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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


悪魔からの依頼

■オープニング

 編集部の片隅。来客用にソファとテーブル、給湯用のポットが置いてあるところ。
『そろそろ、私だけでは無く我が主にも避けようの無い火の粉が掛かりそうな気がしてきましてね…』
 場違いなまでに優雅に紅茶を啜りながら、はぁ、と溜息を吐いていたのは髪の長い美青年。
「それは仕方無いんじゃないの? 貴方の双子の兄とやら、相当各所で恨み買ってると見えるわよ」
 答えたのもまた、場違いな風体の女性。言わば西洋の貴婦人風の妙齢の女性。
 彼女のその答えに、青年はすぐ反応した。
『それこそ仕方無いんですよ。彼の性格上そう言い切れます。人間の存在どころか他者の存在すべてを舐め切ってますからね。ある意味で非常に悪魔らしい性格です。だからと言って私に彼を止めるだけの力はありませんし、彼は人の話を聞き入れるような方でもありません』
「外見がまるっきり同じってのも大変ね?」
『ええ…』
 肯定するよう静かに一度瞼を下ろすと、髪の長い美青年――その実、ソロモン七十二柱のひとりである人外の存在、セエレなのだが――は改めて、憂いを帯びた表情で貴婦人風の女性――エル・レイを見遣る。

 …曰く。
 ここのところ、このセエレ――と見られる悪魔による凶悪な事件が多発している。近所のビルが壊されたり燃やされたり殺人事件が起きたり…と、連続ではなく全然別の手口で、それも時間を置いて――何かを見計らって動いているように人間の仕業とは到底思えない様々な事件が起きている。更に言うならその犯人と思しき者はわざと姿を見せているらしいところもあるようで、そこから、以前草間興信所で何処か険呑な神父風の男と共に居た髪の長い青年と同じ顔だ――と思い出した人物が居り、セエレが導き出された。
 が。
 今回多発しているそれら事件に首を突っ込んでいた関連各所――アトラスの碇麗香に興信所の草間武彦他有志数名やらその筋の機関やら――から、セエレ当人がそれら事件についての質問攻めと言うかむしろ取り調べ――に遭っているその時にもまた、今までの事件と同一人物(人では無いが)によると思われる犯行が全然別の場所で素知らぬ顔で起きており。
 結果、完全にセエレのアリバイは成立。
 とは言え、当人が人外である事と、犯人との外見のここまでの酷似から無関係とは到底思えない、とセエレに更に粘った結果、渋々ながら…と言った様子でまた別の情報が齎された。
 …恐らく、事件を起こしているのは私の双子の兄である、と。
 その情報から、事件に関して調査をしていた関連各所は一旦セエレを解き放ったが、それでも重要参考人に違いは無く、暫くの間は居場所が確実にわかるようにしておく事――と言う訳で、二十四時間いつでも必ず誰かの目が届いているアトラス編集部で身柄預りのような形になっている――と言うより、ならばずっとここに居りましょう、とばかりにセエレの方から自発的にその場に居るのだが。…その実、単に偶然エルがその場に居たから彼女と共にのんびりお茶を飲んでいるだけでもあったりするが。

 とにかくそんな訳で、冒頭の科白に戻る訳である。
 セエレは、自分の姿をそのまま写したと言える相手が各所で事件を起こしていると言う事実から、そろそろ――自身の現在の主である契約相手の方を心配し始めていた。…自分の姿、それ自体が火の粉の切っ掛けになる。ならば暫くの間姿を隠しておけば良いと言われるかもしれないが――それでは、必要とされた時に主の役に立てない可能性がある。契約が果たせない。なのでなるべくなら避けたい。
『ですから…宜しければ、どなたかに我が兄を止めて頂きたいのですよ』
「…そんな子を簡単に止められると思う?」
『ですから、荒っぽい手段を取って頂いても全然構わないのです。…人間の法に照らして、相当迷惑な事をやっていると見受けられますから、それなりの手段を取られるのは当然な事だと思っていますよ』
「あら、そうなの」
『兄と言っても力の源が同じだけ。別に情はありません。貴方にとっての我が主のような関係とは根本から違うのです。そして私にとって今一番重要な最優先事項は我が主との契約ですから…我が主に被害が及ばずに済むならば、それこそが私の喜びになるのですよ』
 …と言うよりむしろ、兄の行動については――私の方が本気で迷惑しているもので。
 もし、兄が殺されたり封印されたとしても…私の方は一向に構いません。


