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鳴り出すピアノ 〜空箱より〜
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ひとりでに鳴り出すピアノ?! 学園七不思議、ここに再現!!(神聖都通信)
誰でもこの学園に通っている者ならば知っているだろう、学園7不思議を。
今日はそのうちの1つ、「鳴り出すピアノ」に関して、我々報道部がスクープをキャッチした!!
ここ毎晩、中等部の音楽室でピアノが勝手に鳴っているらしい。
それはそれは見事な「月光」を最後まで弾き終えると、
その音は聞こえなくなるという。
……その美しさゆえ、「聞いた者は魂を抜かれる」と言われてきた「鳴り出すピアノ」!
我が報道部は勇気をもって、詳細を暴いていこうと思う。
続報をご期待あれ!
・続報
ピアノが鳴っている間、職員室にて『人魂』の目撃証言アリ!!
既に哀しき犠牲者が?! 待たれよ、真相解明!
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●シュライン・エマ
「……あらいけない、マルボロ1カートン買ってくるの忘れちゃったわ」
抱え込んだ大きな買い物袋を覗き込みながらシュラインは呟く。
そして続けて「ま、いい機会だから禁煙してもらいましょ」と、愛煙家が聞いたら泣き出しそうなセリフを言ってから、ふと空を見上げた。
季節は冬から移り変わろうとしつつある、今日この頃。
青空を漂う雲はそこはかとなくのんびりとしていて、日の温もりと共に人々を午睡へと誘うかのようだ。
今歩いている並木は桜、かすかに芽がほころびつつあるのが分かる。
知らず花見弁当のメニューを考えていた自分にふと苦笑しつつ、シュラインは気だるげな周囲の空気に合わせるかのように、その歩調を緩めた。
と、きゃらきゃらとさざめく女子生徒たちとすれ違う。制服からして近くの中学校の生徒だろうか。
「ねぇねぇ、先輩へのプレゼント、どうする?」「第2ボタン、もらえるかなぁ」
ふと耳に入ってきた会話に、シュラインはふと笑い、そして思う。
――そういえば私の『卒業式』って、どんなだったかしら、ね……。
馳せる記憶はすでにおぼろげだ。しかし、冷たい風がぬくみ始めた……そう、ちょうど今頃。
卒業証書を抱いたあの時の誇らしさが、この胸の中から消えることはないだろう。
後悔とは違う、それでいて少しだけほろ苦い思い出。
春はもう、近い。
――が、世の中の事件は全て、予想外の時にやってくるものらしい。
「あ! シュラインさーん!」
浸っていた気持ちから、急に現実へと引き上げられる声。
振り向いたシュラインの視線の先にいたのは、神聖都学園生の布施啓太だった。
「よ、久しぶり。この前の事件ん時に手伝ってもらった以来だっけ?」
「たぶんそうね。どうしたの、こんなところで。学校は?」
脅かしもこめて言ったセリフは、「今入試休みだから」とサラリかわされてしまう。
「ちょうどよかった、今おっさんとこ行くとこだったんだよ。……あ、荷物持つよ」
「武彦さんのところへ? あ、ありがと。重いから気をつけてね」
会話を交差させながら二人は再び歩き始める。
大丈夫? との問いにも、平気平気! と荷物を抱えた啓太は答えるが、軽く背をのけぞらせつつ歩調もややふらつき気味ときては、強がり以外の何にも見えない。
が、半分持ちましょうか? との声にいらない、と即座に答えた彼には、彼なりのポリシーがあるようだ。
なんとなく、シュラインは笑ってしまう。
「……なんだよ、シュラインさん?」
「いーえ? 頼れるな、と思って」
流し目でちらりと見やりつつそう言うと、啓太はかすかに頬を染める。
