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<東京怪談・PCゲームノベル>


ワンダフル・ライフ〜色付くデイ・バイ・デイ



 その日、私は自室でとある本を読んでいた。
人間が書いた、犬のことを書いた本だ。
タイトルはその名も、”あなたのワンコは幸せですか?”。
・・・ふっ、愚問だ。私は当然”幸せ”である。
何せ、従うに値する愛すべき主人と、世話を焼かなければいけない子供らと、
・・・宿敵もいるがこれは置いておいて、時折―・・・。
「・・・銀埜、銀埜?お客様よーっ」
 私がある種の優越感に浸っていたところで、突然階下から少し高めの声がした。
主人が私を呼ぶ声だ。
私はパタンと本を閉じ、手近にあった机に置いて、いそいそと部屋を出て行った。
姿は人でもやはり欲求は犬。主人に呼ばれる―・・・必要とされると嬉しいものだ。
犬にも色々性格はあると思うが、私は主人に呼ばれると、尻尾を振って一目散に駆けつけるタイプだった。
 だがそれにしても、客とは一体誰だろう?
この家―・・・強いてはこの店に用があるのは、大抵店主である主人に、だ。
ただの従業員でしかない私に会いに来るのは、数少ない。
私はその数少ない中の一人を頭の中に思い浮かべ、まさか、と苦笑した。
もし私の思うとおりであれば、これまた尻尾を振るぐらいに嬉しいものだが。
だが世の中そう上手くはいかないことぐらい、私は知っている。
「何か御用ですか?ルーリィ」
 私はリビングと店部分を仕切っているカーテンを捲り、顔を出して主人の名を呼んだ。
私の主人、金髪のまだ若い少女は暖炉に前に設えたテーブルのところにいたが、
私の言葉に反応して振り返った。
その顔は何故かにんまり、と笑みを浮かべている。
・・・何か面白いことを企んでいるときの顔だ。無論、彼女にとっては、だが。
「・・・客、とは?」
 私は一抹の厭な予感を感じながら、彼女のほうに近寄ってみた。
そしてそのテーブルとセットで置いてある椅子に、誰か腰掛けているのを知る。
見覚えのある金色の長い髪、くりくりと動く大きな青い瞳。
整った顔に、彼女特有の明るい笑顔が浮かべられると、私の想像の中のそれとぴったり重なった。
「きみか、綾」
 私は極めて普段どおりに声を出したつもりだったのだが―・・・ふと気がつくと、頬が緩んでいた。
仕方ない、何せ私の思うどおりの顔であったのだから。
「えへへ、わざわざ会いに来てあげたのよぅ。だから感謝しなさいよね、銀ちゃん!」
「ああ、してるよ。どうも有り難う御座います、お嬢様」
 私はニヤニヤと笑いながら、わざと慇懃無礼に頭を下げてみた。
綾はそんな私の態度にプリプリと怒った顔を見せ、
「何よ、お嬢様って!子供扱いしてんの?その辺にあるモン、ぶん投げるわよ!」
「それは止めてくれ、店が壊れてしまう」
 何かを投げるジェスチャーを見せる綾に、私は制止のポーズを見せた。
全く・・・何時もながら、このコロコロと変わる表情が、見ていて全く飽きさせない。
これも彼女の良いところの一つだ、と私は思う。
 そこでふと気がついた。
テーブル横にいるルーリィが、にやにやと面白そうな目でこちらを眺めているわけを。
彼女は自分のことはそっちのけで、他人の恋愛事を見るのが好きなタイプだ。
無論、私と綾はそういった関係でもないのだが、それでも彼女的には面白いらしい。
「ほら、綾さん。銀埜にお誘いがあるんでしょ?」
 にやにやしながら、ルーリィはそう綾をけしかけるように言った。
綾はルーリィの笑みに幾ばくかの不審を感じているようで、
「だからさ、何であんた、さっきからそう変な顔してるワケ?
はっきり言って怪しいわよ」
「いいええ、そんなこと全然全く無いわよ?
二人を見てると楽しいだなんて、そんなのあるわけないじゃない」
「はいはい、あたしたちを見てると楽しいのね?変な邪推しないでよ、全く。
・・・っと、そうそう」
 綾は呆れた顔で溜息をついた後、思い出したように私のほうを見上げた。
「てわけでさ、天気もいいし、お散歩でもどう?
リードぐらい持ってあげるわよ」
 私は成る程、と笑った。確かに今日は、最近では珍しく気温も良いし、天気は雲一つ無い快晴。
綾でなくともぶらぶらと出掛けたいような日だ。
そして私が、彼女の誘いを断るようなことは滅多にないわけで。
「良いな、それは。但しリードはいらないぞ?
引き綱なんて無くたって、私は急に走り出したりしないさ」
 私がそう言うと、綾は残念そうに頬を膨らませた。
案外リードも窮屈なもので、それにそれをつけるためには首輪も必要で、
この家には諸事情で犬用の首輪は無いのだ。
そう説明しようと口を開きかけたが、綾の笑顔を見て私は口を閉ざした。
「まあいいや、銀ちゃんはお利口だもんね!
それに銀ちゃんみたいな大きい犬引いてたら、あたしが疲れちゃうわ。
なんたって、か弱いもん」
「・・・か弱い、ねえ」
 私の漏らした呟きが、また綾の逆鱗に触れそうになったところで、
ルーリィが痺れを切らしたように口を開いた。
「まあまあまあ!痴話喧嘩はデートしながらやればいいじゃない?
とりあえず行ってらっしゃいよ」
 ルーリィは笑顔を浮かべながら、私たちを追い出すように言葉でけしかけた。
早いところ二人っきりにさせたいようだ。・・・何でまた?
 だが私以上に呆れたのは綾のほうだったようで、
「何よもう、そんなに急かさなくても行って来るわよ!
あと痴話喧嘩じゃないし、デートでもないわ。ただの散歩だってば!」
「はいはい、散歩ね散歩。行ってらっしゃい、帰りは遅くなってもいいわよ、お土産はいらないわ」
「頼まれても買ってくるもんですか!」
 まるで漫才のような言葉の掛け合いをしながら、私たちはルーリィに背中を押され、
いつの間にかぺいっ、と道端に放り出されていた。
 私たちは”ワールズエンド”の前の道路に呆然と立ちながら、顔を見合わせた。
そして綾がポツリと呟くように言う。
「・・・まあ、とりあえず、行こっか?」


