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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


愛は世界を駆け巡る −Sweet Chocolate Rhapsody−


[ ACT:0 ] 始まりはいつも……

「『バレンタインデー特別プレゼント 憧れの先生から手作りチョコレートを貰っちゃおう!』」
 冬晴れの心地良い昼下がり。ふいに聞こえたその台詞は雀荘という場所には似合わない乙女チックな響きを伴っていた。
 喫茶スペースで面子が揃うのを待ちながら雑誌を読んでいた真喜志要が、巻頭の企画ページの見出しを読み上げた声だ。
 要が組んだ膝の上に乗せているB5判のやや厚いその雑誌は、数ある小説雑誌の中でも人気上位を誇る少女小説専門誌だった。中央の可愛らしいイラストを囲むように小説のタイトルと作家の名前が並べられている。人気順でフォントの大きさが違うのは女性週刊誌の見出しやなんかと同じだ。
「で、これを作れって言われたの?」
「まあな」
 雑誌から目を離し隣を見ると、珍しく真面目に仕事をしていたらしい遊佐貴臣がノートパソコンのディスプレイから顔を上げ、大きく伸びをしたところだった。
「ったくよぉ、いくら本人手作りが売りだからって俺に言うか普通」
「何言ってんの。企画のメインじゃないのさ、貴臣さん。いや、この場合はみ……」
「俺をその名前で呼ぶな」
 企画ページの真ん中、見出しにある『憧れの先生』達の写真の中で一際大きく掲載されているゴスロリ衣装の女子高生らしき写真を指し示しながらにやにや笑いを浮かべる要に、徹夜明けの血走った視線が刺さる。
「詐欺だよねえ、これ」
「うるせぇな、そう言う事は俊介に言いやがれ」
「俊ちゃんの選択は正しかったよね。憧れのカワイイ作家さんの正体が実はこんなだと知ったら、俺だったら立ち直れない」
「…………」
 こんな、の部分で自分のほうを見、大げさに首を振る要に貴臣は不機嫌そうに顔を歪めるが、思う事は同じなので言い返せない。
 月刊Petit・Heart看板作家、夢園みるく――揺れ動くピュアな乙女心を時に繊細に時に大胆に描写し、瞬く間に人気を得、巷の少年少女達から憧れの対象として見られている現役女子高生作家であり、貴臣のもう一つの仕事名前である。
 しかし、夢見る少女の代表である女子高生作家が実は麻雀と借金にまみれた中年男だなど露見した日にはイメージダウンどころの騒ぎではない。故にデビュー当初から極力『秘密のベールに包まれた女子高生作家』として露出を抑えてきたのだが、人気が出てくればどうしても出ざるを得ない時もある。その場合はダミーのイメージを使っている。この事実は編集部内でも編集長と担当の俊介しか知らない極秘事項でもある。
 第一、そんな可愛らしい名前と姿(別に本人が何か着ているわけでもないが)で執筆している事実を知られるのは、世間がどうこうよりもまず貴臣本人が嫌だった。自分でつけたとは言え、今更ながらあのペンネームにした自分を呪いたい気分だ。金に困って犯した若かりし頃の過ちである。金に困っているのは今も変わらないのだが。
 過去を振り返り自分の生き方を少し後悔していると、入り口の扉が開き銀髪の青年が入ってきた。
「頼まれていた物はちゃんと俊介さんにも渡してきましたから」
 店内に足を踏み入れた青年、柳静流は貴臣の姿を認めると手にした紙袋の中から十センチ四方程の箱を取り出した。
「おー、ご苦労さん」
 箱を受け取り蓋を開けると、中は六つに仕切られており、一つ一つ違った形に細工された一口大のチョコレートが収まっている。
「よく出来てんなあ。これは食っていいのか?」
「はい、余分に作ってもらった分ですから」
「それもしかして……」
「プレゼント用のチョコレート」
 脇から箱の中身を覗き込んだ要が呟くと、さも当然の如く貴臣が頷いてチョコレートを一つ摘んだ。
「やっぱりしずるんに頼んでやんの」
「当り前だ。俺は書くので手一杯だっつの。それにまあ、静流が知り合いに丁度何でも料理出来るやつがいるって言うからな」
「知り合い?」
 要が見上げると、静流はにこりと頷いた。
「はい、僕の古い友人なんですが地元では料理長も務めている男なんですよ。だから出来は心配ないと思います」
「ふぅん……地元ってどこだっけ?」
 何気なく相槌を打った後、ふと静流の素性を思い出し嫌な予感がして問いかける要に対し、少し考えるように目を伏せると静流はおもむろに床を指差した。
「どこ、と限定するのはちょっと難しいんですけれど、まあこの下とか」
「…………」
「あとはあちらからも行けない事はないですよ」
 そう言って静流が次に指差したのは店の奥、七番テーブルの先だった。
「ちょっと待て。知り合いってそっちの知り合いかよ!?」
 静流の言葉に今度は貴臣が慌てて聞き返す。
「そうですけど、何か問題でも?」
「問題って問題だろうが! お前の地元の知り合いって言ったらあっちの連中じゃねぇか!」
「なに、貴臣さん知らずに頼んでたの?」
「俺はてっきりバイト先かなんかの知り合いかと……あー!!」
 きょとんとした顔で見つめる静流と、呆れたように問う要に言葉を返していた貴臣だが、途中で何かに気付いたのか声を上げた。
「やっべぇ、今食っちまったよ、俺……」
 口元を押さえチョコレートの入った箱を見つめる貴臣と要に、静流だけはその意味が分からず小首を傾げていた。

* * *

「やっぱりさあ、副作用とかあるのかなこれ」
「俺を不安にさせて何が楽しい?」
「不用意に食べる方が悪いと思うけど」
「仕方ねぇだろ。ここ一週間脳味噌フル回転で糖分求めてたんだよ。考えるより先にもう食ってたんだよ」
「まあ貴臣さんはともかく、一般市民に渡る前に回収した方が良くない?」
「俺はともかくって何だ。もっと大事に扱え」
 人ではないモノが作ったチョコレートの前で騒ぐ二人の耳に、ふいに電子音が聞こえてくる。聞き覚えのあるメロディに、貴臣は上着のポケットから携帯電話を取り出すと着信ボタンを押した。
『先生! 僕です、有富です』
「お、丁度よかった。あのな、さっき静流が持っていったチョコなんだが……」
『そうなんですそれなんです。すいません! 先生から頂いたチョコレートが盗まれてしまったんです!』
「はぁ!?」
 状況はさらに悪化の一途を辿っているようだった。


