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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


食人鬼


 アトラス編集部はその日もいつもと変わらず慌しく動いていた。
三下はいつも通りに原稿の納期にヒィヒィ言って頭を抱えているし、その三下を叱り飛ばす碇編集長もいつも通り、眉根にしわを寄せている。
唯一いつも通りではない光景といえば、編集部の隅、来客用にと置かれた簡易的なテーブル席にいる男の姿。厳密にいえば、テーブルに並べられたケーキの数々だろうか。
 碇は三下の頭を軽く小突きながらヒールのかかとを鳴らし、カツリとテーブル席で足を止める。
「あなたの作るケーキはいつも美味しそうね、田辺さん」
 ソファーに腰掛けているスーツの男に目を落とし、碇は小さく笑みを浮かべた。
スーツの男は碇に視線をあてると、アゴヒゲを片手で撫でつつニヤリと笑う。
「俺は天才だからな」
 碇は笑いながら男の向かい側に腰を下ろし、テーブルの上の数々のケーキの中から、モンブランを一つ手に取った。
 それはイタリア栗を使って作ったんだ、などというウンチクを始めた田辺を見据えてから、碇はふと田辺の後ろに目を向ける。
「椛司さん、いらっしゃい」
 微笑む碇の視線を追うように田辺が振り向くと、そこには凛とした空気をまとった女が一人、立っていた。
「お邪魔してます、碇さん。近くを通りかかったので、ご挨拶だけでもと思い、伺いました」
 無駄な動きのない動作で頭を下げるその女は、花東沖椛司。
椛司は碇に挨拶をしてから田辺を見やり、やはり丁寧に会釈を一つ。
それからテーブルの上のケーキに視線を向けて、一瞬呆けたような顔をした。
「このケーキは……」
「んぁあ、これは俺の手作りよ」
 誇らしげに胸を張る田辺の顔を横切って、ニュッと華奢な腕が伸びる。
「おいおい、人の説明を聞いてから――」
 田辺は訝しげに椛司を見やったが、腕の主は椛司ではなかった。
「ああ、この無駄な油分と糖分といったら! いくらでも入っちゃうのが不思議よね!」
 聞こえてきた少女の声に、田辺は咄嗟に振り向いて、自分の横を確かめる。
そこにはいつの間に現れたのか、ゴスロリ服に身を包んだ少女が座っていた。
どうやら少女の口には既にケーキがおさまっているようで、その上で両手に花とばかり、ケーキを取っている。
「なかなか美味いケーキだわ。ところであたしは客なんだけれど、お茶の一つも出てこないのかしら」
 口におさめていたケーキを飲みこむと、少女はそう言って辺りを見まわした。
不運にも、少女と目が合ってしまった三下が、のろのろと立ちあがって給湯室へと向かう。
「ウラさん、いつもながら神出鬼没ね。いつからそこにいたの?」
 碇が首を傾げて笑い、椛司を手招いて自分の隣に座らせる。
「あたしがいつここに来たかですって? そんなの愚問だわ。あたしは美味しそうなお菓子と事件があれば、どこにでも顔を出すんだから」
 ウラ・フレンツヒェンは悪びれもせずにそう返し、華やかな笑みを浮かべた。
「……まあいいわ。こちらは田辺さん。時々うちに情報を流してくれるのよ」
 ウラと椛司の顔を交互に見つめ、碇は田辺に二人を紹介した。
田辺はアゴヒゲを軽く撫でつつ軽く頭を下げて、すぐまたソファーにふんぞり返る。
「それで、田辺さん。今日はどんなお話かしら? あなたのお話はいつもとても興味深いわ」
「ああ、そうだな、本題に入ろうか」
 碇に促され、田辺はふんぞり返っていた身を前のめりにさせて口を開けた。
「俺の姉貴は奪衣婆だっていう話はしてあったと思うけど」
 田辺の言葉に碇が頷く。
「三途の川で亡者の衣類を剥ぎ取って、樹上の懸衣翁に渡すという老女の鬼。……あなた自身は人間だというけれど、身内がこの世の者ではないなんてね。いつ聞いても興味深い話だわ」
「奪衣婆ですか」
 椛司が呟く。田辺が頷き、自作のケーキに手を伸ばした、その時。
「あ、あのぅ、編集長、お客様です」
 三下がおどおどと視線を泳がせつつ、テーブルの横に立った。
「お客様ですって? 誰?」
 碇が顔を持ち上げる。
挙動不審気味になっている三下を押しのけて顔を覗かせたのは、スーツ姿の女。
女はメガネのふちに指をあてがいながら口を開けた。
「ギリシア神話におけるステュクスのカローンに酷似しているとされる存在ね」
 綾和泉汐耶はそう告げつつ碇を見やり、小さく笑んで頭をさげた。
「そちらの皆さんとは初めてでしょうか。綾和泉と申します、以後お見知りおきを」
 笑みつつテーブルに目を落とす。
多彩なケーキは、田辺が持ってきた数よりだいぶ減ってはいたが、それでもまだ多く残っている。
 汐耶はそのケーキに目を見張ったが、そのすぐ後には、田辺の隣でひたすらにケーキを食している少女に目をあて、その食欲にさらに目を見張った。
「ところで面白そうなお話ですね。私もご一緒していいかしら」
 一同がそれぞれに頷いたのを確かめて、汐耶もソファーに腰を落ちつかせる。
田辺は周りを埋めた女性陣の顔を順に眺めて満足そうに微笑むと、再び話をし始めた。
「俺の姉貴から入ってきた話なんだが、どうも、黄泉から鬼が一人、逃げたらしい」



