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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


開けてはいけない

 その箱は、店の棚の上に無造作に置かれていた。漆塗りの光沢のある黒々とした表面に、鮮やかな金で描かれた蒔絵の菊花が散っている。彼の目は、その箱にだけ向けられていた。店の中に置かれた他の品など、見えてはいないかのように。
 ゆっくりと、棚の一番上に置かれたそれに手を伸ばす。もしかすると、この箱は売り物ではないのかもしれない。そんな思いが、彼の頭の中をよぎったが、彼は箱を下ろす動作を止めようとはしなかった。
 この箱が売り物でなかったとしたら、店主に譲ってくれるように頼み込んでみよう。
 自分には、これが必要なのだ。
 棚の上から下ろした箱を抱えながら、彼は幸せそうな溜息を零す。理由は分からなかったが、その箱を持っていると満ち足りた気分になれた。
……箱は彼を魅了し、彼はそれに魅入られたのだ。


 カラン、と扉につけられたベルが、涼やかな音を立てる。
 この店の品が、全て曰く付のものだと知らないのか、珍しく物品を購入して帰っていった客の背中を、アンティークショップ・レンの主、碧摩・蓮は、どこか覚めた目で見送った。
 妙な客だった…と、蓮はキセルに火を付けながら思う。その客は、くたびれたサラリーマン風の中年男性だった。初めて店にきた客だったが、まるで店内の何処に何があるのかを知ってるように、真っ直ぐ店の奥の棚へ向かい、そこで飽きもせずに棚の上を眺めていたのだ。そして……。ふう、と蓮は、溜息をつくように、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
 そして、何より、帰り際の目が普通ではなかった。
 どこか、恍惚とした色を浮かべた客の目を思い出し、彼女が嫌な予感を覚えた時、傍らに置かれた電話のベルが鳴った。けたたましい音が、静まり返った店内に響き渡る。
「はい、アンティークショップ・レン……」
『碧摩か?』
「なんだい、功刀。珍しいじゃないか、アンタが電話してくるなんて。」
 電話の向こうの声は、蓮の知人のものだった。情報屋を名乗っている男で、功刀・圭(くぬぎ・けい)という。
『なんだもなにも、例の箱の件で電話したんだ。』
 例の箱、と言われ、蓮は合点がいったように、あぁと頷いた。
 その骨董品らしい漆塗りの硯箱を馴染みの客が店に持ち込んできたのは、数日前の事だった。元々は、客の友人の持ち物だったのだが、1週間ほど前に譲られたのだという。見事な蒔絵の施された箱だったが、内側から糊付けでもされているのか蓋を開けることができなかった。だが、どう見ても価値のありそうな箱であるそれを、客は早く手放したいとばかりに売り払うと、早足で帰っていったのである。その様子と、箱の蓋が開かないことに不振なものを感じた彼女は、情報屋である功刀に箱の出自の調査を依頼したのだ。
 今日の電話は、その件であったのか、と蓮は受話器を握りなおした。
『まだ完全に洗えた訳じゃないんだが。あの箱、数ヶ月前に、ネットオークションに出品されたらしいな。その後、数人の骨董マニアの間を巡ってやがる。』
「ふーん……なんで、骨董品好きが、手放しちまうのが解せないねェ……。」
『あぁ、それは俺も気になったんだが。どうも、あの箱を入手すると、その日から不幸な目に会うらしい。事故の度合いは様々なんだが、大怪我して入院したヤツがいるとか。……おっと、これは、1週間くらい前までの所持者だな。」
 そう言いながら、電話の向こうで何かをガリガリとメモするような音がする。その音を聞きながら、1週間前…というと箱を持ち込んできた客が、友人からそれを譲られた頃ではあるまいか……と、蓮は思考を巡らせた。
『そんなトコだな。あと箱の中身なんだが、どうも何か入ってるらしいぞ。夜中になると、音がするんで不気味だったという話を聞いた。何が入ってるのか分かるまでは、開けないのが無難だろうな。』
 そこまで話して、功刀は一息ついてから彼女の問いかけた。
『ところで、碧摩。あの箱だが、まだ手元にあるんだろうな?』
「まさか。幾らなんでも、売りに出したりはしていない……あっ!」
 功刀の問いに答えながら、蓮は手元の箱を確認し、小さく声を上げた。売り物と区別する為に、手元に置いてあった箱には菊花の蒔絵が施されていたが、今、彼女の手元にある箱には梅花が描かれていたのである。
「……やられちまったよ、功刀。」
『まさか……』
「売っちまったみたいなんだよ、あれを。」
 曰く付きの品を見慣れた自分をも欺いて店から消えた品物を思い、呆れたように溜息をつく蓮と対象的に、受話器の向うから怪奇事件に関わり慣れている情報屋の叫ぶ声がする。
『取り返せ!買った客が、あの箱を開ける前に!』
「……やれやれ、困ったことになっちまったねェ。」
 そう言いながらも、さして困ってもいなそうな様子で、蓮は紫煙を燻らせるのだった。