[ ACT:1 ] 嵐を呼ぶ喫茶店

 穏やかに晴れてはいるが、まだ風の冷たい冬の午後。シュライン・エマはこのままいつもの興信所によるか、自宅に一旦戻るか考えながら歩いていた。
 今日のシュラインは某興信所の事務員ではなく、翻訳家そしてゴーストライターとしてのシュラインである。今も月刊アトラス編集部に寄り、旧知の編集長から依頼された記事の打ち合わせを終えたばかりだった。
「うーん……興信所に寄ったら向こうの仕事で手一杯になっちゃうわよねえ……」
 そう呟いて資料の入った袋を見る。興信所の仕事――主に家事とか書類整理なのだが――を始めたらきっと資料を読む時間などはないだろう。
 自宅に戻って資料に目を通してしまおうと決め顔を上げると、いつの間に足が向いていたのか行き慣れた喫茶店の看板が見えた。風に乗り、コーヒーの香りが仄かに漂ってくる。
「家に戻るより近いわね」
 時間は丁度昼時で、軽く何かを食べるのもいいかとシュラインは喫茶店の方へ足を向けた。

* * *

「こんにちは」
「いらっしゃい、シュラインさん」
 見知った店長とにこやかに挨拶を交わし、シュラインは窓際の席に座った。荷物を置いて袋の中身を確認すると、数枚の紙をホッチキスで一つに束ねた資料と、依頼された事柄に関する記事が載っているという何号か前の月刊アトラス本誌が入っていた。
「ふむ……」
「お待たせしました」
 暫く資料と本誌の記事を読むのに没頭していると、コーヒーと軽食のサンドウィッチが運ばれてきた。顔を上げ、ありがとうと答えたシュラインの目にふと店内の本棚が目に入った。
「あら、あんなところに小説置いてあったかしら?」
「最近はまってるんですよ。シュラインさんも読んでみますか?」
 問われた店長が嬉しそうに本棚から一冊抜き取ってシュラインに渡してくれた。それはいわゆる少女小説と呼ばれる物で、『夢園みるく』という一昔前の少女漫画を地で行くような作者の名前が書いてある。店長の話に寄れば最近大層人気があるらしい。
「少女小説ねえ……あまり読まないわねそういえば」
 パラパラとページを捲り少し読んでいるうちに、ふと既視感を覚えた。
(あら……この文の感じ、どこかで……)
 横に除けていた資料用の月刊アトラスを再度捲ると目的の記事を見つけ、夢園みるくの小説と代わる代わる目を通す。全く違う分野の文章だが何となく共通する物がある気がする。その記事を書いた人間を確かめようとした時、喫茶店の扉を開く音がした。
「コーヒー、ポットでくれます?」
 入って来たのはスーツ姿の青年で、入ってくるとすぐにシュラインの相手をしていた店長の方へ顔を向け、注文をする。
「いらっしゃい真喜志さん。雀荘のお使いですか?」
「まあね」
 雀荘という言葉を聞いて、このビルの二階に雀荘の看板があった事をシュラインは思い出した。そこの関係者という事だろうか。
「その小説、興味ある?」
「え?」
 真喜志と呼ばれた青年が店長から視線を移し、シュラインの持つ小説を差して話し掛けてきた。スーツはきっちり着込んでいるがどこか軽い印象のある茶髪の青年は、どこか意味深な笑顔を浮かべシュラインを見ている。
「実はさ、今その小説の作者絡みでちょっと困ってるんだけど、助けて貰えないかなあ?」
「……随分変わったナンパの仕方するわね」
「俺は勝算のないナンパはしない主義だよ。これはナンパじゃなくて純粋に頼み事」
 そう言うと青年はシュラインの向かい側に腰を下ろした。唐突で馴れ馴れしい態度はナンパそのものだとは思うのだが、嫌な感じはなく何となく信用は置けると直感したので一応話だけは聞く事にした。
 青年の話は何でも雑誌の企画用で作った夢園みるくのチョコレートが盗まれてしまったのを取り戻して欲しいという内容だった。
「それなら警察に行けばいいと思うのだけど」
「警察じゃどうにもならない事もあるでしょ」
「……まあそうね」
「報酬はこれくらいしか出来ないけど、何かの縁だと思って協力お願い」
 そう言って立ち上がった青年は、テーブルの上の伝票を取り上げた。
「縁、ねえ……」
 どうやらこのままなし崩し的に巻き込まれそうだが、そんな事は日常茶飯事か、とシュラインはコーヒーを飲み干して溜息を吐いた。
 

