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【豪華クルージングにうってつけの夜】
------<オープニング>--------------------------------------
男の泣き声が、狭い事務所に響いていた。
草間武彦は、いたたまれなくなって煙草の火をつけた。深く煙を吸い込み、天井を仰いで煙を吐き出した。
草間興信所の応接テーブルの上に、丸い山のような身体が突っ伏している。たっぷりとした筋肉の上に、こってりと脂肪を載せた巨体だ。指にはごつい宝石のついた指輪を何本も嵌めている。
丸山権蔵。大手暴力団の傘下にある丸山組の頭領である。表向きは建築会社「丸山組」の社長ということになっているが、その実質は大久保一帯の風俗店を取り仕切る極道者だ。
年齢は草間の父親とそう変わらない。
久し振りに連絡を取ってきたかと思ったら、事務所に入って来るなり草間に詰め寄ってきたのである。禿げ上がった頭から湯気を出し、茹で蛸のように真っ赤になって語ったことが。
−−妻へのプレゼントを奪われた。
である。
丸山の妻は二十も年が離れた幼妻だが、極道者の妻らしく非常に気が強い。丸山は頼み込んで結婚した手前もあって、彼女には全く頭が上がらないのだ。結婚記念日ともなれば、彼女の前に豪華なパーティのプログラムと宝飾品が並ぶ。
彼女の誕生日まで一週間を切った昨日、大枚をはたいて入手した宝石を奪われたというのである。丸山から宝石を取り上げたのは、ロシアの大富豪。あの手この手で宝をかき集めたリストの中に、盗品が混ざっていたのだという。盗品とはいえ、丸山はそれを大金で買い取っていた。決して彼が盗んだわけではない。
だが、盗難届を盾に持ち主が宝石を奪ってしまったのだという。丸山の金も返ってこない。悔し涙で一晩枕を濡らし、丸山は思い付いた。
盗み返してやれ。と。
「あの、おやっさん」
草間は煙草を灰皿の上で揉み消した。
「何とかしてくれよっ!」
丸山が泣き腫らした顔を上げる。
「盗品だか何だかしらねえが、アレはオレがおかあちゃんのために買ったもんだぜ! 楽しみにするようにって言っちまったんだ。オレァ殺されるかもしれねえ。なあ武彦よ、お前ぇが駆け出しの頃は随分可愛がってやったじゃねえか。オレとお前の仲じゃあねえか!」
唾を飛ばして一息に訴えた。
「……はい」
鼻をぶつけそうなくらい顔を近づけてきた丸山を、草間は両手を挙げて宥めた。
「判りました。おやっさんの頼みを嫌とは言えません。何とかしましょう。足がつかないように、ね」
「おお、武彦!」
感極まって丸山は草間の手を握りしめた。
探偵家業に足を突っ込んだばかりの頃、丸山には相当世話になった経緯がある。余り、「真っ当な」裏社会には足を突っ込まないことに決めている草間だが、丸山の頼みとあっては断れない。
丸山は草間の手を片手でしっかりと握ったまま、懐から一枚の紙切れを出した。
先ほど丸山の言ったロシアの富豪、クズネツォフの開く豪華客船でのパーティについて書いてある。クズネツォフは一年中、自分の豪華客船で海を漂っているらしい。都市に停泊する度にパーティを開催、友人知人著名人を集めて華やかに遊ぶらしい。
「オレの宝石、ウンディーネの涙はこの船にある。こいつは仲間達に頭ァ下げて手に入れた招待状よ」
丸山は鼻の頭を真っ赤にしたまま、草間の前に封筒を差し出した。
「呼ばれてンのは芸能人と芸術家以外、殆どキナ臭い奴らよ。気にするこたァねえ。行ってこい」
ずるりと洟を啜り上げて言う。
草間は手を握られたまま、「キナ臭い」という言葉に少しだけ、後悔した。
× × ×
白い巨大な山が、港に停泊していた。
スポットライトで四方から照らし出された豪華客船・ホワイトカーミラ号は、それ自体が一つの宝石か何かのような美しさだった。
高く聳える船体の上から、色とりどりの光が漏れている。モールや電飾の巻かれた甲板はライトで明るく照らされ、色鮮やかなドレスに身を包んだレディが優雅に歩き回っている。
招待客がタラップの前に列を作り、ゆっくりと船へ乗り込んでいく。
草間武彦はタキシードの襟を指で緩めたり絞めたりしながら、落ち着かない気分を味わっていた。余りにもセレブな空気が、肌に合わない。
がりがりと頭を掻き、呟いた。
「仕方ないな。虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。行くぞ」
× × ×
ホワイトカーミラ号を見下ろしていた女性が、小さく溜息を吐いて身体を起こした。
身体にぴったりとした変わったデザインの黒い服を着ている。片目には遠望用の暗視ゴーグルをつけていた。
首からジャックを引き抜き、隣で片膝を突いていた男にゴーグルを手渡す。
ホワイトカーミラ号が停泊している港を望む高層ホテルの一室であった。典雅な内装の部屋に似合わず、二人とも身体にぴったりとした制服のような衣装を着ている。
「港を離れた後、東京までゆっくり進んで帰ってくるそうよ」
女性が男を見つめて言う。銀色の髪をやや長めに後ろへ流した男が、無言でゴーグルを着けた。
「手配は済んでいる。港を離れた後に侵入だ」
もう一人の男性が部屋に入ってくる。その後ろには、青い髪をドレッドに編んだ少年が従っていた。
「あるかしら。宝石」
女性が窓からホワイトカーミラ号を見下ろす。絢爛と輝く豪華客船は、そこだけ非現実のように華やかに見えた。
「宝石があると聞けば行く。オレ達の目的が達成されるにはそれしか方法がない」
「判ってるわ」
女性が肩を竦めて髪を撫でた。
「ウンディーネの涙……今度こそ、当たりよね」
------<Mission Start>--------------------------------------
巨大なシャンデリアが吹き抜けのホールを照らしていた。
草間はそのシャンデリアを見上げ、先日観てきた映画のワンシーンを思い出した。とてつもなく巨大なシャンデリアに白い布を掛けて床に置いた様は、さながら小山の出現に思えた。頭上高くに吊られているため小さく感じるが、目の前に下ろしたらあれぐらいはあるのではないだろうか。
その映画ではクライマックスにシャンデリアが客席に落下して惨事が起きていた。海上でこの船は揺れるのではないかと思い、草間はシャンデリアが落下してくることを想像する。
