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愛は世界を駆け巡る −Sweet Chocolate Rhapsody−
[ ACT:0 ] 始まりはいつも……
「『バレンタインデー特別プレゼント 憧れの先生から手作りチョコレートを貰っちゃおう!』」
冬晴れの心地良い昼下がり。ふいに聞こえたその台詞は雀荘という場所には似合わない乙女チックな響きを伴っていた。
喫茶スペースで面子が揃うのを待ちながら雑誌を読んでいた真喜志要が、巻頭の企画ページの見出しを読み上げた声だ。
要が組んだ膝の上に乗せているB5判のやや厚いその雑誌は、数ある小説雑誌の中でも人気上位を誇る少女小説専門誌だった。中央の可愛らしいイラストを囲むように小説のタイトルと作家の名前が並べられている。人気順でフォントの大きさが違うのは女性週刊誌の見出しやなんかと同じだ。
「で、これを作れって言われたの?」
「まあな」
雑誌から目を離し隣を見ると、珍しく真面目に仕事をしていたらしい遊佐貴臣がノートパソコンのディスプレイから顔を上げ、大きく伸びをしたところだった。
「ったくよぉ、いくら本人手作りが売りだからって俺に言うか普通」
「何言ってんの。企画のメインじゃないのさ、貴臣さん。いや、この場合はみ……」
「俺をその名前で呼ぶな」
企画ページの真ん中、見出しにある『憧れの先生』達の写真の中で一際大きく掲載されているゴスロリ衣装の女子高生らしき写真を指し示しながらにやにや笑いを浮かべる要に、徹夜明けの血走った視線が刺さる。
「詐欺だよねえ、これ」
「うるせぇな、そう言う事は俊介に言いやがれ」
「俊ちゃんの選択は正しかったよね。憧れのカワイイ作家さんの正体が実はこんなだと知ったら、俺だったら立ち直れない」
「…………」
こんな、の部分で自分のほうを見、大げさに首を振る要に貴臣は不機嫌そうに顔を歪めるが、思う事は同じなので言い返せない。
月刊Petit・Heart看板作家、夢園みるく――揺れ動くピュアな乙女心を時に繊細に時に大胆に描写し、瞬く間に人気を得、巷の少年少女達から憧れの対象として見られている現役女子高生作家であり、貴臣のもう一つの仕事名前である。
しかし、夢見る少女の代表である女子高生作家が実は麻雀と借金にまみれた中年男だなど露見した日にはイメージダウンどころの騒ぎではない。故にデビュー当初から極力『秘密のベールに包まれた女子高生作家』として露出を抑えてきたのだが、人気が出てくればどうしても出ざるを得ない時もある。その場合はダミーのイメージを使っている。この事実は編集部内でも編集長と担当の俊介しか知らない極秘事項でもある。
第一、そんな可愛らしい名前と姿(別に本人が何か着ているわけでもないが)で執筆している事実を知られるのは、世間がどうこうよりもまず貴臣本人が嫌だった。自分でつけたとは言え、今更ながらあのペンネームにした自分を呪いたい気分だ。金に困って犯した若かりし頃の過ちである。金に困っているのは今も変わらないのだが。
過去を振り返り自分の生き方を少し後悔していると、入り口の扉が開き銀髪の青年が入ってきた。
「頼まれていた物はちゃんと俊介さんにも渡してきましたから」
店内に足を踏み入れた青年、柳静流は貴臣の姿を認めると手にした紙袋の中から十センチ四方程の箱を取り出した。
「おー、ご苦労さん」
箱を受け取り蓋を開けると、中は六つに仕切られており、一つ一つ違った形に細工された一口大のチョコレートが収まっている。
「よく出来てんなあ。これは食っていいのか?」
「はい、余分に作ってもらった分ですから」
「それもしかして……」
「プレゼント用のチョコレート」
脇から箱の中身を覗き込んだ要が呟くと、さも当然の如く貴臣が頷いてチョコレートを一つ摘んだ。
「やっぱりしずるんに頼んでやんの」
「当り前だ。俺は書くので手一杯だっつの。それにまあ、静流が知り合いに丁度何でも料理出来るやつがいるって言うからな」
「知り合い?」
要が見上げると、静流はにこりと頷いた。
「はい、僕の古い友人なんですが地元では料理長も務めている男なんですよ。だから出来は心配ないと思います」
「ふぅん……地元ってどこだっけ?」
何気なく相槌を打った後、ふと静流の素性を思い出し嫌な予感がして問いかける要に対し、少し考えるように目を伏せると静流はおもむろに床を指差した。
「どこ、と限定するのはちょっと難しいんですけれど、まあこの下とか」
「…………」
「あとはあちらからも行けない事はないですよ」
そう言って静流が次に指差したのは店の奥、七番テーブルの先だった。
「ちょっと待て。知り合いってそっちの知り合いかよ!?」
静流の言葉に今度は貴臣が慌てて聞き返す。
「そうですけど、何か問題でも?」
「問題って問題だろうが! お前の地元の知り合いって言ったらあっちの連中じゃねぇか!」
「なに、貴臣さん知らずに頼んでたの?」
「俺はてっきりバイト先かなんかの知り合いかと……あー!!」
きょとんとした顔で見つめる静流と、呆れたように問う要に言葉を返していた貴臣だが、途中で何かに気付いたのか声を上げた。
「やっべぇ、今食っちまったよ、俺……」
口元を押さえチョコレートの入った箱を見つめる貴臣と要に、静流だけはその意味が分からず小首を傾げていた。
* * *
「やっぱりさあ、副作用とかあるのかなこれ」
「俺を不安にさせて何が楽しい?」
「不用意に食べる方が悪いと思うけど」
「仕方ねぇだろ。ここ一週間脳味噌フル回転で糖分求めてたんだよ。考えるより先にもう食ってたんだよ」
「まあ貴臣さんはともかく、一般市民に渡る前に回収した方が良くない?」
「俺はともかくって何だ。もっと大事に扱え」
人ではないモノが作ったチョコレートの前で騒ぐ二人の耳に、ふいに電子音が聞こえてくる。聞き覚えのあるメロディに、貴臣は上着のポケットから携帯電話を取り出すと着信ボタンを押した。
『先生! 僕です、有富です』
「お、丁度よかった。あのな、さっき静流が持っていったチョコなんだが……」
『そうなんですそれなんです。すいません! 先生から頂いたチョコレートが盗まれてしまったんです!』
「はぁ!?」
状況はさらに悪化の一途を辿っているようだった。
[ ACT:1 ] 強制労働はラーメンの味
