コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


開けてはいけない

 その箱は、店の棚の上に無造作に置かれていた。漆塗りの光沢のある黒々とした表面に、鮮やかな金で描かれた蒔絵の菊花が散っている。彼の目は、その箱にだけ向けられていた。店の中に置かれた他の品など、見えてはいないかのように。
 ゆっくりと、棚の一番上に置かれたそれに手を伸ばす。もしかすると、この箱は売り物ではないのかもしれない。そんな思いが、彼の頭の中をよぎったが、彼は箱を下ろす動作を止めようとはしなかった。
 この箱が売り物でなかったとしたら、店主に譲ってくれるように頼み込んでみよう。
 自分には、これが必要なのだ。
 棚の上から下ろした箱を抱えながら、彼は幸せそうな溜息を零す。理由は分からなかったが、その箱を持っていると満ち足りた気分になれた。
……箱は彼を魅了し、彼はそれに魅入られたのだ。


 カラン、と扉につけられたベルが、涼やかな音を立てる。
 この店の品が、全て曰く付のものだと知らないのか、珍しく物品を購入して帰っていった客の背中を、アンティークショップ・レンの主、碧摩・蓮は、どこか覚めた目で見送った。
 妙な客だった…と、蓮はキセルに火を付けながら思う。その客は、くたびれたサラリーマン風の中年男性だった。初めて店にきた客だったが、まるで店内の何処に何があるのかを知ってるように、真っ直ぐ店の奥の棚へ向かい、そこで飽きもせずに棚の上を眺めていたのだ。そして……。ふう、と蓮は、溜息をつくように、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
 そして、何より、帰り際の目が普通ではなかった。
 どこか、恍惚とした色を浮かべた客の目を思い出し、彼女が嫌な予感を覚えた時、傍らに置かれた電話のベルが鳴った。けたたましい音が、静まり返った店内に響き渡る。
「はい、アンティークショップ・レン……」
『碧摩か?』
「なんだい、功刀。珍しいじゃないか、アンタが電話してくるなんて。」
 電話の向こうの声は、蓮の知人のものだった。情報屋を名乗っている男で、功刀・圭(くぬぎ・けい)という。
『なんだもなにも、例の箱の件で電話したんだ。』
 例の箱、と言われ、蓮は合点がいったように、あぁと頷いた。
 その骨董品らしい漆塗りの硯箱を馴染みの客が店に持ち込んできたのは、数日前の事だった。元々は、客の友人の持ち物だったのだが、1週間ほど前に譲られたのだという。見事な蒔絵の施された箱だったが、内側から糊付けでもされているのか蓋を開けることができなかった。だが、どう見ても価値のありそうな箱であるそれを、客は早く手放したいとばかりに売り払うと、早足で帰っていったのである。その様子と、箱の蓋が開かないことに不振なものを感じた彼女は、情報屋である功刀に箱の出自の調査を依頼したのだ。
 今日の電話は、その件であったのか、と蓮は受話器を握りなおした。
『まだ完全に洗えた訳じゃないんだが。あの箱、数ヶ月前に、ネットオークションに出品されたらしいな。その後、数人の骨董マニアの間を巡ってやがる。』
「ふーん……なんで、骨董品好きが、手放しちまうのが解せないねェ……。」
『あぁ、それは俺も気になったんだが。どうも、あの箱を入手すると、その日から不幸な目に会うらしい。事故の度合いは様々なんだが、大怪我して入院したヤツがいるとか。……おっと、これは、1週間くらい前までの所持者だな。」
 そう言いながら、電話の向こうで何かをガリガリとメモするような音がする。その音を聞きながら、1週間前…というと箱を持ち込んできた客が、友人からそれを譲られた頃ではあるまいか……と、蓮は思考を巡らせた。
『そんなトコだな。あと箱の中身なんだが、どうも何か入ってるらしいぞ。夜中になると、音がするんで不気味だったという話を聞いた。何が入ってるのか分かるまでは、開けないのが無難だろうな。』
 そこまで話して、功刀は一息ついてから彼女の問いかけた。
『ところで、碧摩。あの箱だが、まだ手元にあるんだろうな?』
「まさか。幾らなんでも、売りに出したりはしていない……あっ!」
 功刀の問いに答えながら、蓮は手元の箱を確認し、小さく声を上げた。売り物と区別する為に、手元に置いてあった箱には菊花の蒔絵が施されていたが、今、彼女の手元にある箱には梅花が描かれていたのである。
「……やられちまったよ、功刀。」
『まさか……』
「売っちまったみたいなんだよ、あれを。」
 曰く付きの品を見慣れた自分をも欺いて店から消えた品物を思い、呆れたように溜息をつく蓮と対象的に、受話器の向うから怪奇事件に関わり慣れている情報屋の叫ぶ声がする。
『取り返せ!買った客が、あの箱を開ける前に!』
「……やれやれ、困ったことになっちまったねェ。」
 そう言いながらも、さして困ってもいなそうな様子で、蓮は紫煙を燻らせるのだった。


