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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ミッドナイト・ベル


 骨董品屋『神影』――とっくに日の暮れたこの店を訪れる客もなく、居るのは店主に留守を頼まれた藍原和馬ただひとり。
 いつも店番をしているはずの日本人形は、今は興信所の依頼だとかで調査に借り出されて不在だ。
 どうせなら自分もアチラの方が良かった。
 ここはあまりにも異質なもので溢れすぎて落ち着かないし、なによりも退屈だ。
 その退屈をしのごうとして大惨事になったことも一度ならず二度三度とある。
 迂闊な好奇心は不幸しか呼び込まない。
 そして最後は決まって店主の鉄拳に静められるのだ。
 やはりどんなに危険でも、調査依頼の方が絶対いい。
 いや、そもそも自分はバイト明けだったのだ。もしも呼び出しさえなければ、今頃ネットの海に相棒と共にダイブしていた。それが叶わないだけでも充分切ない。
「行きたかったなぁ……」
 思わず呟きを洩らしつつ、彼はアンティークのテーブルに肘をつき、誰も見咎めるものの居ないその場所で暇に任せてテーブルマジックの練習をする。
 あの緑の少年がバラエティ番組でマジックにものすごく感動していたから。
 そして『和馬おにーさん、できるなの?できるなの?』とキラキラと期待に満ちた目で自分を見たから。
 やらないわけにはいかないだろう。
 いや、むしろ喜ばせたいと思っている。満面の、あのはじけるような笑顔はぜひとも見たい。
 和馬の器用な手先は、種と仕掛けをふんだんに取り入れたカードを幾度もテーブルからボンと言う破裂音と共に焼失させては、また取り出す。
 せっかくだ。なんでもアンコールにも応えられるようにしておこう。
 意外と凝り性な彼は、いつのまにかその作業に没頭していた。
 タネも仕掛けるあるからこその面白さに引き込まれる。
 そうしてどれほど時間が経ったのか。
 唐突にそれまで沈黙していた電話が鳴り響いた。
「うお!?」
 凝った意匠の美しいアンティークが奏でる澄んだ音。特にどこが変わっているわけでもないのに、間違いなく彼女からの呼び出しだと察知してしまう自分が居る。
「……はい、神影……」
 そして、勘は外れない。
 少々高圧的で、絶対的で、ほんの少しの毒と艶を含んだぞくりとする声で、彼女は言う。
『迎えに来てね。もちろん車で』
 その一言がどうしてこんなにも重みのある命令となりうるのだろうか。
 有無を言わせない無情なる彼女の笑顔が簡単に脳裏に浮かぶ。
「了解しましたぁ!」
 長い時間を掛けて刷り込まれた条件反射でもって、和馬はコートも羽織らず深夜の街に車で飛び出した。


 雨が降り注ぐ人気のない路地裏。どこかに別の次元にでも通じていそうな古い扉を背にして、漆黒の毛皮のコートを纏った彼女――マリィ・クライスは優雅に微笑みそこに立っていた。
 その手には出所の怪しげな木箱がひとつ。
 厳重に符を貼り付けていた痕跡が認められる正方形の匣を左右に振れば、中からは今にも心地よい音がこぼれてきそうだ。
 これを入手までには多大な手間と時間とお金が掛かっている。
 噂を耳にし、それを頼りに現在の持ち主を探し、降り掛かる厄災を封じる代わりに譲り受けた稀代の骨董品。
 楽しげに愛しげにうっとりと眺めて木箱を撫でながら、先程呼びつけた運転手の到着を待つ。
「師匠!」
 バシャバシャと水を跳ね上げながら、ようやく黒服の弟子がカサを片手にこちらへ駆け寄ってくる。
「おや」
 マリィは機嫌が良かった。
 それはもう、近年稀に見る良さだ。
 だから、
「遅かったねぇ、和馬?呼び出しから5分38秒だ。この寒空の下で随分と私を待たせてくれたねぇ?」
「え?あ、あの……こ、これでもかなり急いだんっすけど――」
「ふうん?」
 普段ならばここで容赦なく腹に一発、延髄に一蹴り入れているところだが、軽い忠告のみでやめる。
「まあ、次はないと思っておきなさい」
「……し、師匠?えっと?」
 とっさに身構えていたらしい彼が、訝しげにこちらを見上げる。
 妙に嗜虐心を煽る表情だが、それでも手は出さず、代わりに彼のカサを奪い取る。
「なにぼさっとしてんの。さ、帰るよ」
「は、はい」