シャンデリアの下には赤い絨毯が敷き詰められ、仮面を付けた男女が行き交っていた。絢爛と輝くシャンデリアの光を受け、波打つように揺れるドレスの海だ。肘上までを覆う長手袋を嵌めた淑女達が、燕尾服を着込んだ仮面の紳士に手を取られ、踊っている。
「仮面舞踏会だったのね」
草間の肘に腕を絡めたシュライン・エマが囁いてくる。彼女の目元も赤い羽根の華麗な仮面で隠されている。眉と目元を隠されると表情が判りづらい。いつもよりも神秘的に思えた。
胸元を大きくくつろげたイブニングドレスを纏っている。銀糸とパールの刺繍で飾り立てられたドレスは、地味な色味とは対照的に華やいで見える。黒は女を美しく見せる──あの格言には頷けるものがある。
その後ろには同様に仮面で顔の半ばまでを覆った龍ヶ崎常澄が立っている。小さな皿の上にキャビアのカナッペとクラッカーを載せ、ちまちまと囓っている。胸元からたっぷりとレースを使ったブラウスとショートパンツ、露わにした足にニーソックスと編み上げブーツ。長めのジャケットを羽織っていた。
「きな臭いってことは、『お互い相手が誰かは知らなかったことにしましょうね』ってコトなんだろうね」
仮面の下からちらりと草間を見上げてくる。草間は顎を捻った。
「初対面でもなけりゃあ判ってトーゼンだと思うけどな」
「何かあった場合、警察だって一応仮面を被っておいてもらった方がお目こぼししやすいんだぜ」
チッチッと舌を鳴らし、リィン・セルフィスが人差し指を振る。こちらも常澄同様、盛装と言うには首を傾げる出で立ちだ。
白地に赤のラインが入った中国服の上に、渋い赤地に金ラインの入った上着を着込んでいる。堂々とした体つきには似合っているが、招待客のためのショー芸人に見えないこともない。派手な刺繍が施されており、突っ立っているだけでも相当目立つ。
「二人とも、泥棒するのにそんな目立つ恰好って」
今日数回目の溜息を吐き、シュラインが腰に手を当てる。常澄はクラッカーを一枚シュラインに手渡した。
「派手に着飾ってこい。今回の草間の衣装指定。派手ってだけ指定されても困るんだよね。リィンは華やかな服持ってないし、大慌てで中華街まで買いに行ってきたんだし、これが精一杯」
「紋付きでもよかったけど、こういうのもいいな! 袴よりは動きやすい」
リィンは上機嫌で言う。通りすがりのバーテンが、一同に銀盆を差し出した。
「そこには紋付きもいるし、ほれ、あっちは完全中華。ま、いいんじゃないのか?」
草間は盆の上からカクテルグラスを取り、一口啜ってそう言った。
「こんだけ派手なら、目撃されても顔の印象は残らないさ」
「銀行強盗する時は、顔に大きなほくろを書きましょうってアレね」
シュラインも優雅な手つきでグラスを取る。
「シャンパンかな」
グラスを摘んだ常澄が、鼻を近づけて香りを嗅ぐ。唇を付けて傾けた。
「美味し」
にんまりと笑い、唇を舐めた。
「あんまり飲むなよ」
珍しくリィンが小言を言う。常澄はひらひらと手を振ってそれを一蹴した。
「常澄君があんまり酔っぱらわない内に、お仕事しちゃいましょ。でも、何から始める?」
草間にぺったりと張り付いたシュラインが囁いた。
ホワイトカーミラ号の見取り図のようなものは一切見つからなかったのである。丸山の援助を受けても手に張らないということは、それなりに秘密があるということだろう。世界中を常に動き回る豪華客船に、招待されている客層を考えて、何もないとは思えない。
「まあ、楽しもうぜ。草間武彦は仕事の出来る男なんだ。万事、抜かりはございません」
草間はシュラインの腰を抱いて顔を近づけた。
「物凄く判りやすい合図があるからな。それまで自由時間。ただし離れすぎないように」
× × ×
ミハイル・セルゲイヴィチ・クズネツォフ。
ロシアで幾つもの企業を手がけている大富豪の一人。本国にある邸宅に居るのは平均約二ヶ月。それ以外の期間は全てホワイトカーミラ号で過ごすという。交友関係は広く、ホワイトカーミラ号がどこかの国に停泊する都度大勢の人間を招いて仮面舞踏会を開催している。ソビエト連邦保安局の重要な地位にあった男を父親に持ち、遺された財産を基に成功を収める。表向きは鷹揚で優雅な青年だが、その行動には不審な点が多く、彼の巡航ルートと武器密売のルートが重なっているという噂もある。接近するには注意が必要な人物と言える。
ウンディーネの涙。
同名で呼ばれる宝石は世界中に散見される。大ぶりのブルートパーズであったり、エメラルド、サファイアである場合もある。陳腐な名前であるので、愛称として付けやすいため全て同一の物であるとは考えにくい。クズネツォフ氏がウンディーネの涙と呼ばれる宝石を手に入れたのは三年前。ロマノフ王朝時代の宝飾品の一部だという触れ込みで買い取っている。氏が、自ら出向いて取り戻すほど執着していたという資料はない。
ホワイトカーミラ号。
総トン数20265トン 巡航速力14ノット 乗組員数約200人。ミハイル・セルゲイヴィチ・クズネツォフ氏が所有する船。氏が国々を回って旅行をするための邸宅として使用されている。ロシア製の客船を改造して使用している。内部の見取り図などは一切不明。頻繁に改造が行われている様子があるが、全ての資料が消滅している。
セレスティ・カーニンガムは膝の上のレポートをゆっくりと捲りながら、クズネツォフの情報を頭に入れてゆく。交友関係が広い富豪同士だ。相手の名前や実績などは聞き及んでいるが、今まで面識はなかった。
何度か招待状を受け取ることもあったが、セレスティも多忙な身である。彼自身が寄港地から遠く離れた場所にいる場合が多く、今まで参加する機会が無かったのだ。
「思ったよりも、不穏な人物のようですね」
部下がまとめ上げてきたレポートに全て目を通し、セレスティはそれを膝から座席の横へと片づけた。
身体を揺らす振動と轟音が、やや足に辛い。やはりヘリは短時間しか乗っていられそうにない。
「総帥。ホワイトカーミラ号上空です。着陸の準備をお願いします」
ヘルメットを被ったパイロットがセレスティを振り返って言う。セレスティは頷き、窓から下を覗き込んだ。
真っ黒な海上に、絢爛と輝く船が見える。船の上部にヘリポートが見えていた。
デッキでは仮面をつけた紳士淑女が佇んでいる。殆どの者が接近してくるヘリを見上げていた。
「あれだけ探しても見取り図一枚見つからないとは、随分秘密を抱えた船のようだ」
セレスティは呟く。ヘリがゆっくりと高度を下げる。
