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空の色
「さんしたくーん♪」
とびきりの優しい、しかし何処かひんやりとした声に三下は椅子から飛びあがって振り返った。
そこには予想通りの美人編集長、碇麗香が立っていた。
「取材行ってもらえないかしら。今夜0時くらいに。」
「ええーっ!」
三下はがたがた震えだした。
基本的に夜の取材にロクなものはない。
何より。
麗香の笑顔がそれを物語っていた。
この笑顔ほど恐ろしいものはない。
「面白い情報が入ったのよ。例の10年前に火事で焼けてつぶれた病院があったでしょう?持ち主は不動産を介してあそこを売りに出そうと建物の取り壊しに入ったんだけ、何故か取り壊そうとすると作業員達がいっせいに具合が悪くなるの。しかも夜中になると物音が病院 からするんですって。これっていいネタよね。思うでしょう?ね、さんしたくん♪」
楽しそうに麗香は話すが、その目は全く笑ってはいない。
『仕事に行きなさい』とだけが瞳の奥に垣間見える。
三下はかろうじて声を出した。
「あの、もしかしてそれって僕1人ですかぁ・・・?」
「それは大丈夫。一緒に行ってくれる方が下の応接室で待っているわ。」
「その方は大丈夫なんですか?」
すると麗香はさらりと答えを返した。
「大丈夫。霊感は強いらしいから幽霊でも集まってくるらしいわよ。」
「全然大丈夫じゃないじゃないですかぁっっ!!」
半泣きの三下に麗香はにこやかに微笑んだ。
「大丈夫。帰ってこなかったら骨だけは拾いに行ってあげるわ。」
「いやだぁぁぁぁっっ。僕は死にたくありませんっっ!!」
その声に麗香はドアをびしっと指差し三下の尻を思いっきり蹴飛ばした。
「男がつべこべ言うんじゃないっっ!!とっとと応接室に行ってきなさい!!」
蹴飛ばされ。
三下は仕方なく階段を降りていくハメになった。
碇に言われて三下が応接室に降りていくとそこには1人の青年がいた。
三下の姿を見ると青年はソファーから立ち上がり礼儀正しく一礼した。
「槻島綾と申します。趣味をかねてもっぱら旅行記などのエッセイを書いています。」
「アトラス編集部の三下忠雄です。」
おどおどした三下に綾は優しく笑いかけた。
「今度、例の火事で焼けた病院に行くことになったと伺ったのですが、私も同行してよろしいでしょうか。」
「は、はい、もちろん。」
そう言っておいて三下は伺うように綾の顔を見た。
「失礼ですが槻島さん、怖くはないのでしょうか?」
「何がですか?」
三下はぶるっと身を震わせながら言った。
「幽霊が出るのかもしれないのですよ。とりつかれたりとか考えたことはないのですか?」
その言葉に綾は穏やかに微笑んだ。
「病院は様々な祈りや想いが篭っている場所ですよね。早く治って、元気になりたい、この痛みが和らぎますように…。志半ばで亡くなった方がいて、話を聞いて慰めること
が出来るなら…。三下君、幽霊だってきっと怖いばかりじゃないですよ。」
その言葉に。
三下は震える心が落ち着くのを感じた。
確かに言われてみれば綾の言う通りだ。
幽霊だって様々な思いを持っているのだ。
怖いだけが全てではない。
綾は優しく続けた。
「あの病院では写真家や小説家などの幽霊と会えるでしょうか。心に残った風景…沈む夕日、母に手を引かれて歩いた小道、夏の夜の花火の余韻、山の向こうから降り来る初
雪、旅先で見た忘れえぬ風景…そんなノスタルジックな情景の話を聞いて、共に懐かしみ語り合い、静かに天上へ向かわれるのを僕は見守りたい、僕はそう思います。」
「そうですね。」
綾の話に三下も思わず微笑んだ。
この青年はどこか人を落ち着かせる風情がある。
最初は行きたくなかった取材ではあったが。
この青年となら約束の時間が待ち遠しくなってきた三下であった。
深夜11時。
三下が車の側で待っていると眼鏡をかけた青年が側に近づいてくるのが見えた。
「え、えーと・・・・」
するとそんな三下の狼狽を見透かすかのように青年は眼鏡を外して柔らかく微笑んだ。
「槻島です。夜は障害物にぶつかるといけませんから眼鏡をかけているんです。」
