コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


 『嬉し恥ずかし誕生日なのじゃ!』


 二〇〇五年、三月三日。
 あやかし荘の一室、『薔薇の間』。
 そこで、ひたすらお茶を啜る音が響いていた。
 そして沈黙。
 再びお茶を啜る音。
「……のう、嬉璃殿」
「ん?何ぢゃ?」
 本郷源の上げた声に、嬉璃が目を瞬かせた。
「今日は三月三日じゃな」
「そうぢゃな」
 またもや沈黙。
 そこで、源は頬を膨らませ、ちゃぶ台を勢いよく叩くと、大声を上げた。
「『そうぢゃな』ではないのじゃ!三月三日といえば、わしの誕生日なのじゃ!……なのに何故、お茶と煎餅しかないのじゃ!誕生日はもっとゴージャスに祝うものなのじゃ!」
「そのようなことを言われてものう……」
 激昂している源をそっちのけで、嬉璃の視線は昼のワイドショーの合間にやっているテレビショッピングに釘付けになっている。
「嬉璃殿!聞いておるのか!」
「このコーナーが終わったらきちんと聞くのぢゃ」
 そう言われ、源は口を尖らせながらも、ひとまずは引き下がった。やがて、テレビショッピングのコーナーが終わると、嬉璃はリモコンのスイッチを操作してテレビを消し、源に向き直る。
「で?源は何が望みなのぢゃ?お主の実家は金持ちであろう?幾らでもゴージャスな誕生日は迎えられたであろうに」
「わしは、嬉璃殿と、まったり誕生日を祝いたかったのじゃ」
「それならもう、叶えられておるではないか」
 正論を突きつけられ、源は一瞬押し黙るが、めげずにまた口を開く。
「だから、もっと『誕生日おめでとう!』というような祝福の言葉とか、『ハッピーバースデー源♪』とか歌ってケーキにロウソクを立てて吹き消して……など、色々あるじゃろう」
「源、誕生日おめでとうなのぢゃ」
 さらりと言った嬉璃の言葉に、源の視線は冷たい。
「……ハッピーバースデー、ディーア源♪」
 その視線に耐え切れず、嬉璃は仕方ない、というようにおざなりな口調で歌を歌う。そして、ちゃぶ台の上の菓子皿に入っていた煎餅を差し出した。源は、まだ不機嫌そうではあったが、それを受け取ると、齧り始める。
「この煎餅は中々美味なのじゃ」
 もともとサバサバした性格の所為か、彼女はとりあえず満足し、煎餅を味わいながら、またお茶を啜った。
 嬉璃はその様子に、安堵の溜め息をつく。
「ところで、嬉璃殿に聞きたいことがあるのじゃが」
「何ぢゃ?言うてみい」
「今日はわしの誕生日じゃな?」
「だからそうであろう」
 そこで、源は指折り数えながら、小首を傾げる。
「ひい、ふう、みい……わしはもう三年以上小学一年をやっている気がするのじゃが、何でじゃ?」
 その質問に、嬉璃が明らかにうろたえた素振りを見せた。
「そ、そういえば見なければならぬテレビショッピングがあったのぢゃ」
「今の時間帯はどこもやっていないのじゃ。それより、何でなのじゃ?」
 訴えかけてくるつぶらな瞳が痛い。嬉璃は咳払いをひとつすると、座布団の上に座り直し、源に向かって穏やかに言った。
「いいか、源。世の中には大人の事情というものがあってぢゃな……」
「わしを子供扱いするでない!そんな言葉では騙されんのじゃ!……さあ、さっさと白状するのじゃ!」
 顔をぐっと近づけてくる源の視線をまともに受けることが出来ず、嬉璃は目を逸らしたままぼそりと呟く。
「それは……まぁ、お約束というか何というか……」
「『お約束』って何じゃ?どういうことじゃ?」
「し、仕方あるまい、システムがそうなっ……げふっ」
 一息つこうとして、口に運んだお茶に嬉璃は咳き込み、吹き出したお茶が源の着物を汚してしまう。
「うわ!嬉璃殿、汚いのじゃ!」
「す、すまぬ……と、とにかくぢゃ、世の中には知らない方が幸せに暮らせるということもあるのぢゃ。そこの辺りを汲むのも、立派な大人というものなのぢゃ」
 源としては、あまりにも納得がいかない答えだったのだが、『子ども扱いするな』と言ってしまった以上、ここは引き下がるしかない。
「それよりも、三月三日といえば、ひな祭りなのぢゃ!」
 その場の空気に居たたまれなくなった嬉璃は、唐突に話題を変える。だが、そこは子供の無邪気さというべきか、源も話題に食いついてきた。
「そういえば、そうなのじゃ!……しまった、実家から雛壇を持ってくればよかったのう……」
「それは心配無用。確かどこかにあったのぢゃ。ちょっと探してくるから待っておれ」
 何とか場を乗り切った嬉璃は、源に聞こえないように溜め息をつくと、文字通り姿を消した。



