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雛人形と涙
興信所のドアを開けると零が書類やファイルの積み重なった机の上を一生懸命片付けていた。
「どうしたんだ、急に?」
その机が物置と化しているのは何も最近の話ではないし今まで誰一人とその山に取り掛かろうとはしなかったというのに突然気が向いたのかと思っていた草間だったが、零にはちゃんとした目的があったらしい。
それが判ったのは片付いた机の上に零が屏風や行灯を飾りだした辺りでようやくその目的に気が付いた。
「零、その雛人形どうしたんだ?」
見覚えのない雛人形に草間は訝しげな目を向けた。
「兄さんが出かけている間にお客さんが」
男雛と女雛だけのシンプルなお雛様だったが零はニコニコと微笑みながら眺めている。
「客?」
決して広いとは言いがたい興信所の中をぐるっと見回してみたが、客らしき人影は全くない。
「客って言うくらいなんだから何か依頼だったんだろう?で、その依頼者は帰ったのか?」
「こちらがお客様ですよ」
「……零、お客様っていうのはもしかして」
恐る恐る確認する草間に、
「はい、このお2人です」
と、零は邪気の欠片も見せないで頷いた。
その雛人形は数年前に廃校になった小学校にあった物だった。
彼らは最後の卒業生となったある少女に引き取られて幸せに過ごしていた。だが、その幸せは長くは続かなかった。
何年か押入れの奥にしまわれたままの日々が続き異変に気付いた彼らは調べた。
田舎で生まれ育った彼女は新しいところでの居場所を見失い、そして“居なくなった”と。
更に人形たちは知ってしまった。
彼女が居られなくなるほど追いつめた者たちがいると。
その真実を知り随身、仕丁、五人囃子、三人官女と次々と人形たちは姿を消した。
彼女を追いつめた者を探し出すため。
心優しかった彼女の敵をとるため。
一通り話を聞いた草間は深々とため息をついた。
「で、そいつらを止めろとそう言うことか?」
表情を変えず、澄ました表情のままの人形が小さく返事をする。
「お願いします」
ちらりと零の顔を窺いもう一度大きく息を吐いた。
■■■■■
「まぁ、というわけなんだが。他の連中がいなくなったのは1週間ほど前かららしい」
事の次第を草間が居合わせた面々に大まかに説明した。
「私でよかったらお手伝いします。といってもそのお人形さんたちを探すお手伝いとかくらいしか出来ないけど……」
と、凡河内絢音(おおしこうち・あやね)は控えめに手を上げた。
「また面妖な物に好かれて。さすがよねおっさん」
依頼の内容を聞くなり村上涼(むらかみ・りょう)にそう言われて草間は脱力しきったような顔をした。
そんな草間の表情を見て、涼の服の裾を引っ張った石和夏菜(いさわ・かな)は、
「涼おねえ様、一応もう少し遠回しに言ってあげた方が良いと思うの」
と涼に言ったが、
「いいのよ、夏菜。みんな心の中では思ってるけど言わないだけの事実を言ってるだけなんだから。正面切っていってあげるのが親切ってものよ」
果たして涼の言う心の中で思っている事実というのが『面妖な物に好かれる』ということをさすのかそれとも『草間=おっさん』をさすのかどちらかといえば――両方だろう。
「おっさんの不幸はこの際どうでもいいわ」
取りあえずお約束のひと騒動に一区切り着いた所で、
「居なくなったという表現はそのまま捕らえて良いものか?」
話しが本題に戻ったのを見計らって真名神慶悟(まながみ・けいご)がようやく口を挟んできた。
「別の場所に移っただけか、それとも本当にこの世から居なくなったのか」
この世から居なくなったという慶悟の言葉に誰もが多かれ少なかれ表情を曇らせる。
「家出等でなく亡くなったっていう事?」
シュライン・エマは小さくため息をついた。
「もしそうだとしたら、何だか…切ない話しね、武彦さん」
シュライン・エマ(しゅらいん・えま)に問いかけられて草間は黙って頷く。
