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<バレンタイン・恋人達の物語2005>


<<イエロー!マジック!!オーケストラ!!!>>


■イントロダクション


「第2封鎖壁、突破されました!」
「まもなくドアが破られます!!室長!!!」
もうもちません!
若い研究員が、絶叫した。
エマージェンシーコール鳴りっぱなし、シグナルタワーレッド表示。
不味い。
草間武彦は、じっとりと背に冷や汗をかいていた。
・・・見るからにやくざな商売の連中に囲まれても、これほど恐ろしいとは思えない。そんな連中相手でも、それなりに渡り合って行けるという自負は有るし、事実切り抜けて来たと思っている。
が。
「愛してる〜〜!!」
「結婚して!!!」
「で〜て〜きて〜!!」
嬌声、なんて可愛いものじゃない、叫び声だ。
・・・畜生、どうしてこんな事に。
草間武彦は、己の運命を呪うより他無かった。それ意外、何が出来ると言うのだ。



・・・久々にまともな仕事が舞い込んだと思ったのだ。
ある製薬会社が奇妙な薬を開発しているようだから、調査して貰えないかとの依頼が来た。前金もかなりのもの、報酬のすこぶる良い契約内容に、・・・少々手荒な事もあるのかと、幾分不審に思いながらも、武彦は契約を交わした。
それが。
件の試薬会社周辺でそれとなく聞き込みを行っていたところ、白衣姿の連中に声をかけられた。ようこそ被験者の方でしょう、にこやかな笑みに一瞬身構えたが、・・・中を知るいい機会だとばかり、そうだと返事をしてしまった。
頑丈な金庫のような扉が、幾つか続く。
馬鹿に警備が頑丈だ。それが気味悪かった。
連れ歩かされる場所を、いちいち確認する。物騒な警備員はいないか、逃げ道は。
ポイントを押さえては、ちらちらと周囲を盗み見ながら進む。
そうこうするうちに、3つ目の金属製ドアを抜けて。
「さあ、ついたよ。」
そうして。
辿り着いた部屋には、・・・思いも及ばないものが、鎮座していた。
「・・・チョコ、レート?」
何なんだ。
頑丈な扉の先が、このチョコレート一つきりか。
呆気にとられたものの、顔には出さない。一応、『被験者』としてここにいるのだ。ぼろを出すわけにも行かない。
「さあさあ、食べてみてくれ。」
にこにこと男が笑う。周囲を見回す。いるのは線の細い、いかにも研究員タイプの男ばかりだ。・・・殴り合いをしても、まず自分が負ける要素は無いような。
全員、ぶん殴って部屋を出るのも良いが・・・。しばし、武彦はチョコレートと見詰め合って。
ええい。ままよ。
死ぬ事は無いだろうと・・・顰め面で、そのトリュフを口に、放り込んだ。
ごくん、と、無息飲み込んでみる。・・・おかしな味はしなかった。味に限って言えば、甘さの抑えられた、普通のトリュフチョコ、だ。・・・だったが。
「・・・食べましたね?」
にんまりと、白衣の男が笑った。
「・・・・・」
何か、・・・いやな予感がした。
貴方もご存知の通り、・・・被験者なのだから、知っている筈だ・・・と、男は満面の笑みで話し出した。
「ここでは、不特定多数にもてるための、惚れ薬、の研究をしていまして。」
「・・・・・」
妙な薬って、それなのか。
脱力した武彦の鼻面で、男は誇らしげに笑って見せた。
「惚れ薬は、ハゲの特効薬と並んで男のロマンですからね。」
男性の需要は多く、また後援者も多い。男は胸を張った。
「特別なフェロモンが大気に乗ってばらまかれる事で、女性を惹きつける効果が現れる、という仕組みになっています。」
・・・まあ、女好きのしそうな香水みたいなものか。そういえば、バレンタインが近いから・・・その為の開発商品かも知れない。
げんなりしながら、とりあえず二の腕あたりの匂いをかいでみる。別に、何の匂いもしなかった。どっちにしたって、こんなもの効く訳が無い。馬鹿馬鹿しいと、武彦は席を立とうとした。無論、帰る積もりだった。礼金が貰えなくても、もうどうでも良い。



