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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


鳥籠の幸福


 それはまだ厳しい寒さの残るある日のことだった。
 敷地面積数百坪はある四宮家の庭には四季折々の花や樹木が植えられている。
 庭池の側にある紅梅白梅が冬の朝の澄んだ空気にかすかに甘い香りを漂わせている。
 いつものように黒服に身を包んだ是永佳凛(これなが・かりん)は色鮮やかな梅の花を見上げて数日前の出来事を思い出していた。


■■■■■


「あのね、佳凛」
 佳凛の前に歩み寄った、四宮杞槙(しぐう・こまき)が胸の前で両手の指を組み少し目を伏せる。
「どうかなさいましたか?」
「あの、ね。ちょっとお買い物に行こうと思うんだけれど」
 そう言った杞槙に、
「ではすぐに車の用意を」
と、いつものようにリムジンを玄関に回してもらう為に屋敷の内線電話に手を掛けた佳凛を杞槙は慌てて止めた。
「今日はルーと一緒にね、行く約束なの」
「判りました。玄関でお待ちいただければ」
 それでもなおどこか口ごもる杞槙に佳凛は不思議そうな顔をする。
「違うの。そうじゃなくて、ね……ルーと2人でお買い物に行って来たいのだけれど」
 そこまで言われてようやく佳凛は杞槙がいつになく口ごもっていた理由が判った。つまり、今日の外出は杞槙と彼女の家庭教師であり主治医でもあるルーレン・ゲシュヴィントと2人だけで出かけるのだと佳凛に断りに来たのだ。
「杞槙様がそう望まれるのなら」
 もし杞槙の相手がルーレン以外の誰かであったのならば杞槙の守人でありボディーガードである佳凛も異を唱えるところだが、一緒に出かける相手がルーレンであると言われてしまえばどうして承諾するしかない。
 ルーレンがただ見た目通りの物腰柔らかで穏やかな人間ではないことは幼馴染みであり親友でもある佳凛が1番よく知っている。
 玄関先の車寄せまで杞槙に付き添った佳凛に、
「じゃあ、行ってくるわ」
と微笑んで杞槙はリムジンの後部座席に乗り込んだ。
 ルーレンは黙って佳凛の肩をぽんと軽く叩いて杞槙に続いて後部座席に乗り込んだ。
「いってらっしゃいませ」
 佳凛と他の数名の使用人がそういったのを合図にしたように運転手がゆっくりとドアを閉めた。
 静かにゆっくりと走り出したリムジンを、姿が見えなくなるまで佳凛はその場を離れられずにいた。


■■■■■


「杞槙、本当に良かったのかい?」
 佳凛の姿が見えなくなるまでずっと後ろ髪を引かれるようにずっと見つめていた杞槙にルーレンはそう言った。
「良かったって?」
 小さく首を傾げる杞槙に、
「顔に書いてあるよ『佳凛が居ないから不安だ』って」
と言ってルーレンは笑みを浮かべる。
 確かに、幼い頃からいつも一緒に居る佳凛と離れるのは杞槙自信ものすごく不安だった。
「でも内緒にして驚かせたかったから」
 もうすぐ佳凛の誕生日。
 その日のために杞槙は佳凛には内緒で誕生日のプレゼントを探しに行きたかった。
 だが1人では外には行けない。
 そこで杞槙はルーレンに一緒に来て欲しいとお願いしたのだ。
 すぐに快諾してくれたルーレンだったが、その時も確か、
「でも杞槙本当に良いのかい?」
と自分に言っていたことを思い出した。
「ねぇ、ルー」
 不意にそれを思い出した杞槙の声を遮るようにして、
「何を買うのかは決まっているのかい?」
 小さく、それでいてはっきりと杞槙は頷く。
「えぇ」
 あのね、ルー。お願いがあるんですと言い出したときの杞槙の顔を思い出してルーレンは口元に笑みが浮かぶのを抑え切れなかった。
 杞槙の頭の中はどうやって秘密でプレゼントを用意するかでいっぱいであったようだが、残っている佳凛が考えているであろうことが手に取るように判る。
 どうしているかな、今頃……と、ルーレンは1人残された佳凛を思った。


