コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


創詞計画200X:CODE01【SIDE T】



■序(あくまで抜粋)■

 ン――――――ンンン――――ンン――――――――ン
 ン――――――ンン――――――――ン qr:. qr:. qr:.
 ン――――――ンンン――――ンン――――――――ン……
 qr:. qr:.qr:.
 ej eh9
何と言っているのかわかるようでわからない、それは明らかにことばであった。

「あーあああ!! 化物が出た! 化物だ! アーウああ!!」
 きらっ、という光。
 そして、島はひとつ揺れた。
 漁船が波にのまれ、恐怖のあまり狂気にとらわれた漁師が3人、波間に消えていった。
 それは、何処から現れたものなのか。
 今のところはそれを誰も知らない。その生物は、鳥にもエイにも戦闘機にも見え、間違いなく音と同じ速さで飛んでいた。音の壁を前にして、白の巨獣は海のうえの空を引き裂く。
 ン――――――ンンン――――ンン――――――――ン――――ッ!!
 空をも震わせる振動をつれて、かれは行く。
 かれにも目も鼻も口もなく、ただ翼だけがある。だが、その身体のどこからか放たれている衝撃そのものが、小さな島の木々を吹き飛ばし、目には見えないはずの『振動』は、鈍色のかがやきを伴っていた。
 ――――――ッ!!
 ――――――――――――ッッ!!!!
 白の生命は、小笠原諸島のはずれにある、名も知られていない無人島の上空で旋回し続け、攻撃を繰り出していた。羽ばたきもせずに飛び回るかれは、ハチドリやヘリと違い、空中に静止することはなかった。
 ただ泳ぐように彼は飛び続けていた。
 その身体に、やがて、弾丸とサイドワインダーがめりこんだ。



 2004年の夏、日本に多大な被害をもたらした台風23号。
 それに匹敵するほどの巨大台風13号が、この年、小笠原諸島を直撃していた。
 ひどい冷夏のはじまりだった。

 そしていま、台風に代わって小笠原諸島を蹂躙しているのが、白色の巨大生命体であった。エイにも見え、鳥にも見え、戦闘機にも見える、奇妙な生物だ。翼状のものを広げた状態で、およそ全長60メートルはあるものと思われた。
 はじめのうち、マスコミは映画ばりにその生物を「怪獣」と称していたが、やがて「生命体」という表現に落ち着いた。
 白い生命体は小笠原諸島のうちのひとつの島を執拗に攻撃していたが、呆気ない最期を遂げた。
 出現したその日のうちに、海上自衛隊の砲撃によって死んだのだ。
 国と自衛隊の行動は、平和慣れした日本のものとは思えないほど迅速だった。

 ついていない。まったくもって、今年の小笠原諸島はついていない。


 日本中が『怪獣』のニュースに沸き返る中、草間興信所のドアが出し抜けに開いた。息づかいの荒い男が、よろめきながら中に入ってきた。
「あんたが草間か! 私は誰だ!」
 その第一声に、その場の誰もが硬直した。
 男はポケットからしわくちゃの紙片を取り出し、草間につきつけた。紙片には慌てた文字で、確かに、この興信所の住所が記されていた。
「気がついたら、渋谷の路地裏にいて……ポケットの中にこのメモだけが……それは、私の文字なんだ。名前も家も思い出せないのに、わかるんだ。こうして話すことも出来る。でも、あああ、私は……私は! 誰だ!」
 男はそう叫んだ途端に意識を失って、その場に崩れ落ちてしまった。


 エディ・B・ディッキンソン。


 オニキスの目の科学者は、大量のマイクと稲光のようなフラッシュを前にして、口を開いた。
「小笠原諸島に現れた生命体について、現在までわかっていることをお伝えします。
 我々研究チームは、生命体を<メロウ>と呼称しています。
 <メロウ>は振動を操る生物です。
 身体は我々人間と同じように有機体で形成されていますが、未知の物質も持っているようです。弾丸や火炎による攻撃が充分有効です。雌雄の区別はないものと思われます」
「怪じ……<メロウ>は1体だけなのでしょうか?」
「今のところそれはわかっておりません。今回の固体が出現した場所もはっきりとはわかっていません」
「捕獲計画などはあったのでしょうか?」
「捕獲するにはあまりにも大きすぎます。死体は海上自衛隊が回収しておりまして、今夜我々研究チームに引き渡される予定ですが」
「再び<メロウ>が出現する可能性は?」「台風13号とは何か関係があるのですか?」
「博士!」「博士!」「博士!」