 言い忘れていた。

 私は幸せである。
従うに値する愛すべき主人と、世話を焼かなければいけない子供らと、
・・・宿敵もいるがこれは置いておいて。
時折、彼女・・・皆瀬・綾のような、愛すべき者が私を訪ねてきてくれるから。










              ■□■









 私はふと考え、口に出してみた。
「散歩とか言ってたが、私は犬型にならなくても良いのか?」
 のんびりと繁華街に向かって歩きながら、私は綾のほうを見た。
綾は暫し考えるように首を傾け、言った。
「んー。まあいいわよ、散歩つっても、デー・・・じゃなくて!
細かいことは気にしない、気にしない!あ、勿論犬の銀ちゃんも大好きだけどね?」
「・・・そうか。まあ気にしないことにするよ」
 ”も”、というところが気になったが、するなと言われたので気に留めるのを止めた。
 この世には犬嫌いと犬好きの二種類の人間がいて、綾はそのうちの後者のほうだった。
そういった人間は今までの経験上、人型になった私には興味を示さないと思っていたのだが、
綾は少し違うらしい。
だがそれは、犬の私を期待してのことなのか、それとも人である私でもいいのか、
その辺りのことを考えると不安になってくるものだが、
これも”細かいことは気にしない”になるのだろうか。
正直私としては、それだけで済ませてほしくない問題もあるのだが、
最後まで突き詰めてしまうと、それもまた答えを知るのが怖くなるもので。
人間は皆このような恐れを抱くのか、と思うと、やはり人間と言うものは複雑なものだ、と思い知るのだった。
そしてその中でも、また”乙女心”とやらは格段に複雑である代物らしい。
そんな”乙女”の代表格であるらしい綾を横目で見て、私は苦笑を浮かべた。
・・・何度この少女―・・・否、女性に、その言葉ではぐらかされてきたものか。
「何よ、あたしの顔に何かついてる?」
「いや、別に?綾の言葉を借りると、細かいことは気にするな、だ」
 私の言葉に、むぅと膨れる彼女。
私は、はは、と笑って見せて、
「で、何処に行きたいんだ?今日の目的は?」
「ないわよ、そんなの」
 私の問いに、あっけらかんと言ってみせる。
私は苦笑して、
「ということは、当ても無い旅ということか?」
「そーよ、たまにはそういうのもいいでしょ。天気はいいし、風は爽やかだし、・・・大して寒くないし」
 寒くない、の辺りで少し綾の声色が変わったような気がしたのだが、これは私の気のせいだろうか。
だが確かに綾の言うとおり、今日は冷え込んできた最近にしては珍しく暖かな日だったものだから。
「ま、それもいいだろう。但し野宿は勘弁だぞ」
「ひっどい、あたしといると迷子になるって言いたいの?」
「さすが、察しは良いな」
 クスクスと笑って見せると、綾は腕組みをして言った。
「そりゃ、ちょーっとは道に迷うこともあるけど、それ程重症じゃないんだからね?
それに今日は大丈夫よ」
 そして綾はニッコリと笑って見せた。
その笑顔に少しドキリとするが、綾は気付いた様子無く、
「銀ちゃんがいるもんね。あたしがはぐれても、探しに来てくれるでしょ?」
「・・・そりゃあ当然だ」
 私は憮然として言った。

 きみが何処にいても、私はきっと探し当てるだろう。
それが、当ても無い旅の彼方だったとしても。