・・・が。
異変は、起きた。
「室長!!」
若い研究員が、不意に顔色を変え声を荒げる。
「変です、・・・研究室の入り口に、次々と女性が集まってきます!」
白衣の男が、慌ててモニターに走り寄った。研究室の入り口、何重にも区切られた扉の警備モニターには、製薬会社に勤める女性達が何故か続々と集まってくる。
「何だ、ここは隔離されている筈だろう!」
いくらフェロモンが出ているからって、外に漏れる事は無い。
「・・・どうやって漏れているんだ!?」
「異変は、何故か地下1階の、購買裏あたりから起こっています。」
地下1階・・・男は呟いた。そうして、何を思ったのか葵顔でパソコンの端末前に立つ。
「すぐに調べろ!排気ダクトが何処につながっているか!」
・・・この部屋は、完全に隔離されている。それは確かな事だ。
故に、外部から内部に向かって、人だろうと大気だろうと許可無く進入する事は出来ない。が。
内から外に向かって、・・・出ないとは限らない。よって。
内側の大気を逃がす、排気ダクトが無いとは、・・・決まっていない。
「しまった!!」
しまった、じゃない。
「しかも・・・少々効きすぎだ。」
・・・いまさらだ。・・・もう少し考えて、一服盛ってほしい。
男の言葉にいちいち突っ込みを入れながら、武彦は大きな溜息をついた。
女の数はますます増えている。そうして声も。
黄色い(イエロー)、ありえない(マジック)大合唱(オーケストラ)が、扉の外から響いてくる。いや、響くというよりは。
「まずいぞ・・・核シェルター並みの強度を持つ扉が・・・」
声は衝撃波となって繰り返し壁を打ち鳴らす。
・・・この惚れ薬、どう考えても惚れさせる以外の効果が出ているとしか、考えられない。あの女性達、明らかに常軌を逸しているでは無いか。
どおん、どおんと繰り返し叩きつける音。この扉が破られるのも、時間の問題だ。
「向こうに裏口がある。そこから逃げろ。」
効き目はそのうち覚めるから。とは、なんて無責任な。
だがここにいたら、程なくあの声の集団に囲まれるに違いない。・・・それで、生きていられるだろうか。
だからといって、女に手をあげるのも、・・・大体あんな大勢の女を相手に立ち回るのも、出来ればごめん蒙りたい。
「とにかく、今日一日、逃げ延びてくれ。」
とにかく誰かに助けを頼みたまえ。不特定多数に効くよう作られた薬だ、・・・君を知る人間なら、多分大丈夫と思うから。
男の台詞に、思わず頭を押さえ。
「誰か・・・助けてくれ・・・」
天井を仰いで、思わず呟くしか無かった。



■勘違いから始まる恋もあるというけれど。(恋じゃなく。)

「ごめんなさい、お兄さんは今、お仕事中なんです。」
 そのころ、零は。
 来訪者に、零はそう言って頭を下げた。
 「いいんですよ、ちょっと寄ってみただけなんですから。」
 にこにこと笑いながら、そう答えたのはシオン・レ・ハイ (しおん・れ・はい)だった。
 草間武彦の事務所そばを通りかかったから、ちょっと顔でも見ていこうかと思ったのだが、少し間が悪かったようだ。そのまま帰ろうとすると、ふと零が引き留めた。
 「そうだ、ちょっと待ってて下さい。近所においしいチョコレートケーキを売ってる店があるから、買って来ますね。お兄さんが戻るまで、ケーキとお茶で時間をつぶしていて貰えますか?」
 零がそう尋ねると、シオンはにっこりと微笑み返した。
 「勿論です。」
 「じゃあ、買って来ます。ちょっと待っていてください。」
 そう言うと、零は部屋を出て行った。
 ソファにもたれ、ゆっくりと室内を見回しながら、リオンは零の帰りを待つ。
 そのときだった。
 「…電話ですね…。」
 家主がいないときに限って、大事な電話はかかるものだ。
 2回、3回。
 ベルが鳴る。零はまだ戻ってこない。
 ちらりと戸口を見遣り、シオンは思う。
 零は、チョコレートケーキを買いに行って帰って来ない。
 もし誰も電話に出なければ困るだろう。だったら。
 「ハイ、」
 シオンが言った。向こう側で、誰かが無言になって。
 それから声がした。草間武彦の声だった。
 「零はどうした、」
 「零さんは今出かけてます。」
 ち、と武彦が舌打ちしたのが分かる。
 「どうかしたのですか?」
 「どうもこうもない、おっかけっこだ。」
 きょとんと、シオンは武彦に尋ねる。
 「おっかけっことは、誰とです。」
 「知らん。大勢なのは確かだ。そして、追ってきてるのは全部女だ。」
 不特定多数に追われている、という意味の武彦のその言葉を耳にして。
 不意に、シオンの顔がぱあと晴れ渡った。わが意を得たり、といった顔つきで、実に楽しそうにシオンは武彦に告げる。
 「つまり鬼ごっこですね?沢山の人が鬼の。」
 違う、と訂正するのも馬鹿らしく。
 だが、ここで間髪いれずに訂正しなければならなかった。
 あろうことか、シオンはこう言ったのだ。
 「私もまぜてください、楽しそうです。」
 そう言って切れた電話。…だが見えなくとも聞こえずとも分かった。もうすぐ、全開に勘違いした、シオンがここにやってくる事なんて。