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(本文)


愛しや、口惜しや……


■1

薄い真鍮で造られた鏡のような振り子が、ゆらりと揺れる。文字盤で行われている長針と短針の戯れと同じくリズムを取りながら、レトロモダン調の時計の振り子は、休む事なく、その身を揺らし続けていた。
 カチリ、カチリ、ゆらり、ゆらり。
 規則正しいリズムが、ゆったりと時を刻んでいる。
 その部屋は、都心にそびえ立つ高層ビルの中にあった。都心の風景が一望出きる南向きの窓から、薄らとした春日が差し込み、レトロモダン調の時計のかけられた壁を柔らかく照らしている。壁には、何枚かの油絵とリトグラフ。一見、ギャラリーを思わせるこの部屋は、とある会社の客室であった。
 そして、この部屋は、今、客を迎えている。
 セレスティ・カーニンガム(−・−)は、部屋の中央に置かれた柔らかなソファに身を沈め、陶磁器のティーカップから立ち上る紅茶の香を楽しんでいた。器は、英国産のアンティークで、八角形のソーサーとティーカップに伊万里焼風の模様が描かれている。18世紀、ジャポニズムが流行した時期に作られた逸品であるらしい。このティーカップを含め、セレスティが座るソファや部屋の調度類は、アンティークを集めるのが趣味だという、今日の商談相手の趣味を反映したものであることに間違いはなさそうだった。その相手、会社の社長なる人物は、彼の前に座り、香高い紅茶を口にしながら、趣味の話に興じている。話の内容は、セレスティがアンティークを収集しているのを知っているのか、ビスクドールがどうだだの、中国の壷がどうだだのと、ほぼ、そちらの方向に終始した。
「そういえば、ご存知ですかな。最近、話題になっている箱のお話は?」
 社長の口から、そんな言葉が飛び出したのは、アンティーク談義も収拾に向い始めた頃の事だ。セレスティは、穏やかな微笑を唇の端の載せたまま、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、話題の箱と言われても思い当たりません。それは、どんな箱なのでしょう?」
「箱といっても色々ありますが、日本の硯箱だそうですよ。実物をみたわけではありませんが、なんでも江戸時代のもので、見事な蒔絵が施されているとか……。」
「ほう……。それはそれは。アンティークが好きな方なら、興味があるでしょうね。入手は難しそうではありますが。」
「いやいや、それが、ネットオークションに何度も出品されているらしいのですよ。」
 社長の言葉に、セレスティは、おや?という顔で首を傾げた。何度もオークションにかけられているということは、落札者がいなかったか、或いは、落札した者が再びオークションに出品したかの、どちらかだ。しかし、江戸時代に作られた蒔絵の硯箱などという珍しい品物を、収集家が簡単に手放すとは考えにくい。
 余程、手放したくなるような事情でも、その品にはあるというのでしょうか――。
 その思いが顔にでてしまっていたのか、セレスティの前に座った社長は、苦笑を浮べながら付け足すように言葉を続けた。
「まぁ、なんといいますか。骨董品には付き物の、少し怖い噂がある品なのですよ。なんでも、箱を買った者は不幸になるとか。」
 実にありがちですがね。
 はははと、会社の社長は明るく笑った。セレスティも、また、柔らかな微笑を返したが、彼の脳裏には不幸を呼ぶ箱の話が、しっかりと刻まれた。
 ビルの窓の向こうに広がる東京。その華やかな繁栄の影に、幾つもの怪談が転がっている。その現実をセレスティは、よく知っていたからだ。
 古物で曰く付きといえば……やはり、アンティークショップ・レンでしょうね……。
 そこに行けば、更に、何か箱に関する話が聞けるかもしれない。近いうちに、アンティークショップ・レンに顔をだそう。
 そう思いながら、セレスティは芳しい香を放つ紅茶を、静かに口に運んだ。

