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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


悪魔からの依頼

■オープニング

 編集部の片隅。来客用にソファとテーブル、給湯用のポットが置いてあるところ。
『そろそろ、私だけでは無く我が主にも避けようの無い火の粉が掛かりそうな気がしてきましてね…』
 場違いなまでに優雅に紅茶を啜りながら、はぁ、と溜息を吐いていたのは髪の長い美青年。
「それは仕方無いんじゃないの? 貴方の双子の兄とやら、相当各所で恨み買ってると見えるわよ」
 答えたのもまた、場違いな風体の女性。言わば西洋の貴婦人風の妙齢の女性。
 彼女のその答えに、青年はすぐ反応した。
『それこそ仕方無いんですよ。彼の性格上そう言い切れます。人間の存在どころか他者の存在すべてを舐め切ってますからね。ある意味で非常に悪魔らしい性格です。だからと言って私に彼を止めるだけの力はありませんし、彼は人の話を聞き入れるような方でもありません』
「外見がまるっきり同じってのも大変ね?」
『ええ…』
 肯定するよう静かに一度瞼を下ろすと、髪の長い美青年――その実、ソロモン72柱のひとりである人外の存在、セエレなのだが――は改めて、憂いを帯びた表情で貴婦人風の女性――エル・レイを見遣る。

 …曰く。
 ここのところ、このセエレ――と見られる悪魔による凶悪な事件が多発している。近所のビルが壊されたり燃やされたり殺人事件が起きたり…と、連続ではなく全然別の手口で、それも時間を置いて――何かを見計らって動いているように人間の仕業とは到底思えない様々な事件が起きている。更に言うならその犯人と思しき者はわざと姿を見せているらしいところもあるようで、そこから、以前草間興信所で何処か険呑な神父風の男と共に居た髪の長い青年と同じ顔だ――と思い出した人物が居り、セエレが導き出された。
 が。
 今回多発しているそれら事件に首を突っ込んでいた関連各所――アトラスの碇麗香に興信所の草間武彦他有志数名やらその筋の機関やら――から、セエレ当人がそれら事件についての質問攻めと言うかむしろ取り調べ――に遭っているその時にもまた、今までの事件と同一人物(人では無いが)によると思われる犯行が全然別の場所で素知らぬ顔で起きており。
 結果、完全にセエレのアリバイは成立。
 とは言え、当人が人外である事と、犯人との外見のここまでの酷似から無関係とは到底思えない、とセエレに更に粘った結果、渋々ながら…と言った様子でまた別の情報が齎された。
 …恐らく、事件を起こしているのは私の双子の兄である、と。
 その情報から、事件に関して調査をしていた関連各所は一旦セエレを解き放ったが、それでも重要参考人に違いは無く、暫くの間は居場所が確実にわかるようにしておく事――と言う訳で、二十四時間いつでも必ず誰かの目が届いているアトラス編集部で身柄預りのような形になっている――と言うより、ならばずっとここに居りましょう、とばかりにセエレの方から自発的にその場に居るのだが。…その実、単に偶然エルがその場に居たから彼女と共にのんびりお茶を飲んでいるだけでもあったりするが。

 とにかくそんな訳で、冒頭の科白に戻る訳である。
 セエレは、自分の姿をそのまま写したと言える相手が各所で事件を起こしていると言う事実から、そろそろ――自身の現在の主である契約相手の方を心配し始めていた。…自分の姿、それ自体が火の粉の切っ掛けになる。ならば暫くの間姿を隠しておけば良いと言われるかもしれないが――それでは、必要とされた時に主の役に立てない可能性がある。契約が果たせない。なのでなるべくなら避けたい。
『ですから…宜しければ、どなたかに我が兄を止めて頂きたいのですよ』
「…そんな子を簡単に止められると思う?」
『ですから、荒っぽい手段を取って頂いても全然構わないのです。…人間の法に照らして、相当迷惑な事をやっていると見受けられますから、それなりの手段を取られるのは当然な事だと思っていますよ』
「あら、そうなの」
『兄と言っても力の源が同じだけ。別に情はありません。貴方にとっての我が主のような関係とは根本から違うのです。そして私にとって今一番重要な最優先事項は我が主との契約ですから…我が主に被害が及ばずに済むならば、それこそが私の喜びになるのですよ』
 …と言うよりむしろ、兄の行動については――私の方が本気で迷惑しているもので。
 もし、兄が殺されたり封印されたとしても…私の方は一向に構いません。


