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<東京怪談ノベル(シングル)>


 桜の季節


 寒いったら、ありゃしない。
 昼間は暖かいと言うのに、日が沈んだ途端に、寒くなる。桜の舞う季節になったとはいえ、根本的に暖かくなった訳ではない。
 日が沈めば、寒くもなろう。
 家に居れば十分に暖かいのだが、昼間の事がどうしても忘れられない。
 だから今、桜を背もたれにして、彼は煙草に日を付けていた。そう、桜だ……何かといえば、桜、桜、桜。何故こうも、桜が関わってくるのだろう。
 そして自分自身、その桜に懐かしさを覚える。
 それも、遠い、遠い、決して、郷里に覚える懐かしさとは違う、遠い……。


 客の来店者数は、恐らく今週中で最低だろう。本当に疎らにしか客は訪れなかった。
 その分楽を出来るのだが、慈善事業をやっているんじゃない。毎日これでは仕事にならないし、何より日が過ぎれば花は弱り、陰りを見せる。
 それでは、花が可愛そうではないか。
 何とも勝手な言い分だとは思うが、どんどん花を買っていって欲しい。
 萎れてしまい、仕方なく処分する事になった花だって有るのだ。処分するのは、何とも後ろめたい、残念な気分を感じる。
「はァ……」
 溜息を付いた。彼の名は高台寺孔志。細面の顔にラフな茶髪で、首元や耳にはアクセサリーが見える。やや優男のような印象も感じるが、これでも花屋である。
 もっとも、その彼の外観で目立つのは、その顔の整い方でなく、額の傷のような痣であったが。
「しっかし、本当に誰も来ないな。早めに店、閉じちまおうかな」
 再び溜息を付き、髪を軽く掻く。
 田舎であれば、客が少ないからと勝手に閉じてしまう店なんて幾らでも有る。彼もそれを見習ってしまおうかと考えたのだが、寸前で考えを取り消した。
 ちりんちりんと、鈴が鳴る小さな音が、背中から聞こえたからだ。
 即座に顔を営業用に切り替え、振り向く。
「いらっしゃいませ」
 その時、別に接客態度に問題が有ったとは思えない。
「さぞ人殺しを好む顔だ」
 俺の顔を見るなり放たれた一言。これは、初対面の相手に言う言葉だろうか。
 少なくとも、俺は違うと断言出来る。
「殺しを好みすぎて、顔の造りまで変わりよったか」
 しかし、言った。何の躊躇いも無く、俺の顔を見るなり、まるで条件反射かのように、その言葉をしれっと口に乗せ、笑い出す。
 辺りに、男の嫌味な笑い声が木霊している。
 突然、何だと言うのか。
 あまりに突然の事に、彼は面食らったように呆然としていた。
 だが、言葉を理解するにつれて、徐々に怒りが湧き上がる。その言葉を投げかけられた理由は解らない。解るわけが無いが、しかし、その言葉の意味を国語的に理解する事は出来る。
 彼自身の感性から言って、誉め言葉ではありえない。
 失礼だと思う以上に、純粋に腹が立っていた。その時、彼の視界に小さな少女が写らなければ、彼はその男を思い切り蹴り飛ばしていたかもしれないし、少なくとも店から叩き出していたであろう。
 しかし、少女を連れていた。手を引かれた小さな少女は、二桁ではあるまい。もしかすると、小学生にすらなっていないように感じられた。その少女の目の前で、親らしき男を蹴り飛ばすのは、忍びない。
 だからこそ、彼はぐっと踏み止まり、再び男の顔を見た。
「輪廻には逆らえぬ……血は、血で償え」
 男の表情が、見えない。
「ッの……」
 蹴り出そうという訳では無いが、幾らなんでも我慢し切れるものではない。
 声を荒げ掛け、一歩を踏み出し掛けた。その時だ、俯いていた少女が、徐に顔を上げた。細い目が、泣いているようにも見えた。
 実際に涙の跡がある訳でもなく、目が潤んでいる訳でもなく、ただ、彼の脳裏にはそう写っていた。
「桜を一枝下さい」
 動きを止める孔志。
「貴方の想いを込めた、一枝を」
 冷や水を、頭か浴びせられたかのようであった。
 怒りの熱は、一気に冷えていった。今まで腹の底から湧きあがっていた怒りは、その一言で、全てが消え去ったと言って良い。ただそれは、意識して消したのではない。
 理論的にではなく、感覚的に、消滅していったと言っていいだろう。
「桜を、一枝……」
 ゆっくりと、孔志は背を向けた。