ここにいる誰一人として子の親になった事があるわけではないが、それでも同情して余りある状況ではあるだろう。それがもし事実だとしたらだが。
一同、束の間しんみりしていたのだが、
「そんな予想でしんみりしてる場合じゃないのよ!」
と、涼が応接テーブルをバンと勢いよく叩く。
「夏菜思うんだけどお雛様達にどの位時間間隔があるのかな。何年もって言うのも結構曖昧なの。後いなくなった理由も問題なの。女の子ならもしかしたら進学とか結婚とかだってあるし」
「嫁いで居なくなったのであれば円満なんだが」
うんうんと夏菜は頷く。
「とにかく!問題はその人形たちの訴えよね。居なくなったっていうのは曖昧すぎるし」
涼は零が片付けた机の前に立って、
「えーと私人形と会話する能力も趣味もないんだけどどうなの?」
「大丈夫ですよ。普通に話しかけたら答えてくれますから」
と、零がにっこりと笑う。
「じゃあいいわ。キミ達の持ち主は死んだの?」
「……」
人形は返事どころかぴくりとも動かない。
「返事しないね、涼おねえ様」
夏菜が不思議そうに首を傾げる。
「生きてるの、それとも判らないの?」
更に涼がそう尋ねるとようやく、
「わたくし達には判らないのです。ただ出て行った者達が残していったのです。『彼女は居なくなった』のだと―――」
と女雛が答えた。
どうやら先に出て行った臣下達はその辺りの情報については主君に伝えることなく出て行ったようだ。
「手を汚すのは自分達でいい……といったところか」
それはある意味臣下の立場としては正しいといえば正しいのかもしれない。
「とにかく詳細がわからないうちは動きようがないものね」
「ねぇ、君達…って人形に君達って言うのもなんなんだけどまぁこの際それはいいわ――君達、その女の子の名前とその廃校になった学校の名前くらいはわかるんでしょ」
こくりと人形達は頷いた。
栄春香(さかえ・はるか)それが居なくなった少女の名前だった。
■■■■■
廃校になった学校は窓ガラスの枠まで木製の見事な木造校舎だった。
人形の答えを元に涼と夏菜は春香を知る当時の学校関係者に話を聞きに来た帰りだった。
歴史を感じさせるその校舎を見ながら涼と夏菜は先ほどの話しを思い出してただ校舎を眺める。
「まさか、あの春香ちゃんがあんな事になるなんて」
長年この小学校に勤務し、廃校と同時に定年退職したという女性に栄春香について聞いた時、彼女はそう言ってハンカチで目頭を押さえた。
「本当に素直で、優しい子なんですよ」
下の学年の子を自分の弟や妹のように可愛がり慕われていたのだと言う。
「そんな春香ちゃんがイジメにあうなんて……」
やはり春香はイジメにあっていたのだ。
「春香ちゃんの親御さんから電話で相談されていたんです。春香ちゃんが中学校に馴染めなくて不登校になってしまったんだって」
春香は親には何も言っていなかったらしいが、親が一人娘の変化に気が付かないはずがない。最初は小さな学校から急に大きな学校に移ったせいで緊張しているだけだろうと思っていたのだが、原因はそれだけではないのではないかと思った頃にはもう学校に行こうとすると嘔吐するようになってしまっていたのだと。
「それである日お母さんが部屋に入ったら春香ちゃんが倒れていたそうです。カッターナイフを握り締めて」
春香の腕には何度もリストカットしたらしき痕が残っていた。
「ああいう話しって聞くだけでもムカムカするわ。集団イジメしたハンパ者どもは当然晒し者にしてやるべきね!それに見て見ぬ振りした連中も同罪よ全員衆人環視の中で土下座させた上で警察送りにしてやるに限るわ」
と涼は吐き捨てるように言い放つ。
自分とそう歳のかわらない女の子が、何度も自分の手首を自らの手で傷つけたという。少女の気持ちを思うと話しを聞いただけにも係わらず心が痛くなり、夏菜は言葉が出ないようだ。
「まぁ、一命を取りとめたって言うのが不幸中の幸いよね」
こくりと、夏菜は頷く。
そう、春香は死んではいなかった。一命は取り留めていたのだ。
