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ラヴァーズ・エッグ・ストーリィ
<オープニング>
狭い階段は延々と続いていた。両脇には本棚があり、階段と同じく切れ目知らずに続いている。ぎっしりと詰め込まれた本、ひんやりとした空気、紙の匂い。それらは決して彼女を不快にさせるものではなかったのだが…、それでもシュライン・エマは悪態を吐かずには居られなかった。
「何なのここは」
一体どれだけ歩いた事か。いやその前に、ここはどこなのか。彼女の記憶によれば、確か数分前までは街中を歩いていた筈だ。時はバレンタイン前夜。デパートのチョコレート売り場は義理だの本命だのと言いながら買い物をする若い娘達で溢れ、各菓子メーカーが年間の三分の一を越す売り上げを確保すべく、熱気溢れた商戦を繰り広げているその中を、手に入れた分厚い資料を小脇に抱え、早足で歩いていたのだ。足を止めたのは、デパートの入り口に出ていたとあるワゴンの前。山と積まれていた卵型のチョコレートに気付いたからだ。ラヴァーズ・エッグ、確かそんな名前を零から聞いた。菓子屋の陰謀だ、などと言いつつも本命チョコは既に用意していた彼女だったが、零の口からこのチョコに関する少々ロマンチックな怪異なぞ聞いていたものだから、つい足を止めてしまったのだ。卵型チョコ。中に御神籤が入っていて、二人の未来を占ってくれる、と言うだけのシロモノなのだが。確か零は言ったのだ。
「その中に、ですね。本物があるって言うんですよ」
「本物?中身が?卵じゃバレンタインにならないわよ」
イースターだわよ、と言うシュラインに、零は違う違うと首を振った。
「伝説のラヴァーズ・エッグですよ。確かこんな感じでした」
と言って零が教えてくれたのは、若い女の子達の間でまことしやかに囁かれているという『恋人達の卵』の伝説。
それは不思議な卵の物語。
見つけられるのは恋人達の聖日とその前後の数日のみ。
恋人達が手にすれば、その愛は深まり
想う相手と共に手にすれば、心は寄り添い、
出会いを求めて手にすれば、理想の相手にめぐり合える。
そして、ふと立ち止まったワゴンの中に、彼女は見つけてしまったのだ。他の卵型チョコとはどうみても違う、虹色に輝く奇妙なそれを。ついつい手に取ってしまったのが運の尽き。光の渦に巻き込まれ、気付けばこの果てしない書庫に居た。
<本編>
「どうしろって言うのよ、もう」
不思議な書庫だった。階段になっているのもそうだが、傾斜している筈なのに書棚の切れ目が無い。当然ながら出口も無い。やりかけの仕事がまだあるのだ。さっさと帰らなければバレンタインも何もあったものではない。
「出口はどこよ…誰かいないの?!」
と言いながら、手近にあった本をひょいと取り出したその瞬間。本は煙と共に消え、代わりに現れたのは…。
「た、武彦さんっ?…どうして…」
目を丸くした彼女を見て、草間武彦はハアっと溜息を吐いた。草間武彦、職業は探偵。ちなみにシュラインとは長い付き合いの恋人だ。今は一緒に住んでいる。
「お前さんが卵に触るのが見えたんだよ。びっくりしたぜ、急に消えちまうんだもんな」
「消えたくて消えた訳じゃないわよ」
「そりゃそうだろうけど。ったく、零の話なんか真に受けやがって」
「そっそんな事無いわよっ!」
思わずむきになりかけたシュラインが、無意識のうちに一歩引いて階段を踏み外す。バランスを失った彼女の体を、武彦が咄嗟に引き戻した。
「危ないぞ。随分長い階段みたいだからな」
「…分かってるわよ。私ずーっと歩いてるんだから、ここ」
落ちたらどこまでもごーろごろだぞ、などと言われてシュラインはむっと顔をしかめたが、そんな彼女の様子なぞ気にもせずに、武彦は辺りを見回した。
「しっかし、妙な場所だな」
その感想には異論はない。だが…。壁一杯の本棚。どこまでも続く本の海。この環境自体は決して嫌いではない。それに。
「ねえ」
斜め後ろを振り向いた途端、目にした光景にぎょっとする。いきなり煙草を取り上げられた武彦が不満そうな声を上げた。
「何考えてんの!こんな所で煙草吸う人が居る?!」
「…ここに。だってどうせ本物じゃないだろ、これ」
「本物じゃなくてもダメ!これは出るまで預かっとくから。全くもうっ…!」
没収を宣告されて眉根を寄せた武彦を無視して、シュラインは改めて手元の本棚を見た。これは夢。彼の言う事は多分正しい。理由は、これだ。シュラインは目を閉じると、今は滅多に手に入らないとあるマイナーなタイトルを思い浮かべた。えい、と書棚に手を伸ばす。手に触れた背表紙を引き出して見て、やっぱり、と唸った。