■民間からの通報〜警視庁超常現象対策本部

 警視庁。
 …最近、頭の痛い事件が続いている。一貫性が無く、次の行動が予測できない犯行。目撃証言から犯人の心当たりの通報まで受け、犯人が見付かったかと思えば――その人物は人違いとあっさり判明。但し、人違いとは言えその人物――と言うより悪魔らしいのだが――は、犯人の双子の弟であると言う事も同時に判明した為、当初よりある程度は対処が考え易くなった事は確かと言えるか。未確認の存在とは言え、西洋の悪魔と分類していい、人外の者である事は判明したのだから。
 特殊強化服「FZ−00」を装着し、ヘルメットだけを外した状態で葉月政人はその場に待機していた。この一連の事件では闇雲に動き回っても意味が無い。彼が所属しているのは機動捜査を旨とする超常現象対策一課。白バイで現場に急行し今装着しているこの特殊強化服で超常現象や心霊テロに対抗する部署。即ち、今回起きている事件に関しては専門分野と言えるが――それでもやはり相手が神出鬼没。その為に出遅れる。現時点で、何度煮え湯を飲まされたか知れない。
 彼らとしては――歯痒いが、各所でパトロールをしている所轄や、市民からの通報で出動するしかない。

 …そんな待機中に漸く通報。今回は年度末で施工されているとある工事現場で爆発が起き、火災になっているとの事。それまでの事件と同一犯と思われる人物の目撃情報も齎された。政人は脱いでいたヘルメットを素早く被り直すと、白バイ――「トップストライダー」の元へと足早に向かう。
 そして――通常時でも最高時速555kmまで出せる性能のあるその「トップストライダー」で、政人は通報のあった現場へと急行した。



 殆ど時を置かず到着する。上がる黒煙に舐める炎。トラックが燃え上がっているのが辛うじて目視で確認出来る程度か。…周辺には煙が充満している為、視界は殆ど利かない。
 政人は「FZ−00」の各種センサーを使用し、現場の状況を素早くスキャン。被害は。火勢の強い場所。誰か逃げ遅れた者が居るか居ないか――センサーに反応がひとつ。政人はその反応があった元に急ぎ向かい、倒れていた被害者を助け起こす。煙に巻かれ動けなくなっていたと思しき現場作業員。爆発の衝撃で自分の位置が把握出来なくなった事が煙から逃げ遅れた原因か。激しく咳込んでいるが意識ははっきりしている。自らの装備内で可能なごく簡単な応急手当だけをし、その被害者を連れ政人は現時点で煙から逃れられるところ――白バイを置いてきた元居た方に向かおうとした。…「FZ−00」のセンサーはある程度有効にしたままで政人は動いている。また別の反応が政人の側に近付いているのに気付いた。倒れてもいない、動きに少しも鈍さがない――人物。この煙の中で? ならば自分と同じ特殊強化服装着員か――もしくは。
 思った途端、政人は被害者を抱えたまま本能的にその場から飛び退いていた。刹那、雷でも落ちたかと言うような凄まじい音がする。飛び退いた政人は煙の中、改めて――たった今側に移動して来た未確認の対象をスキャニング。長い髪の男。人の形を取ってはいるが――霊的存在と判別された。そして、一連の事件と共に目撃されている証言と一致する姿形――。
『早いな、若僧?』
 対象がにやりと笑う。対象の『彼』が立つそのすぐ脇には――ざっくりと切り裂かれたような深い亀裂が入った路面。つい今し方まで――政人が居た時までにはその場所には何もなかった。ならばそれは――『彼』の仕業か。先程の雷の如き音は――その破壊が為された音か。政人が飛び退ったのは――間一髪だったか。
『…だが私はお前を呼んではおらぬのよ』
 警察と言うのだったか? 人間如きがいつもいつも…ちょこまかと鬱陶しい。
 長い髪の『彼』はそう言うと、億劫そうに片腕を振り上げる。…その掌を中心に霊的エネルギーが上昇。そして向けられる攻撃の意志――近過ぎる。振るわれる。政人は咄嗟に被害者を自分の後方に押し遣ると、『彼』の攻撃から自分自身を庇う形に腕を交差させそこから「FZ−00」の光電磁フィールドを最大出力で発生させていた。光電磁フィールドは霊体に干渉する為に有効な技。即ち、霊的存在に対して普通の実体ある者と同様に接する事が出来る、それだけの技になる。その技で霊的攻撃を防げるかどうかは――彼我の実力差次第。そして――こんな使い方は、無茶もいいところ。盾になる『かもしれない』程度の話に過ぎない。
 そんな政人の『盾』と『彼』の攻撃がぶつかったその時、政人の身体に直接重い衝撃が来る。ず、と身体ごと押されるような形。が――今政人の背後には煙に巻かれていた被害者がいる。彼が自分の足で逃げられればいい。けれどこの彼は――意識はあっても足許が覚束無いような状態で。なればこそ今ここで政人が避ける訳にはいかない。この攻撃は、受け止め切るしか――。
 政人の腕に――「FZ−00」の腕部分にぴしりと細かい罅が入る。やはり保たないか。唇を噛み締めた政人は――一か八か、裂帛の気合を込め『彼』の攻撃を打ち返す形に振り払った。
 それで、散逸する攻撃の力――霊的エネルギーがセンサーに表示される。その勢いと衝撃で、何かが撒かれたように局所的に煙が晴れていた。何とか、受け止め切れた。が――それを見て、ふぅん? と、意外そうなつまらなそうな顔をしている目の前の『彼』。全然、本気では無さそうな表情。…これでは。
 荒い息を吐きつつ、政人は自身が庇った被害者を確認する。今の攻撃からは、無事だ。だが一刻も早く本格的な手当てをしなければならない。…守らなければならない存在。それを一度は守れはしたが、このままでは――。
 次に打つべき手。政人は思考を巡らせながら自身の被害状況を確認。腕部分の「FZ−00」の罅はまだ深刻な傷ではない。それ以上は自らの生身に多少の衝撃が残るのみ。確認しながら再び周辺状況をスキャン。目の前の『彼』の行動は。守るべき存在は無事であるか。破壊され変えられた地形を忘れてはいけない。自分と相手の距離。武器――攻撃の力は。炎と煙の状況。他の要素は。
 と。
 政人がスキャンしたその結果、煙の向こう、金髪の――欧州の騎士と思しき男装の麗人の姿が確認出来ていた。