 ざわめく雑踏の中を歩いていた威伏神羅は、流れてきた気配を背に感じ、ふと足を止めて振り向いた。

 大きな交差点がそこにある。
信号が変わるのを待っていた人間達が、そぞろに歩き、道を渡る。
――――今、確かに。
 神羅はついと頬を緩めて持ち上げると、踵を返し、今来た道を再び渡った。
 彼女が渡りきるのと同時に赤へと変わった信号を背に、神羅は視線をついとビル群に向ける。
徒歩で行けば数十分ほどは要する距離にあるそれらを眺め、神羅はふと首を傾げた。
――――もっともそれは、常人であればこその時間。私のこの身であれば、さほどに時を要とはしない。
 片手にある三味線を握り直し、ツカリとアスファルトを鳴らす。
 
――――この気は我等が同胞のもの。しかし同胞であっても、思念までも同じくするわけではない。万が一、我等がこの世に在りにくくするような輩であるならば、
「確かめねばならぬのぅ」
 呟くその口許が、薄い笑みを浮かべている。



「鬼、ですか」
 椛司が一人ごちた。
その言葉に小さな笑いをこぼしたのはウラである。
ウラはクヒッヒヒと笑ってみせると、くるくると踊るように円を描いた。
「鬼よ、鬼! 素敵だわ、見物だわ!」
「ウラさん、電車の中だから、静かにしていてちょうだいね」
 汐耶がたしなめるような視線をウラに向ける。
しかしウラは汐耶の言葉に耳を傾ける様子もなく、どこか浮ついたような足取りでそわそわしている。
「あの、見物っていうと……」
 椛司が困ったように笑みを浮かべ、ウラに話しかけると、ウラはようやく足を止めてにんまりと笑みを作った。
「奪衣婆におしおきされる鬼よ。日本風でうっとりする光景に違いないわ! 楽しみ!」
 クヒッヒヒと笑うウラに、汐耶と椛司が苦笑いを浮かべて互いの顔を見合わせる。
「――――それはそうとして、あと少しで現地に着くことですし。田辺さんから伺ってきた情報を、もう一度整理しましょう」
 汐耶は眼鏡の銀フレームを指で押し上げた。

 鬼が黄泉から逃げたとされるのは、こちらの時間でほぼ一ヶ月間ほど前。
黄泉の奥深くに居たとされるその鬼は、知能こそ高くはないが、大きな特長として、人を食らうという点がある。
人を食らった後にはその人間になりすまし、また新たな獲物を虎視眈々と狙うのだという。

「鬼の体格は、少女程度の細身で、わりと小柄。……これは意外な点よね。私のイメージだと、大柄な男性という体格を想像してしまうけど」
 手にしている手帳にしたためたメモ書きを確認しつつ、汐耶が小さな嘆息を一つつくと、
「同感です。でも田辺さんから伺った情報から連想するに、可変でなければという前提の元にですが、鬼は少女か、あるいは華奢な少年になりすましているという可能性が大ですよね」
 椛司が頷きながらそう返した。
汐耶は言葉を返すことなく頷き、引き続きメモ書きに目を落とす。