----------------------------------------------------------------------------

(本文)


愛しや、口惜しや……


■1

 カチリ、と時計の針が、一瞬、重なり合った音がした。僅か60秒の短過ぎる逢瀬。出会い、別れ、それが、さも当然のような顔をして時計の針は、今日も文字盤上で遊戯を続けている。
 自らの腕で、時を刻み続ける愛用の時計から目を上げて、ウォルター・ランドルフ(−・−)は、被っていたカウボーイハットを片手で抑えた。ビルの間を吹きぬけて来た荒々しい風が、彼の帽子をすくい上げようとしたからだ。
 ビルの向こうに見える空は、ぼんやりとした薄曇の白。春というには些か肌寒いその日、都心の空には春一番と呼ばれる強風が吹き荒れていた。
「やれやれ。春一番か。名前は風流だけど、ビル風と何処も違わないんじゃないか?」
 何より、春にしては風が冷たいじゃないか。
 カウボーイハットを幾分深く被りなおして、ウォルターは、うんざりしたように呟く。その表情と口調が、今の彼の心境と如実に語っている。
 ウォルターは、かなり不機嫌だった。アメリカの警察機構に所属する彼は、何の因果か、極東の島国で怪奇事件専門捜査官になりつつある。どんな事件であろうと、解決するのは警察の務めと言う、熱血漢の彼は、回ってくる事件が怪事件の連続であっても、その捜査の手を抜くことなどはないのだが……。
 こんな強風の吹き荒れる日に、東京郊外まで駆出され、かつ、それが『怪事件』とは、ほど遠い結末で終ったとあれば……彼でなくとも不機嫌にもなるというものだ。
「ったく。何が、人食いの壷だ。蓋をあけてみれば、ただの家出だもんなぁ。やってられるかってんだ。」
 先程の事件のことを思い出して、ウォルターが溜息と共に毒づいた時、彼の内ポケットの中で携帯がけたたましく鳴った。
「はい、ランドルフ。」
『あ、先輩、おつかれさまです!』
 不機嫌極まりない声で電話にでた彼と対照的に、能天気な声が向こうから聞こえる。その能天気具合に、僅かに眩暈を覚えて、ウォルターは、ただ、おう、とだけ声を返した。
『例の事件解決されたそうですね。』
「怪奇事件からは、遠いオチだったがな。」
『まぁ、大事件でなかっただけでも良かったじゃないですか。』
「それはそうなんだが……。まぁ、それはいい。何かあったのか。」
 まさか、さっきの件だけで連絡してきた訳じゃないんだろうな、と心の中だけで付けたして、ウォルターは電話の向こうの後輩に話の先を促す。彼の催促に、後輩である男は、少し口調を改めて話を変えた。
『ボスからの伝言で、新しく回って来た事件を先輩に担当して欲しいとの事で。』
「……今度は何だ?ダンスをする人形か?それとも、叫び出す金魚鉢か?」
『近いですけど、違いますね。不幸を呼ぶ箱、だそうですよ。』
「っかー。また、そんなのかよ?!今度は、眉唾じゃないんだろうな?」
 己が自棄で出した例に近いものをサラリと出されて、ウォルターは思わず頭を抱えたが、電話の相手は酷く真面目だった。
『IT関係の部署から回って来た物なんですけど、真面目な事件ですよ、先輩。インターネットのオークションで売られていた箱を買い取った人物全員が、事故にまきこまれているんです。』
「ふーん、箱、か……。」
『ニホンのアンティークらしいですけどね。マキエとかいう伝統工芸の施された綺麗な箱で……けど、、俺、この箱、どこかで見たことが…。あ、それはともかく。あとで、事件の詳細と一緒に写真も送りますから。』
「おう、頼む。見たことがある気がするなら、過去の事件に絡んでいた可能性もあるな。そっちの調査も頼んだ。」
『はい、分りました。一度、こっちに戻りますか?』
「いや、このまま、調査に入る。ボスには俺が引き受けたと伝えておいてくれ。」
 後輩の質問に答えながら、ウォルターは、どうやって捜査をすすめるかについて考え始めていた。調査対象は、怪しげな噂のアンティークであるという。となれば…。
「……アンティークショップ・レン、か。」
 箱の手掛かりは、そこあるような気がする。カチリと音をたてて携帯を閉じると、彼はそれを上着の内ポケットに仕舞い込んだ。
 久々に面白そうな事件じゃないか。
 ニヤリと笑って、ウォルターは生き生きとした足取りで、アンティークショップ・レンに向けて歩き始めた。