[ ACT:2 ] 可笑しなお菓子と昼下がり

 穏やかな午後の日差しが差し込む緑林楼の喫茶スペースでは、何の因果か集まってしまった面々が件のチョコレートとの対面を果たしていた。
「わぁ、美味しそうなチョコレートですねえ。でも食べたらダメなんですよね。勿体無いなあ」
 中身に問題があり食べられない事実に残念そうに溜息を吐いたのは、マリオン・バーガンディだ。チョコレートという単語に引き寄せられるようにして緑林楼に訪れた、見た目十代の可愛らしい青年である。
「えー、別にいーよぉ? 食べたきゃ食べても。美味いよー」
「有難うございます。貴方が死なずに安全だと分かったらご馳走になりますね」
 何気に被害者を増やそうと嘘臭い愛想笑いでチョコレートを勧める貴臣に、それに負けない位の満面の笑みでキッパリと言い返す。
「死なずにって……何で皆そうやって俺の扱いが冷たいんだよ」
「そうだよなあ、貴臣が死んだら困るよなあ。誰にラーメン代ツケればいんだよなあ」
 笑顔を浮かべてさらりと毒を吐くマリオンに対し、ソファの隅で膝を抱えてぶつぶつと文句を言う貴臣の横で大きな布に包まれた物体が笑う。その正体は緑林楼の常連にして座敷童子のようにこの場所に棲み付く舜・蘇鼓である。寒さに弱い彼は、上から下まで完全防備だ。頭にはスキー客が被るような先にボンボンのついた毛糸のニット帽、首には長いマフラーがとぐろを巻き、手にももちろん厚手の手袋を着けている。シャツを何枚も重ねて着た上にどこから持ってきたのか学生のようなジャージを着込み、雪だるまならぬ肉だるま状態だ。着膨れた合間から見えるモデル並みの整った顔が服装とのミスマッチに拍車をかけている。
「俺の価値はラーメン並かよ!」
「ラーメンで不服ならチャーシューメンでどうよ? 餃子もつけてやるぞ」
「どのみち二人のラーメン代を払わされてるのは俺なんですけどー」
 蘇鼓と貴臣のやり取りの間で要が呟く。それに対し「気にするな」と爽やかな笑顔で言い放つ二人に要の溜息が混じる。
「ラーメンでもチャーシューメンでもワンタンメンでも構わないのだけれども」
 コントの様相を呈してきた会話に軌道修正を入れるべく発言したのはシュライン・エマだった。ただお茶をしに来ていただけなのにいつの間にやらなし崩し的に巻き込まれてしまった彼女だが、本人はそういう事態には慣れっこなのか、大して気に病む風でもなかった。
「ちょっと思ったんだけど、この企画と遊佐さんって何の関係があるの?」
 そう言って雑誌を取り上げると、チョコレートプレゼント企画のページを貴臣の方へ向ける。その疑問は当然のものであろう。現役女子高生作家の手作りチョコと雀荘に入り浸っている中年ライターに繋がりを見つけろという方が難しい。
「あ、それは私もちょっと不思議なのよね。なんで協力してるの?」
 シュラインに同意し、振り返ったのは豊かな黒髪が美しい妙齢の美女だった。名を黒澤早百合という。表向きは人材派遣会社の女社長、しかし裏では女性ばかりの暗殺組織『黒百合会』の頂点に君臨する彼女は、むさ苦しい雀荘に華を添えてくれる貴重な女性常連客の一人でもある。たまに打ちに来ては知らないうちに勝って帰るという強運の持ち主だ。麻雀では勝ち組だが憧れの殿方には現在連敗中という事実は命が惜しければ禁句なのである。
 女性二人に疑問の視線を浴びせられ、貴臣はぎくりと顔を強張らせた。実はその女子高生作家は自分の事で、だから企画は自分がメインなんだとは言えるわけがない。
「え、えーと、それはほら、あー……担当が同じよしみでちょっと仲良くってね? どんなのがいいか相談されてね? 試しに作ったのがこう入れ替わったというかなんというかね?」
 ぎこちない笑顔を浮かべて理由を連ねる貴臣の言葉にああだから、とシュラインが頷いた。
「違う分野の文章なのに、ちょっと癖が似てるかも? と思ったのよね。影響されるほど仲が良いって事なのねえ。それともファン?」
「は、はいぃ?!」
 思いがけないシュラインの言葉に貴臣が素っ頓狂な声を上げる。
「か、彼女と俺が似てる……か? あっそう……そうなんだ、ふ、ふぅ〜ん……」
「一応本職は貴方と同じ文筆業なのよ、私」
 某興信所のアシスタントとしてのイメージが確立されているシュラインではあるが、翻訳家そしてゴーストライターとしての本職の仕事もきっちりこなしている。たまたま次の仕事で貴臣の記事が載っている月刊アトラスを資料として貰い読んだ後に喫茶店で夢園みるくの小説を読み、分野が違うのに似ている事を何となく感じ取ったらしい。それを生業にしている人間はやはり鼻が効くと言うことだろう。
 鋭い指摘にますます顔を引き攣らせながら何とか平静を保っているところへ、今度は早百合が詰め寄り貴臣の両肩を掴んでガクガクと揺する。
「ちょっと遊佐さん! みるく先生とそんなに仲が良かったの!!?」
「へ?」
「何で言わないのよもう! そうと知ってたら紹介して貰いたかったのよ! そうしたら直筆サインとか、もしかしたら直接お話が……」
「さ、早百合ちゃん……?」
 あまりの剣幕に固まる貴臣と、その様子に視線が一斉に自分へ向かうのを感じ、早百合はハッと我に返ると揺さぶっていた腕を外し、貴臣をソファに投げ捨てた。
「あら、私とした事が……おほほほほ」
「黒澤さんも彼女のファンなの?」
「私じゃないのよ、事務所の女の子でファンがいるの。社長としては社員の喜ぶ顔が見たいじゃない? その為には尽力を惜しまないわ!」
「黒澤さんは社員思いのいい社長さんなんですねぇ」
「男前だなぁ、アンタ。貴臣も見習えよこーゆーの」
「褒めても何も出ないわよ〜おほほほほ」
 取り繕った早百合の言葉に妙に感心する一同の視線を受け、早百合は優雅な笑顔を浮かべたが、しかし心中は貴臣同様穏やかではなかった。
 今まで誰にも打ち明けた事はないのだが、実は早百合は筋金入りのみるくファンである。思いがけず身近に大好きな先生の知り合いが居た事に思わず興奮してしまったのだが、少女小説にはまっている事実は墓場まで持って行くと決めたのだ。ここでバレる訳にはいかない。そういう意味では知らず貴臣と利害が一致している。
「そんな事より、今はチョコレートよチョコレート!」
 話題を逸らすべく早百合がチョコレートを指し示す。話題を逸らした、というかやっと本筋に戻ったという方が正解なのだが、とにかく一同は改めて問題のチョコレートに目を向けた。
「これと同じチョコレートが盗まれて、それを回収するのがまず第一の目的よね?」
「そうですね。ちゃんと食べられるチョコレートを差し上げないと、折角プレゼントを貰えると喜んでる方が可哀想ですよね。同じチョコレート好きとしてそれはあまりにも不憫ですし」
 シュラインの言葉にマリオンがうんうんと頷きながら答える。やや論点がずれているような気がするが、結果すべき事は今回の目的と一致しているので問題はない。
「あとはこのチョコの始末よね。でも、勝手に破棄して大丈夫なのかしら?」
「そうねえ……まだ何も効果が出ていないから何とも言えないけど」
「呪いとかかけられてたら、捨てた時点で危険かもしれませんよねぇ」
 どこかのほほんと論議する一同に、再度自分の扱いに拗ねる貴臣の横で、蘇鼓が貴臣の頭をバシバシ叩きながら、
「ま、コイツは殺しても死なないだろーけど、それがヤバイのかどうかは作った奴に聞けばいいだろ」
「確かにそれが早いわよね。静流くんの知り合いなんだから連絡もつけやすいだろうし」
 蘇鼓の意見に早百合が賛同すると、その横でシュラインがふと呟いた。
「……実はみるく先生のチョコレートが目当てというよりはその料理長さんが作ったという事が重要なのかもしれない、という可能性もあるわよね」
「それはねぇと思うなあ、多分。静流の知り合いがチョコ作るなんて話、ついさっきまで俺以外知らなかったからな。知り合いっつってもこっちの奴じゃねぇしなあ」
「人間とは限らないですよ? その『こっちの奴じゃない』人が狙ったかも知れませんし」
 手を振ってシュラインの疑問を否定する貴臣に今度はマリオンが質問をする。
 静流の古い友人だというその料理長は、静流曰く地元ではかなり名の知れた料理人だというから、確かにその料理を欲しがるモノはいるかもしれない。
「ここ数時間の間に向こうからこっちに出入りはあったか分かるかしら?」
「ないない、静流以外は通ってねぇよ。俺は昨日からここにいたから間違いないね」
「俺もずっといたけど、そういう気配は感じなかったぞ。そーいうのは寝てても分かるし」
「……ここで寝泊りしてるの、貴方達……」
 貴臣と蘇鼓が言うのへ、早百合が呆れたような視線を投げる。
「ふむ……じゃあやっぱり作家ファンの犯行の線が強いわね」
「とにかく詳しい話を聞きに行きましょう。被害にあった編集さんに状況を聞いてチョコレートの行方を探さないと」
「じゃあ私達はこれがどれだけ危なくて害があるのか、確かめに行くわ。静流君、案内よろしくね」
 そして一同は二手に分かれて本格的にチョコレート&犯人追跡調査を始めたのだった。
  