 東京の街が空を見たとき、鳥島付近の空が歪んだ。
 再び、雲は爪あととなった。
 <メロウ>!
 唐突に起きた風と、雲の流れの変化に、誰かが気づいて悲鳴を上げた。
 s@bie.k s@bie.k
 振動の言葉は、人々の脳裏を駆け抜けていく。


「『アイアン・メイデン』に続く<メロウ>、鳥島付近に出現したそうです! 博士!」
「マッハ1.0にて飛行中! ……東京に向かっている模様です!」
「新たな個体の識別名は『キラーズ』。研究班は地下に待機」
「……まあ、予想通りではある、が」
 白衣の男たちが右往左往する中、彼はその場にとどまり、窓の外を見つめているばかりだ。
 エディ・Bは微笑んでこそいなかったが、不安と恐怖を感じている様子ではなかった。


 画面に映し出されたエディ・Bを見て、まだ名もわからない男は、草間興信所であっと声を上げた。
 彼は、震える指で、テレビの中の高名な博士を指し示す。
「私は……彼を、知っているよ。エディ・ブルース・ディッキンソン……でも……だめだ……どうして私は、彼を知っているんだ……?」
「それより、ここから逃げた方がいいかもしれないぞ」
 草間は呑気な口ぶりだったが、さっさと財布や煙草をポケットに詰め、歪みゆく空に目を奪われていた。
 空の爪あとは、短くなっている。
 見守っているそばから短くなっていっている――
 そして、やがて、空で、きらりと、白銀色の、ものが、光るのを、東京の、人々が、見たのだった。

 ン――――――ンンン――――ンン――――――――ン――――ッ!!


■『キラーズ』の功罪■

「避難勧告はまだ出――されていない……ようですね。はい、避難勧告はまだ発令されておりません」
「<メロウ>の目的地が東京なのかどうかもわからない状態で……」
「皆さん、どうか慌てずに、落ち着いて行動して下さい」
「こちら、横浜ベイブリッジ前から中継です。<メロウ>は現在、沖合30キロ地点に――」
「どうか落ち着い……落ち着いて行動――」
 しかし東京はすでに、混乱している。


「俺の知り合いには核シェルター持ってるやつが何人いるのかねえ」
「呑気なこと言ってないで、あてがあるなら早く行かないと」
「慌てるなよ。東京に来るって決まったわけじゃないんだろ」
 とは言うものの、着の身着のままで興信所を出ようとしていたのは、草間武彦その人だ。呑気な口調とは裏腹に、彼がまっすぐ見つめているのは、シュライン・エマの青い目だった。
「それに逃げるなら、おまえと零も一緒だ」
「……私は……」
「あの怪獣を調べたいって言うんだろう。死ぬ気か?」
「何か言ってるのは確かなの! この世の中に無意味なものなんて何にもないわ。<メロウ>にだって目的があるのよ。それをつきとめて――」
「シュライン」
「かれは黒いアレとかハチとかじゃない。ものを壊すだけのものじゃないわ」
「行くぞ」
 草間はそれ以上有無を言わさず、シュラインの腕を掴んだ。そうして、テレビを今しがた消したばかりの少女に声をかける。
「天衣。その……あー、『お客さん』頼まれてくれるか」
「はいです!」
 彼女は、たまたま今日興信所に居合わせた口で――草間興信所には、こうして「たまたま居合わせた」能力者が常に数名は居る状態だった――鈴木天衣といった。彼女はまるで魔法のような手際の良さで、あっと言う間に避難準備を整えていた。その要領の良さたるや、シュラインや零が舌を巻くほどだった。天衣の働きぶりは、数日前からここの居候と化している名もわからぬ男も、目を細めて見守っていた。
 そう、男の名は、未だにわからないままだ。いくらか余裕も出てくるようになっていたが、唐突にパニックに陥ることもあって、目を離さずにはいられない。特に天衣が、彼のことを気にかけていた。
「行きましょ。おしゃべりはとりあえず後回しです」
 差し伸べた天衣の手を、男は思わずと言った風に微笑して、握り返した。
 ――あれ、この笑い方……。
 天衣はほんのひととき、きょとんとした。
 ――笑うことに、慣れてるひとです。