「そうですか。」
三下は綾が助手席に乗り込むのを見ると自分も運転席に乗り込んだ。
車を走らせること1時間。
やがて焼け落ちた病院が見えてきた。
月明かりの中。
病院はそれだけで光を放っているようだった。
青白く浮かび上がる病院。
その駐車場に車が滑りこんでいく。
車の外にでると深夜なせいか、肌寒い空気が辺りを包んでいた。
「行きましょうか。」
綾は先に立って歩き出した。
10年前に火事で焼け落ちた病院。
そこは建物の造りがしっかりしているせいか、がれきは散らばっているものの歩くには支障がなかった。
と。
青白い火の玉が綾の前で漂い出した。
それに綾はそっと手を触れる。
すると火の玉は人へと姿を変えた。
それは幼い子供。
子供は笑顔で綾を見た。
「お兄ちゃん、ここで何をしているの?」
綾はその子の肩に優しく手をあてると目線を子供に合わせた。
「この病院で寂しがっている人に会いに来たのですよ。」
「ふーん。」
子供は一瞬考えるような目つきをした。
そして思いだしたように顔を上げた。
「じゃあね、304号室のおじいちゃんに会ってあげてよ。おじいちゃんね、山登りが大好きでいつも山に登って行っていたんだって。でも崖から足を滑らせてから山に行け
なくて、窓から裏山の方を見てはずっと悲しそうな顔をしているんだ。」
「ありがとう。」
綾は頷いた。
そして子供に優しく微笑む。
「ところでキミはどうしてここにいるのですか?」
すると子供は困ったようにちらと綾の顔を見た。
そして言う。
「ボクは案内役なんだ。今まででも何人かの人がここを除霊しに来たよ。でもね、ボクたちは力任せに除霊なんかされたくないんだ。まだここにいたいんだ。だから待ってる
。ボクたちの心を救ってくれる人を。」
そう言って子供は笑った。
「お兄ちゃんは無理矢理除霊に来たんじゃないよね。だから案内してあげる。おじいちゃんの心を救ってあげて。」
子供は綾にすがりついた。
懸命に言葉を探しながら綾の目をじっと見つめている。
「おじいちゃんはね、足を骨折してからボケてしまって誰も相手にしてくれなくなったんだ。で、そのうちに火事が起きて誰もおじいちゃんを助けてあげなかった。かわいそ
うだよね。あのおじいちゃんがここでは一番救いを求めている。孤独で誰も相手にしてくれなかったから、その思いがこの病院全体をその念で覆ってしまっているんだ。だか
ら誰も成仏できないでいる。」
「そうですか。」
綾は頷いた。
そして子供の肩に手を置く。
「安心していいですよ。僕は今からその方にお会いしてきます。教えてくれてありがとう。」
子供もにっこり微笑んだ。
「待ってるね、お兄ちゃん。」
綾が三下と階段を登っていくとそこかしこに青白い火の玉が見えた。
そして手を触れるたびに人間の姿へと戻っていく。
三下も最初は怯えを隠せなかったが、彼等が何もしないことが分かると黙って大人しく綾の後ろをついてきていた。
やがて304号室が見えてきた。
綾はコンコンと小さくノックをする。
「誰じゃ・・・・」
中からの声に綾は扉を開けた。
そこには1人の老人がベッドに座ったまま、窓から見える裏山を見ていた。
綾はそっとベッドに近づいた。
そして老人に優しく微笑む。
「僕は槻島綾と申します。旅行記などのエッセイを書くことを仕事にしています。」
老人はじっと綾の顔を見た。
そして唐突に言う。
「お前は空の色は何色だと思うかね。」
老人の問いに綾は言葉に詰まった。
唐突にこんなことを問われるとは思っても見なかったのだ。
だが。
綾は優しく微笑んだ。
「七色かもしれませんね。空は時によって気まぐれにその色を変えますから。」
「そう思うか?」
綾の言葉に老人が嬉しげに微笑んだ。
そしてぽつぽつと話し出す。
「ワシは空が大好きじゃった。空はお前が言ったように気まぐれにその色を変える。夕焼け空、日が沈んだ後の闇、朧月、雲のない澄み渡った青空・・・・ワシは何よりも移り変わる空が大好きじゃった。だから毎日山に登った。朝から晩まで雲海を眺めては飽きなかった。」
思い出すが如く。
老人は話し続ける。