緑林楼の常連客に変わり者が多いのは周知の事実であるが、その中でも舜・蘇鼓は上位に位置する一人であろう。
何故なら、彼は店に通うのではなく『棲み付いて』いるからだ。私物を持ち込み、喫茶スペースの一角に居住空間を作り上げ、おはようからおやすみまで特に出掛ける用事が無ければずっと店内にいる。最初は荷物が散乱しているだけだった場所はいつの間にか衝立で仕切られており、まさに蘇鼓のパーソナルスペースとして確立されている。
本人曰く、ここは別宅らしい。ただし本宅があるのかどうかは定かではない。
今日もその別宅で目を覚ました蘇鼓は、一つ大きく伸びをして今日は何をしようかと考える。衝立の上からひょいっと首だけ覗かせて店内を見回しても、今来ているのは珍しく昨日からずっと仕事をしている貴臣くらいのものだから宅も囲めない。
「うーす。……まだやってたのかよソレ」
「もうちょっとで終わるって! そしたら一局付き合えよ」
「ホントに終わんのかねえ」
画面から目を離さないまま答える貴臣の言葉をまるで信じていないかのように笑うと、蘇鼓は一つ身震いをした。
「おーさみ。何か着る物は〜っと
蘇鼓が居を構える喫茶スペースは、入り口のすぐ脇だからか日は当たっていてもときたま入る隙間風が寒い。衝立の中に戻り、山と詰まれた私物の中からセーターやらマフラーやらジャージやらを引っ張り出していると、扉の開く音がした。声からするに要が来たらしい。
(昼間から暇な奴らだよなぁ)
自分の事は思い切り棚に上げ、もそもそと着替えながら二人の話を聞いていれば何やらチョコレートがどうのこうのと話している。暫くするとそこに静流も加わり、段々きな臭い方向へと会話が進んでいる。
いつもならこの辺りで自分から首を突っ込むのだが、今日は日が悪い。何せ寒いのだ。しかも自分のお気に入りは今日は関わっていないし、チョコレート如きで死ぬ連中でもないだろう。騒動の解決まで麻雀はお預けだろうが、この寒い中外に出されるよりはいいだろう、と今日一日篭る事に決めた。
その為にとりあえず暖かい飲み物とおつまみだけ貰ってこようと衝立を少しずらして外に出ると、それに気付いた貴臣と目が合う。
「話聞いてたよな? ちょっと手伝っ……」
「ヤダね」
貴臣の言葉に耳を貸す気も無く、喫茶スペースのおつまみ置き場をがさがさと漁りながら一言キッパリ言い捨てる蘇鼓だったが、貴臣は諦めていなかった。
「お前、俺の名前でいつも勝手にラーメン頼んで俺のツケにしてるだろ? その借金分働けよ!」
「んだよ、ラーメンくらいでケチケチすんなよ」
「ラーメンぐらいってなあ、俺にとっては死活問題なんだよ。いつもいつも平気で二人前も三人前も頼みやがって!」
「そういうてめぇだっていっつも要に請求書回してんだろ! 俺ばっか責めんな!」
「……俺宛に来る請求書って貴臣さんの分だけじゃなかったわけね」
ラーメン代について争う蘇鼓と貴臣の間に割って入ったのは要だった。要が呆れたように溜息を吐き、二人を睨む。
「借金分、働いてよね」
「……ちっ」
蘇鼓の一日はやはり穏やかには終わらないようだった。
[ ACT:2 ] 可笑しなお菓子と昼下がり
穏やかな午後の日差しが差し込む緑林楼の喫茶スペースでは、何の因果か集まってしまった面々が件のチョコレートとの対面を果たしていた。
「わぁ、美味しそうなチョコレートですねえ。でも食べたらダメなんですよね。勿体無いなあ」
中身に問題があり食べられない事実に残念そうに溜息を吐いたのは、マリオン・バーガンディだ。チョコレートという単語に引き寄せられるようにして緑林楼に訪れた、見た目十代の可愛らしい青年である。
「えー、別にいーよぉ? 食べたきゃ食べても。美味いよー」
「有難うございます。貴方が死なずに安全だと分かったらご馳走になりますね」
何気に被害者を増やそうと嘘臭い愛想笑いでチョコレートを勧める貴臣に、それに負けない位の満面の笑みでキッパリと言い返す。
「死なずにって……何で皆そうやって俺の扱いが冷たいんだよ」
「そうだよなあ、貴臣が死んだら困るよなあ。誰にラーメン代ツケればいんだよなあ」
笑顔を浮かべてさらりと毒を吐くマリオンに対し、ソファの隅で膝を抱えてぶつぶつと文句を言う貴臣の横で大きな布に包まれた物体が笑う。その正体は緑林楼の常連にして座敷童子のようにこの場所に棲み付く舜・蘇鼓である。寒さに弱い彼は、上から下まで完全防備だ。頭にはスキー客が被るような先にボンボンのついた毛糸のニット帽、首には長いマフラーがとぐろを巻き、手にももちろん厚手の手袋を着けている。シャツを何枚も重ねて着た上にどこから持ってきたのか学生のようなジャージを着込み、雪だるまならぬ肉だるま状態だ。着膨れた合間から見えるモデル並みの整った顔が服装とのミスマッチに拍車をかけている。
「俺の価値はラーメン並かよ!」
「ラーメンで不服ならチャーシューメンでどうよ? 餃子もつけてやるぞ」
「どのみち二人のラーメン代を払わされてるのは俺なんですけどー」
蘇鼓と貴臣のやり取りの間で要が呟く。それに対し「気にするな」と爽やかな笑顔で言い放つ二人に要の溜息が混じる。
「ラーメンでもチャーシューメンでもワンタンメンでも構わないのだけれども」
コントの様相を呈してきた会話に軌道修正を入れるべく発言したのはシュライン・エマだった。ただお茶をしに来ていただけなのにいつの間にやらなし崩し的に巻き込まれてしまった彼女だが、本人はそういう事態には慣れっこなのか、大して気に病む風でもなかった。
「ちょっと思ったんだけど、この企画と遊佐さんって何の関係があるの?」
そう言って雑誌を取り上げると、チョコレートプレゼント企画のページを貴臣の方へ向ける。その疑問は当然のものであろう。現役女子高生作家の手作りチョコと雀荘に入り浸っている中年ライターに繋がりを見つけろという方が難しい。
「あ、それは私もちょっと不思議なのよね。なんで協力してるの?」
シュラインに同意し、振り返ったのは豊かな黒髪が美しい妙齢の美女だった。名を黒澤早百合という。表向きは人材派遣会社の女社長、しかし裏では女性ばかりの暗殺組織『黒百合会』の頂点に君臨する彼女は、むさ苦しい雀荘に華を添えてくれる貴重な女性常連客の一人でもある。たまに打ちに来ては知らないうちに勝って帰るという強運の持ち主だ。麻雀では勝ち組だが憧れの殿方には現在連敗中という事実は命が惜しければ禁句なのである。