 ン――――――ンンン――――ンン――――――――ン――――ッ!!
 ン――――――ンンン――――ンン――――――――ン――――ッ!!


 小笠原諸島も、この不可思議な振動に見舞われていたのか。近づきつつある白銀色の……<メロウ>は東京湾周辺の空気をびりびりと震わせている。波は震え、泡立ち、汚れた海を泳ぐ魚たちはただ逃げ惑った。
 自衛隊の動きは、以前にも増して機敏ではあった――まるで<メロウ>の再出現と、次は本土に向かってくることを予測していたかのように、東京湾には海上自衛艦隊があらかじめ配備されていたのだ。
 もっとも、<メロウ>の動きはあまりにも直線的で、飛行ルートを予測するのは容易であったのだが。
 剱崎沖合で、<メロウ>は自衛艦隊と鉢合わせた。
 ンンンン――――――――――ン――――――――ン――――ッ!!
 d@7jduew@ 6,t@e
 海が一瞬、死んだように静まりかえった。そして……
 白銀いろの衝撃が、艦隊を揺るがしたのだ。灰いろの船は皆、揃って転覆していた。
 d@7jduew@
 <メロウ>は速度をゆるめることもなく、まっすぐに東京を目指していく。
 ej qr:iehto
 震える海に投げ出された自衛官たちは、なす術もなく、巨大な白銀の背を見送っていた。死傷者がごくわずかであったのは、奇蹟であったか――あの<メロウ>『キラーズ』の、意図であったというのだろうか。


『もしもし』
『はいはい』
『……あなただれ?』
『ごめんなさい、あなたの知り合いはもう一足先に東京から逃げたわ。私はリンファ・スタンリー。私が代わりにあなたの話を聞けるけれど、どうする? 光月羽澄さん』
『……』
『簡単には信用されない、か。でもね、私も東京がなくなっちゃ困ると思ってるの。それだけは信じてちょうだい』
『声でわかる。あなたは……嘘をついてない』
『信じてくれるのね?』
『……今は状況が状況だし……仕方ないわ。情報がほしいの。自衛隊の動きと、<メロウ>研究チームの』
『ふふ……そう来ると思った。研究チームのことは現在進行形で調べてるところ。自衛隊の様子は……8秒待って。メールで送るから』
『ありがとう、リンファさん』
『仕事だもの、気にしないで。羽澄さん、あなたは、<メロウ>を見に行くつもり? ……気をつけてね』


 光月羽澄は送られてきた長文メールをななめ読みし、顔色を変えた。死傷者こそごく少数だが、東京湾に配備されていた自衛艦は全滅していたのだ。
 d@7jduew@ ej qr:iehto
 羽澄の隣にいた若い女性が、あ、と声を上げてこめかみを押さえた。振動をかき分けてやってきたことばは――如月メイが受け取った。
「東京に来る気です……」
「チッ!」
 空を睨みながらの舌打ちは、黒贄慶太のものだった。
「東京なんかに来てみやがれ、ちょっと動かれただけでこっちはバラバラにされちまうぞ。島ひとつぶっ飛ばしてんだろ?」
「自衛艦もね」
 かあっ、と慶太は顔をしかめて奇妙な呼気を漏らした。
「俺は殺られンのはまっぴらだ。殺られる前に殺ってやる」
「え! でも」
 メイが思わず、(彼女らしくもなく)大声を上げた。が、慶太が世にも恐ろしい形相で振り向いたため、メイは二の句を飲んで硬直した。メイのその様子に、羽澄が助け舟を出す。
「<メロウ>には言葉が通じると思うの。意志があるのよ」
「わかっててもの壊してンじゃ余計タチ悪ィだろ」
「かれらは……話がわかる生き物だと、思います」
 小さな声で、メイはやっとそう言った。
「……行かなくちゃ……」
「ったく」
 慶太は溜息をつくと、口と耳とボディピアスを繋ぐチェーンに手をかけた。
「奴が妙な真似したら速攻でぶちのめすからな。――港で食い止めるぜ。乗ってけ」
「……何に?」
「在多ってエ羆よ」
 にやり、と笑った慶太は、戒めを外していた。


