか、って思ったんですけど」
「本物だったら…って、…でもわたし、ちゃんと教えて貰って…」
「いい加減にしろ、本物じゃなかったから、相手の男に死の呪いなんぞが掛かってしまったのだろうが」
横目で辰巳に睨まれ、少女はまたびくりと身体を竦ませる。瞳が、大丈夫よと言うようにその髪を撫でた。
「大丈夫…そんなに怯えなくても…あなたを…責めている訳じゃ…ないから……」
「いや、今のは思いっきり責めてたでしょう」
間髪入れずにセレスティが突っ込む。それはともかく、と話を引き戻した。
「あのおまじない自体は本物だったとしても、手順を間違えたり使用する道具が違ったりすれば、本来の意味を失って違うものに変わってしまう可能性はありますから」
「ええ、それに、もしかしたら、おまじないはおまじないでも、恋のおまじないじゃなかったかもしれないですしね?」
みなもがそう言うと、セレスティがそうです、と小さく頷く。夜宵が、少女に視線を向けた。
「そのおまじない、どこでお知りになったのかしら?先程、教えて頂いたとか仰っていたようですけど…」
「ええと、…わたしが本屋で、おまじないの本を立ち読みしてたら、知らない人が声を掛けてきたの。恋のおまじないに興味ある?って」
「知った奴か?」
辰巳が短い言葉でそう尋ねると、少女は首を左右に振る。
「ううん、知らない女の人。で、このサイトに詳しいやり方が載っているから、それを見てみたら?ってメモをくれたの。んで、ついでに、書く図案はブラウザでは見難いから、これをあげる、って…」
「親切な方もいるものですわね。…少々胡散臭い気もしますけど」
「サイトのURLを…って事は、きっと他にもそのサイトを見た人がいるでしょうね。同じように、図案の見本まで貰ってる子も、もっといるんじゃないかしら」
「その可能性は高いでしょう。…みなもさん、夜宵さん、お二人は現役の女子学生ですから、これに関する噂とか聞いた覚えはありませんか?」
セレスティが二人に尋ねると、夜宵とみなもが同時に小首を傾げた。
「私の学校では聞いた事ありませんわね。ミッション系だからかしら、魔術に関連する事柄は敬遠されがちですもの」
「おまじない、ってだけならうちの学校でも流行ってましたけど…同じおまじないは聞いた事がないですね。尤も、こう言うのって結構、学校単位で流行る事が多いから、もしかしたら他の学校では同じおまじないが流行ってるかもしれませんけど」
「その辺りを調べようと思ったら、いろいろな学校に聞き込みに行くしかないな。…だが、このまじないの普及率を調べても、今はどうにもならんだろう」
「…それよりも、…彼女が執り行ったおまじない…あれが本物だと仮定して……どうして、…誤ってしまった、か…それを特定…してみる方が…いいんじゃ、ない…かしら…」
「そうですね。魔術の一種なら恐らく文献があるでしょう。あなたが貰ったと言う見本の図案、今も持っていますか?」
セレスティの問い掛けに、少女がこくりと頷く。鞄の中をごそごそと探り始めるが、中には同じような用紙が一杯入っているらしく、探し出すのに苦労をしていた。
「…彼女が捜し物をしている間に、私、ちょっと出掛けてって参考になりそうな本とか捜してみますね」
「私も行きます。一人より二人の方がきっと早く済むでしょうし。手っ取り早いのは、蓮さんのお店かな、って思うんですが」
「確かに、あの店には、何だかよく分からない本が一杯ありましたもんね」
みなもの名乗りに、零が挙手をして同行する事にする。では、と二人は連れ立って草間興信所を後にした。
*2*
「さて、その間に私達はネットでも調べましょうか。その、さっき話に出たサイトとやらを覗いてみましょう」
「それは構わんが、相手の男はほっといていいのか。…まぁ僕はそいつに興味はないから、どうなろうと構わないのだが」
「ですが、そのお相手が誰なのか分からない状態では、警護したくても出来ませんしねぇ」
セレスティが苦笑いをして少女の方を見る。おまじないの効果が解けるからと、どうしても口を割らない少女の頑なさに、いっそ感心する思いだ。その視線と笑みの意味を問うて夜宵が首を緩く傾げる。少女の傍らで優しくその背に手を掛けたままの瞳が、少女の言葉を代弁した。
「……相手の、人の、名前…口にしてしまうと…折角、掛けたおまじない、の効果が…消えてしまう、って…」
「あら、でも、無効になってしまうのなら、口にした方が良いのではありませんの?無効になれば、死の呪いも一緒に消えてなくなるかもしれませんのに」