 平均して、鬼は2〜3日に一度食事をとるという。
この値を信じるならば、鬼は少なくとももう十人ほどは食している、という事になるだろうか。

「食べるたびに姿を変えているのだとすれば厄介だけれど」
 汐耶はもう一度嘆息し、手帳をカバンにしまいこんだ。
「あら、でも、そうころころと器を変えるっていうのも、面倒じゃないかしら。ホラ、ただでさえ通常の食事をしなくなるんだから、その上急激に性格が変われば、周りからヘンに思われちゃうし」
 くるくると回っていたウラが、足を止めて首を傾げる。
「……それもそうね」
「――――ともかく、現場に行って調べてみるのが先決だと思います。もう到着しますし」
 椛司が姿勢を伸ばして口を挟んだ。

 やがて電車は賑やかな繁華街を抱く、とある駅へと滑りこんだ。




 繁華街を少し抜けた場所に、いくつかのビル群が立っている。
それらは怪しげな店舗やら事務所やらを抱えたビルもあれば、ほぼ無人に近い状態のビルもあった。

 神羅はその内の一つを前にして足を止め、赤く輝く目をゆるりと細め、笑みを浮かべた。
  
 漂う腐臭。――これはまぎれもなく、人の臓物の匂い。
もちろん、常なる人間の鼻では嗅ぎ取ることなど出来ないだろうが。
「そういえば、人間どもの臓物から離れ、どれほどになろうか」
 呟き、笑う。
笑いながらビルの正面口、そのすぐ脇にある錆びた螺旋怪談へと足をかけた。
「――――?」
 階段の一段目に足を乗せたところで、神羅はふいに人の気配を感じ、振り向いた。
 そこには見慣れない三人の女の姿があった。




「あの、このビルはテナントなどは入っていないんでしょうか」
 
 いくつかのビルを確かめつつ歩いてきた三人は、ふと足を止め、目の前にいる神羅にそう訊ねる。
 礼儀正しく訊ねる椛司に、神羅が小さく首を傾けた。
「……私もたった今ここに来たばかりでのぅ。……しかし、見るに、ここにあるのはこのスナックばかりであるようだが」
 答えつつ、後ろ手に小さな扉を示してみせる。
 そこには一軒の小さなスナックの看板があり、扉には”クローズ”の文字がぶら下がっていた。
「……ええと、スナック……」
 神羅の返事に頷きながら、椛司は手にしている紙をぱらぱらとめくる。
それはアトラス編集部で調べてもらった資料であり、この一ヶ月間で立て続けに行方不明者を出している地区を記したものだ。
「確かこの辺りで、若い女性や中年男性なんかの行方不明が続いていたはずね」
 汐耶がそう話しかけると、椛司は「そうです」と頷いて辺りを確かめた。
「……行方不明者?」
 階段から足をおろし、神羅が三人に歩み寄る。
「そうよ。もしかしたらこの辺に鬼が隠れているかもしれないの。かくれんぼよ、かくれんぼ! 隠れているのは鬼のほうだけれどもね。クヒ!」
 ウラが引きつった笑い声を洩らした。
そのウラに一瞥すると、神羅はその赤い眼をやんわりと細め、小首を傾げて微笑する。
「私は霊感が強いばかりでなんの役にも立てぬと思うが、……出来ればそのかくれんぼに同行させていただきたい。なかなかに愉悦な遊戯であるようだし」
「そういえば、あなた……お名前を存じませんから、無礼を失礼します。あなたはなぜこの場所へいらしたんです?」
 椛司が訊ねると、神羅はゆっくりと頷いた。
「私は威伏神羅。こちらこそ、名乗らずにいた無礼を失礼した。仕事場がちょうどこの近くであったのだが、奇妙な気配を感じ、引き寄せられるようにここに参ったしだい」
「あぁ、なるほど」
 汐耶が小さな笑みを浮かべる。
「その手にしているそれ、三味線ですよね。間近に見るのは初めてです」
「日本の文化ね! 渋いわ! 素敵だわ!」
 はしゃぎ、神羅の三味線に手を伸べたウラだったが、その動きは椛司によって制された。
「……どなたかが見えるようです」
 ささやくようにそう述べて、椛司は先ほど神羅が昇ろうとしていた螺旋階段の上部に目を向けた。
その動きに連動されるように、ウラと汐耶が視線を持ち上げる。
神羅は手にしている三味線を持ち替えて、振り向くこともせずに小さな微笑みを浮かべた。

