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<白銀の姫・PCクエストノベル>


『眠りの霧』


 おやすみなさい、勇者たちよ。
 その眠りは永久の眠り。
 力無き者たちはそのまま眠りなさい。
 目覚めし者は力在りし者。ならばその力、奮いなさい。
 この不正プログラム、眠りの霧を発生する誘いの塔を破壊しなさい。
 それはアリアンロッドの意思。彼女はこの世界の維持を望む。
 アリアンロッドの勇者の役目は私の意志の阻止。私は世界の変革を望む。
 これは私の起こしたイベント。世界を変革する為のイベント。
 ならばそれはあなた方アリアンロッドの勇者の仕事である世界維持のための戦いの理由となる。
 ねえ、そうでしょう、アリアンロッド?
 そしてモリガン、私はあなたに勇者として選んでもらえなかったけど、こうして私はあなたの邪魔をしようとする愚かな他の勇者たちを眠らせて、あなたの意志を守ってあげる。私は勇者ではなく、憎きアリアンロッドの勇者たちの敵として、このゲームに参加してあげる。
 そうする事で私のあなたへの愛を証明してあげるよ。



「これはどういう事なの?」
 ゲーム世界アスガルドを包み込んだ霧。
 その霧を吸い込んだ瞬間、誰かの声が聞こえた。
 そしてその声を聞いたと想った瞬間に、若見里子は強い眠気に襲われたがそれだけだった。
 激しい頭痛に襲われながらも彼女は深い霧の中で昏睡状態となってしまった仲間たちを身を切るような想いをしながらそのままにして1人、ログアウトして現実世界に戻ってきた。
 そのまま彼女は自室で倒れ、家族に発見されて、病院へと運ばれた。
 それから数日後、病院を退院した若見里子が訪れたのは草間興信所であった。
「あなたが零さんのお兄さんですね?」
「ああ。それでアスガルドはどうなっている? 勇者となれる能力者たちは自由にゲームを出入りできるはずだ。だが数日前を境に誰もゲームから出てこなくなった。その異常に気付きゲームに入って行った奴らも戻ってこない。いったい何が起こっている?」
 草間がそう問うと、里子はこくりと頷いた。
「霧です」
「霧?」
「はい。何者かは『眠りの霧』と言っていました。その霧を吸い込むと、深い眠りに襲われるんです」
「………。では、おまえはどうして戻ってこられた?」
「…私は眠らなかったんです」
「なに?」
「理由はわかりません。でも激しい睡魔には襲われましたが、眠らなかったんです」
 ぴぴぴぴと音が鳴った。
 里子は草間に断って鞄の中からピルケースを取り出して、薬を飲んだ。
「大丈夫か?」
「あ、いえ、これは今回のゲームのせいじゃなくって、私は先天性の免疫不全なんです。ですからこうやって薬を飲まないといけなくって」
「そうか」
 草間は頷くと、電話で仲間たちに連絡を取った。
 とにかくなんとかしなければならない。零や他の者たちのために……。



 ――――――――――――――――――

 
「兄さん、じゃあ、行ってきます」
「ああ。気をつけてな」
 草間武彦は心配そうな顔で妹の草間零と綾瀬まあやを見送った。
 実しやかにネット上で囁かれている都市伝説『白銀の姫』。しかしそれは実在した。
 彼自身もそのゲームにアクセスし、実際に『白銀の姫』、ゲーム世界アスガルドに立った事がある。
 邪竜クロウ・クルーハの復活。不正終了。そして再起動。その際における一般人の死。
 ゲームの事などはどうでもいい。だが一般人の死だけはほかってはおけなかった。
 そしてそのアスガルドにおいて起こっている異常事態。ゲームに入った勇者(能力者)たちがゲームからログアウトしてこなくなったのだ。
 その異常事態をうけて草間武彦はアリアンロッドの勇者たる零をゲームに送り込むことに決めた。彼女のサポート役として綾瀬まあやを同行させて。
 本来ならば武彦自身とそして彼と共に多くの怪事件を解決してきた有能なる仲間たちと共にアスガルドへと行きたかったのだが、それは零によって止められた。切り札は取っておかなければならないからだ。ゲーム内で何が起こっているのかわからない以上……。
 しかしその零すらも戻っては来なかった。
 ………。



『なんだ、もう帰るの、悠宇兄ちゃん。今日は早いじゃん。せっかくの休日だってのに。ゲームし放題』
 ログアウトしようとしていた羽角悠宇はその作業を止めて、後ろを振り返った。そこには剣士の姿をした小学生がいる。
『ああ。休日だからこそ今日は早々にアスガルドからリアルに戻らないと』
『つまり女か。あ〜ぁ。友情よりも女かよ』
 小学生の癖に舐めたような口を利く彼に悠宇は苦笑する。
『おまえも今日ぐらいは家に帰ったらどうだ?』
『嫌だよ、せっかくの休日じゃん。今日はこのままオールでゲームだよ』
『だがここでの事は所詮はゲームだぞ? 食事や睡眠はちゃんとリアルで済ませないと』
『わかってるよ。っるさいなー、もう』
『おい』
 こっちは心配して言ってやってるのだが。
 この小学生は自分の持つ特異な力のせいで皆から気味悪がられ、不登校になっているそうなのだ。
 しかしこのゲーム『白銀の姫』の中では能力者こそが勇者となり、その能力でモンスターを倒す。そう、ここではリアルでの価値観など関係無いのだ。
 だから彼はずっとこのゲームにログインしている。ほとんどリアルには帰ってはいないそうだ。
 ――黒崎潤が聞いたら怒るだろうな。
 彼はこの世界からログアウトできないでいる。
 悠宇は何となくこの小学生をほかっておく事ができずに、このゲームにログインした時にはほとんど一緒に行動していた。
 彼の方も彼の方で悠宇に心を開いてくれているし。
『なあ、悠宇兄ちゃん』
『ん?』
『ドタキャンしちゃえよ。これからすごく面白い所に連れて行ってやるからさ』
 悠宇は肩を竦める。
『それは無理だよ。やったら殺される』
『おわぁ。おっかねーのと付き合ってんだな、悠宇兄ちゃん』
 大仰に驚く彼に悠宇も苦笑を深くする。
『だけど面白い所って?』
 悠宇は小首を傾げる。
 この小学生は『白銀の姫』をかなりやり込んでいて、瀬名雫のHPにUPされているゲームの情報よりも詳しかったりする。
 そして悠宇もその彼に色んな場所に連れていってもらったり、また不正終了を経験している彼に色んなイベントの情報も聞いていた。だから悠宇は実は黒崎潤、彼の次に勇者としてこのゲームに詳しかったりするのだ。
『もうすべての行ける場所には連れて行ってもらったんだろう俺はおまえに?』
 そう訊いたら彼はものすごく悪戯っぽい表情をしたのだ。
『ああ、まあね。実はボクすらも知らない場所があったんだ。きっと黒崎潤も知らない』
 彼は黒崎潤をライバル視している。
 だからそう言った彼はものすごく嬉しそうだった。
『そんな場所が…まさかアヴァロンなんじゃ?』
 そう言うと彼は嫌そうな表情をした。
『アヴァロンじゃねーよ』
 悠宇は駄々っ子のような彼の頭の毛をくしゃっと撫でる。
『なんだ。まだ反対なのか? この不正終了を続けるゲームを完成させるという皆の意見には』
『反対だよ。このゲームはこのままでいいじゃん。確かに同じゲームを何度もするのは飽きるけど、だけどこの世界はボクを否定しない。ここは居場所なんだ、ボクの』
 頑なな彼の言いように悠宇は言葉に困った。しかし上手い言いようが見つからず、言葉を探している間に彼は懐から【転移の羽根】(ゲーム内で出会った人の名前をこの羽根を持ちながら口にすれば、その人のもとへ一瞬で行ける)を出した。
『ゼロ』
 彼がそう叫んだ瞬間にもう彼の姿は消えていた。
『ったく。ダメな兄貴分だな』
 悠宇は前髪をくっしゃと掻きあげながら溜息を吐いた。
 そして悠宇はゲームをログアウトし、後日その事を深く悔やむのだった。
 学期末テストを終えて『白銀の姫』にログインしようとした所に草間武彦から電話がかかってきて、それを禁止されたのだ。ゲーム内で何か異常事態が起きたようだ、と。
 それからの数日間悠宇は鬱々とした日々を送り、そして今また草間武彦からの電話を受け取った。
 異常事態解決の鍵を見つけたかもしれない、と。
 悠宇は携帯電話を切ると家を飛び出して、草間興信所に駆けて行った。