ただ、目を覚ました彼女は抜け殻のようになってしまった。瞳は何も映そうとしていないのか虚ろで、ピクリとも動かず何も話さず。命の代わりに春香は感情を殺してしまったのだと、彼女の恩師はそう言っていた。
*****
「どうでしたか? シュラインさん」
学校を出てきたシュラインはきっちり止めていたシャツの第一ボタンを外し、伊達眼鏡も外す。
「さすがに口が堅いわね。まぁ、イジメについての質問とかリストカットという風潮について質問した時はさすがに顔色が変わっていたけどね」
コネクションを駆使し現代教育を考えるというテーマで執筆をしているルポライターと名乗り数名の教師に探りを入れたのだが、当然春香のことに関してもイジメのことに関しても聞きだすことは出来なかった。
「絢音ちゃんの方はどう? 何か収穫はあった?」
涼と夏菜から春香の通っていた中学校を聞くなり興信所を飛び出して人形を探しに行こうとした絢音を引き止めたシュラインは、自分が教師に当たっている間に生徒たちから何とか話しを聞き出してみて欲しいと頼んでいたのだ。
「生徒の中で噂にはなっていましたね。春香さんの名前を知らなくても、イジメにあっていてリストカットしたなんてセンセーショナルですから……ただ、ちょっと引っかかることを言っていた子がいたんですよねぇ」
「イジメってゆーかぁ、無視されてたみたいよクラス全員に」
「クラス全員!?」
絢音が驚いた声をあげるとその反応に気をよくしたのか、女の子は更に続けた。
「んー、率先してた子がいたんだって話しだけどぉ」
最初は言葉の訛りをからかっているだけだったが、ノリが悪いだとか暗いとか言い掛かりに近いことを言われ敬遠されはじめた。
率先していた生徒の1人はクラスの中でも中心的な女の子で反感も買っていたが取り巻きが多かったので他の生徒は係わり合いになるのを避けたかったのだと。
「そいつ教師にも贔屓されてたからねぇ」
「教師に贔屓ね……」
もう少しそのイジメの中心だった生徒を調べてみる必要がありそうね……と、シュラインは呟いた。
*****
「栄春香。15歳。都立N中学校3年生。現在長期入院中のため休学中――ってことになっているみたいね、表向きは」
表向きはという言葉を強調したシュラインがテーブルの上に置いた現時点での報告書をざっと読んでいた草間の眉根に徐々に皺が寄る。
「で、その長期入院中て言うのは?」
「……手首を切って病院に運ばれてそのままらしいわ」
いじめから不登校になり、引きこもり。
そしてリストカットを繰り返しついには病院に運ばれるような事態になり現在は東京からはなれた場所で療養中だという。
「最初はやっぱり言葉の違いとかが原因だったみたいですよ」
女の子の住んでいた町で、その子の友人関係を聞いて回った絢音が言うには学校側は否定していたがやはりいじめの事実はあったようだ。
多感な年頃に急激に周囲の環境が変化するだけでも大変だというのに、自然の中でのびのびと裏表のない子供らしい子供として育った春香にとって新しい学校、新しい人間関係はそれまでの生活とのギャップがありすぎたのも1つの要因ではあるのかもしれない。
「最初は田舎育ちをバカにしてちょっとからかう位だったみたい」
些細な言葉の訛りなどをからかっていたのが徐々にエスカレートしていき……そして気が付けば春香はすっかりクラスの中で孤立してしまっていたという。
主にいじめに加わっていたグループが4人。
クラスメイトどころか担任の教師までもが係わり合いになりたくないのか見て見ぬふりをしていたため、春香が完全に不登校になってしまった頃にはクラス全員から口を聞いてもらえないような状態だったらしい。
「同じクラスの生徒が見て見ぬふりと言うのはわかるが、教師までってのは」
疑問を投げかける慶悟に、
「よくある話よ。いじめグループの1人が地元の有力者の孫娘なの」
とシュラインは怒りを通り越して呆れたような口調でそう答えた。
親ならぬ祖父の七光りを最悪な形で利用しているというわけだ。
「人間関係程人の世に於いて難しいものは無い。生きる上で決して外す事が出来ない柵だからな。その柵を乗り越えるにはあまりにも障害がありすぎたということか」