そんな彼を、シュラインはいっそうほほえましく思うのだった。
そして、興信所のすぐ近くの曲がり角にやってきた時。
「……そんでさー。オレおっさんたちにまた助けを頼みたいと思って」
「何? 啓太君、また何か事件に関わってるの?」
「何言ってんだよ、オレ、ジャーナリストだぜ? 事件に関わるのなんて当然じゃん……うわっ!」
話に夢中でシュラインの方を向いていた啓太は、曲がり角の向こうから来た人物と真正面からぶつかってしまった。抱え込んでいた荷物が地面に散らばる。
「いって……あ、す、すいません!」
「いや、こっちこそよそ見してたから……ってあ、啓太じゃねぇか!」
地面に座り込んだまま、驚いたようにこちらを見ていたのは羽角悠宇だ。その彼の傍らでは初瀬日和が同じように目を丸くしている。
「なんだ、お前か。ちぇっ、謝って損した」
「損はないだろ、損は。……ってあーあ、これシュラインさんの荷物なんだから、拾うのお前も手伝えよな!」
まじで! そう叫んだ悠宇は、ようやく啓太の後ろにいたシュラインに気がついたようだ。
すいませんでした、と殊勝に頭をさげると、即座に品物を拾いはじめる。
「りんご、小麦粉、無塩バター? ……シュラインさん、これ興信所の買い物ですか?」
「ええそうなの。ちょっと料理しようかと思って」
何を作るんですか? 散らばった品物をそう何気なく見やっていた日和は、ふと首を傾げた。
「あの、シュラインさん。タバコはないんですか?」
「……武彦さん、やっぱり怒るかしら」
「……でも私も、そろそろ禁煙した方がいいかもって思います」
「そういうことにしておいてくれる?」
ふふっ、とこっそり笑いあうシュラインと日和。
その足元で二人を見上げていた啓太と悠宇は、顔を見合わせ、同じようにふふっ、と笑ってみた。
「お前、キモチワルイ笑い方すんじゃねぇよ」
「お前こそ、似合わないんだよそんなの」
「……何やってんだろうな俺たち」
「……だよな……」
対して、より冷めた空気になった二人だった。
■□■
「それで、日和ちゃんと悠宇くんはなぜここに?」
「俺たちも啓太に呼ばれたんですよ。なあ、日和」
「ええ。何か、また協力してほしい事件が起こったからって……」
「そうなんですよ。ほら、前回の時と同じメンツならいろいろ話も早いし。今学校休みだから、その辺の人とは連携が難しいんス」
思い思いに事情を話しながら、シュラインが先頭で興信所のドアを開けた時。
「……あっ! バカ、シュライン入ってくんな!」
出迎えたのは、うろたえているような草間の叱責だった。
ドアの正面のソファに座っていた草間は、シュラインの登場に腰を半ば浮かせている。眉はしかめられ、くわえていたタバコはイライラと灰皿に押し付けられる。
表情は『困惑』そのものだ。
事情が飲み込めないシュラインがその場に立ち止まり目をぱちぱちさせると、背中から悠宇と啓太が顔を覗かせ、彼女を援護した。
「おっさん! 何言ってんだよそういう言い草はないだろ!」
「そーだそーだ! 草間さん、日頃シュラインさんにどんだけ世話になってんだよ」
「お、お前らまで来ちまったのか……?!」
援護射撃によりいっそう慌てた様子の草間は腕時計をチラリ見、力なくうなだれた。
「しまった、もうこんな時間か……」
「どういうこと、武彦さん?」
と、そこで初めてもう一人の人物が立ち上がった。
草間の正面、こちらには背中を向けて座っていた人物。気配の消し方が尋常ではない。
が、見知った顔に啓太以外が表情を変えると、彼は艶やかに微笑んだ。
――引き込まれてしまいそうな、妖しげな笑み。
「こんにちは、皆さん。……そこのキミとは初対面ですね。修善寺美童です。よろしく」
「あ、ああ……オレは布施啓太、ヨロシク」
戸惑いながら差し出された手を握る啓太。
「修善寺君じゃない」