ヘリポートへと続く通路に、一人の男性が姿を現した。年の頃は二十代半ばを過ぎたあたりか。屈強な肉体をブラックスーツに包んだ護衛二人を従え、大股で通路を歩いている。上等なスーツの裾が、ヘリの起こす風に吹かれて大きく揺れた。
ヘリが甲板に降り立つ。パイロットの隣の席に座っていた秘書がドアを開け、セレスティに手を差し出した。
杖と秘書の手を借り、ゆっくりと甲板に降りる。ヘリの風が一瞬、セレスティの長い髪を吹き上げた。
髪を片手で押さえ、セレスティは男性に向き直る。男性が微笑み、手を差し出した。
「ようこそ、ホワイトカーミラ号へ。ミハイル・セルゲイヴィチ・クズネツォフです」
「刻限に遅れてしまい、お詫びします。はじめまして、セレスティ・カーニンガムです」
二人は握手を交わす。思ったよりも背が高く、若作りな男だ。やや神経質そうな顔立ちだが、顎がしっかりとして男性臭い。ゆるく巻いた髪が肩あたりまで伸びており、学者か芸術家のような小さい丸眼鏡を掛けていた。
「来て頂けたことをとても光栄に思います」
「折良く日本に居ましたので。一度お会いしたいと思っておりました」
セレスティはクズネツォフに促されるままに通路を歩き出す。二言三言、社交辞令の応酬をした。
「ところで」
杖を突きながら、セレスティは用件を切り出す。
「最近、ロマノフ王朝時代の宝飾品に凝っております。以前にウンディーネの涙をご購入されたと伺ったことを思い出したのですが」
クズネツォフが足を止めた。セレスティは小首を傾げて彼を振り返る。
眼鏡の向こうの瞳が、一瞬狡猾な光を宿した。セレスティは視力が非常に弱いが、反面他の感覚機能が研ぎ澄まされている。彼の指先や頬の動きを感じ取った。
──こいつが……?
彼の胸をよぎった言葉を言い当てるとしたら、こうであろうか。
セレスティは微笑みを崩さぬまま、クズネツォフの反応を伺う。社交界のスターの一人として十分な知能を持ち合わせているクズネツォフは、セレスティでなければ訝しくすら思わぬだろう素早さで本心を覆い隠した。
「どこでお聞き及びになったのですかな。なに、大したものではありません。本当のロマノフの物かどうかも怪しいですな。鑑定に出すのも面倒で船に乗せてありますが」
探るように言った。
「ご覧になりますかな」
× × ×
一機のヘリが、ホワイトカーミラ号に接近していく。
波を蹴立てて客船の後ろを進んでいたボートの中で、一人の女性がそれを見つけた。
「何かしら」
僅かに身を乗り出し、夜空を仰ぐ。ボートの先端に砕かれた波が、飛沫になって彼女の頬に当たる。女性は顔を顰め、頬を指先で拭った。
「巡回している兵隊も見上げているようだな」
最前列でゴーグルをはめた男が頷く。オールバックにした髪の上に、すっぽりとフードを被っている。女性と揃いの黒い服を着ていた。
「派手な登場をしたがる客がいたんだろ」
ボートの操舵をしていた赤毛の男が呟く。二人と揃いの黒い服に、マントを巻き付けている。
「だがチャンスと言えるな。不意の客と見えて、注意があちらに注がれている」
オールバックの男が言う。最後尾で沈黙している銀髪の男性に声を掛けた。
「どうする、リーダー」
腕組みをして夜空を見上げていた男性が、リーダーと呼ばれて顔を向けた。
一同の視線が銀髪の男性に集中する。
男は無言で手を挙げ、指を曲げて何かサインを出した後、船を示した。
× × ×
端末の液晶に、白い点がぽつりと表示された。
同時に、シュラインがビーズの小さなバッグの中に手を入れる。携帯電話を取り出し、画面を草間の方に向けた。
『地図は見つかりませんでした。発信器を追って来て下さい』
セレスティからのメールだった。
着飾った来客の間を縫うようにして、リィンと常澄がやって来る。草間は親指で、ホールから抜けるドアを示した。
「派手な合図だったな」
近づいてきたリィンが言う。何故か頬にキスマークがついている。常澄が無言でハンカチを取り出してそれを拭った。
「判りやすいだろ? 地図がないから方向しか判らないな。ついてきてくれ」
草間はドアを押し、シュラインの手を取って通路へ出る。そこでも数組の男女が談話を交わしていた。こちらはやや内密気味の話なのか、ひっそりと寄り添ったりしている。
草間はシュラインの腰を抱き、親密そうにしながら通路を歩いていく。
「セレスティさんでも見つけられない船の見取り図か。あんまり安全じゃない感じだね」
草間とシュラインから小声で説明を受けた常澄が感想を漏らす。草間は後ろを振り返って肩を竦めた。
「悪いな、いつもこういう仕事で」
「大歓迎だぜ? 目の保養にもなるしな」
リィンが小さくVサインを作る。常澄が呆れたように首を振った。
「さっき聞いて回ったところじゃ、今のホールが一番大きい会場。他にもお客さんの重要度によって幾つかホールが分けられてるみたいだ」
そう言って、小さくしゃっくりする。指先を口許に当てた。
仮面の切れ目から覗く目尻が、ほんの少し赤く染まっている。少し酔っているようだ。
「入れるホール数が多ければ多いほど、クズネツォフ氏にとって大切な客だってことらしいよ」
「階級分けの好きな男なんだな」
草間は液晶画面をちらちら見ながら通路を選ぶ。方向は合っているが、セレスティたちは更に下の階層を歩いているらしい。追いつくのは手が掛かりそうだった。
「武彦さん」
シュラインが草間の袖を引く。通路の奥に下り階段が見えた。
その横には、余りパーティ会場に相応しくない物々しさを漂わせた男が一人立っている。バーテンの恰好をしているが、服の形から見て護衛だろう。胸の下にはホルスターがあるに違いない。
「こういう階段が幾つあるのかね。どうする」
「強行突破、だろ」
リィンがにやりと笑う。常澄が腰に手を当てた。
「何階層あるのか判らないのにか? それは得策じゃ……ん?」
男が耳元に手を当て、突然階段の下へ身を乗り出した。下を覗き込んでいる。
「下から銃声が聞こえるぞ」
リィンが呟いた。
「何かあったな」
× × ×
腕のすぐ脇を銃弾が掠めて飛んでいく。ロングライフルを構えたまま、赤毛の女性は「ヘタクソ」と小さく呟いた。
トリガーを引き、前方の警備兵三人の腕を打ち抜く。息を吐き、髪を掻き上げた。
「地図も無しで歩き回るのは自殺行為よ。何とかして」
廊下を歩き回っていたオールバックの男性が、壁を撫でて頷く。
「誰かが突っ走るからこういうことになる。少し待て」
「その誰かってのは、オレのことか」
黒いマントを羽織った赤毛の男が仏頂面で言う。女性とドレッドヘアの少年、銀髪の少年が同時に頷いた。