女性二人に疑問の視線を浴びせられ、貴臣はぎくりと顔を強張らせた。実はその女子高生作家は自分の事で、だから企画は自分がメインなんだとは言えるわけがない。
「え、えーと、それはほら、あー……担当が同じよしみでちょっと仲良くってね? どんなのがいいか相談されてね? 試しに作ったのがこう入れ替わったというかなんというかね?」
ぎこちない笑顔を浮かべて理由を連ねる貴臣の言葉にああだから、とシュラインが頷いた。
「違う分野の文章なのに、ちょっと癖が似てるかも? と思ったのよね。影響されるほど仲が良いって事なのねえ。それともファン?」
「は、はいぃ?!」
思いがけないシュラインの言葉に貴臣が素っ頓狂な声を上げる。
「か、彼女と俺が似てる……か? あっそう……そうなんだ、ふ、ふぅ〜ん……」
「一応本職は貴方と同じ文筆業なのよ、私」
某興信所のアシスタントとしてのイメージが確立されているシュラインではあるが、翻訳家そしてゴーストライターとしての本職の仕事もきっちりこなしている。たまたま次の仕事で貴臣の記事が載っている月刊アトラスを資料として貰い読んだ後に喫茶店で夢園みるくの小説を読み、分野が違うのに似ている事を何となく感じ取ったらしい。それを生業にしている人間はやはり鼻が効くと言うことだろう。
鋭い指摘にますます顔を引き攣らせながら何とか平静を保っているところへ、今度は早百合が詰め寄り貴臣の両肩を掴んでガクガクと揺する。
「ちょっと遊佐さん! みるく先生とそんなに仲が良かったの!!?」
「へ?」
「何で言わないのよもう! そうと知ってたら紹介して貰いたかったのよ! そうしたら直筆サインとか、もしかしたら直接お話が……」
「さ、早百合ちゃん……?」
あまりの剣幕に固まる貴臣と、その様子に視線が一斉に自分へ向かうのを感じ、早百合はハッと我に返ると揺さぶっていた腕を外し、貴臣をソファに投げ捨てた。
「あら、私とした事が……おほほほほ」
「黒澤さんも彼女のファンなの?」
「私じゃないのよ、事務所の女の子でファンがいるの。社長としては社員の喜ぶ顔が見たいじゃない? その為には尽力を惜しまないわ!」
「黒澤さんは社員思いのいい社長さんなんですねぇ」
「男前だなぁ、アンタ。貴臣も見習えよこーゆーの」
「褒めても何も出ないわよ〜おほほほほ」
取り繕った早百合の言葉に妙に感心する一同の視線を受け、早百合は優雅な笑顔を浮かべたが、しかし心中は貴臣同様穏やかではなかった。
今まで誰にも打ち明けた事はないのだが、実は早百合は筋金入りのみるくファンである。思いがけず身近に大好きな先生の知り合いが居た事に思わず興奮してしまったのだが、少女小説にはまっている事実は墓場まで持って行くと決めたのだ。ここでバレる訳にはいかない。そういう意味では知らず貴臣と利害が一致している。
「そんな事より、今はチョコレートよチョコレート!」
話題を逸らすべく早百合がチョコレートを指し示す。話題を逸らした、というかやっと本筋に戻ったという方が正解なのだが、とにかく一同は改めて問題のチョコレートに目を向けた。
「これと同じチョコレートが盗まれて、それを回収するのがまず第一の目的よね?」
「そうですね。ちゃんと食べられるチョコレートを差し上げないと、折角プレゼントを貰えると喜んでる方が可哀想ですよね。同じチョコレート好きとしてそれはあまりにも不憫ですし」
シュラインの言葉にマリオンがうんうんと頷きながら答える。やや論点がずれているような気がするが、結果すべき事は今回の目的と一致しているので問題はない。
「あとはこのチョコの始末よね。でも、勝手に破棄して大丈夫なのかしら?」
「そうねえ……まだ何も効果が出ていないから何とも言えないけど」
「呪いとかかけられてたら、捨てた時点で危険かもしれませんよねぇ」
どこかのほほんと論議する一同に、再度自分の扱いに拗ねる貴臣の横で、蘇鼓が貴臣の頭をバシバシ叩きながら、
「ま、コイツは殺しても死なないだろーけど、それがヤバイのかどうかは作った奴に聞けばいいだろ」
「確かにそれが早いわよね。静流くんの知り合いなんだから連絡もつけやすいだろうし」
蘇鼓の意見に早百合が賛同すると、その横でシュラインがふと呟いた。
「……実はみるく先生のチョコレートが目当てというよりはその料理長さんが作ったという事が重要なのかもしれない、という可能性もあるわよね」
「それはねぇと思うなあ、多分。静流の知り合いがチョコ作るなんて話、ついさっきまで俺以外知らなかったからな。知り合いっつってもこっちの奴じゃねぇしなあ」
「人間とは限らないですよ? その『こっちの奴じゃない』人が狙ったかも知れませんし」
手を振ってシュラインの疑問を否定する貴臣に今度はマリオンが質問をする。
静流の古い友人だというその料理長は、静流曰く地元ではかなり名の知れた料理人だというから、確かにその料理を欲しがるモノはいるかもしれない。
「ここ数時間の間に向こうからこっちに出入りはあったか分かるかしら?」
「ないない、静流以外は通ってねぇよ。俺は昨日からここにいたから間違いないね」
「俺もずっといたけど、そういう気配は感じなかったぞ。そーいうのは寝てても分かるし」
「……ここで寝泊りしてるの、貴方達……」
貴臣と蘇鼓が言うのへ、早百合が呆れたような視線を投げる。
「ふむ……じゃあやっぱり作家ファンの犯行の線が強いわね」
「とにかく詳しい話を聞きに行きましょう。被害にあった編集さんに状況を聞いてチョコレートの行方を探さないと」
「じゃあ私達はこれがどれだけ危なくて害があるのか、確かめに行くわ。静流君、案内よろしくね」
そして一同は二手に分かれて本格的にチョコレート&犯人追跡調査を始めたのだった。
[ ACT:3b ] 西六郎の謎
編集部へと向かうシュラインとマリオンを見送った後、残った面子は七番テーブルの奥へと移動した。静流の地元への道を開けるべく貴臣が壁に向かって何やら術をかけている。
その横で、静流が蘇鼓と早百合の二人に向こう側へ渡る為の説明をしていた。
「まずですね、僕が先頭でその後ろに早百合さん、蘇鼓さんの順番で並んでください。そうしたら足元の紐を腰の辺りまで持ち上げてください」
