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『そうじゃ、山菜狩りに行こう』
箱の中に並んでいるのは、こんもりと丸い大福たち。
柔らかそうな餅は、色粉でほんのりとピンク色に染められている。それは、中身が小豆餡だけではないということを示していて、あやかし荘の近所の和菓子屋が春に出す、季節限定の品だった。
「おお! イチゴ大福ぢゃ!」
菓子箱を開け、歓声を上げたのは、座敷童子の嬉璃(きり)。
「ふっふっふ。今年の初物じゃ。美味そうじゃろう?」
朱塗りの盆の前に正座して、いそいそと茶の用意をしながら幸せそうに含み笑っているのは、本郷・源(ほんごう・みなと)。
あやかし荘は今、新緑に囲まれている。その、うららかな日差しの射す縁側に腰掛けて、和服の童女二人がお茶を楽しむ姿は、まるで一幅の絵のようであった。
「……良い季節ぢゃのう」
とろりと濁った抹茶入り緑茶を啜って、ほう、と嬉璃が吐息をつく。
「うむ。あとは、桜はまだか、と言ったところじゃな」
イチゴ大福を頬張りながら、源が頷いた。
日の光はぽかぽかと暖かいが、山から降りてくる風はまだ冷たい。常人ならざる嗅覚を持つ源の鼻も、まだその風に花の香を嗅ぎ取ることはできなかった。
その代わり、別の、瑞々しい匂いがする。
最後の一口を飲み込み、お茶を一口啜ってから、源は呟いた。
「これは……若葉の匂いじゃ」
そう、蕾はまだほころばずとも、木の芽や草はいたるところで芽吹いている。
現に、裏山を見上げれば明るい緑色がきらきらと光っていた。源の瞳が、それを映しているかのように輝き始める。
「そうじゃ、山菜狩りに行こう!」
「む? さんさい?」
突然振られて、二個目の大福を黒文字で割っている最中だった嬉璃が手を止める。
「そんなオヤジ狩りのような無体なことができるか」
「何のことじゃ?」
よくわからない答えを返されて、源が怪訝げに眉を寄せると、
「三歳狩りぢゃろ?」
と、嬉璃は真顔で言った。
「幼児を狩ってどうするのじゃ。さんさい違いじゃ! わしが言うておるのは山菜! わらびとか、たらの芽とか、山うどとか! の、ことじゃ!」
拳を握って力説する源に、嬉璃は渋い顔で唸っている。
「そんなもの、今時スーパーでも売っておるぢゃろうが」
イチゴ大福を刺した黒文字を、嬉璃はぱくんと口に入れた。どうやら、彼女はあまり気が進まないらしい。半年前の思い出が、脳裏を過ったせいだ。
「何を言う! 山に生えておるのを採るのが良いのではないか!」
源はもう乗り気も乗り気で、きりきりとたすきをかけると、あっという間に物置から山菜用の籠だの、摘み取り用の鋏だのを出してきてしまった。
「この籠を、二人でいっぱいにするのじゃ!」
山菜狩りの頭数に、きっちり、嬉璃も組み込まれている。
「……嫌な予感がするのぢゃ。嬉璃は、あの松茸狩りのことを、忘れてはおらんぞ……」
呟いた嬉璃の声など、もう源の耳には届かない。
「善は急ぐが吉なのじゃ。夕食でも春の味覚を堪能するのじゃ!」
がっし、と源は嬉璃の襟首を掴んだ。
「待つのぢゃ! あと一口……ああー!」
「帰ってからゆっくり食べればよかろう」
皿に残った大福の片割れに未練を残して引きずられてゆく、嬉璃の悲痛な声が長く尾を引いた。
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そして数十分後。
源と嬉璃は、走っていた。
「わしらは何をしに来たんぢゃったかの」
「山菜を採りにじゃな」
霊山、と言われても納得できそうな、あやかし荘の裏山の中を、二人は落ち葉を蹴散らし、下生えを踏み分け、切り株を飛び越えながら、猛スピードで走っていた。
「……わしらは今、何をしとるのかのぅっ」
「走っとるのぅ」
何やら、デジャヴを感じる会話に、嬉璃は眩暈を覚えた。切迫した状況の中、源はどこか余裕げだ。
「何が、走っとるのう、ぢゃ! おんし、やはり、簡単には採れぬことを知っておったぢゃろう!?」
嬉璃が叫んだが、源はというと、涼しい顔である。
「この山は山菜狩りの穴場での。ただまあ、大層採りにくいのじゃ」
「そういうことは、さっさと言っておくものぢゃぞ!」
「言うたら、嬉璃は来んかったじゃろ?」
「当たり前ぢゃ!!」
言い合いながら、二人は、追われている。ものすごい勢いで、追われている。
獣道にもなっていない未開の山中を、全速力で走るという彼女らの芸当も人外のものだが、そこはそれ、追って来るものもまた、人外であった。
そう。……こんなものが山に居ると、聞いてさえいれば、もっと死ぬ気で源に抵抗していた。
ちらりと振り向き、嬉璃は背後に追っ手を見る。
白い枝を振り乱し、葉を撒き散らしながら、根を脚のように使って駆けて来る、それが。
