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<東京怪談ノベル(シングル)>


VD攻防戦2005
●改めて確認してみましょう
 2月14日――聖バレンタインデー。
 元来は殉教したキリスト教の司祭にまつわるもので、男性から女性に愛のカードを渡すというのが始まりである。それが長き年月を経て、欧米では男女間だけでなく家族や友人にカードやプレゼントを贈ったりするようになっていった。
 一方、日本のバレンタイン事情はというと、女性から男性にチョコレートを贈り、1ヶ月後に3倍にして取り返すという、お菓子業界を中心とした各種業界の思惑をも含む風習となっている。……微妙に何か説明が間違ってるような気もするが、深く考えないよーに。
 ちなみに、どこぞの進駐軍少佐が子供たちにチョコレートを配ったのが日本での由来なんていう与太話もあったりするけれども、信じてはいけない。念のため。
 ともあれ、やれ義理だ、やれ本命だと、多くの男がチョコレート1つで一喜一憂するのが、日本におけるバレンタインデーといっても別に構わないだろう。男たちにとっては、ある意味戦いである。
 そしてこの日、草間興信所でも戦いが繰り広げられようとしていた。もはや恒例行事となっている、シュライン・エマと草間武彦のバレンタインデー攻防戦である――。

●チョコだね!
「……今日はえらく来るのが早いな」
 草間は事務所の台所に居るシュラインに、眠い目を擦りながら言った。時刻は朝6時半、普段の草間なら未だ夢の中に居る時間だ。
「健康的でいいでしょう?」
 台所を出ることなく答えるシュライン。トントンと包丁の音が聞こえていた。朝食の準備をしているのは間違いない。
「健康的だとハードボイルドじゃないんだ……たく」
 そりゃまあ一理ありますが、草間さん。
「もう少し遅くたっていいだろ。8時とか」
「ダメダメ。書類が溜まってるでしょ。それに、確定申告だって。まだ暮れの領収書が出てないわよ、武彦さん」
 納税は国民の義務です。申告はお忘れなく。
「……その点は非常に助かってる」
 反論出来ない草間。シュラインがあれやこれや的確にまとめてなければ、確実に草間興信所には何度も税務署の調査が入っていたことであろう。
「いや、だからってな。朝の6時に叩き起こされて、俺にどうしろと」
「はいはい、その話は後で。朝食にしましょ」
 シュラインが草間の文句を中断させた。ぶつぶつ草間が文句を言っている間に、朝食が完成していた。
「お待たせー。今日の朝食は特別メニューよ」
 台所から朝食を運んでくるシュライン。よい匂いが漂って……うん? 何でしょう、この甘ったるい匂いは?
「おいっ、この匂いっ……!」
 はっとして草間がシュラインを見た。眠気など一瞬で吹き飛んでしまった。
「たっぷりチョコをパンに塗って焼いたチョコトーストに、特製チョコレートドレッシングがけチョコチップサラダよ」
 シュラインはさらりと言い放つと、にんまりと微笑んだ。攻防戦は、すでに始まっていたのである。
(去年はずるかったものね、武彦さん)
 去年の出来事を思い出すシュライン。ホワイトデーのお返しに、他人の手を借りて攻撃されたことがまだシュラインの心に少し引っかかっていたのである。それが、今回シュラインを大掛かりな作戦に駆り立てたのだが――。
「さあ、美味しいうちにいただきましょ」
 ソファに座り、先に朝食に手をつけるシュライン。草間は呆気に取られて見ていた。
「ん? 武彦さんも食べなきゃ。朝食はこれだけよ」
 ふと手を止めて、シュラインが草間に言った。否応無しに、草間に食べさせる気だ。
「……食べるさ」
 小さな溜息を吐き、草間はチョコトーストに手を伸ばした……。

●チョコっていいとも?
 書類整理などしている間に時間は流れ、昼となる。昼といえば当然昼食だ。シュラインはまた、台所に入っていた。
(よかった。今度は普通の食事のようだな……)
 台所から聞こえてくる炒め物の音、そして揚げ物の音を耳にし、草間はほっと胸を撫で下ろした。朝食後、どうも調子がいまいちだったのである。チョコレートは嫌いではないが、さすがに朝早くから大量に食べる物ではなかった。
「武彦さん、昼食出来たわよ」
 やがて昼食を持ってくるシュライン。運んできたのは春雨か何かの天ぷらと、鶏肉とナッツの炒め物であった。炒め物には茶色のソースがかかっており、特有の匂いを発していて――。
「おいっ!? このソース、まさか……」
「鶏肉とナッツの特製チョコソース和えよ。熱いうちに食べるのが美味しいの。あ、待ってて。今、ご飯持ってくるから」
 しれっと草間に言い、台所へ引き返すシュライン。げんなりとなった草間は、箸を取ると天ぷらに手をつけようとした。
(これは普通の天ぷらみたいだしな)
 ぱくっと天ぷらを口に入れる草間。次の瞬間、草間は自分の考えが甘かったことに気付かされた。
「いっ……糸状のチョコ……かっ……!」
 そう、わざわざ板チョコを糸状にし、まとめてオブラートで包んでから衣をつけてさっと揚げたのである。何でここまで、と言いたくなるくらいシュラインは手間をかけていた。
「あら、ご飯なしで天ぷら食べちゃったの?」
 シュラインが茶碗を手に台所から戻ってきた。苦虫を噛み潰したような顔をして、茶碗を受け取る草間。だが、一目茶碗を見るなり驚かされることとなった。
「やめてくれよ……」
 茶碗には、麦チョコがてんこ盛りになっていた――。