 カツン
 階段の鉄が高い音を響かせる。
現れたのは、きっちりと化粧を施した、三十代後半と見える女だった。

「……あら、あンた達、うちの店に用かしら」
 女は気だるそうにあくびをしつつ、店の扉の前に集っている四人に目を向ける。
「いえ、お店に用事というわけでは」
 汐耶が半歩ほど足を踏み出した。
と、女が突然顔を輝かせ、早足で駆け寄って、汐耶の腕を両手で捉える。
 面食らっている汐耶の顔を眺め、それから順に椛司と神羅の顔を確かめる。
「ああ、あンた達、うちの店で働きたいンだね? ネ、そうだろう? あァ、助かるよ! ここンとこ立て続けに女の子達が行方不明になっちゃってさァ」
 寝起きなのだろうか。まだ少し腫れの残る目を瞬きさせながら、女はひどく機嫌良さそうに笑った。
 不服を口にしたのはウラだ。
ウラは、女が自分にだけ視線を配らなかったのが不満だったらしく、憮然とした表情で腰に両手をあてがった。
「誤解しないでちょうだい。あたし達はこの辺で行方不明が続いてるっていうから、その調査に来ただけよ。おまえ、何か知っているなら、それを隠さず言うがいいわ」
 胸を反らせて女を見やる。
女はウラの言葉を聞くと、みるみる内に表情を暗くして、確かめるような目を三人に向けた。
三人共が女の言葉を否定するような態度を見せているのに気付くと、女は大きな嘆息をつきつつ、店の扉の鍵を開けた。
「アタシが知ってるコトっていったら、女の子達が皆急に辞めてっちゃったってコトくらいなもんさ。常連だった上客も、何人かぱったり来なくなっちゃってさ」
 女が扉を開くと、中からはむうとした空気が流れ出てきた。
「行方不明になったっていうのは、このお店に関わる方ばかりなんですか?」
 椛司が問う。
女は足拭きマットを確認しながら振り向き、頷いた。
「余所のトコではどうか知らないが、アタシが知る限りじゃ、アタシんトコの女の子や客ばっかりさ」
 そう言って、女は再び大きなため息をこぼした。



 女はそう答えると、扉を閉めようとする手をふと止めて、目線だけを後ろに向けて口を開けた。
「……それはそうと、あンた達、さっき調査に来てるって言ってたね。……なンか事件でも関わっているのかい?」
 
 女の眼孔が、ほんの一瞬、鈍い輝きを放った。
 神羅の口が薄く歪む。
 ウラは横目に神羅の表情を確かめて、それからゆっくりと笑った。

「この辺に人食い鬼が出るみたいなの。おまえの肉は脂ばかりでマズそうだけれど、一応気をつけておくことね」




「囮ですって?」
 汐耶が目を丸くさせてウラを見つめた。
ウラは悠然と微笑すると、自信ありげに頷いた。
「あの女が鬼よ」
 言い放たれたその言葉に、椛司が眉根を寄せる。
「……どうしてそう思うんですか?」
 踊るような足取りでくるりと振り向き、ウラは歌うような口調で答えた。
「勘よ!」
「……」
 ウラの隣で、神羅が目を細ませる。
椛司は二人の顔を確かめてから、ふむと頷いて言葉を続けた。
「……正直言うと、私もさっきの女性が鬼ではないかと思います」
「あら、椛司さんも?」
 微笑する汐耶に視線をあてて、椛司はさらに言葉を継げた。
「田辺さんからお話を伺っていた時から想定していたのですが、鬼はあまり人ごみではない、暗がりを好むのではないかと」
「あら、でもここは都心よ? 365日24時間、喧騒に包まれている街だわ」
「だからこそ、です。だからこそ、暗がりが生まれる。光がさせば闇が生まれるように、死角はどうにでも出来るものだろうと。だからこそ、鬼はこの街を狩場と決めたのではないかな、と思ったんです」
 椛司の言葉に汐耶が首を縦に動かした。
「――――同意見だわ」
「誰が死のうが行方知れずになろうが他人に無関心なこの街は、食すも化けるも適しているからな」
 口を挟んだ神羅を、椛司と汐耶がそれぞれに同意を見せた。
「とにかく、真相を知ったかもしれないあたし達を放っておくはずもないわ。かといって、四人が一緒にいたら鬼も行動しづらいだろうし、」
 そこまで言うと、ウラは心底楽しそうな笑い声を洩らし、両手で口許を隠して小刻みに震える。
その震えが恐怖からくるものではないことなど、三人には既に明確だ。
「この中で一番弱そうなあたしが囮になるわ。クヒッヒヒ! かくれんぼの次は鬼ごっこね。しかも相手は本物の鬼! クヒッヒヒッ!」