■話を聞いていた人々

 と、セエレがそこまで告げた時。
「傍迷惑な奴も居たもんだな。…手が足りないんなら、俺も手伝ってやろうか?」
 ソファの少し離れた場所に座っていた一見怖そうな男性――ディオシス・レストナードから軽く声が掛かってきた。筋肉質な体付きと褐色の肌が良くわかる大柄な風体に、癖のある、だが見事なまでの銀の髪。そして少々穏やかとは言い難い目付きをしているが――態度や雰囲気の方は外見に反して気さくな様子。
 彼のその褐色の指先に金色の炎が生まれたか――と思うとすぐに消え、前後して唇に挟まれている煙草に火が点いていた。静かに煙が吐かれる。
 そんな姿にセエレからの視線が向けられた。
『御協力頂けますか。有難う御座います』
 ふわりと笑い、受けるセエレ。
 その姿は優雅な上にしみじみ腰が低い。…これ、悪魔か?
 元々話していたエルや今声を掛けて来たディオシスに対するセエレの態度。それを何処か興味深げに見ていた視線が一対。その持ち主は物静かな印象の女性。腰まである長い黒髪に、憂いを秘めた蒼の瞳。
 が。
「…高位悪魔って、もうちょっと策略系って感じの人が多いイメージがあったんだけどね? もしかして、直球な人?」
 …興味深げと言うより探るような視線とも言えたかもしれない。元々話の輪の中に居た物静かそうな彼女こと田中緋玻(たなか・あけは)はそんな風にセエレを見ながら改めて訊いている。兄とやらの外見はこの彼と同じと既に聞いているが、今目の前の彼を見る限り――どうも傍迷惑な騒ぎを起こしているとは想像がし難い。…緋玻は今のところ『騒ぎの原因』を直に見ていない。
「ま、どちらにしろあたしも手を貸すわよ。折角だものね?」
 にこにこと微笑みながら緋玻はあっさりと――むしろ楽しそうにも見える顔で言ってのける。
 …彼女の場合、『物静か』であるのは『外見だけ』、と注釈が付くらしい。それは、ある意味では『騒ぎの原因』とお揃いでもある訳なのか。そう取ると簡単に納得も行く気がするのは気のせいか。
 そして――折角だから『その筋』に詳しそうな奴も呼んでみましょうか? 最近の騒ぎの状況考えると向こうも向こうで既に動いてるかもしれないし、と言うだけ言って携帯電話を取り出し、緋玻は何処ぞへ電話を掛け始めている。…比較的すぐ出た相手方は何やら渋っている様子。が、緋玻側の話し振りはどうも問答無用そうなところもあり。…いったい相手は誰なのか。
 彼女のそんな態度に目を瞬かせながらも、緋玻と同じ色彩を纏った、切れ長の目に中性的な容貌を持つ草間興信所事務員のお姉さん――シュライン・エマはセエレの話を聞いて静かに考え込んでいた。彼女は原因が同じと思しき事件について依頼のあった草間興信所経由で、この場に早い内から居合わせている。場所を提供しているアトラス関係者以外でも、彼女のように関連各所の人員は時々様子を見に、そして同時に対策を練りに訪れている訳で。…また、ある意味ではアトラスに居るセエレ当人と居た方が――そしてセエレと同席しているエルと共に居た方が安全ではと草間武彦辺りに思われている節もある為、特にシュラインがこちらに来ているのかもしれない。
「…どうも、挑発行動風に感じられるのよね」
 こちらが出てくる事を前提に向こうが動いているところもあるような。
 と、誰に言うともなくシュラインが呟いたところで、聞・こ・え・た・わ・よー、と一字一句ゆっくりと含むようにまた別の声が響いてきた。何処か笑み混じりの女性の声。源は――気が付けばすぐ側に来ていた髪の長い彼女。彼女もまた緋玻同様腰まであるような黒髪。ネクタイにスーツとマニッシュに決めた姿の彼女――飯城里美(いいしろ・さとみ)は、それでも匂い立つような色気が消せない人物でもある。図らずも豊満な胸元を強調するような形で確りと両腕を組み、その状態で編集部の一角で話しているセエレたちを見下ろしつつ、太い縁の眼鏡越しの細い目をきらきらと輝かせて仁王立ちしていた。
「話は聞かせてもらったわ。久し振りに月刊アトラス編集部に来たら何て事! …近頃の騒ぎが本物の上級悪魔の仕業と教えてもらえるなんてね。…セエレと言ったわね。あんたの兄貴を止めるの、当然あたしも手伝わせてもらうわ!」
 本当の上級悪魔と戦えるチャンスなんてそう無いもの。これはいいゲームのネタになるわよ。
 にやりと不敵に笑いつつ、里美。
 と。
 里美がそう言い切ったタイミングで、編集部室の入り口から盛大な溜息が聞こえた。続いて、姿を見せる長身の男性。服装はスーツ――と言う事は彼の場合仕事帰りかもしくはこれから仕事と言ったところか。妹同様中性的な顔立ちに、いつでも穏やかな態度と微笑みを絶やさない彼――綾和泉匡乃(あやいずみ・きょうの)は、今回ばかりは少々深刻そうな疲れたような顔を見せている。匡乃はそんな態度のままでセエレたちがたむろっている休憩所――こと給湯用ポット&来客用ソファにテーブル周辺の様子に気付くと、側まで歩いて来て声を掛けてきた。
「…皆さんお揃いのようですが――こちらの話題も、『近頃のあの事件』に関する事ですか?」
 月刊アトラス編集部の、他ならない『この場所』で訳有りげにたむろっているとなると――ただ取材の打ち合わせ、とは少々違う臭いがしますが。
 そんな匡乃の科白に、その通り、とひとまず肯定したのはシュライン。
「匡乃さんのお察しの通り。どうもこのセエレさんの双子のお兄さんが『件の事件』を起こしている犯人らしくて」
 と、シュラインはテーブルを挟んで向こうのソファに着いているセエレを示す。
 示された相手を見、匡乃は眉間に皺を寄せた。
「貴方のお身内なんですか。でしたら…色々と直接言ってやって下さるとこちらも有難いんですけどね?」
 正直、いい加減迷惑なんですよ。僕の教え子も巻き添え食って殺されてますし。精神的なケアも大変なんです。受験生と言うだけでも色々気を遣わなければならない上に、こんな事件と来ては。
 そう、予備校の講師を勤めている匡乃としては仕事に差し障る時点で迷惑千万である。…実は匡乃はそうでもなければ世間でどんな騒ぎが起きようと殆ど気にもしないのだが。彼が文句を付けたい理由が『いい加減迷惑』、と言う辺りにひっそりと本音が垣間見える。…教え子が殺されての反応にしては妙に他人事な言い方だ。
『…申し訳ありません。こちらが至らぬばかりに』
「この子を責めてもしょうがないわよ? …身内って言っても疎遠も良いところだから。疾うの昔に縁を切ってるも同然。…むしろ今回の場合思いっきり犯人と間違えられてたからこの子も被害者と言えるかも知れないし」
 匡乃に言われ素直に謝るセエレに、すかさず口を挟んでくるエル。そのエルの言葉を聞いて、でしたらちょっと筋違いでしたかね? と匡乃はあっさり翻し、あまりお気になさらず、と改めてセエレに振っている。
 そこに。
「エル様に…セエレ様じゃないですか」
 御無沙汰しております。
 匡乃に続き、丁寧に挨拶をしつつ現れたのが、着物姿が良く似合う黒髪の美少女――天薙撫子(あまなぎ・なでしこ)。彼女もまた匡乃同様、アトラスに来て、そこにたむろっている面子を見掛けたから――特に、久し振りとも言えるエルとセエレのふたりの姿を見付けた事で、お久し振りですと挨拶をしに改めて来たらしい。
 元々、お茶の好きな彼女がこの編集部に来訪する場合はそれを狙って御土産を持参する事が多いが、今回もまたご多分に漏れず和菓子の御土産を持っている。錦織の刀袋を携えているのは今日もまた御神刀の手入れをして来たところででもあるのか。その帰り道にお馴染みの皆のところでお茶を、と言うのは撫子の場合いつものパターンでもある。
 が。
 取り敢えずエルとしてはあまりいつも通りとは思えなかった模様。
「…撫子さん、よね?」
 エルは少し撫子を見ていたかと思うと、ややきょとんとした態度でぽつりと問うている。何も言わないがセエレも同様のようで、軽く感嘆の息を吐いていた。そうされた撫子の方も少々何事かときょとんとしていたが、暫し後にああ、と合点する。…纏う気質の変化に驚かれたのでしょう、と気付いた。
 この撫子は過日、天位覚醒者として――即ち、星詠みの巫女神継承者、『神となるべき者』――となった為に、それ以前の自分と比べたならば纏う気からして違って感じられるのは仕方がない。特にエルやセエレ辺りから見れば、改めて本人確認をしたくなるのは当然である。
「…お気に障りますか?」
 相手がどちらかと言うと闇や魔の性質、即ち完全に反対属性である事は撫子も既知の為、撫子は恐る恐る問うてみる。それは、ただ「神社の巫女」であるだけだった、以前には――気にもされなかったとは言え、今の自分の気はひょっとすると――彼らにとっては、毒だ。
 が。
「や、ちょっとびっくりしただけ。私は大丈夫よ? ってセエレも大丈夫か。よく考えればセエレがキリエを主と認めたのって…キリエが一応でもまだ神の僕だった時だものね。…それで平気で召喚されてた訳だし」
 それより他の子たちを気にした方が、とエルは改めてそこに居る面子に振る。特にそこに居る緋玻は本性が鬼である以上、東西の別はあってもエルやセエレと同属性になる筈だ。シュラインや匡乃は(一応)ただの人間である以上問題無し、里美の場合は――本人ただの人間である上に、そもそも使役している異端のデーモン『ジーザス・クライスト・スーパースレイヤー』が、デーモンと名が付いているとは言え撫子の方と同属性と言える為こちらもまた問題無し。ディオシスの場合は――この世界で言うその辺りの『属性』とは少し意味が違う故に却ってよくわからない。
「別に問題は無いけど?」
 それは喧嘩売られたら遣り難いとは思うけど。居るだけなら全然。敵じゃないなら取り敢えず構わないわ、とあっさり告げる緋玻。
「…いや俺の場合大丈夫大丈夫じゃない以前にその辺関係ねぇし」
 撫子っつったっけ、お前のそれ、強烈な気だとは思うがな、と、ディオシス。彼の場合は太古の昔に異世界から来た龍族との混血である為、属性等その辺りに関してはあまりこの世の法則に囚われなくて良いらしい。ただ、その『気』が強いか弱いか、それだけで。
 皆の科白に、撫子は、ほっ、と安堵の息を吐く。
「でしたら安心なのですけれど。…ところで皆様、何かお困り…のようですが?」
 そして、撫子はちょっとした懸念が晴れたところで、ここに来て気になっていた事を――改めて訊いていた。



 暫し後。
 その場にはもうひとり面子が増えていた。先程の匡乃同様、人当たりが良さそうな…優しげな印象に見えるスーツ姿の青年――神山隼人(かみやま・はやと)。この彼、何処かセエレとも印象が近く感じられたのは気のせいか。
 …ともあれ、彼がこの場に来た理由はただひとつ。
 田中緋玻に呼ばれたかららしい。…曰く、先程の彼女の電話相手。但し、実際にその場に現れた隼人は、緋玻との電話での遣り取りは殆ど無視した状態で、セエレからの依頼対策本部(?)兼、成り行きティータイムの席にごくごく自然に加わっていた。緋玻の方も緋玻の方でその態度が当然と思っているのか、特に何も言わないで静かに紅茶を啜っている。…どうでも良いが、その関係はいまいち謎だ。
 隼人は来るなりセエレの姿を見て、彼が依頼人ですか…と、やや気乗りしないような顔を見せてはいた。が、うちの方にも彼絡みの事案が来るとも限りませんし、微力ながらお手伝いしますよと結局は申し出てもいた。
 人々の好みや御土産・茶菓子の東西が交錯している為、紅茶と日本茶、和菓子と洋菓子が混在する席上。そんな中、この隼人と先程来訪した撫子に対して皆は事のあらましを説明し始めていた。他の面子はその説明の中、さてどうしたものかと改めて対策を考え始めてもいる。
 と、そこに。
 長い金髪をリボンで緩く纏め右肩に流している、特徴的な青紫の服を着た人物が皆の側に立っていた。凛とした印象の――男装の麗人か。
「…すまないな。立ち聞きしてしまっていたようだ。失礼をした」
 彼女――サフェール・ローランは失われた魔導器についての新たな情報が何か入ってはいないものか、アトラス編集部に来訪していたところ。編集長にその旨訊ねたが、空振りだったそこで――今度は休憩所と化している給湯用ポットと来客用ソファ&テーブル周辺に集まっている面子の話が図らずも聞こえてしまった。…近頃近隣で起きている多様な凶悪事件の『犯人』についてと、それを止めて欲しいと言う犯人の弟の依頼――それを隼人と撫子に対し再度説明しているところを、サフェールは偶然ながら耳にした。
 図らずもその話題に気が留まってしまったのは、彼女が英国の魔術結社「アヴァロンの園」を守護する「グラストンベリの十二騎士」のひとり…ででもあった為か。
 立ち聞きの非礼を詫びた後、サフェールは改めて口を開く。…今更、聞かなかった事には出来ない。
「…だが、聞いた以上は放って置く訳にはいかない。そのような事態から弱き者たちを守るのが騎士の務めなのだから」
 と、サフェールが厳しい顔でそう告げたそのタイミング。
 静かだが他者を圧する凄まじい決意の気配が彼女のその背後から感じられた。サフェールははっとして思わず振り返る。他の面子からの視線も向けられた。
 そこに居たのは緑の短髪を持つひとりの男。然程背は高くない。怪奇雑誌の編集部、と、こんな場所であるのに両手に金色に輝く龍を模った篭手を着け、彼のその脇には何処か途惑った風の――毎度の如くいつでも何処でも挙動不審な三下忠雄の姿。…休憩所(仮)でティータイム兼作戦会議中の面子の中にも、三下を引き連れたこの彼との知り合いは結構居た。
「雪ノ下(ゆきのした)君じゃないですか」
「…この事件、俺の拳が唸る時だ」
 低く告げながら、つい先程まで三下と共に何処ぞの部屋で缶詰にされていたらしいオカルト作家であるその彼――雪ノ下正風(まさかぜ)は他の面子をさておき、エルの――否、セエレの前にずいと出る。
 …正風は編集長に原稿を渡してから、殆どサフェールと同時に話を横から聞いていた。…三下に原稿をシュレッダーに掛けられたりと散々苦労した渾身作の脱稿の余韻に浸る間も無い。この話、俺にとっては重大事。
「その話、今度こそ間違いは無いんだな?」
 直接セエレに鋭く確認する正風。
『? …ええ』
「…わかった」
 唐突に現れつつも、何故か話を聞いている面子の中でも頭ひとつ飛び抜けて真剣そのものと言った態度の正風。そんな正風を見、セエレは何処か怪訝そうな顔をしながらも返答自体は肯定を返す。それを聞くなり、正風は重々しく頷いていた。
 …そして、エルがそんな姿を黙って見守っている。