「アンタら全員、アレに魅せられたって訳かい。やれやれ、曰く付きってのも因果なもんだねェ……。」
 アンティークショップ・レンの奥、いつも通りの場所で、椅子に座ったまま、店の女主人は苦笑いと共にそう言った。そんな彼女の前に立つ3人の客――柔らかな物腰の紳士と和服の少女とカウボーイハットの青年は、思わず互いの顔を見合せる。彼らの様子に、女主人は、もう1度苦笑いを零し、それから、紫煙を燻らせた。

四宮・灯火(しのみや・とうか)が、アンティークショップ・レンを訪ねることにしたのは、春一番の吹き荒れる薄曇の日のことだった。『神影』の留守番を久々に店に顔を出した知人の男性に頼み、彼女は1人、目的地へと向ったのである。
 久々に訪れたアンティークショップ・レンは、以前と変わらず、ひっそりとした佇まいで、そこにあった。早速、中に入ろうとした灯火だったが、背の低い彼女の手は、僅かにノブに届かない。彼女が、ドアノブに苦戦し始めて、5分も経った頃だろうか。
「大丈夫かい、レディ?」
 灯火の後ろから、そんな声がかけられた。慌てて、灯火が振り向くと、そこには、カウボーイハットを被った外国人の青年――ウォルター・ランドルフ(−・−)が人懐っこそうな笑みを浮かべて立っていた。怪奇事件専門捜査官となりつつあるウォルターは、例の箱の調査を依頼されて、ここを訪れ、偶然にもドアの前で立ち往生する灯火を見つけたのである。
「中に用事があるのか?」
 ウォルターの言葉に、灯火は静かに頷いた。と、彼女の前で、先ほどまで頑なに開かなかった扉が大きく開かれた。灯火が頷くのを確認したウォルターが、ドアを開けたのだ。
「ありがとう…ございます……。」
 どうぞ、と些か芝居がかった仕草で促すウォルターに、灯火は深く頭を下げて、店の中に足を踏み入れた。そのあとから、ウォルターが続く。店の中には、女主人の碧摩・蓮と、柔らかい物腰の青年――セレスティ・カーニンガムがいた。彼もまた、箱の話を求めて、店を訪れたのだという。
 3人共に同じ目的で店を訪れたという事を知った蓮は、苦笑を洩らし……。
 現在に至るのである。