 佳凛は窓から外を見つめながら何度目かになるため息を吐く。
 どうして―――と、帰宅を待つ間中、佳凛はどうして自分が一緒に行くことが出来なかったのかその理由がわからずに1人不安を募らせていた。
 ルーレンが居るのだから自分が心配する事など何もないはずなのにだ。
 2人の後を追う事も勿論考えたが、そんなことをしたところですぐにルーレンに気付かれて追い返されることは目に見えている。
 それに何よりそんなことしたらきっと―――杞槙の困ったような顔が脳裏に浮かび佳凛はゆっくりと首を横に振った。
 17歳の時にドイツから日本に――杞槙の元に来て依頼、佳凛がこんなに長い時間1人でいることはまずなかった。
 自分の視界の中に杞槙が居ない。
 それだけで、こんなにも寂しくてこんなにも不安になるなんて。何よりも佳凛にとっては杞槙が居ないというだけでこんなにも心細くなってしまう自分自身に驚いていた。
 何か知られたくないことがあるからこそあえて2人で出かけたのだ。
 自分には知られたくない何か。
 その何かをルーレンが杞槙と共有している。それを思うだけで佳凛の胸の奥底に何かが揺らめく。それはひどく粘性が強くどろりとしていて爛れを纏っている。
 一体自分の何処にそんなものが潜んでいたのか。お腹の奥から突然現れて胸を掻き毟るソレが『嫉妬』なのだと気付き佳凛は自嘲の笑みを浮かべる。


「杞槙、様」


 小さくその名を口にした時、まるでその呟きに答えるように帰って来たリムジンが門扉をくぐるのが見えた。


■■■■■


「ここに居たのね。ずっと探していたのよ」
 息を弾ませ、大きな紙袋を抱えて杞槙が佳凛の元に駆け寄って来た。
「申し訳ありません」
「それより、佳凛。今日は何日か覚えている?」
 そう尋ねられて佳凛は今日の日付をちらりと腕時計で確認する。
 2月19日―――


「佳凛、誕生日おめでとう」


 佳凛の答えを待ちきれなかったようで、杞槙はそう言って佳凛に微笑む。
 自分の誕生日などすっかり忘れていた佳凛は一瞬驚いて、そしてゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
「これ」
「私に、ですか?」
 頷く杞槙に促されて、佳凛は杞槙に差し出された紙袋の中のプレゼントの包装のリボンを解き包装を丁寧にはがす。
 中から現れたのはこげ茶色のクマぬいぐるみだった。
「これは……」
 そのクマは佳凛がはじめてこの四宮の屋敷にやって来た時に、杞槙へのお土産に持って来たのクマと同じメーカーの物だった。ちなみにそのクマは杞槙が数多く持っているぬいぐるみの中でも今でも1番のお気に入りだ。
「昔、佳凛が連れて来てくれたクマちゃんと同じ子を探してきたの。それでこの前ルーと2人で……」
 そう言われてようやく佳凛は先週の2人だけでの外出の理由を知った。
 籠の鳥と同じで杞槙は1人で外に行く事すら出来ないのだ。
 佳凛と言う名の杞槙を守る籠はいつでもどんな時でも杞槙を優しく庇護してくれている。そんな佳凛の為のプレゼント1つ自分で買いに行けない―――そんな杞槙のジレンマが判ったのか佳凛は黙って杞槙を見つめる。
「内緒にしていてごめんね。佳凛を驚かせたかったの。でも、私、悲しい思いをさせたよね? 嫌だったよね?」
 そういう杞槙に佳凛は首を横に振って否定してみせる。
「もうしない。今日までの佳凛、何だかとても苦しそうだったのは、私が秘密を作ったからよね」
 あの日、帰ってきた杞槙とルーレンを出迎えてくれた佳凛を見て、初めて杞槙はルーレンが繰り返し言っていた、『本当に良かったのかい?』という言葉の意味を知った。
 佳凛が杞槙の表情1つで杞槙の気持ちが判るように、杞槙も佳凛の気持ちが判る。
 出迎えてくれた佳凛の目は嬉しいような、悲しいような、寂しいような……そんな目をしていた。
「驚いてもらうより……それよりも、佳凛がいつも幸せな方がいいもの」
「幸せですよ」
「え?」
「こうして杞槙様の側に居られて、杞槙様が私を思ってくれる。それだけで私は充分に幸せです」
 佳凛は自分の上着を脱いでそっと杞槙の肩に掛ける。
「さ、天気が良いとは言ってもまだまだ寒いですから屋敷の中へ戻りましょう」
 そう言って、佳凛は杞槙を促す。
 杞槙はそれに頷いて足を踏み出した。佳凛とともに。