[ ACT:3a ] 編集部にて

 盗まれた当時の状況を詳しく聞く為に編集部に向かうのはシュラインとマリオンだ。本来なら編集部の場所も当の被害者である俊介の事も知っている常連組の誰かが同伴すべきなのだろうが、静流は件の料理長の元への案内をしなければならないし、貴臣はいつ身体に異常があって周りが迷惑を被るか分からないので待機である。勿論、何か異変があった時の連絡要員として要も留守番組だ。
「何か異常があったらすぐに知らせてね。連絡があったら同じような症状で誰か病院に駆け込んでないか探りを入れてみるから」
「手際いいねえ、シュラインさん」
「こういうの慣れてるから」
 感心する要にやや遠い目をしながら答えるシュライン。百戦錬磨の彼女にとってこのような不測の事態への対応は脊髄反射のレベルでこなせるらしい。
「じゃあ皆さん、行ってきまーす」
 シュラインの言伝が終了するのを待って、マリオンがまるで遠足にでも出かけるような朗らかな笑顔で手を振った。

* * *

 月刊Petit・Heart編集部は、緑林楼から車で五分ほど離れた駅前のビジネスビルに入っている。
 二人はマリオンの車で駅前まで移動すると、貴臣の書いた大雑把な地図と住所を元に目的のビジネスビルを訪れた。エレベーター前の壁にある各階の表示を見ると、編集部はこのビルの五階のようである。他の階にある会計事務所や企業の固い名前の中、可愛らしいフォントで可愛らしい名前が混じっているのは少し目立つ。
「盗んでまでも食べたいチョコレートって美味しいんでしょうね」
「ファンの犯行だとしたら憧れの作家先生の手作りだから、そりゃあ美味しく感じると思うけど。勿体無くて食べずに取って置くかもしれないわね」
「食べないなんてそれこそ勿体無いですよ!」
「マリオン君はどうしてもチョコが食べたいのね……」
 エレベータが下りて来るのを待つ間、盗んだ犯人の事よりは美味しそうなチョコレートへの思いが強いマリオンの言葉にシュラインは思わず苦笑するのであった。

* * *

 五階に到着しエレベーターの扉が開くと、そこに廊下はなくいきなり編集部の受付が目の前に現れた。エレベーターの扉がそのまま入り口の扉代わりになっているらしい。しかし受付に誰かが座っているわけではなく、その奥で忙しなく行き交う編集部員達は来訪者にあまり気がついていないようだ。
「編集部ってどこも忙しいんですねえ」
 忙しなく動く人の動きを追いながら呟くマリオンの横で、シュラインは丁度近くを通りかかった女子社員に声をかけた。
「すみません、有富さんはいらっしゃいますか? アポイントを取ってあるんですけど」
「あ、はい、少々お待ちください。有富さーん、お客様ですよー」
 両手に何かのポスターと書類を抱えたその女子社員は一度二人の方へ笑いかけると、室内に向かって大きく呼びかけた。それに答えて部屋の奥からスーツ姿の青年が足早にこちらに来るのを確認すると再度シュラインとマリオンに軽く頭を下げてバタバタと走り去っていった。
「お待たせしました。有富です」
「私達、遊佐さんに頼まれてお伺いした者なんですが」
「ああ! さっき連絡頂きました。わざわざご迷惑かけてホントすみません!」
「いえいえ、お構いなく」
「とりあえず、詳しい話を聞かせて頂けるかしら?」
 受付の机に頭をぶつけるかというほど勢いよく腰を折る俊介に、シュラインとマリオンはそれぞれ声をかけた。