 そして数時間後、私は乙女心の複雑さの他に、乙女の持久力と体力を思い知ることになった。
「全く・・・疲れを知らないな、きみというものは」
「えぇ、そう?こんなの普通よぅ」
 綾はきょとん、とした表情を浮かべながら、先程手に入れた小さなぬいぐるみの人形を指で弄んでいた。
私が何度挑戦しても取れなかったものを、綾がいとも簡単に取って見せたときは、
少々悔しい思いをしたものだ。
綾曰く、「こんなもんは、経験と勘でどうにかなるもんよ」らしい。
ちなみに私たちが挑戦していた機械はUFOキャッチャーというらしいが、
私がそれを見たのは初めてだったし、触るのも初めてのことだった。
無論、経験なんてゼロに等しい。
そのこと綾に零すと、彼女は暫し考えた後、ニッと笑って言った。
「・・・じゃあ気合かな?」
 私がガクッ、と肩を落としたことは言うまでも無い。
 そして今はというと、繁華街をぶらぶらと歩いている途中だった。
「ちょっとゲーセンふらついて、ウィンドウショッピングしたぐらいじゃない?
銀ちゃん、運動不足なんじゃないの。日頃ちゃんと走ってる?」
 綾はクスクスと笑いながら、ぬいぐるみを下げていたカバンの中に仕舞った。
私は当然だ、というように胸を張り、
「当たり前だろう。毎日散歩がてら走り回ってるよ」
「それ、犬のときでしょ?ちゃんと人のときも走らないと、体力つかないわよ」
 私の心の中を見透かしたような綾の言葉に、私はうっ、と詰まった。
確かに、綾の言う通りではある。
人の姿でいるときは、ついつい便利なことに使ってしまいがちなものだ。
高い物を取るときとか、本を読んだりだとか、作業をしたりだとか。
それにどうせ走るなら、犬の姿のほうが爽快ではあるし。
 そんなことを独り言のようにブツブツと呟いていた私を、綾がどん、と押した。
「何ブツブツ言ってんのよ?大丈夫よ、そんなに悩まなくったって!
それにジョギングする必要に迫られたら、あたしも付き合ってあげるからさ」
「・・・そうか」
 私は綾の笑顔に、少し気分を元に戻した。
彼女が付き合ってくれるならば、人の姿であっても楽しいだろう。
「ま、そろそろ休憩時間ってとこかしら。ね、あそこ入らない?」
 先程から目をつけていたのだろうか、綾の指の先には他の店舗に紛れるように、
一軒のビルのようなものが建っていた。
一見事務所のように思えるビルの前には、大きな看板が掲げられており、それにはデフォルメされた犬の絵。
「・・・ここは何屋だ?」
 訝しむような私の言葉に、綾が解説するように答えた。
「前に雑誌で見たんだけど。ここって一軒丸ごと犬関連のお店なんだって。
4階建てなんだけど、中にはカフェもあるのよ。ね、面白そうじゃない?」
「・・・まさにきみのためのような店だな」
 犬関連の店に犬が入って楽しいものなのだろうか?
犬とも人ともどっちつかずの身である私は、少々複雑な思いを抱き、思わず苦笑した。
だが綾はそんな私を物ともせず、腕を取って引っ張るようにビルのほうに向かう。
「ま、ま、行ってみりゃ分かるわよ!ほら、ね?」
「・・・・・・仕方ないか・・・」
 そもそも彼女の誘いに抗えるはずないのだが、
仕方なく、というポーズを見せてしまうのも私の性であるわけで。
 そして私たちは、ビルのガラス張りの戸を開けて中に入った。