「それで、例の箱のことなんですが。」
 セレスティの言葉に、蓮は笑いを収めて真顔に戻ると、カウンターに肩肘をついた。
「アンタらの言ってる箱っていうのは、菊花の蒔絵の施された硯箱だね?それなら、数日前までウチにあったよ。」
 あっさりと蓮の口から話された言葉に、3人の間に衝撃が走る。この店には、曰く付きの品物が揃っているのは十分承知しているが、まさか、ネットオークション上で、今まさに話題になっているものまでがあるとは……。
 しかし……。
「あったって事は、ミス碧摩、今はないって事か?」
 蓮の言葉に引っ掛かりを覚えたウォルターが、問いかける。その問いに、蓮は、またもやあっさり頷いた。
「あぁ、ないんだよ。数日前に、客に買われてね。」
「買……っ?!売ったのか、不幸を呼ぶとか言われている品物を?!」
 愕然とした表情で、ウォルターが叫ぶ。怪事件を担当する捜査官の彼としては、そんな危険物を売る事事体が、信じられないらしい。
「叫ぶんじゃないよ、こっちも好きで売った訳じゃないんだしさ。売る気はなかったんだが、欺いて出ていっちまったって所さね。」
 そんなウォルターの横で、灯火が静かに口を開いた。
「あの……私の聞いた話ですと…その箱は持ち主を不幸にする……とのこと…。碧摩様は…何かご存知ですか……?」
「さぁて。知人の情報屋、あぁ、功刀ってヤツなんだけど、そいつがいうには、事故にあった人がいるらしいがねェ。その話なら、ほら、そこにいる怪奇事件担当捜査官のが詳しいだろうさ。」
 そういって、蓮はキセルで、まだ愕然としたままのウォルターの方を指し示す。
「なるほど、確かに、それは彼の方が詳しいでしょうね。どうです、ウォルターさん?」
 蓮の言葉に頷いて、セレスティは首を傾げてウォルターの顔を見た。その肩口から、水の流れを思わせる長い髪が、サラリと落ちる。
「まぁ、知ってるといえば知ってるが……。」
 灯火とセレスティの2人から、じっと視線を注がれて、ウォルターは居心地悪そうにガシガシと頭を掻き回した後、観念したように後輩から得た情報を指折り数えだした。
「確証はないんだが、箱の持ち主中の何人かが事故にあってる。俺が聞いたのは、交通事故と階段からの滑落事故、それと、上から物が落ちてきてケガした人がいるくらいのもんだが、それでも、片手じゃ足りないくらいの人数だな。」
「……そんなに、ですか。確かに、『不幸』を招く、といわれても仕方ない数ですね。」
 数え上げられた事件の数に、セレスティは眉根を寄せて考え込む顔をする。そんな彼の前で、灯火がポツリと呟いた。
「どうして……その箱は…そんなことをするのでしょう……。」
「さぁね。それだけの想いが箱に篭ってるのか……功刀のヤツは、箱の中身に問題があるかもしれないとか言ってたけどね。」
「中身……ですか?」
「箱の蓋が開かなかったから見たわけじゃないんだが、中になにか、入ってるようだったのさ。」
「蓋が開かない?」
 鸚鵡返しにウォルターが、蓮の言葉を呟き返す。女主人は、キセルを加えたまま、大きく一つ頷いた。
「糊付けでもされてるのか、蓋がベッタリと張りついていてね。無理に剥がすと、内側の漆が剥がれそうだから、止めたのさ。」
 アンティークは傷物にしちまうと価値が下がるしね。
 そういって、ふぅっと煙を吐く蓮に、セレスティが言葉を投げかける。
「すると、その中身が何時から入ってたかは分らないわけですね?例えば、ネットオークションにかけられている間に誰かが、何かをいれて蓋を糊付けした可能性も……。」
「まぁ、ないとは言わないけど、オークションにかけられた段階から蓋は開かなかったらしいから、それはないんじゃないのかい。」
「証拠は?」
 幾分、訝しげに顔をしかめたセレスティに、蓮は取りなすような微笑を唇の端に載せて言った。
「最初に、オークションに出したヤツが、『蓋が開きません』と添え書きしていたそうだよ。」
 なるほど……それでは、蓋が開かないのは、オークションに出る前からか。
 納得し、改めて考えをめぐらせようとしたセレスティが、思考の海に沈む前に、女主人は熱心に箱の話を交わす3人の客に向って魅惑的な笑顔を向けた。
「アンタら、随分、箱に興味があるようだね。関りついでに、一つ、頼まれてくれると嬉しいんだが。」
「何でしょう……?」
「さっき、間違って売った話はしただろう?こっちも、そんな危険物を放置しておくつもりはないのさ。出来れば、回収したいんでね、ついででいいから、頼むよ。」
 花のような満面の笑みで、そういう蓮の前に彼らは選択の余地のない事を悟ったように頷く。それを確認して、さも満足そうに笑ったあとで、彼女は思い出したように付け足した。
「そうそう。念の為。何があるか分らないから、箱は開けないように。」
 はぁ……と、誰かの洩らした溜息が、骨董品屋の薄暗い店内に波紋を広げながら、静かに広がっていった。