 見よ、彼らは雲に乗って来られる。

 埠頭に放置されていた木箱に腰をかけ、彼は思わず微笑んでいた。
 或いは、あの存在は雲そのものなのかもしれない。
 彼は、その雲の色を見るために札幌からやってきたのだ。<メロウ>の声を聞き、その心を覗き見た魔術師は、城ヶ崎由代といった。
 彼の涼しげな目にうつった光は、見る見るうちに大きくなっていく。
 ン――――――ンンン――――ンン――――――――ン――――ッ!!
 その振動を口ずさみながら、由代は立ち上がり、すうと手を上げた――彼の指は、音もなく、光り輝く言葉を描いた。
(待ちたまえ!)
 ぎょ、ぎょ、ぎょううううう――――――ンンンンンンンンン!!
 白銀いろの生命体の飛行速度は、確かに落ちた。しかし、その場に静止するのが難しいのか、彼は飛び続けている。
(このまま街に来ても、きみは殺されるだけだ)
(きみにそのつもりはなくとも、死ぬものはあまりにも多い)
 ン――――――ンンンン――――――…………。
 <メロウ>には表情がなかったが、言葉は――城ヶ崎が古い魔術書を引っ張り出して解読した言葉は、どうやら通じているようだった。
 戸惑ったように速度を落とし、耳をそばだてている様子の<メロウ>は、視線を由代に向けている。
 b¥x;.zw ui
 d1zw s@4e4bs
 0toue d@7jduew@ qr:ug7
「……!」
 ごおうっ、と風が叫んだ。<メロウ>が速度を上げたらしい。由代は言葉を描こうとした手を、そのまま止めた。
「知能は……天使並みとはいかないのかな……」
 さて、どうしたものか。海を止め、飛んでくる<メロウ>の大きさは――軽く70メートルを超えている。
 d@7jduew@
 言葉が駆け、攻撃的な意志が由代を包み込もうとした。