              ■□■







「うっ」
 入った途端、私は顔をしかめて鼻を抓んだ。
この匂いは―・・・。
「どしたの、銀ちゃん?・・・ああ、一階は動物病院なのね」
 一階部分には、入ってすぐのところに階段とエレベーターがあり、
その向こうのガラスに仕切られたところには、悪夢があった。
「・・・早く上に行こう。この階には用はないだろう?」
 私は綾の背を押し、階段のほうに向かった。
押されながら綾は私の顔を見上げ、ははん、と思い当たったように笑みを浮かべた。
「銀ちゃん、病院キライなんでしょ?」
「・・・当たり前だ。私は予防接種が好きじゃない」
 数年前に受けた、狂犬病だとかの予防接種。
担当した医師の腕が悪かったのか、それともそもそも痛みを伴う注射なのか。
それは分からないが、そのときから私は、この消毒薬の匂いに嫌悪感を感じるようになった。
「ふぅん、銀ちゃんってば子供みたいなんだから!」
 そう言ってクスクス笑う綾を誘い、私はすたすたと階段を上った。
・・・何とでも言えばいい。嫌いなものは嫌いなのだ。
「あ、二階はカフェなのね」
 階段の踊り場に出て、二階の様子を伺っていた綾はそう漏らした。
言う通り、階段を上ってすぐのところに、何やら可愛らしく飾られた戸があった。
その横には、プラスチックか合成樹脂ででも作られたメニューのサンプルが、ガラスケースの中に並んでいた。
それを覗き込み、果てはガラス窓から中の様子を覗いていた綾は、へぇ、と声を出した。
「ここ、ドッグカフェなんだ。そうよねえ、犬の専門店だもの」
「ドッグカフェ?」
 聞きなれない言葉に、私は思わず問いかけた。
綾は顔を私のほうに向け、
「犬も一緒に入れるカフェのことよ。犬用の食べ物とかあってね、最近増えてるみたい。
ふぅん、此処もそうなんだ。へぇ・・・」
 興味深そうに、またガラス窓に顔を貼り付け、中の様子を伺う。
私は成る程、と頷き、暫し考えた。
 ということは、飼い主と愛犬のためのカフェということか。
ならば人同士で入るよりも、犬を連れて入ったほうが楽しいのではないだろうか?
私のような大型犬が入っていいものかどうか分からないが、専門店と言うからにはそれなりの融通は利くだろう。
・・・ふむ。
「・・・銀ちゃん?」
 考え込んでいた私を訝しむように、綾が私の顔を覗き込んでいた。
私は綾の頭にポン、と手を置き、
「少し待っていてくれ。すぐだから」
 そう言って、いそいそと廊下の奥に足を向けた。
きょとん、と首を傾げている綾を残して。