「アンタら全員、アレに魅せられたって訳かい。やれやれ、曰く付きってのも因果なもんだねェ……。」
 アンティークショップ・レンの奥、いつも通りの場所で、椅子に座ったまま、店の女主人は苦笑いと共にそう言った。そんな彼女の前に立つ3人の客――柔らかな物腰の紳士と和服の少女とカウボーイハットの青年は、思わず互いの顔を見合せる。彼らの様子に、女主人は、もう1度苦笑いを零し、それから、紫煙を燻らせた。

セレスティが、件の箱のことでアンティークショップ・レンを訪れたのは、春一番が吹き荒れる薄曇の日のことだった。例の箱のことを知ってから数日。忙しい日々の中にあっても、その箱の噂は、彼の頭から離れることはなかったのである。
「最近、噂になっている不幸を呼ぶ蒔絵の箱について、何か知っていることはありませんか?」
 アンティークショップ・レンにて、セレスティがそう話を切り出すと、女主人である碧摩・蓮は些か驚いたような顔をしたものだ。
 そんな彼女の様子に、逆に驚いたセレスティだったが、重ねて質問を続けようとした時に店の扉が大きく開かれた。入って来たのは、ウォルター・ランドルフ(−・−)という青年と、四宮・灯火(しのみや・とうか)という少女の2人。彼らもまた、箱の噂を求めて、この店を訪れたのだという。それを知った蓮は、苦笑混じりに呟きを洩らし……。
 現在に至るのである。
「それで、例の箱のことなんですが。」
 セレスティの言葉に、蓮は笑いを収めて真顔に戻ると、カウンターに肩肘をついた。
「アンタらの言ってる箱っていうのは、菊花の蒔絵の施された硯箱だね?それなら、数日前までウチにあったよ。」
 あっさりと蓮の口から話された言葉に、3人の間に衝撃が走る。この店には、曰く付きの品物が揃っているのは十分承知しているが、まさか、ネットオークション上で、今まさに話題になっているものまでがあるとは……。
 しかし……。
「あったって事は、ミス碧摩、今はないって事か?」
 蓮の言葉に引っ掛かりを覚えたウォルターが、問いかける。その問いに、蓮は、またもやあっさり頷いた。
「あぁ、ないんだよ。数日前に、客に買われてね。」
「買……っ?!売ったのか、不幸を呼ぶとか言われている品物を?!」
 愕然とした表情で、ウォルターが叫ぶ。怪事件を担当する捜査官の彼としては、そんな危険物を売る事事体が、信じられないらしい。
「叫ぶんじゃないよ、こっちも好きで売った訳じゃないんだしさ。売る気はなかったんだが、欺いて出ていっちまったって所さね。」
 そんなウォルターの横で、灯火が静かに口を開いた。
「あの……私の聞いた話ですと…その箱は持ち主を不幸にする……とのこと…。碧摩様は…何かご存知ですか……?」
「さぁて。知人の情報屋、あぁ、功刀ってヤツなんだけど、そいつがいうには、事故にあった人がいるらしいがねェ。その話なら、ほら、そこにいる怪奇事件担当捜査官のが詳しいだろうさ。」
 そういって、蓮はキセルで、まだ愕然としたままのウォルターの方を指し示す。
「なるほど、確かに、それは彼の方が詳しいでしょうね。どうです、ウォルターさん?」
 蓮の言葉に頷いて、セレスティは首を傾げてウォルターの顔を見た。その肩口から、水の流れを思わせる長い髪が、サラリと落ちる。
「まぁ、知ってるといえば知ってるが……。」