夜宵がそう言うと、今度は少女自身が、黙って首を左右に振った。
「…違うの…あのおまじないをする前に、他のおまじないも掛けたの。それは上手くいったから、それの効果が消えちゃうと厭だなぁ、って…」
「…他の、…って…おまじないって、そんなに幾つも掛けるものなんですか?」
目を瞬いてセレスティが尋ねるも、その辺は少女も良く分かっていないのか、さぁ、と首を傾げただけだった。辰巳が、それ見た事かと言わんばかりに溜息を零す。
「話にならんな。やっぱりお前が盾になって身代わりになってこい。ついでにその男と家族に土下座でもして謝罪して来るんだな。それが責任ってもんだろう」
「そんな…謝罪はともかく……身代わりは…それはあんまり…では……」
「そうですわよ」
瞳の抗議に、夜宵も同意をして微笑む。少女の方を向き、口許にそっと笑みを浮かべた。
「好きな方に振り向いて欲しいお気持ちは分かりますけれど、おまじないに頼って振り向いて貰っても、きっといつか、お相手の本当の気持ちを疑う羽目になりますわよ?」
「そう…好きって気持ちは…ちゃんと、自分で…伝えなきゃ……難しい、事は…私にも…分かる、けど……」
そう囁いて瞳が小さく笑う。その、どこか寂しげにも見えるはにかんだ笑みを、少女はじっと見詰めた。少女が口を開く気配を察してか、辰巳が腕組みをしたまま少女の方を見る。
「言っておくが、相手の男は守ってやるが、お前の事を黙っておいて貰えるなんて思うなよ。僕は警護するなら、ありのままを相手に話すからな」
「えー…」
不満げな少女に、またもギロリと辰巳が厳しい視線を向ける。少女の首が、亀のように縮こまり、また瞳に慰められる、と言う繰り返しが始まった。
「ですが上総さん、いきなり私達が訪れて真実を話したとしても、信じてくだるかしら?一般の方なら、死の呪術が掛かってしまったので…なんて言われて、すぐに信じてはくださらないでしょう?出来れば、その前にその呪術を解くか、影からそっと見守る方がよろしいんじゃありません?」
「…呪術を解いたら…もしかしたら、彼女に…跳ね返って、くるかも、…しれないし…やっぱり私は、このまま、ここで…彼女を…護ってあげたい……」
吐息を継ぐように瞳がそう言うと、呪いが跳ね返ってくる事を想像したのか、怯えたように体を振るわせる少女が、瞳の服の袖をぎゅっと掴む。瞳が優しく微笑んでその手に自分の手を重ねる様子を見て、辰巳が何かを言おうとしていた時だった。
「ありましたよ。彼女が教えて貰ったとか言う、おまじない専門のサイトが」
いつの間にか、事務所の電話のモジュラージャックを引き抜いて自分のノートパソコンに繋いでいたセレスティが皆を呼ぶ。その液晶画面、ピンクと白とオレンジが満載の華やかなトップページには、こんなサイトタイトルが浮かび上がっていた。
【絶対効く!厳選・恋のおまじない100selection】
「………胡散臭い…」
辰巳の呟きに今度ばかりは、少女を除く全員が、同意をして頷いた。
*3*
一方その頃、みなもと零は共に、アンティークショップ・レンを訪れていた。書籍を捜すなら、普通は図書館に行けばいいだろうが、今回の場合、内容が内容なだけに、普通の図書館には備えてないのでは、と考えたからだ。
「魔術の本ねぇ…あるにはあるけど、あり過ぎて探し出すのが大変かもしれないよ」
店主の蓮が、店の奥から大量の本を積み重ねたものを抱えてやって来る。店のテーブルにはみなもと零が、その前に出して貰った魔術関係の本のページを捲っていたのだが、蓮が抱えてきた本の量に、ぎょっとして目を瞬いた。
「そ、そんなにあるんですか!?」
「…本当に多いんですね、この関係の本って……」
「そりゃね。あらゆる年代の書籍があるからね、ここには」
「…二人じゃ足りなかったかも……」
ぼそりと呟く零に、みなもも小さく笑って頷く。視線だけは古びた本のページを追ったまま、みなもが言った。
「私、ちょっと思ったのですけど…呪いが掛かったって言う話ですけど、あんまりにも簡単過ぎません?」
「話だけ聞いてるとそうだね。人を呪い殺すってのは相当なエネルギーが必要だよ。魔術の知識もロクにないフツーの女の子が、そう簡単に掛けられる類いのもんじゃないね」
「彼女の手順が間違っていたとして、それで恋のおまじないが他の何かに変化してしまった、って事自体はありえる話でしょうけど、それがいきなり死の呪いってのは確かに安直過ぎますね」
蓮と零がそう言うと、その通りだとみなもがひとつ頷いた。