 その後ウラは寄ってみたい服屋があるからといって三人と別れ、楽しげにスキップなど踏みながら、一人路地裏を歩き出した。
 人通りの多い通りまでは、小さな通りをいくつか過ぎていかなくてはならない。
ましてや繁華街の外れとも言えるこの辺りは、角がやたらに多く在る。
夜ともなれば客の姿も見えるだろうが、まだ夕方にもさしかかっていない時間帯であれば、滅多に人足など寄りつくこともない。
 ウラは通りを歩きながら、時折ちらちらと周りに気を配った。
果たしてどこから鬼が踊り出てくるのか。
野良猫が歩くペタペタという足音にも振り向き、その姿を確かめる。
そしてその度に、残念そうに肩を落とすのだ。




「――――ウラさん、お一人で大丈夫でしょうか」
 椛司が小さく呟いた。
「鬼が姿を見せたら、私の力で捕えるから、大丈夫よ」
 汐耶が青い瞳をすうと細める。
「私には、対象の動きを封じる能力があるから」
「――――そうですか。じゃあ私は綾和泉のバックアップを努めます」
 椛司はそう述べて、ふと、神羅がいないことに気付いた。
「神羅さんは……?」
 振り向き、今さっきまで神羅の姿があったはずの場所に目を向ける。
しかしそこにはやはり神羅の姿など見当たらない。
 椛司が眉根を寄せた、その時。
「椛司さん、あそこ!」
 汐耶が椛司の肩を揺さぶり、ウラの斜め上あたりに指を向けた。

 電信柱の上に、女が一人、立っている。
否、女のようなモノ、というほうが正しいかもしれない。
ともかくそれは大きく長い犬歯を(それは既に牙といった方がいいのかもしれない)口の両端から突き出させた、髑髏のような面立ちをしたモノだ。

「あれが、」




 ヒュ

 空気を切り裂くような音を、耳の端が捉えた。
 ウラは音がした方に目を向けて、今まさに自分をめがけて跳ね降りてくるそれに視線をあてた。
ヒラリと身をかわせば、それは重々しい音を響かせて、アスファルトを大きく破壊する。

「やっぱり、おまえが鬼だったのね」
 ウラの口に薄っすらとした微笑が浮かぶ。

 現れたのは、やはりあの店のあの女であった。
ただしその姿はさっきよりも大きく崩れ、腐ってズリ落ちている皮膚は赤くただれ、その下のほの白い骨をのぞかせている。
「ヒィ、ヒィ、ヒ! よくもアタシを見破ったね!」
 鬼が引きつった笑いをこぼすたびに、その口周りの肉が削げ落ちていく。
「そんなの、当然だわ。おまえ、臭いんだもの」
 大袈裟に鼻をつまんでみせるウラの態度に、鬼はさらに引きつった笑いをこぼした。
「初めに食ったのは男だった。し、しかし男はどうにもいけない。朝から夕、光の下を働かねばならぬとは、ヒィ、ヒィ、ヒ、アタシには耐えられない生活だったさ」
「ふぅん」
 ウラは関心なさげにそう返し、最近新しく買ったばかりの髪飾りをいじって遊ぶ。
その態度に腹を立てたのか、鬼が突然奇声を発した。
「この皮は具合が良かった。夜から動く生活。しかも放っておいても、餌がほいほいやってくる! ああ、具合が良かったともさ!」
「ふぅん」
「ヒィ、ヒ! けどこの皮ももう終わりだ。次は、小娘、あ、あンたの皮を借りるとするよ」
 