静流の説明とともに足元を見ると、紐で作った輪が置いてあり、二人はその中に立たされている事に気付いた。蘇鼓がしゃがみ込み、紐を持ち上げくんくんと匂いを嗅いだ。
「なんだこりゃ? 変な術かかってねぇ?」
「はぐれない為の結界用なんです。貴臣が作ったんですよ」
「結界なんかいらねぇよう」
「僕や蘇鼓さんはいいでしょうけれど、早百合さんは一応か弱い人間の女性ですから」
しゃがんだまま見上げる蘇鼓に静流がその意図を答えると、それを聞いた早百合がパッと瞳を輝かせた。
「まあっ、そんなか弱い乙女だなんて! 当たってるけどハッキリ言われたら照れるわね。一応ってのが気になるけどまあいいわ」
「……か弱いも乙女も微妙に違うと思…………いや、うんその通りかな」
七番テーブルのいつもの自分の席に座り、静流に言いかけた要の言葉は早百合の無言の圧力に途中で遮られた。
「それで静流君、これは向こうに行っている間はずっと持っていなきゃダメなの?」
「いいえ、移動中だけでいいですよ。着いてしまえば僕の力だけで大丈夫です」
「そう。でもこの格好ってどこかで見た事あるのよね……」
静流の説明どおり、縦に一列で並び輪になった紐を腰の位置で握って立つ自分達の姿に、早百合がふと呟いた。
「どう見たって電車ごっこだろ。『運転手はキミだ〜車掌はボクだ〜』ってか」
早百合の呟きに蘇鼓がケラケラと笑って答えた。口ずさんだ歌がやけにいい声で響く。確かに輪になった紐を持ち、三人で並んで歩けば電車ごっこの体勢だ。
「この位置だと俺が車掌だな。どうせならこの帽子、車掌のにすりゃ良かったなあ」
「はいそこのレッドディスティニー号三人組。準備出来たぞ」
被っていたニット帽を引っ張りながら言う蘇鼓の耳に空間を繋げ終わった貴臣の声が聞こえた。見れば壁には見慣れた虹色の亀裂が生じている。いつもはここから出るモノを戻すのだが、今日はここに入るのである。
「おー、ホントに開いてら。マジでこーいうの出来るんだなあ、お前」
「そんな事よりレッドディスティニー号って何なのよ」
何やら感心する蘇鼓の横で早百合が眉を顰めた。貴臣の返答は予測できたが一応聞く事にする。
「紐が赤い電車だからレッドディスティニー号。ちなみに青いのと緑もあるぞ。使用目的は違うがな」
「ダッサイ名前だなオイ」
「ケチつけんな。名前なんざどうでもいいだろーが。早百合ちゃんもそんな顔しない!」
あまりにも単純な名前に大笑いする蘇鼓と、呆れた視線を向ける早百合。それを見て貴臣が渋い顔で文句を言う。どうやら本人は結構真面目に付けていた名前らしい。このセンスで良く小説なんぞ書いてるものだとは要の心の声である。
「まあ静流が言ったと思うけど、移動中は離さないように。空間が不安定だからどこに飛ばされるか分かんねぇからな。じゃ、ヨロシク」
改めて皆に向き直り貴臣がそう言うと、三人は一斉に紐を持ち上げた。
「それでは、出発進行です」
そして、静流の掛け声とともにレッドディスティニー号に乗った三人は、壁の中へと吸い込まれていった。
* * *
入り口と同じいくつもの色が混じった空間の中を通り過ぎ、気がつくと目の前にはどこか古びた西洋の街を思わせる風景が広がっていた。街並みこそ普通の西洋風だが、漂う空気に何とも言えない重さを感じる。
「はい、終点です」
「ここが静流君の地元なの……」
「そうですよ」
「俺の地元とはやっぱり違うんだな」
きょろきょろと辺りを見回しながら蘇鼓が言う。蘇鼓とて静流と近い種族に当たるが、国籍が違えば地元の様相も違うようだ。
「この先に彼の厨房があります」
そう言って静流が指し示した先には、中世の貴族の城のような建物があった。その城の一角から白い煙がもうもうと溢れているのが見える。そして煙とともに何とも言えず美味しそうな匂いも流れてきた。丁度料理中らしい。
「なんか美味そうな匂いがするなあ。腹減ってきちまった」
匂いの方へ引き寄せられそうな蘇鼓を引っ張って戻し、早百合は噂の料理長がどんな人物なのかを聞いてみる。
「料理長さんってどんな人なの?」
「自分の料理に拘りと自信が凄くあって、真面目な男ですよ。少し頑固ですけど」
「歳はいくつくらい?」
「僕と同じくらいですね。見た目は僕と変わらないですよ」
「独身? 恋人は? 好みのライフスタイルとか?」
「おいおい、段々質問が結婚相談所のアンケートになってるぞ」
次第に瞳の輝きを増しながら質問を投げかける早百合に、蘇鼓がケラケラと笑う。それにハッと我に返り、早百合は一つ咳をして誤魔化すと、
「そのお友達の名前、なんて言ったかしら」
「西六郎です」
「…………は?」
静流の口から出た、どう聞いても日本人としか思えない名前にぽかんと口を開けたところで、一同は建物の入り口に辿り着いた。
* * *
建物内に入り半地下になっている厨房の扉を静流が開けた途端、三人の視界は厨房内に溢れる湯気で真っ白になる。
「あっちぃなあ、まるで蒸し風呂じゃねぇか」
一歩中へ入り煙を片手で払いながら、空いた片手で自分の顔あたりに風を送りつつ蘇鼓がうんざりと舌を出す。火を扱っている厨房は確かに暑く、しかも蘇鼓は厚着をし過ぎなのだから余計に暑いのだろう。
更に奥へ足を踏み入れると、大きな竈の前で長身の男が立っていた。いわゆる西洋料理のシェフと同じような姿をしているのだが、その服の色は白ではなく上から下まで真っ黒だった。本人の髪の毛、更には肌の色まで漆黒である。
「こんにちは」
静流が呼びかけるが男は反応せず、黙々と料理をしている。
「この人なの? 静流君」
「ええ。僕の友達の六郎君です」
「でも返事しねぇぞ」
友人が近距離で呼んでいるにも関わらずこちらを無視する男に対し、蘇鼓と早百合が不審そうに見るのへ、静流は「大丈夫ですよ」と動じた様子もない。
「料理中は他の事が見えなくなるんです。皆さんも呼びかけて貰えますか?」
その言葉になるほどと手を打つ。集中するあまり周りの様子に一切気付いていないのかと納得し、蘇鼓と早百合も静流に倣って相手に呼びかける事にした。
「西さーん、西六郎さーん」
「おーい六郎、こっち向けー」
やはり反応はない。そこで三人は顔を見合わせて一つ頷くと、一度大きく息を吸った。
「「「せーの……ろ・く・ろ・うー!!」」」
「ええい、煩いわ! 私の名前は六郎などではなーい!!」
三人が声を揃えて名前を呼ぶと、黒い男は勢い良く振り返った。