■行動開始

「セエレ様のお身内との事ですが…何故に事件を引き起こしているのでしょうか」
 …何か、お心当たりは御座いませんか?
 話を一通り聞いての、撫子のそんな素朴な疑問。が、少し考える風を見せはするが結局、セエレは緩く頭を振るだけ。
『特に今…と言ったものは何も思い至りませんね』
 ただ、兄には私の事を快く思われていない事は確かでしょうが。…私がキリエ様に未だ従属を続けている事も彼にしてみれば頭に来るでしょう。今の我が主では…大抵の悪魔でしたら疾うに契約を破棄していて当然な状態と言えますしね。『彼女』に救いを求めその眷族となった時点で。
 と、セエレはエルにちらりと目をやる。キリエと言う不遜な名を持つセエレの今の主は――『人間』としては既に死人、現在は吸血鬼で通っているこのエルの『息子』に当たる存在になっている。もっともこのキリエ、それ以前は曲りなりとも聖職者だった訳でもあるから…悪魔の視点で見ればどちらにしても好ましい相手とは言えそうにない。
「でも、近頃騒ぎになってるような事件じゃセエレやキリエが何かのターゲットともいまいち思い難いのよね? だって結局…貴方たちふたりにとっては究極的にはどうでも良い事件ばっかりになるじゃない?」
 貴方たちにしたら実際、無視する気なら無視していても全然問題無いような事件ばっかりな訳だしね? もし、セエレを犯人と間違えさせて陥れようって腹だったら…ここや草間興信所の面子がすぐ側に居る以上速攻でバレて当然だからそれは嫌がらせやあまり役に立たない時間稼ぎの範疇で終わる気がするし。
『…兄はそんな迂遠な考え方はしないと思いますよ』
 速攻で返されたセエレの言葉に、緋玻が軽く肩を竦めつつ同意する。
「今話を聞いた限りの印象だけど、あたしでもそんな気がするわ。それにお兄さんとやら、事件を起こした後――姿を確り見られても随分と余裕があるみたいよね。暫く現場に留まってるって事か…あ、誰かを待ってるって事もあるのかしら?」
 それが貴方、って事は無くもないかも。とセエレに向け言う。…狼煙みたいな可能性は? と続けた。
 と、そこに何か思いついたか匡乃が小さく手を挙げる。皆の意識が向いたと判断したところで、匡乃はおもむろに話し出した。
「弟さんであるこのセエレさんに主と仰いでいる方が居る以上、お兄さんの方にも誰か主…のような方が背後に居るって線も考えておいた方が」
 何者かに召喚され、その命令で動いていると言う事も有り得るかと。
 匡乃がそう言ったところで、今度は里美が口を開いた。
「上級悪魔とその召喚者の存在ね。…それもまたボスキャラとしては裏を掛けていいかもしれないわ…じゃなくって。取り敢えずその兄貴ってあんたとは色々能力違うんでしょ? だったら具体的な能力確認しといた方が…色々対処するにも現実的じゃないかしら?」
 里美は自らの本職・ゲーム会社『(株)スター☆ソサエティ』のゲーム開発部部長としての思考にどっぷりと陥りかけた科白の後半で思い出したようにセエレに振る。振られ、そうですね、とセエレはまた考え込んだ。ぽつりぽつりと指折り挙げ始める。
『…放火事件もありましたが、発火は出来ますね。それもかなり大掛かりに。その気になるなら街の一区間くらい簡単に火の海に出来ると思います。それと単純に個体としても頑丈でもありますし膂力も相当あります。その辺りは我が主やエルさんに張ると思いますね。…魔術にも長けていますし人の基準で見れば強烈と言えるだけの魔の気を操りもしますか。それから…様々な事柄に対して器用でもありますね』
 器用…と言うかセンスが良いと言いますか。細かい事柄に関しても、戦闘に関しても魔術に関しても。
「…それって相当強い事になりませんかね?」
 ぽつりと確認する匡乃。
『ええ。ですから兄を慕う部下もまた多いのです』
 それに、今挙げただけではなく…出来る事となると…どうも挙げ切れなくなって来る気がするんですよ。…出来ない事ならばすぐに出ますが。
「出来ない事?」
『兄は物体の瞬間移動は出来ません』
「…セエレさんと同じ能力だけは確実に使えないって事?」
 確認するシュライン。
 …セエレは静かに首肯した。