 ――――――――――――――――――
【第一章 ログイン】


「さてと、皆揃ったな」
 草間武彦は興信所に揃った皆を見回して頷いた。
 そして皆の前に熱い湯気を昇らせるお茶を出した鹿沼・デルフェスに視線をやる。
「デルフェス、ありがとう。おまえも席に着いてくれ」
「はい」
 お盆を膝の上に置いてデルフェスもソファーに座った。
「それで今回の事件の事についてわかった事って?」
 羽角悠宇は草間武彦に身を乗り出させてそう訊いた。彼には余裕が無い、そんな感じだった。
 悠宇がゲーム内にいる友達の事で気に病んでいる事はそこに居る全員が知っていた。
 だからセレスティ・カーニンガムは諭すように悠宇の肩に手を置いた。
「キミが助けられなかった友人を想う気持ちはわかります。が、だからといって平常心を失えば次に今回の事件を起こした敵の手に堕ちるのはキミだ。まずは落ち着く事です」
「そうよ、悠宇君。まずは落ち着いて。デルフェスさんが煎れてくれたお茶はとても美味しいから、きっと心が落ち着くはずよ」
 悠宇の前に座っているシュライン・エマはお茶を飲んだ後にほやっと微笑んだ。
 かすかに顔を赤くして悠宇は頭を下げる。そして自分の前に置かれている湯飲みを手に取ると、熱いお茶を口にした。そしてシュラインの横に座るデルフェスの方を見て、微笑む。
「すごく美味しいです」
「ええ。ありがとうございます、悠宇様」
 そうだ、まずは落ち着かねばならないのだ、皆は。
 今回の事件の概要がわかったからこそ、冷静な眼でそこにある隠れた敵の意図を見抜かねばならない。
 少々我を無くしていた悠宇だが、しかしその彼が皆に落ち着いてみせたので皆も新に気持ちを締め直し、草間興信所には良い意味での緊張感が広がった。
「それで草間氏。今回の事件でわかったという事は?」
 セレスティに促され武彦はこくりと頷き、口を開こうとするが、ふいに眉間に皺を刻んだ。
「大丈夫、武彦さん?」
 わずかにソファーから身を浮かせてそう問うシュラインに武彦は無理やり笑って見せた。
「ああ、大丈夫だ。少し眩暈がしてな」
 眉を寄せるシュラインに武彦は心配無いと手を横に振った。
 セレスティはデルフェスとシュラインを見る。
「お二人も先ほどまでこちらに居た若見里子という女性から話を聞いているのですよね? ならば貴女方から話をお聞かせくださいますか?」
「はい、ではわたくしがお話します」
 デルフェスはこくりと頷き、そしてシュラインを見る。
 彼女の視線の意味に気がつきシュラインはありがとう、と唇を動かすとソファーから立ち上がって給湯室の方に向った。蛇口を捻る音と水の音。戻ってきたシュラインの手には濡れたハンカチと薬(パッケージの模様から見ると栄養剤だろう)があった。
 疲労がピークの武彦の方はシュラインに任せるとして話も進めねばならない。セレスティはデルフェスに視線を向け、デルフェスも頷いた。
 記憶を反芻させるかのように深呼吸するデルフェスを見て悠宇も座りなおした。
「先ほどこの草間興信所を訪れました若見里子様の話はこうでした」
 そしてデルフェスは彼女が話した内容を一字一句間違わず省略せずに口にした。
 その内容に悠宇は腕組みをして小首を傾げ、セレスティは顎に手をやった。
「どうして彼女だけ眠らなかったのだろう? それにその霧に包まれた時に聞こえてきた声というのも気になる。【眠りの霧】に【誘いの塔】か…【誘いの塔】……」
「とにかく今は【眠りの霧】への対処法を模索する方が先ですか?」
「他の勇者と里子さんの違いよね」
 シュラインは武彦に飲ませた薬の瓶を閉めながら両目を細める。
 デルフェスは小さく吐息を吐いて、シュラインを見た。
「里子様ご自身もどうして眠らなかったのかわからない、と申されていましたよね?」
「ええ」
 悠宇はソファーの背もたれに身を預け、前髪をくしゃっと掻きあげる。
「だけど絶対に彼女には【眠りの霧】の効果から逃れられた理由があるんだ。それさえわかれば。身体上の理由とか精神上とかそういうのが原因とか。くそぉ」
 身を起こし左の手の平を右の拳で打った悠宇。
 その彼の言葉を聞いてシュラインとデルフェスは顔を見合わせる。
「そういえば彼女は薬を飲んでいたわね」
「薬?」
 顎に手をやりながらシュラインが口にした言葉にセレスティが目を細める。
 デルフェスは頷き、何やら思考しだしたシュラインに代わって答える。
「はい。里子様は薬を飲んでおられました。彼女は先天性の免疫不全なのだそうです。それでその薬を飲んでおられました」
 そこまで言うと彼女は瞼を閉じた。中世時代のとある国の王女をモデルに作られたという彼女のその表情は本当に美しかった。
 沈黙し思考に耽る彼女はまるで精緻な彫刻かのようだ。
 しずかに瞼を開き、彼女は想った事を口にした。
「里子様が眠らなかったのは薬を服用なされていらっしゃったからでは。その薬に精神を高ぶらせる効果があって眠気が抑えられたのでは? アスガルドに赴く前にカフェイン飲料を飲めば、同様の効果を起こす事も可能かも」
 デルフェスは皆を見回した。
 セレスティはこくりと頷く。
「そうであるかもしれません。里子嬢だけが助かったのは、ノンレム睡眠とレム睡眠のせいかと。なるほど、薬のせいでそうなったのかもしれませんね」
 そして言い終えるとセレスティは軽く肩を竦めた。
「まあ、霧は水です。ならば私の能力で対処できるとも想いますし」
「はい。俺も自分の能力で対処できると想います。セレスティさんのようなクエスト級の能力ではありませんが、それでも俺も風を起こす事はできますから。もしくは逆に炎系の能力者に手伝ってもらうとか。でも薬を何か飲めば…リアルで作られた薬を口にして挑めば大丈夫なんじゃないでしょうか?」
 悠宇は言って頷く。
「だけどちょっと待って」
 今まで思考していたシュラインが口を開いた。
 皆が武彦の横に立つ彼女を見る。
「たしかに 里子さんの常用薬成分が霧の効果を打消した可能性もあるわね。ただ、ゲーム世界に現実世界で服用した効果が現れるのか分からないけれど、自律神経系等に影響のあるものだったならありうるのかしら。もしくはゲーム世界では通常免疫の状態で、それプラス免疫不全用の薬を服用してた状態になったから? うぅん決め手にかける…。反対に抵抗がなかったから昏倒しなかった…のかも。どうかしら?」
「ふむ。たしかにそれもありますね。免疫不全、という身体的理由のせいで彼女に霧の効果が無かった。なるほど、確かにそうかも。【眠りの霧】が発生した日に薬を飲んでいたのが里子嬢だけとは限らない。なのにログアウトできたのは彼女のみ。だったらその可能性が強いですね、シュライン嬢」
「ええ」
「ですがそうなるとわたくしたちはやはり『白銀の姫』にはログインできないと?」
 深刻そうな表情をしたデルフェスにセレスティは顔を横に振った。
「いえ、だったら私の血流を操る能力で血流を操作し、体の機能を最大限にまで落として一時的な状態を作ってやればいい」
 悠宇はぱちんと手を叩いた。
「決まりですね。これでログインできる」
「ですが次なる問題は【誘いの塔】ですわよね。わたくし、アリア様に色々と『白銀の姫』について聞いていますけど、その【誘いの塔】は今日初めて聞きましたわ」
 悠宇が手を上げた。
「あの、俺はその塔かもしれない情報を事件が起こった日に聞きました」
 自分に集まった視線に悠宇はこくりと頷く。
「俺が一緒に『白銀の姫』をプレイしていた小学生が口にしていたんです。黒崎潤も知らない場所があるって。それはアヴァロンではないそうです」
「なるほど。そうなると【誘いの塔】は前回までの『白銀の姫』には存在しなかったという事ですか」
「そうなりますわよね。声によれば【眠りの霧】はその【誘いの塔】から発生しているという事ですし。でしたらその小学生が事の真相を知っているのかも?」
 シュラインはどこか戸惑っているようにも見える悠宇に視線をやる。
「悠宇君。その小学生の名前は何と言うの? もしも名前がわかるのなら【転移の羽根】でそこに行けるかもしれない」
 なるほど【転移の羽根】とはゲーム内で出会った人の名前をこの羽根を持ちながら口にすれば、その人のもとへ一瞬で行けるアイテムであるから、まだその小学生がそこに居るのなら自動的に【誘いの塔】へ行けるし、もしもその小学生がそこに居なくっても【誘いの塔】の情報は得られる。
 しかし悠宇は顔を横に振った。
「すみません。俺は名前を知らないんです」
「そうか。いえ、いいわ。気にしないで」
 シュラインは優しい笑みを浮かべながら頷いた。
「その小学生は被害者なのでしょうか。それとも被疑者?」
 小首を傾げるデルフェス。
 沈黙する皆。時計の秒針の音だけが静かに部屋に響く。
 その沈黙を悠宇の重い声が壊した。
「わかりません。ただ彼にとってはあの世界が居場所である事だけは確かです。だから彼はあの世界の不正終了を解決しようとする動きを嫌っていました」
「そうですか」
 セレスティは軽い溜息を吐きながら言った。
「荻原君のような子も居るのですね」
「荻原、様ですか?」
「ええ。己の思考の停止を嫌った男です」
「己の思考の停止? つまりは死を?」
 小首を傾げるシュラインにセレスティは小さく微笑みながら頷いた。
「とにかく行ってみませんか? 【眠りの霧】さえクリアできれば【誘いの塔】への道が開けると想います。声がそう言っているんですから」
 両手を強く組みながら悠宇は言って、頷いた。
「そうね。【誘いの塔】という名なら誘われた人物だけが行けるのかもしれない。それがアリアちゃんが探している創造主が前もってプログラムしたイベントなのか、モリガンを崇拝する何者かが作り上げたイベントなのかわからないけど。しかし眠りはある意味停滞でもあって…モリガンの望む変革とは到底相容れないんじゃないか、そんな印象を持つのだけど…。まあいいわ。霧に出会った瞬間に声が聞えないか注意しておく方向で考えましょう」
 シュラインは皆を見回し、皆も頷いた。
「これはきっとモリガン様の勇者が起こしているイベント。哀しい事です。ですからわたくしは同じモリガン様の勇者としてこの方を止めたいと想います」
 デルフェスはそう言いながら立ち上がり、そしてコーヒーメーカーのコーヒーを人数分のカップに注ぎ、配った。
 セレスティは手渡されたコーヒーカップを傾けてそれを飲み干す。喉から胸へと流れ落ちた温かみにセレスティは満足げに頷き、そして杖に手をついてゆっくりと立ち上がった。
「それでは『白銀の姫』の中へと行きましょうか。良いですか、皆さん?」
 セレスティの問いに皆は頷き、そしてセレスティは武彦へと視線を向ける。立ち上がろうとした彼に穏やかに微笑んだ。
「いえ、キミはここでお留守番ですよ」
 さらりとそう言ってやると武彦は睨んできた。だがそれを受け流しセレスティは指をぱちんと鳴らす。転瞬、武彦は気を失い倒れるのだ。血流操作だ。いかに怪奇探偵草間武彦でもここ3日間ずっと眠っていなかったのと零を心配していたのが祟って予想以上に弱っていた。
 シュラインは横から武彦を支え、
 反対側から悠宇が武彦に手を回す。
「ありがとう、悠宇君」
「いえ」
 二人で武彦をソファーに寝かし、デルフェスは持ってきた毛布をそっと武彦にかけてやった。
「それでは行って来ます。キミが起きるまでには零嬢を連れて帰ってきますから、それまでは良い夢を見ていてください」
 セレスティ、ログイン。
「行って来ます、草間様。わたくしたち、がんばりますからね。ですから、ご安心してお休みください」
 デルフェス、ログイン。
「ええ、俺たちだけで必ずこの事件、解決してみせますから。白露、おまえは草間さんを見ててくれ」
 悠宇、ログイン。
 そして最後に残ったシュラインはポケットに入れていた武彦のライターに指を触れて、だけどそれをポケットから取り出すことはせずに代わりに眠っている武彦の前髪を丁寧に掻きあげて額に唇を当てた。
「ライターはお守りとして貸しておいてね、武彦さん。それじゃあ、行ってくるわ」
 シュライン、ログイン。
 こうして勇者たちは『白銀の姫』に旅立った。