「やあ六郎。今朝はチョコレートを有難う」
「貴様、何度言えば分かる! 私を西六郎などというけったいな名前で呼ぶな!!」
「え、六郎じゃねぇのコイツ」
「違うと言っておろうが!」
男の叫びを聞くに、別に集中して気付かなかったわけではなく「六郎」と呼ばれるのが嫌だったらしい。大振りの包丁を両手に構え見下ろす姿は威圧的だが、そこそこのルックスに静流の言った通り外見が若い。静流や蘇鼓達とのやり取りを聞きながら、素早く全身をチェックし早百合はちょっと胸を躍らせた。とりあえず種族の問題は二の次でも良いらしい。
「それはともかく、聞きたい事があるんですよ。ちょっと時間くださいね」
* * *
「私はニスロクだからな。ニ・ス・ロ・ク!」
静流に宥められ、厨房の真ん中にあるテーブルを挟んで座った西六郎ことニスロクは、再度念を押しながら手にした包丁をビシッと突きつけた。
「ニスロクだから西六郎、ね。良く出来てると言えば良く出来てるかしら」
「センスいいのか悪いのかわかんねぇな」
静流の話によると駄洒落のような日本語の名前をつけたのは貴臣らしい。以前一度召喚した際、静流の名前に合わせて何となく考えて以降そう呼んでいると言う事だ。名前を付けた当の本人はすっかり忘れているらしいが。
「だから、私の名前はニスロクだと言っている! これ以上その名で呼ぶならもう話は聞かん!」
これ以上名前の話で機嫌を損ねられると面倒になるので、本題に戻る事にする。
「どんなチョコを作ったのか教えてくださる? 外見じゃなくて中身の話ね」
「一つ一つ味も中身も変えてある。ただ作るのでは芸がないからな」
「それ食うと腹壊したりおかしくなったりしねぇの?」
「食べた味によって一時的に何かしらの変化は起こるだろうが、余興程度だ。死ぬ程の事はない」
「その余興が問題なんだっつーの!」
彼の言う余興程度が本当にその程度で済むのか保証はない。人間に食べさせる物だと考慮して作ったらしいとはいえ、悪魔と人間では効き方が違うだろう。
「やっぱり誰かの口に入る前に回収した方がいいわね。貴方の作ったチョコレートがどこにあるかって分かったりするかしら?」
もう既に口にした誰かの事はこの場ではひとまず置いておき、今度はニスロクの作った特製チョコレートの行方を追う事が可能かどうかを聞いてみた。
「特殊な香料を使っているからその香りを追えばよい。私にしか嗅ぎ分けは出来ないが」
「そうか、なら話は早ぇな。ちょっと付き合って貰おうか」
蘇鼓がそう言ってニスロクの腕を取って立ち上がる。
「何をする! 私にはまだ仕事が残っているんだ。貴様らに付き合う時間など……」
「うるせぇ! てめぇの作った料理のせいで俺は寒い中追い出されて迷惑してんだ! ここは暑いけどな!」
抗うニスロクに一喝する蘇鼓の横で、今度は早百合がニスロクの腕を取り――と言うよりは何気なく腕を絡ませて――立ち上がる。
「これは貴方の料理が美味しく食べられる事を証明するためでもあるのよ。だから協力をお願いしたいわ」
「証明しなくても私の料理は美味いに決まってるだろうが」
「つべこべ言わずに責任取りやがれ! 帰るぞ静流」
妖怪と美女に引き摺られ、地獄の料理長は帰りのレッドディスティニー号に強制的に乗せられて行くのだった。
* * *
人間の美女が一人に人間外の美形が三人という見た目だけは良いレッドディスティニー号が無事に壁から抜け出ると、聞こえてきたのは要の悲鳴だった。
そちらを見れば、窓の桟に足をかけ飛び降りようとする貴臣と、それを止めようとしがみつく要の姿が目に入る。
「ちょっと何してるのよ、二人とも!?」
「なに遊んでんだ。人に働かせておいてひでぇな」
「これのどこが遊んでるように見えんの!!?」
口を尖らせて文句を言う蘇鼓に叫ぶ要は、貴臣に引っ張られて今にも落ちそうになっている。
「危ない、危ないから!!」
「離せ要! 俺みたいな奴がいても世の為にならないだろう! 俺なんか、俺なんかこの世にいちゃいけないんだああ!!」
「じゃあせめて保険に入ってから飛び降りろってば!!」
「審査が降りるか分からないんだよ!! 不摂生で不健康だからぁ!!」
会話の内容が間違った方へ向かっているようだが、とにかくこの状態は緊急事態であろう。早百合、蘇鼓、静流の三人が手を貸しに走り寄ると、その後ろでポツリとニスロクが呟いた。
「あの男、私のチョコレートを食ったのだな」
「え、もしかしてこれが効果なの?」
「どこが余興程度なんだ、あぁ? ってか、てめぇも呑気に見てんじゃねぇよ!」
中々大人しくならない貴臣を羽交い絞めにしたり正気に戻れと引っ叩いたりしながら蘇鼓が悪態を吐くのと同時に、テーブルに置いてあった要の携帯が鳴った。
「ごめん、早百合ちゃん取ってくれる?」
「女の子だったらどうするの?」
「後でどうとでもなるからいい!」
手が離せない本人の了承を得てテーブルの一番近くにいた早百合が電話を取ると、受話器の向こうから聞こえてきたのは編集部に行っているシュラインの声だった。
「もしもしっ」
『あ、あら黒澤さん?』
思いがけず早百合が出たので僅かに驚きの声を上げている。そしてすぐに早百合の後ろで奮闘している男達の声に気付いたのか、
『ええと、これ真喜志君の携帯よね? 何かあったの?』
「ちょっと副作用が……ってああっ! もっとしっかり引っ張らないと落ちるわよ!」
説明しようとした途端、皆を引き摺ったまま身体半分を外に投げ出そうとする貴臣の姿が目に入り、電話をそのままに早百合も慌てて戦線復帰した。
* * *
そして数分後。
いつまた飛び降りようとするか分からない貴臣を紐がないのでガムテープで拘束すると、貴臣は部屋の隅の壁に向かって体育座りで蹲り、自分を罵倒しつつ今までの生き方を反省していた。
「貴臣が反省してるなんて気持ち悪ぃ……どうにかしろよこれ」
それを見て思わずひく蘇鼓。普段の無責任さを良く知る蘇鼓や他の人間にとって、殊勝な貴臣など有り得ない存在なのだ。
同じく珍しい生き物を見るような目でそちらを見ていた早百合が、傍らのニスロクに聞く。
「これは一体どういう効果なのかしら、ニスロクさん」
「その男が食したのは多分……」
六つの内一つだけが欠けたチョコレートの箱を見てニスロクが言いかけた時、入り口の扉が開かれる音がした。
[ ACT:4 ] 今そこにある危機?