「それで、私なりに考えたんですけど…例え本当に死の呪いになっていたとしても、これだけ簡単に掛かっているのなら、取り消し方法も簡単なんじゃないかな、って。その、魔法陣から現われた魔物ってのも、実は小物なんじゃないかな…って」
「ありえるね。と言うか、そうであればラッキーだね」
どさ、テーブルに本を置いた後、みなも達と同じように本のページを捲りながら蓮が言った。
「だとしたら、捜してる資料ってのも、すっごく初心者向けの本に載ってたりして」
冗談交じりで零がそう言うと、その隣でページを捲っていたみなもの手の動きがぴたりと止まった。
「みなもさん?」
「…ありました」
目を瞬かせながらみなもが視線を落としている本には、殆どの右ページに魔法陣のような図柄が描かれている。その左ページには何やらびっしりと説明書きがしてあるようだが、その本のタイトルはと言うと。
【即実践!厳選・古今東西のおまじない100選】
「…これ、いつの時代の本なんだい……」
煤けていかにも古びたその革張り表紙とは余りにそぐわぬそのタイトルに、おのが店の売り物ながら、蓮が呆れたように呟くのも尤もであった。
*4*
みなもと零が、その本を蓮から借り受けて草間興信所に戻った時、事務所では残っていた四人が頭を突き合わせてセレスティのノートパソコンの画面を覗き込んでいた。
「…ったく、まだ表示されないのか」
「……回線の…速度…遅いから……それに、このサイト…画像とか多く、て…重いから…」
「仕方ありませんわ、この事務所にブロードバンドなるものは導入されておりませんもの」
「まぁ、気長に待ちましょう。…おや、おかえりなさい」
セレスティがみなも達の存在に気付いて声を掛ける。みなもの胸元に一冊の古びた本が抱えられているのを見て、目を細めて微笑み掛けた。
「何かしら成果があったようですね」
「資料が見つかりましたの?」
夜宵がパソコンの前を離れ、みなも達の方に近付く。瞳も、その傍らの少女も、期待に満ち満ちた目で彼女達を見詰めた。
「歩きながら二人でこの本を読んでたんですけど、似たようなおまじないの事が書いてありました」
みなもが、栞代わりに挟んであったカードを頼りに指を差し入れ、ページを開く。夜宵の肩越しに本のタイトルを覗き見た瞳が、片方だけの目を眇めた。
「…この本の、タイトル…あの、サイトのタイトル、と…似てる…わ……」
「え、そうなんですか?」
驚いてみなもが本の表紙を見る。続いてセレスティが向かっているパソコンの画面にようやく表示されたサイトのタイトルを見て、目を丸くした。
「本当…似てますね……」
「全くの偶然ではないとは言い切れないが…常識的に考えれば、このサイトの管理者が、この本を参考にした、と言う事だろうな」
「それなら、同じおまじないが掲載されている事も納得できますね。先程、彼女が実行したおまじないの手順と、実際の図柄をプリントアウトしたものがあります。これで、彼女自身が描いたものと見比べてみましょう」
そして、事務所のローテーブルに、広げた本とプリントアウトした図柄が並べられる。黄ばんだ本のページに掲載されている魔法陣は、確かにサイトにあったのと同じものであった。
「同じものですわね。と言う事は、彼女が執り行ったおまじないは、確かに存在している魔術の一種だったと言う事になりますわね」
「この本の説明によると、このおまじないは恋を叶えるおまじないと言うよりは、希望を叶えるおまじない、のようですね。どっちにしても、誰かを呪い殺す為のものではありません」
「…では、やはり、彼女の行った手順か何かに原因があると見ていいようですね」
セレスティにそう問われ、多分、とみなもが頷く。テーブルの上に置かれた二つの同じものらしき魔法陣を見詰めていた瞳が、ぽつりと囁く。
「…この魔法陣、…とても難しい……どんなに気をつけてても、…間違ってしまう…かもしれない、わ…だってこの図案……とても、複雑、だもの……」
瞳が指摘したように、本の魔法陣もインターネット上にあった図案も、外形はただの円だが、その中には草の蔦が絡み合ったような、とても複雑な紋様だったのだ。確かに、と皆が納得する中、ローテーブルの上ではなく、手にした一枚の紙――どうやら少女が実際に描いた魔法陣らしい――を眺めながら辰巳が言った。
「だが、これだけ適当に書いてあれば、例え正しく書いてあったとしても魔物も勘違いしたくもなるだろう。幾らフリーハンドでも、もう少しまともに描けなかったのか。線なんかよれよれじゃないか」