 ――――――――――――――――――
【第二章 レベル99の敵】


 おやすみなさい、勇者たちよ。
 その眠りは永久の眠り。
 力無き者たちはそのまま眠りなさい。
 目覚めし者は力在りし者。ならばその力、奮いなさい。
 この不正プログラム、眠りの霧を発生する誘いの塔を破壊しなさい。
 それはアリアンロッドの意思。彼女はこの世界の維持を望む。
 アリアンロッドの勇者の役目は私の意志の阻止。私は世界の変革を望む。
 これは私の起こしたイベント。世界を変革する為のイベント。
 ならばそれはあなた方アリアンロッドの勇者の仕事である世界維持のための戦いの理由となる。
 ねえ、そうでしょう、アリアンロッド?
 そしてモリガン、私はあなたに勇者として選んでもらえなかったけど、こうして私はあなたの邪魔をしようとする愚かな他の勇者たちを眠らせて、あなたの意志を守ってあげる。私は勇者ではなく、憎きアリアンロッドの勇者たちの敵として、このゲームに参加してあげる。
 そうする事で私のあなたへの愛を証明してあげるよ。


 ログインして、ゲーム世界『白銀の姫』にてそれぞれのPCとして具現化された四人。その彼らの視界に一番最初に入って来たのは一面ホワイトアウトしたような霧の白だった。
 霧は濃密に水分を孕んでいた。飽和しきれないほどの水分はまるで皆に自分が水の中にいるような錯覚を覚えさせた。
 霧は口や鼻、肌の毛穴から染み込んで、体を汚染していく。
 激しい眠気は頭痛を伴った。
 このまま誘われるままにまどろみの海に沈んでしまえば楽になれる、そんな誘惑にかられる。
 まるで霧は肺を満たし、溺れているような………
 ―――――セレスティは十字架の錫杖を高らかにかかげた。
 転瞬、セレスティを中心に半径10キロ以内の霧が晴れていく。
 シュラインはその場に両膝を付き、彼女にデルフェスが駆け寄った。
「大丈夫ですか、シュライン様?」
「ええ、なんとか。だけど本当にすごい頭痛」
 苦笑するシュラインにデルフェスも頷いた。
「まるでテスト週間の朝に戻ったようですね」
 つい先週までテスト週間だった悠宇は辟易としたように言う。試験日の朝はいつも徹夜明けでこんな風に頭痛を感じていた。
 セレスティは片手の手の平の上に水を乗せながら皆を振り返った。
「霧と言えども元は水。故に私の能力で支配できる。その考えは間違いではありませんでした。ただしやはりただの水ではありませんでしたがね」
「あの霧、魔力の匂いがしました」
 錬金術と魔力は似て非なるモノであるが、それでもこの四人の中では彼女が一番にそれに気付けたようだ。
「誰かしらの魔術だというの、あの霧は?」
 デルフェスに礼を言って自分自身の力で立ったシュラインは髪を掻きあげながら小首を傾げた。
「魔術と言うか、何と言うか…」
 セレスティは考え込む。
 そして彼はデルフェスを見た。
「どちらかと言うとこれは錬金術の部類なのかもしれませんね」
「え?」
 セレスティは手の平の水をデルフェスに見せた。
 そしてそれを見たデルフェスが口を片手で覆う。
「これは何ですか?」
 悠宇も横からセレスティの手の平の上の水を覗き込み、そして顔をしかめた。
「スライム? だけどさっきまでは確かに水だったのに…」
 セレスティはこくりと頷く。
「物質変換。これは明らかに生物なのですよ。おそらくは錬金術…ひょっとしたら科学によって作られた人工生命体なのかもしれませんね」
「じゃあ、えっと、つまり【眠りの霧】は?」
「霧状になっているこの人工生命体が人体に入って、人を眠らせる」
 シュラインはとても嫌そうな表情をした。それが自分の中で活動してる姿を想像してしまったのだろう。
「この世界にある私たちの体は生身であって、生身ではない。確かにリアルからこのゲームの中に私たちは入り込んだのですが、その瞬間に私たちの体もこの世界がネット上で構成されているようにデータ上の体となっている。つまりこれはウイルスと同じなのですよ。データの中に入り込んでそれを書き換えるね。とても精密な人体というデータを書き換えるウイルス」
「つまりそれではシュラインさんの考えが正しかったのでしょうか? データを書き換えるウイルスはイレギュラーであった免疫不全の里子さんの体に対応できなかった」
 デルフェスは顎に手をやりながら言って頷く。
「だけどそれだったらどうすれば皆を助けられるんです? 人体のデータを書き換えられているなら、それを治さないと。だけどそんな事ってどうやったら…」
 悠宇は顔を横に振る。
 しかしデルフェスはあっ、と声をあげた。
「ウイルスだったら…」
 それに悠宇も気付いたようだ。顔を片手で覆う。
「ワクチンを作ればいい。だけどどうやって?」
 悠宇はセレスティを見た。
「ワクチンを作るにしてもこの【眠りの霧】のデータを得る必要があります。しかしそれは難しいでしょうね。おそらくこれを作った者は簡単にはそのデータをこちらに渡してくれはしないでしょうし。とにかくやっぱり、【誘いの塔】に行かないとダメみたいですね。声はそこを壊せば、解決するような事を言っていたのだし」
「そうね。多分言葉で考えるなら【誘いの塔】を破壊する事で霧は止められる。それだけでも何かが変わるのかも」
「ええ。これが生命であったとしても水であるのであれば、クエスト能力の持ち主である私の前では役には立たない。わざわざ血流操作で身体機能を落とさずとも、もはやあの霧を私たちに近づける事はさせません。このゲームに入った瞬間に私が霧を撥ね退ける力を発する前に私を眠らせられなかった敵の敗北です。だけど問題は…」
「【誘いの塔】がどこにあるかですよね」
 悠宇はバンザイをした。降参だ。
 誰もその場所を知らない。
 だけど……
 そこに居る皆の鼓膜を警戒音が叩いた。敵モンスターがフィールドに現れるという予告だ。
 そして四人の前に甲冑を着込んだ巨人ひとりと、アサルトゴブリン六体が現れる。
 皆の顔に緊張が走った。
「ちょっとモンスターは眠っていないわけ?」
 叫ぶシュラインの前にセレスティが陣取り、十字架の錫杖を構える。
「そういう事らしいですね」
 デルフェスも背中に背負うフランベルジュの剣を鞘から鞘走らせながらアサルトゴブリンに突っこみ、アサルトゴブリンの横殴りの一撃を紙一重でかわすと同時に鞘走らせたフランジュルベの剣撃を叩き込んだ。
 そして続けて後ろから棍棒を振り下ろす新たなアサルトゴブリンを振り返り様に斬り倒す。
 残り四体は悠宇が請け負った。巨大なマシンガンを構えたアサルトゴブリンが銃口を悠宇に照準する。
「手伝いましょうか?」
 穏やかに申し出てくれたセレスティを黒い石の翼で上空高く飛び上がると同時に見下ろして、悠宇はにこりと微笑んだ。
「ありがとうございます、セレスティさん。でも問題無しです」
 悠宇に向けて一斉に弾丸が放たれた。しかし悠宇は唇の片端を吊り上げると同時に翼を羽ばたかせて重力波を発生させて、一瞬で四体を押し潰したのだ。
「さすがは悠宇様。ではあの初めて見る巨人を」
 デルフェスは大地を蹴って高く舞い上がり、そして上段に構えたフランベルジュを打ち下ろした。
 しかしさしものフランベルジュも巨人の体を包み込む甲冑に傷がつけられない。
「くぅ。剣撃が軽すぎる?」
 デルフェスは一端後ろに下がり、
 そしてそこで悠宇が巨人に重力波を叩き込んだ。手加減無しの一撃だ。しかし、彼は両目を見開く。なぜなら巨大なクレーターの真ん中でその巨人は変わらずに居たのだから。
「そんな俺の手加減無しの一撃を」
 巨人は腰の剣を抜き払い、それを力任せに振るった。
「いけない」
 セレスティは叫ぶと同時に十字架の錫杖をかかげた。
 瞬間、水の蛇が悠宇の前にとぐろを巻いて現れて盾となった。
 それで何とか悠宇は危機一髪で巨人の一撃をかわしたのだが、その彼にまた巨人は突きの一撃を叩き込まんとしている。
 十字架の錫杖が振られた。
 数の概念を越える水の弾が巨人を撃つがしかし、その甲冑にはやはり傷はついてはいない。
「馬鹿な」
 シュラインはうめいた。
 デルフェスはシュラインを振り返り、眉根をわずかに寄せる。
 シュラインはゴーグルをかけていた。それは魔法のアイテムだ。敵のレベルがわかるのだ、それで見れば。
「シュライン様、あの巨人のレベルは?」
 そう訊くデルフェスの横に悠宇は舞い降りた。
 そして彼もシュラインを見る。
 シュラインは引き攣った笑みを浮かべた。
「聞きたい? でも聞けば後悔するかもしれないわよ?」
 セレスティはさらに水の弾を叩き込んでいる。
「レベル99よ」
 ほんの一瞬だけ水の弾の攻撃が止まった。そしてその転瞬後に再開されるがしかしセレスティの顔に余裕は無かった。
「馬鹿な。レベル99って、それじゃぁあの巨人は無敵の存在という事になるじゃないですか!?」
 悠宇は叫んだ。
「くぅそぉ。一体何が起きているんだ!?」
 そして黒い石の翼を羽ばたかせて、さらに巨人に重力波をぶつけていく。ただ闇雲に。
 デルフェスもシュラインに引き攣った笑みを浮かべる。
「そのアイテムが壊れているという事は、ありませんわよね?」
 願うように言ったのだろう。しかしシュラインはおどけたように肩を竦めただけだった。
 そしてデルフェスは巨人を見る。
「弱点はどこだと出ていますか?」
「いいえ、それが出ないの。いつもなら弱点も表示されるのに」
 セレスティは肩を竦める。
「敵はプログラムを書き換えれるんです。そのぐらいできて不思議ではありません」
 絶望的だった。
 いや、これはゲームだ。勇者は死んでも蘇れる。しかし………
 ――――もはやこれは勇者ならば安全なゲーム、という訳ではない。だから…………
 それでもデルフェスは前に歩み出した。
「セレスティ様、あなたの水でわたくしをあの巨人めがけて放ってください。このフランベルジュの剣は伊達ではありません。たとえレベル99の相手でも折れる事はありません。軽戦士であるわたくしの軽すぎる、という攻撃の欠点を補えれば、あるいは」
「でもデルフェスさん。敵の攻撃も早いわ」
 シュラインが訴える。
「それは俺が何とかします」
 悠宇が言う。
「俺の重力波であいつの動きを止めます」
 それでもここは逃げた方が懸命なのでは?
 ―――逃げられれば…
 シュラインはそう口にしようとしてしかしやめた。
「わかったわ。じゃあ、皆の回復を」
 シュラインは持っている体力とMPの回復薬すべてを使って三人を治療した。
「ではいきます」
 悠宇が叫ぶ。
 そしてありたっけの力で重力波を見舞って、巨人の動きを封じた。
「ぐぅぉー」
 巨人が咆哮をあげた。ついに敵に苦痛をしいたのだ。
「デルフェス嬢」
「はい」
 デルフェスは全力で巨人に向かい走り、
 その彼女の背目掛けてセレスティは鉄砲水かのような勢いで水蛇を突っ込ませる。
 水蛇がデルフェスの背を叩き、
「タァーッ」
 フランベルジュを突き出して、彼女は光の速さで巨人に突っこんだ。
「ぐぅおぉー」
 速さは巨人の質量と防御力を越えた。
 ついにそれを撃破。
 巨人の体を甲冑ごとフランベルジュで貫いたデルフェスはそのまま力尽きて大地に落ちた。
「デルフェスさん」
 その彼女の横に悠宇は舞い降りて彼女を抱き起こした。
「大丈夫ですか?」
「はい」
 頷くデルフェスに悠宇も嬉しそうに微笑み、
 シュライン、セレスティも見合わせた顔に笑みを浮かべた。
 だが、その四人の鼓膜をまた新に警告音が叩き、そしてその場にレベル99の巨人兵が今度は四体現れたのだった。
 ………。