慶悟はそう呟くと煙草を銜える。
不意に草間が珍しく憎まれ口を叩くわけでもなく黙っている涼に向かって、
「納得いかないって顔だな?」
と揶揄した。
「多分、その連中は1人の人間を自分達が“壊した”っていう自覚も後悔もないわけでしょ。それなら別にほったらかしといてもいい気がするけど? 因果応報って言うし」
涼は冷たいようだが、ある意味では全員が心の奥で思っていたことを素直に口に出した。復讐鬼が人だろうが人形だろうが、自分達が行った事が悪い事だと思っていない連中をかばう価値はあるのかと。
一瞬事務所の中が沈黙に包まれた。
誰もがその加害者達に少なからず怒りを抱いていたからだ。
人形達が言って居た“居なくなった”という言葉の意味。
“居なくなった”のは昔の優しく朗らかな春香。
真実は“居なくなった”のではなく“居る”ということが春香にとっては苦痛でしかなくなったから。
教室に居ても彼女は無視というある種の暴力で“居ないモノ”として扱われたのだ。“居ないモノ”という扱いはやがて春香の中で自分自身の存在は“居る必要のないモノ”へと変わってしまったのだ。
『居ても居なくても私の居場所はあそこにはない。それならいっそ、消えてしまいたい』
シュラインは名簿と日記を男雛と女雛に頼んで春香の部屋から持ち出してきてもらったのだが、日記の最後にそう殴り書きされていた。
見ず知らずの自分達ですら不当に自らを消さざるを得ない状況に少女を追い込んだ者達に対しての怒りが浮かぶのだ。
彼女を大切に思っていた人形達がこれを見たのだとしたら……
「個人的には復讐は否定も肯定もする気はない。感情は理屈で捻じ伏せられるものではないからな」
だが――と、慶悟は一端言葉を切って銜えていた煙草を灰皿に押し付け、
「止めてくれと願う者がある以上、俺は依頼として敢えて止めよう」
と組んでいた長い足を解きやおら椅子から立ち上がった。
「そうね。例え恨む相手でもきっとお雛様達の様に大切に思ってる人居るでしょうし、何かがあれば今のお雛様方と同じ思いを抱く人が出来てしまうものね……」
シュラインが呟く。
そして、一瞬、間を置いて、
「涼おねえ様、夏菜もね大切なものを不当に奪われるなんて絶対許せないと思うの。でも、春香ちゃんは生きてるんだよね。生きてるなら仕返しより大事なコトがあるの。それを他のお雛様たちに伝えてあげたいって思うの」
と夏菜がそう言った。
「……止めろっていわれてもね、説得するくらいしか私には手段はないわよ」
不承不承というポーズで涼も立ち上がる。
復讐を止めるのは加害者達を守る為ではない。
全て傷ついた少女の為だと、そう思うことが依頼を遂行するための活力へと変化した。
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復讐を考えているなら当然原因となった生徒の周囲に現れるはずである。
ただ、イジメの主犯格の4人は勿論この場合学校で彼女を助ける立場にあった教師や係わり合いになりたくないといって主犯グループ同様彼女の存在を無視しつづけたクラスメート達も含めるとすれば、探す範囲は広がっていってしまう。
主犯格の少女たちの自宅近くにはシュラインと絢音がそれぞれすでに向かっていた。
「あとはやっぱり学校の中よね、潜んでいる可能性が高いのは」
それは涼とてわかっていたが、最近は色々と物騒な事件が多すぎるため中学校に明らかに部外者が入ることは難しいように思えた。
「動く雛人形など早々居るものではないからな」
そう言って慶悟は中学校の校下を広域の結界で覆うとその内に式神を放った。
式神にはそれぞれ動きを捕縛する為の禁呪を施してある札を持たせてある。
いざという時はとりあえずその場で雛人形の動きを封じてその後回収に行く段取りだ。
「こういう時は人海戦術に限る」
と、慶悟はにやりと笑ってみせた。