「…………とりあえず、状況の説明を求めてもいいかしら」
室内を見つめおもむろに言葉を発したのは、編集部から戻ってきたシュラインであった。その後ろからひょっこりと顔を覗かせたマリオンも、室内の様子に首を傾げて大きな瞳を瞬かせた。
今シュラインとマリオンの目の前には、ガムテープでぐるぐる巻きにされながら部屋の隅で膝を抱えて蹲る貴臣と、それを囲む他のメンバー達がいる。その中には先程緑林楼を出る時にはいなかった、見慣れぬ顔の男がいた。
「チョコレートの副作用らしいのよ、これが」
「膝を抱えて暗くなっているのが?」
シュラインが貴臣の方を指差すと、早百合がこくりと頷いた。
「さっきも自分のだらしなさを嘆いて身投げしようとしてたのよ。皆で止めてアレなんだけど」
「それであの電話だったのね」
慌しく会話にならなかった先程の電話の理由が分かって一つスッキリする。
「おや、食べたら暗くなっちゃうんですか? それはあまり楽しくないですねえ……」
「もっと色々あるらしいぞ。アイツに聞いてみ、作った本人だからよ」
そう言って蘇鼓はチョコレートの箱を手に立っていた黒い男を顎で指し示す。
「じゃあ貴方が料理長さんなんですね。そのチョコレートとても美味しそうなのです。でも危険なので食べられないのが残念ですよ」
「美味そう、ではなく確実に美味いぞ。食うといい」
「それはますます食べてみたいのですが、私は遊佐さんみたいにはなりたくないので」
今さっき顔を合わせたばかりの男と、あっという間に近所の知り合いレベルの会話をするマリオン。彼にとっては相手が何者であるかよりはやはりチョコレートの方が気になるようだ。
「つまり纏めると、この人がチョコレートを作った料理長さんで、チョコレートの副作用で今遊佐さんがあの状態になっていてさっきまで大混乱だったと、そういうわけね?」
何だか話が進まなくなりそうなのを強引にシュラインが纏め、とりあえずお互いに得た情報を確認しあおうと全員を促した。
* * *
喫茶店から貰ってきたポットのコーヒーが既に切れていた為、ティーカップに緑茶という組み合わせで喉を潤すと、まずは犯行現場聞き込み組の二人が編集部で聞いた情報を話す。
「チョコレートを盗んだ犯人は、バイク便業者を装って犯行に及んだらしいの。バイク便で配送するのを知っていたのは有富さんだけだったらしいわ」
チョコレートを今日渡すと言う事や、バイク便を頼んだ時間など、当日その場にいなければ知りえない情報を知り、あまり時間のない中で計画を実行できるのは編集部内の人間だろうと推測し、今は俊介に探りを入れて貰っていると言う。
「逃げた犯人の目撃情報がないか周辺で聞き込みをしたんですが、こちらはあまり有力な情報はありませんでした」
残念そうに言ってマリオンは一口茶を啜る。
「それで有富さんからの連絡を待つ間にそっちの状況を確認しようとしたら、丁度騒ぎの途中だったのよ」
「私達も戻ってきた途端に遭遇したのだけれどね」
ガムテープに塗れて一人反省会を続ける貴臣の方にちらりと視線をやり、早百合が軽く溜息を吐く。その横で、つまみの煎餅をバリバリと噛み砕きながら早百合と同じく地獄巡り組の蘇鼓が言葉を継いだ。
「全くロクなもんじゃねぇよな、六郎の作るもんは」
「だから六郎ではない! 私はニスロクだ! ついでに貴様は私の料理を食べた事がないくせに偉そうに言うな!」
静流の知り合いである地獄の料理長、ニスロクは以前貴臣に勝手に付けられた日本名で呼ばれ不愉快そうに眉を顰めた。既に向こうの世界で彼と会っている蘇鼓と早百合の二人以外に彼の事は詳しく紹介されずに話は進んでいるのだが、見事に溶け込んでいる。このような出来事に慣れた人間ばかりが集まっていると、妙な存在が一人二人増えたところで影響などないらしい。
「ニスロクさんはチョコレートの行方を追えるの。だから来て貰ったのよ。彼がいれば大事なチョコレートを盗んだ不埒な犯人なんてすぐに見つかるんじゃないかしら」
そして見つけて追い詰めた暁にはこの鉄拳で二度と立ち上がれないくらいの制裁を……! と密かに思っている事はおくびにも出さず、ニスロクを連れて来た理由を早百合はざっと説明した。
「今どこにっていうのも具体的に分かるものかしら?」
「こちらの地理なんぞ知らん。方角だけなら指示出来る」
「それなら私の車でその方向に走らせて見ましょう。途中で有富さんからの連絡が入って情報が掴めれば場所も絞り込めるでしょうし」
「犯人が万が一口にしてああなる前に、見つけ出さなきゃまずいしね」
マリオンの提案に反対意見は出ず、早速追跡を始めようと立ち上がる一同に、蘇鼓が煎餅の最後の一枚を手にしながら未だ壁とお見合い中の貴臣の方を差した。
「なあなあ、アレはどーすんのよ」
「確かに、また暴れたら困るわね」
「大丈夫ですよ。僕がちゃんと見ていますから。要さんと二人ですし」
「俺は肉体労働向きじゃないんだけどなー……」
「じゃあここは任せるわ」
行ってらっしゃいとにこやかに手を振る静流と、その横で諦めた顔をしている要に留守を任せ、皆は緑林楼を後にした。
[ ACT:5 ] スピードスター降臨
「うお、なんだ狭ぇぞココ」
「……そんなにもこもこ厚着してるからよ」
乗り込むなり蘇鼓が身を捩る。確かにマリオンの車はやや小さめだが普通に乗れば後部座席に三人は狭くはない。原因は明らかに厚着をして普段より三割増で肥大化している蘇鼓なのだが、彼は気にせず虎の尾を思い切り踏みつける発言をする。
「そうか? 隣の二人が幅取ってんじゃねぇの……うぐぁ!」
「……ニスロクさん、まずはどっちの方にチョコレートの気配を感じるかしら」
両脇から鋭いヒールで足の甲を射抜かれ悶絶する蘇鼓を尻目に、助手席に座るニスロクに問い掛けるのはシュラインだ。
「西だな」