「発見されたからっていきなり殴り飛ばすヤツがあるかっつーの。オレ達泥棒なワケよ。判ってるかァ? そこんとこ」
「コソコソするのは性に合わねえ」
「ではお前は次回から留守番だ」
オールバックの男性が冷ややかに言い放つ。ポケットから極細のドライバーを取り出し、壁の一角のネジを外し始めた。
「次が来たぞ」
銀髪の男が静かに言う。赤毛が唇をひん曲げたまま、銃を構えた。
「十分時間を稼げ。制圧する」
オールバックの男が、懐からジャックを取り出す。外板を外し、配線の絡まる配電盤をむき出しにした。
配電盤の隅にジャックを差し込み、それを自分の首の後ろに繋ぐ。
目を閉じて沈黙した。
× × ×
通路を武装した男達が走っていく。物陰に隠れて彼らをやり過ごしてから、草間はひょいと首を出した。
「何かしら。どんどん下に降りていくみたいだけど」
シュラインが首を傾げて呟く。草間も首を傾げた。
「同業者だったりして」
常澄が身を屈めたまま人差し指を立てて言う。
「ロシアの富豪のお宝を何かぶんどってやろうっていう、盗賊とか」
草間は顎を捻って考える。
「そりゃあ、マズいな」
「強行突破だな!」
喜び勇んでリィンが言う。常澄がリィンの頭を押さえ込んだ。
「悪魔を先行させて物見にしようか」
常澄が指先で空中に魔法陣を描く。
「召還! 妖精・クイーンメイブ!」
空中の魔法陣から、動物の毛を体中に絡ませたような女性がぬるりと出てくる。不気味なお面のような顔を近づけられ、草間はびくっと身体を震わせた。
身体をくねらせ、悪魔が宙に浮く。常澄が示す方向へと飛んでいった。
階下から、電撃のようなバチバチという音が聞こえてくる。続いて、悲鳴と怒号。
「平気みたい。行こう」
常澄がさらりと言って階段を指差す。草間はぽかんと口を開けた。
「このところ、大胆になったわね……常澄君」
シュラインが呆れたように言う。ゆっくりと立ち上がった。
× × ×
クズネツォフが不意に足を止めた。
遙か下方を目指し、幾つもの階段を下りたところだった。クズネツォフはセレスティの歩調に合わせながら、ゆっくりと案内をしてくれている。半歩ほど後ろに、ぴったりとボディガードの男性がくっついていた。
「失礼」
クズネツォフはセレスティに断って携帯電話を取り出す。「どうした」と低く話しかけた。
ホワイトカーミラ号の内部の造りは予想以上に複雑になっていた。エレベータで半分ほどまで下り、短い階段を数回下りている。丁度船の中心部当たりだろうか。
セレスティは袖の中の発信器をそっと探り、それがきちんと動作していることを確認する。草間達は追いついてこられるだろうか。
「何かありましたか」
セレスティは微笑んでクズネツォフに話しかける。草間達が見つかったという報告であったとしたら、少し困ったことになる。
「いいえ、何も。少し上がざわついているようです。目的地はすぐ其処ですよ。ウンディーネの涙、お目に掛けましたらすぐに上がりましょう」
クズネツォフはそう言い、セレスティの手を取った。
「それにしても、随分とお美しい。お幾つになられたのですかな」
「若作りな家系なもので」
セレスティは微笑みを崩さずにそう言う。クズネツォフが苦笑した。
数メートル先に、赤いドアがあった。映画館のものと同じ密閉率の高い観音開きのドアである。
ボディガードの男がドアを開き、二人を中へと促した。
「この部屋は私のコレクションを飾っておく部屋でして。余り外の方をお入れしないので少しむさ苦しいかもしれませんが」
照明のスイッチを入れながら、クズネツォフが言う。
小ぶりのシャンデリアが、光を灯した。
暖かな色の光が室内を照らし出す。キャットウォークを巡らした吹き抜けの部屋は天井が高く、壁際には書物が並んでいる。その隙間隙間に、趣味はいいが骨董品的な価値は余りない調度品が並んでいた。
やや手狭に感じるくらいに、調度品や美術品が並べられている。クズネツォフがロシアの邸宅や各地にある別荘、ホワイトカーミラ号のどこかに飾ることを閃くまで、買った物は全てここに置いておくのだと言う。
セレスティはその殆どに大した価値がないことを確認しながら、ゆっくりと部屋を歩き回った。
やがてボディガードの男が、黒いビロードのクッションに載せられたペンダントを運んで来た。クズネツォフはセレスティに椅子を勧める。
「これが、ウンディーネの涙ですか」
セレスティはペンダントを飾っているブルートパーズを見下ろした。
うずらの卵ほどもある大ぶりのブルートパーズだ。丁寧なカットが施され、宝石としてはまあまあの品質である。この部屋に置いてある美術品や宝飾品同様、素晴らしいと言えるほどの価値はない。
草間の知り合いが背伸びをして買うのならば相応しいだろう。だが、わざわざ盗まれたからといってクズネツォフが取り返しに行くほどの価値は──ない。
組み立てたパズルの真ん中のピースが欠落している。セレスティはそう思った。
「余りこういうものに詳しくない秘書が買ってきましてね。金額的にも大したことがないので持っておりましたが、恐らくロマノフの宝などではないでしょう。お眼鏡にはかないませんでしょうな」
「ええ。少しがっかりしました」
セレスティはそう言って男性にウンディーネの涙を返却する。
杖を手に取るフリをして、袖の中の発信器を椅子の裏側に貼り付ける。
「お手間を取らせました。ありがとうございます」
「いいえ」
クズネツォフが鷹揚に首を振る。
「それよりも、先ほどと同じ質問をもう一度させて頂いてよろしいですかな? セレスティ・カーニンガム」
クズネツォフはセレスティを呼び捨てにして、脚を組んだ。
「ウンディーネの涙がここにあると、どこで調べられたのですかな」
× × ×
発信器の反応が、止まった。
人気のない通路をクイーンメイブに選択して貰い、草間達は入り組む道を駆け足で進んでいた。時折彼方から銃声が響いてくる。
草間は壁に背中をつけ、慎重に反応と自分の居場所を確認する。液晶内のカーソルが強く輝いており、すぐ側だということを教えてくる。高ささえ間違っていなければ、この壁の向こう当たりと考えていいだろう。
小さなドアが、すぐ側に見えた。
壁にひたりと耳を着けていたシュラインが首を振る。防音がしっかりしているのか、殆ど音は聞こえてこないようだ。
「開けてみるか?」
リィンが銃を取り出し、くるくると回しながら言う。
──それが何か、重要なことですか?