 そのとき、真昼の光が、<メロウ>の前に立ちはだかったのだ。そして、涼やかな鈴の音色がした。
 由代は振り向き、とりあえず、命の恩人が出来たことを悟った。

 光の壁に衝突した<メロウ>は、ずどん、と海に落ちた。
 同時に地面に足をついたのは、異形の巨大な羆だった。ぎらぎらと目を光らせ、唸り声とともに涎を垂らす金の羆――その背から、銀髪の少女と、華奢な女が降り立った。光月羽澄と、如月メイだった。
 がば、と海が割れた。しずまりかえっていた海が再び震え、<メロウ>が宙に浮き上がった。その白銀いろの体表に、水滴は一滴もついていない。身体が発する振動が、水を弾いているらしいのだ。
『フン……』
 羆が口元をゆるめて、黒贄慶太の声で呟いた。
『随分デカいじゃねエか……アタマはどこだ?』
 唸り声を上げた羆は、ぼぉう、と宙に浮き上がり、<メロウ>の頭上へと、まるで泳ぐようなしなやかな動きで飛んでいった。
 <メロウ>は――動かない。じっと、羽澄が鳴らす鈴の音に聞き耳を立てているようだった。かれの下の海面には、殷々とした定期的な動きの波紋が生じ続けている。
「……大きすぎる……私の『檻』……長くはもちません」
 青褪めた顔のメイが、言うなり半歩ほどよろめいた。羽澄と由代の目には、<メロウ>を閉じ込めている光の檻が、一瞬見えた。
「一足先に説得を試みていたのだがね」
 由代はふたりに言う。会話など交わしたことはなかったが、羽澄とメイが<メロウ>の説得を狙っていることがわかっていた。
「言葉は通じる。けれど、それを充分に理解できるだけの知能がないらしい」
「言葉……やっぱり」
「我々の言葉じゃない」
「?」
「天使言語。エノクが記した言葉だよ」
 qr:ug7 d@7jduew@ qr:ug7
(あなたを……殺したくないの。誰をさがしてるの……?)
 呼びかけているうちに、メイは気づいた。自分はまるで、小さな子供と面しているときのような気持ちになっている。
「この子……」
 メイは、由代と羽澄に向き直った。
「まだ、子供なんです」
「生死の概念を知る前の歳ということか。それなら……」
 くい、と由代は文字を描いた。人間同士で交わされたことのない、神聖な言語だ。
(お手伝いをしよう。きみのその身体は人探しをするには大きすぎる。小さな我々が、代わりに探し出そう)
 ン――――――ンンンン――――――…………。
 <メロウ>は、頭上を泳ぐ金の羆に気づいているのだろうか。お願い、わかって、と鈴を鳴らす羽澄の気持ちや、メイの祈りも、通じているのか。海に波紋を呼んでは、懸命に考え込んでいるようにも――見えた。
 ezd9i qr:. z;wezw
「あ……!」
 <メロウ>の振動の力は強まり、メイがしゃがみこんだ。羽澄がその細い身体を支えて、<メロウ>を見上げる。
『妙な真似だぜ、そりゃアよ!』
「あ、待って、黒贄さ……!」
 金の羆が牙を剥き、<メロウ>の頭部と思しき部位に組み付いた。
 smq@a
『!』
 しかし、羆の爪が脳天を貫く前に、<メロウ>は弾け、白銀いろの光になっていた。光は、海を望んでいた4人を、音もなく包み込んでいた。


■能ある地雷■

「ふうむ……厄介な地雷を踏んじゃったかもね……」
 彼女は、眼鏡を押し上げ、手にしていた高級チョコレートを口の中に放り込んだ。レンズに映っているのは、かれこれ36時間電源が入りっぱなしのディスプレイだ。その画面では先ほどから慌しく、『ALERT』の文字が明滅している。
 <メロウ>研究チーム……そのデータベースに進入し、感づかれてしまったのだ。<メロウ>で東京中の警備がおざなりになっているであろうことを、リンファは逆手にとってみたのだが。
 しかし彼女は、無理もない、と冷静に受け止めていたのだった。ハッキングをブロックされる直前に、リンファが見た文字は――『IO2』だったのだから。
 ――連中が関わってるようじゃ、先が思いやられるわ。これは慎重にいかないとね……。
 幸い(もちろん、彼女の経験と敏腕によるところが大きいが)すぐに逃げおおせることは出来た。チョコレートを飲み下して、リンファはちらりと、こちらもまたつきっぱなしのテレビを見る。
 <メロウ>――『キラーズ』が、東京湾上空で消滅したという報せが大々的に取り上げられていた。リンファが情報を探っている間に、騒動は終わっていたのである。
「あら、ちょうどよかった。もう外に出られるのね。……ほとぼりが冷めるまで、気分転換といきますか」
 灰色の暗いフロアから光が消える。リンファ・スタンリーは長い銀髪を編み直すと、灰色の根城を出た。
 向かう先は、草間興信所だった。IO2というある国際的機関が絡めば、必ずと言っていいほど、あの興信所も事件に関わる羽目になる。
 リンファ・スタンリーは知っているのだ。


「ほら、言っただろ。東京に来るかどうかなんてわからないって」
 何故か勝ち誇り、勝利の紫煙に酔いしれている草間武彦がいる。
 避難所から興信所に戻ってきた面々は、テレビを見守りながら、ほっと一息ついていた。
「羽澄ちゃんも同じこと考えてたみたい」
 携帯をたたみながら、シュラインは微笑した。
「<メロウ>の振動パターン、記録できたわ。例の博士がいる研究チームも調べてもらってるって」
「何かわかりそうです?」
 天衣もすっかり落ち着いたもので、男と一緒に非難前に買った缶コーヒーをちまちま飲んでいるところだった。
「今のところはまだ何とも……。……街も落ち着いてきたわね。天衣ちゃん、彼と一緒にちょっと出かけない?」
「いいですよ。どこ行くです?」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず……ってね。実際に会えばわかることもあるわ」
 シュラインは静かな笑みを、きょとんとしている男に向けたのだった。

