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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


211の風


 打ち寄せて、引いていって、その繰り返し。
 繰り返すから、永遠の輪を思い起こさせる。


 トントントン、と台所で何かを切る音が家の中で響いた。ほのかに漂ってくるのは味噌の香りで、包丁の音とぱたぱたとせわしなく歩き回る音がして、締めくくりのピーという炊飯器のお知らせ音がする。そんな、どこにでもある朝の風景が広がっていた。
「あいつ、まだ寝ているのか」
 ぽつり、と守崎・啓斗(もりさき けいと)は呟いた。ちらりと時計を見る。
「こんなんじゃ、俺の計画が台無しになってしまうじゃないか」
 啓斗は再び呟き、小さく溜息をつく。仕方ないな、と付け加えながら。朝食の支度で濡れている手をタオルで拭い、音をさせぬように歩く。日々是精進、忍者の道は一日にして為らず。家の中でも鍛錬を忘れず、こうして忍び足なんぞやってみたりする。
 ただし、それは人が寝ているのを邪魔しないようにするのは絶大な効果が得られるが、今から起こしに行くというのには何も効果が無い。
「……やっぱり、寝ているのか」
 啓斗の目線の先には、守崎・北斗(もりさき ほくと)がだらりと口を開けたまま眠っていた。実に気持ちよさそうだ。
「北斗」
 ぽつり、と呟くように啓斗は呼びかける。勿論、北斗から応答は無い。
「……北斗?」
 今度は声に出して呼びかける。北斗が「むにゃ」という少しだけ覚醒しかけたような声を出した。これは起きるかと見ていたのだが、すぐにごろりと寝転がってしまった。
「北斗、起きろ」
 啓斗は北斗の耳元に近付き、はっきりと言い放った。びくりと北斗の体が揺れた。
「何時まで寝る気だ?北斗、起きろって」
「ううーん……」
 北斗はようやくもぞもぞとし、ゆっくりと目を開けた。至近距離には、啓斗。
「……兄貴ぃ?」
「北斗、朝食を食べるぞ。しっかりと起きろ」
「朝食?……え、もうそんなに遅い時間なのか?」
 啓斗の言葉に、がばっと北斗は起き上がった。流石は食欲魔人といわれるだけはある。起きない北斗に朝食という言葉は、絶大な効果を発揮した。啓斗はそんな北斗に感心すらしてしまった。
「さあ、さっさと起きろ」
「何時なんだよ?もしかして、寝過ごし……」
 北斗は時計を見、ぴたりと動きを止めた。時計が差していたのは、午前4時。
「……兄貴。この時計、止まってる?」
「止まってはいないはずだ。この間、電池を変えたばかりだ」
「その電池、本当に新しい奴だったのか?」
「新しくは無いが……知らないか?」
「何を?」
 尋ねる北斗に、啓斗は誇らしげに微笑む。
「使い捨てカメラに内蔵されている電池は、カメラ屋に一杯あるそうだ。それはまだ使える電池らしくてな、なんとタダでもらえるんだ」
 答えられたのはいつでも赤い家計簿の守崎家に役立つ、生活の豆知識であった。が、北斗が知りたいのはそのような事ではない。
「いや、そういうミニ情報は今求めてないし。……俺には、まだ4時に見えるんだけど」
「見えるだろうな。午前4時なのは間違いないし」
 啓斗の言葉に、北斗はぴたりと口と動きを止めた。耳を疑うかのようにぽかんとして。
「どうしたんだ?北斗。まだ起きていないのか?」
「……早くない?」
「その時計は、早くも無いぞ?」
「いや、だから時計じゃなくて」
 実に不思議そうな顔をしている啓斗に、北斗はびしっと突っ込む。暫く啓斗は考え込み、ようやくぽんと手を打った。
「早起きは、三文の得」
「……やっぱり、早起きなんじゃねーか!」
 思わず強く北斗は突っ込んだ。そんな北斗に、軽くむっとしながら啓斗が口を開く。
「だって、お前が起きないから……」
「うんうん。でもな、昨日そんな早く起きろとか聞いてないし。俺、ばっちり聞いてないし」
「そりゃ、俺も言ってないけど」
「だよな?言ってないよな、兄貴!」
 北斗はそう言った後、大きく溜息をついた。ついでに、ぜいぜいと息切れさえしてくる。
「どうした、北斗?動悸でも走っているのか?」
「……朝から疲れたんだってば」
「それはいけないな。朝というのは、一番疲れていない時間帯でないといけないんだがな」
「……自分が疲れさせたとか、そういう自覚はない?」
「ない」
 きっぱりと啓斗は言い放った。北斗は、啓斗にはこれ以上言ってもきっと何もならないと気づいて溜息を再びついた。そして再び顔をあげ、啓斗の格好を見て「え?」と声をあげた。
「兄貴、何でライダースーツ着てるんだ?どっかに行くのか?」
「……まあ、先に食べて。そしてお前も着替えろ」
 啓斗はそれだけ言い、台所の方に消えていった。北斗は首を傾げつつも、啓斗についていくのであった。