 ――――――――――――――――――
【第三章 兵装都市ジャンゴでの戦い】


「デルフェスさん、紅茶です」
「すみません。悠宇様」
 デルフェスは悠宇から受け取ったティーカップを口に運んだ。傾けたカップから口に流れ、喉から胸に落ちた心地良い温もりに安堵の吐息を吐く。
 そして同じく悠宇から受け取ったティーカップの紅茶を飲んでいる潤に視線を向けた。
 そうなのだ。あの絶対絶命の窮地から救い出してくれたのは彼であった。
 黒崎・潤。
 悠宇は引き出した椅子に座り、前髪をくしゃと掻きあげながら溜息を吐いた。
「どうした、悠宇君。元気が無いね?」
 潤が微笑む。
「いや、一体何が起きているのか考えていたんだ。あのレベル99の敵。あんたがいなきゃ俺たちは間違いなくやられていた」
 デルフェスも頷く。
 そう。そうなのだ。あの絶体絶命の窮地を乗り越えられたのは黒崎・潤の力だった。



「ちょっと冗談でしょう?」
 シュラインは道具袋に手を入れるがもはや回復剤は無い。
「やれやれですね」
 十字架の錫杖を構えセレスティは肩を竦める。しかし眼は真剣だった。
「やるしかないんですよね。くそう」
 悠宇は立ち上がり、黒い石の翼を広げる。
「ハードですわよね」
 デルフェスはフランベルジュの剣を構えた。
 巨人兵四体は腰の鞘から剣を鞘走らせて、それぞれに向かい剣を振り上げた。
 敵は無敵だ。おそらくは敵わない。そして不正プログラムであるこの敵に倒されて兵装都市ジャンゴで復活できるとも限らない。
 どうすれば!!!
 四人はこの窮地を脱するための方法を目まぐるしく思考を回転させて弾き出そうとした。しかしその思考は止まる。
 剣を高らかに振り上げた巨人兵全てに、
「ドラゴンソウル」
 凄まじき一撃が叩き込まれ、そしてその一刀の下に巨人兵たちが堕ちたのだから。
「マジかよ?」
 悠宇はその光景に呟き、その場に座り込んだ。
「圧倒的ですわね。あのレベル99の巨人兵をいともあっさりだなんて」
 デルフェスはクラウ・ソナスを鞘に収める黒崎・潤に視線をやり、微笑んだ。
「大丈夫ですか、皆さん」
 潤は皆を眺め、それから回復魔法を全員にかけた。
「しかし驚いたわね。どうしてあなたは、ここに居るのかしら?」
 小首を傾げるシュラインに潤は苦笑する。
「それはこっちの言葉ですよ。皆さんこそどうしてあの【眠りの霧】の中で? ここら辺はどうした事か【眠りの霧】が発生していませんが」
「それはセレスティ様のおかげですわ。わたくしたち、【眠りの霧】の謎を解いて、そしてここにやって来ましたの」
「え?」
 わずかに眉根を寄せた潤にデルフェスは事の詳細を説明した。
「なるほど、【眠りの霧】は生態兵器のようなモノなのか。厄介だな」
「それでキミはやはり【誘いの塔】については知らないのですね?」
 問うセレスティに潤は頷いた。
「前回ではこんなイベントは無かった。だから僕も驚いていたんです」
 そして潤は悠宇を見る。
「しかしその小学生は一体何なのだろうね? 被疑者か被害者か」
「わからない。だけどあいつ、そういえば俺と別れてからすぐに誰かと会っていたようだ。確かゼロとか」
「ゼロ? 知らない名だ」
 潤は首を横に振る。
 しかしセレスティは難しい顔で顎に手をやった。
「どうしましたか、セレスティ様?」
「いえ、何でもありません」
「とにかくジャンゴに行きましょうか、皆さん。ちゃんとした回復をしないと。もっともこの世界に居る人間は僕ら五人だけですが」