 当然のように自分だけがカサを差し、彼女は車に向かう。
 哀れな弟子は濡れながら文句も言わず……いや、言えず、マリィを追い越して素早く後部座席のドアを開ける。
 彼女が乗り込む瞬間。
 ざわりと嫌な気配が和馬の背を駆け上った。
 不吉な空気の出所は、間違いなく彼女が抱えているあの木箱だ。
 怪しげで不穏で不快な病んだ気配。
 だが、マリィが選び、マリィが仕入れた代物だ。曰くが付かない方が珍しいだろうし、そういったものほど、ある筋では値が張るものである。
 そう、結局はいつものことなのだ。
 車はゆっくりと誰もいなくなった『店』に向かって走り出す。
 ご満悦な彼女を『神影』に送り届けさえすれば、和馬の今夜の仕事は完璧に終わるはずだった。
 はず、だったのである。
 だが、何か起こるのもまたいつものコトであったのかもしれない。
「う、わっ!?」
 思わず和馬が声を上げる。
 反射的にブレーキを踏む。
 何かが、ごく小さな何かがフロントガラスを横切った。
 甲高く焼け付くような音が響き渡る。
 重力が衝撃となって2人の身体を襲う。
 何かを轢いた感触はない。
 その事実にホッとして、深く息を吐き出した。
「どうしたんだい?」
「へ?あ、なんかちっこいのが飛び出してきたんで……猫っすかね?あ、でも――」
「和馬!」
 特に問題はなかったと続けかけた彼の言葉を、マリィの悲鳴が遮った。
「鈴が」
 珍しく彼女の顔が色を失っている。
 マリィが抱えていた木箱はまるでその瞬間を待っていたかのようにパクリと口を開けていた。
 中には窪みの出来たベルベットの敷布があるだけだ。
「……ええっと?」
 リン……
 窓の向こうから微かに耳へと届いた『鈴の音』に、マリィは更なる悲鳴を上げかける。
「なんっすか、ありゃ?」
 ハンドルに上半身を押し付けるようにして、思わず前のめりになって目で追う。
 ヘッドライトが落とす明かりの中、雨粒が濡らす地面を転がる、それは美しい細工を施された青銅の鈴だった。
「和馬!」
「はい?」
「あの鈴を掴まえな!絶対!何があっても!壊すんじゃないよ!」
「へ?あ、はい!了解しましたぁ!」
 もしちょっとでもアレに傷をつけたら――その後に待ち構えている自分の運命など考えるべくもない。
 和馬は恐怖に一瞬竦みつつ、それでも気合を入れて地を駆けた。
 そのすぐ横を彼女が走る。
 鈴の音が響く。
 闇の気配が濃くなる。
 水に何か別のものが混じりこむ。
 正常な世界がみるみる歪んでいくのが分かる。
 疾風の獣たちの行く手を遮るのは、ねっとりと纏わりついてくる異形だ。
 自身のカタチを持てず、不定形に揺らめきながら、ベタリベタリと這い出てきては縋りつく。
「まったく、アンタのせいだよ!」
「お、俺のせいっすか?」
「アンタの運転が上手けりゃ、こんなにコトにはならなかったんだよ」
「え?あの、それを言ったら最初に俺に車で迎えにこいと言った師匠が――ぎゃいんっ」
 速度は落とさずに彼女が拳を真横に突き出し、かわいい弟子の顔面が強打される。
「グダグダ抜かす子はキライだよ」
 治癒能力は高くとも、攻撃されたら痛い。血だって出るし、下手をすれば骨も折れる。だが、和馬は残念ながらソレに抗議する資格を与えられていない。
「………イエス、師匠……すんませんでした」
 ちょっぴり哀しくなりながら、それでも殴られた顔を片手で抑えつつ彼女の後について走る。
「スナオないい子は好きだよ」
「…………はぁ………」
 もう幾度になるのか分からないくらい自分の境遇について思いを馳せたりもするのだが、それで労働環境が良くなる訳ではけしてないことも承知していた。
 そして、今この瞬間に自身が為すべきことも充分に理解していた。
 鈴の音が響く。
 周囲の邪気を孕んで更にいっそう妖しく。
 痛みを伴うほどに肌を刺す、病んだ気配。
 なにより。
 そう、なにより。マリィと和馬2人の脚力をもってして、いまだ追いつけないという事態が既に異常なのだ。
 いつの間にか、疎らだった外灯が更にその間隔を広げ、河のせせらぎが入り込み、地面はコンクリートの代わりに土が覗き始める。
 追いかけっこはまだ終わらない。
 追い討ちをかけるように、黒く沈んだ周囲からは、更に不浄にして不定形なモノたちがベチャリとしぶきを撒き散らしながら2人の足や腕、腰、髪など、ありとあらゆる場所にへばりつこうと手を伸ばしてくる。