不意に、端末から音声が聞こえてきた。草間は慌てて端末に耳を近づける。
くぐもって割れてはいるが、どうやらセレスティの声のようだ。ノイズが多くて非常に聞こえづらい。
──ウン……涙……は……ある……仕掛け……どこ……
更に聞こえづらい男の声が、セレスティに答えている。
「仕掛け?」
草間は端末に耳を押し当てたまま呟いた。
リィンが真顔になり、ドアノブを掴んだ。そっと開く。
ドアの隙間から、迷彩服に身を包んだ男の背中が見えた。
× × ×
足音が響き渡る。セレスティは椅子に座ったまま顔を上げた。
室内をぐるりと囲んでいるキャットウォークに、迷彩服を着た男達が並んだ。一斉に銃口をセレスティに向ける。
セレスティは杖を置く振りをして、椅子の裏に指を伸ばした。
「大した歓迎ですね。これは一体? 私がウンディーネの涙を知った手段、それが何か重要なことですか?」
そろりと手を抜き、膝の上に置いた。
「落ち着いていらっしゃる。それも、あの手練れ達を飼っている者の余裕ということですかな」
「お話が見えませんね」
セレスティは応える。首筋に、少しだけ汗が浮いている。このあたりには水分がない。何か誤解をされているようだが、切り抜けるには頭脳を使うしか無さそうだ。
草間達が踏み込んでこないことを祈るばかりだった。
「しらばっくれているのかな? 近頃多く発生している宝石泥棒のことですよ。日本でもつい夏頃にあったばかりではないですか。高級宝飾ブランド・デビルアースが日本に上陸した時の事だ。世界最大のダイヤモンド、ミレニアムホープと一緒に、デビルアース社自慢のスルタンレッドというルビーがやって来ました。丁度ウンディーネの涙と同じぐらいの大きさのルビーですね」
クズネツォフは朗々と言いながら、セレスティの顔をじっと見つめた。
スルタンレッド盗難事件。ミレニアムホープと同時に展示されていたルビーだけが盗まれた事件だ。警備員八人が重軽傷を負ったが、桁違いの価値を持つダイヤモンドの方は無事。ルビーは一ヶ月後、デビルアース社に何者かから返却されている。
ここ半年で、同様の事件が十数件起きている。宝石の価値はまちまちで、スルタンレッドのような貴重な物から、比較にならない程度の価値しかないものまで幅広い。共通点は、全てが天然宝石であるということ。そして──その大きさ。
ウンディーネの涙の情報は、なるほど盗難された宝石類の特徴と一致する。
セレスティは最後のパーツがゆっくりと形を整えていくのを感じる。クズネツォフはうずらの卵大の宝石が必要だった。価値を問わず。
だから、丸山権蔵から取り戻したのだ。
「宝石泥棒には一つの噂があります。彼らは人間ではないとね。ある研究施設の生み出した魔物であり、兵器だという噂だ。私はそちらに興味がある。こんなただ大きくてきらきらする石ころよりもね」
クズネツォフはすぐ脇に従っていたボディガードの手から、ウンディーネの涙をつかみ取る。鎖を揺らした。
「だからウンディーネの涙にある仕掛けをさせてもらった。泥棒達が聞いていそうなところに噂を撒いてね。そして、あなたがやってきた。今まで僕の招待には一度も出向いてこなかったあなたが。そして、あなたを案内している最中にこの船が襲撃を受けた。数人の手練れによってね」
クズネツォフが立ち上がる。セレスティの目の前にウンディーネの涙をぶら下げた。
シャンデリアから降り注ぐ光が宝石に当たり、青く弾ける。セレスティの瞳のような、深く美しい青い光だ。
「僕は彼らの秘密が欲しい。本拠地はアメリカと聞いていたが、リンスターの財力ならば、なるほど飼えないこともないでしょう。彼らは足止めしてあります。ご自分の命惜しさに、彼らを僕に引き渡して下さい。セレスティ・カーニンガム」
クズネツォフがセレスティの肩を掴む。
「傷つけるには惜しい美貌だ。それはあなたも、そう思うでしょう?」
片手にウンディーネの涙の鎖を握ったまま、セレスティの頬を撫でる。
最後のピースが嵌った、とセレスティは感じる。彼は、セレスティならば絶対にしないであろうミスを犯したまま予想を組み立てている。まだ、お子様だということだ。
おまけに、きちんと目が見えている分、感覚と状況判断が鈍すぎる。
「ミハイル・セルゲイヴィチ・クズネツォフ。あなたは──」
セレスティは真っ直ぐにクズネツォフを見上げた。
「自分の頭を過信しすぎているようだ」
クズネツォフとセレスティの間を、弾丸のように何かが突き抜ける。
白く丸い、ふわふわとした──それは、小さな羊だった。
羊はウンディーネの涙をくわえて跳躍する。セレスティはそれと同時に床に倒れ込み、座っていた長椅子の下に身を隠す。
銃弾が、高級そうな絨毯を焼いた。
「何だあれは! 殺せ!」
クズネツォフが甲高い声で叫ぶ。キャットウォークの一部が崩れるのが見えた。
セレスティは長椅子の下から首を捻ってキャットウォークを見上げる。中国風の服を着たリィン・セルフィスが数人の兵隊を階下へと蹴り落とすのが見えた。
ドレスアップしたシュライン・エマが、奇妙な女性の形をした生き物に抱かれてこちらへ降りてくる。生き物が歌舞伎役者のように髪を振り乱して頭を振ると、周囲に電撃が走った。クズネツォフの爪先すれすれを焼き、火花を散らす。
「セレスティさん、大丈夫ですか!」
駆け寄ってきたシュラインがセレスティに手を伸ばす。椅子の下から引っ張り出した。
上階から雄叫びが聞こえてくる。二丁拳銃を華麗にさばき、リィンがキャットウォークを駆け回っている。次々と兵隊を撃ち落とし、蹴り、階下へと投げ落とした。
「お前達は何だ……招待客か!?」