 悠宇は潤を見る。
「あんたは強い。装備も強力だ。だけどどうしてあんたは【眠りの霧】でデータを変えられなかった?」
 デルフェスも頷く。
 潤はふむと頷いた。
「それは僕にもわからない。霧に襲われた時、僕の周りにいた勇者やそれにNPCまでもが眠りについてしまった。起こそうとしても目覚めないね」
 潤は肩を竦める。
「ただでさえこのゲームからログアウトできないという悪夢を見てるのにさらにまたその悪夢が最悪な方に陥った感じだったよ」
「ログアウトできないから【眠りの霧】の影響も受けなかった、と考える方が妥当ですわよね」
 デルフェスは顎に手をやりながら目を細める。
 悠宇は顔を横に振った。
「皮肉な話だな」
「本当にね。だけど今回のこの事件を起こした者を見つければ、ひょっとしたら僕がログアウトできない訳がわかるかもしれないんだ」
「え?」
「だってそうだろう。敵は新たなイベントを発生させるような力を持ってるんだから。だけど…」
「だけど、どうしたんですか、潤様?」
「この事件を引き起こした敵は一体何がしたいんだろうね? だって事件を引き起こしておきながら【誘いの塔】を壊せだとか」
「ええ。でもそれを壊す事でこの世界を変革できる事は確かですわ」
 デルフェスは頷く。
 悠宇はぱちんと左の手の平を右の拳で打った。
「結局俺たちはこの事件を起こした奴の手の平の上という事か」
 悔しがる悠宇の肩をデルフェスはぽむと叩いた。
「未だに真実は見えませんけど、でもわたくしたちには今のところはこの道を歩いていくしかありません。だけどそれでもその用意された道にも分かれ道はあるはず。その時こそわたくしたちは己が歩く道を決めねばならないのです。だから今だけは」
「はい。デルフェスさん」
 悠宇は頷いた。
 潤はくすりと微笑む。
 が、彼はその顔に緊張感を走らせた。
 そしてその意味を二人も理解する。鼓膜を警告音が叩いた。
 店の入り口にジェノサイドエンジェルが現れて、広げられた翼にはランチャーが。
「ふん」
 潤は笑う。
 そして剣を抜き払い、一刀の下にジェノサイドエンジェルを斬り倒した。
「さすがですわね」
 剣を振り上げて襲い掛かって来たアサルトゴブリンを斬り倒してデルフェスはくすりと笑う。
 黒い石の翼で起こした風によってアサルトゴブリンを倒した悠宇も潤に続いて外に出た。
 しかしそこに潤の姿は無かった。
「どこへ行ったんだ?」
「悠宇様」
 続けて出てきたデルフェスが呼ぶ。
 彼女が指差した先に子どもの後ろ姿が。
「あれは!?」
 悠宇が目を見開いた。
「やはりそうですか?」
 問うデルフェスに悠宇は頷く。
「はい。俺が言っていた小学生です。とにかく彼を」
 そうだ。彼を捕まえれば色々と情報がわかる。上手くすれば【眠りの霧】のデータを得られて、それを元にワクチンを作る事だって。
 二人は頷きあった。
「悠宇様は空から彼を」
「はい」
 悠宇は舞い上がる。
 その彼目掛けて銃を乱射するアサルトゴブリンども。
 しかし悠宇は翼のひと羽ばたきでそのアサルトゴブリンたちを倒した。
 飛んでいく悠宇を追ってデルフェスも走り出す。
 が、その彼女の前に竜騎士が現れた。
「!!!」
 デルフェスは前に走っていた体を強く石畳を踏みつけて止めて、そして次いで石畳を蹴って後ろに飛んで、フランベルジュを構えた。
 竜騎士。レベルで言えば今のデルフェスと同等のはずだ。不正プログラムで強化されていなければ。
 唇を舐めて軽戦士は竜騎士に踊りかかる。
 甲冑を着込んだ竜人は盾でその一撃を受け止めて、デルフェスの体を前方に押した。
 デルフェスはそれに逆らわずに竜人の力を利用して後ろに飛ぶと同時にしなやかに着地して、そして今一度石畳を蹴った。
 竜人の懐に飛び込んで横薙ぎの一撃を放つが、今度は竜人は打ち下ろした剣撃でそれを払う。
 デルフェスの体が泳いだ。
 そこに竜人が盾の底を打ち下ろす。もしもその一撃がデルフェスの頭に直撃すれば彼女の頭はスイカのように簡単に破砕されるはずだ。
 左手を石畳について、デルフェスはその手を軸に下段蹴りを竜人の足に叩き込んだ。
 その一撃が見事に決まって竜人は尻もちをついた。
 デルフェスは前転をして、そのままその勢いを利用して立ち上がり、剣の切っ先を竜人に向ける。
 美しき剣舞を踊る舞姫かのようにしなやかに彼女の体が空を舞った。
 デルフェスは必殺の突きを尻餅ついている竜人に放った。
 それは竜人の首を突いて、そして竜人は消え去った。
 だがデルフェスの美貌には憔悴の色が濃い。
 そしてそれを逃さんとでも言うかのようにジェノサイドエンジェルが現れた。
「本当にハードですわね」
 デルフェスは小さく吐息を吐いた。



 +++


「やれやれ。黒崎・潤には邪魔されたけど、しかしあのイレギュラーな四人はどうやら私が手を下すまでも無くモンスターどもに襲われて、ピンチのようね」
 邪竜の巫女ゼルバーンは鼻を鳴らした。しかし同時に彼女の横顔には憂いのようなモノもかすかに浮かんでいた。
「あの四人。このゲームにあってはならない者だからね」
 ゼルバーンは振り返る。そこには暗黒騎士が居た。
「完全にあなたが目覚めてくれればこのような事をせずともいいのだけど」
 ゼルバーンは肩を竦める。
 暗黒騎士は口だけで笑った。
「そう。あなたが目覚めれば別に彼ら四人がゼロの意思の下にあの【誘いの塔】を壊そうが関係無い。人形の力をも邪竜クロウ・クルーハの次なる姿であるあなたならば敵では無いのだから」
 そう呟き、ゼルバーンは焦げた空気の匂いを孕む風に揺れる髪を掻きあげた。



 +++


 路地裏を抜けると街の公園に出た。
 真ん中には噴水があって、水が高らかに上がって、蒼い空の下、小さな虹がかかっていた。
 遠くから爆発音が聞こえた。
 悠宇はびくりと体を震わせてそちらを睨んだ。
「誰かが死んじゃったかもしれないね」
 立ち止まった小学生は振り返り、けたけたと笑った。
 その笑う彼に悠宇は歯をぎりぃっと噛みしめる。
「おまえはここで何をやっている。ここに居るという事はやはりおまえは今回の不正イベントの首謀者なのか?」
 彼は肩を竦めた。
「半分正解で半分不正解。ボクはただゼロの言う通りに動いてるだけだよ。ここへ悠宇兄ちゃんたちを迎えに来たんだけど、でも悠宇兄ちゃんさへ居ればいいかなって。それで誘い出したわけ。モンスターが現れたのを利用してね」
「ゼロって誰だ? おまえは自分がやっている事がわかっているのか?」
 悠宇は強い声で問うた。
 小学生は不満げに顔をしかめた。
「ムカツクなー、そんな大きな声を出さないでよ。ボクはそうやって大声を出す奴が大嫌いなんだ」
 小学生の手に鎌が現れる。
 悠宇は翼を羽ばたかせてそれを避けるが、剣風は悠宇を追いかけてきた。
「くぅ」
 翼で風を起こす。
 風と風の激突。
「はっ。相殺した。だけど悠宇兄ちゃん、ボクは強いんだよ」
 彼は石畳を蹴って飛び上がり、そして鎌を振るう。
 悠宇はそれをかわした、と想った。だが彼の胸がぱっくりと開いて、鋭い鎌によって斬られた肌から血が迸った。
「くぅ」
 翼を羽ばたかせて悠宇は彼が振るう鎌の攻撃をかわしていくが、しかしやはりかわしたはずの鎌が悠宇を血祭りにしていくのだ。
 出血が酷い。
 悠宇の視界がかすんで、そしてついに悠宇は石畳に落ちた。
 その悠宇をまたいで小学生が着地する。そしてものすごく残虐な笑みを浮かべながら鎌を振り上げた。
「ごめんね、悠宇兄ちゃん。強くってさー」
 悠宇は貧血で気を失いそうになりながらも彼を睨んだ。
「このイベントの真意は何なんだ?」
「だからさ、壊してもらうつもりだったんだよ、【誘いの塔】を」
「どうしておまえがそれをしない?」
 悠宇がそれを言ってやると、さらに彼の表情がきつくなった。子ども特有の触れられたくない事に触れられた時の癇癪を起こした時の表情だ。
「五月蝿い。五月蝿い。五月蝿い。五月蝿い。五月蝿い。五月蝿いんだよ、悠宇兄ちゃん。おまえなんか死んじまえぇー」
 だがその鎌に落雷が落ちた。
 空は晴れているのにだ!
「うぎゃぁー」
「どうして?」
 呟く悠宇の前で彼の体は消えていく。
「嫌だ。悠宇兄ちゃん、助けて」
 ぼろぼろと泣く彼に悠宇も泣きそうな顔をして手を伸ばした。
 小学生は両手で悠宇の手を握る。
「おい、おまえ!」
 本当は名前を言ってやりたかった。だけど知らなかった。
「ボクは真田雪人」
 そして雪人は消え去った。
 悠宇は拳を握り締めて、咆哮をあげた。
「――――――ッァア」
 噴水の水が高らかに上がり、そして虹のアーチがそのままどこかへと続くゲートとなった。



