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『St.Valentine's Day』
「ねえねえ、ユーン」
「バレンタインって知ってる?」
またどこで仕入れてきたのだろうか?
双子が口にした言葉にユーンは苦笑した。
「ああ、知ってるがそれがどうかしたか?」
そう言うと今度は双子たちが意外そうな顔をして、その顔を互いに見合わせた。
―――少し不服に想うユーン。
「なんだ、俺がバレンタインも知らないと想ったのか?」
即行で頷く双子にユーンはげんなりと溜息を吐いた。
そしてユーンは時計修理の手を止めるとモノクルを外して、双子に微笑んだ。
「それで、おまえたちはチョコレートが欲しいのか?」
そう言ってやると双子がふるふると首を横に振った。
「ユーンの手作りはいらない」
「市販のチョコレートなら欲しい」
―――だいぶ不服に想うユーン。
「手作りのチョコレートがいらないって、俺にだって手作りチョコレートは作れるぞ? そんなに男の手作りチョコレートは嫌か? まあ、確かに日本ではバレンタインの手作りチョコレートは女性が男性に贈る物だが…って、どうした、二人とも?」
なるほど、ユーンはそう解釈した訳だ。
双子がユーンから2月14日、バレンタインに手作りのチョコレートはいらないと言ったのは、その日は女性が好きな男性に手作りチョコレートを作って渡す日だから、だからユーンからは手作りのチョコレートは貰いたくないって。
でも事実は違う。
ユーンはまったく自覚は無いのだが、破滅的な味オンチなのだ。
そのダメ武勇伝は数が多すぎて双子でも語り尽くせない。
「まあ、何だ。別にそう意味付けて考えなくってもいいだろう? 14日のおやつはじゃあ、手作りチョコレートにしよう。せっかくのバレンタインだしな」
にこりと笑ったユーンは固まった双子たちに気付かずに時計の修理を再開した。
双子たちはしばし動かなかった。
+++
「どうする、どうする。ユーン、作る気満々…」
「バレンタインなんて言わなければよかった…」
「隠しちゃおうか、チョコレート」
「うん、隠しちゃおう」
双子たちがあんな事を言い出したのは冷蔵庫にチョコレートが入っていたからだ。
だからひょっとしたら誰かに少し早いバレンタインチョコレートをもらって、だけれどもユーンは時折知ってて当然の事を知らなかったりするので、それでバレンタインって知ってる? って訊いたのだ。もしも知らなかったのなら、それはあまりにも相手の女の人がかわいそうだから。
あとは慌てふためくユーンの姿とか。
二人で冷蔵庫を開ける。
冷蔵庫の上から2番目の棚に板チョコがある。2枚。
双子は顔を見合わせた。
「あった。チョコレート」
「うん。早く隠しちゃおう」
「どこに隠す?」
「隠してもバレちゃうから隠滅」
そう言ってチョコレートを手に取ると、包み紙を剥がして食べ始める。
「そうだね。隠滅」
もうひとりもそれに習った。
二人で冷蔵庫の前でチョコレートを美味しく隠滅。
そしたらユーンの呼ぶ声。
慌てて二人は舌の上で転がして楽しんでいた最後のチョコレートの一口を飲み込むと、ユーンの元へと行った。
そして二人を見たユーンが苦笑を浮かべる。
二人はそのユーンの表情の意味がわからなくって、小首を傾げ、そしてお互いの顔を見て、あっ、と大きく口を開けた。
二人とも口の端にチョコレートをつけているのだ。一目でばればれ、チョコレートを隠滅(盗み食いした)のが。
「あの、えっと、ユーン…怒ってる?」
「ごめんなさい」
謝る二人の頭をユーンは苦笑しながら軽くくしゃっと撫でた。
「しょうがないな、二人とも。バレンタインまで待てなかったのか」
顔を硬直させる二人。ものすごく嫌な予感がした。
「じゃあ、今度はおまえらが盗み食いできないように当日にチョコレートを買ってきて、とっておきの美味しい手作りバレンタインチョコレートを作ってやろう」
そう嬉しそうに言うユーンに二人は大きく溜息を吐いた。
どうしようがユーンの手作りチョコレートは食べさせられる運命だったようだ。
+++
2月14日。
バレンタイン当日のお菓子売り場にはほんの少しの女性の姿しか見えない。ほとんどの女性がもう既にチョコレートを買っているからだ。
ユーンはその数少ない女性に混じりながらチョコレートを選び、それとチョコチップス、バナナを買い物カゴに入れるとレジに向った。
2月14日はお菓子会社の戦略であるのは充分に周知の事実でそれでも女性たちはその戦略にあえて乗せられて男性にチョコレートを贈るバレンタインデー。こうしたバレンタインというオフィシャルな後押しは嬉しいものなのだろう。