 朝食後、まだ暗い中に二人は外に出た。二人とも、ライダースーツを着込んでいる。
「で?どこに行くんだよ」
「とりあえず、乗れ。俺が先に運転するから」
「まあ、いいけどさ」
 ドッドッと唸るエンジンを響かせているバイクにまたがり、啓斗は北斗を促した。北斗も半ば諦めたように後ろにまたがる。
 二人を乗せたバイクは、風の如く走り、進んでいった。途中何回か運転を交代しながら。
 ただし、北斗は行き先を告げられていないので啓斗の「この道を曲がらずにずーっと進んでいって、初めての曲がり角まで」とかいう不思議なナビゲーションに付き合わなければならなかった。勿論、その度に北斗がとてつもない不安感に襲われたのは言うまでも無い。
「……ついた」
 何度かの交代の後、啓斗はハンドルを握り締めながらゴール地点についた事を告げた。大分空が白け始めていたが、まだ太陽は出ていない。
 そこは、海であった。断崖絶壁の、北の海。黒々とした冷たそうな波が、崖に向かって打ち寄せてくる。波は高く、飛沫が豪快に飛び散っていた。
「わーわーわー!」
 ヘルメットをバイクに引っ掛け、北斗は崖の直前まで駆けていった。啓斗もバイクのエンジンを切ってキーを抜き、ヘルメットをバイクに引っ掛けてからゆっくりと北斗に近付く。
「兄貴、波、波!すげーよなぁ!」
 感動する北斗に、啓斗はただこっくりと頷いてから波を見つめた。暫く、二人はじっと打ち寄せてくる波に見入った。
「……高いな、ここ」
 ぽつり、と啓斗が言った。崖の下の海面は、何メートルも先だ。
「北斗、もしもだが……」
「ん?」
「ここで、お前を突き飛ばしたらどうする?」
 北斗は海面から啓斗に目線を移動させ、きょとんとしたまま啓斗を見つめた。が、すぐににやりと笑う。
「俺ぁこれくらいの崖なら、上がれんの!誰かさんの特訓の賜物でさ」
 北斗は誰かさん、というところに強く力を込めていった。何故だか啓斗はがっくりとうな垂れる。何故がっくりとするかは分からない。何か思うところがあったのかもしれない。
 しばらくすると、再び啓斗は何かを思いついたように顔をあげた。
「じゃあ、俺が依頼人と一緒に落ちたりしたら?」
「兄貴も?」
「そう、俺も」
 北斗はじっと啓斗を見つめる。そして、にかっと笑って両手を広げた。
「両方の手で、同時に助ける!だって、俺は手がちゃーんと二本揃ってっからな」
 誇らしげに言う北斗に、啓斗は半ば呆れつつ「馬鹿……」と呟く。
「お前、馬鹿か?」
「馬鹿じゃねーっつーの」
「いや、馬鹿だ」
「なんだよー。馬鹿なんかじゃないって言ってるじゃん」
「馬鹿だ」
 ぶーぶーと反論してくる北斗に、啓斗はぽつりと呟くように言う。
「……馬鹿、だ」
 再び呟いた言葉には、少しだけ苦笑が交わっていた。
「俺に、何執着してるんだかな……」
 小さく呟くように言う啓斗に、北斗は「ちっちっ」と言いながら指を横に振った。
「教えねー」
「……教えないのか?」
「そ。教えねー」
 北斗はそう言いながら、悪戯っぽくにやりと笑った。啓斗は一瞬唖然としていたが、やがてにやりと笑う北斗につられ、啓斗はぷっと吹き出した。それを皮切りに、互いに笑い出してしまった。
 このやりとりが、こうして一緒にいるこの一瞬が、なんだか可笑しくて、楽しくて。
 何故だか笑いを生み出してきてしまった。
「……兄貴」
 ひとしきり笑ってから、北斗は啓斗を呼んだ。啓斗は「ん?」と尋ね返す。
「兄貴、俺から逃げるなよ?」
「ああ……」
 それは啓斗に言っている北斗にも、同じように響く言葉。
「ずっと向かい合ってこそ、だからな」
「……ああ」
 互いが互いに言い合う、誓いのような絆のような約束。
 お互いから逃げたくないから、お互いと向き合っていたいから。
(逃げる事は、裏切りだから)
 啓斗も北斗も、同時に思った。ざざ、と足元からは波の音が響いてくる。地に付けた足から響いてくるかのように、打ち寄せる波が迫ってくる。崖の上までは届く筈は無いのだけれど。
(裏切りとは違うけれど、逃げる事は限りなく裏切りだから)
 頭の中は同じ言葉が支配していた。同じ言葉を頭の中に響かせ、同じように感じ、同じ時を過ごす。
 しかし、互いに別個の存在なのだ。
「何といっても、一つ年を取った事だし」
 北斗はぽつりと言って、再び打ち寄せる波を見つめた。
「そうだな」
 啓斗は頷き、やはり同じように波を見つめていた。
「ほら、北斗。……夜明けだ」
 白けていただけの空に、太陽が昇ってきた。白の空と黒の海が織りなしていたモノクロの世界に現れた、オレンジの太陽。二人は言葉もなく、ただじっと目を細めながら太陽を見つめた。
 二人とも同じように迎えた二月十日の誕生日の、翌日の出来事であった。


 黒い海の、白い飛沫。崖に力強く叩きつけるその波は、黒から白を生み出す。
 本来ならばありえぬその色彩の変化が、容易に起こり得る。
 終わる事の無い変化が、何度も何度も繰り返される。
 半永久的に、いつまでも。

<2月11日の夜明けを見つめ・了>