■2

春一番に流された雲が、長く尾を引きながら、高層ビルの後ろに隠れるようにして消えた。ビルの谷間に急降下した風は、道行く人々のコートやスカートの裾を翻しながら、アスファルトの上に幾つもの小さな渦をこしらえては、梅の花弁とダンスを踊っている。くるくると踊り狂う風が、1つ、街角を横切って、四角い空に飛び上がっていった。

 卓上に置かれた椀を満たした緑茶が、僅かに揺れる。窓の外では、まだ春一番が吹き荒れているようだったが、屋内は静かなものだった。ウォルターは、応接室のソファに座ったまま、立ち上る湯気の向こうに見える、この家の主人の顔を見て、僅かに息を吐出した。
 あのネットオークションで噂になっている、不幸を呼ぶという箱。それが、数日前までアンティークショップ・レンにあったという。ウォルターは、その事実を店主の口から知った後、その客の思考を拾えないかと己の能力を駆使して、幾度か試みたのだが……結果は、散々なものだった。滅多に人が来ないとはいえ、アンティークショップ・レンに訪れる客は、そこそこおり、かつ、箱が買われたのが数日前ということもあって、ウォルターが拾おうとしていた客の思念は既に薄れてしまった後だったのである。仕方なく一度、署に帰るかと、店を後にしたウォルターだったが、直後にかかって来た後輩からの電話が、彼の行き先を大きく変えることになった。
 ウォルターが、蓮相手に箱の情報収集を行なっている間に、彼の後輩は、箱に盗難届けが出されている事を付き止めていたのだ。盗難届けを出したのは、東京郊外に住む大山という男性らしい。届けがだされた時期がネットオークションに出される前だった事から、ウォルターは彼が箱の元の持ち主である可能性が高いと踏み、電話を入れた上で、大山宅を訪ねたのである。
 大山氏は、憔悴しきったような顔で、ウォルターを迎え入れた。元々、線の細そうな人物だなと、彼は思ったが、それ以上に、尋常ではない憔悴の仕方が気にかかる。
 大山氏の憔悴の原因は、やはり、あの箱か?
 そんな思いを巡らせながら、ウォルターは、担当直入に話を切り出した。
「電話の方で話した通り、大山さんが署の方に届け出をだしていた箱の事で、話を伺いたいのですが。」
「……助けてください、刑事さん…。」
 ウォルターの言葉が終らないうちに、彼の前のソファに座っていた大山が、いきなり頭を下げる。突然の出来事に、目を白黒させたウォルターに、大山は俯いたまま、言葉を続けた。
「私は……とんでもないものを、持ち出してしまったのです。」
「それはどういう?」
「元々、あの箱は、私の家の本家である竹内家に伝わるものなのですが……。」
 大山が途切れ途切れに語りはじめる。それは彼の家系の本家筋に伝わる、怪談のような実話だった。
 大山家の本家筋にあたる竹内の家は、江戸時代から続く家で、古くは商家であったという。その竹内の家には、1人の年頃の娘がいた。その娘を見た、とある僧が娘に恋をして、2人は恋仲となった。
「どこにでもある話ではあるのですが。先祖は、2人のことをよく思わなかったようで、娘と僧の仲を裂いたのだそうです。」
 その後、娘は井戸に身を投げて自殺し、僧も行方不明となった。そして、竹内の家に怪異が起こるようになったのだという。
「どのような怪異だったのかは、伝わっていないそうなんです。ただ、あの箱に、高僧がその怪異を封じ込めたのだと……。」
 一通り話し終えて、大山は額に浮んだ汗をぬぐった。そんな彼の前で、黙って話しを聞いていたウォルターが何時の間にか組んでいた腕を解きながら、問いかける。
「何故、そんな箱を持ち出したりしたんです?」
「……知らなかったんですよ。竹内家の蔵の掃除にたまたま手伝いにいって、それで、その時に、あの箱を見つけて……。頼み込んでもらってきたのです。竹内の家の主が、その後、あの箱に伝わる添え書きを蔵からみつけて連絡を……。しかし、その時には…。」
「もう、箱は盗難された後だったと。」
「はい……。その後、あれがオークションにかけられた事を知って、どうしたらいいのか……。」
 苦悶の表情で大山が言葉を詰らせた時、ウォルターの携帯が鳴った。恐らく、後輩だろうと思ったが、失礼と断って彼は通話ボタンを押した。が、電話の向こうの人物は、彼の予想通りではなかったのである。
『あぁ、よかった、繋がった。』
「ミス碧摩?!なんで、俺の携帯の番号を…?!」
『細かいことは後。さっき、灯火の嬢ちゃんから連絡があってね。例の箱が、別の人物の手に渡って外にでたらしいのさ。相手は、例の客の家族だろうって話でね。』
 箱は持ち主を変えて、何処かを目指している?
 何処を?
 それを知る人物は、ウォルターの前にいた。