* * *

 雑然とした編集部内の一角、パーテーションで仕切られた小さな会議室に二人は通された。二人に席を勧めると俊介は自分の名刺を差し出しながら改めて深々と頭を下げた。
「有富俊介です。この度は僕のせいで、見ず知らずのお二人にご迷惑おかけして申し訳ありません!」
「そんなに恐縮しないでください。この件に協力したのは私たちの意思ですから。ね? シュラインさん」
 にこやかにマリオンにそう言われてシュラインは頷きつつ「あまり自分の意思とも言えないけど」と言う言葉をそっと飲み込んだ。
「そう言って頂けると助かります」
 ホッと息を吐いて座る俊介に、二人は早速事件の詳細を聞く事にした。
「ええと、それでまず事件の経緯を詳しく話して頂けるかしら。こちらは大まかな事しか聞いていないので」
「はい。今日の午前中の話なんですが……」
 俊介の話は朝、チョコレートを受け取るところから始まった。
 プレゼント用のチョコレートを静流の手から直接渡された俊介は、すぐに配送の手配をした。抽選で決まった届け先へはバイク便で運んで貰う事になっていたので、編集部でいつも使っているバイク便会社へ電話をしたという。それから一時間ほどで業者が到着し、厳重に梱包した品物を渡したのだが、その後またバイク便の業者が荷物を受け取りに来たのだという。
「さっきもう渡したと言ったら、その人の他にこちらに向かっている便はないって言うんですよ。電話を受けたのもその人しかいないって言うし……」
「なるほど。業者を装った犯人だったわけですね」
「ええ。いつも見慣れた制服だったんでまさかと思ったんですけどね。ああ、もうなんて間抜けなんだろう、先生にはなんてお詫びすれば……あ、胃が痛くなってきた」
 がくりと項垂れ胃を押さえながら、俊介はスーツの内ポケットからピルケースを出してその中の錠剤を一粒飲み込んだ。常備している胃薬らしい。
 話を聞き、シュラインとマリオンは今後の捜査方針を決めるべく、会議室にあったホワイトボードに判明した事実関係を書き込んでいった。
 犯人はバイク便業者を装ってチョコレートを持ち去った。その際、きちんとユニフォームを身に着けていたらしい事から考えられる可能性は三つだ。
 まず、その業者の人間という可能性。業者の人間なら例えその日その時間に仕事で出掛けなくてもユニフォームを着る事は出来るだろう。
 次にそのバイク便業者と何らかの形で関係があり、ユニフォームを手に入れられる人物。
 最後にユニフォームを実物そっくりに作る事が出来る人物だ。使用したバイク便業者はホームページもあり、そこには制服を着用した社員の写真も載っている。更に販促用パンフレットなどを見れば服の造詣は分かる。完璧に作らなくても、一瞬相手の目を誤魔化すくらいの物なら簡単に出来そうだ。
 そしてこの犯行を実行するのに重要なのが、チョコレートの受け渡し日時を犯人はどのようにして知る事が出来たか、だ。
 シュラインは腕を組み、胃を押さえたまま成り行きを見守っている俊介に質問を始めた。
「手作りチョコの配送を今日バイク便を頼む、というのは有富さんだけが知っていた事なのかしら?」
「そう……ですね。バイク便で配送というのは元から決まっていた事ですけど、今日チョコレートを貰うのは僕しか知らないはずです。今日の何時に、って言われたわけでもありませんし」
「という事は、もし情報が漏れたのだとしたら……バイク便を依頼する電話をかけた時、ですかね?」
 マリオンが言うのにシュラインが力強く頷く。
「そうだと思うわ。有富さんの電話を聞き、本物のバイク便が来るまでにユニフォームを用意し業者になりすませる時間のあった人間が今回の犯人よ」
「電話の内容を聞く事が出来てなおかつ到着までの一時間足らずで準備が出来るとなると、内部犯の可能性が大きいですね」
「もしかしたら複数犯かも知れないわよね。連絡係と実行犯に別れて待機していた可能性も……」
「編集部内部の犯行ですか!?」
 二人の推理に思わず大声を上げて立ち上がった俊介の元へシュラインとマリオンが慌てて駆け寄る。そして二人同時に俊介の口を塞ぎ、人差し指を唇の前に立てた。
「しー、ですよ! 大きな声を出しちゃダメです!」
「も、もが……」
「複数犯として、連絡係が編集部内にいたら逃げられちゃうわよ!」
「もがが……」
 シュラインとマリオンに交互に言われ、俊介はただこくこくと首を縦に振る。その様子にヨシ、と手を放した二人は、
「有富さん、バイク便に電話をした時にその場にいた人を確認して貰えるかしら? 私達は逃走した犯人の目撃情報を聞き込みに行くわ」
 そう言って颯爽と部屋を後にした。その後姿に、俊介は感心したように溜息を吐いたのだった。
「遊佐さんの知り合いって凄いな……本人とは大違いだよ」

* * *

 編集部を後にしたシュラインとマリオンは、二手に分かれて周辺の聞き込みを開始した。
 その結果、バイク便特有の大きなケースを乗せたバイクを見た人間はいたが、それはまた違う業者であった。この辺りは月刊Petit・Heart編集部の他にも小さな出版社やその他企業も急ぎの書類を届けるのにバイク便を使う事は珍しくはないので、いくつかの業者のバイクが常に走っているようだ。
 それに、犯人はビルを出た後に制服は脱いでしまったかもしれない。チョコレートの包みもそんなに大きな物ではないから、目立たずに持ち去る事も可能だろう。
 再び合流した二人は、お互いに成果が得られなかった事に少し落胆する。 近くに備え付けられていた休憩用のベンチに座り一息つきながら、この後の行動を模索してみる。
「目撃情報がないなら、有富さんからの連絡を待って、そっちに聞いてみるしかないですね」
「そうね……。後は料理長さんに会いに行った人達が、チョコレートの行方を追う手がかりを持ってきてくれれば早いかしらね」
「そういえば、どうなったんでしょうね? 遊佐さんにも変化とかあったんでしょうか?」
「一度連絡してみましょうか」
 シュラインはポケットに折り畳んで仕舞っておいた編集部への地図を出すと、その裏に書かれた要の携帯電話の番号へコールする。
「出ないわね……」
 しかし、呼び出し音が十回を超えても相手が出ない。何かあったのかと一旦切ってかけ直そうとしたその時、
『もしもしっ』
「あ、あら黒澤さん?」
 電話に出たのは要ではなく早百合だった。少し慌てた口調で、何やら後ろで騒ぐ声も聞こえる。
「ええと、これ真喜志君の携帯よね? 何かあったの?」
『ちょっと副作用が……ってああっ! もっとしっかり引っ張らないと落ちるわよ!』
「え? チョコの副作用が出たの? ちょっと黒澤さん? 黒澤さーん!!」
 シュラインが呼びかけるが、その後は騒ぎの声が大きくなるだけで返答はない。
「…………」
「どうしました?」
 無言で電話を見るシュラインを不思議そうな顔でマリオンが覗き込む。
「んー……、向こうで何かあったみたい」
「一旦戻りますか?」
「その方が良さそうね」
 
* * *
 
 数分後。
 一度戻る旨を俊介に伝え、何か分かったらすぐに連絡をくれるように頼んで緑林楼へと戻ってきたシュラインとマリオンの目に映ったのは、ガムテープでぐるぐる巻きにされて暗くなっている貴臣と、それを囲む疲れた顔の一同の姿だった。


[ ACT:4 ] 今そこにある危機?