「お前、この前一緒だった……よな」
「覚えていてくださって光栄です」
知人たちへは、赤い瞳をかすかにきらめかせつつ、優雅な仕草で深々と頭を下げる。
そして、再び草間に向き直った。
「これで、役者は揃ったということですね」
「……クソッ」
吐き捨てた草間は、悔し紛れかシュラインを睨む。
「おい、シュライン。タバコは?!」
「え? あ、ああごめんなさい、買い忘れちゃって」
その言葉に、草間はいっそう肩を落としたのだった。
■□■
「……とまあ、そんなところかな」
啓太が事情の説明を終えると、興信所のテーブルを囲んでいた面々が一斉に顔を上げた。
ひしめき合いながら座っているソファが、ぎしぎしとスプリングを鳴らしている。
ちなみに、草間はこの一同には加わっていない。ふてくされた様な表情で昼寝を決め込んでいるが、それがまた、部屋の隅、背もたれのない小さな丸イスの上、ときては駄々っ子と大差ない。
そしてそんな態度でも、心配で聞き耳だけは立てているのだろうことは皆が承知していたから、誰一人構おうともしない。 それもまた、彼の態度を頑なにさせている一因でもありそうだった。
「つまり、真夜中の音楽室でピアノが突然鳴り出すわけね」
んー……と、指を唇に当て、考え込んでいたシュラインがまず口を開く。
「実際音鳴ってたのって、本当に音楽室から? それに、人魂が職員室の物かも気になるところね」
何かの光が反射してたんじゃないかしら? そう疑問を投げかけると、啓太が首を振る。
「とりあえず、その辺の聞き込みはもうしてみた。あの時間だとあの辺、光源になるようなものは何一つないんだ。民家もろくにないようなとこだし、そうだなあ……あっても非常灯ぐらいかな。でもそれなら光は緑だろ?
だから光があること自体おかしいんだ」
「その時間の電気消費量とか調べられる?」
「うーん、……用務員室とかに当たればなんとかなるかな。交渉してみるよ」
「お願いするわ。
あと、そうね……最近不審者とか、怪しい人とかいないの?」
「学校からの知らせとか、オレも独自に調べては見たけど、とりあえずはないみたいだなあ……
あ、でも」
何かを思い至ったのか、啓太は胸のポケットから手帳を取り出し、ページをめくり出す。
「ああ、これだ。なんでもさ、『職員室の光』ってのはここ1、2年出現してるらしい。しかもこの時期に」
「ふーん……?」
「『音楽室のピアノ』は学園の七不思議の一つになってるくらいだし、昔からポピュラーなウワサではあったんだ。でもそっちは今年が初めてだな」
「ねぇ啓太くん」
と、日和が口を開いた。
「今、神聖都学園ってお休みなの?」
「ああ。入試休みな。それが終わったらすぐ卒業式なんだ。
んで、それが終わったら学年末試験。……あ、しまった、オレ全然勉強してねーや」
「ねぇ悠宇くん、どう思う?」
日和は、傍に座っていた悠宇を見つめる。
「私ね、なんだか……ピアノが聴こえる間だけ現れるなんて、呼び合っているみたいだと思うの」
「呼び合う?」
「そう。『私はここにいるよ』って、自分を探してくれている誰かに届くように、それに気づいた誰かが自分を見つける目印になってくれるように、って、そう……呼んでるんじゃないかしら」
チェロを持っていってもいい? と日和は啓太に尋ねる。
「こちらからの返事を、返せればいいなと思うの」
「もちろん! そういやオレ、日和のチェロ聴くの初めてだなー」
「日和のこと呼び捨てにすんな」
ウキウキと声を弾ませた啓太を遮ったのは、怒りのにじんだ悠宇の声。
ごめん、と素直に身を小さくした啓太に、シュラインと美童がくすくすと笑う。
「日和のチェロは世界一だからな。腰抜かすなよ。
……まあそれはとにかく。何で今になって急にピアノの現象が起こり出したんだろうな?」
「というと?」