■虹を見たかい。

 とにかく、二人合流して。
 追いすがる女性達を振り切ってつい飛び込んだのは、すぐそばの地下街だった。
 だが地下街にも沢山の女性がいる。膨れ上がった人数を削るため、二人は上に抜ける通路を探す。ふと目の前に見えたデパートの入り口に飛び込んだ。出た先は、地下一階食料品売り場だった。
 「そういえば、お腹が減っていました。」
 ケーキも食べ損ねたし。
 おもむろに、シオンが言った。そんな事を言っている場合じゃない。
 そう武彦が告げるより早く、シオンは走り出した。武彦も後を追う。上に逃げるつもりなのだと信じて疑わなかった。
 なのに。
 きらり、と思わずスポットライトを浴びせたくなるような、うやうやしい取り出され方で。
 シオンの懐から出てきたのは、二本の、細長い、棒だった。
 それが何であるか武彦には一目で分かった。それが何であるか認めたくないから…『ただの棒』呼ばわりしているが。
 普通は、これを『箸』と呼ぶ。
 武彦の顔が曇った。もしや。
 その武彦の気を知ってか知らずか、シオンは唐揚げ売り場に突進した。
 ばさりとどこからともなく現れ出た、紙製の容器。四隅が内側へ折れるようになっていて、使わない場合は平らにたためるようになった、ランチボックスだ。それを左手にセットする。
 目標は前方にあるテーブル。目標物はチキンナゲット。ただし、…試食品の。
 一切止まることをしないまま、シオンはテーブルへと走り寄った。さながら、アイススケートをはいてすっ飛んでくるような滑らかなスピードだった。ぶつかると思ったその瞬間、上半身を思い切りねじると、その反動でシオンは大きく振りかぶった。スピンをかけ舞い踊る箸。ナゲットの底に箸が滑り込むと、そのままぼんと上へ跳ね上げる。同時に3つのナゲットが、トリプルアクセルを決め、そのままランチボックスへと飲み込まれた。
 「ブラボー。」
 思わず、武彦は言った。ただし小声で。
 次々と、シオンは試食品を攻略してゆく。ナゲットから始まり、サラダ、マリネ、土産用菓子の試食、あらゆる試食コーナーを、実に無駄なく通り抜けると、容器の中に積み上げてゆく。一種の手品のようだった。
 そうして。
 「これが、一番、難易度が高いです。」
 自分に言い聞かせるように、シオンは言った。
 そのまま右へ折れた。目標は目の前『煮豆』コーナー。
 「いきます。」
 馬鹿に神妙にシオンは呟く。そうして。
 とら豆大豆うぐいす豆丹波黒黒豆白きんときうずら豆白花豆青大豆茶福豆。神速で走り去りながら、シオンは豆を摘み上げ容器に放る。豆は美しい弧を描き、次々と容器に飛び込むとピンボールのように何度も跳ね返った。それからまるで計算したように、右から左に色分けされる。続けざまに飛ぶさまは、まるで一つなぎの数珠のようだった。連なる豆は寸分の距離も狂わずに、ランチボックスに収まって。
 「で…伝説の…、ビーンズ オブ レインボウ…」
 総菜屋の親父が、呆然とそう呟いた。虹の豆。直訳すればそういう事になるが。
 「…伝説になるほど、…やってんのかその曲芸…」
 溜息をつくように、そっとそう呟いた。



■空から降りてきた天使?
 