 灯火とセレスティの2人から、じっと視線を注がれて、ウォルターは居心地悪そうにガシガシと頭を掻き回した後、観念したように後輩から得た情報を指折り数えだした。
「確証はないんだが、箱の持ち主中の何人かが事故にあってる。俺が聞いたのは、交通事故と階段からの滑落事故、それと、上から物が落ちてきてケガした人がいるくらいのもんだが、それでも、片手じゃ足りないくらいの人数だな。」
「……そんなに、ですか。確かに、『不幸』を招く、といわれても仕方ない数ですね。」
 数え上げられた事件の数に、セレスティは眉根を寄せて考え込む顔をする。そんな彼の前で、灯火がポツリと呟いた。
「どうして……その箱は…そんなことをするのでしょう……。」
「さぁね。それだけの想いが箱に篭ってるのか……功刀のヤツは、箱の中身に問題があるかもしれないとか言ってたけどね。」
「中身……ですか?」
「箱の蓋が開かなかったから見たわけじゃないんだが、中になにか、入ってるようだったのさ。」
「蓋が開かない?」
 鸚鵡返しにウォルターが、蓮の言葉を呟き返す。女主人は、キセルを加えたまま、大きく一つ頷いた。
「糊付けでもされてるのか、蓋がベッタリと張りついていてね。無理に剥がすと、内側の漆が剥がれそうだから、止めたのさ。」
 アンティークは傷物にしちまうと価値が下がるしね。
 そういって、ふぅっと煙を吐く蓮に、セレスティが言葉を投げかける。
「すると、その中身が何時から入ってたかは分らないわけですね?例えば、ネットオークションにかけられている間に誰かが、何かをいれて蓋を糊付けした可能性も……。」
「まぁ、ないとは言わないけど、オークションにかけられた段階から蓋は開かなかったらしいから、それはないんじゃないのかい。」
「証拠は?」
 幾分、訝しげに顔をしかめたセレスティに、蓮は取りなすような微笑を唇の端に載せて言った。
「最初に、オークションに出したヤツが、『蓋が開きません』と添え書きしていたそうだよ。」
 なるほど……それでは、蓋が開かないのは、オークションに出る前からか。
 納得し、改めて考えをめぐらせようとしたセレスティが、思考の海に沈む前に、女主人は熱心に箱の話を交わす3人の客に向って魅惑的な笑顔を向けた。
「アンタら、随分、箱に興味があるようだね。関りついでに、一つ、頼まれてくれると嬉しいんだが。」
「何でしょう……?」
「さっき、間違って売った話はしただろう?こっちも、そんな危険物を放置しておくつもりはないのさ。出来れば、回収したいんでね、ついででいいから、頼むよ。」
 花のような満面の笑みで、そういう蓮の前に彼らは選択の余地のない事を悟ったように頷く。それを確認して、さも満足そうに笑ったあとで、彼女は思い出したように付け足した。
「そうそう。念の為。何があるか分らないから、箱は開けないように。」
 はぁ……と、誰かの洩らした溜息が、骨董品屋の薄暗い店内に波紋を広げながら、静かに広がっていった。



■2

 春一番に流された雲が、長く尾を引きながら、高層ビルの後ろに隠れるようにして消えた。ビルの谷間に急降下した風は、道行く人々のコートやスカートの裾を翻しながら、アスファルトの上に幾つもの小さな渦をこしらえては、梅の花弁とダンスを踊っている。くるくると踊り狂う風が、1つ、街角を横切って、四角い空に飛び上がっていった。