「こういうのって夏向きな話題じゃないか? だから、何か『今』に意味があるんじゃないかと思って。
卒業までに、何か伝えたい事でもあるのかな」
「そうか、もうすぐ卒業式なのね……」
シュラインの声に、悠宇は一つ頷く。
「今会って伝えないといけない事があるのなら、叶えてやりたいと思うしさ。
大切な人、会いたい人に会えずにいるのは辛いし、それなら助けてやりたいよな」
「……では、話は決まりましたね」
最後に、美童が笑った。長めの銀髪をかきあげ首を傾げる仕草に、その辺の女よりよっぽど綺麗だよなあ、と啓太などは思う。
「音楽室と職員室に、チームを分けましょう。……皆さん、これを」
ぱちり、と美童が指を鳴らすと、いつの間に現れたのか黒服にサングラスの男が彼の後ろに立ち、うやうやしく何かを美童に捧げる。
「これはインカムです。これを使えば、別行動中も連絡がとりやすいでしょう。お渡ししておきます。
それで、ボクは音楽室へ向かおうかと。共に行く部下は5人、残りは職員室へ行かせましょう。
皆さんは?」
「私は、体力に自信がないので、職員室の窓の外で張り込んでいようと思います」
と日和。
「俺は日和と一緒にいる。……あ、でも音が鳴り出したら音楽室に駆けつけてみるよ」
悠宇はそう言って笑う。
「じゃあ、私も職員室ね。さっきの消費電力のことを調べに用務員室へ寄ってから行くわ」
「んじゃ、シュラインさんに付き合ってからオレは音楽室行くかな!」
シュラインの言葉に、そう答えた啓太だったが。
「お前は止めとけ」
部屋の隅から小さな声。むくりと起き上がった草間が、小さく首を振った。
「お前は音楽室に行くな」
「……な、なんだよそれ。オレが臆病者だって言いたいのかよ」
「そういう意味じゃない。だけどまあ……あれだ。職員室に行った方が、お前は役に立つだろうよ。
今音楽室に行ったところで、お前が出来る事は何もない」
「……おっさん? なんだよそれ、どういう意味だよ」
「意味なんてそのままだ、分かったな啓太」
説明も何もせず、有無を言わせぬ口調でそれだけをいうと、草間は再び椅子の上で丸くなり、目を閉じてしまった。
■□■
――12時間後。
「こちら啓太、シュラインさんも傍にいるぜー。異常なし」
窓の外は、墨を流したかのように一面の黒。
非常灯のぼんやりとした緑色の光が照らす神聖都学園中等部の廊下を、シュラインは啓太と二人歩いていた。
つけたインカムからは『美童だ、異常なし』『日和です、異常ありません』との報告が即座に返ってくる。
耳を済ませてみても、ピアノの音は聞こえない。
今のところ、何も起きていないようだ。
「先生方の協力が得られてよかったわね」
「全くさぁ、オレが言った時は『ダメ』の一点張りだったのに、なんでシュラインさんが交渉したら一発OKなのかなぁ」
「あなたは未成年者だからでしょう? それに、修善寺君はもともと響先生の依頼を受けて興信所に来たんですって」
「カスミ先生がぁ? ……んだよ! カスミ先生、オレに言ってくれりゃいいのにさ!」
シュラインと草間がそれぞれ学校側に交渉したところ、すんなり調査の許可は下りた。それで、このような深夜に校舎の中をのんびり歩いていられるというわけだ。
打ち合わせ通り、まず用務員室へ行った二人だったが、これといった事実は判明しなかった。
報告のあった時間の消費電力を調べてみても、特に際立った消費は認められなかったのだ。
それでも、電力は関係はないということが判明しただけでも、成果はあったといえるかもしれない。
やっぱり人魂なのかな! とどこか浮かれた口調の啓太に、どうかしら、とシュラインは未だ首を傾げたままだ。
「ただ、『学校の電力とは』関係がないと分かっただけよ? それをすぐに心霊現象と結びつけるのは……」