 そして数分後。
「いらっしゃいませ〜・・・わっ、可愛いワンちゃんですねえ。
シェパードかしら?珍しい毛並みですねえ」
「そう?あはは・・・よく言われるわ」
 明るい声のウェイトレスに迎えられ、私たちは店内に入った。
私は綾の腰あたりにぴったりと寄り添い、綾はというと、私の服が詰まった紙袋を下げていた。
そしてひそひそ声で私に囁く。
「・・・銀ちゃん、良いの?」
「何がだ?」
 私もそれに負けない程度の小さい声で呟いた。
さすがに此処で人語を発するわけにはいかない。
「銀ちゃん、愛玩犬扱いは厭だったじゃない?だからこういうとこで犬になるのも厭なのかな、と思ってたのよ」
「ああ」
 そういえば、そう漏らしたこともあったか。
人の姿であれば苦笑を浮かべるところだが、代わりに自慢の尻尾を一振りしてみた。
「まあ、良い。何事も経験だからな」
「・・・そお?」
 綾は不思議そうな顔をしていたが、結局のところ、私はもう余り気にしないことに決めていた。
彼女が喜ぶなら、見知らぬ人間に撫ぜられても、好奇の目で見られても。
とりあえず今日この時は、綾に忠実な賢い愛犬の振りでもしよう。
無論、私にとって主人はルーリィであり、綾はまた別格の存在であるのだが、
そんなことは此処の店員や客たちには分からないことであるし。
「どうぞ、窓際のお席へ」
 ウェイトレスに誘われ、私を伴って綾は二人掛けのテーブル席へと着いた。
そして程なく水とメニューを持ったウェイトレスがやってきて、
メニューを開きながらあれこれとウェイトレスに尋ね始める。
「あたしはこのケーキセットね。モンブランとミルクティで。
で、このワンちゃん専用って何?」
「こちらは愛犬でも召し上がれる様に、特別に作ったケーキなんですよ。
そちらのワンちゃんは大きいので、普通サイズでも大丈夫だと思いますが。
宜しかったらお客様とお揃いのケーキは如何ですか?」
「ふぅん。ケーキだって、甘いものいける?銀ちゃん」
 綾はにっこりと私に笑いかけながら問いかけた。
この様子だけ見ると、愛犬に語りかける犬馬鹿な主人、という図なのだろうが、
私たちにとっては意味が違う。
人語で返したいところだが、ウェイトレスがこんなに近くにいては声を出すこともできない。
なので私は仕方なく、ワン、と一声啼いて尻尾をニ、三回振ってみた。
 綾は笑いをこらえるように肩を震わせながら、ウェイトレスにメニューを返した。
「大丈夫だって。じゃああたしと同じの一つね」
「賢いワンちゃんですね。畏まりました」
 ウェイトレスはそう言って、ぺこりと頭を下げて去っていった。
ウェイトレスがカウンターのほうに消えたのを確認してから、クスクスと笑いながら綾が小さな声で囁く。
「・・・賢いワンちゃんですって。銀ちゃん褒められてたわよ。
ついでに芸でもしてみる?2足す3は?」
「・・・煩い。何事も経験だとは言ったが、そこまでするとは言ってないぞ。
大声で泣き喚いてやろうか?」
「・・・勘弁してよ。じゃないとルーリィに言いつけちゃうからね」
 なまじ人の姿を多く見せていると、いざ普通の犬になったとき、妙に恥ずかしいものだ。
私はふぅ、と息を吐いて、辺りを見渡してみた。
 繁盛しているというよりかは、のんびりとくつろげる、といった店のようだった。
あちらこちらのテーブルで飼い主とその愛犬の姿が見られ、同じようなものを食べていた。
・・・世の中は進化するものだ。
犬が人の残飯を食べていた時代は何処に行ったのだろうか?
 そんなことを感慨深く思っていると、ふんふんと鼻を言わせながら近寄ってくる気配を感じた。
ふと横を向いてみると、私の体の何分の一の大きさか分からないような小さい犬が、私の匂いを嗅いでいた。
それにいち早く気付いたのは綾のほうだったようで、目を輝かせながら身体を折った。
「チワワかしら?ちいさーい!見て、ぷるぷるしてる。
毛並みも綺麗だし、可愛いっ!」
 そう顔を綻ばせながら私に語りかけ、ハッと我に返る綾。
私が人姿ならばまったく違和感はないのだろうが、今の私は生憎喋れない犬なのである。
「あら、すいません。この子ったら、知らない子にすぐ近寄っちゃって」
 飼い主と思しき中年の女性が駆け寄ってきて、そのチワワを抱いた。
そして先程の綾の様子を見ていたのか、微笑んで言った。
「仲、宜しいんですね。大きな子だけど大人しいし、毛並みも綺麗だし、
私こんな毛色見たことないですよ。光の度合いによって銀に見えるのね」
「え、あ・・・あははは!そ、そうなの、かわいいでしょっ!
あたしの自慢の愛犬なのよ、ねえ銀ちゃん」
 綾は照れ隠しか、ぎゅっと私をしがみつくように抱き締めた。
   わふっ。
 私は一声そう啼いて、尻尾をぱたぱたと振った。
私たちはこんなに仲良い関係なんですよ、とアピールするかのように。
 だが私は決して見逃さなかった。
私の毛に顔を埋めて笑っている綾の頬が、ほんのりと赤らめているのを。


