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<東京怪談ノベル(シングル)>


杞槙と三下と肩たたき
 その日四宮杞槙は鼻歌交じりにチョコレートロールケーキを作っていた。
 テーブルの上にはラッピング素材と肩たたき券、と書かれた紙がおかれている。
 しかしその券にはコーラルピンクのペンで『忠雄様の肩を』と書き足されていた。
「これでよし、っと♪」
 綺麗に包装し、肩たたき券をバックにしまうと、杞槙は嬉しそうに笑みを浮かべた。

「こんにちは」
 通い慣れたアトラス編集部。杞槙が入っていっても誰も動じる事はなく。逆にいらっしゃい、という声が方々からあがる。
 それに杞槙は応えつつ、まっすぐと一つのデスクへと向かった。
「こんにちは、忠雄様」
「あ、こんにちは、杞槙さん」
 杞槙に声をかけられて、パッと顔をあげた為、ずり落ちたメガネをなおしつつ三下忠雄は柔らかい笑みを浮かべる。
「チョコレートロールケーキ作ってきたんですの。みなさんでお召し上がりください」
「あ! ありがとうございます! 編集長ー、差し入れ頂きました〜」
 立ち上がってケーキの包みを片手に三下が叫ぶと、みんなにわけてあげて、とだけ声がかえってくる。
「それじゃ、切り分けてきますね」
 言って杞槙は勝手しったる、というような動きで給湯室へいき、ケーキを切り分けた。
 ケーキと紅茶を全員に配り終えた後、杞槙は再び三下の傍へ行き、紙を取り出した。
「あの、私今日、これを使いたいと思ってきたんです」
 差し出された券は、先日杞槙にあげた肩たたき券。それをみて三下は「あ」と言った後、顔だけ向けていた為、慌てて身体も杞槙の方へと向けた。
「こ、この仕事が後5分くらいで終わるんで、そっそれ、それからでいいですか?」
「もちろんです」
 にっこり笑った杞槙に、三下は安堵の表情を浮かべてもう一度デスクへとむかった。
 その様子に杞槙はくすくすと笑う。三下が肩たたき券に足されている文字に気がつかなかった為だ。
 三下は杞槙を待たせないように必死で原稿と格闘している。
 その様をみて杞槙はにこにこと笑みを浮かべている。そんなに急がなくても、と声をかけてもいいのだが、三下はそういったところで急ぐのはやめないだろう。
 そしてやっと終わり、夏休みの宿題が終わった子供のように嬉しそうに三下は杞槙の方をみた。
「お、お待たせしました」
 それじゃあ向こうに座ってください、と言った三下の肩を、やんわりと押し、デスクの方へ向かせる。
「え?」
 戸惑いの表情で顔だけ後ろに向けた三下に、杞槙はにっこりと笑う。
「私が忠雄様の肩をたたきますわ」
「え、でも約束では……?」
 僕が肩を叩いてあげる券ですから、という三下。
 しかし杞槙は笑顔で譲らない。
 一見はんなりとしたお嬢様なのだが、実際芯が強い。
「私のわがままですから、きいてください」
 にっこりと笑みを浮かべたままきかない杞槙に、三下は申し訳なさそうにうつむきながら前を向いた。
 そして消え入るような声で「すみません……」と呟く。
 それに杞槙はくすくす笑いながら、昔母親に言われた事を思い出す。
「叩くと余計にこってしまいだから、軽く揉んで、あとはさするのが良いのだそうですよ。私が小さい頃、お母様が教えてくれました」
 編集部に差し込む暖かな日差しの中。
 杞槙が嬉しそうに三下の肩を優しく揉み、三下は気持ちよさそうな顔をしつつ、でも時々ハッと申し訳なさそうな顔になる。
 三下は父親、という年ではないが、縁側でお茶を飲む父親の肩を、娘が優しく揉んでいるかのような光景だ。
 それに他の編集部員もぼーっとお昼寝でもしたくなるような午後、その姿をみつめている。
 編集長は「仕事しなさい」と小声で言いつつも、それの邪魔するほどの大声はださない。
「いかがですか、忠雄様」
「す、すごく気持ちがいいです……」
 そのまま寝てしまいそうなくらい、リラックスした声の三下に、杞槙は嬉しそうに笑う。
『すごく気持ちいいわ』
 母親の姿が重なる。教えて貰った通り、一生懸命母親の肩を揉んでいたあの日。杞槙は幼くて、大した力もなかったのだが、母親はとても嬉しそうだった。
 杞槙は三下の肩を揉みながら、あの日の光景を思い浮かべていた。