 地下一階食料品売り場を、走り回った結果。
 シオンのお弁当を満たすに伴って、お弁当屋のおばさん達が、追っ手の人数に加わって。
 更に大人数を連れたまま、二人は逃げ道を捜した。
 「エレベータはだめです、追いつかれます。」
 エレベータに飛び込もうとした、武彦にシオンは声をかける。
 「それもそうか、」
 呟くと武彦は階段を劇走し始めた。この状況から言って、シオンの言葉は正しいと判断したのだ。エレベータに押し寄せられたら、それこそ逃げ場など無い。
 3階から4階、…9階、そして。
 10階、最上階。
 なのにシオンは、更に上に続く階段を登り続けた。まずい、と武彦は思った。このデパートは10階までしかない。しかも、屋上には上れなかった筈だ。
 「おい、シオン、おい!」
 慌てて、武彦はその名を叫んだ。このまま上にのぼっても袋小路にはまるではないか。
 武彦の心配を、…よそに。
 「…あいてる、のか?」
 「そのようです。」
 髪の助けか、それとも罠か。
 本来締め切られている筈の、デパートの屋上に抜ける非常扉が、…わずかに開いている。
 扉の向こうからかすかに音がするから、誰かいるのは間違いない。が、こちらに駆け寄ってくる気配がないということは、いるのはおそらく男だけの筈。
 がたん、と、力一杯。
 非常扉をたたき開け、二人は屋上へと躍り出た。
 ぎょっとした顔の作業服の男が二人、こちらを見遣ってあんぐりと口を開ける。
 「ちょっとあんたたち、」
 こんな所に来ちゃだめだろう。
 男の言葉は、武彦の拳に瞬殺された。
 わと声をあげかけたもう一人の作業服も、出来る限り丁寧に…丁寧も何もあったもんじゃないが、…ねじ込まれた下腹部へのフックパンチの所為で、がっくりと膝を折る。
 「…悪い、」
 心底、本当に、心底。
 武彦はそう思った。
 あんたたちは全く悪くない、俺を追いかけ回してる連中に比べたら、あんたたちはまっとうに仕事に励む本当に善良で勤勉な人達だ。だからあんた達は俺に殴られる所以も何も持っちゃいないのだけれど。
 たまたま、…男だったからな。女だったら…死ぬほど追いかけ回されても殴りゃしないが…男、だったから。
 運が、悪かったとそう思ってくれ。
 念仏を唱えるようにそう呟く武彦の側で、シオンは素早く辺りを見回した。この鬼ごっこは本当にスリリングです。楽しそうにそう口にしながら、ここから他へと移る方法を探す。とはいうものの、ここは見事に行き止まりだ。逃げて隣のビルへ移るとしても、空中にでも道が無い限り、無理だ。
 「………空中?」
 ふと思いついて。
 シオンは、目の前にある『それ』を見遣った。
 これは、とびきり素敵な思いつきじゃないだろうか?
 「…ちっ」
 階段の方から届く気配に、武彦が舌打ちした。
 遠くではあるが足音が響いてくる。程なくこの階段を上って、あのおばさん大集団が、ここに到着するだろう。そうなってはもう、力ずくでしか逃げおおせないかもしれない。でも女を殴るのか?いくらおばさんだからって、普通の一般人の女を?
 どうする。
 そう考え込んだ、武彦の、背後。
 突然ぐいとベルトを轢かれ、武彦は後ろによろけた。
 「なに、」