 …誰かを待っている、狼煙のような可能性。
 緋玻のそんな思いつきもあり、撫子は改めて依頼主であるセエレにひとつ頼み事をしていた。曰く、被害を避けお兄様を呼び寄せる囮になっては頂けないか、と。
 撫子とセエレがひとまず交渉しているそんな間にも、他の面子はそれぞれの方法でセエレの兄とやらの現在の居場所を捕捉する為、色々と知恵を出したり調査を開始している。取り敢えず皆の居る場所から一番近場に置いてあるテレビの電源を入れるだけ入れてみるディオシス――つまり何か起きたら簡単な臨時ニュースくらい入るだろうと言う腹なのだが。同じように思ったか、里美もいつでも持ち歩いている自分のノートパソコンに電源を入れ、ネットの方から臨時ニュースの類を漁り始めている。…情報の速さで言うならネットの方が優れるか。
 皆が居るテーブル上には先程から――セエレとエルを除けば緋玻とシュラインしか居なかった頃から――広げられるだけ広げられてある地図。何らかの文様や法則性が無いかと考えたシュラインの手で、それぞれの事件が起きた場所、個々のその被害状況や被害時刻が事細かに書き出されているその地図を一同は改めて覗き込んでいた。
「一応は…今までの事件から鑑みて、次の予測を付けて動いた方がいいわよね」
 何か事件が起きた時にすぐ行けば…多分捕まるとは思うけど…念の為に、と緋玻がぽつり。その横で、うーん、とシュラインが相変わらず考え込んで地図を見つめていた。
「これ…何となく…何かの絵を描いているようにも見える気はするんだけど…」
 と、呟きつつも、具体的には思い付かないのかシュラインはそのまま黙り込む。
「相手が無作為に動いているのか何か考えがあって事を起こしているのかでこちらの対処も違ってきますが――そうですね、まずは事件の種類毎に分けて考えてみてはどうでしょうか?」
 こちらのビルは物理的に破壊されていて死傷者数名、こちらの店――ですね。は、放火になりますか…。年度末での工事現場が狙われている時も案外多い。それぞれ同種の事件と言えそうなものだけ拾って個別に考えてみるのは如何でしょう? と提案し、実際に地図上をなぞってみる匡乃。と、隼人も匡乃のその手許を見ながら口を開いていた。
「…場所自体の関連性があるかどうか…も考えに入れた方がいいかもしれませんよ?」
「そうですね。物件の持ち主が共通であったり…何か特定の条件を満たす場所であるかもしれませんか」
 隼人の科白に頷く匡乃。
「それから、セエレさん…かキリエさんにしかわからない法則の可能性もあるんじゃないかと思うけど…」
 どうかしら? と撫子と交渉中のセエレに振るシュライン。と、セエレは言われ広げられている地図にも目をやった。撫子もまた同様、地図を見る。
『…どうでしょうね?』
 先程の心当たりと同様、特には思い付きませんけれど。…天薙様の仰る通りお役に立てるのでしたら…囮として動く事も吝かではありませんが…この状況だと、私で囮になるかどうかもよくわかりませんし。…そんな風にセエレは苦笑しつつ撫子に告げながら、今度はシュラインへと視線を向ける。
『まぁ、私も貴女同様、この地図の点の連なりは…何か絵のようなものに見える気はしますが…』
「そう…。うーん。やっぱり移動先わかってないと物移動は出来ないのかしら?」
 と、シュラインが呟いた途端に、ふとセエレ以外の面子からも視線が注がれる。セエレだけでは無くそれらの面子に向けても、口に出したついでにシュラインは続けてみた。
「…いえ、特定の人物だとか、移動してる相手のところ…頭上等に物移動させる事は可能なのかしらと思って」
 例えば、聖水なりその場に縫い付ける術なり――何らかの術者に居場所がわかる手掛かりをお兄さんに付ける事は出来ないか。
 そんな事を考えてみたのだけれど。
 力の源が一緒なら――だいたいの場所、わからないかしら?
「…自分自身の存在がブレて感じられるとか、そんな風なのかなって思ってるのだけれど…」
 もっと違う感覚…なのかしら?
 ブレて感じられるようなら――自分自身のところに物を移動させる要領でお兄さんに運べない…?
『…』
 思い付いたところから指折り挙げているシュラインを、セエレはただ、じーっと見据えている。
 それで、何も、答えない。
 シュラインはそんなセエレを改めて見返し、小首を傾げる。
「…やっぱり、違うのかしら?」
『………………いえ。仰る通り、可能です』
 たっぷり間を置いてから、セエレはあっさりと肯定。
 答えた途端の一瞬の静寂。
 …と、なると。
「…別に改めて相手の居場所探す必要無いじゃないですか」
 がく、と額に手を当てて疲れたように項垂れる匡乃。
「…だったらどうして皆で居場所探そうとしてるのを止めない訳?」
 匡乃同様、疲れたような複雑そうな顔で溜息を吐いている緋玻。
『それは…現在、使役される身である以上、自ら進んで色々とする訳にも行きませんからね?』
 お気付きになられて望まれたなら――指摘されたならばその技を使いもしますが。…依頼したのも私ですしそのくらいはお役に立たなければなりませんでしょう?
 と、あっさりと受け流すセエレ。
『それに、私の力でどなたかを送り出すにしても――兄は私と同一の力から分かたれた存在だとは言え、そろそろ離れて久しいですから別の存在は別の存在なんですよ。見つけるには少々集中する必要があります。…能力の発動に少し時間が掛かると言う事ですが。また、移動先の詳しい様子が予め把握できていないと…移動して出た先の状況にも責任は持てません。…今この場で実行するのは少々危険かもしれませんよ?』
 現在の『兄』の行動を考えると。
「…」
「まぁ、どちらにしろ『お兄さん』の現在の居場所は把握出来ましたけどね」
 そんな中、紅茶のカップを傾けつつあっさりと告げる隼人。曰く、いつの間に放っていたか知らないが――隼人の使い魔が既に何者かと交戦中の『お兄さん』を見付けたと言ってきたらしい。
 更にほぼ同時。
「見付けたわよ道路工事現場で原因不明の爆発による火災。目撃証言からしてまた近頃の事件と同一犯か、って出てる!」
 ノートパソコンを操作しながら嬉々とした声を上げる里美。
 そして、ディオシスがつけていたテレビで放映されている通常番組の上部に、テロップで流れる同じ事件の速報。そして程無く、通常番組から同じ件の臨時ニュース画面に切り換わった。専門が違うながらも偶然近くに取材に来ていたレポーターが居たらしい。…は、犯人と何者かが交戦している模様です! と絶叫気味に裏返ったレポーターの声。続けて、ノートパソコンを操っていた里美から――ニュースのみならず、事件の具体的な場所も知らされた。警察のその筋の機関ももう行ってるみたい、とも知らせてくる。
 更にはそのタイミングで、ちょっと貴方たち、と編集長・碇麗香の高らかに響く声が投げられた。デスクのところで立ち上がっている彼女のその手には受話器が握られている。…曰く、リンスター財閥総帥、セレスティ・カーニンガムから『件の連続事件』の進捗状況について確認したいとの電話が来ているとの事。更に言うならセレスティは今現在リンスターを通して現場に少々手を出してもいるらしい。電話口でその旨聞いて、同じ話と見た編集長は休憩所(仮)に居る面子を呼ばわっていた。
 怪奇雑誌に相応しいネタになるかは微妙だけど後で確り取材させてもらうわ。連絡の中継役はやってあげるから心置きなくちゃっちゃとやっつけて来なさい! と威勢良く発破をかけてくる。
「んじゃ、行くか」
 そんな編集長を見、よいしょ、とばかりに鷹揚にソファから立ち上がるディオシス。
 サフェールも編集長に向け頷き、次に他の面子もまた見遣る。
「私は空から行かせてもらう」
 …先遣の役割を担おう。と、サフェールは一番近く――廊下に出た先になるか――にある窓際に近付くと、窓を開けた。殆ど同時に、彼女のその背に唐突に一対の翼――光の翼が実体化し、ばさりと羽ばたきを見せる。
 それら、皆が動き始めた――ほぼ同刻、目を閉じたまま皆の言葉を黙って聞いていた正風の目が――ゆっくりと開かれる。
 彼のその瞳に宿るは、炎。
「…父の仇を討つ時が来た」
 重々しく呟かれた正風のその科白に漸く、この事件について聞いた途端、彼が他者を圧する程の気を放っていた理由が、知らされた。