■3

「ったく、とんだことになったもんだぜ。」
 愛車のバイクを、石段の前に乗り捨てるように止めると、ウォルターは寺の中へ走り込みながら、そんな言葉を吐出した。
「でも……まだ…手遅れにはなっていないと…信じたいです……。」
 バイクの後部座席から飛び降りて、ウォルターの後を追いかけながら、灯火が呟く。
 蓮からの電話を受けた後、箱の元の持ち主である大山を問詰めたウォルターは、箱の怪異が江戸時代に恋破れて死んだ娘に関するものである事と、その娘が投身自殺した井戸のある場所を突き止め、愛車にて、この寺に駆け付けたのである。その途中で、物の言葉を手掛かりに箱の後を追いかけていた灯火と合流したのだ。寺の前に、高級車が止まっていた所からすると、蓮から連絡がいった、セレスティも既に到着しているらしかった。
「こちらです。」
 石段を登り、境内に辿りついた2人の姿を見止めて、寺の前でセレスティが片手を上げた。
「で、どうした?!」
「娘さんは……見つかりましたか…?」
 そんな彼に、ウォルターと灯火が異口同音の質問を同時に発する。一瞬だけ、セレスティは面食らったような顔をしたが、すぐに真顔に戻ると、深く頷いた。
「先ほど、寺の方にお話を伺ったのですが、やはり、小暮さんの娘さんらしき方が、来ているそうです。」
「まさか、もう投身自殺済みとかじゃないだろうな?!」
「いえ、その心配はないでしょう。井戸は、もう随分昔に埋められていて、今は、石積みしか残っていないそうですから。」
 アンティークショップ・レンから買われていった箱が、その買い手である小暮の娘と共に、この寺で井戸に沈むつもりなのではないか…。
 そう想像していたウォルターと灯火は、安堵の息をついた。そんな2人を、セレスティが静かに促す。彼が足を向けた先は、寺の裏。井戸は、寺の裏手にあるらしいのだ。
「……自殺ではないとすれば…なんの為に…ここへ?」
 セレスティの後に続きながら、灯火が呟く。嫌な予感が拭いきれない。そう言外に呟かれた言葉に、セレスティとウォルターも表情を引き締めた。
「分りませんが、もし、投身自殺をしようとしていたなら、当てが外れたといった所でしょうね。」
「そうだな。箱が、別のことをやらかす前に、取り返したほうが良さそうだ。」
 その言葉に大きく頷いて、3人は寺の境内をグルリと巡るようにしながら、寺の裏手に足を踏み入れた。
 娘は、そこにいた。
 漆塗りの光沢を帯びた硯箱を抱えて、井戸の石積みの上に腰かけている。呆けたような顔には、生気がなく、その様子は、どこか、幽霊のような様相を帯びていた。
「あの……小暮さんですよね…?」
 おずおずとした口調で、灯火が娘に声をかける。だが、娘はピクリとも動かない。
 聞こえていないのか、聞こうとしないのか、それとも。
 何かを待っているのか。
 灯火が、そう思った、その時。
 ゴリ……っという僅かな音と共に、寺の屋根が崩落した。
 否、落ちたのは、屋根の梁だ。それが、瓦を載せたまま、2人の上に降ってこようとしている。灯火の手が動かぬ娘の身体に伸ばされた。その彼女の身体を、全力疾走で駆け寄ったウォルターが娘の身体を共に抱え込んで、庇いながら地に伏せる。キッドの手が、僅かに、硯箱に触れた。どこかで、糸が弾けたような、水の波紋が広がったような気がしたが……。
あとには、ただ、地鳴りのような轟音――。