*****
最初住宅街にある少女の自宅周辺に行った絢音だったが中途半端な時間帯ということもありあまり人の姿はなかった。そこで絢音は進路を変更して、団地に住んでいる少女の自宅を探してみることにした。
絢音の読みはあたったようで、団地内には幼い子供や母親達がそれぞれ遊びや話に興じている姿が多く見られる。
「あの、すみません。この近くで雛人形見かけませんでしたか?」
しかし、一組の親子を捕まえてそう聞いたところ逆に母親が訝しげな目で絢音を見る。
「犬が雛人形を咥えて逃げていったのを追いかけてたんですけど」
シュラインに教えられた言い訳を続けた。すると少し警戒心を解いたような顔で母親は首を横に振った。
「そうですか……ありがとうございました」
深々と礼をして絢音は次々と声をかけていった。
何人もに声をかけては振られを繰り返し、この辺りにはいないのかと絢音が半ばあきらめかけたその時だった。
何かにスカートを引っ張られて振り向くと、5歳くらいの女の子が立っている。
「おねぇちゃん、あたしおひなさまのおにんぎょうさんみたよ」
「え? どこで?」
絢音は慌てて女の子と目を合わせるようにしゃがみこんだ。
「あのね、あっちのこうえんでぼーるをさがしてたときにきのしたにおにんぎょうさんが3つかくれてたよ」
「ありがとう!」
絢音はそう言って女の子の頭を何度か撫でて、公園に向かって走り出した。
*****
地元の有力者というだけあって主犯格のリーダーである少女の家は広い庭のある大きな家だった。
シュラインはその家の庭先でポケットから手のひらサイズのICレコーダーを取り出した。
そしてゆっくりと再生のボタンを押す。
するとそこからピアノ伴奏とともに歌声が流れる。
その歌は廃校へ行った涼と夏菜に頼んでコピーを取ってきてもらった廃校の校歌だ。
もしこの家の中に潜んでいるのならこれを聞けば必ず反応があるはずだ。
シュラインは人ではない足音や小物の擦れる音がしないか目を閉じ意識を集中させて耳を澄ませる。
暫くまっていると、カツン、カツンという小さな音が徐々に自分の――正確には流れる歌の元に近付いて来たのに気が付いた。
そして、ぴたりとその音が止まった。
そっと目を開ける。
玄関先の茂みが小さく揺れていた。
「そこに居るのね」
シュラインが語りかけると茂みのゆれがぴたりと止まる。
「あなた達、栄春香さんの雛人形でしょう?」
そう続けると今度はガサガサと少し大きく揺れた。
茂みをそっと両手で掻き分けるとそこに弓矢を手にした2体の随身と呼ばれる人形が隠れていた。
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外はちょうど夕暮れと夜の間の黄昏時。
薄暗い教室には席に座り1人だけ残っていた少女に足音もなく小さな影が忍び寄った。
その影は5つ。
あと少しで椅子に座る少女の元にその影が接触しようとしたその時だった。
「そこまでなの」
と、少女が立ち上がった。
教室の出入り口が急に閉まり薄暗かった教室の電気がいっきに灯る。
振り返った夏菜の足元には五人囃子と呼ばれる人形が並んでいる。
五人囃子はとっさに動こうとしたがいつの間にか四方を慶悟の小さな陣笠を被った式神に囲まれて身動きを封じられてしまった。
黒板前の教壇の影から慶悟、涼が現れ教室の出入り口からシュラインと絢音が今日室内に入ってきた。
シュラインと絢音の両腕には男雛、女雛、三人官女、随身、仕丁と、五人囃子以外の雛人形が揃っていた。
「ねぇ、もうやめましょう」
シュラインが5体の人形に語りかけた。
「犯した罪には罰が与えられるべきだが殺める必要はない。雛人形は大人しく壇にあって人の世の末を見守るが善しだ。手出しは無用だろう」
そう言うと慶悟は式を戻す。
だが、自由になったはずの五人囃子は足掻くのを止めたようで、目だけを動かして腕に抱かれている同志達を見ている。
「君達のやりたい事は判るわよ。でも、大事にしてたあんた達が復習に走って血塗れになったらあの子が戻ってきた時に悲しむんじゃない?」
