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シークレット・オーダー 5
もっと、早くに気付くべきだったのだ。
買ったばかりの缶コーヒーを強く握りしめながら、背中を壁に押しつけて黙り込む。
なんて皮肉なタイミングだろう、偶々……珍しく買って行こうとしていた缶コーヒーを強く握りしめた。
そこの角を曲がった所の通りで啓斗がこれから会おうとしていた相手を見つけてしまったのである。
確かによく合う事はあったが……よりによってあんな姿を見かけてしまうなんて。
たった今、編集部の直ぐ近くの駐車場で、夜倉木と女の人が車に乗ってどこかへと向かうのを見てしまったのだ。
仕事だったのかも知れないし、そうではない理由なのかも知れない。
どっちでも良かった。
気付いてしまった今となっては同じ事。
ああして傍にいる事すら、仕事や気まぐれの延長線にしか過ぎないとしたら。
真っ直ぐにアトラスに向かい、今は無人と解っている夜倉木の席へと向かう。
「あら、啓斗君・夜倉木くんなら今は……」
「……知ってます」
ただならぬ気配に視線が集まるのを感じてはいても、今は反応している余裕は皆無だった。
ガッ!
缶コーヒーをデスクの上に立て、編集部を後にする。
「………」
「失礼しました……」
グルグルと胸の辺りで渦巻く何かが鬱陶しくて堪らない。
今は少しでも早く、この場から立ち去りたかったのだ。
編集部をでて、家に帰るまではある程度平静を装えていた……とは思いたい。
玄関を開け、弟が幸か不幸か依頼で出かけている事を思い出した。
不在で良かったのかも知れない。
こんな状態、誰にも見せたくはなかったのだから。
ギリギリに取り繕った平静は、少しでも気を抜けば何かが崩れてしまいそうだった。
「………」
溜息を付く事がどうしようもなく苦しい、まるで……肺の中に綿でも入っていてそれが水でも吸い込んだように重く感じるのだ。
重い足取りのまま部屋へと向かう。
襖を開こうと伸ばした手がジンと痺れた。
「………ぁ」
缶コーヒーを置いてからずっと、強く拳を握ったままで歩いてきたから気付かなかったのだろう。
開いた掌の感覚は鈍く、消える事のない熱を保ったままだった。
缶コーヒーを強く握ったのが原因で、軽いヤケドのような状態になってしまったに違いない。
「そうだよな……こういう事だったんだ」
きっと、今のこの状況も同じ事。
火傷、なのだ。
触れなければ良かったのに。
気付かなければ、こんな思いをせずに済んだのだ。
言葉にも行動にも出せなかった行き場のない感情が、積み重なって身動きが取れなくなっていく。
全部……もう手遅れ。
無かった事になんてできない。
痺れるような痛みの原因も、呼吸が出来なくなる程の出来事の理由も……知らなかった事になんて出来るはずがないのだ。
何も考えたくはない。
今さらどうしろと言うのだろう。
「苦し」
胸を押さえたままその場にうずくまり、じわりと痛む掌を抱え込むように座り込む。
「何を……期待してたんだろ」
望むような事が起きる筈なんて無い事は、よく知っていた筈だったのに。
「ずっと……」
暗闇に慣れた頃。
啓斗は自嘲するようにぼんやりと掌を見つめ、ゆっくりと目蓋を閉じた。
外が大分暗くなってきただろう時刻になっても、まだ家には一人きり。
目元を拭いながら畳の上に横になり、まとまらない思考が渦巻き続けるままにしておく。
このまま飲まれてしまうなら、いっそそのままで良いとすら思った。
一度深みにはまってしまえば、一人ではどうする事も出来ずに底の見えない場所へと沈んでいく。
誰かに言いに行く事なんてできなかった。
勘のいい弟が帰ってくれば、もしかしたら状況は変わったかも知れないとしても、それを望む事も出来ない。
望んでいると気付いてしまった瞬間に、隠そうとしてしまうのだ。
触れられないようにしてしまえば、閉じこもってしまえばどうする事も出来ない事をよく知っていたから。
その事だって解っていたはずだ。
自分は自分でしかなく、弟は弟でしかない。
どうしても同じになどなりえないのだ。
何時からだろう。
昔は、一人だと解っていたはずなのに少しずつそれができなくなってしまった。
興信所に行くようになってから?
沢山の人と会ってから?