 見ると、シオンが実に楽しそうににこにこと笑っている。
 「何して、」
 る。という一音は。
 そのまま、ふわりと宙に浮いた。
 いやそんな素敵なものじゃない。ものすごい勢いでベルトが引っ張られ、引きずられたあげくに足下の感触を失った。何が起こったか分からぬまま武彦は背中を見遣る。そんな馬鹿な、呟いた次にする事はシオンをにらみつけることだった。
 目の前に、満面の笑みを浮かべるシオン。
 「素敵なアイディアです。」
 「何が素敵だ!」
 そう。シオンは、見つけてしまったのだ。
 作業服の二人の男が、たった今、網の下にしまい込んだものを。
 …普段あいていないはずの屋上が何故開いていたか。それhひとえに、さっきの作業服の男達がそこで仕事をしていたからだ。何の仕事をしていたかというと。」
 「アドバルーンです、草間さん。」
 得意そうに、シオンは言った。
 「これに捕まって、向こうまで飛べばOKですね。」
 「OKじゃないだろ!」
 営業中にもかかわらず、何故、アドバルーンがしまい込まれていたか。
 無論、…戸外がものすごい強風だったからに違いない。
 そのアドバルーンを結びつけられた、ベルトはというと。
 「うわっ。」
 ことさら強い風にあおられ、武彦はいっそう高く舞い上がった。
 それを見て、嬉しそうにシオンは言った。
「草間さん、メアリーポピンズみたいです。」
「ふざけるな!」
 メアリーだろうがジェーンだろうか知ったことではない。今はっきりしているのは、風にあおられるアドバルーンに引きずられるまま、屋上のフェンスを越えようとしているその事実だけだ。
 「何とかしろ!」
 今やびっくり鳥人間になろうとしている武彦を見遣ると慌てたようにシオンは手を伸ばした。
 「ああ、草間さん待ってください。」
 「待てるか!」
 慌てて、もう一つ網の下からアドバルーンを取り出す。指がすり切れないよう手袋をした方の手で握れば、ごうと吹いてきた強風に乗り、ターザンよろしく体はぐんと空に浮いた。更に、泳ぐようにシオンは足をばたつかせる。
 「がんばって、草間さんに追いつきます!」
 それは何とかしていない。と、武彦は心の奥で盛大に突っ込んだ。
 そんなコントを演じているうち、武彦の体はとうとう空中へと投げ出された。地上11階、自分から地面まで20メートルは隙間が空いている。落ちたら多分無事では済まない。何より、アドバルーンに捕まって即死なんて、そんな死に方死んでも死にきれない。
 思いながら下を見れば、人もマッチ棒のように見える、気がする。あくまで気分だ。
 「草間さん、あっち!」
 シオンが、武彦に声をかける。
 「あっちです。向こう側の」
 隣のデパート…こちらの建物よりも数階分低い…を指すと、シオンは次に点を仰いだ。風向きは向こう側、距離もなんとか足りるだろう。
 「テントがあります。その上に飛び降りましょう。」
 大丈夫、とでもいうふうに、シオンは武彦の方を向くと、片手を横に突き出しグ、と親指を立ててみせた。
 「…しょうがない、」
 溜息混じりに呟いた武彦の言葉が届いたように。
 「おわっ」
 「風向きOKです!」
 不意に吹いてきた突風が、二人をテントめがけて放り投げた。