 窓の向こうでは、春一番の風が未だに吹き荒れているらしい。
 とある会社の入っている2階のカフェで、紅茶を飲みながらセレスティは、ある人物がやってくるのを待っていた。相手へ連絡を取ったのが、僅かに30分ほど前の事。約束の時間まで、あと10分ほど時間がある。相手は仕事中のサラリーマンであるので、そう簡単には抜け出せないだろうと、時計を確認しながら、セレスティは思った。
 あの箱。ネットオークションにだされ、不幸を呼ぶと呼ばれている箱の話を訪ねていったアンティークショップ・レンで、セレスティは、蓮の依頼を受けたのだ。蓮は、不幸を呼ぶ箱を取り戻す事を望んでいる。相手が、骨董品の収集家だった場合、それは難しいのではないか、とセレスティは思ったが、一応、その客と会ってみようと思い、蓮の上げた客の情報を元にして、部下に探索を命じたのだ。
 蓮の上げた客の特徴は、40代後半の男性でサラリーマン、頭髪が薄くなっている程度の、手掛かりにもなりそうにないものが殆どだったが、その中で唯一、手掛かりになりそうなものがあった。
 社章、である。
試みに、客が背広に社章をつけていなかったかを訪ねたセレスティに、蓮は記憶を手繰り寄せるような顔をしながら、呟くように言った。
「多分、してたと思うねェ…。木の葉を3つ並べて、『川』の字に重ねた回りに、『C』を逆にしたような円があったような……。」
 なんとも、あやふやな答えだったが、セレスティの部下は、そこから客の素性を見つけ出してきたのだ。
 箱を買ったと思われる男性は、小暮清二といい、K社に勤めるサラリーマン。あの近くで、K社が請け負っている工事があり、そこへ、度々足を運んでいるという。現場の人物から話を聞いた部下の報告によると、小暮は骨董品集めが趣味で、時折、そんな話を聞いたことがあるという証言もあった。
 なるほど、骨董品好きなのならば、近場のアンティークショップによるかもしれないと思ったセレスティは、実際に、小暮清二なる人物とあってみようと思い、彼に約束を取りつけたのだ。
「お待たせして、申し訳ありません。」
 そんな声が、セレスティにかけられたのは、約束の時間を長針が5回ほど回った時のことだった。
「私が、小暮です……。」
 振り向いたセレスティに向って、小暮清二は薄くなりかけた頭を、静かに下げた。

「お忙しい中を、お呼び立てしてすみません。実は、アンティークショップ・レンで、先日、貴方が買われた箱のことで、少しお話を伺えたら、と思ったものですから。」
 注ぎ足された紅茶が、湯気を立てる。その湯気の向こうから、セレスティは穏やかに微笑んでみせた。しかし、小暮の顔色は冴えない。特に、『箱』という事場を聞いた途端、更に、表情が曇ったような気がする。内心、不思議に思ったセレスティだったが、無言で小暮の返答を待った。
「箱……あぁ、あの箱ですか……。」
「どうか、しましたか?」
 困ったような。何かに参っているような。小暮の声に普通ではないものを感じ取り、セレスティは尋ねた。
「困っているんですよ。実は、あの箱を手に入れてから、変なことばかり起こるようになりましてね。」
「変なことといいますと?」
「箱を持っていると、必ずと言って良いほど、事故に合うんです。」
 そう言って、一度、小暮は言葉を切ると、紅茶を一口すすってから、先を続けた。
「それに、毎晩、箱が振動しているような、変な音がするんで、正直、気味が悪くて……。」
「ふむ…。」
 持っていると必ず事故にあう箱。
 毎晩のように振動する箱。
 この二つは、箱の蓋が開かないことになんとなく、関係しているような気がする。
 小暮の話に、ふと、セレスティの脳裏をそんな考えが過った、その時だった。彼のポケットの中で携帯が振動する音がしたは。失礼を言い置いて、電話にでたセレスティの耳に飛び込んできたのは、アンティークショップ・レンの女店主の声だった。
『あぁ、よかった、繋がった。』
「どうかしましたか?」
『さっき、灯火の嬢ちゃんから連絡があってね。例の箱が、別の人物の手に渡って外にでたらしいのさ。相手は、若い女性らしいんだけど、例の客の家族だろうって話でね。』
「なんですって?!ちょ、ちょっと待ってください。」
 電話で告げられた新しい情報に、セレスティは携帯を持ったまま、小暮の方を向き直ると、彼にしては強い口調で目の前の男に向って言った。
「小暮さん、貴方の家から、箱が持ち出されたらしいとの連絡がありました。若い女性だとのことですが、心当たりは……小暮さん?」
 セレスティの言葉が終らぬうちに、小暮の顔色が紙のような白に変わる。
「娘……だと、思い、ます…。」
 小暮清二は、うめくような口調で、そう言った。