■合流

 劣勢の葉月政人に向け、再び長い髪の『彼』は何か攻撃を仕掛けようとしている――が、『彼』の方もまた、政人以外の新たに現れた存在に対し反応するのは早かった。振り返り、目を細める。煙の外、そこに居る何者かを確認しようとする。
 …僅かながら、煙の切れ目。
 漸く煙の外からも――髪の長い場違いなまでに優雅な、そして無防備とも言える風貌の男と、見た目は何処か昆虫めいた風貌の異装になる特殊強化服「FZ−00」を纏い、逃げ遅れていたのだろう苦しげに蹲っている工事現場作業員ひとりを庇う形に居る人物を確認。
 視覚が利いた、その瞬間を油断無く見出し、煙の外側――政人がセンサーで見付け『彼』もほぼ時を置かぬ間に気付いていたひとりの騎士――ヒルデガルド・マクスヴェルは声を上げ突進していた。この相手では隙など突けない。背後から行こうと卑怯でも何でも無いだろう。…そもそも相手は人知を超えた力を持つ悪魔。ならばこちらの存在が気付かれた時点で既に相手方が有利と言える。
 ヒルデガルドの手に握られているのは硫化水銀の塗られた剣、『バーミリオン』。切っ先の狙いは確か――だが、それは相手が並の存在だったなら、と注釈を付けるべきだったか。今の場合は『彼』の身ごなしの方が僅かに早く、躱される形になる。
 く、と唇を噛み締めつつもヒルデガルドは今度は政人を庇う形にすかさず移動。現場作業員を庇っただろう体勢から、政人の動きがやや鈍い事を見越して彼女はそうしていた。煙を避ける為騎士服の袖口で口許を覆いつつ、再びヒルデガルドは『彼』へと相対する。そして――早くその人を! と政人に向け鋭く促した。
 目の前の『彼』は、割って入って来た彼女を見、やれやれ、とでもいいたげに肩を竦めている。相手にもされていないか。思ったところで煙がやや薄らぎ風に巻かれる。…偶然風が強くなったか火勢がやや弱まったか。
 ほぼ同時に、ばさりと大きな鳥が舞い下りるような音がする。何か。思い、その場にある視線がそれぞれ音の源を探す。舞い下りていたのは一対の翼――それも光で出来た翼を天使の如く背に生やした騎士風の人物――サフェール・ローラン。
「その制服、北欧の『真・聖堂騎士団』! 助太刀するぞ!」
 言葉と共に舞い下りた彼女の手には翼同様、光が具現化したような――いや、よう、ではなく光そのものを生み出し実体化させたものなのだろう――剣が握られている。それを認めヒルデガルドも即座に察し、頷いた。改めて『バーミリオン』を構え直すと再び『彼』へと強襲。そこを軽く片手で受ける相手方。効いていない――否、その手には何らかの霊的な力場が纏われている。守られている。…ならば防御を取っていない部位に直に切り込めさえすれば有効な攻撃であると認めた事にもなるだろう。剣を受けられてしまったヒルデガルドがそう思った時には、今度はサフェールの剣の切っ先が横薙ぎに『彼』を狙っていた。が、それもまた簡単に受けられている。ただ、そちらに対しては眩しそうな嫌そうな顔をしているような気がしたのは錯覚か現実か。
 ヒルデガルドとサフェールの剣両方を受け、『彼』は今度はその剣ごとふたりの騎士を突き放す。軽い仕草だったが――見た目に反しその威力は絶大。『彼』だけを見れば軽い仕草でも、ヒルデガルドとサフェールの方は嘘のように軽々と投げ飛ばされていた。放物線を描き、少し離れたアスファルトの路面に叩き付けられる。
 瞬間、息が詰まった。それでも彼女たちは立ち上がる。咄嗟に光の翼を扇いで身に掛かる勢いを削ぎ、僅かながら衝撃が少なかったサフェールの方が動き出すのが早かったか。が、サフェールに続きヒルデガルドも時を置かずすぐに体勢を立て直し、『バーミリオン』を握り直すと地を蹴り出し再び『彼』に掛かっていく。サフェールがヒルデガルドの制服で素性を判断している以上、初対面ではあるのだろうが――元々が似た気質だったか、互いが互いの動きの筋を読み、隙が出来たそこを補う形でそれぞれ動いている。彼女らの剣技はなかなかに息が合っていると言えた。
 が。
 …だからと言って、それで勝てるかと言うと――別問題だ。
『何故にそのような無粋な姿で居るものか。か弱き花ならばそれらしくしていればまだ可愛げもあろうに?』
 彼女らの攻撃を簡単に受け、躱しつつ溜息混じりに告げる『彼』。…どうも見るからに手加減されているような節があり。決定的な攻撃を仕掛けて来ずに何やら考え込んでいる風なのがその証拠。そしてその言葉――揶揄するような『彼』の言葉にヒルデガルドは思わず呻く。
「セエレ…貴様っ!!」
 が――それを押さえるように、サフェールが鋭く声を上げた。
「奴はセエレの双子の兄だ! 能力も性格も違う!」
「なにっ!?」
 サフェールの声にヒルデガルドは弾かれるよう反応する。
 と、ヒルデガルドにセエレと呼ばれた目の前の『彼』はやや意外そうな顔をした。
『…? ほう。お前は『奴』を知っているのか』
「黙れっ!!」
 軽く確認する『彼』に対し今度はサフェールが激昂し、『彼』の科白を断ち切るよう叫ぶ。…ヒルデガルドに注意を促したその瞬間、サフェールの脳裏に浮かんでしまったのは自身の兄の事。『アヴァロンの園』を――『グラストンベリ騎士団』を裏切り敵に回った双子の兄。それは今この時この相手、この戦いとは何も関係は無い話だが――何処か、重ねて見てしまうのは仕方が無いのかもしれない。
 別の話。わかっている。けれど、一度でもそう重ねて見てしまった以上――余計に、人々に害を為すこの悪魔の仕業が許せない。騎士の使命以上に、僅かながら私情が入ってしまう。
 微かにだが唐突に態度が変わったサフェールに気付いたか、長い髪の『彼』は、ヒルデガルドの振るう『バーミリオン』の切っ先を無造作に掴み押さえ動きを止めると、今度は改めてサフェールの方を興味深げに見遣る。次いで飛んで来たサフェールの光の切っ先も『バーミリオン』同様、受け止めた。…そもそも、先程路面に叩き付けられた衝撃によるダメージが彼女らふたり、どちらの身体にも色濃く残っている。まだ本気を出している風にも見えない相手の方が優勢なのは仕方が無かろう。
 サフェールは押さえられたと見るなり押さえられたその光の剣を消し、別の位置に光の剣を作成。今まで何も無かったその位置から改めて光の剣を振るう――が、それもあっさり避けられた。
 悔しそうに唇を噛み締めるサフェールのその姿を今度は確認もせず、思案風の『彼』は静かに口を開く。
『私についてある程度知るのは『弟』か…かの女吸血鬼辺りになるか。ふむ。ならば用は済んだと言えるな』
「何!?」
「…どう言う意味だ」
『小うるさい羽虫に付き合っている理由も無くなったと言う事だ。さすがにそろそろ面倒になっていたのでな』
 言って、彼は『バーミリオン』の切っ先を掴んでいたその位置から、その『バーミリオン』ごとヒルデガルドを直接足許に叩き付ける。彼女のその口から、かは、と息が漏れた。吐かれる血。衝撃に見張られる目。それを見ていたサフェールが怒りに吼え、再度光の剣の切っ先を向けると『彼』に躍り掛かる――が、サフェールの視界に落ち着き払った『彼』の瞳が入るのが先だった。静かに片腕が動いている。そこに集まる何らかの力。逃げて下さい! とまた別の男の声が響く――「FZ−00」、政人の声。
 長い髪の『彼』が今サフェールに向け放とうとしているのは――先程政人が自らの勘に従った結果、何とか間一髪で避ける事が叶った、アスファルトをさっくりと切り込める程の破壊の力。そう察した政人からの警告。だが、サフェールの今の位置では、もう遅い。
 と。
 おらぁっ、と豪快な掛け声が何処からか割って入るのが先だった。続いて飛んでくる大柄な人影――人だろう。その人影が凄まじい地響きを立て、自身のすぐ前に着地し、自分を見て何やら動いたところまでをサフェールは一応ながら視認。視認したところで、腕に掛かる負荷。…腕が掴まれている。思った時には既に自分の身体が宙に浮いていた。同時に、ぎぃん、と何とも言い難い鈍い金属音に似た音が響き渡る。直後、ってぇな、と、割って入って来たのと同じ声が軽く吐き捨てるのが聞こえた、と思ったら、サフェールの身体がすとん、と静かにアスファルトの路面に落とされている。
 彼女の目の前に立っていたのは、白銀に煌く巨大な蛇腹の剣を当然のように握った、褐色の大柄な背中。
「…ったく。こりゃ確かに向こうさんと違って説得は効きそうにねぇな」
 あの悪魔も何処移動させんだってのはあるが…まぁ、結果的には良かったか。とひとりごち、その背中の主――ディオシス・レストナードは振り返ってサフェールの様子を確認。…今彼は月刊アトラス編集部に居るセエレの能力でちょうど長い髪の『彼』とそこに躍り掛かろうとするサフェールの中間点、それもその上方――空中に放り出されたところだったらしい。そして目の前の状況から明らかにサフェールの方が危ないと見、着地するなりひょいと彼女のその腕を引っ手繰り相手の攻撃の筋から力尽くで逸らしつつ、同時に自らの相棒である愛剣を召喚、相手の攻撃の筋を真っ向から打ち返す形に振るっている。が、咄嗟の判断故に正体不明の相手の攻撃の質を見誤ったか、ある程度の威力は殺せたがディオシスも無傷で居られた訳でも無い。
 が、このディオシスの場合はそれでもちょっと痛い、程度で済んでいた。…サフェールを振り返ったその時には、今負った僅かなダメージ――傷はもう癒えている。
「大丈夫か?」
「かたじけない。だが――!」
 彼女が、と既に満身創痍のヒルデガルドを指し言い募ろうとするサフェール。
 と、今度は。
「…無力な人間甚振って楽しい?」
 まぁ、少しはわからないでもないけど…この世界で大っぴらにそれやると色々面倒だって事は判ってる?
 そんな、つまらなさそうな声がまたも唐突に響いた。告げる声は長い髪の『彼』のすぐ側。いつの間にそこに居たのか、声の主は――田中緋玻。
 緋玻はその場で無造作に両手を組み合わせ振り上げると、両手で作ったその拳を力任せに長い髪の『彼』へと叩き下ろしている。それが為されるまで殆ど誰にも視認できなかったその仕業。直撃し、『彼』はアスファルトの路面に叩き付けられ――そのままアスファルトが陥没までした。…初めて与えられたダメージらしいダメージ。そんな凄まじい破壊力を見せはしたが、さて、と緋玻は改めて陥没させたその後の穴を隙無く覗き込んでいる。
 …さすがにすぐは起きて来ないが、こんな一発程度で終わる訳は無い。どうせ今のは不意打ち――とは言えその不意打ち自体が能力的に可能だった者がそもそも今まで居なかった。つまりは漸く『彼』と互角程度に戦える相手が出た、それだけの事だろう。緋玻の拳が直撃はしたが、ひょっとするとこれから無傷で起きてくる可能性だって無い訳じゃない。
 他方、緋玻のその脇――倒れ、動く事もままならなくなっているヒルデガルドの元。…十字架に磔にされ、聖痕から血を流しているキリスト像――異端のデーモン『ジーザス・クライスト・スーパースレイヤー』を無造作に抱えた飯城里美が満身創痍の彼女を助け起こしていた。よくここまで頑張ったわね! と声を掛けつつ、何はともあれ自らの使役するデーモンの血を用いヒルデガルドの身体を癒し始める。それは彼女は凄まじい力で路面に叩き付けられたようだが、どれ程酷くてもダメージ自体は物理範囲。当人もまだ生きている。ならば、里美にとっては治癒は特に難しい事は無い。後はあたしたちに任せて、と里美は頼もしくヒルデガルドに言っている。
 …神、か? と里美の持つ像を見、目を丸くするヒルデガルド。次いで、自らの傷が癒されている事に気付くと殆ど無意識の内に胸の前で十字を切り、祈る。里美はそんなヒルデガルドの仕草を見て少し肩を竦めるが、それについては特に何を言う事もせず、起きられる? とそれだけ声を掛けていた。そろそろ血の効果が表れたか、ヒルデガルドからは、ああ。と素直な――先程よりも力強い返事。よし。と里美も相手を元気付かせるような笑みを見せ、彼女が立ち上がるのを手伝った。
 そこに、早く離れた場所に移動しなさいね? と緋玻からついでのように忠告が来る。…この彼女も一応気を遣うだけは遣って、長い髪の『彼』のすぐ側に倒れていたヒルデガルドにまでは被害が及ばないように攻撃を仕掛けていたので。言われた通り、里美とヒルデガルドは少し離れた場所に離脱する。ディオシスと緋玻の圧倒的な力を見れば、彼女らの出番はひとまず終わったようだと見ていい。
 …緋玻も里美もディオシス同様セエレの能力でこの場に飛んで来はしたのだが、場所やタイミング等、図ったようにピンポイントでちょうど良い位置に飛んでいる気がするのは気のせいか。場所がわかるならば相当精密に使える能力らしい事に、今更ながら少々感心する。
 特殊強化服「FZ−00」を纏った葉月政人と逃げ遅れた現場作業員のすぐ側に飛ばされた、天薙撫子に雪ノ下正風の方も同様と言えるか。ふたりはその場に出てすぐ、政人と協力して現場作業員をすぐさま煙から連れ出している。何とかその場まで来る事が出来た救急車両へと現場作業員の身柄を預けた。警察と、そして協力して動いているセレスティの命によりリンスター財閥のものらしい車両も、周辺を封鎖する事が叶っている。一般人らしい人影は――さすがに無いとは言えないが、相当、遠巻きになっていた。消防車も来る事が出来ている。…放水が始まっている。…そちらもそちらで、予め警戒していたか。
 政人はそちらに合流する形で、まずは消火活動に当たった。他に煙に巻き込まれている者は居なかった事、現在セエレの双子の兄と言う放火犯の悪魔と、有志の者が交戦中――足止めをしている事も各所に連絡。その位置関係も大雑把にだが伝えた。燃えているのは工事車両と油。厄介な火元。現時点である程度薄れてはいるが、それでも残っている煙の凄まじさでそれも判るだろう。そしてこんな街中。運転者や同乗者は避難させているにしろ、渋滞から始まって車もまったく動かない行列を為している。…まだまだ類焼の危険は大きい。
 現場作業員を救急隊に託した後、正風は緋玻が悪魔に対し一撃を放ったところを黙して見据えている。…この悪魔、この程度で滅びるような訳も無い。この程度で済むならば退魔師であった父が敗れる訳も無い。『黄龍の篭手』の下、己が拳が疼いて堪らない。
 そんな中、漸くがらりと瓦礫の音がする。緋玻の一撃で陥没したそこ。ゆるゆると立ち上がり、振り払うようぶん、と頭を振る長い髪の『彼』の姿。今までの、周囲の誰の姿も殆ど気に留めていなかったような余裕の表情は消えていた。憎々しげに緋玻の顔を見遣っている。が、今の一撃と、新たに現れた複数の――それも油断ならない気配から判じて軽々しく動けないのか、立ち上がった以上はひとまず行動を起こそうとしない。
『貴様…何のつもりだ』
「言った通り。派手な事されると色々鬱陶しいのよ。それに貴方の弟クンも貴方の行動には迷惑してるらしいし、普段は静かに暮らしてるあたしも、たまには心置きなく暴れたいってのがあってね?」
 ちょうどいいから話に乗った訳。
 にこりと微笑み、あっさりと好戦的な事を言ってのける緋玻。
 が、その遣り取りを見ていた撫子の方から声が飛ぶ。
「…セエレ様の双子のお兄様と伺いましたが…何故にこのような事をなさるのです?」
 撫子の鋭い声が、長い髪の『彼』へと掛けられる。