<メロウ>対策本部前――報道陣に目を光らせる警備員の守りは異様に堅かったが、シュライン、天衣、草間零……そして名前も不明の男は、拍子抜けするほどあっさりと対策本部が設置されたビルの中に入ることを許された。シュラインの疑念は、深くなっていくばかりだ。
――最初の襲撃のときも、あんまりにも対応が早かった……。それに、私たちは顔パス……。何かあるわね。
一行とすれ違っていく男たちは、物珍しそうに――或いは胡散臭そうに、決まって一瞥を浴びせてきた。それでも、大きく反応する者はなかったし、記憶喪失になっている男を刺激するような物事もなかった。
男は、天衣が興信所のどこからか発掘してきたウィッグとサングラスと付け髭で、もはや原型もとどめぬほどの変装を遂げている。男はその風貌できょろきょろしていたが、少なくともひとつの部屋に入るまで、記憶の糸を手繰り寄せる術もなかったようだった。
そうだ、あのエディ・B・ディッキンソンに会うまでは。

 ン―――ンン――――――――ンンン――――……。

 エディ・Bは黒い瞳の白人男性で、白衣姿ではあったが、余裕のある態度でもって4人に接してきた。彼は<メロウ>研究チームの総責任者ではあるが、忙しいようで実は暇なのだと話した。データ収集やら計算やら仮説立てといった諸々の仕事は、自分がテレビに出ている間に部下が済ませてしまう、と軽口を飛ばした。
「<メロウ>……まだたくさん、いるですか?」
「何とも言えないよ。ほとんどの仮説が『アイアン・メイデン』の解剖待ちだな」
「『アイアン・メイデン』……小笠原諸島に出た<メロウ>の死体ですね。もう、東京に?」
「今日には届く予定だったんだが、『キラーズ』騒ぎがあったから、遅れているようだ」
「『キラーズ』……それを追ってきたとか、ないでしょうか」
「それも、何とも言えないんだ……まあ、可能性はある……」

 ン―――ンン――――――――ンンン――――……。

 シュラインとエディ・Bとのやり取りの間、天衣はちらと、男の顔色をうかがった。男は震え始めていた。草間零も、天衣にならって男の様子を見る――そしてふたりは、顔を見合わせた。天衣は、男の手を握る手にぎゅっと力を込める。
「……エディ……ディッキンソン……」
 しかし、よろり、と男が前に出た。
「答えてくれ……私を、知っているだろう……」
 それまでずっと黙っていただけに、男が急に歩み寄ってきて肩を掴んだので、エディ・Bはさすがに面食らったようだった。しかし、その顔を覗きこんだエディはすぐに息を呑んだのだ。
「驚いたな!」
 ウィッグとサングラスが外される。
「彼を、どこで?」
「えっと、草間さんちに転がりこんできたです。知ってるですか? お名前とか、住所とか、何にも覚えてないみたいなんです。でも、博士のことは、ちょっとだけ覚えてて」
「八合坂医院の副院長だ。八合坂薫くん……何日か前から行方不明になっているんだよ。捜索願も出されているはずだし、私も心配していた」
「八合坂医院……と言ったら、あの大きな病院ですよね?」
「ああ。研究チームの運営に手を貸してくれている。院長と私が、長い付き合いで……すぐに連絡を」
「やめてくれ!」
 あらわになった素性を拒否したわけでもないようだった。男ははっきり、エディを拒絶していた。エディ・Bを突き放した男は、よろよろとよろめき……あっ、と呻いて頭を押さえた。
 振動だ。
 先ほどから潜んでいたあの謎の振動が、今やはっきりとしたものになってきている。
 ン―――ンン――――――――ンンン――――……ン―――――――――――
「やめてくれェエ!」
 ――――ッッ!!
 そのときには、シュラインも耳を押さえて顔をしかめていた。振動は、天衣にも聞き取れるほど大きなものになっていた――だがその振動も、乱暴に開け放たれたドアの音にかき消された。
「博士! 『アイアン・メイデン』が到着です!」
 白衣の男に目をやってから、一同は顔を見合わせた。男は――八合坂薫は、倒れている。
「忙しいときに事件は続くものだ。1階に医務室があるから、彼を運んでおいてくれないか?」
「はいです!」
「『アイアン・メイデン』の死体は特殊なドックに収容する手筈になっている。ここが住所だ。死体を見たければいつでも来てくれてかまわない。私もしばらくは向こうに缶詰だろう……きみたちを通すようにしておくよ」
「……ありがとうございます」
「慌しくなってしまった。すまない」
 エディ・Bは別れ際に、八合坂薫を抱え上げて、その耳元で囁いていった。
 シュライン・エマが、聞き逃すはずもなかったのだ。
(きみは悪運が強いのだな)
 ン―――ンン――――――――ンンン――――……
 八合坂薫の身体が、ぴくっ、とわずかに跳ねた。