クズネツォフが髪を振り乱して言う。セレスティは服の埃を払って立ち上がった。
「宝石泥棒だよ」
魔物らしい異形の女性に抱えられて降りてきた草間が言う。クズネツォフが血走った目を一同へ向けた。
続いて、龍ヶ崎常澄を抱いたリィンが飛び降りてくる。キャットウォークの兵隊達は、あらかた床に伏せて呻き声を上げていた。
「ですからあなたは自分の頭を過信しすぎている、と」
セレスティは杖に掴まって立ち、クズネツォフに微笑みかけた。
「先ほど言ったでしょう」
「商売敵か。それは困るな」
セレスティの言葉にかぶせるように、静かな男性の声が響いた。
正面の観音開きの扉が開く。すぐ前を通り過ぎようとしていた羊が、ウンディーネの涙をくわえたまま急ブレーキを掛ける。
黒い服を着た女性が、手を伸ばして羊を抱き上げた。
女性の横に、髪をオールバックにした男性が立っている。構えたマシンガンの銃口が、こちらを向いていた。その後ろには一人の少年と二人の男性が立っており、同様に銃口をこちらに向けている。
女性が羊の口から、ウンディーネの涙を奪い取った。
× × ×
背中に嫌な汗が伝うのを感じた。
突然現れた5人を見て、クズネツォフも顔色を無くしている。草間の横で、常澄が召還したクイーンメイブが状況を伺っていた。
5人の銃口は確実に一同を狙っている。最も距離が近いのは、セレスティとシュラインだ。身構えるシュラインを庇うように、セレスティが杖を突いていない方の手を挙げて彼女の前に差し出している。
ドアを開けてすぐにセレスティとクズネツォフの会話が聞こえてきたのだ。草間たちは相談し、セレスティの機転に賭けて突入することにした。常澄が饕餮のめけめけさんを離し、ウンディーネの涙を奪う。その隙に、セレスティを助けて兵隊達を叩く。
これが草間の提案した作戦だった。
混乱する頭で何とか絞り出した策だったが、第三勢力がいるというのは完全に予想の範疇を超えていた。考えるべきだったのだ。ずっと銃声が聞こえていたのだから。
「そうか……」
引きつったような声を出したのは、クズネツォフだった。
「そっちが宝石泥棒どもか……くくく! ネズミがまだいたとはな!」
甲高く笑い、突如走り出す。青いドレッドヘアの少年が何発か撃ったが、全て外れた。
本棚の隙間に収まっていた女神像に、クズネツォフが体当たりする。女神像が、ぐるりと回った。「もう逃げられないぞ! 殺せ、解剖してでも秘密は手に入る!」
クズネツォフの叫び声が女神像の裏側に消える。同時に、草間らや5人が入ってきたドアがバタンと閉じた。
女神像の裏側は、三対の手を持つ鬼女像になっていた。鬼女像の目が赤く輝き、ぐらりと動く。
本棚のあちこちに組み込まれていた女神像が、一斉に回転した。
「制圧したんじゃなかったの!? カゼ!」
饕餮の口からウンディーネの涙をもぎ取った女性が、オールバックの男性に怒鳴る。背後で、赤毛の男が扉を殴りつけた。
「開かねえぞ」
「ふむ。この部屋は独立区画のようだな。力、及ばず」
「及ばずってンなら、もうちっと申し訳なさそうな顔しろよォ!」
ドレッドヘアの少年が叫ぶ。動き出した鬼女像に向かって銃を乱射した。
硬い肌の上で、銃弾は容易く弾かれてしまう。
鬼女像が、ゆらりと足を踏み出した。
合計二十体ばかりの鬼女が、三対の手に円月刀を構えて接近してくる。ゆらゆらと動きながら、刀を打ち鳴らして進んでくる。
じりじりと移動した草間の背が、セレスティとシュラインにぶつかった。
「罠だったようですね」
「しかもお宝はあの女の手の中だ」
草間は渋い声で言う。シュラインが身を屈め、ロングスカートの裾を掴んだ。
太腿が露わになるくらいまで、縦に引き裂く。
「きゃああっ!」
黒服の女性が悲鳴を上げた。
饕餮に腕を噛みつかれている。乱暴に腕を振り回すが、饕餮が食らいついたまま離れない。
「頑張れ、めけめけさん!」
常澄が声を掛ける。女性が常澄の方を見た。
「ハアッ!」
気合いの声を挙げ、リィンが宙に舞う。草間達の頭上を飛び越し、5人の中に殺到した。
「悪いな、美人には優しくしたいんだが」
やすやすと女性に接近し、腕を捻り挙げる。その手から、ウンディーネの涙を奪い取った。
「これも仕事でね」
「返しやがれ!」
赤毛の男が叫び、カゼと少年を押しのけてリィンに接近する。伸ばした手を、リィンが掴んで空中に投げ飛ばした。
身軽な動きで赤毛の男も中に舞う。そのまま、鬼女像一体を踏みつぶすようにして着地した。
カリッと小さな音が響く。草間は頭上を見上げた。
天井に吊られた小ぶりのシャンデリアが、揺れている。
草間の脳裏を、先日観た映画のクライマックスシーンがよぎった。
「落ちるぞ!」
声を掛け、シュラインとセレスティの腕を掴んでその場から離れる。
シャンデリアが、轟音を立てて落下してきた。
粉々に砕けた破片が、三人の身体にぶつかってくる。草間はシュラインの腰を抱き、セレスティの腕を引いて部屋の隅に飛込んだ。
シャンデリアの上にリィンが飛び乗る。ガラスの破片が方々に飛び散り、空中で煌めく。
そのリィンを追って、赤毛の男が走ってくる。片手にウンディーネの涙の鎖を握ったまま、リィンは身軽に男の攻撃を避けた。
「絶対取り戻せよなっホムラ!」
ドレッドヘアの少年が叫ぶ。接近してきた鬼女像の頭部をマシンガンで撃ち砕いた。
「おうっ」
ホムラと呼ばれた赤毛の男が答える。リィンを追って跳躍した。
その身体が、真っ白な光に包まれる。光を突き破り、赤い異形の腕が伸びた。
「何だッ!?」
床に転がったリィンが驚いて叫ぶ。リィンの身体を跨ぐように、赤い魔物が仁王立ちしていた。