■決着

 アトラス側では結局、調査の中放っていた隼人の使い魔が現場状況把握の最大手段になっていた。アトラスからの転移組はその使い魔の視覚を通じ、セエレが送り出した――それも図ったようなタイミングと場所に送り出せている――者たちになる。
 皆を送った後、隼人は使い魔の視覚を置いたままその感覚をセエレに貸し出す。直接そうされ、どうしましたとセエレも聞き返すが――私も直にお兄さんを見てみたいと思いまして、宜しければ現場の…邪魔にならないところに放り出してはくれませんか? と頼む。了解しました、とセエレは頼まれた通り実行。隼人は交戦中の皆からやや離れた、同時に人目にも付き難いだろう場所に転移していた。
 他の方はどうしますか、とセエレはアトラスのその場に残っている面子に訊いてみる。ま、まさか僕なんか考えてないでしょうねええ、と怯える三下。…心配しなくても初めから勘定に入れられてませんよ、と匡乃からさっくりと突っ込みが入れられ、胸を撫で下ろし安堵する三下。そう言う匡乃さんは? とのシュラインの声に、僕が行っても先に行った皆さんのお邪魔になるのが関の山な気がしますけど、と匡乃。退魔の力があるとは言え人間離れした身体能力はありませんしねぇ、と呟いている。…その実、行かなくて事が解決するなら行かないに越した事は無いとも思っているようで。
 一方のシュラインや編集長に関しては、初めから交戦中の現場に割って入れるとは思っていない。訊いた方のセエレも匡乃もそれは承知の上なので、今度は受話器の向こうのセレスティに一応訊いている。と、私は運動能力は極めて低いですからと苦笑する声が届く。そこで――電話では無く直接お互いに声をお届けしましょうか、とセエレが言い出した。どう言う事? と問う編集長。セエレは声を『物』と見なせばリアルタイムで伝達出来ます、とあっさり言ってのける。
 出来るならその方が電話代掛からないわねと頷く編集長。では、とセエレは今言った通りに実行した。聞こえますかと確認するセエレの声。ええ。セエレ氏のそれは――実はなかなかに便利な能力なのではありませんか? とセレスティからもあっさり声が返ってくる。そして、その声はその場に居る皆にも本当に届いた。
 そして最後、エルへも交戦中の現場に向かうかどうかの話が投げられている。
 と、さっき撫子さんにも聞かれたけど、居合わせちゃったら他に動く気にはなれないのよね、と返してくるエル。そして、セエレへと目をやった。
「セエレはずっとこうだし、私もキリエを勝手にいじられるのは楽しくないから」
 向こうの戦力は充分足りてるっぽいし、こちらはこちらで万が一にも備えたい訳。
「って、そう言えばキリエさんはどちらに?」
 ふと気付くシュライン。…今回の事件が起きてから、セエレよりも余程近隣に居る理由がある筈のキリエの姿の方が――何故か、奇妙なくらい見えない。そもそも、セエレもセエレで、本来は主のキリエが居るからこそ、それに付いて歩いて近隣に居ると言える訳で――?
『それは――』
 渋るようなセエレ。と、それを遮るようにエルが口を開く。
「…このビル内に居るわよ」
「え?」
「別室借りて、アトラスでライターやってもいる似非陰陽師に気配断ち頼んであるの」
「…いつの間にそんな事に」
 ぽつりとシュライン。
『私が能力で部屋まで直にお連れしました』
 補足するセエレ。
 そして。
「…実はキリエって今暴れてるこの子の『兄』にね…時々だけど、操られて使役されちゃってる事があるの」
「はい?」
 予想外のエルの科白に、思わず訊き返す匡乃。
 …それは主従関係が滅茶苦茶な気が。と言うかそもそもそれはありなのか。
 シュラインもそれを聞き、思わず止まっている。
 エルは続けた。
「『生前』は聖職者――それもこのセエレが召喚出来るくらい魔術に造詣が深かった訳だから何の手出しも出来なかっただろうけど、今のキリエだと…それは私の『息子』になるから力だけはあるわよ? でもそれでもやっぱり年季が足りないの。魔物としては赤子同然になるから…年季の入った上級に対する抵抗力は格段に弱くなる」
 それは大抵の相手ならものともしないけど、ソロモン72柱の魔王クラスになるとちょっと話が違ってくるのよ。
「ってどうして」
 …セエレさんの主でもあるキリエさんに対して――お兄さんの方がそんな事をする必要が。
 どうにも奇妙な状況に、悩むシュライン。
 と、あっさりとエルが指折り挙げる。
「セエレの情報を得る為、セエレを困らせる為、このセエレに偽装する為…って辺りかしらね?」
 どちらにしろセエレ絡みとしか思えないけどね。…そうでもなかったらキリエは興味の対象外だと思うから。
(それは…今回の事件に関しても言える事、なんでしょうかね?)
 セレスティの声。
「わからないけど今回も連れてかれた事は確かなのよ。で、早い内に隙を見計らってセエレが能力でキリエ取り返して、こちらで準備万端整えておいた似非陰陽師に操りの糸切ってもらって気配も断たせて今に至る訳」
 で、今は別室で寝てるような状態になるんだけど。
「だから多分、地図で見えた――過去の事件現場を記した点を合わせて見えた『絵』みたいなのって、ひょっとするとキリエの頭から記憶でも読み取った――って言うかこんなものだと読み違えたとしか思えないんだけど、正教会のイコン…宗教画って事も考えられるかなって思うのよ」
 生前はああ見えて結構真面目に聖職者やってたみたいだからイコンの何枚かくらい鮮明に記憶にあっても良い筈だし。…だからって今この件に何か関係あるとは到底思えないんだけど。
(確かに)
 と、苦笑混じりの声でセレスティ。セエレもすぐさま同意した。
『仰る通りです。『兄』は意図してこんなまだるっこしい絵を描こうなんて考えるとは到底思えませんから。だからと言って無作為…にしては事件現場が何かの絵柄に見え過ぎますし、ヒントを読み違えた、と言う線が一番考え易いですね』
「読み違えにしろ何にしろ、何かの理由で興味の対象外である筈のキリエさんの記憶を読む必要があるんでしたら…やっぱり、お兄さんの目的は弟さんって線が濃いと考えていいんでしょうかね?」
 考えながら、匡乃。
「…そうね。セエレさんと無関係とは到底思えない、瓜二つの姿を持つ自分はここに居る、って――緋玻さんが言ってたみたいに狼煙だった――と言う事もあるのかも。…でもどちらにしろ、お兄さんには早く止まってもらわないと皆が困る事は確かなのよ」
 言いながら、ちゃき、と何処からともなく聖水を取り出すシュライン。…今回の事件が悪魔絡みだと判明した時点で、この程度のものは既に用意している。そして、これを使うのはどうでしょう、とひとまずセエレに訊いてみた。
 普通に効果はあると思いますよ。セエレはあっさりとそう告げる。でしたら、凝縮した方がより効果的かもしれませんねとセレスティ。弾丸にでも作ってみましょうか、と申し出た。そして、聖水をこちらに運ぶ事をお願い出来ませんか、と改めてセエレに頼む。と、程無く聖水の瓶が消え、セレスティの手許へと静かに移動していた。届きましたよとセレスティは一応確認の為に声を掛ける。宜しくお願いしまーす、と受け答えつつも、シュラインも他に何か出来るか色々思考を巡らせていた。そこに、匡乃の姿が視界に入る。
「…匡乃さんもお願いしますよ?」
 折角、強い力をお持ちなんですから。そう告げるシュラインの科白に、何とも言い難い苦笑を見せる匡乃。では――落雷のような形にでもしてみましょうか、と自分の能力をその形にイメージ開始。セエレもそんな匡乃の技を見遣り、技が最大限の効果を齎すタイミングを――移動させるそのタイミングを見計らっている。
 セレスティの元へと転移させた、シュラインが元々用意していた聖水。セレスティはそれでひとつひとつ丁寧に銃弾を作り出し、机上に転がしている。…出来ましたよ、とアトラス側へ報告。
 この聖水の弾丸を実際に『移動』させるのはセエレに任せる。対象を定め、銃口から発射される程度の加速度を付けて『移動』させれば、銃撃と同じ効果が齎せると言う。…応用するならセエレの能力はそんな事も可能のようだ。
 そんな事が出来るのなら、充分に不意打ちにもなる。