 待つこと十数分。
「見つけてきたぞ」
 空気から生まれ出るかのように、嬉璃がまた姿を現す。その手には、小さな桐箱が抱えられていた。
「何じゃ、随分小さいのう」
「文句を言うでない。これは由緒ある雛飾りなのぢゃぞ」
 そう言われると、期待も湧くというものだ。源は目を輝かせながら、嬉璃から箱を受け取ると、結んである紐を解いた。
 中から出てきたのは、和紙で作られた立ち雛。相当古いものなのか、所々変色している。
 しかし。
「……って、お雛さましかおらぬではないか!お内裏さまがおらんと、雛人形ではないのじゃ!」
 源の言った通り、男雛があるはずの場所には何もなく、女雛しかいない。
 それを見て、嬉璃が首を傾げる。
「おかしいのう……三十年ほど前に出したときには、男雛もあったはずなのじゃが……」
 三十年も放っておいたのか、という突っ込みは、がっかりしている源からは入らなかった。
「まあ、そんなに落ち込むでない。もしかしたら、他にもあったかもしれん。また探して――」
 その時。
 幽かにすすり泣く声が、二人の耳に届いた。
 二人は、周囲を見回し声の主を探す。
 やがて、源の視線が一点へと向けられた。
「――お雛さまが、泣いておるのじゃ」
 源の言った通り、確かに、泣き声は女雛から聞こえてきていた。
「お雛さま、どうしたのじゃ?」
 源は、優しい声音で女雛に訊ねる。彼女は以前退魔師をしていたという経歴もある上、座敷わらしである嬉璃と普段から平然と付き合っているのだから、こういう状況にも慣れている。
『愛しいお方が……』
 女雛がか細い声で言う。『愛しいお方』というのは、恐らく男雛のことだろう。二人は、女雛の言葉に真摯に耳を傾ける。
『愛しいお方が……他の女のところへ……』

 一瞬の沈黙。

「……つまり、浮気ぢゃな」
 沈黙を破って口を開いたのは、嬉璃。源はというと、肩をわなわなと震わせている。そして、拳を握り締め、叫んだ。
「ゆ……許すまじお内裏さま!お内裏さまとお雛さまは、二人並んですまし顔してるものじゃというのに!」
「まぁ、霊界にも色恋沙汰はあるということぢゃな」
「嬉璃殿!そんな悠長なことを言っている場合ではないのじゃ!何とかして、お内裏さまを連れ戻して、二人並んですまし顔にさせるのじゃ!」
『……無駄です』
 その二人のやり取りを遮ったのは、女雛だった。
『愛しいお方は、五段重ねの豪華雛壇の女に一目惚れし、そちらへと行ってしまわれました……そして、その雛壇は火事で消失し、揃って昇天を……』
「そちらにも、男雛はあったであろう?それはどうなったのぢゃ?」
 無粋ともいえる嬉璃の問いに、女雛は相変わらず泣きながら答える。
『あちらにも殿方はいらっしゃったようですが、三人仲良く……』
「それは……いや、何でもないのぢゃ」
 流石に源の前では言い憚られるようなことだったので、嬉璃は言いかけた言葉を飲み込む。
「決めたのじゃ!」
 そこで突然、黙っていた源が声を上げた。
「どうしたのぢゃ?源」
 嬉璃の言葉に、源は力強く頷く。
「新しいお内裏さまを、作るのじゃ!」



「嬉璃殿、これでは材料が足りないと思うのじゃ。もっと集めて来ておくれ」
「やれやれ……源は座敷わらし使いが荒いのう……」
 文句を言いながらも、材料集めに奔走する嬉璃。
 やがて、必要と思われる材料は全て整った。
 そして、作業が開始される。
「ここを、こうして……」
「あ、切り過ぎたのぢゃ」
「嬉璃殿、やり直しじゃ」
 試行錯誤の結果。
 ようやく、男雛の形らしきものが出来てきた。
「お雛さま、どうじゃ?」
 源が見せた男雛に、女雛は申し訳なさそうに答える。
『愛しいお方は、もう少し線が細いです』
「ううむ……やり直しか……」
 その後、何度も作り直しをしたのだが、女雛は段々大胆になり、あれやこれやと注文をつけてくるようになった。
『愛しいお方は、もっと上品なお顔をしておられます』
「やり直しじゃ!」
『愛しいお方は、もっと華やかなお召し物を好まれます』
「ああ!文句が多いのう!面倒なのぢゃ!」
「嬉璃殿、諦めては駄目なのじゃ!ここが根性の見せどころなのじゃ!」
 二人とも、決して手先が不器用なわけではないのだが、そもそも紙で出来ているシンプルなものとはいえ、雛人形を作ったのはプロの職人である。希望通りのものが作れるはずはない。
 だが、苦労の末、ようやく女雛も納得するようなものが出来た。
『本当にありがとうございます。少々不細工……いえ、とても素敵なお方です』
「良かったのじゃ!」
「わしはもう、雛人形は見とうないぞ……」
 女雛の言葉に、源は元気な笑顔を見せ、対する嬉璃は、うんざりした表情で呟く。
『お二人とも、本当にありがとうございました。これは、わたくしからのお礼です』
 晴れやかな声で、女雛がそう言った瞬間。
 桜色の光が部屋の中を包み込んだ。
 そして、それが収まると――
 ちゃぶ台の上には、いつの間にか、色とりどりの料理が所狭しと並んでいた。
「うわぁ!豪華なのじゃ!」
「旨そうぢゃのう!」
 疲れもどこかへと吹き飛び、喜びを顕にする二人。
「では、改めて、源の誕生祝いでもするか!」
「嬉しいのじゃ!」


 こうして、ささやかなお茶会は、彩り鮮やかな誕生パーティーへと変わる。
 その様子を、雛人形たちが、静かに見守っていた。