「…………とりあえず、状況の説明を求めてもいいかしら」
 室内を見つめおもむろに言葉を発したのは、編集部から戻ってきたシュラインであった。その後ろからひょっこりと顔を覗かせたマリオンも、室内の様子に首を傾げて大きな瞳を瞬かせた。
 今シュラインとマリオンの目の前には、ガムテープでぐるぐる巻きにされながら部屋の隅で膝を抱えて蹲る貴臣と、それを囲む他のメンバー達がいる。その中には先程緑林楼を出る時にはいなかった、見慣れぬ顔の男がいた。
「チョコレートの副作用らしいのよ、これが」
「膝を抱えて暗くなっているのが?」
 シュラインが貴臣の方を指差すと、早百合がこくりと頷いた。
「さっきも自分のだらしなさを嘆いて身投げしようとしてたのよ。皆で止めてアレなんだけど」
「それであの電話だったのね」
 慌しく会話にならなかった先程の電話の理由が分かって一つスッキリする。
「おや、食べたら暗くなっちゃうんですか? それはあまり楽しくないですねえ……」
「もっと色々あるらしいぞ。アイツに聞いてみ、作った本人だからよ」
 そう言って蘇鼓はチョコレートの箱を手に立っていた黒い男を顎で指し示す。
「じゃあ貴方が料理長さんなんですね。そのチョコレートとても美味しそうなのです。でも危険なので食べられないのが残念ですよ」
「美味そう、ではなく確実に美味いぞ。食うといい」
「それはますます食べてみたいのですが、私は遊佐さんみたいにはなりたくないので」
 今さっき顔を合わせたばかりの男と、あっという間に近所の知り合いレベルの会話をするマリオン。彼にとっては相手が何者であるかよりはやはりチョコレートの方が気になるようだ。
「つまり纏めると、この人がチョコレートを作った料理長さんで、チョコレートの副作用で今遊佐さんがあの状態になっていてさっきまで大混乱だったと、そういうわけね?」
 何だか話が進まなくなりそうなのを強引にシュラインが纏め、とりあえずお互いに得た情報を確認しあおうと全員を促した。

* * *

 喫茶店から貰ってきたポットのコーヒーが既に切れていた為、ティーカップに緑茶という組み合わせで喉を潤すと、まずは犯行現場聞き込み組の二人が編集部で聞いた情報を話す。
「チョコレートを盗んだ犯人は、バイク便業者を装って犯行に及んだらしいの。バイク便で配送するのを知っていたのは有富さんだけだったらしいわ」
 チョコレートを今日渡すと言う事や、バイク便を頼んだ時間など、当日その場にいなければ知りえない情報を知り、あまり時間のない中で計画を実行できるのは編集部内の人間だろうと推測し、今は俊介に探りを入れて貰っていると言う。
「逃げた犯人の目撃情報がないか周辺で聞き込みをしたんですが、こちらはあまり有力な情報はありませんでした」
 残念そうに言ってマリオンは一口茶を啜る。
「それで有富さんからの連絡を待つ間にそっちの状況を確認しようとしたら、丁度騒ぎの途中だったのよ」
「私達も戻ってきた途端に遭遇したのだけれどね」
 ガムテープに塗れて一人反省会を続ける貴臣の方にちらりと視線をやり、早百合が軽く溜息を吐く。その横で、つまみの煎餅をバリバリと噛み砕きながら早百合と同じく地獄巡り組の蘇鼓が言葉を継いだ。
「全くロクなもんじゃねぇよな、六郎の作るもんは」
「だから六郎ではない! 私はニスロクだ! ついでに貴様は私の料理を食べた事がないくせに偉そうに言うな!」
 静流の知り合いである地獄の料理長、ニスロクは以前貴臣に勝手に付けられた日本名で呼ばれ不愉快そうに眉を顰めた。既に向こうの世界で彼と会っている蘇鼓と早百合の二人以外に彼の事は詳しく紹介されずに話は進んでいるのだが、見事に溶け込んでいる。このような出来事に慣れた人間ばかりが集まっていると、妙な存在が一人二人増えたところで影響などないらしい。
「ニスロクさんはチョコレートの行方を追えるの。だから来て貰ったのよ。彼がいれば大事なチョコレートを盗んだ不埒な犯人なんてすぐに見つかるんじゃないかしら」
 そして見つけて追い詰めた暁にはこの鉄拳で二度と立ち上がれないくらいの制裁を……! と密かに思っている事はおくびにも出さず、ニスロクを連れて来た理由を早百合はざっと説明した。
「今どこにっていうのも具体的に分かるものかしら?」
「こちらの地理なんぞ知らん。方角だけなら指示出来る」
「それなら私の車でその方向に走らせて見ましょう。途中で有富さんからの連絡が入って情報が掴めれば場所も絞り込めるでしょうし」
「犯人が万が一口にしてああなる前に、見つけ出さなきゃまずいしね」
 マリオンの提案に反対意見は出ず、早速追跡を始めようと立ち上がる一同に、蘇鼓が煎餅の最後の一枚を手にしながら未だ壁とお見合い中の貴臣の方を差した。
「なあなあ、アレはどーすんのよ」
「確かに、また暴れたら困るわね」
「大丈夫ですよ。僕がちゃんと見ていますから。要さんと二人ですし」
「俺は肉体労働向きじゃないんだけどなー……」
「じゃあここは任せるわ」
 行ってらっしゃいとにこやかに手を振る静流と、その横で諦めた顔をしている要に留守を任せ、皆は緑林楼を後にした。