 ところで。
 その、…デパートのテントでは。
 「クジランジャー!」
 「『お友達』のみんな、声が小さいぞ?もう一度大きな声で、」
 せーの、と。
 悪の宇宙人を目の前にし、司会のお姉さんの声に続いて、子供達の精一杯の呼び声がして。
 変身の決めポーズで答えながら、彼は登場する筈だった。
 捕鯨船隊「クジランジャー」は、今子供達の間で大流行している、ヒーロー戦隊ものアクションだ。
 密漁捕鯨を続ける悪の宇宙人「ミツリョージャリアン」を倒し、正当な調査捕鯨を訴えるという、子供向けかどうか理解に苦しむ内容でありながら、つまるところ内容なんてどうでも良い真のちびっこたちには、十分に人気があった。中でもホエールレッドは、やはりリーダーだけに最も高い人気を誇っており。
 だから彼は、その人気に答える義務があった。
 なのに。
 「ホエールレッ…」
 「どいてくださーい!!!」
 鯨の潮吹きに似たポーズを手で作って、前蹴りふうに足をあげる。
 いつもの決めポーズは、だが消し飛ぶ意識とともに、とぎれた。
 戦隊ヒーローショーに突っ込んだバルーンのシオン、そのシオンが真横に出したその腕が。
 一撃必殺のラリアットとなって、ホエールレッドをぶっ飛ばしたのだ。
 「レッド!」
 お姉さんが叫んだ。
 しかも、吹っ飛んだ先が悪かった。すでに決めポーズを作ったホエールピンクに体当たりし、ホエールピンクをドミノ倒しのようにひっくり返した挙句、跳ね返ったレッドはもう一度もとの場所に立ってしまった。こんな怒号をかすかに耳にしながら。
 「どいてくれ!!」
 どけるか。
 朦朧とした意識の中、ホエールレッドはそう思った。
 その意識に止めを刺したのは、…言うまでも無い、飛んできた武彦のハイキックだった。
 「すみません!!」
 「すまん!!」
 シオンと武彦、同時に叫び。
 すたんとステージの上に着地すると、シオンは子供達の方を向いた。呆然と、子供達もその親達も、シオンと武彦を見遣っている。何が起こったのか認識すらできないようだった。
 ああ。心底参ったというふうに、シオンは息をついた。
 「ごめんなさい、みんなの邪魔をしてしまいました。」
 息を止めたような子供達の視線にうろたえるシオン。
 きっと、この子達はこのショーを楽しみにしていたのに違いないです。それなのに。
 きゅ、と口を結び、シオンは気絶したホエールレッドを見据えた。
 その身体を丁度お互いの背中が合わさるように背中に抱えあげると、シオンはステージに背を向けた。向こう側からは、レッドの姿が見えている筈だ。ぶらんと垂れ下がった両腕を取る。きめポーズを作るように両腕を持ち上げる。さて、台詞はなんだったか。
 中途半端な阿波踊りにしか見えやしない、ぶらんぶらんのレッド。そのレッドが、…もとい、あくまでそういうことにしておいてもらいたいシオンが、だけど、…叫んだ。
 「私が、ホイールレッドでーす。皆さんのために戦うのでーす!」
 「・・・・・・・・・・・・」
 別モノだ、と突っ込む事すら忘れて。
 子供達は、口をあけたまましばし身動きせずにいた。
 は、とわれに返ったお姉さんが、唐突にマイクのスイッチを入れる。
 「大変だ、ホエールレッドがへんな宇宙人にやられそうだよ!『お友達』のみんな、レッドの名前を呼んであげて!」
 まるで、憑かれたように。
 子供達はお姉さんのその言葉に、一人また一人とレッドの名を呼び始めた。
 「レッドー!!」
 「ホエールレッド!!」
 レッドレッドレッド、の大合唱。それは強風舞うビルの最上階に、嵐となって巻き起こる。立てレッド、負けるなレッド。君は地球と僕らの未来を護る、僕らの大事なヒーローじゃないか。
 でも。
 「…もう、そっとしといてやれよ。」
 溜息に言葉を混ぜ、武彦が天を仰いだ。ホエールレッドも、もう死んでいたいだろう。
 無敵のホエールレッド。
 それを見知らぬおじさん宇宙人が倒した日の夜、『お友達』のみんなは、揃って夢にうなされたのだった。