 +++


 ジェノサイドエンジェルを一刀の下に斬り倒したデルフェスは小さく吐息を吐いて、背中の鞘にフランベルジュを収めた。
 前髪を掻きあげながら強い憂いの表情を浮かべて大きな爆発があった方を見た。
「セレスティ様やシュライン様も敵と遭遇したようですわね。大丈夫だとは想うのですが…」
 デルフェスは悠宇が飛んでいった方と爆発があった方とを見比べる。そして彼女は数秒逡巡してから悠宇の方へと走っていこうとした。
 しかしその足を彼女は止めた。そして髪を翻して彼女は弾かれたように振り返った。デルフェスの視線の先、そこに飛び出してきたのはあの三下忠雄だった。
「三下様」
 そう。彼女は三下の声を聞いて振り返ったのだ。
 その三下に襲い掛かるのはトーチハウンドだ。下級ではあるがかなり強いモンスターだ。
 三下は、
「うわぁぁぁぁ」
 来るなー、と悲鳴を上げてカリバーンを滅茶苦茶に振るうが、それが当たろうはずもなく。
 トーチハウンドは強靭な四肢で石畳を蹴って、高らかに空に舞うと、牙を剥き出しにして三下に踊りかかる。
「させません」
 デルフェスは左腿に括り付けている鞘から短剣を抜き払うと、それをトーチハウンドの左目に投げつけた。
 見事に短剣はトーチハウンドの左目に突き刺さり、トーチハウンドは咆哮を上げた。
 そして残された右目でデルフェスを睨みつけた。
 トーチハウンドの怒り狂った唸り声に重なって、静かな鞘走りの音色が奏でられる。背中のフランベルジュを抜き払うと、デルフェスはそれを構えた。
「あなたのお相手はわたくしがやります」
 同時に石畳を蹴って、お互いの中間地点でデルフェスとトーチハウンドは対峙した。
 トーチハウンドが繰り出した強靭な前足の蹴りを紙一重でかわした。
 美しい黒髪が数本、空を舞った。
 しかし美しき剣舞を披露する舞姫はトーチハウンドの一撃をかわすと同時に虚空に円を描くように剣を旋回させてトーチハウンドの足を斬り落とす。
 そして彼女は前に出した右足を軸に時計と反対周りで回転して、それで素早く逆手に持ち替えた剣を回転の勢いのままにトーチハウンドの横腹に叩き込み、勢いのままに両腕を振って、トーチハウンドをフランベルジュで石畳に縫い付けた。
「グゥギャァァァァ――――ッ」
 断末魔の悲鳴をあげてトーチハウンドは消え去った。
「大丈夫ですか、三下様」
 こくこくと頷く三下にデルフェスはにこりと微笑んだ。



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【第四章 誘いの塔へ】


「皆さん、お会いしたかったです」
 三下忠雄は全員を見回すとえぐえぐと泣き出した。
「まあまあ三下君。あなたこそ無事でよかったわ」
 シュラインは苦笑を浮かべながら三下にハンカチを渡した。
 そして悠宇に視線をやる。
 悠宇は下を俯いていた。
 セレスティは小さく溜息を吐き、そして視線を噴水の上にあるゲートに向ける。
 デルフェスも同じようにゲートに視線をやった。
「あそこが【誘いの塔】への扉、なんですね、セレスティ様」
「はい、おそらくは」
 そしてセレスティは三下と悠宇を見た。
 悠宇がその視線を感じたのか顔を上げる。
「大丈夫ですか、悠宇様?」
「ええ。大丈夫です」
 悠宇は頷くと、おもむろに立ち上がって、噴水の中に入った。
 ちょうど噴き上げた噴水の水が悠宇を打つ。
 頭から水を被った悠宇は頭を振って雫を飛ばすと、噴水から出て、皆を見回した。
「俺はデルフェスさんと一緒に例の小学生、真田雪人に会いました。彼はゼロという奴に言われて俺たちを迎えに来たんです。でもあいつは俺だけを最初は連れて行こうとし、次にあいつを叱った俺を殺そうとして、それでゼロに殺されました」
「きっとその子は本当に悠宇君が好きだったのね」
 シュラインは小さく呟いた。
 悠宇は泣きそうな表情を浮かべた。そして俯いて続ける。
「ゼロという奴は俺たちに【誘いの塔】を壊してもらいたがっています。雪人はどうやらそれができなかったようです」
 デルフェスは横から悠宇を抱きしめた。そしてそっと彼の頭を撫でてやる。
 三下はシュラインから渡されたペットボトルの水を一息に飲み干すと、口を手で拭って、そして口を開こうとしたその瞬間に、しかし三下の前にモリガンが現れた。
 モリガンはゆっくりとセレスティ、シュライン、悠宇を見て、自身の勇者であるデルフェスににこりと微笑みながら髪を洗練された動きで掻きあげると麗しい唇を滑らかに動かせた。
「まずは今回の【眠りの霧】事件。これには私は関係無いわ」
 デルフェスは胸の前で両手を合わせてにこりと微笑む。
「それからあなた方を襲ったあのレベル99の敵。あれはね、また違う敵が放った刺客」
 セレスティが小さく溜息を吐く。
「そしてこのゲートの向こうにある世界。そこは私たち女神ですら認知できないもうひとつの『白銀の姫』の世界よ」
 シュラインがわずかに両目を細めた。
「それでは一体あのゲートの向こうに広がる世界は何なの?」
 モリガンは頷いて、シュラインの質問に答える。
「あの向こうに広がる世界はこの『白銀の姫』と同じゲームであって、同じでない物。かつて創造主は邪竜クロウ・クルーハを倒した後の展開として邪悪なる魔術師を用意していたの」
「魔術師? それがゼロ?」
 悠宇はうめいた。
 しかしモリガンは顔を横に振る。
「半分正解で半分不正解。魔術師はまだ作られてはいなかった。当然だわ。この世界だってまだ不完全なままだったのですものね。そしてそのイベントは実は創造主は気に入らなかったようでゲームに取り入れるのはやめられたのよ。それで途中まで作られていたイベント【誘いの塔】…魔術師の実験場での戦いはネットに存在するデータのジャンク置き場に破棄された」
「つまりはゼロという人がそのデータをこの世界に取り組ませたという事ですか、モリガン様?」
 モリガンはお気に入りの小鳥を愛でるような顔でデルフェスを眺め、頷いた。
「その通りよ。ゼロは私に恋をしている。あの【眠りの霧】とは塔に仕込まれているギミックなの。それに耐えられた勇者のみが邪竜クロウ・クルーハをも倒せるほどの力を持つ【魔力の結晶人形】を手に入れられる。ゼロはね、それを勇者に与えて、邪竜クロウ・クルーハを討たせるつもりなのね」
「なるほど。しかし私たちはデルフェス嬢を除いて、あなたの陣営に所属する勇者ではない。その勇者に力が渡ればあなたはどうするつもりなのですか? あなたは、他の女神は、そしてゼロとやらは」
 クールに問うセレスティにモリガンは肩を竦める。
「だからここに現れたの。どう、あなたたち、私の勇者にならない? あなたたちならば人形を倒して、人形に自分をマスターとして認めさせる事ができる」
 シュラインは顎に人差し指をあてて小首を傾げた。
「残念だけど、私は冒険者という事でどの女神陣営にも属さない事にしているの」
「俺もです。俺も設定は義賊。だからこそどの陣営にも属さないでやりたい」
 悠宇も頭を振る。
「私はもう少しあなた方女神を見定めさせていただきます」
 セレスティもそう言いきった。
 モリガンはくすくすと笑って肩を竦めた。
「それは残念ね。だったらここでデルフェスと三下以外のあなた方には死んでもらおうかしら?」
 デルフェスは目を見開いた。
 そして両手を広げて皆の前に立つ。
「モリガン様。皆様はわたくしの大切な仲間なのです。それだけはどうかおやめください」
「ぼ、僕からもお願いします」
 三下はぺこぺことモリガンに頭を下げた。
 その二人の姿にモリガンは肩を竦める。
「冗談よ」
 ………本当だろうか?
「それに今のレベルのあなた方二人を送っても、魔力の結晶人形は倒せない」
 言い切るモリガン。皆は絶句した。
「だって魔力の結晶人形はあの邪竜クロウ・クルーハよりも強いのだから」
「でしたらどうすれば、モリガン様?」
 そう問うデルフェスにモリガンは頷いた。
「ええ。だからこそ今回に限り私たち四人の女神は零と雫に説得されて………勇者のみ協力させる事にした。今の人形は倒せないけど、それでも私たちの力によってそれを四等分にする事はできる。そしたら倒す事も可能だわ」
「やれやれですね」
 セレスティは溜息を吐いた。
「確かにどの女神の陣営にも力が入るわけですしね」
「ええ。そして皆はそれぞれの目的のためにその力を欲している。零、嬉璃、雫はそれぞれの女神の守護を受けて、もうあちら側に行ってるわ」
 皆の視線が三下に集まり、彼は頭を掻いた。
「だって怖いじゃないですか」
「「「「はぁ〜〜」」」」
 モリガンはデルフェスを見た。
「だからデルフェス。あなたに私の守護を与えるわ。この力を使えば、人形を四つに分ける事が可能なの」
「はい、モリガン様」
 デルフェスはモリガンに力強く頷いて見せた。