 …そろそろ出る? と緋玻は撫子と里美に目で問い、たんっ、と軽やかに地面を蹴って飛び退る。そのまま跳躍し、離れた位置に着地した。…事前に聞いた能力から考えると、里美が動くなら戦線離脱しておかなければ、鬼の本性を持つ緋玻の場合少々痛い。それに、目的通りある程度は相手の力を削れもした。
 と、緋玻と入れ替わる形で今度は撫子が本格的に入る。御神刀である『神斬』と、常に持ち歩いている『妖斬鋼糸』を用い、ディオシスの大剣での対峙を助けるような形で動いた。一方の長い髪の『彼』は先程同様闇を凝らせ――それはオーラか術の塊か――それらを受けている。多少、息が上がっているのは気のせいか――と思ったら、ディオシスと撫子の技の合間、そこを突いた絶妙のタイミングで『彼』の身体が唐突に二、三度痙攣するよう傾いだ。何事かと目を見開く『彼』。ディオシスも撫子も何もしていない。『彼』の口端から、つ、と体液が一筋流れる。まだ把握できない。思ったそこで――再びまた同じ攻撃が来た。傾ぐ身体には――今度こそ、数点の弾痕が穿たれている。そこから、奇妙に煙を吹いている。まるで灼かれているような。じゅ、と音までする。…何か聖なるもので造られた弾丸が穿たれている。何処から狙われた。『彼』は慌て、周囲を見渡すが撃ったと思しき相手は何処にも居ない。誰も、撃っていない。ならば誰が? 思ったところで――今度は強烈な退魔の光が『彼』を狙い落雷の如く降って来た。避けられない。が――そこで何かに気付いたか、おのれぇッ!! とそれまで以上の怒りを込め、誰にともなく――いや、特定の相手に向けてではあるのだろう――『彼』は呪詛を吐いた。
 謎の攻撃の直後――それでもまだ『彼』は動いている――『彼』の視界に入ったのはヒルデガルド。彼女はこの場では自分は直接的な力にはならないと見、仲間の力を上昇させる為、神の加護を祈り続けていた。…ただ祈りと言っても魔術を心得た『真・聖堂騎士団』第十七師団長の祈祷でもある。一般の信者のような気休めでも何でもない。事実、それなりに効力の上がるもの。…だからこそ『彼』の目にも付いた。今自分を害した仕業と同系統の力、そう見えたから。『彼』は対峙しているディオシスや撫子ではなく、腹いせか、そちらを直接狙おうとする。
 が。
 長い髪の『彼』が何らかの攻撃を仕掛けようとした、そのタイミングで里美が先を読んで動いていた。異端のデーモン『ジーザス・クライスト・スーパースレイヤー』を使役し、『彼』へ向けて――霊的能力の完全無効化の結界を張った。そして怨霊や汚れを浄化し、アンデッドや悪魔に深刻なダメージを与えると言う――後光も照らす。
 が、その中にあってもまだ、長い髪の『彼』は倒れない。喚き、血を吐く姿。それでもまだ、がん、と結界を内側から力尽くで叩くような仕草をして見せていた。それで、僅かながらではあるが外側に振動が伝わっているようで。
 それは結界を破られはしないだろうが、それにしても頑丈だ。…ったくまだ動くかよ、とディオシスが左耳のピアスにふと手を触れる。…『封印』解くか、とそこまで考える。
 同刻、撫子もまたディオシス同様、もう一段階上の行動を考えていた。…『天位覚醒』の必要があるでしょうか、と。
 …が、そこで。
 空気ごと周囲を揺らしたのは――正風の吼える声。
 …瞬間、気付いた里美は使役するデーモンの能力による結界を解く。凄まじい氣が練り上げられているのがわかる。正風の体内で起きている霊的エネルギーの上昇振り、そして拳に集められているその圧倒的な力。里美は密かに、イイものが見れそうだわと内心で思いもする。
 こちらもまた正風の力に舌を巻きながらも、政人は荷電光霊子ライフルの照準を長い髪の『彼』に定めた。相手の霊的性質の走査結果。そこからレーザーの振動数を設定する。…威力を増す為、振動数の調整精度を上げていく。
 サフェールも政人の荷電光霊子ライフル、その振動数を読み取り、光の槍を作り出した。凝縮される光の力。…振動数を合わせると言う、誰の手にも汎用可能な方法を導き出せる事が『人間』の強み。それはひとつひとつは弱くとも、それが、たくさんありさえすれば――強くなる。
 政人のライフルとサフェールの槍の振動数が完全に一致。『彼』に対しても――政人の「FZ−00」で計測出来る限りは、一番近い振動数の値に設定された。
 刹那。
 振動数を合わせたそれらが同時に――セエレの双子の兄、の身に叩き付けられる。
 そして、その上から。