 
■がたがた道も人生にはあるというけれど。

 アクションヒーロー『ホエールレッド』に別れを告げ。(レッドにしてみれば、もうちょっとでこの世との別れを告げさせられるところだったが)
 屋上から一気に怪談をかけ降りた先は、レストラン街だった。
 きら、とこっちを向く夕方のおやつ中女子高生。それからえらくフリルの多い制服を来た、レストランのアルバイトたちの視線。来る。と思った。瞬間、女子高生がパフェをそのままに椅子から立ち上がるのが見えた。
 「追いつかれるぞ!」
 武彦は叫んだ。
 「草間さん!あっち!あれ!!」
 シオンはそう答えた。
 指差す方向を武彦が向く。あれって。
 「乗って下さい!」
 「本気か!」
 武彦の言葉を最後まで聞きもせず。
 シオンは怪談脇に放置されたショッピングカートをつかむと、それで武彦をすくい上げた。金魚すくいの金魚のように、ショッピングカーとの網に武彦を乗せて、そのまま、シオンはどんとカートを突き落とした。階段へ。
 「ウソだろう!?」
 「ウソいつわりはJAROに怒られます!」
 「そういう理屈じゃなぃあぃあぃあぃ…」
 最後のほうがエコーがかってるのは、武彦ががたがたと怪談を落ちていったからだ。手すりを滑る様に、シオンはその後を追う。草間さん、待っててください今追いつきます。上からそう叫びながら、シオンは階段を下りた。目にしたのは、女性達に囲まれた武彦。と、彼を乗せたカート。
 「おお、つかまってしまいまーす。」
 言うと、シオンは一気に間合いを詰めた。
 武彦の乗ったショッピングカートの持ち手をつかみ、ぐんと前へ押す。
 「わっ!!」
 「しっかり捕まっててくださいね!」
 言われなくても捕まっている。
 馬鹿に早いスピードでカートは店内を疾走する。あちらに出たかとおもえばこちら側に入り込み、狭いデパートの通路を利用して、女性達を行き止まりへと追い込む。上手に距離をとりながら、だが細心の注意を払って、シオンは走り回った。時々急カーブを曲がると、ショッピングカーとの中で、武彦がひっくり返った。
 「お前、」
 「前からも来ました!曲がります。」
 「嘘、」
 嘘も何も無い。あんまりぐねぐね曲がるから、気持ち悪くなってくる。
 「う………」
 吐き気にうめきながら、武彦は必死にカートにしがみつく。
 …ショッピングカート酔い、というものがこの世界に存在するのだと、武彦はそんなどうでもいいことに、気づいた。



■『強者』どもが夢の跡。

 「…で?」
 くすくすと笑いながら,零は新しい豆で淹れなおしたコーヒーを、シオンに差し出した。
 ありがとうございます。と、深々とした礼の後。
 そのコーヒーの香を楽しむように、シオンはカップを持ち上げ鼻のあたりに近づける。
 それから、やわらかい笑みで話を続けた。
 「結局、そのままカートに草間さんを入れて、走り回ったのです。」
 まるで乳母車に子供を乗せて押すように。
 シオンは、それこそデパートの隅から隅までを走った。武彦を乗せたまま。
 「おかげで、逃げ切れました。」
 「それは良かったですね。」
 言いながら、零はチョコレートケーキを差し出した。黒々とした濃いチョコレートをまんべんなくかけた、小さなハート型のザッハトルテ。確かにおいしそうだ。
 そう思いながら、シオンは嬉しそうにフォークをケーキに向けて。
 「鬼ごっこは私達の勝利です。」
 とても満足そうに、シオンは頷いて見せた。
 その、横で。
 「………」
 憮然とした顔つきで、武彦はコーヒーをすする。チョコレートは当分口にしたくない。
 そりゃ、つかまりはしなかったけれど。
 つかまるのとどっちが幸せかと、思わず言わずにはおれない。
 「………」
 つくづく、依頼は吟味するものだ。そう武彦は肝に銘じたのだった。




━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

3356/シオン・レ・ハイ (しおん・れ・はい)/男性/42歳/びんぼーにん(食住)+α
草間・武彦 (くさま・たけひこ)/男性/30歳/草間興信所所長、探偵
草間・零 (くさま・れい)/女性/ /草間興信所の探偵見習い

NPC/ホエールレッド/男性/不明/みんなの未来を守る人。
NPC/司会のお姉さん/女性/不明/司会者
NPC/お友達のみんな/男性・女性/子供/ちびっこ
NPC/総菜屋のおじさん/男性/不明/煮豆コーナー担当。



ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
初めまして、ライターのKCOです。
大変納品が遅くなり、まことに申し訳ありませんでした・・。
精進が足りません。
シオン様はプレイングがかなり作り込んでありましたので、非常に描きやすかったです。
部分的に肉付けさせていただきましたが、
私も相当に楽しんで書かせていただきました。喜んでいただけましたら、幸いです。