「どうした?」
覗きこんだ武彦に本を見せたが、要領を得ない彼は首を傾げただけだ。
「ここ、私の為の世界って事みたい。良く見ると、書棚の本って、全部私の好きな本とか懐かしい本ばっかりなのよ」
「…これ、全部か…?」
武彦の声が強張ったのも、まあ無理は無いだろう。彼よりも自分の方がかなり読書家であるであろう事は、シュラインもよく分かっている。…にしても。
「うーん」
シュラインは再び、書棚に手を伸ばした。露仏辞典と念じて触れた分厚い背表紙を引き出すと、ぱらぱらとめくった。
「やっぱりこれ、なかなか便利だわ」
何を暢気な、と呆れる武彦を尻目に、シュラインは色々なタイトルを念じては本を取り出した。面白い事に、念じながら触れれば書棚の全てが本に変わる。
「ねえ、ちょっと武彦さんもやってみたら?」
「やだね。探してる本無いし。そんな事よりさっさと帰るぞ」
先にたって歩き出した武彦に、シュラインは軽い溜息を吐いた。少しは楽しんでくれても良いのに。武彦の大嫌いな怪異ではあるが、生命の危機は感じないし、少なくともシュラインは…。
「楽しくないの?」
思うより先につい言葉にしてしまって後悔したが、遅い。武彦は案の定むっとした顔でくるりと振り向くと、
「全然!」
と言い切った。
「俺は迅速に帰りたい。図書館ってずっと居ると腹が痛くなるんだよ」
「…コドモ」
「本オタク」
「読書家と言ってよ。もうっ、ちょっとデートみたいって思ったのに」
「これはデートとは言わん。遭難と言うんだ」
…そうなんですか。つい胸を過ぎった駄洒落は心の奥底に封印した。二人はしばらく黙って歩き続けたが、どうにも出口は見つからない。ヒールの靴なぞ履いてくるのではなかった、とシュラインは後悔したが、そもそもこんな場所に来る予定ではなかったのだから仕方がない。
「ねえ」
「何だよ」
「私もずっと歩いたけど、出口見つからなかったわよ」
「もっと歩けば見つかるかも知れないだろ」
「雪山では、歩けば歩くほど死に近付くのよ」
「ここは雪山じゃない、本の山だ。それに、体動かした方が頭の回転も…」
と言いかけた所で、武彦はふいに立ち止まり、
「やっぱり休むか」
とその場に腰を下ろした。
「武彦さん?」
「靴、脱いだ方がいいんじゃないのか?」
首を傾げながらも彼の隣に腰を下ろしたシュラインの足元をちらりと見て、武彦が言った。彼女の足の痛みに、気付いていたのだ。
「…平気よ。このくらい」
意地を張ってしまうのは、嬉しさの裏返しだ。我ながら天邪鬼だと思う。いつもはこんな風ではないのに。礼を言うタイミングは意外と難しい。一度外すとそのまま掛け違えたボタンのようにずれていく。
「なあ」
「何よ」
「さっき、俺が来た時、お前さん何考えてた?」
「何って」
「だから。ここじゃお前さんの望んだ本が出てくるんだろ?要するに、お前さんの望みが叶う世界って事だ」
武彦の言わんとする所を察して、シュラインは頬を染めた。しばらく迷い、躊躇し、息を吐いてようやく頷いた。
「誰かいないかなあって思ってたわ。出来ればその、武彦さん…とか」
「『とか』って何だよ、『とか』って」
『とか』は『とか』よと言い返そうとして、シュラインはふとある事に気付いた。確かにあの時自分は武彦の事を思ってはいた。それは確かにそうなのだが…。
「少し、違うかも」
「違う?」
シュラインは思い出すように胸元の眼鏡を弄んだ。
「私あの時本を出そうとしてたのよ。それなのに、出てきたのは武彦さんだった」
「それだ!」
武彦がぽんと手を叩く。
「外に出たい!と思いながら本を出せばいいんだよ、きっと」
「そんな簡単な話かしら」
「物事はえてして見かけより単純なものなんだ」
「自分の希望でしょ、それは」
と言いながらも、シュラインは武彦に言われるまま、心に念じつつ本棚に手を伸ばした。外へ。卵の外へ。ゆっくりと本を引き出す。手にしたタイトルは『不思議の国のアリス』だ。オーソドックスな一冊が出たなと思いつつ引き出すと、本の抜けた空間に見慣れた雑踏が垣間見えた。武彦がやった!と喜びの声をあげ、彼を振り向こうとしたシュラインが本を取り落とす。ぱらぱらと音を立ててページが開き、何故かそれに呼応するように他の本達が次々と二人の上に降りかかってきた。
「シュライン!」
上から大きな本が落ちてきて、武彦がシュラインの上に覆いかぶさった。彼女も衝撃に身構えたのだが。