 哄笑を唸らせて、鬼は高く跳ねあがった。
その爪先が、両手を腰にあてがったまま自分を見つめているウラの腹をめがけて振り下ろされる。
 それがウラの腹を切り裂こうとした刹那、一閃して走った雷光が、鬼の指先を貫く。
哄笑はしばし止み、鬼は再び跳ねあがって、電柱の上へと舞い戻る。
下を見れば、満面に笑みを浮かべたウラが鬼の姿を見上げている。
「今のは指を鳴らした程度よ。次はどうする? ステップを踏もうかしら。それとも覚えたてのダンスでも披露しようかしら? ああ、どれも素敵!」
 クヒッヒヒと笑うウラに、鬼は憎々しげな一瞥を向けた。
しかしその視線はすぐにウラの横へと向けられる。
――――さっき別れたはずの女達が、しかも二人も、今ここに揃っている。

 自分を見上げているウラと、汐耶の顔を交互に見やる。
椛司はどこからか取り出した一振りの刀を手に、すらりと背筋を伸ばしていた。

「ヒィ、ヒィ、ヒ! あンた達はどれも美味そうだ。どぅれ、時を計らって順に飲み下してやろう。あンた達のどの皮を手にしたか分からない、疑念と不安に心を乱すがいいよ!」
 ヒ、ヒ。
笑いながら立ち去ろうと振り向いた鬼だったが、しかし次の瞬間には、凍りついたようにその場に留まった。
 振り向いたそこにいたのは、まぎれもなく、もう一人の女――――神羅だったのだ。
「……此方、彼岸より参ったという割に、案外と年若いのじゃな。まぁもっとも、それゆえの暴走なのだろうが。……身のほど知らずは若さゆえの罪じゃのう」
 神羅の唇がそう言葉を成す。
鬼はその声音におののき、わずかに退いて、バランスを崩した。
不様にも電柱から転げ落ちた鬼ではあったが、しかしすぐに体勢を整え、宙を蹴って再び上へと跳ねあがる。
「あンた、あンた、アタシと同胞だったのか。なれば私の食欲も理解出来るだろ? アタシはあンたに比べて随分と若い。まだまだ精をつけねばならんのさ」
 鬼はそう述べてニヤリと笑い、廃ビルの屋上に足を止めた。
「み、見逃しておくれよ。あンた達にはもう手を出さないからさ」
 口を横に開いてそう告げる。
しかし神羅は首を傾げ、答えた。
「鬼が全て人を食らうなどという認識が広まっては、我等も住み難くなる。此方のような輩をのさばらせては、我等も迷惑をこうむるのじゃよ」
 答え、笑う。
 穏やかとは言えないその笑い声が、風の音と重なり、広がっていく。

 鬼はその言葉に顔色を変え、大きく跳び跳ねて、その場を立ち去ろうとした。
――――だがそれはかなわなかった。
 その足は目に映らない何かによって繋がれ、この場を離れることが出来なくなっていたのだ。
奇声を発して下を見やれば、汐耶が片手をゆらりと揺らしながら鬼を見上げている。
「捕縛、完了」
 汐耶の口がそう動き、ゆっくりと微笑した。



「ええと、田辺さんの言い分だと、鬼は捕縛後、川の傍の木に結びつける……とのことだけど」
 汐耶は改めて取り出した手帳を広げ、メガネのフレームに指をかけた。
「いよいよね! いよいよ奪衣婆におしおきされる鬼が見られるのね! 素敵だわ!」
 ウラが両手で口許を隠しながら、クヒヒと笑っている。
「奪衣婆……河の傍に居るという存在だから、指定場所も川なのでしょうか」
 椛司は小さく返し、うーんと唸った。
「だとしたら、黄泉の河とこちらの河川は繋がっていたりするのかもしれませんね」
「あたし知ってるわ。盆に泳ぐと足を引っ張られて連れていかれるのよ」
 ウラが答える。
「海や河川は彼岸に通じているとも言うけど、案外本当の事かもしれないわね。……さぁ、これも一応川だと思うけど」
 三人を先導するように歩いていた汐耶が、繁華街から移動した、とある場所にある川の前で足を止めた。