「いつしかワシはここから動けなくなってしもうた。空が見たいというても誰も相手にしてくれなかった。ワシは食事を食べなくなった。そうしたら管で無理矢理栄養を取ら
された・・・・」
老人はじっと窓辺から見える低い裏山に目をやった。
「ワシは空が見たいのじゃ。それもこんなところから見える空じゃなくて山の頂から空を見たいのじゃ。今となってはワシはこんな曇った夜空しか見えぬ。だが、もう一度で良い。山の頂からのぼりゆく美しい日の出の空を眺めたいのじゃ。」
「そうですね。」
綾は頷いた。
そして老人の顔を優しく見やった。
「では行きますか?」
「え?」
老人と三下が驚いたように綾を見やった。
綾は優しく微笑んだ。
「今からなら日の出までにはあの山の頂上まで行くことが出来ますよ。僕達があなたを支えます。行きませんか?」
「日の出の空を眺めに。」
「行けるのか?」
老人は身を乗り出した。
そして綾にすがりついた。
「連れて言ってくれるのか?日の出の空を見に!」
綾は優しく頷いた。
「行けますよ。僕と三下君があなたを支えます。」
「ええっ!?」
ことの成り行きに三下は驚いた。
だが、すがりつく老人を見ていると到底断る事は出来なかった。
綾はそっと老人の身体を支え上げた。
そして反対側を三下が恐る恐る支える。
病院の外はまだ暗く寒かった。
だが、綾と三下は一歩一歩裏山の道を歩んでいく。
どれほど経ったであろう。
空がやがて白みはじめてきた。
山の頂上はもうすぐだった。
と。
視界がぱあっと開けてきた。
そしてそこには徐々に登りゆく太陽の姿があった。
空の色が薄紫に・・・・そして青空へと変わっていく。
老人はため息をついた。
「移りゆく空の色の何と美しいのじゃろう・・・・。ワシはこれが見たかった。今まで幾つもの写真をとった。だがこれほど嬉しい空の色は初めてじゃ。」
老人は穏やかに微笑んだ。
そして綾と三下の顔を交互に見た。
「ありがとう、2人とも。これでワシも満足して死ぬことが出来る。」
その言葉同時に。
2人の肩から老人の重みが消えていくのが感じられた。
と。
背後に小さな子供の気配がした。
振り返るとあの病院の入り口に立っていた子供だった。
子供は笑った。
そして綾に抱きついた。
「ありがとう、お兄ちゃん。ボクのおじいちゃんを助けてくれてありがとう。」
その言葉に綾は驚いた。
「あれはキミのおじいさまだったのですか?」
「うん。」
少年ははにかんだように俯いた。
「あの病院はね、ボクが御見舞いに行った日に火事にあったんだ。で、ボクもおじいちゃんを捨てて逃げられなくて死んじゃったけど、でもおじいちゃんを解放してくれる人をずっと待ってた。ありがとう、お兄ちゃん。」
それだけ伝えると子供の姿もやがては山の霧にへと姿を消していった。
やがて。
そこには美しい日の出の空だけが残っていた。
数日後。
綾は何かにひかれるように写真集売り場に足を向けた。
そこには一冊の「空の色」と題された写真集が片隅に置かれていた。
何気なく。
綾は写真集を手に取り、ページをぱらぱらとめくってみた。
そこには夕暮れ時の写真から雲海の写真まで様々な写真が美しく彩られていた。
そして。
その最後のページの作者紹介に載っていた写真。
それはあの老人のものだった。
綾は優しく老人に微笑んでみせた。
美しい空の色。
教えてくれた老人。
いつか自分も見られる日が来るのだろうか。
そう思いながら。
綾は会計へと足を向けた。
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登場人物
整理番号2226/PC名:槻島・綾(つきしま・あや)/性別:男性/年齢:27歳/職業:エッセイスト
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ライター通信
今回発注をありがとうございました。
しんみりした優しい話は私も好きなので、楽しんで書くことが出来ました。
また機会があればよろしくお願いします。
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