(愛しや。)
 闇の中で、誰かが叫んでいる。
(口惜しや。)
 誰かに対する愛しさと、憎らしさの入り混じった感情が、闇の中で渦を巻いている。しかし、愛しい、憎らしいと叫ぶ、その声は、女ではなく男のものだった。
(愛しき女の形見なれば、我はこの手で壊せぬと。そう知り、我を閉じ込めた、かの連中が心底憎い…。)
 怒り、嘆きながら、闇の中に白い、真珠のようなものが二つ浮びあって、彼をギョロリとねめつけた。
(捕われし、この身の情けなさ。せめて、箱さえ壊れれば、愛しき娘の悔しさと、我の悔しき思いとを、連中に知らしめることもできように。)
(悔しや、悔しや。)
 ギョロリ、ギョロリ。
 2つの真珠は、人の目の形をしていた。それが、ウォルターの目を、彼の心の中までも覗き込む。
 その瞬間に、彼は知った。
 箱の中身を。箱の起す不幸は、中に封じられた怨念そのものとも言うべき、この目玉の起したものであることを。
 娘との中を裂かれた僧は。
 己の命と引き換えに、娘の家系に祟りなす事を誓って、命を断っていたことを。
 ウォルターがそれを理解し、そして、それに魅入られかけた時。
「大丈夫……ですか?」
 彼の目の前で、青い目をした日本人形のような少女が首を傾げた。彼女の手には、あの黒塗りの硯箱。闇から、光へ。現実へ引き戻されたことを悟って、彼は、大きく安堵の息を吐いた。

「何が、どうなったんだ?」
 パタパタと痛む体の埃を払うウォルターに、セレスティは、穏やかな笑みを向けた。
「ほんの僅かですが、箱に魅入られていたようですね。」
「あぁ、それは分ってる。けど、俺が聞きたいのは、そうじゃなくて……。」
 何故、あの崩落から助かったのか。
 崩れ落ちた屋根は、3人を避けるように周囲に落ちている。まるで、何かが彼らを守ったかのように。不審そうな顔で、周囲を見まわすウォルターに、小さく笑って、セレスティは声をかけた。
「人の運命は、ほんの僅かですが、動かす事も可能なのですよ。」
 そう、彼らを守ったのは、セレスティの力。糸を弾くように運命の縦糸を弾き、宿の流れの中に僅かだが、波紋を広げたのだ。その結果、彼らは、崩落した屋根に潰される運命の流れから逃れたのである。
「そういえば、娘さんは、どうなりました?」
「あ、そうだ、忘れてた!」
 慌てて、小暮の娘を抱き起こす2人を見ながら、灯火は蒔絵の箱の表面を撫でた。彼女は、今や、この箱の全てを理解していた。箱の中身が、身分違いの相手に恋をした男の想いであることも。箱が、不幸を起したのは、自らの手で愛しい人の形見を壊したくなかったからだということも。
 そして、男の残した悔しさが、この中で、まだ息づいているということも。
「貴方の悲しみは……何時か…消える時がくるのでしょうか……。」
 悲しい、悲しい声で呟いて、灯火は箱をあやすように撫でながら、抱き続けた。



 その後、箱はアンティークショップ・レンに戻ることはなかった。
 何故なら、小暮の手から、元の持ち主である大山の手を通じて、本家である竹内家に戻される事になったからだ。竹内家では、箱をあの寺に預け、近々、恋に死んだ2人の為に供養を行なうことにしたらしい。
 事の顛末を聞いた蓮は、ただ一言、
「因果だねェ……。」
とだけ、呟いた。
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1883/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
1956/ウォルター・ランドルフ/男/24歳/捜査官
3041/四宮・灯火/女/1歳/人形



□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

こんにちは、ライターの陽介です。
ウォルター様、灯火様、初めまして。
セレスティ様、いつもご参加ありがとうございます。
大変長らくお待たせしてしまって、本当に申し訳ありません。
御参加くださった皆様に、不快な思いをさせてしまった事を、 深く反省し、お詫びする次第です。
さて、今回は、開けてはいけない箱ということだったのですが、如何でしたでしょうか?
実は、あの箱を開けていたら、別の展開もあったのですが……ふふふ…。
少しでも、今回の話を楽しんで頂けたなら幸いです。