巨大な口を二つ持つ、岩のように巨大な魔物だ。伸びた爪でリィンの頭を抉ろうと、腕を振り上げた。
リィンが腕を曲げ、魔物の股の間をくぐり抜けて背中側に回る。足を跳ね上げ、魔物の背中を蹴り飛ばした。
その拍子に、リィンの手からウンディーネの涙がすっぽ抜ける。シュラインがハイヒールを脱ぎ捨て、走った。
「お転婆だ」
カゼと呼ばれた男がシュラインと同時にウンディーネの涙に向かう。シュラインの身体を片手で抱き、空中でウンディーネの涙をキャッチする。
その手先を、饕餮がすり抜けた。ウンディーネの涙はカゼの手から、饕餮の口へ。
「めけめけさん、偉い!」
主人の元に駆け寄り、饕餮がウンディーネの涙を常澄に差し出す。その常澄に、ドレッドヘアの少年が飛びついた。
「それは、オレたちンだってーの!」
常澄の手からウンディーネの涙を奪い取る。絡まり合って転がった二人の前に、鬼女像が立ちふさがる。六本の円月刀を振り下ろした。
二人はタイミングを計ったように同時に反対側に跳んで攻撃を避ける。宙にウンディーネの涙が舞った。
鬼女像数体と戦っていた銀髪の男性が、それに気づいて銃口を向ける。狙い定めて、トリガーを引いた。
ウンディーネの涙の落下方向が曲がり、青白い光を引いて女性の方へ跳ぶ。女性が手を伸ばし、ウンディーネの涙を掴んだ。
宝石を掴んだ女性の身体が、白い光に包まれる。光の中から、棘の生えた触手が二本伸びた。周囲に居た鬼女像が、三つ同時に砕け散る。
茶色い棘に覆われた女性の姿をした魔物に変身した。
草間は重量感のある棚の後ろに隠れたまま、溜息を吐く。どうにかして、ウンディーネの涙を取り戻さねばならない。
常澄とドレッドヘアの少年が鬼女像に囲まれた。常澄が何発か銃を撃つが、相手は石像。効いた様子が全くない。
背中合わせで鬼女像に向かい合った二人が、お互いをちらりと見た。
「人数多いよなァ」
「一時休戦して、とりあえず倒そうとか思ってるんだけど、どうかな」
二人は同時に目配せする。離れた。
クイーンメイブの電撃が石像達を襲う。数体の石像が、痺れたように動かなくなった。
「よしッ」
ドレッドヘアの少年が握り拳する。その身体が白い光に包まれ、中から青い鳥に似た魔物が姿を現した。
空中で旋回し、飛行機のように飛び回る。電撃で動きを封じられた鬼女像を引っかけ、なぎ倒した。
× × ×
粉々に砕けて動かなくなった鬼女像の欠片の中で、埃を払うようにリィンが手を叩いた。
鬼女像どころか室内も破壊し尽くされている。落下して砕けたシャンデリアも、上に飛び乗られたり鬼女像を叩き付けられたりしてただのガラスと骨組みの物体と化している。
「茶々入れるヤツらもぶっ倒したし、今度の相手はお前らだな!」
腰に手を当て、高らかに宣言する。ウンディーネの涙を握った女性が、それをポンとカゼに投げ渡した。
「折角ですから、穏便に済ませませんか」
セレスティがゆっくりと立ち上がり、リィンに声を掛ける。一同の視線がセレスティに注がれた。
「スルタンレッドを始め、巨大な天然宝石を盗み出したのは貴方達ですね」
リィンは杖を突いて彼らの前に進み出る。カゼが指先にウンディーネの涙の鎖を引っかけたまま、静かに頷いた。
「今までに盗んだ宝石を、貴方達は六割ほど返却している。それは何故ですか」
「企業秘密ってやつだ」
ホムラと呼ばれていた赤毛の男性が答える。ホムラの脇腹を、ドレッドヘアの少年が小突いた。
「難しい言葉使うと知恵熱出るぜ〜」
「うるせえ! ガキ!」
ホムラが少年に食ってかかる。少年はぴゅうっと逃げて、常澄の後ろに隠れた。
「返却率は100%だ」
カゼがちらりとホムラに視線を投げた後、答える。
「残りの四割は、保険目当てにでも握りつぶしたのだろう。我々は盗みを働いているとはいえ、金が必要なわけではない」
「あたしたちが泥棒をするのは、当たりを引いた一回だけ……それが最初で最後よ」
「当たり?」
草間は石像の土埃を避けてハンカチを口許に当て、問う。
「我々は探している宝石がある。これがそれに相当するならば、貰っていく。違うと判れば返そう」
カゼはそう言って掌にウンディーネの涙を置いた。片目にゴーグルを嵌め、宝石を覗き込む。
無言でゴーグルを外し、草間にウンディーネの涙を投げて寄越した。
「ちょっと、カゼ!」
「ちっ」
女性が声を荒げる。ホムラが乱暴に舌打ちした。
「ハズレかよ」
「売りに出されている金額から見て、恐らくハズレだろうとは思っていた。ミハイル・セルゲイヴィチ・クズネツォフ所有で、警備が厳重とあればもしやと思ったが」
カゼはゴーグルを外し、目を閉じた。
「90%の確率で、ハズレだ」
「10パーの当たりに、賭けてみないのかよ。いつもはそうしてるだろ」
常澄にしなだれかかったドレッドヘアの少年が言う。女性が頷いた。
草間はウンディーネの涙を目の前に翳した。青く澄み切った宝石は、あれだけ振り回されたのに傷もついていないように見える。
ペンダントを支える裏の金具が、銃弾の当たった凹みがあるぐらいだった。急いで調整すれば、丸山の妻の胸を飾るのに相応しい貫禄になるだろう。
草間はウンディーネの涙を握り、女性の前に立った。
「名前は? オレは草間武彦」
「リクよ」
女性は草間から身を守るように腕を組んだ。女性にしては大分背が高い。ジャケットから覗く胸元に、入れ墨があった。
「あんたたちがこれを探してる理由を教えてくれたら、貸してもいい。女を泣かすもんじゃないからな」
リクが目を丸くする。慌てて頬に手を当てた。
「そんな顔してた?」
「縋るような目をしてたからな。男なら、美人の前ではいい恰好をしたいもんだ」
「あら、そうなの。優しいのね、武彦さんたら」