■3

「ったく、とんだことになったもんだぜ。」
 愛車のバイクを、石段の前に乗り捨てるように止めると、ウォルターは寺の中へ走り込みながら、そんな言葉を吐出した。
「でも……まだ…手遅れにはなっていないと…信じたいです……。」
 バイクの後部座席から飛び降りて、ウォルターの後を追いかけながら、灯火が呟く。
 蓮からの電話を受けた後、箱の元の持ち主である大山を問詰めたウォルターは、箱の怪異が江戸時代に恋破れて死んだ娘に関するものである事と、その娘が投身自殺した井戸のある場所を突き止め、愛車にて、この寺に駆け付けたのである。その途中で、物の言葉を手掛かりに箱の後を追いかけていた灯火と合流したのだ。寺の前に、高級車が止まっていた所からすると、蓮から連絡がいった、セレスティも既に到着しているらしかった。
「こちらです。」
 石段を登り、境内に辿りついた2人の姿を見止めて、寺の前でセレスティが片手を上げた。
「で、どうした?!」
「娘さんは……見つかりましたか…?」
 そんな彼に、ウォルターと灯火が異口同音の質問を同時に発する。一瞬だけ、セレスティは面食らったような顔をしたが、すぐに真顔に戻ると、深く頷いた。
「先ほど、寺の方にお話を伺ったのですが、やはり、小暮さんの娘さんらしき方が、来ているそうです。」
「まさか、もう投身自殺済みとかじゃないだろうな?!」
「いえ、その心配はないでしょう。井戸は、もう随分昔に埋められていて、今は、石積みしか残っていないそうですから。」
 アンティークショップ・レンから買われていった箱が、その買い手である小暮の娘と共に、この寺で井戸に沈むつもりなのではないか…。
 そう想像していたウォルターと灯火は、安堵の息をついた。そんな2人を、セレスティが静かに促す。彼が足を向けた先は、寺の裏。井戸は、寺の裏手にあるらしいのだ。
「……自殺ではないとすれば…なんの為に…ここへ?」
 セレスティの後に続きながら、灯火が呟く。嫌な予感が拭いきれない。そう言外に呟かれた言葉に、セレスティとウォルターも表情を引き締めた。
「分りませんが、もし、投身自殺をしようとしていたなら、当てが外れたといった所でしょうね。」
「そうだな。箱が、別のことをやらかす前に、取り返したほうが良さそうだ。」
 その言葉に大きく頷いて、3人は寺の境内をグルリと巡るようにしながら、寺の裏手に足を踏み入れた。
 娘は、そこにいた。
 漆塗りの光沢を帯びた硯箱を抱えて、井戸の石積みの上に腰かけている。呆けたような顔には、生気がなく、その様子は、どこか、幽霊のような様相を帯びていた。
「あの……小暮さんですよね…?」
 おずおずとした口調で、灯火が娘に声をかける。だが、娘はピクリとも動かない。
 聞こえていないのか、聞こうとしないのか、それとも。
 何かを待っているのか。
 灯火が、そう思った、その時。
 ゴリ……っという僅かな音と共に、寺の屋根が崩落した。
 否、落ちたのは、屋根の梁だ。それが、瓦を載せたまま、2人の上に降ってこようとしている。灯火の手が動かぬ娘の身体に伸ばされた。その彼女の身体を、全力疾走で駆け寄ったウォルターが娘の身体を共に抱え込んで、庇いながら地に伏せる。キッドの手が、僅かに、硯箱に触れた。どこかで、糸が弾けたような、水の波紋が広がったような気がしたが……。
あとには、ただ、地鳴りのような轟音――。