 近くに水門を拝むことが出来るその場所は、時折犬を連れた散歩の人影が見えるだけで、もうあまり人通りもなくなっていた。
時計を見れば、針はもう六時を回っている。
辺りは薄闇に包まれ、川から吹く風が容赦なく冷やしていく。

「木……木はなんでもいいのかしら」
 呟きながら木を物色し始めた汐耶に、神羅が声をかける。
「特に指定がなかったのであれば、なんでもいいということでありましょう。ともかく場を繋げてしまいさえすれば、どのような川であれ木であれ、さほど問題はないであろうし」
「そうですね。時間を重ね、鬼を逃がしてしまっては事ですから、今は一刻も早く鬼を引き渡すことが先決だろうと考えます」
 椛司はそう述べて、ふわりと穏やかな笑みを浮かべた。

 鬼は時折、隙をみてはどうにか逃げ出そうと画策しているのだ。
しかしその度にその目論みはあえなく消え失せる。
――――鬼の首元には、椛司が手にしている一振りの刃が、じわりと押し当てられているのだ。

 程なく、鬼は、川岸の一番近くにあった木に縛り付けられた。
もちろん、普通の縄ならば、たやすく解き逃げることも可能だっただろうが、鬼を戒めているのは汐耶が施した封である。
すっかり観念したのか、鬼は大きくうなだれ、ぐったりと風に吹かれている。
……と、吹いていた風が突然強さを増した。
ゴウゴウと大きな音を立てて吹きぬける風は、徐々に大きな門戸を描く。
見えないはずの門戸は、しかししっかりとその輪郭をあらわにし、やがてものものしい音を響かせて押し開けられた。

 中に広がったのは一面の闇。
一条の光さえ発しないその中に、鬼は怒声とも奇声とも、あるいは哄笑ともとれる声をとどろかせ、吸いこまれていく。
そしてその声さえもが闇の中に消え失せると、風はしだいに強さを緩め、消えた。




 アトラス編集部に戻った頃には、時計は既に八時を回ろうとしていた。
「もう、田辺さんは帰ってしまったかしら」
 通い慣れたビルの中、汐耶は先頭をきって歩いていく。
その後ろを椛司が少し早足になってついて行く。
「まさか当日中に解決するなんて、思っていらっしゃらないかもしれないですしね」
 椛司の言葉に汐耶はふと振り向いて頷いた。

 編集部の中は昼と変わらず忙しそうに動いている。
 中に入り、足を止めて接客用のソファーに目をやると、そこには三下を相手にケーキの講釈をたれている田辺の姿があった。
「ってなわけで、スポンジは小麦粉の違いで出来も違ってくるわけよ。わかるか?」
「わ、分かりましたよぉ。もう何回もお聞きしましたぁ」
 三下は押し迫っている原稿の締め切りに焦りを隠さずにいるが、田辺は三下のそんな事情などお構いなしにアゴヒゲを撫でる。
「わかってねぇって。おまえ、俺の作ったケーキをいくつか食って比べてみろ? 全然違うっつって涙するぜ」
「いいい、今涙してますぅぅぅぅぅ」
 
 碇は自分の席で足を組み、三下と田辺のやり取りを眺めていたが、ふと入り口に目線をずらし、片手をあげた。
「あら、早かったのね。もう解決してきたの?」
 その声に気付き、田辺も視線を持ち上げる。
「――――ん? 早かったな」
 ゆっくりと立ちあがる田辺から、三下がこっそりと遠ざかっていった。
「あ、ああ! ケーキが一つも残っていないなじゃいの!」
「皆で食っちまったからな」
 いつのまにか傍に来ていたウラに目を向けて、田辺が首を傾げる。
「信じられないわ。一仕事終えた後の一服が楽しみだったのに!」
「ウラさん、一服っていうのは通常タバコの事を言うのでは」
 椛司がウラの言葉にそう返し、それから田辺に向かって丁寧に頭をさげた。
「ただいま戻りました、田辺さん」
「……ではさっそく報告に移ります」
 汐耶が眼鏡のフレームに指をかけた。