「・・・人の言葉の銀ちゃんに慣れちゃったからかしら。
あぁ恥ずかしかった。まるで犬馬鹿ね、あたし」
「・・・まるで、じゃなくて既にそうだと思っていたが?
いいじゃないか、この店にはそんな人間が多いのだろう」
 チワワとその飼い主が自分のテーブルに戻った後。
運ばれてきたケーキを抓みながら、綾が呟いていた。
私も自分用のケーキにぱくつきながら、小さな声で返してやる。
・・・中々犬好きの心境も複雑なようだ。
「・・・で、ケーキのお味はどう?」
 綾の問いに、私はぱくつくのを止めて、ちょこんとお座りの体勢を取った。
そして口の周りについたクリームを舌で舐め上げてから、囁くように漏らす。
「・・・味が薄い」
「は?」
 綾は眉を顰めるが、私は構わず言う。・・・勿論、他の人間に聞こえない程度に。
「きっと人の食事を食べ慣れているからだろうな。殆ど味が無い」
「・・・それは、不味いってこと?」
「・・・・・・そうとも言うな」
 綾の呆れた顔を他所に、私はまた食べ始めた。
いくら不味かろうが、やはり出されたものはちゃんと食べるべきなのである。
 そんな私を見下ろしながら、綾は呆れたように言った。
「・・・銀ちゃん、味の濃いものに慣れちゃ駄目よ。
ルーリィに食事制限するように言うべきかしらね」
 それを聞いて、私は感想を正直に述べるべきではなかった、と密かに後悔した。