 ――――――――――――――――――
【第五章 力】


 扉をくぐるとそこは見渡す限り真っ白な空間だった。上下左右も無い場所だ。
「う、うわぁー、気持ち悪いぃ」
 無理やりモリガンにこちら側の世界に追いやられた三下は溺れているようにのたうちまわった。
 黒い石の翼を広げた悠宇は三下を後ろから抱き上げて翼を羽ばたかせる。
「す、すみません。悠宇さん」
「いえ」
 悠宇はにこりと笑った。
「それにしても本当にここであっているのかしら?」
 シュラインが小首を傾げる。
 真っ白な空間でくるくると回りながら浮いているデルフェスは顎に手をやった。
「このゲートは敵側が繋げたモノ。しかしここは何も無い空間。でしたらここはまったく違う場所なのでは? モリガン様のお話では違う敵がいるという事ですし」
「ピンポーン。ピンポーン」
 けらけらと笑う子どもの声。
 そして真っ白な空間に小学生、真田幸人が現れる。鎌を旋回させて彼は皆を見回した。
「雪人。おまえ、まだ」
 三下を放し、悠宇は翼を広げて重力波を放った。しかしそれは佇むだけの雪人を直撃しなかった。悠宇は目を見開き、雪人は笑う。
 そして雪人の姿が掻き消えたと想った瞬間、
「うぎゃぁぁぁぁーーーー」
 三下の悲鳴が上がった。
 雪人が後ろから三下を鎌で攻撃したのだ。
 赤い血を空間にぶちまけながら三下が前のめりに倒れた。
「ごめんね。強くってぇー」
 嗜虐的な笑みを浮かべながら雪人は三下にとどめを刺さんと。
 三下はカリバーンの剣を滅茶苦茶に振るった。
 それが偶然にも雪人の鎌に当たり、これまで鼠を弄ぶる仔猫のような笑みを浮かべていた雪人の眼が吊りあがった。
「おまえぇー」
 振り下ろされる鎌。そのままいけば三下の頭が割れる。
 しかしそれを悠宇が体当たりで防いだ。
 皆はその戦いを見守る。
「なんだよ、悠宇兄ちゃん。カリバーンの剣なんか構えて」
 悠宇のゲーム内での職業は義賊。そのスキルで三下の持つカリバーンの剣を盗んだのだ。
「おまえは俺が倒す」
「無理だね。ボクはゼルバーンの勇者になったんだからね。この力で悠宇兄ちゃんたちもそして塔で戦っている三人の勇者達も皆殺しにして、今度こそ人形を手に入れてやるんだ。そうだ。ボクをマスターに選ばなかったあいつを今度こそ滅茶苦茶にしてやる」
 鎌を無茶苦茶に振り回す雪人に悠宇は溜息を吐いた。
「無駄だと想う」
「何が?」
「おまえは異能の力のせいで誰もおまえを認めてくれないような言い方をしていたけど、だけどそれだけじゃない。問題はおまえの中にあるんじゃないのか? 他人を小ばかにして笑うそういうおまえの態度がいけないんだと想う。もちろん、おまえにそうさせてしまった環境も悪いのだと想う。だけどそれでもおまえが強くあれば、他人に奇異の目で見られる辛さを知ってるからこそ」
 雪人が大きく目を見開き、その後に何かを言わんと口を開きかけ、そして意味不明の事を叫びながら悠宇に向っていく。
 悠宇もカリバーンの剣を構えて翼を羽ばたかせた。
 スピードは比べるまでも無く悠宇だ。
 しかし雪人には不思議な力がある。確かに避けた鎌の攻撃がしかしヒットしたり、直撃するはずの攻撃が外れたり。
 だが…
「何だってぇ?」
 雪人が悲鳴をあげた。何故なら悠宇がちゃんと鎌の攻撃を剣で受け止めたのだから。
「どうして?」そう言いながら彼は鎌を見て、両目を見開く。「あ、ボクのローレライの鎌に罅が」
 セレスティは鼻を鳴らした。
「先ほどの三下君の攻撃で?」
 シュラインは口を手で覆う。
 え? という顔で自分の顔を指差す三下に、彼の治療にあたっていたデルフェスは頷いた。
「はい、そういう事です。三下様の攻撃でローレライの鎌に罅が入った。だから悠宇様はあの鎌が振られる度に発せられていた超音波の影響を受けないで初めてその攻撃を受け止められた」
「獲物を弄り殺す、その良い趣味が自分の首を絞めましたね」
 セレスティは肩を竦めた。
「くうそぉー」
 雪人はローレライの鎌を振り回しながら悠宇に襲い掛かるが、しかし悠宇の剣は鎌を振り払らった。そして悠宇は雪人の前に立って、彼の頬を平手打ちした。
「この事件が解決したら、そしたらリアルで一緒に遊ぼう」
 悠宇は優しく笑いながら雪人の頭をくしゃっと撫でた。
 雪人はそっぽを向き、
「例のおっかいな彼女を紹介するのはやめてくれよな。悠宇兄ちゃんを取られたって八つ当たりされるのは嫌だから」
 そしてそれだけ言うと雪人は消えて、真っ白だった空間は世界へと変わった。



 +++


 世界は混沌としていた。さまざまな世界のパーツの寄せ集めで成る世界。そこがここだ。
 そしてそこに零、嬉璃、雫がいた。
 最初に気付いたのは零で、そして嬉璃はこちらを見るとおもむろに走ってきたのだ。
 そして何をするかと思えば、
「このたわけ者がぁーーーーー」
 地面を蹴って三下の顔に飛び蹴り。
 思いっきり蹴りを喰らって倒れた三下の腹の上で、それでも気がおさまらないのか彼女は両足で飛び跳ねた。
「おんしがおればあのような人形などには負けんかったんぢゃ」
「こらこら、嬉璃ちゃん。そこら辺で許してやって」
 シュラインは笑いながら嬉璃を抱き上げた。
「それにしても良かったです。皆さん、無事だったんですね」
 そう言う悠宇に零と雫は頷いた。
 嬉璃はシュラインに抱き上げられながらまだ三下を睨んでいる。
「とにかく回復を」
 デルフェスが三人の治療をしようとするが、しかし零は顔を横に振った。
「私たちの治療に使う回復薬がもったいないです。ですから皆さんが私たちの役目を受け継いでください」
 そう言われた皆は顔を見合わせた。
「ふん。本当ならわしが人形を倒してわしの野望の道具に使ってやろうと思ったんぢゃがしょうがない」
 シュラインの手を軽く叩いて、解放された嬉璃は悠宇の顔を見上げた。
 嬉璃は胸の前に両手をやった。すると胸から浮き上がった光珠がその両の手の平に乗る。
「わしのマッハの力はおんしに。義賊ならばマッハの力も得られるぢゃろうて」
 そして嬉璃から悠宇がマッハの力を受け継いだ。
「すごい。力が溢れてくる。これならやれます」
 悠宇は嬉璃ににこりと微笑み、嬉璃は頷いた。
 雫はセレスティを見上げる。
「あたしのネヴァンの力はセレスティさんに。セレスティさんの智の属性はネヴァンの心と合うはずです」
「ええ。確かに請け負いました。後は私にお任せください、雫嬢」
 セレスティは雫に穏やかに微笑みながら光珠を自分の体内に入れた。
「シュラインさん、後はお願いします。アリアンロッドさんの維持を望む心はシュラインさんの日々を見守る気持ちと合うはずです」
「ええ。絶対に人形をなんとかしてみせるわ」
 零は頷き、そしてシュラインも己の体にアリアンロッドの力を入れた。
「では、皆さん。塔に行きましょう」
 デルフェスはにこやかに言い、そして塔を見上げた。



 +++


「いらっしゃい。皆。あたしはお人形。昔、昔、とある魔法使いが作ったお人形。マスターは死んじゃった。あたしはあたし。今はあたしのあたし。だけどあたしには望みが無いの。あなたたちには望みはあって? その望みをあたしが叶えてあげる。だけど勝てるかなー、あたしに♪」
 ふりふりのレースがついた純黒のドレスを身にまとう人形はウインクした。
 外見は細身の10代後半の少女。
 だけど感じるプレッシャーは――――――
「嫌だ、何、このプレッシャーは。半端じゃないわ」
 シュラインは両手で己が身を抱きしめた。いつも気丈なはずの彼女が震えていた。
「さすがにキツイですね。これは。気を抜くと呑まれそうだ」
 セレスティはシュラインの前に立ち、十字架の錫杖を構える。
 デルフェスはフランベルジュを構えると同時にこちらを見ながらくすくすと笑う人形に換石の術をかけた。
 一瞬で人形は石へと変わる。通常ならばもはやデルフェスの力でないと元には戻れない。
 だが、
「残念でしたぁー♪」
 人形の石化は解け、床につくすれすれまで長い髪とスカートの裾をふわりと浮かせて、彼女はその場で回った。
「そんな…」
 デルフェスはきゅっと下唇を噛んだ。
 悠宇は翼を広げ、カリバーンの剣を構える。
「ゼロはどこだ?」
 人形は小首を傾げた。
「ゼロ? それってだーれ?」
「ラスボスは未だに出ずですか」
 セレスティは肩を竦める。
 そして皆は同時に頷いた。
 己の胸に両手をあてる。
 瞬間、皆の体が輝き出した。
「な、何よ、それは? あなたたちは何をするつもりなの???」
 人形は言った。
「いじめる人なんて嫌いだぁー」
 炎、水、雷、光の球が人形の周りに浮かび、そしてそれが皆に放たれる。
 だが黄金の輝きを放つ皆のオーラのバリアーに阻まれ、それは消滅し、
 そして!!!
「「「「だぁー」」」」
 四人は一斉に人形に向って女神の力を凝縮した光珠を投げつけた。