だから1月末から2月14日まではチョコレートの売り上げは素晴らしく良いのだが、しかしそれは女性客で、男性客の売り上げはこの時期は悪くなる。
偏に今、ユーンが向けられている女性店員の哀れむような視線がその原因だろう。
―――お菓子売り場でもその視線は感じていた。
(まあ、しょうがないんだろうがな)
ユーンは苦笑を浮かべつつ肩を竦めた。
そして羈絏堂に帰ると、彼はエプロンをかけて台所に立った。
皮を剥いて二つに切ったバナナを冷凍庫にしまう。そのまま15分。
その間にユーンはチョコレートを湯煎で溶かして、そこで考え込んだ。
「ふむ。このままでもいいんだろうが、しかしここはひとつもっと芸術的な味にして二人を喜ばせてやりたいな。味のアクセントに塩を。あとは……」
………こうして料理下手な人間が絶対に陥る穴にユーンは今日もはまった。
そして取り出した冷凍バナナに溶かしたチョコレートをかけて、チョコチップを振りかける。
完成したチョコバナナにユーンは満足げに頷いた。
「しかしバレンタインが待ちきれずにチョコレートを盗み食いするぐらいにあの二人がチョコレートが好きだったとはな」
ユーンは微笑しながら肩を竦めた。
そして完成したチョコバナナを見つめながらユーンはとても懐かしげに両目を細めた。
「初めて師匠にもらったのもこのチョコレートバナナだった」
そうだ。ユーンはもちろん、師匠に教えてもらうまでバレンタインなんて知らなかった。
社会的常識とかはすべて彼女に教えてもらったのだ。
バレンタインもそのうちのひとつ―――――
+++
それは彼女に羈絏堂を預けられてしばらく経ってからの事。
深夜の闇にリズム的にたゆたうのは時計の針が刻を刻む音だけだった。
しかしその闇に入り込んできた不協和音。
ユーンは眠い目を擦りながら起きると受話器を手に取った。
「はい、もしもし」
『ああ、シンかい?』
「………師匠ですか?」
『こんな時間に電話をかけてくるような人と他に知り合いなの?』
「………」
『ああ、それでさ、2月14日が何の日か知ってる?』
――――まったくもって意味がわからない。
「煮干の日」
ユーンとしては大真面目でそう答えた。
『………もう一回訊くわ。14日は何の日?』
「……ヒヨコの日」
『………?』
黙る電話の向こうの彼女にユーンは補足説明をする。
「正確には、毎月14と15がヒヨコの日。おそらく、ひよ(14)とひよこ(15)だと」
『……ぷっ』
何やら吹き出すような声と共に電話は切れて、ユーンはただひとり夜の闇の中で小首を傾げたのだ。
そしてそれから数日が経った2月14日に贈られてきた小箱。
その小箱の中に入っていたのが卵、煮干、ドッグフード、そしてラッピングされた箱には手作りのチョコバナナとバレンタインの説明が書かれたメッセージカードが入っていた。
そしてそれはきっと今年も………
台所でひとり、くすくすと笑っていると、双子の声。
「ユーン、お届け物だよー」
「小包みがやってきたよー」
ユーンは苦笑しながら肩を竦めて二人のためのチョコバナナを持って、二人の所へと歩いて行く。
そうだ、小包みの中に入っている卵と煮干を使って、師匠からのチョコバナナを食べながら2月14日は煮干と卵の日なのだ、という講義をするのもいいかもしれない、と想いながら。
「さあ、二人ともバレンタインチョコレートが出来上がったぞ」
― fin ―
++ライターより++
こんにちは、シン・ユーンさま。
いつもありがとうございます。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
きっといきなり電話が切れたのは、笑い転げる声をユーンさんに聞かれたくなかったのだと想います。^^
や、ひよこ、煮干の日は知りませんでした。
こんな日があったりするのですね。^^
ひよこはひよこのうちはかわいいですよね。
とととと、とさかが出てくる辺りになると、気持ち悪いです。。。。。
でもユーンさんの作った料理、食べてみたいと想います。
だって味はあれでも、愛情はたっぷりですものね。^^
それと師匠さんもすごくいい味が出ていて、プレイングを読んでて楽しかったです。^^
それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼ありがとうございました。
失礼します。
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