「なんだよシュラインさん、夢がないなぁ。もっとパッと行こうぜパッと!」
「……オキラクねぇ、啓太君」
思わず笑ってしまうシュライン。
と、二人は立ち止まる。
「……シュラインさん」
「ええ、ピアノの音ね」
切れ切れに聞こえてくる音。ピアノの音であることは確かだ。
「何の曲だ……? シュラインさん、分かる?」
「……ウワサどおりね」
その音は夜に沈んでいくかのようにかすかな音で、啓太にしてみれば、バイオリンと聞き間違えなくて良かった、と呟かんばかりの体たらく。
しかし、優れた聴覚を持つシュラインはしばし耳を済ませた後に、力強く頷く。
「間違いないわ。ベートーベンの『月光』ね。誰かが……弾いてるんでしょう」
「お、音楽室行く?」
「私たちは職員室でしょう、啓太君? 急ぎましょう」
音楽室は4階、職員室は1階。そして二人がいたのは2階だ。
階段を上に駆け上がろうとする啓太を何とか引き戻しながら、二人は職員室へと急ぐ。
そして二人が階段を降り切った途端。
ガシャーン!
「……ガラスの割れる音?」
「もしもし、日和ちゃん? 無事?!」
「シュラインさん、職員室は廊下の一番奥だ!」
シュラインがインカムに話しかけるも返事はない。二人は足音の響くリノリウムの廊下を全力で走った。
何十にも重なりあう反響が、まるで自分たちを追いかけてくるかのような錯覚を覚える。
バタン!
「日和ちゃん、無事?!」
「……お前っ!」
扉を開け放った二人が見たのは、倒れ伏す黒服の男たちと、懐中電灯を持って薄笑いを浮かべている見知らぬ男。
そして表情を強張らせている日和と、彼女を背に庇う悠宇、そして二人が対峙する――
「お前、お前この前の時にもいた……!」
「早乙女美……君ね。なぜこんなところにいるのかしら」
しらじらしい口調でシュラインが尋ねると、美は悠宇に伸ばそうとしていた腕を下ろし、こちらを振り向いた。
と、その表情が曇る。
「啓太、なぜここにいる」
「お、オレ?!」
「僕は『この件には近づくな』と忠告したはずだ」
「え、そ、そんなこと言ったって……オレは報道部だ!」
虚勢を張る啓太には全く構わず、美はうつろな表情のまま歩み寄ってくる。
「邪魔をしないでほしい。僕はただ……ピアノの主に会いたいだけだ」
「ピアノ……? 音楽室の?」
シュラインの問いに、彼は頷きもしなければ否定もしない。
ただ静かに、二人の傍らを過ぎようとした。
「てめえ、今更怖気づいたか!」
とその時、金切り声で叫んだのは、見知らぬ男。
啓太や悠宇よりもわずかに年かさだろうか。髪は金色に染められ、その服装は闇を忍ぶには全くふさわしくないと思われるほどの派手さだ。
手の中の懐中電灯を振り回し、キーキーと叫び続ける。
「全て『事』が済んだら、音楽室のヤツと会わせてやるって言ってんだろうが! 今はこいつらを先にどうにかしろ!」
「ちょっとあんた。……音楽室のピアノ、あんたの仕業なの?!」
口走った言葉にシュラインがかみつくと、男はにやり、と笑った。
「ああそうさ。オレらが職員室で一仕事してる間に誰か来られちゃたまんねぇからなぁ、そっちに関心を集めようってワケさ。……どうだ、名案だろう?」
「じゃ、じゃああなたの仲間が、ベートーベンの『月光』を……?」
日和の問いに、男は突然弾けたように笑い出す。
「はぁ? 弁当だかべったらだか知らねぇけどよぉ、オレのダチが弾いてるのはそんなんじゃないぜ。
いいか、聞いて驚くな。……『猫ふんじゃった』だ!」
――沈黙。
「な、な、なんだよお前ら、その目は!」
「お前なぁ、ベートーベンも知らないくせに、音楽を語るんじゃねぇよ。俺だってそのぐらい知ってるぞ」
凄みの効いた悠宇の言葉に、男はたじろぐ。
悠宇の背後では、日和が無言のままじっと男を睨んでいる。彼女だからこそ、音楽をばかにしたような発言が許せないのだろう。