              ■□■









「あー楽しかった!銀ちゃんにもあんなの、買ってあげたほうが良かったかしら?」
 数時間後、散々ビルの中を見て回った後、綾はガラス戸を背にうぅん、と伸びをした。
・・・二階以外に語るべきところは何も無い。
四階は会員専用のドッグランだったし、三階は・・・思い出したくもない。
「大型犬専用の洋服があれば良かったんだけど!
ねえ、アレ欲しかった?噛むとピューピュー鳴くオモチャ」
「そんなもの要るか。私はとうに成犬だぞ」
「あっははは、でも店員言ってたわよ、こんなのはいくつになっても楽しいんですよーって」
「・・・それはあの店員の勝手な主観だ」
 私はコートを着なおしながら、憮然として言った。
私は既に人姿に戻っているから、こうして大きな声で文句も言える。
・・・ドッグカフェを出てすぐに人姿に戻ればよかったと、早々に後悔したからだ。
 三階は、犬のグッズの専門店のようで・・・つまり、犬関連のものが所狭しと置かれていて。
・・・人間のセンスというものは私には全く分からない。
あんな、あんな、フリルだらけのドレスだかネグリジェだかが、
本当に犬が喜ぶとでも思っているのか?
馬鹿馬鹿しい。全く持って馬鹿馬鹿しい。
 私は胴回りに何か触るものがあるのは、非常に気持ちが悪い。
だから、綾がふざけて大型犬専用のレインコートとやらをかぶせてきたときも、
どれだけ身を翻して逃げたかったか。
だが店内にいるのはチワワだとかダックスフンドだとかの小型犬ばかりで、
変に走り回ると彼らを踏みつけることになるし、
大体からして私のような大型犬はあの店内では浮いていたものだから。
 まあ結局のところは、犬が犬関連の品物専門店にいっても、大して楽しいわけでもなく、
楽しいのは犬を着せ替え人形にして遊んでいる人間だけだ、ということなのだ。
そもそも犬には毛皮という立派な服があるのだから、人間は自分を着せ替え人形にしておけばいいのだ。
・・・無論、既にしている者もいるのだろうが。
「・・・銀ちゃん、何ブツブツ言ってんのよ?」
 ふと気がつけば、隣にいた綾が眉をしかめて私を見上げていた。
私は慌てて首を横に振り、
「・・・何でもない、何でも。
着せ替え人形にされている同類を見て気分が悪くなったとか、
その犬が服のサイズがきつくて苦しいと漏らしていただとか、そういうことはないから」
「・・・そーいうことあったのね。銀ちゃん、最近あんたの主人に似てきたんじゃないの?」
 綾がじとっ、とした目で私を見上げ、私はハァ、と肩を落とした。
・・・もしかすると、そうなのかもしれない。
「ま、でも」
 気を取り直してか、綾は腰に手を当てて、ニッと笑った。
「ちょっとあたしもはしゃぎすぎてたし。そのあたりはごめんね?
でも銀ちゃん、とっっっても可愛かったのよ?」
「・・・・・・そうか?」
 私は口をへの字にしたまま、目を見開いた。
綾はうんうん、と大きく頷き、
「そーよ。あたし、あの店にいる犬の中で一番、可愛かったと思うな。銀ちゃんが」
「・・・・・・・・・・・・」
 私は無言になって、思わず手を口にあてた。
・・・きっと赤くなっているであろう頬を見られたくなかったから。
 私は時々、人間の事が好きなのかそうでないのか、分からなくなるときがある。
だがそれでも、間違いなく好きだと胸を張って言える人間も、中にはいる。
勿論、私にとって綾はそんな人間の中の一人だが―・・・綾自身にそのことは言えない。
綾のこんな一言で顔を赤くしてしまう私だ、到底言えるわけがない。
だが、伝わって欲しいとは思う。
そんな考えは甘いものだとは、分かりきっていることなのだけれど。
 そのとき、一陣の風が吹き、綾の髪をなびかせた。
いつの間にか空は赤く染まっていて、その風は昼間のものより、幾段冷たくなっていた。
「・・・少し冷えてきたな」
 私はそう言い、そろそろ帰ろうか、と口を開きかけた。
その私を綾の慌てたような表情が止まらせた。
「ちょ、ちょっとまってね!」
 綾はそう言い放ち、ごそごそとカバンの中をまさぐり始めた。
私は訝しげに首をかしげ、そんな彼女を眺めていた。
一応、まだここは繁華街の中だ。そんな綾の姿は人の目を引く。
私は、せめて道の端に寄って―・・・そう言いかけたところで、ふわっと首元に何かが掛かるのを感じた。