[ ACT:5 ] スピードスター降臨

「うお、なんだ狭ぇぞココ」
「……そんなにもこもこ厚着してるからよ」
 乗り込むなり蘇鼓が身を捩る。確かにマリオンの車はやや小さめだが普通に乗れば後部座席に三人は狭くはない。原因は明らかに厚着をして普段より三割増で肥大化している蘇鼓なのだが、彼は気にせず虎の尾を思い切り踏みつける発言をする。
「そうか? 隣の二人が幅取ってんじゃねぇの……うぐぁ!」
「……ニスロクさん、まずはどっちの方にチョコレートの気配を感じるかしら」
 両脇から鋭いヒールで足の甲を射抜かれ悶絶する蘇鼓を尻目に、助手席に座るニスロクに問い掛けるのはシュラインだ。
「西だな」
「分かりました。とりあえず西を目指して走りますね。皆さん、シートベルトはきちんと締めましたね?」
 運転席のマリオンがバケットシートに身を沈め、四点止めのシートベルトでがっちり身体を固定しながら、ルームミラー越しに車内を見渡した。助手席のニスロクにシートベルトの締め方を教え、後部座席の三人もしっかり身体を固定させているのを確認すると、イグニッションキーを回しエンジンを始動させる。地を這うような低いエンジン音が車体を小刻みに揺らした。
「行きます!」
 マリオンがそう宣言したその瞬間。
「!!」
 急加速のGにより、一瞬で車内全員の身体がシートに張り付けられた。
 シフトチェンジの挙動を微塵も感じさせない見事なロケットスタートで、可愛い顔のスピード狂が操る車は一路西へと走り出した。

* * *

 流れる景色の速さに顔が強張る後部座席の三人とは対照的に、運転席のマリオンは楽しそうな笑顔を浮かべている。アクセルを緩める気配はまるで感じられない。
「ニスロクさん、何か感じたら教えてくださいね」
 楽しそうに運転を続けるマリオンの表情をミラー越しに見ながら、後ろの三人は危ない車に乗せられた事を実感する。
「ハンドルを握ると性格が変わるタイプなのね……」
「バケットシートといい、四点シートベルトといい、ただの乗用車にしては装備が本格的だと思ったけど」
「なんか手元が素早くて残像が」
 怖くてスピードメーターを覗く事が出来ないでいると、シュラインの携帯が着信を告げた。俊介からの連絡だ。シュラインが着信ボタンを押して出ると、隣の蘇鼓とその奥の早百合も内容を聞く為にシュラインの方へ耳を寄せた。実際は角を曲がる横Gに押された格好で戻るに戻れなくなっていたのだが。
「もしもし」
『有富です。シュラインさん達のおっしゃる通り、僕の電話を聞いていた人間がいました』
 俊介の電話を聞いていたのは編集部アルバイトの青年で宮下というらしい。彼は俊介がバイク便を頼むのを聞くと、その後すぐに帰ったという。
「その彼は今どこにいるの?」
『自宅に戻ったと思うんですが、電話には出ないんです』
「その彼の自宅に向かうわ。住所教えて」
『はい、住所は……』
 俊介が読み上げた住所はまさに今向かっている西方面の住所だった。電話の声を復唱し、住所をマリオンに告げるシュライン。
「マリオン君、聞こえたわね?」
「はい! 行きますよ!!」
 マリオンは瞳を輝かせたと同時に、助手席のニスロクが斜め前方へ視線を移した。
「あの人間から私の作品の匂いがするぞ」
「え!?」
 ニスロクの視線の先には一台のバイクが今まさに窓を曲がろうとしていた。
「あれですね! 追います!」

* * *

 華麗なドリフトで角を曲がりきると、タイヤが地面を擦る高い音に気付いたバイクがちらりとこちらを見た。フルフェイスのヘルメットで表情は分からないが、あっという間に迫ってくる猛スピードの外車に驚いているようだ。
 ドリフト時の一瞬の無重力状態から正気に戻ったシュラインと早百合が、ウィンドウを全開にし風に乱れる髪を抑えながら叫ぶ。
「前のバイクー! 止まりなさいー!」
「今ならまだ間に合うわ! 大人しく捕まりなさい!!」
 しかしバイクに止まる気配は無く、更にスピードを上げて距離を離しにかかっている。確かに、いきなり追いかけられ、しかも窓から何故か拳を振り上げる見知らぬ二人に怒鳴られたらあまり止まりたいとは思わないだろう。
 こちらを撒こうと必死に走るバイクに怒鳴っていた二人は、同時に車内に顔を戻すとビシッと前を指差した。
「「追って!!」」
「言われなくても、ですよっ」
 マリオンの瞳の輝きは最早尋常ではなかった。人懐こい猫は今や獲物へと一直線に駆ける草原のスピード王、チータへと変貌を遂げ、主の意思を汲み取った愛車が唸りを上げる。
 逃げるバイク、追う車。二つのエンジン音が公道に響き渡る。相手も普段から乗りなれているのか巧みな車体操作で狭い路地を縫うように走る。追うマリオンも進路の緻密な修正を繰り返しながら、次第に追い詰めていく。
「ふふふふふ、何人たりとも私の前は走らせませんよっ」
 不敵な笑みを浮かべ、マリオンが一気にバイクを抜き去る。
「抜いてどーする!」
「舌噛みますよ! 口閉じて!」
 マリオンが言うが早いがステアリングを右に大きく切る。それと同時にサイドブレーキを引き、アクセルとブレーキペダルを絶妙な強さで同時に踏む。
 車体の後ろ半分が綺麗な弧を描き、九〇度横を向いて止まった。
 まさか行く手を塞がれるとは思わなかったのだろう、バイクが慌てて急ブレーキをかける。ABSなど付いていない二輪車はその勢いで思い切りバランスを崩した。
「おっと!」
 放り出されたバイクの運転手の姿に、車のサンルーフを開けて飛び出した蘇鼓が回転レシーブよろしく滑り込み、地面につく前にキャッチした。見た目の布だるま具合に似合わぬ俊敏さはさすがと言えよう。
「ナイス俺! ナイスもこもこジャージ! 怪我一つ無いぞ」
 失神しているらしい逃走犯の首根っこを掴んで引き摺って来た蘇鼓が得意げに笑うと、続いて車内から降りて来た面々からは「動くエアバッグみたい」と賞賛が送られたのだった。