「あんた、今聞こえてる曲のどこが『猫ふんじゃった』なのよ」
「な、なんだと? じゃあ、これを弾いているのは一体誰なんだ?」
男の発言に、さっと一同の顔色が変わる。
「誰、って……お前の仲間じゃないのか?」
「そんなわけない! だって、あいつはそれしか弾けないはずだ」
「じゃあ、本当に……?」
一同は顔を見合わせた。
インカムに問いかけてみても、音楽室へ向かったはずの美童からの返事は未だない。
「く、くそっ……! 何がなんだかわからねぇ! おいお前! さっさとこいつらをやっつけろ!!」
再び男が叫ぶ。が、その視線の先にいた美は、かすかに笑っただけだった。
「僕が? なぜ?」
「……なんだと?」
「先ほども言ったが、僕はピアノの主に会いたいだけだ。
今や、お前が彼女と関係がないと分かった以上、お前などに用はない」
そこで、ハッと顔を上げたのはシュライン。
「ちょっとあなた、今『彼女』って……」
が、その問いは凶悪な唸り声で遮られる。
「て、てめぇ……!」
男は懐中電灯を放り出すと、そのポケットからスタンガンを取り出した。
暗闇に光る一筋の電光。それに照らされ一瞬、狂気に浮かされた血走った眼が闇に浮かぶ。
「だったら俺がやってやる……やってやるぜぇぇぇぇ!」
「危ないっ!」
叫んだのは誰だったのか。
見境のなくなった男がその攻撃の的としたのは、一番近くにいた『外敵』啓太だった。
とっさのことに身を引くのが間に合わず、啓太は観念して身を固くする。
そして。
「……キサマ、なぜ邪魔をする……! オレの、オレの味方だったろうがぁああ!」
「……味方など、なった覚えはない。僕はただ……協力戦線を……」
「お、おいお前、大丈夫か?!」
啓太と男、その二人の間に入ったのは美だった。
啓太へとむけられたはずの攻撃をその身に受け、美は堪えきれずに膝をつく。
「ど、どこか痛いのか、お前……」
「僕に触るな! ……怪我をする……!」
近づこうとした啓太をそう一喝すると、美は膝をついたまま男を見上げた。
「な、なんだその目は、はははぁはあはぁ……そ、そういう目すんなら、お前もやっちゃうよぉ?」
最早常軌を逸しつつある男を見やりつつ、美は舌打ちする。
「お前のような雑魚に、これを使うなどもったいないと思っていたが……」
そう言って美がポケットから取り出したのは、小さな箱。
開いた気配もないうちにその隙間から噴き出す紫色の煙が、どんどんと濃くなりつつ男を包んでいった。
「な、なんだ、なんだこれは……! くるしィぃぃぃぃっ」
「啓太を……狙った事、地獄で苦しめ!」
煙に全身を包まれた男は、身をくねらせそして断末魔の悲鳴を残すと、ばたりと床に倒れた。
と同時に煙が霧消する。
窓から差し込むわずかな月明かりに照らされた男は、酷く矮小だった。
「こんな……こんなはずでは……」
立てないのか、うずくまったまま美はそう呟く。
「取り込み中悪いけど、お話伺えないかしら。あなたには聞きたいことがいろいろあるのよ」
シュラインが彼の前に立つと、美は力なく笑ったようだった。
「申し訳ないですが……僕はまだ……捕まるわけには……」
「そんな体で、逃げられると思ってるの?」
その腕を掴もうとしたシュラインは、途端に感じた衝撃に指を引っ込める。
「あなたも、この電力の餌食になりたくなかったら僕に触れない事です。どうやら帯電してるようですからね」
「ま、待ちなさい!」
「申し訳ないですが。僕にはこれがあるのですよ……」
と、美は再び箱を取り出す。
一同がはっと息を飲む頃には、紫色の煙が既に美の全身を包んでいた。
「シュラインさん、そいつを逃がすな!」
悠宇の叫びが空しく響く。
「また、またお会いしましょう皆さん。……啓太」
何かを言いかけたのだろうか、最後に啓太の名を呼び、彼を振り向く。