それとも……。
「―――っ!」
鳴り響く携帯に、体を強ばらせる。
相手は……。
携帯を強く握りしめて名前を見下ろす。
願いなんて聞くから、望んでしまったのだ。
「……っ、ふっ………う」
嗚咽の声すら殺す。
なり続ける携帯が留守に切り替わるまで続いて切れた。
その後も何度か電話やメールが届いたが、どれも見る事すら出来ないまま時間だけが過ぎていく。
今さら何をしようと言うのだろう。
気付かないままであれば変わらずに済んだのに。
「なんで、あんな奴と遇っちゃったんだろ……っ」
気まぐれで、自分勝手で、ろくな噂を聞かないような人間なのだ。
啓斗と居る事も、何を聞いても応えずにのらりくらりとかわしているのも、啓斗の反応を見て遊んでいるのに違いない。
全部、今こうして電話をかけたりしている事だって……きっと、今だけなのだ。
みんな同じように、忘れて何処か遠くへ行ってしまう。
「……卑怯だ」
遠くへ行ってしまうのなら、忘れられてしまうのならあんな風に接して欲しくはなかった。
こぼれ落ちた涙が頬を伝い、画面を濡らしていく。
「…………」
鳴らなくなってしまった携帯を握り、静かに立ち上がる。
普段とは違う、弱々しい足取りで携帯を握りしめたまま何処へともなく歩き始めた。
真っ暗な道を歩き続け、人気のない川原にまで来た所で足を止める。
鳴らなくなってしまった携帯。
留守電やメールは幾つ残されていても、全く見る気が起こらない。
近くの橋を車が通り、照らされた月明かりに自分の顔が写りそうなのが堪らなくいやだった。
「……こんな物」
捨てた所で意味なんか無いのだと解っては居ても、そうせずには居られなかったのである。
思い切り腕を振り上げ、川に向かって携帯を投げ捨てた。
小さな音を立てて沈んでいくのを見届けて、広がっていく波紋から目をそらす。
たった、それだけの事。
川から背を向けて歩き出した直後、何かが水の中に入っていくような音が聞こえる。
「……なっ」
振り返った時には、膝あたりまでを水に沈めた夜倉木がそこにいた。
「………」
無言のまま、射抜くような視線で啓斗を見上げてから川に沈んだ携帯を拾い上げる。
「なにしてんだあんた!」
反射的に睨むように声を張り上げた啓斗に夜倉木がはっきりと言葉を返した。
「こうでもしないと、会話にならないと思ったからやってるんですよ」
「………」
放り投げられた携帯を受け取りながら、ジッと黙り込む。
電話に出る気がなかった事も、普通に来た所で会話にならないと思っての事だろう。
きっと、それは正しい。
「……やっぱり、あんたはずるい」
「知ってます」
予想しない時に現れては、口に出せずにいた言葉を意図も容易く引きずり出していくのだ。
「卑怯者」
「それでもいいですよ」
あれほど沈んでいた気分が、これだけのやりとりで軽くなっていく。
何て単純だとは思いつつ、やめる事なんてできなかった。
「あんな事、する必要なんか無かったのに」
「……わかってます」
溜息を付いた後、啓斗に問い掛ける。
「聞きたい事があるなら言って下さい」
壊れてしまった携帯を握りしめ、言葉を探す。
知りたい事は、幾らでもあったのだから。
「………依頼したから、俺とこんな事してるんだろ?」
「世の中、こんな仕事ある訳無いですよ」
「じゃあ、俺の事からかってるんだろ?」
「………それだけじゃない」
幾らかは混ざっているのだろうかと思いつつ、嘘か本当かを探るように問い掛けた。
知りたかったのは……。
「俺の事、嫌いだろ?」
「………」
「はっきり言えばいい……俺なんかどうでもいいって!」
「啓斗、それは……」
ためらうように目を伏せ、顔を上げる。
何かを決めたような視線に、言葉に詰まった。
「俺は……」
ピピピピピピピ
「!?」
携帯の音に、二人してギクリと体を強ばらせる。
「……え?」
「壊れたはずじゃ……ああ、こっちの」
鳴ったのは夜倉木の携帯だ。
無言で画面に視線を押しとしてから、携帯をしまう夜倉木。
「……仕事か?」
「アトラスの方の? 直ぐに戻れと」
「そっか………」
何とも言えないぎこちない空気があたりに流れる。
家にいた時の耐え難い息苦しさは解放されはしたが、今の喉に物が詰まったような空気もどうしたものだろう。
「さっきの続きは?」
「それは、まあ後で……所で、メールや留守電は聞いてませんよね」
「………? 無かった」
「そうですか」
明らかに安堵したような反応に眉を潜めた。
「何が入ってたんだ?」
「大したことじゃありませんよ」
あくまで言うつもりはなさそうである。
自分でやってしまった事とは言え、そんな事を言われた途端に何が入っていたかが気になり始め酷く後悔させられた。
「卑怯者っ」
「何とでもどうぞ」
携帯の画面は、どうした所で真っ黒のまま。
言葉の続きと、携帯に残っていた伝言の内容を知る日は……一体何時ごろ来るのだろうか。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0554/守崎・啓斗/男性/17歳/高校生(忍)】
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■ ライター通信 ■
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発注ありがとうございました。
携帯電話、水没してしまいました。
なので内容は謎のままです。
頑張って聞き出してくださいね。
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