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<東京怪談ノベル(シングル)>


―記憶の狭間にて囁くもの―


 病室の窓から見える空は少し灰色。
 だけど、雨は降る様子はない。天気予報でも曇りにはなるが雨は降ることはないと言っていたのを思い出す。
「…少し屋上に行ってみるか」
 狭い病室内での気だるさを紛らわすために将太郎は屋上へと行く事にした。以前よりはマシな物だけど、いまだ体力は完全には回復していないらしい。階段を一段、また一段と上がるたびに身体が軋むような感じがする。
 最近、将太郎は悪天候でない限り屋上に足を運んでいた。そして、空を見上げる。
「…今日は少し風が吹いてるのか…」
 上着に羽織ってきた厚めのカーディガンが風になびく。
「あの日も…こうして空を見上げていたような気がするな…」
 そう思って将太郎は考えるのを少し止める。
「…あの日?」
 自分でも無意識に呟いた言葉に将太郎は自分で不思議に思う。
 自分自身が『門屋 将太郎』という名前だという事を認識するまでにかなりの時間を要したが、屋上に来るたびに記憶の欠片が少しずつ戻ってくる、そんな感じがする。
 だから、将太郎は悪天候でない限り毎日屋上に来るのだ。
 記憶を取り戻す事が自分にとって、いい事なのか、それとも悪いことなのかは分からない。けれど、記憶を取り戻したい、その気持ちは将太郎の中にある。
「……さむ………」
 身体をブルっと震わせながら将太郎が呟く。突然、風の強さが増したように感じられて将太郎は病室に戻ろうと踵を返す。
 今日は何も思い出せなかったな、そう思いドアノブに手をかけた途端にソレは聞こえてきた。

『早ク終ラセテシマエ。全テ終ラセテシマエバ、世界ハ少シデモ良くナル』

 記憶を失っても何度も聞く自分自身の声、どこかで聞いたような不気味な囁きに将太郎はその場にガクンと膝を折り、耳を塞いだ。
 耳を塞いでも、頭の中に響いてくる不気味な声に将太郎はガクガクと身体を震わせる。
それは風の寒さから来る震えではなく、怯えから来る震えだった。
 その証拠に先ほどまでは感じていた風の冷たさも今では何も感じない。…感じないといったらおかしいのかもしれない。少しだけれど冷たい風の感触は分かる。今は風の冷たさに構っている場合ではないのだ。
「ヤメロ…」
 震えながら呟く将太郎だけど、その不気味な声は残酷でやめてはくれない。この声は確かに、どこかで聞いた覚えがあるのだ。
 だけど思い出すことができない。もしかしたら記憶を失う原因に当る声なのかもしれない。
「やめろ、やめろ…」

『早ク終ラセテシマエ。全テ終ラセテシマエバ、世界ハ少シデモ良くナル』

「やめろぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 将太郎は頭を抱えて、空を仰ぎながら絶叫する。その声が聞こえたのか、暫くしてから看護婦が数人やってきた。
「門屋さん?どうしました、門屋さん?」
 心配そうに駆け寄ってくる看護婦すら怖くて、差し出された手を払いのけるように腕を振った。
「どうしたんですか?何があったんですか?」
 看護婦が将太郎の身体を支えながら屋上から連れ出す。将太郎の冷や汗のようなものに看護婦も驚いたのか「病室に先生を呼んでちょうだい」と別の看護婦に指示をして担当医を呼びに行かせた。
 屋上から出る間際、将太郎は虚ろな瞳で後ろを振り返る。
「…っ!!」
 屋上ではたはたと揺れるシーツの合間から誰かがこちらを見ている、そんな気がした。将太郎は一度首を振って、目を強く閉じる。そして同じ場所をもう一度見るが、誰もいないし、潜んでいる気配もない。
(……見間違い…?)
 いや、あれは自分が見せた残像だったのかもしれない。
 だとしたら、あれは…一体誰だったのだろう…。
 将太郎は痛む頭を押さえながら、看護婦に支えられ病室へと向かう。
 恐らく、自分はまた屋上に行くだろう。
 その先に何があろうとも――…。


―END―