「分かりました。とりあえず西を目指して走りますね。皆さん、シートベルトはきちんと締めましたね?」
運転席のマリオンがバケットシートに身を沈め、四点止めのシートベルトでがっちり身体を固定しながら、ルームミラー越しに車内を見渡した。助手席のニスロクにシートベルトの締め方を教え、後部座席の三人もしっかり身体を固定させているのを確認すると、イグニッションキーを回しエンジンを始動させる。地を這うような低いエンジン音が車体を小刻みに揺らした。
「行きます!」
マリオンがそう宣言したその瞬間。
「!!」
急加速のGにより、一瞬で車内全員の身体がシートに張り付けられた。
シフトチェンジの挙動を微塵も感じさせない見事なロケットスタートで、可愛い顔のスピード狂が操る車は一路西へと走り出した。
* * *
流れる景色の速さに顔が強張る後部座席の三人とは対照的に、運転席のマリオンは楽しそうな笑顔を浮かべている。アクセルを緩める気配はまるで感じられない。
「ニスロクさん、何か感じたら教えてくださいね」
楽しそうに運転を続けるマリオンの表情をミラー越しに見ながら、後ろの三人は危ない車に乗せられた事を実感する。
「ハンドルを握ると性格が変わるタイプなのね……」
「バケットシートといい、四点シートベルトといい、ただの乗用車にしては装備が本格的だと思ったけど」
「なんか手元が素早くて残像が」
怖くてスピードメーターを覗く事が出来ないでいると、シュラインの携帯が着信を告げた。俊介からの連絡だ。シュラインが着信ボタンを押して出ると、隣の蘇鼓とその奥の早百合も内容を聞く為にシュラインの方へ耳を寄せた。実際は角を曲がる横Gに押された格好で戻るに戻れなくなっていたのだが。
「もしもし」
『有富です。シュラインさん達のおっしゃる通り、僕の電話を聞いていた人間がいました』
俊介の電話を聞いていたのは編集部アルバイトの青年で宮下というらしい。彼は俊介がバイク便を頼むのを聞くと、その後すぐに帰ったという。
「その彼は今どこにいるの?」
『自宅に戻ったと思うんですが、電話には出ないんです』
「その彼の自宅に向かうわ。住所教えて」
『はい、住所は……』
俊介が読み上げた住所はまさに今向かっている西方面の住所だった。電話の声を復唱し、住所をマリオンに告げるシュライン。
「マリオン君、聞こえたわね?」
「はい! 行きますよ!!」
マリオンは瞳を輝かせたと同時に、助手席のニスロクが斜め前方へ視線を移した。
「あの人間から私の作品の匂いがするぞ」
「え!?」
ニスロクの視線の先には一台のバイクが今まさに窓を曲がろうとしていた。
「あれですね! 追います!」
* * *
華麗なドリフトで角を曲がりきると、タイヤが地面を擦る高い音に気付いたバイクがちらりとこちらを見た。フルフェイスのヘルメットで表情は分からないが、あっという間に迫ってくる猛スピードの外車に驚いているようだ。
ドリフト時の一瞬の無重力状態から正気に戻ったシュラインと早百合が、ウィンドウを全開にし風に乱れる髪を抑えながら叫ぶ。
「前のバイクー! 止まりなさいー!」
「今ならまだ間に合うわ! 大人しく捕まりなさい!!」
しかしバイクに止まる気配は無く、更にスピードを上げて距離を離しにかかっている。確かに、いきなり追いかけられ、しかも窓から何故か拳を振り上げる見知らぬ二人に怒鳴られたらあまり止まりたいとは思わないだろう。
こちらを撒こうと必死に走るバイクに怒鳴っていた二人は、同時に車内に顔を戻すとビシッと前を指差した。
「「追って!!」」
「言われなくても、ですよっ」
マリオンの瞳の輝きは最早尋常ではなかった。人懐こい猫は今や獲物へと一直線に駆ける草原のスピード王、チータへと変貌を遂げ、主の意思を汲み取った愛車が唸りを上げる。
逃げるバイク、追う車。二つのエンジン音が公道に響き渡る。相手も普段から乗りなれているのか巧みな車体操作で狭い路地を縫うように走る。追うマリオンも進路の緻密な修正を繰り返しながら、次第に追い詰めていく。
「ふふふふふ、何人たりとも私の前は走らせませんよっ」
不敵な笑みを浮かべ、マリオンが一気にバイクを抜き去る。
「抜いてどーする!」
「舌噛みますよ! 口閉じて!」
マリオンが言うが早いがステアリングを右に大きく切る。それと同時にサイドブレーキを引き、アクセルとブレーキペダルを絶妙な強さで同時に踏む。
車体の後ろ半分が綺麗な弧を描き、九〇度横を向いて止まった。
まさか行く手を塞がれるとは思わなかったのだろう、バイクが慌てて急ブレーキをかける。ABSなど付いていない二輪車はその勢いで思い切りバランスを崩した。
「おっと!」
放り出されたバイクの運転手の姿に、車のサンルーフを開けて飛び出した蘇鼓が回転レシーブよろしく滑り込み、地面につく前にキャッチした。見た目の布だるま具合に似合わぬ俊敏さはさすがと言えよう。
「ナイス俺! ナイスもこもこジャージ! 怪我一つ無いぞ」
失神しているらしい逃走犯の首根っこを掴んで引き摺って来た蘇鼓が得意げに笑うと、続いて車内から降りて来た面々からは「動くエアバッグみたい」と賞賛が送られたのだった。
* * *
「……うう……」
「あら、お目覚めね。気分はどう?」
「な、何だよあんたら……」
移動式エアバッグこと蘇鼓のおかげでかすり傷一つ無く目を覚ました青年は、自分を見下ろす一同に脅えながらおろおろと周りを見回した。少し離れた場所ではバイクがスクラップ状態になっている。
「みるく先生のチョコレートを盗んだのは貴方ね?」
ずい、と一歩前に出て早百合が睨む。口調は静かだが全身に漲る怒りのオーラがとても怖い。
「何の話だよ……」
「白を切っても無駄よ。証拠は上がってるんだから」