が、それ以上の言葉を一同が聞き取る間もなく、彼の姿は忽然と消えていた。
と。
『こちら美童。聞こえるか』
突然聞こえるようになったインカムが、離れたところにいる人物の声を伝えてきた。
「こちらシュラインよ。大丈夫なの?」
『心配ない。……ところで、日和君、いるか』
「は、はい。日和です」
突然名を呼ばれ、日和が慌てて返事をする。
『言伝てを預かった。……今から言う、いいか?』
「こ、言伝てですか?」
その言葉に顔を見合わせる悠宇と日和。が、そんな二人がもちろん彼には見えていないのだろうが、大した間も置かず美童は言葉を継ぐ。
『君の音は確かに届いた、ありがとう。……だそうだ』
■□■
――男は、学園の卒業生だったという。
狙いは、卒業式の後にある学年末テストの答案用紙だった。
かつて落第の危機にあった彼は、思い余って深夜の職員室に忍び込み、答案を一枚ずつ盗み出したらしい。盗まれた枚数が少なかったため、その時は気づかれずに済んだようだ。
そして、彼は蛍光灯の明かりはつけず、持参の懐中電灯で全て事を済ませていた。……この明かりこそが、『人魂』の正体だった。この明かりを勘違いしたものが、人魂として噂を広めたらしい。
ピアノは「めくらまし」として男の一人が考えたものだった。7不思議の一つでもある『ピアノの音』で、目撃者たちの関心を逸らす目的だったようだ。
以来、彼はクセになった。毎年この時期、学年末に、仲間らと職員室へと忍び込んでは答案を盗み、難を逃れていた。それは彼が卒業してからも続き、今では在校生へ売りつけることによって大した副収入になっていたらしい。
不祥事の発覚を恐れた学園側は、草間たちに沈黙を要請してきた。草間はそれを飲み、事件はうやむやのうちに済まされそうだった。
最も、『報道部』たる啓太が黙っていられまいと皆は思っていたが、それはまた別の話。
――そして。
警察に引き渡される事なく終わった犯人の男らだったが、事件以来その姿を見かけたものはいない。
黒づくめの服にサングラスの男たちが、彼らをいずこかへと連れ去っていった、という目撃情報があったようだが、いかんせん心当たりがあるはずもないのだ、たぶん――
「お、いい匂いだな」
「もう少しで出来るから。もうちょっと待っててね、武彦さん」
後日、平穏そのものの草間興信所。
空は青く、空気は日に日にぬくんでいく。
そして訪れる人もなく、けたたましく電話が鳴る気配もない……とくれば、草間でなくとも昼寝と決め込みたい頃合だ。
……ま、たまには許してあげようかしら、ね。
「はい、出来ました。武彦さんどうぞ」
「お、美味そうだな」
「シュライン特製のアップルパイよ。どうぞめしあがれ」
台所でシュラインが焼き上げたアップルパイは、自分でも嬉しくなるほどの出来だった。
焦げ目もちょうどよく、漂うシナモンの香りは気持ちを弾ませる。
「この前、でっかい買い物袋抱えてきたのはこの買い物だったのか?」
「もう、タバコ買い忘れたこと、そんなに根に持たなくてもいいでしょう?」
シュラインは苦笑する。
草間は、いや、まあ、とあいまいな呟きを発し、それで結局言葉が見つからなかったのか、そのままアップルパイにかぶりついた。
「うん、悪くないな」
「武彦さん、素直においしいと言いなさい」
そう言いつつも、顔がほころぶのを止められないシュライン。
コーヒー党の草間が、パイに合わせてシュラインが入れた紅茶をおいしそうに飲んでいる。
その傍らで、シュラインはただ嬉しそうに笑う。
「……ねぇ武彦さん。私ね、ちょっとだけバカなことを考えてみたの」
「あ?」
「例えばの話よ? 私と武彦さんが同級生だったとして、そうして一緒に卒業式を迎えるの。
桜咲く中を二人で歩いて、三年間の思い出を振り返ってたりするのよ。