「…それが原因って事も考えられない事もないですけど…もっと、根本的な何かがあるのではないかしら?」
夜宵が辰巳から、少女が描いたと言う図柄の紙を受け取ってしげしげと眺める。
「紙質が違ったとか、そう言う事はないでしょうか?ほら、彼女が見本で貰った図柄の紙ってのは、こんなに薄くて特殊っぽい素材なんですよ?」
まりもがそう言いながら差し出したのは、少女が誰か見知らぬ女性に貰ったと言う、魔法陣の見本だ。セレスティが顔を上げ、傍らで立ったままだった
「触媒が違えば結果も違ってくる事は考えられますが、サイトにあったこのおまじないの解説では、その点については何も注意書きがありませんね」
「…本の、方でも……白い紙と書いてあるだけで…特別、どんな紙を使え、…とかは…ない、わ……」
「…と言うか、これ……どっちが上でどっちが下なんでしょうね?」
まりもがローテーブルに置いた見本を見詰めていたセレスティが呟く。はっとして皆がその見本の紙を見た。
「ああ、そう言われてみればそうだな…本やサイトに載っていたものなら天地が分かりやすいが、この正方形の紙一枚では、本来の図案を知らなければ分からないな」
「魔法陣も、方向で意味が変化する事もありえますわ。ほら、五芒星を逆さにしたものが悪魔の額に描かれてたりしますでしょう?あれは、そう言う意味なのではないかしら」
「……あの、これ…もしかして……」
瞳の控え目な声が皆の注目を己に向けさせる。少女が描いた魔法陣と、少女が貰った魔法陣の両方を指差し、片方だけの目が、順番に皆の顔を見て言った。
「これ、……裏返しで描いてある、…のでは…ないでしょう…か……」
「えっ!?」
驚いて声を上げたのは描いた当の本人、である。辰巳が少女が描いたものの上に、見本の紙を重ねてみる。それら二つの魔法陣は、ぴったり重なり合う事はなかったが、それでも、それらが上下だか左右だかが逆になっているらしい事は分かった。
「…この紙、薄っぺらでインクの濃さも裏と表で同じぐらい…これじゃ、上下も分からないけど、裏表も良く分かりませんね。これでは、裏返しに書き写してしまう事もありえますね」
「ま、それ以前に、この分かり難い見本を見て、何ら疑問に思わなかった事自体が間違いだがな」
辰巳の突っ込みに、それはそうですけど、とみなもが笑った。
「まるで、最初からそれを目論んで、こんな分かり難い用紙を選んだ…みたいな感じがしますわね」
僅かに眉根を寄せ、夜宵が呟いた。
「恐らく、おまじないの効力がほぼ真逆になってしまったのは、この、魔法陣を裏返して描いて使用してしまった所為ではないでしょうか。…そんな簡単な事で、呪いが掛かってしまうと言うのも多少解せない部分もありますが」
「だが、事実、魔物と思しきものが現れて、そいつの首を狩ってくる、と宣言したのだろう。どの程度の魔物かは分からないが、その男の命を狙って動き始めている事は確かなんじゃないのか」
辰巳がそう言うと、その通りです、とセレスティがひとつ頷く。その間を縫って、でも、と瞳が言葉を付け足した。
「さっき、…ちょっと思った、のだけど…その魔物、…彼女の思い人が、誰なのか、…分かって…いるのかしら、……?」
*5*
「…分かっているか、とはどう言う意味なのかしら?その魔物は、狩ってくると言い切ったのでしょう?」
「…確かに、…望みを叶えると…彼女に魔物は…言ったけど…【そいつの】…と言っただけで、…相手の名前を、…具体的に、上げている訳、では……」
瞳が夜宵にそう言うと、他の皆も少女の話を思い出そうとした。
【貴様の願いを叶えよう。そいつの首を必ず狩って来てやろう】
魔物は、そう少女に向かって宣言をした。確かに、相手の男の名前は言っていない。
「しかも、彼女は心の中で相手の方のお名前を唱えていただけ…言葉に出しては言ってませんものね」
「人の心の中まで見透かす程の魔力を持った魔物ならありえるかもしれないけど、そんな大物なら魔術の知識も何もない普通の女の子には召喚されないでしょうしね。きっと、そんな大層な力は持っていないでしょうね」
「それが恐らく、彼女が飛ばしてしまった手順だったのだと思うのです」
セレスティはそう言うと、おまじないの手順をプリントアウトした紙を示す。箇条書きにしてある手順の中のひとつを指差した。
「これです。緑色のボールペン、これを彼女は用意しておきながら、使用していません」
「……あ、」