 次第に服はそれらの水分で重みを増してゆき、踏み潰し振り払えば四散した粘液がべっとりと絡みつく。腐臭のせいで鋭敏すぎる嗅覚は麻痺し始めていた。
 鈴の音は続く。
 異形のモノたちの妨害も続く。
 長引けば、不利になるのはマリィたちの方である。
「ああ、もう、鬱陶しいね。和馬ぁ!」
「うぃっす!了解いたしましたぁ!」
 一瞬目を閉じて。
 気を巡らせて。
 鋭く吠えたその勢いで、彼の身体はメキリと音を立てて爪先から獰猛な獣の毛に覆われていく。
 解放される力。
 ぐるるるぅっと低い唸りを洩らし、鋭い凶器を四肢に備えて、和馬は一気に駆け抜けた。
 その隣を同じように美しい獣へと姿を変じた彼女が走る。
 鋼鉄をも引き裂く鉤爪が空を薙ぎ、呪を含んだ牙が有象無象の人ならざるものを滅殺していく。
 悲鳴とも懇願とも、そしてただの破裂音ともつかないものが鈴の音を上回って周囲に溢れ出した。
 獣を押し止めるだけのチカラを、ソレラは有していない。
 あるものは蒸発し、あるものは霧散する。
 そうして数多の異形を蹴散らしたその先で、和馬の目が青銅の鈴を見定める。
 ソレは道の向こうでわだかまり蠢くものの中へと吸い込まれようとしていた。
 もしもアレが飲まれたら。
 もしも共鳴してしまったら。
「やらせるんじゃないよ、和馬ぁ!」
「了っ解しました――っ!」
 ぐちゃぐちゃと内臓のようなものの中へ獣の腕を迷うことなく突っ込み、
「つ、っかまえたぁっ!!」
 手の平に収まる小さな感触を逃さず掴んで、頭上に拳を掲げ、勝利の宣言。
 何者にも勝り、響き続けていた妖の音が和馬の手の中に握りこまれ、沈黙する。
 そして。
 潮が引くように、際限なく溢れ続けていた闇のものたちも、影に溶け込むように姿を消した。
 マリィは闇の残骸を軽く払い落とし、
「よくやった。そのまま逃すんじゃないよ」
 すぅっとヒトの姿に戻った彼女はコートから木箱を取り出し、大切そうに鈴をしまいこんだ。
 そして赤い唇を微かに動かし、鍵を掛けるように呪を紡ぐ。
 不可視の鎖がキュルリと木箱を取り巻いて、もう何の音も波動も感じない。
「………よし、と」
 河のせせらぎと遠くの街の喧騒が、2人の世界に日常という名を冠して帰ってきた。
 ようやく終わったのだ。
「はぁああ……追いかけっこ完了っすね」
 和馬もまたゆっくりと息を吐きながら完全なるヒトの形を取り戻し、そのまま地面に崩れ落ちそうになる。
 そろそろ体力の限界だった。
 だが、目の前に立つのは無慈悲な女王である。ここでへたばることを許してはくれない。
「和馬」
「はい?」
「車」
「…………はい」
 短い命令だった。
 しかし、絶対、だ。
 和馬は疲れた身体に鞭打って車を置いてきた場所まで戻り、そうして、河辺で待つマリィの機嫌が損なわれないギリギリの時間を弾き出せる運転で参上した。
 そして彼女の為に一端外に出てドアを開き、彼女が乗り込むとドアを閉め、そうしてようやく運転席へ。
 髪や服に染み付いてしまった腐臭が少々気持ち悪いが、今の状態ではどうしようもない。また『鈴』が逃げ出したりしないように窓をピッタリ閉めて、和馬はアクセルを踏み込んだ。
 ようやく一仕事終えようとしている。
「で、師匠……普通、鈴ってのは魔除けのお守りになるもんっすよね?」
 後部座席でゆったりとくつろぐ彼女に、バックミラー越しに問いかける。
「結局、ソレはなんなんっすか?」
 マリィは金の瞳をすぅっと細め、嫣然と微笑んで見せた。
「秘密」
「秘密って、師匠」
「私は一眠りするから、今度こそ運転をしくじるんじゃないよ」
 疑問符に繋がるはずだった会話を一方的に打ち切ると、マリィは木箱を抱いたまま目を閉じてしまった。
 これほどの目に遭ったのに。
 こんなにも酷い目に遭ったのに。
 自分は自分が取り戻した物の正体すら教えてもらえないまま、黙って運ばなければならないのだ。
「………ま、いつものことなんだけど……せつねぇ………」
 彼女は一体誰にどんな目的で『鈴』を売りつけるのだろう。
 きっとその瞬間が来たとしても、自分が知る事はないのだろう。
 和馬は報われない苦労に溜息をこぼしつつ、雲の合間から顔を覗かせた月を眺めながら骨董品店へ急いだ。
 今度こそ本当に、この仕事が終了することを祈りながら。



END