『ああ、一緒に行った修学旅行は楽しかったよなぁ』なんて。……ねぇ、そういうのっていいと思わない?」
「……よく分からん。『ああ、この前の怪奇現象は怖かったよなぁ』じゃだめなのか?」
「もう、そういう話じゃなくて! 例え話って言ったでしょう?」
「例え話で、なぜそんなに熱くなってるんだお前は?」
――熱くなっているのではなくて。
こっそりシュラインは笑う。
何を言いたいわけでもなく、ただこの二人で言い合う雰囲気が好きなのだ。
そういうこと、この人は分かってくれないのよね。……ま、そんなところも素敵なんだけど。
と、武彦が首をひねった。
「それにしても、随分焼いたなお前。俺とお前と、あと零のやつ入れたってこんなの食いきれないぞ」
「何言ってるの、みんなの分なんだから足りないくらいよ」
「みんな?」
「武彦さん。これから啓太君と悠宇くん、日和ちゃんくるから」
ぶっ、と草間が紅茶を吐き出した。
「お、おいシュライン、あれはもう解決したんじゃ……」
「武彦さん。あの事件の事、何か知ってるんでしょう?」
「あ? い、いや、そんなことは……」
「みんなにも協力してもらって、今日はとことん、お話聞かせていただきますからね」
意気込むシュラインの横で、草間はこっそり肩をすくめたのだった。
「お前には勝てないよ、全く……」
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【3524 / 初瀬日和 / はつせ・ひより / 女 / 16歳 / 高校生】
【3525 / 羽角悠宇 / はすみ・ゆう / 男 / 16歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0086 / シュライン・エマ / しゅらいん・えま / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0635 / 修善寺美童 / しゅぜんじ・びどう / 男 / 16歳 / 魂収集家のデーモン使い(高校生)】
(受注順)
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ライター通信
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こんにちは、つなみりょうです。この度はご発注いただき、誠にありがとうございました。
ご期待に沿えるものでしたら幸いです。
さて、今回は「空箱」の第2話と銘打たせていただいてます。若干前回から続いてるところもあるかな? といった作りになってますが、さていかがでしょうか。
あと、なんというか……長文です。頑張って読んでください(笑)このシリーズはどうも長くなる傾向にあって困りますね。
シュラインさん、こんにちは! いつもありがとうございます。
さて、いかがでしたでしょうか? 鋭いプレイングはいつもながら流石でした。
何より、啓太とあの人物との関係を書かれた点は……す、鋭い! 思わず唸ってしまいました。
うーんと……合ってるとも間違ってるともここでは書きませんが、今回の話を踏まえてまた想像を新たにしていただければ、それに勝る喜びはありません。
ご意見・ご感想などありましたらぜひお聞かせ下さい。
また、次回はWEBゲームの方で窓を開けてみようかと思っています。啓太など相変わらずの面々が出てくる話になるかと思いますので、よろしければその時もぜひお付き合いくださいませ。
その際はダイカンゲイさせていただきます!
それでは。
近づく春にかつての思い出を重ね合わせている今日この頃な、つなみりょうでした。
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