「この手順によると、緑のペンで魔法陣の縁に沿うように、相手の名前をローマ字で書く、とあります。それにより、おまじないパワーがその名前と依頼者が念ずる強い気持ちを読み取って、その相手の心に忍び込んで術者の印象を植え付けてくる、とあります」
「おまじないパワーってのが、多分、召喚された魔物の事を言うんだろうな。つまり、その緑のペンで相手の名前を書かなきゃ、死の呪いは完璧じゃないって事だ」
「それでは、その魔物は、対象者の名前も知らないで、依頼を引き受けてしまったと言う事になるのかしら?」
夜宵が首を傾げると、傍らでみなもが、「もしかして、ついうっかり…?」と呆れたように付け足した。
「じゃあ…呪いは、結局は…掛かっていない…と言う事……。…良かったわ、…相手の人にも…あなたにも……危害が及ぶ事は…多分、……ないわ……」
瞳が、片方の目だけを細めて少女に微笑み掛ける。展開が良く分からないものの、取り敢えずは良かったのだろうと感じた少女も、にこりと微笑み返した。
*6*
確証はなかったが、恐らく大丈夫だろうと言う事で、少女の想い人に対する対策は取り止めとなった。
「…で、トモダチから聞いたんですけど、間違えたおまじないは、正しいおまじないをやり直す事で上書きできるんだって」
嬉々として少女がそう言うのを、みなもは笑いながら頷いた。
「じゃ、正しいやり方でおまじないをやり直すのね」
「はい!そうすれば、中途半端とは言え、もしも本当に呪いがカレに掛かっていたとしても、打ち消せるでしょう?」
「…そう言う事になる…とは思うけど…でも、今回の事で中途半端な気持ちでやるものではない事は分かったし、これからは気をつけましょうね?」
「ええ、今度はもう間違えないわ。みなもちゃんも見ててくれるし」
こくりと少女は頷く。
「…でも、凄い効果って…どう凄いんでしょう。なんか想像できないわ」
「うん、わたしも出来ない」
さくっと少女がそう答えるので、思わずみなもは脱力してテーブルに突っ伏しかけた。
と言う訳で、みなもと共に少女は例のおまじないをやり直す。今回は、魔法陣も丁寧に、かなり見本に近いものを描く事が出来た(隣でみなもが突っ込みいれまくりだったお陰だが)そして、前回はすっ飛ばしてしまった手順、緑のペンで相手の名前をローマ字で…
「…………え?」
思わずみなもの目が点になる。少女が丸文字で魔法陣の縁に書いたその名前とは。
Takehiko Kusama
「……え、ええと……あの……?」
「えへ。みなもちゃんにはお世話になったから、特別教えてあげるね!」
他の人には内緒よ、とはにかんで片目を瞑る少女に、思わず勢いで頷いてしまったみなもだったが。
…草間さんが呪いの相手だったんなら…警護も何も必要なかったんじゃないかしら……?
おわり。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 1005 / 篠宮・夜宵 / 女性 / 17歳 / 高校生 】
【 1252 / 海原・みなも / 女性 / 13歳 / 中学生 】
【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】
【 2681 / 上総・辰巳 / 男性 / 25歳 / 学習塾教師 】
【 4557 / 瞳・サラーヤ・プリプティス / 女性 / 22歳 / ウェイトレス 】
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■ ライター通信 ■
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大変お待たせ致しました、久々の草間興信所・調査依頼でしたので、多少の不安はありましたが何とか納品するに至りましたです、はい。
と言う訳で、相変わらずのへっぽこライター、碧川桜でございます。
海原・みなも様、お久し振りでございます!…って私が窓を開いてないんで当然と言えば当然ですが(汗) ともかく、またお会いできて光栄です。
と言う訳で、多人数のPC様を絡めてのノベルは久し振りでしたが…如何だったでしょうか?少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
ではでは、今回はこの辺で…次回、異界(予定)でもお会いできる事(勿論、それ以外でも)を心からお祈りしています。
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