(愛しや。)
 闇の中で、誰かが叫んでいる。
(口惜しや。)
 誰かに対する愛しさと、憎らしさの入り混じった感情が、闇の中で渦を巻いている。しかし、愛しい、憎らしいと叫ぶ、その声は、女ではなく男のものだった。
(愛しき女の形見なれば、我はこの手で壊せぬと。そう知り、我を閉じ込めた、かの連中が心底憎い…。)
 怒り、嘆きながら、闇の中に白い、真珠のようなものが二つ浮びあって、彼をギョロリとねめつけた。
(捕われし、この身の情けなさ。せめて、箱さえ壊れれば、愛しき娘の悔しさと、我の悔しき思いとを、連中に知らしめることもできように。)
(悔しや、悔しや。)
 ギョロリ、ギョロリ。
 2つの真珠は、人の目の形をしていた。それが、ウォルターの目を、彼の心の中までも覗き込む。
 その瞬間に、彼は知った。
 箱の中身を。箱の起す不幸は、中に封じられた怨念そのものとも言うべき、この目玉の起したものであることを。
 娘との中を裂かれた僧は。
 己の命と引き換えに、娘の家系に祟りなす事を誓って、命を断っていたことを。
 ウォルターがそれを理解し、そして、それに魅入られかけた時。
「大丈夫……ですか?」
 彼の目の前で、青い目をした日本人形のような少女が首を傾げた。彼女の手には、あの黒塗りの硯箱。闇から、光へ。現実へ引き戻されたことを悟って、彼は、大きく安堵の息を吐いた。

「何が、どうなったんだ?」
 パタパタと痛む体の埃を払うウォルターに、セレスティは、穏やかな笑みを向けた。
「ほんの僅かですが、箱に魅入られていたようですね。」
「あぁ、それは分ってる。けど、俺が聞きたいのは、そうじゃなくて……。」
 何故、あの崩落から助かったのか。
 崩れ落ちた屋根は、3人を避けるように周囲に落ちている。まるで、何かが彼らを守ったかのように。不審そうな顔で、周囲を見まわすウォルターに、小さく笑って、セレスティは声をかけた。
「人の運命は、ほんの僅かですが、動かす事も可能なのですよ。」
 そう、彼らを守ったのは、セレスティの力。糸を弾くように運命の縦糸を弾き、宿の流れの中に僅かだが、波紋を広げたのだ。その結果、彼らは、崩落した屋根に潰される運命の流れから逃れたのである。
「そういえば、娘さんは、どうなりました?」
「あ、そうだ、忘れてた!」
 慌てて、小暮の娘を抱き起こす2人を見ながら、灯火は蒔絵の箱の表面を撫でた。彼女は、今や、この箱の全てを理解していた。箱の中身が、身分違いの相手に恋をした男の想いであることも。箱が、不幸を起したのは、自らの手で愛しい人の形見を壊したくなかったからだということも。
 そして、男の残した悔しさが、この中で、まだ息づいているということも。
「貴方の悲しみは……何時か…消える時がくるのでしょうか……。」
 悲しい、悲しい声で呟いて、灯火は箱をあやすように撫でながら、抱き続けた。



 その後、箱はアンティークショップ・レンに戻ることはなかった。
 何故なら、小暮の手から、元の持ち主である大山の手を通じて、本家である竹内家に戻される事になったからだ。竹内家では、箱をあの寺に預け、近々、恋に死んだ2人の為に供養を行なうことにしたらしい。
 事の顛末を聞いた蓮は、ただ一言、
「因果だねェ……。」
とだけ、呟いた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1883/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
1956/ウォルター・ランドルフ/男/24歳/捜査官
3041/四宮・灯火/女/1歳/人形



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■         ライター通信          ■
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こんにちは、ライターの陽介です。
ウォルター様、灯火様、初めまして。
セレスティ様、いつもご参加ありがとうございます。
大変長らくお待たせしてしまって、本当に申し訳ありません。
御参加くださった皆様に、不快な思いをさせてしまった事を、 深く反省し、お詫びする次第です。
さて、今回は、開けてはいけない箱ということだったのですが、如何でしたでしょうか?
実は、あの箱を開けていたら、別の展開もあったのですが……ふふふ…。
少しでも、今回の話を楽しんで頂けたなら幸いです。