「……ふぅん、なるほど。じゃあ黄泉っていう場所を覗き見たりはしていないのね?」
 汐耶がまとめた報告を聞き終えると、碇はどこか残念そうに肩をおとす。
「新しい特集記事でも組めるかと思ったのだけれどね」
 残念、と呟いてため息をつく碇だったが、ふと、四人目の女――神羅の存在に気がついた。
「あら、そちらは初めてお会いする顔ね。どこかで合流でもしたの?」
「威伏神羅と申す」
 小さな笑みを口許に浮かべ、神羅は目線だけで会釈をする。
にこやかに会釈を返す碇を確かめてから、神羅はついと田辺に目を向けた。
「……ときに、田辺とやら、洋菓子職人だそうだが」
「神業に達した職人、だ」
「和菓子も手掛けているだろうか?」
「はぁ?」
 思わず素っ頓狂な声を発した田辺を横目に、、椛司が神羅の問いに同意を見せた。
「洋菓子も和菓子も美味しいですからね。どうなんですか、田辺さん」
「いや、和菓子は」
「和菓子! 無駄に甘いあの味! あたしも食べたいわ、田辺!」
「いや、だから和菓子はちょっと」
 女三人に囲まれ、少し口ごもっている田辺に、汐耶がとどめの言葉を告げる。
「ちょうどお花見の時期も近いことだし、和菓子を囲んでお茶の席をもうけるのも悪くないわ。見目美しいものでお願いね」
「あぁああ――――! わかった、わかったよ! コノヤロ、美味すぎて気絶しても知らねぇぞ」

 コートを引っつかんで歩き出した田辺の後を、四人の女がついていく。
「素敵、素敵! お菓子が食べ放題なのね! クヒッヒヒ!」
 一番後ろを行くウラが、口許を押さえて笑った。

    



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1449 / 綾和泉・汐耶 / 女性 / 23 / 都立図書館司書】
【3427 / ウラ・フレンツヒェン / 女性 / 14 / 魔術師見習にして助手】
【4790 / 威伏・神羅 / 女性 / 623 / 流しの演奏家】
【4816 / 花東沖・椛司 / 女性 / 27 / フリーター兼不思議系請負人】



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■         ライター通信          ■
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お待たせしました。「食人鬼」、お届けいたします。
今回は和風ホラーを目指そう…なんて思っていたのですが、しあがってみれば、ちっともホラーじゃないような…。
申し訳ありません;
そして、いつもながらの長文になりました…。
もっと精進いたします。

>綾和泉・汐耶様
はじめまして。この度はご発注ありがとうございました。
綾和泉の設定を拝見し、キャリアウーマンな印象を感じました。
スーツ姿で颯爽と動き回るような、そんな印象です。
決して派手なたちまわりではなく、しかし無駄のない動き。そんなイメージで書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。

>ウラ・フレンツヒェン様
いつもありがとうございます。ご発注ありがとうございました。
なんていいましょうか…。私の中のウラ様像が、今回びしびしと出てしまったような気がします。
人の話を聞かない性格っていうのでしょうか(笑)。でも、根は無垢なんですよね。
すっかり甘党な人として描いてしまっていますが…いやはや。

>威伏・神羅様
依頼では初めてですね。改めて初めまして。ご発注ありがとうございました。
神羅様には人と群れることをよしとしないイメージがあります。群れるというか、言いかえれば団体行動を好まないというのでしょうか。
今回はそんなイメージにのっとって書かせていただきました。いかがでしたでしょうか。
ノベル中では正体をあからさまに書くことは避けてみました。

>花東沖・椛司様
続けてのご発注、ありがとうございました。
花東沖様には前回も同様な印象を感じたのですが、どこか中性的な方だなーなんて思います。
なので女性らしい行動というよりは、もう少し身軽な感じを想定して書かせていただいています。
男性ほど力強いイメージでもなく。……なんて、勝手な私の妄想です。


どうにも個人的なイメージをノベルに投影してしまう悪癖をもっていますので、もしかしたら設定と違う、などというようなことがあるかもしれません。
その時はどうぞお気軽にお申しつけくださいませ。
それでは、今回は本当にありがとうございました。
また機会があれば、依頼やシチュノベ等でお声などいただければ光栄です。