口のように見える幹の洞から、ウドー、と、唸り声を上げた。
秋に出会った、赤松のあやかしの例もある。
植物があやかしに変化することは、嬉璃の常識の範囲内であった。しかし。
「何故、あんな大きなウドがあるのぢゃ!?」
ウドの大木、という言葉もあり、育てば2mほどにもなるが、ウドはけして木ではなく、草である。冬を越せず枯れるのが常だ。
しかし、源たちを追うウドは、ゆうに4mはあった。幹も、大人の太腿ほどの太さがあるようだ。
「あれはのぅ、ウド母さんじゃ!」
「ウド母さん!?」
「聞いた話じゃが、それは数年前のことじゃ。我が子が春に芽吹くのを見ようとて、根性で冬を越したウドの木があった。そして、さらに根性で、あやかしにまでなりおおせた。それが、あのウド母さんなのじゃ!!」
一気に言って、源の息が少々乱れた。
ウドー。唸り声が、背中に迫ってくる。
源が背中に背負った籠には、ウド母さんに出会う前に二人で採った、いくらかの山菜が入っている。たらの芽に、蕗のとう。もちろん、と言おうか、ウドの若芽も摘んであった。
「も、もしや、ウド母さんは、孫子を奪ったとて、嬉璃たちを怒っておるのか!?」
目を丸くした嬉璃に、源は頭を振った。
「いや。わしらは、わしらが食べる分だけ、頂いた。乱獲をせん者を、ウド母さんは怒りはせぬ。ただ、最近、物の怪が出るという噂のせいか山に入る者が減って、ウド母さんもヒマなのじゃ。よって、春の味覚を楽しもうとする者は、ウド母さんの試練を乗り越えねばならんのじゃ!」
「……要するに、嬉璃たちは、単なる暇つぶしで追われておるということなのぢゃな」
げんなりと言った嬉璃に、そういうことじゃ、と源が親指を立てて見せる。
「じゃから、その内ウド母さんは飽きて、わしらを帰して……」
くれる、まで、源は言い切れなかった。
何故なら、横合いの茂みから飛び出してきた大きな獣の影と、派手に衝突したからだ。
「源!」
嬉璃が声を上げた。
吹き飛ばされて倒れた源には、一瞬何が起こったかわからない。
「な……何事じゃ!?」
落ち葉まみれになりながら立ち上がり、源は目を瞬いた。
ブフン。源の頬に、ヒクヒク動く三角形の鼻が、生暖かい息を噴く。
「ぎゃあっ!」
源は飛び上がった。
そこに居たのは、猪だった。体高が源とそう変わらないくらいもあり、子牛くらいの大きさはゆうにある。
そんなものとぶつかって無事であったのは、源が並外れて丈夫な体と、咄嗟に受身を取れる反射神経の持ち主であったからに他ならない。普通であれば、下手をしたら命がなかったところだ。
しばらくの間、猪は源をかぎまわっていたが、ややあって、プイと鼻をそらした。彼(彼女?)の興味は、源の背中から外れて地面に転がり落ちた、背負い籠のほうに移ったのだ。
籠からは、中に入っていた山菜が飛び出している。
「ああっ」
猪はフゴフゴと山菜に鼻を寄せ。
「ああああっ!!」
源は悲鳴を上げて駆け寄ったが、遅かった。
苦心して掘った、蕗のとうが。丁寧に摘んだ、たらの芽が。柔らかそうなところを、じっくりと吟味したウドが。
全てが次々に、猪の口の中に消えてゆく。
「こ、こら! それはわしらが採ったのじゃ! 横取りはずるいのじゃー!!」
源が必死に押し退けようとしても、猪は平気な顔だ。終いには、籠の中に鼻面を突っ込んで、底にのこっていたわらびも全て平らげた。
そして、呆然とする源を残し、猪は去っていった。
「そ、そんな……!」
ウドー……。
一部始終を見守っていたウド母さんが、そっと、源の背中を枝で撫でた。
嬉璃が、源の肩に手を置く。
「ほれ、アレぢゃ。また、来ればよいのぢゃ。な? 今宵の夕餉は残念であったが……」
慰めは、源の耳には入っていない。
「全部、盗られてしもうた……。たらの芽のてんぷら……ウドのクルミ和え……」
夜の食卓に並ぶ筈であった、春らしい料理の数々に思いを馳せ、源は肩を落とした。
「わしは、山菜を狩りにきたのに……」
全部、ぱあ。
震える拳を、源は振り上げる。
「これでは六歳狩りなのじゃぁ!」
悲しい叫びが、春の山に響いた。
+++++++++++++++++++++++++++++++END.
こんにちは。お世話になっております、担当させていただきました、階アトリです。
続編ということで、前作から一部セリフをお借りしております。
お楽しみいただけましたら、幸いなのですが……。
(発注文章にて、コメントありがとうございました。ここでお知らせしてはいけないのかもしれませんが、ノミネートは必ず受けさせて頂くことにしています。締め切り日数を少しだけ調整しますので、お待ちいただけましたら幸いです)
では、失礼します。楽しいネタをありがとうございました。
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