気圧されて誤魔化すように後ずさる青年の前に、シュラインが包装された包みを突きつける。大事そうに服の内側に隠してあったのを、気絶している間に見つけてニスロクによって確かに彼手作りのチョコレートだと判明している。
「チョコレートが食べたい気持ちはとーっても良く分かりますけど、やっぱり人の物を盗んじゃいけませんね」
「てめぇのせいで今日一日まったりする俺の予定は狂っちまったんだぞ。謝れ、そして命の恩人の俺に感謝しろ」
蘇鼓は青年の目の前にしゃがみ込み、その額をビシッと指で弾いた。
「う、うう……だって、だってみるくたんのチョコレートが僕以外の人間の手に渡るなんて許せなかったんだあ〜!!」
額を抑え、その場に突っ伏して号泣する青年の胸倉を掴み上げたのは早百合だった。
「甘えた事言ってるんじゃないわよ! 貴方だけが悔しい思いしてると思ったら大間違いだわ!! 私だって……私だってねえ、応募ハガキを神棚に上げ日に三度は手を合わせてもうこれでもかってくらい願いを込めたのに抽選に漏れて涙で枕を濡らして一週間、やっと気持ちの整理がついたのよ!? 貴方なんか編集部にいるんでしょう? 生原稿が拝める立場ってだけで羨ましいわよ有り難がりなさいよ!!」
「く、黒澤さん……?」
「折角助けたのに殺す気かよ〜」
「はッ!!」
相手をぎりぎりと締め上げながら思いの丈をぶつける早百合。その姿を呆然と見つめる一同の視線に、本日二度目の我を忘れた事に気付き、早百合は咄嗟に最後の一言を付け加えて誤魔化してみる。
「……と、私の可愛い部下の気持ちを代弁してみたわ!」
そして、早百合の腕の中で犯人もまた二度目の気絶をするのであった。
[ ACT:6 ] チョコレートは異次元に消ゆ
チョコレートを取り戻し、犯人は編集部預かりで引き渡して来ると、一同は相変わらずかっ飛ぶマリオンの愛車で肝を冷やしながら緑林楼に戻ってきた。
「終わった終わった〜。つっかれた〜」
大きく伸びをしながら蘇鼓がソファに体を預ける。続いて皆もそれぞれソファに腰を下ろすと、
「お帰りなさい。お疲れ様でした」
「おー、お疲れ〜。毎度スマンね」
一同を出迎えた静流が労いの言葉とともにお茶を出した。その後ろからはチョコレートの効果が切れたのか、いつもの通り他力本願を人の形にしたような貴臣の言葉が被る。
それを聞くとどっと疲れが増す気がして、誰からともなく溜息が漏れた。
「結局作家ファンの犯行だったの?」
皆が一息つくのを待ってカウンターの奥で頬杖をつきながら要が聞く。
今回の犯人、宮下というアルバイトの青年は熱狂的な夢園みるくファンだった。先程犯人自ら言っていたように、愛して止まない彼女の手作りチョコレートがどこの誰とも知れない人間に渡るのが許せず、犯行に至ったと言う。
「ファンって怖ぇよなあ」
「全員がそんな人間ばかりじゃないだろうけど、それだけ人気があるって事なんでしょうね」
「今度こそ、正真正銘彼女の手作りチョコレートがちゃんと届けられるといいですね」
「後日、改めてって俊介さんは言ってたわ。今度は手渡しできちんと護衛もつけるって言ってたし」
それぞれの感想と共に一口茶を啜る。
「そういえば、残りの効果ってなんだったのかしらね?」
「聞きそびれちゃったわね」
ふと食べかけのまま置かれたチョコレートの箱に視線が集まる。犯人が持っていた物はニスロクが持って帰ってしまったが、貴臣が食べていたのはそのまま残っている。
「……食べさせてみれば分かるんじゃね?」
「……効果も一時間くらいで消えるみたいだしね」
「……やっぱり事件のきっかけを作った人に責任取って貰った方がいいわよね」
「……最後まで自分で食べられないのは残念ですけど、味のレポートをして貰いましょう」
「…………お、俺?」
自分を見つめる清々しいまでの笑顔とは対照的に、貴臣は自分の背中に冷や汗が伝うのを感じた。
その後何があったのかは関係者が口を噤んでいる為、知る者はいないと言う。
[ 愛は世界を駆け巡る −Sweet Chocolate Rhapsody− / 終 ]
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2098/黒澤・早百合/女性/29歳/暗殺組織の首領
3678/舜・蘇鼓/男性/999歳/道端の弾き語り・中国妖怪
4164/マリオン・バーガンディ/男性/275歳/元キュレーター・研究者・研究所所長
※以上、受注順に表記いたしました。
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■ ライター通信 ■
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初めまして、またはお世話になっております佐神でございます。
毎度お待たせして申し訳ありません。異界依頼第二弾をお届け致します。
今回は珍しく体調を崩したりして挫けそうになったりもしましたが、
ある意味男前揃いの参加者様方の気合いに助けられたような気がします。
本編はACT:1が個別のプロローグ、ACT:3がa、b二組に分かれております。
興味がございましたら他の組のノベルも読んでみてください。
今回はご参加本当にありがとうございました。
ご意見ご感想ご要望クレーム等々、何かありましたら何でもお気軽にお声をかけてくださいませ。
それでは、またの機会にお会いできるのを楽しみにしております。
佐神 拝
>舜・蘇鼓様
前回に引き続きのご参加、有難うございます。
寒い中、なんだかんだと動いて頂きお疲れ様でした。
無理矢理引きずり出した埋め合わせは、喫茶スペース内の寝床が部屋にグレードアップしておりますので、それで一つ(笑)
そして、蘇鼓さんのもこもこジャージ姿すごく好きでした(笑)
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