 孔志は、ふと回想から現実に引き戻された。
 上を見上げる。その先には、手折られた桜の枝。
 その時、何故そうしたのかは、解らない。

 ―桜を折る時、貴方は何を想いましたか?

 桜を受け取った少女は、言うなり、店から出て行った。
 まるで朝靄が風に吹かれて消えるように、ふわりと、店から出、そのまま消えていった。 消えた跡から、小さく、鈴の音が響き渡った。
「随分と斬ってきたな」
 何事かと、振り向く。
「血生臭い男だ……代金はここに置くぞ」
「待て」
 辛うじて声を捻り出す、孔志。彼は、掴みかかるような勢いで、男へと近付いた。
「どういう意味だ?」
 静かに口を閉じていた男が、問われるなり、再び嫌味な笑みを浮かべた。
「人は必要に迫られる。非難はせんよ」
「テメェっ、何謎掛けみたいな事……!」
 相手に、つかみ掛かる。
「いや、必要に迫られずとも、殺めるか」
 冗談じゃない。そう叫びたい衝動に駆られていた。本能的に鳴り響く警笛。
 今目の前に居る男の言葉を、肯定は出来ない。肯定する事は、それは、あの時のアイツの行動を無に帰してしまう。俺だ。俺が、悪かったんだ。俺が……何、なんだ?
(俺は、今、何を考えて……)
 はっとして、己を疑う。
「記憶に無いと見える」
「何の事を……」
 男は笑いを修めもせず、逆に手首を掴み返す。

 脳裏に写る、血の飛沫。

「あくまでも、諸行に階位を付けるか」
「何の事だ!」
「諸行は無常のものと知れ。跡に残るは、己の存在のみだ」
 男が手を離す。血飛沫が、すっと消えていった。
「己が諸行を、拒否するな……」
 呆然とする孔志を前に、男は離れていった。
「御主は、御主として存在している」
 如何なる行いにも左右されない。男が動かさぬ口から、声が聞こえた気がした。例え、小さき女子が血に塗れようとも、変わる事は無い……。
 声は徐々に、小さく、聞き取れなくなって行く。
 男もまた、店を出、歩くうちに、霞みと消え、人目につく事は無くなった。


 俺は何故桜を……?


 ふと気が付く。座る彼の膝の上、ジーパンを焦がすように灰が落ちている。何時の間にか、彼の吸っていた煙草は根元まで灰となり、先端が、ジーパンの上へと落ちていた。
「やべっ、このままじゃ寝ちまうな」
 立ち上がり、屈伸。そして地に接していたお尻を叩いて、彼は部屋の中へと脚を進めた。
 男の言葉の意味は、直ぐには解らないかもしれない。
 だが、覚えておこう。何時か、自分にもその言葉が意味する事が、解るかもしれない。何かを、自分に教えてくれるかもしれない。
「桜の意味も、解るかもな……」
 ベッドに倒れこむように沈む彼は、クッションに沈んで行く身体と共に、思考もまた、眠りへと沈んでいった。

 手折れた筈の桜の枝には、何時の間にかそのか細い枝が在り、桜の花弁が舞っていた。
 何処からとも無く、鈴の音が聞こえる。





 ― 終 ―