 …この悪魔を不倶戴天の仇と定めていた正風の手による、全身全霊、全力を込めた渾身の一撃が――炸裂した。


■『願いの貴公子』

『…『兄』は消えたようですね。皆様、有難う御座いました』
 ん、と何処か満足げに、静かに頷いていたのはアトラスで来客用ソファに落ち着いたままのセエレ。滅ぼす事など叶うまい、言外にそう思われていたセエレの双子の兄であったが、最後、正風の一撃でその存在する『力』が四散した――その瞬間はさすがに、離れた場所に居るセエレにも感じられたらしい。
「って…大丈夫、なんですか?」
 恐る恐る訊くシュライン。自分が言い出した話。力の源が同じなら自分自身の存在がブレて感じられるようになるとか、そんな風なのでは――と言う、あの件。だったら、その『兄』の方が倒されてしまったと言うのなら、このセエレ当人の方にも何か影響が出る可能性もあるのではと思う訳で。
 が、セエレは問題ありませんよ、とむしろ晴れ晴れした様子でシュラインを見返し、悠然と紅茶を啜っている。
『影響がまったく無い事は無いですが、元々私が望んだ事ですし。『兄』の存在は色々と厄介ですから…他の方の邪魔にもなるようでしたら、ついでに消して頂いた方がいいんです』
 そうすれば私も懸念が消えますし、ご近所迷惑な人間界での事件も治まりますし、雪ノ下様の仇討ちも叶う事になりますし、飯城様のお仕事のお役にも…ひょっとすると、立てたのかもしれませんしね。
「悪魔とは言え、随分あっさりしているものなんですね?」
 こちらもまた紅茶を啜りつつ、匡乃が静かに問う。と、セエレは小さく息を吐きつつ、微笑んだ。
『それはどうしても『己が意志に反する自分』など…目障りなだけですからね?』
 私の方で『彼』の力を取り込めるならいざ知らず。
「…え?」
 言われた科白に一瞬、その場で聞いていた面子は停止する。
 と、そこに。
「…つまり、『兄』も『弟』もセエレはセエレなんですよ」
 いつの間に戻っていたのか、神山隼人がセエレの代わりに静かに答える。
「…そうですね、何処でイレギュラーが起こったのか知れませんが…元々双子として生まれた訳では無く、本来ひとつである筈の存在が何らかの理由で分かたれて、それぞれまったく違った別の意志を持ってしまった、そんなところなんじゃないですか?」
『やはり貴方はお気付きになられましたか』
 初めからそこまで話さなかった事、お怒りになられるでしょうか? と隼人を窺うセエレ。いえ、構いませんよ、と受ける隼人。彼にしてみれば自分の正体を無闇に明かされるような事が無ければどうでも構わない。…そして、この目の前の悪魔はその辺りの事は心得ている風である。
 それを受け、セエレは改めてその場に居る他の面子に向けても話し出す。
『…そうです。神山様の仰る通り。『私』も『兄』も、同じ名を持つ者。私は皆様に『兄』の名をお教えしなかったでしょう? それは『兄』もまた、名乗るならばセエレと名乗るべき者になるからなんですよ。…但し、その名を忘れて動かれる事があまりにも多いもので。これまで、『兄』の不始末が何度私の身に降りかかってきたか知れません』
 はぁ、と疲れたような溜息を吐くセエレ。…余程の事があったのだろうと思わせる態度。
「でしたらその時も――その旨訴えれば貴方には面倒が無く済んだのでは? 今回のように」
 そんなセエレの姿を見、ふと問う匡乃。
 が、セエレは静かに頭を振った。
『いえ。そうも行かない場合があるんです』
 公では私は『ひとり』と言う事になっていますから。
 …あまり大っぴらに人違いとは言えない時もまた多いんですよ。向こうの世界では――弱点と見たら突付かれるのが常ですからね。状況により、ある程度隠しておく必要もある訳です。一応…それなりの配下も居る身ですから、周囲に対してある程度の信用は保っておかないと…皆にも示しが付きません。
「…ふたりいらっしゃる事は弱点になりますか?」
『協力し合える相手であるなら弱点でもないですが…私たちの場合は土台、無理なんですよ』
 何故こうなったのか…性格がまったく相容れませんからね。むしろ敵対していると言っていいですから。
「…確かに…伝承だと、ソロモン72柱のセエレって――『瞬きするだけで何でも行える』能力があるのよね?」
 実際のセエレさんの話からすると少し違うけど、と、ふと確認するシュライン。それはこのセエレの言う通り、どれだけ遠いところにでもどんな大量にでも、一瞬にして物を移動する力を持つ、そんな説もある事はあるが――『何でも行える』などと、深読みするなら万能と見ていいかも知れない能力まで伝承によっては歌われている。
 シュラインの科白に、セエレは静かに頷いた。
『ええ。それもまたその通りです。ですが私にあるのは――セエレとしての本来の意志と性質、そして『移動』と見なして扱える力だけになります』
 まぁ、『移動』と見なす事が出来れば…ある程度の事をこなせはしますが。それ以上の能力となると…素性からして当然の事と言うか…人間よりやや頑丈であったり属性が偏っている程度の話になりますよ。
 他の能力はすべて『兄』の方に持って行かれていたと思います。…まぁ、具体的に確認した訳ではないですが。元々、確認のし切れない能力でもありますし。
 それだけではこの近所では――人間の範疇であっても弱い方にはならないでしょうか? と肩を竦めるセエレ。だが直後に――けれどそんな私でも、と続けられる。
 …もし、いい機会があったなら『兄』を滅したいとは常々思っておりましたから、と。
(では…今回の件は、君と同じ事を、お兄さんもまた――考えていたと言う事でしょうか?)
 自身の『弟』を、滅ぼしたいと。
 セエレの科白を聞き、その場には居ないセレスティの言葉が直接飛んでくる。…最後には電話での中継ではなくセエレの能力の方で向こうとの会話も為されていた。そして、今もまた同様にセレスティの言葉を持って来ている。…こちらの言葉を運んでもいる。
『だからこそ、我が主に手を出しているのだと思いますよ?』
 魔物としてはまだまだ幼いキリエ様を操り使役し、私の居場所を――私に関る何かを引き出す道具に扱おうとした。…そこがこちらの逆鱗だとも知らないままに。
 エル様とキリエ様の気配は独特と言えますから『兄』にすれば探し易かったのでしょう。
 と、その科白に対し、匡乃からふと疑問の声が飛ぶ。
「…さっき、貴方はお兄さんの位置が掴めるって言ってませんでしたっけ?」
『私は可能ですが――『兄』の方では私の位置や気配は探知出来ないようなんです』
(そうなんですか?)
 確認するセレスティ。
 その声に対し自嘲するよう静かに笑い、セエレは答えた。
『…そうでもなければ私は疾うに『兄』に殺されていますよ』

 私自身は『兄』と真っ向戦って勝てる力は無いのですから。
 幾らこれ見よがしに姿を見せられたって、こちらがわざわざ殺される為に出て行く訳もないでしょう? もし今回、事件を起こしていたのが私を呼ぶ為の行動だったなら――見当違いもいいところですよ。それは多少なりとも人間の法と情を認める側に付いている以上、放って置かない方がいい事だとは思いますが…だからと言って自分の身を捨ててまで被害にあっている方を助けようとは思いません。
 …けれど、アトラスに集うような貴方がたならそうとも限らないでしょう? この件をお話ししさえすれば、私が以前キリエ様と草間興信所に初めて伺った時のように――人に、仲間に敵対する者を放っておくとも思えませんでしたから。
 それに、草間興信所やアトラスにいらっしゃる方は――私などより余程お強い方も多い。
 ですから、『その為』に私の力でお手伝い出来る事があるなら、私は喜んでしましたよ?

 …『セエレ』の名を持つ者はふたりも要りません。
 まぁ、私の力が不完全なままである以上――また何処かに『弟』が生まれる可能性も否定は出来ませんがね。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■0638/飯城・里美(いいしろ・さとみ)
 女/28歳/ゲーム会社の部長のデーモン使い

 ■2240/田中・緋玻(たなか・あけは)
 女/900歳/翻訳家

 ■0328/天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)
 女/18歳/大学生(巫女):天位覚醒者

 ■3737/ディオシス・レストナード
 男/348歳/雑貨『Dragonfly』店主

 ■1537/綾和泉・匡乃(あやいずみ・きょうの)
 男/27歳/予備校講師

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ■1855/葉月・政人(はづき・まさと)
 男/25歳/警視庁超常現象対策班特殊強化服装着員

 ■0391/雪ノ下・正風(ゆきのした・まさかぜ)
 男/22歳/オカルト作家

 ■2263/神山・隼人(かみやま・はやと)
 男/999歳/便利屋

 ■1771/ヒルデガルド・マクスヴェル
 女/25歳/真・聖堂騎士団第17師団長

 ■3337/サフェール・ローラン
 女/20歳/アヴァロンの園・グラストンベリの12騎士

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ※表記は発注の順番になってます

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 …以下、公式外の登場NPC

 ■セエレ/依頼主の悪魔(弟)・同時に依頼対象の悪魔(兄)でもあった模様。
 ■エル・レイ/セエレの茶飲み相手。キリエの親吸血鬼。
 ■キリエ・グレゴリオ/セエレの現主。元聖職者で今吸血鬼。吸血鬼化してまだ50年(魔物としては赤子同然)

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          ライター通信
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 この度は発注有難う御座いました。
 近頃、お渡しが特に遅くなっている上に御挨拶も満足に返していない状態が続き申し訳ありません…。
 今回とにかく長いです。更には精魂尽き果てましてライター通信で内容に触れる気力に乏しく(遠)
 何か内容に関しての言い訳のようなものが気になる場合は、お手数ですが…当ノベルお渡しの数日後に当方サイト(各発注窓口下方に入口があると思います)の「雑記」の方にまでお越し下さいませ。…復活し次第、多分書いてます…。

 …近頃回を重ねる毎に最長記録を微量ずつ更新中の気がし…そろそろ通らなくなりそうな気もするので…いい加減文章量を少なく纏められるようになりたいです…。お客様のみならずオフィシャルに対しても申し訳無し…。

 ノベル、こんな風になりましたが、楽しんで頂けていれば幸いです。では、また機会がありましたら、その時は宜しくお願い致します。

 深海残月 拝