「ねえ、ちょっと」
何も落ちてこない。恐る恐る辺りを見回した二人の目に飛び込んで来たのは、全力疾走する眼鏡をかけた兎だった。…見覚えがある。
「アリスの世界だわ」
「今度は本の中か。冗談じゃないな、こりゃ。シュライン、外に出たい、ってまた念じろ」
「…うん」
兎について行きたい気持ちを抑えつつ、シュラインは再びあの雑踏を胸に思い描く。だが、上手くは行かなかった。その都度場面は変わるのだが、全てどこかで見た光景…本の中だとすぐに分かった。飛沫を上げる白いクジラ。タンスの中に飛び込む子供たち、竜にのる少年、パリの屋根裏、銃撃戦、哲学者達は次々と現れては語り、武彦はとうとう悲鳴を上げた。
「お前さん、ホントに帰りたいと思ってるのか?!」
「ホントに…?」
一人の時は確かにそう思っていたのだが…。
「自信ないかも」
素直に答えると、武彦はがっくりと膝をついた。
「…もういい、お前さんの好きなとこ付き合ってやるから!気が済むまで、な?!」
「好きな所…?」
「そう!どこでも!」
「うーん…じゃあ…」
シュラインは目を閉じ念じた。彼女が行きたい所、好きなもの、それは…。
「何、これ」
再び目を開けたシュラインは、目の前の光景に首を傾げた。
「すまん。これ、俺の探してた本だわ」
と謝る武彦は非常に決まり悪そうだ。目の前にあるのは線路。そこをタヌキが歩いている。
「もうすぐ、汽車が来るんだ」
武彦が言った。
「危ないわよ、タヌキ」
「化けるんだ。汽車に」
「衝突事故になるわ」
「いや、所詮タヌキだから」
「轢かれちゃうわよ」
「…そういう話なんだよ」
「みも蓋も無いわね」
「悪かったな。絵本とは思えん虚しいラストが、子供心に忘れられなくてな」
「忘れ難いと言えば忘れ難いとは思うわ。でも、探してる本は無いんじゃなかったの?」
「お前さんじゃあるまいし、それ程執着は無いんだよ。それに最初にあんなラインナップ見せられて言えるか、絵本探してるなんて」
武彦なりの見栄だったらしい。くすっと笑うと、彼はふん、とそっぽを向いた。
「気が済んだなら、帰るぞ。俺は腹減ってるんだ。鍋の中の里芋とイカが俺を待ってる。冷蔵庫のサンマもな」
「って、いきなり現実的ね。…もしかして、その為に早く帰りたがってたの?」
「当たり前だ。うまい飯は何にも優先する」
「ふぅん…」
一人で食べても良かったのに。わざわざ遅くなった自分を迎えに来てくれたのだ。シュラインはちらりと隣の男を見上げた。素直な男ではない。甘い言葉をくれる人でもない。秘密だってまだ沢山ありそうな気もする。だが…。
「ねえ」
「何だよ」
ぶっきら棒な返事に笑みを押し殺しつつ、シュラインは言った。掛け違えていたボタンが、すうっと元に戻ろうとしている。
「あのね。…迎えに来てくれて、ありがと」
どういたしまして、と言う武彦の声に重なって、ぱりぱりと言う軽い音が聞えた。これは…卵が割れる音。きっとそうだ。周囲の音が消え映像が消え、光の渦が二人を取り巻く。次に目を開けた時、二人は元の雑踏の中に居た。目の前には、山と積まれたラヴァーズ・エッグ。ワゴンの向こう側の売り子が、不思議そうに二人を見ていた。
「あの、お客様?」
「何でもないわ。邪魔したわね」
シュラインは微笑んで、武彦の腕を取った。顔を見合わせて歩き出した二人の背後で、白く輝く大きな鳥が悠然と翼を広げて飛び立ったが、不思議と気付く者は無かった。
<終わり>
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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シュライン・エマ様
三度目のご参加、ありがとうございました。ライターのむささびです。ラヴァーズ・エッグ、お楽しみいただけたでしょうか? 他の異性PCさんがいらっしゃれば、友情深めるのも良いなあと思ったのですが、結局上手く組み合わせが出来なかった為、本来の恋人である草間氏においで願いました。玲一郎バージョンも考えたのですが、一度草間氏とシュライン嬢のやりとりも書いてみたいと思ってしまいまして。結果、解決法など少々違ってきてしまったかもしれません。すみません。ちなみに草間氏が探していたという絵本は、昔の物ですが実在した絵本です。いつかまた、お会い出来る事をお祈りしつつ。
むささび
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