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 悠宇は翼を羽ばたかせた。
 上下も前後左右も無い空間で悠宇はカリバーンを構える。
 人形は笑う。
「さっきのローレライはすごかったね。でもあれってマグレ。今度はどう?」
 ローレライの鎌を振り回す人形。
 耳鳴りがした。
 ローレライの発する音波が悠宇を襲う。
「舐めるなー」
 悠宇は翼を羽ばたかせて人形の上空に飛び、そして全力以上の力で翼を羽ばたかせた。
 その翼の羽ばたきは重力を操り、そしてそれはブラックホールを生み出した。
 人形は凄まじい恐怖の表情を浮かべて、そしてブラックホールへと飲み込まれた。
 全てを飲み込むブラックホールの前ではローレライの鎌など関係無い。
「さっきは雪人が相手だったし、仲間も居たからやらなかっただけだ。誰も居ない、何も無い空間なら、遠慮する事は無い。敗因はやっぱりおまえの性格だよ」
 悠宇は翼を閉じた。
 そしてその悠宇の前に人形が現れる。
「あたしのマスター、羽角悠宇様」
 悠宇は片膝をついた人形に右手を差し出し、人形は悠宇の手の甲に口付けをした。



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【第六章 ゼロ】


 気付けば塔の中に居た。
 そして皆は向かい合って立っていて、その中心には頭から黒いローブを被った男が居た。
 セレスティが肩を竦める。
「ようやく現れましたね、ゼロ」
「こいつが、ゼロ。今回の首謀者?」
 悠宇は剣を構える。
「それであんたは一体これからどうするつもりなのかしら?」
 シュラインは小首を傾げる。
「わたくし、同じモリガン様の勇者としてあなたを説得しに来ましたの。もうこんな事はおやめください」
 デルフェスは責めるように哀しげに両目を細めた。
 ゼロは肩を竦める。
「私はただ、この世界の変革を望んだ。あなた方は本来は邪竜クロウ・クルーハを倒した後に起こる予定だったこのイベントに参加し、見事に邪竜クロウ・クルーハよりも強い力を手に入れた。それでこの『白銀の姫』の変革を」
 ゼロは詠うように言う。
 そしてゼロの姿は消えた。
「これはどういう事なんですの?」
 デルフェスが目を瞬かせた。
「私は心はあれど肉体は無い。故に人形のマスターとはなれなかった。だからこそこのイベントを起こし、そしてやって来たあなたたちにマスターとなってもらった。そして、そのあなた方の肉体を私が貰う。ここではあなた方はデータでしかなく、だからこそ」
 凄まじい悪意が自分を包み込むのを感じた。
「冗談じゃないわ」
 シュラインは声をあげる。
「くそぅ」
 悠宇は重力波を滅茶苦茶にぶちまかした。
 だがセレスティは鼻を鳴らした。
「おかしいですね。あなたは肉体に囚われるのが嫌で、永遠の思考を求めて、故に己をネット界に解き放ったのではないのですか? 荻原君」
 どくん、とこのエリアが脈打った。
 皆はセレスティを見る。
 そしてシュラインはあっ、と口を開けた。
「言葉遊び。荻原のO(オー)が0(零)でそれでゼロ?」
「もうひとつはゼロ、無し。故に永遠という意味ですかね」
「あのセレスティさん、それってどういう事ですか?」
 説明を求める悠宇にセレスティは頷いた。
「荻原君というのは有能なプログラマーでした。しかし彼は脳の病気にかかってしまった。だから彼は自分の人格、知識、荻原賢治という人間をコピーしたモノをネットに解き放った。その彼がここに居た。おそらくは流れ着いた彼のコピーはモリガンに惹かれ、彼女を得んがためにこの廃棄されたデータを取り組み、この世界そのものがゼロとなった。そして今また私たちの中に入り込もうとしている」
 デルフェスは顔を左右に振った。
「つまりゼロ様…いえ、荻原様も生きているのですね、ここで。だからこそモリガン様に恋をした」
 世界が震え出す。
「私は、私は、私は何だ………」
 皆の顔に緊張が走った。
「いけない。ゼロはこの世界のデータと同調していたんです。それによって『白銀の姫』にイベントを起こした。だけどどうやらその存在自体が危うくなっている。世界が消えます。同調した事でプログラムが変調をきたしていたのでしょう」
 セレスティが叫んだ。
「世界が消えたら、どうなるの?」
 シュラインがセレスティを見る。
「デリートされるでしょう。私たちも」
「そんな事って」
 デルフェスが口を両手で覆った。
 悠宇は重力波で塔の壁をぶち壊した。
「セレスティさん、失礼します」
 そして足の不自由なセレスティの腰に後ろから両腕を回し、翼を羽ばたかせた。
「シュラインさん、デルフェスさんは俺の足に」
「ええ、ありがとう。悠宇君」
「お願いします、悠宇様」
 黒き石の翼を羽ばたかせて、『白銀の姫』の正式なる世界へのゲートを目指した。
 飛んでくる皆に零、嬉璃、雫、三下は安心した笑みを浮かべ、そして急いでゲートの向こうへと消え、それに続いて皆もゲートをくぐった。ゲートの向こうで不正に『白銀の姫』に繋がっていた世界は、デリートされた。
 それはゼロが切り捨てられた世界に同調したためにプログラムが乱れたが末のデータ破損による終末であった。そしてもうひとつ、現実世界のどこかにあるスーパーコンピューター【Tir-na-nog Simulator】によるウイルス駆除によるものだった。
 この事件に携わった勇者たちはやがて暗黒騎士と邪竜の巫女ゼルバーン、そしてスーパーコンピューター【Tir-na-nog Simulator】と出会う事になるのだろう。
 ………。



 ――――――――――――――――――
【ラスト】


 昼下がりの公園。
 悠宇は手に持っていた二つのグローブのうちの一個を雪人に渡した。
「じゃあ、キャッチボールしようか?」
「ボク、知らないよ。やり方。友達いないもん」
 そっぽを向いて拗ねたように頭を掻く雪人に悠宇は微笑む。
「俺が教えてやるよ。友達のさ」
 その言葉に雪人は嬉しそうな、照れたような笑みを浮かべ、そして悠宇に、
「しょうがないな。悠宇兄ちゃんに付きあってやるよ」
 って言いながら走って、距離を取って、それで悠宇に向ってボールを投げた。
 ボールはぱしん、と良い音で悠宇のグローブに収まって、雪人は嬉しそうに笑った。
「ごめんね、キャッチボール、上手くってさ」
 悠宇は苦笑を浮かべ、ボールを投げ返した。
「じゃあ、今度は一緒にどっかの草野球にまぜてもらおうぜ、雪人」
 昼下がりの公園の中で二人は笑いながら体を動かせた。


 ― Fin ―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / ゲーム内職業 / リアル職業】


【3525 / 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 義賊 / 高校生】


【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 魔法使い / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】


【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 魔法使い / 財閥総帥・占い師・水霊使い】


【2181 / 鹿沼・デルフェス / 女性 / 463歳 / 軽戦士 / アンティークショップ・レンの店員】




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■         ライター通信          ■
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こんにちは、羽角悠宇さま。
いつもありがとうございます。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。



今回は皆様、ご依頼ありがとうございました。^^
【眠りの霧】については納得していただけたでしょうか?
後半部分、お気に召していただけますと幸いです。^^
また今回の事件で手に入れた人形は、今後の『白銀の姫』関連のノベル、
またはネット関連のノベルなどの時にはネタとして使っていきたいと思いますので、
もしもまた縁があった時にはプレイングの片隅などに名前なんかを書いておいてくださると嬉しいです。^^
シチュでは名前描写ができないのですけど。^^;

セルバーン、暗黒騎士、スパーコンピューター【Tir-na-nog Simulator】は『白銀の姫』の公式設定となっております。
今後の『白銀の姫』にもまた期待しておいてください。今ノベルでは書き表せなかった魅力がたくさんあります。^^
僕自身もすごくこの企画、楽しみです。^^



悠宇さま。
今ノベルでのもうひとつのテーマは雪人との触れ合いでしょうか?
雪人を救えなかった苦しみ、雪人を救うためにとった彼の行動、今回のそれらもまた大切な事だと想います。
ラストでのキャッチボールも爽やかでしたしね。^^
また雪人とした彼女さんに聞かせられない会話も男の子の友情のひとつでしょうか?^^
個人的には噴水のシーンが好きだったりします。^^



それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、本当にありがとうございました。
失礼します。