「エディ・B・ディッキンソン……イギリス生まれのアメリカ人よ。生物学と遺伝子工学の権威。ヒトゲノム計画にも参加していたわ」
 シュライン、天衣、零と男とは入れ違いに興信所にやって来たリンファ・スタンリー。
 彼女が短時間でかき集めた当たり障りのないプロフィールは、輝かしいものだった。草間も、資料に目を通しながら、「ふうん」と生返事をするより他はない。
「特に胡散臭い男ってわけじゃないな」
「そうかしら」
「ただの天才だ」
「能ある者は爪を隠すわ。零クンたち、博士に会いに行ったのよね。何ごともなければいいんだけど」
「……会わせちゃまずかったか?」
 くわえ煙草の草間に、リンファは答えず、ただ謎めいた笑みを浮かべただけだった。


■ともだち■

 黒贄慶太は、がくりと埠頭に膝をつく。
 彼の手に、もうするどい爪はない。
 息を弾ませながら、彼は、羽澄とメイと由代に語った。
「触れなかったぜ」
 彼は、ぎり、と唇を噛んだ。
「あのヤロウ……実体じゃ……なかった」
「え、でも……自衛隊の攻撃は効いたのよ?」
 言ってから、羽澄は息を呑んで、由代とメイの顔を見た。
「音に驚いて失神しただけなのかも!」
「死体は回収して、解剖すると自衛隊は言っていたね。非実体のものを回収できたかどうかは疑問だが……」
「……大変。……もう東京に……来てたりしたら……」
 ン―――ンン――――――――ンンン――――……
 smq@a smq@a m4 gw.9
 4人は、黙りこむ。
 確かにその疑問に答えた『声』は、ずっと近くから、囁き声のように――己の心の中から沸いて出てきたのである。




<続>

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1282/光月・羽澄/女/18/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【2839/城ヶ崎・由代/男/42/魔術師】
【3018/如月・メイ/女/20/大学生・退魔師】
【4580/リンファ・スタンリー/女/28/情報屋】
【4763/黒贄・慶太/男/23/トライバル描きの留年学生】

【NPC/エディ・B・ディッキンソン/男/38/科学者】
【NPC/?八合坂・薫?/男/20代/記憶喪失の男】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
               ライター通信
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 モロクっちが創り出す新たな異界、『創詞計画200X』の世界へようこそ!
 大変お待たせしました。第1回をお送りします。皆さんも風邪にはお気をつけ下さい(笑)。
 第1回は非常に慌しい内容となりました。情報量も多すぎで反省してます。小出しにするのが何か下手糞ですね……。
 東京編は相変わらずやることが多いのでご注意下さい。もしかすると、今後物語の動き方次第では、東京編×2の募集などあるかもしれません。
 それでは、最後までこのお話にお付き合いいただけると幸いです。