●チョコですか、草間興信所
 草間にとってダメージの大きかった昼食が過ぎ、また時間は流れて午後3時を回る。3時となったら、もちろんおやつの時間だ。
「ケーキ……だよな」
 草間は、自分の前に置かれたケーキを訝し気に見ていた。生クリームにコーティングされ、いちごがちょこんと上に載っているケーキだ。15センチ丸型のケーキであるが、すでに6等分になるよう包丁が入っていた。
「好きなだけ食べていいわよ。飲み物持ってくるから先に食べ始めてて、武彦さん」
 パタパタとシュラインは台所へ引き返した。先にと言われたので、草間は等分されたケーキを1つ自分の皿へと移した。ケーキの断面が、草間の視界に入ってくる。
「!!」
 草間は目を疑った。ケーキの断面が……茶色い!!
「これもかっ……!」
 頭を抱える草間。ケーキはケーキでも、シュラインが持ってきたのはチョコレートスフレケーキだったのである。見かけに騙された草間が迂闊であった。
「はーい、飲み物はホットチョコレートよ」
 笑顔でカップを持ってくるシュラインの姿を見て、草間は非常に憂鬱な気分になった……。

●草間家のチョコ卓
 そうこうしているうちに日は暮れて、溜まっていた書類整理も何とか片付いた草間興信所。夜といえば、言うまでもなく夕食である。
「…………」
 草間はテーブルの上に置かれた食材を、眉をひそめてじーっと見ていた。小さく切り分けられたフランスパン、茹でてありこれも小さく切り分けられたじゃがいも、輪切りのバナナ、美味しそうないちご、エトセトラエトセトラ。
 それだけではない。何やら、小型のコンロまで用意されている。まるで鍋でもするかのような、それだ。
「何作る気だ……?」
 警戒する草間。その答えは、シュラインが持ってきた物によって明らかとなった。
「書類整理お疲れさま。たっぷり食べて疲れを癒してね……チョコフォンデュで」
 チョコフォンデュ!!
 そういえば、今年の正月の鍋パーティの時に、すでに予告されていたような……。
「うああぁ……」
 草間がうめき声を上げた。草間武彦、これにてノックアウトなり。
 その後、草間は一言も発することなく、黙々とチョコフォンデュを食べていた。その目には、生気が失われていたとかいないとか――。

●チョコの食べ過ぎには注意しましょう
「……寝る。後は頼む……」
 夕食後、ゆらゆら身体を揺らしながら自室へと引き上げようとする草間。時刻は午後9時、ああ何て健康的。
 けれども三食プラスおやつがチョコレート責め。草間の胃は、だいぶやられたことであろう。
 けれども、それはシュラインも同じ。何しろ一緒のメニューを食べていたのだから。
「うぷ。……さすがにやりすぎたかしら」
 胸焼けがしてしょうがないシュラインは、口元を押さえてつぶやいた。いくら草間に否応無しに食べさせるためとはいえ、率先して自分から食べるというのは大変であった。
「でも……勝ったわね」
 こぶしをぐっと握るシュライン。去年のホワイトデーの借りは、これできっちりと返し終わった。先程の草間の後ろ姿を見れば明白だった。
 夕食の後片付けをし、書類を仕舞うシュライン。それが終わった後に、荷物の中からラッピングしてリボンをかけた小さな箱と瓶を取り出して、草間の机の上に置いた。
 小さな箱には使いやすそうな眼鏡ケースが、瓶の中身はラム酒であった。ちなみに眼鏡ケースはチョコレート色、ラム酒はチョコレートにもよく使われたりする酒である。
「結局、今日1日はチョコレート尽くしになっちゃったわね」
 1人きりの事務所でそうつぶやき、シュラインは苦笑した。よくもまあ、ここまで徹底してやったものだ。
 かくして2005年の草間興信所でのバレンタインデーは、チョコレート一色となって終わったのであった。
 さて、来月のホワイトデーにはいったい何が起こるのであろうか。非常に気になる所である――。

【了】