「春香ちゃんは生きてるの。だから春香ちゃんを追いつめた人たちを恨むよりも居なくなった春香ちゃんが戻って来た時に悲しい顔をさせるんじゃなくて笑顔を浮かべられるようにしなきゃなの」
ね?――と夏菜は膝を折り両手を差し伸べる。
「帰ろう春香ちゃんのところに」
そう言った夏菜の2つの手のひらに人形がコロンと転がるように倒れこんだ。
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「春香、ほら、桃の花が咲いているわよ」
反応を示さない娘に、春香の母は話しかけながら病室のカーテンを大きく開いた。
「今日はね、いい物を持って来たのよ」
そう言って彼女は大きな箱を開いてベッドの上のテーブルに全部で15体の人形を並べる。
「もうすぐ雛祭りでしょ?だから春香が大好きだった雛人形を持って来たのよ。さすがに屏風や行灯は持ってこなかったんだけど」
しかし、やはり春香は相変わらずだ。
医者は体の問題ではなく心の問題だから、時間をかければきっと――と言っていたがこんな娘の様子を見ていると医者のそんな言葉すら単なる気休めなのではないかと悲観的な考えが浮かぶ。
その時だった、ゆっくりと春香の腕が動きテーブルの上の女雛と男雛を自分の胸元へと抱え込んだ。
「春香――?」
恐る恐る娘の名前を呼ぶと、春香の瞳からゆっくりと涙が零れ落ち頬を伝いぽとりと落ちる。
その涙は春香が抱きしめた人形の頬を伝い、シーツに小さな染みを落とした。
数日後再び草間興信所を訪れた絢音はその後の雛人形と春香の話を聞いた。
「結局その後、どうしたんでしょうね」
「あぁ、女の子の母親が彼女の病院に人形を持って行ったらしい」
草間は病院を覗いてきたという涼と夏菜から伝え聞いた話しを絢音に教えていた。
「徐々に回復方向には向かってるみたいよ」
とのシュラインの台詞に、絢音は、
「よかった」
と胸を撫で下ろし、それじゃあと明るい笑顔で出て行った。
その後姿を見送ったシュラインが、
「そういえば、あの後妙な話を聞いたんだけど」
と言うと、
「妙な話?」
ソファに座って話しを聞いていた慶悟は目だけを上げてシュラインの顔を見る。
「例の主犯格のグループの女の子がね謝りに行ったらしいのよ」
何かしたんでしょうと言う目を向けられて慶悟はしれっとした顔をして、
「犯した罪には罰が与えられるべきだと言っただろう。少し夢を見せただけだ妄夢を促す符を施してな」
と白状した。
苦しみは良心の呵責を促す。
「それでも所詮夢。彼女の味わった苦しみに比べればかわいいものだろう」
とそういった慶悟に、
「そうね」
とシュラインが頷いた。
草間と慶悟の煙草の煙の充満した部屋の空気を換気するために窓を開けた零が、
「見て下さい、ほら」
と指差す先にあったの近くの民家の庭に咲く桃の花だった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22歳 / 学生】
【0389 / 真名神・慶悟 / 男 / 20歳 / 陰陽師】
【3852 / 凡河内・絢音 / 女 / 17歳 / 高校生】
【0921 / 石和・夏菜 / 女 / 17歳 / 高校生】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、遠野藍子です。
すみませんすみませんすみません。のっけからなんですが、納品大変遅くなりまして本当に申し訳ありませんでした。
えぇと、今回重いです。
OPで“居なくなった”と強調したのは昔の彼女が居なくなったとそういうことに留めてあります。自殺によって死亡とすることは簡単なのですがそれだと原因が原因だけにあまりにも救いがないかなと。
次の依頼はこの反動がどどーんと来そうな感じです。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。
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