少し離れたところで顛末を見守っていたシュラインが、ぎくりとするほど冷たい声を出す。
草間に微笑みかけてきた。
「リーダー」
カゼが背後を振り返る。ぴたりと閉ざされたドアのところで、銀髪の青年が壁板を外しているところだった。
「どうする」
リーダーと呼ばれた青年がこちらを振り返る。人形のように整った顔立ちをしている。
「10%の確率に賭ける。分の悪い賭けだけどな」
感情を感じさせない声音でそう言った。
「我々は、宝石の中に特殊な物質を含んだ物を探している。一つが存在することが判っているが、それが二つと無いモノなのかは未知数だ。一人の少女を助けるために、その宝石がもう一つ必要になった。だから探している。これでいいかな」
淡々と呟くように言う。草間を見た。
「専用の機械で測定すれば、それが当たりかハズレかは一瞬で判る。ハズレであれば、必ず返そう」
カゼが後押しするように言う。リーダーも頷いた。
草間は手の中のウンディーネの涙に目を落とす。
「土曜日にはオレの手元に返してくれ」
そう言って、リーダーにウンディーネの涙を投げた。
「それでは、ここからどうやって逃げましょうか」
話が纏まったのを確認し、セレスティが口を開く。
「ドアはオレが開けよう。こちらの逃走手段は用意してある」
カゼがむき出しの配電盤を指差して言う。セレスティは懐から携帯電話を取り出した。
「木は森に隠せ、って言うけどさ」
不意に常澄が口を挟んだ。
「今日のパーティーって仮面舞踏会だって知ってた?」
「仮面舞踏会」
セレスティがオウム返しに言う。はたと手を叩いた。
「ヘリに、替えの衣装を載せてきました。何かあった時にと思いまして」
草間は頷いて、懐に手を入れた。
顔の上部を殆ど覆い隠す白い仮面。
主催者が剥がして回るわけにはいかないだろう。
------------------<Ending>--------------------------
三日後、セレスティの日本別邸に一通の手紙が到着した。
会合の帰りに別邸に立ち寄ったセレスティは、狙い澄ましたようなタイミングで到着した手紙に舌を巻く。呼び鈴が鳴らされ、外に出たついでに住み込みの秘書がポストを覗くとそこにあったというのだ。
部屋着に着替えてソファで身体を休ませていたセレスティは、秘書から渡された手紙を見てうっすらと微笑んだ。真っ白い封筒の裏側には、毛筆で「風」とだけ書いてあった。
封を開けると、中には日本語の丁寧な謝辞とカードが入っていた。カゼたち宝石泥棒の連絡先であるらしい。
手紙の末尾は、こう締められていた。
──あなたは話のわかる人だと思う。
へりくだるでも尊大でもない、不思議な雰囲気の締めくくりだった。
「一度も名乗っていない私の正体を見破って、別邸の住所を突き止めてくるとは。中中侮れない人たちだったようですね」
愉快そうに呟くセレスティを見て、秘書が小首を傾げる。セレスティは軽く手を振り、秘書に本棚からスクラップブックを持ってくるようにと指示した。
恐らくはカゼたちのグループが起こしたであろう宝石盗難事件を集めた物だ。うずらの卵大の宝石盗難事件。返却の情報があったものはそれもスクラップした。
セレスティはスクラップブックの先頭にカゼから届いた連絡先を差し込み、手紙をスクラップした。
後半のページには、アメリカにあるある研究所の資料が掲載されている。アラスカにある「高周波活性オーロラ調査プログラム」という研究所だ。通称、Angel's HAARP。ペンタゴン管轄の電離層研究施設である。
クズネツォフが言っていたヒントと彼らの動きからはじき出してみた、彼らの所属の予想だ。カゼから届いた連絡先は日本国内のもので、この予想が正しいかどうかは今後検証していく必要があるだろう。HAARPは候補地の一つに過ぎない。
セレスティは、彼らに何かをしかけようとは全く思っていなかった。ただ、興味があるのだ。怠惰で優雅な、知識の海に潜る生活にスパイスは多い方がいい。
情報というのはバラバラに散っているものをバラバラのままなぞっていても面白くない。知識の海を泳ぐには、一つ一つを結びつけるスパイスが不可欠だ。
無数の光点が散らばる夜空で、遙か古代の人間達は絵を描いた。情報の海も夜空と同じだ。一つ一つの情報が、結ぶ線によって何種類もの顔を見せる。
また一つ楽しみが増えた、とセレスティは呟く。
秘書にスクラップブックを渡し、ソファに再びもたれ掛かる。
「下がってよろしい」
秘書がスクラップブックを書棚に戻したのを確認し、セレスティはそう言った。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 草間興信所の事務員】
【4017 / 龍ヶ崎・常澄 / 男性 / 21歳 / 悪魔召喚士、悪魔の館館長】
【4221 / リィン・セルフィス / 男性 / 27歳 / ハンター】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました!
担当ライターの和泉更紗です。
エンディングのみ、PC様ごとに個別となっております。
ご興味ありましたら、他の参加PC様の納品も確認してみて下さい。
遅れた場合はヘリで登場というプレイングを頂きましたので、ヘリでホワイトカーミラ号に乗り付けさせて頂きました。他の方々のために用意して頂いたドレスなどは、宝石ハンター一同が着させて頂きました。
楽しんで頂けたら幸いです。
今後ともよろしくお願い致します。
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