* * *

「……うう……」
「あら、お目覚めね。気分はどう?」
「な、何だよあんたら……」
 移動式エアバッグこと蘇鼓のおかげでかすり傷一つ無く目を覚ました青年は、自分を見下ろす一同に脅えながらおろおろと周りを見回した。少し離れた場所ではバイクがスクラップ状態になっている。
「みるく先生のチョコレートを盗んだのは貴方ね?」
 ずい、と一歩前に出て早百合が睨む。口調は静かだが全身に漲る怒りのオーラがとても怖い。
「何の話だよ……」
「白を切っても無駄よ。証拠は上がってるんだから」
 気圧されて誤魔化すように後ずさる青年の前に、シュラインが包装された包みを突きつける。大事そうに服の内側に隠してあったのを、気絶している間に見つけてニスロクによって確かに彼手作りのチョコレートだと判明している。
「チョコレートが食べたい気持ちはとーっても良く分かりますけど、やっぱり人の物を盗んじゃいけませんね」
「てめぇのせいで今日一日まったりする俺の予定は狂っちまったんだぞ。謝れ、そして命の恩人の俺に感謝しろ」
 蘇鼓は青年の目の前にしゃがみ込み、その額をビシッと指で弾いた。
「う、うう……だって、だってみるくたんのチョコレートが僕以外の人間の手に渡るなんて許せなかったんだあ〜!!」
 額を抑え、その場に突っ伏して号泣する青年の胸倉を掴み上げたのは早百合だった。
「甘えた事言ってるんじゃないわよ! 貴方だけが悔しい思いしてると思ったら大間違いだわ!! 私だって……私だってねえ、応募ハガキを神棚に上げ日に三度は手を合わせてもうこれでもかってくらい願いを込めたのに抽選に漏れて涙で枕を濡らして一週間、やっと気持ちの整理がついたのよ!? 貴方なんか編集部にいるんでしょう? 生原稿が拝める立場ってだけで羨ましいわよ有り難がりなさいよ!!」
「く、黒澤さん……?」
「折角助けたのに殺す気かよ〜」
「はッ!!」
 相手をぎりぎりと締め上げながら思いの丈をぶつける早百合。その姿を呆然と見つめる一同の視線に、本日二度目の我を忘れた事に気付き、早百合は咄嗟に最後の一言を付け加えて誤魔化してみる。
「……と、私の可愛い部下の気持ちを代弁してみたわ!」
 そして、早百合の腕の中で犯人もまた二度目の気絶をするのであった。


[ ACT:6 ] チョコレートは異次元に消ゆ

 チョコレートを取り戻し、犯人は編集部預かりで引き渡して来ると、一同は相変わらずかっ飛ぶマリオンの愛車で肝を冷やしながら緑林楼に戻ってきた。
「終わった終わった〜。つっかれた〜」
 大きく伸びをしながら蘇鼓がソファに体を預ける。続いて皆もそれぞれソファに腰を下ろすと、
「お帰りなさい。お疲れ様でした」
「おー、お疲れ〜。毎度スマンね」
 一同を出迎えた静流が労いの言葉とともにお茶を出した。その後ろからはチョコレートの効果が切れたのか、いつもの通り他力本願を人の形にしたような貴臣の言葉が被る。
 それを聞くとどっと疲れが増す気がして、誰からともなく溜息が漏れた。
「結局作家ファンの犯行だったの?」
 皆が一息つくのを待ってカウンターの奥で頬杖をつきながら要が聞く。
 今回の犯人、宮下というアルバイトの青年は熱狂的な夢園みるくファンだった。先程犯人自ら言っていたように、愛して止まない彼女の手作りチョコレートがどこの誰とも知れない人間に渡るのが許せず、犯行に至ったと言う。
「ファンって怖ぇよなあ」
「全員がそんな人間ばかりじゃないだろうけど、それだけ人気があるって事なんでしょうね」
「今度こそ、正真正銘彼女の手作りチョコレートがちゃんと届けられるといいですね」
「後日、改めてって俊介さんは言ってたわ。今度は手渡しできちんと護衛もつけるって言ってたし」
 それぞれの感想と共に一口茶を啜る。
「そういえば、残りの効果ってなんだったのかしらね?」
「聞きそびれちゃったわね」
 ふと食べかけのまま置かれたチョコレートの箱に視線が集まる。犯人が持っていた物はニスロクが持って帰ってしまったが、貴臣が食べていたのはそのまま残っている。
「……食べさせてみれば分かるんじゃね?」
「……効果も一時間くらいで消えるみたいだしね」
「……やっぱり事件のきっかけを作った人に責任取って貰った方がいいわよね」
「……最後まで自分で食べられないのは残念ですけど、味のレポートをして貰いましょう」
「…………お、俺?」
 自分を見つめる清々しいまでの笑顔とは対照的に、貴臣は自分の背中に冷や汗が伝うのを感じた。

 
 その後何があったのかは関係者が口を噤んでいる為、知る者はいないと言う。


[ 愛は世界を駆け巡る −Sweet Chocolate Rhapsody− / 終 ]
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2098/黒澤・早百合/女性/29歳/暗殺組織の首領
3678/舜・蘇鼓/男性/999歳/道端の弾き語り・中国妖怪
4164/マリオン・バーガンディ/男性/275歳/元キュレーター・研究者・研究所所長

※以上、受注順に表記いたしました。


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■         ライター通信          ■
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初めまして、またはお世話になっております佐神でございます。
毎度お待たせして申し訳ありません。異界依頼第二弾をお届け致します。
今回は珍しく体調を崩したりして挫けそうになったりもしましたが、
ある意味男前揃いの参加者様方の気合いに助けられたような気がします。

本編はACT:1が個別のプロローグ、ACT:3がa、b二組に分かれております。
興味がございましたら他の方のノベルも読んでみてください。

今回はご参加本当にありがとうございました。
ご意見ご感想ご要望クレーム等々、何かありましたら何でもお気軽にお声をかけてくださいませ。
それでは、またの機会にお会いできるのを楽しみにしております。

佐神 拝


>シュライン・エマ様
異界では初めましてですね。ようこそ緑林楼へ。
いつもながら痒いところに手が届く細やかなプレイングに感嘆しております。
同じ文筆業という事で色々感じていらっしゃったシュラインさんに、みるくの正体が暴かれる日も近いかと思われます(笑)
ご参加有難うございました。