不思議に思って目線を下にし、手を添えると、少し指にちくっと刺さるが柔らかい、独特の感触がした。
「・・・これは?」
 首を傾げながらそれを取ってみようと手を掛けるが、綾の慌てた声が私を止めた。
「だめ、今は駄目よ!あ、家に帰ってから取ってね。今はちゃんと見ちゃ駄目なんだからね!」
「・・・はぁ?」
 私は意味が分からず、眉をひそめた。
取ってはならないといわれたものだから取るわけにはいかず、だがこれは自分の物でもない。
「・・・綾のものだろ?返せないじゃないか」
 私はそのとき、多分首元にかかっているものはマフラーなのだろうな、と思っていた。
そして、少し冷えたという言葉に、綾が自分のものを貸してくれたのだと。
 だが私は、自分で思っているより遥かに鈍かったようで。
「かっ・・・!返さなくて良いわよ!それとも何、明らかに失敗作だから返すってワケ?
銀ちゃん、サイテー!」
「いや、そういう意味でなくて。私に貸してくれたんじゃないのか?」
 私は綾の剣幕に驚いて、宥めるように言った。
綾は私の言葉にきょとん、とした顔をしたが、やがて私の言葉の意味を察したのか、
表情をころりと変えて笑い出した。
「そーいう意味じゃないわよ!失敗したからあげたの。銀ちゃんにね」
「はぁ・・・失敗?でも・・・」
 つけてみた感じ、たいして出来が悪いようにも思えなかった。
無論、全体を見ていないから何とも言えないが、それでも感触は柔らかく、そして暖かい。
マフラーなんてものは、暖かければそれで成功なんじゃないのか?
 そして私はふと思い当たる。
・・・失敗ということは、これは綾の手編みということで。
それを私にくれるということは―・・・。
「つまり、プレゼントなわけだな?」
 私の言葉に、綾は目を大きく見開いて固まった。その頬は真っ赤だ。
「プレゼントっていうか・・・!い、言ったじゃない、失敗したからなのっ!」
「そうか、でも一応プレゼントだな。有り難う、大切にするよ」
 私はやっと綾の意を察し、マフラーを改めて巻きなおした。
うん、暖かい。
 そしてここで止めておけばいいのに、
私は頬が赤い綾を思わず可愛らしく思い、またもやからかうような言葉を口にする。
「・・・もしかして、バレンタインとかいうのと関係があるのか?」
「っ!か、カンケーないわよ、あんなの!もう過ぎちゃったもんね!」
 顔を真っ赤にして叫ぶ綾に、私は笑って返した。
「はいはい、分かりました。ホワイトデーは何がいいかな、希望があれば聞いておくが?」
「だから、バレンタインのプレゼントじゃないってば!・・・まあ、くれるってんならもらうけど?」
 そんな決して素直とは言えない綾の言葉を聞きながら、私は綾の手を取った。
「とりあえず、もうすぐ暗くなるし。そろそろ帰ろうか?
ホワイトデーにはまだ早いが、夕飯ぐらいはご馳走するよ」
「ホント?銀ちゃん、料理できんの?」
「馬鹿にするな、これでも家事歴ウン年だぞ」
 そんなことを言い合いながら、私たちは朱に染まる夕日を背にし、帰路についた。


 首に巻いたマフラーと、繋いだ手からぬくもりを感じながら。











     end.







●○● 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)         
――――――――――――――――――――――――――――――――
【整理番号|PC名|性別|年齢|職業】

【3660|皆瀬・綾|女性|20歳|神聖都学園大学部・幽霊学生】


●○● ライター通信      
――――――――――――――――――――――――――――――――
 いつもお世話になっております、瀬戸太一です。
銀埜との一日、如何でしたでしょうか。
そこはかとなくラブ香が漂うものになって・・・いれば幸いです。(汗)
いつも以上に綾さんの乙女度が増しているような気もしますが、
楽しんで頂ければ非常に嬉しく思います。

照れつつもマフラーをプレゼントする綾さんの可愛らしさに、
銀埜だけでなく私もほんわかとなっておりました。(笑)
綾さんらしさを出せていたら非常に光栄です^^

それでは、有り難う御座いました。
またお会いできる日を楽しみにしつつ。