■合流

 …今まで、セエレの双子の兄の手によって起こされた事件現場は各所に点在している。アトラス編集部や草間興信所、リンスター財閥の情報網や警察の情報なども照らし合わせ、事件が起きた時間帯や被害者に被害状況、現場の詳細は――殆どが皆共通の情報として把握済み。具体的に何とは言えないが何らかの絵を描いているようだ言う意見も出、セレスティ・カーニンガムはその意見も頭の中に置いて置く事にする。犯人の悪魔が弟であるセエレの仕業として時間を稼いだ事には何か意味があるのか。そんな考えもアトラスの編集長を通じ伝えつつ、セエレ氏が拘束されている間に行われた事件について、何か特別な意味は無かったかよく調べた方がいいかも知れないと改めて言っている。実際、セレスティもその線を特に重点的に調べてはいるらしい。
 セレスティが前に通報した警察からは特殊強化服「FZ−00」装着済みの葉月政人、次いで、警察と同じく民間から通報があったと言う「真・聖堂騎士団」からヒルデガルド・マクスヴェルが現場に到着しているとだけは状況の確認が取れた。ただ、火勢も衰えず煙が晴れ切らない視界の利かない中、そのふたりがセエレの双子の兄と思しき者と交戦しているようだ、と言うだけで、それ以上は殆ど確認が取れない。
 アトラス編集部からは某社の襲撃により壊滅した魔術結社「アヴァロンの園」に関係するらしい騎士のサフェール・ローランが先遣の為、空から現場に向かったと告げられた。…曰く、セエレの能力を使えば双子の兄である『彼』の元へは、術や道具も特定人物も即転移可能、但し特に今回のような場合だと転移先の状況に責任は持てないとの事で、ひとりの騎士が状況把握の為、そんな行動に出る事にしたらしい。
 でしたら私の技を送る事も出来るのでしょうか? と、セエレの能力の話を聞き、セレスティは電話口に訊いてみる。と、カーニンガム様の位置が把握できさえすればすぐにでも可能です、と、やや遠めの声ながら帰って来た。受話器に直接話し掛けられなくともセレスティの鋭い耳には直にその声が聞こえている。…アトラス側でもアトラス側で、シュライン・エマと言う聴覚の鋭い人物がいるので、間に入り伝達せずとも通話を繋いでさえあればそれだけで話が早く済む。…それに気付いてから、事件の進捗状況の照らし合わせも直接行っている。アトラスに居る他の戦力の状態も聞いた。
 現在待機中になる直接交戦可能の戦力として田中緋玻(たなか・あけは)、天薙撫子(あまなぎ・なでしこ)、ディオシス・レストナード、雪ノ下正風(ゆきのした・まさかぜ)――そしてサポートとしては飯城里美(いいしろ・さとみ)、綾和泉匡乃(あやいずみ・きょうの)、シュライン・エマ、神山隼人(かみやま・はやと)――との事だ。そしてアトラスへと連絡を付けている自分、セレスティ・カーニンガムも当然、入れていい。
 …こちらとの協力態勢も、整った。



 劣勢の葉月政人に向け、再び長い髪の『彼』は何か攻撃を仕掛けようとしている――が、『彼』の方もまた、政人以外の新たに現れた存在に対し反応するのは早かった。振り返り、目を細める。煙の外、そこに居る何者かを確認しようとする。
 …僅かながら、煙の切れ目。
 漸く煙の外からも――髪の長い場違いなまでに優雅な、そして無防備とも言える風貌の男と、見た目は何処か昆虫めいた風貌の異装になる特殊強化服「FZ−00」を纏い、逃げ遅れていたのだろう苦しげに蹲っている工事現場作業員ひとりを庇う形に居る人物を確認。
 視覚が利いた、その瞬間を油断無く見出し、煙の外側――政人がセンサーで見付け『彼』もほぼ時を置かぬ間に気付いていたひとりの騎士――ヒルデガルド・マクスヴェルは声を上げ突進していた。この相手では隙など突けない。背後から行こうと卑怯でも何でも無いだろう。…そもそも相手は人知を超えた力を持つ悪魔。ならばこちらの存在が気付かれた時点で既に相手方が有利と言える。
 ヒルデガルドの手に握られているのは硫化水銀の塗られた剣、『バーミリオン』。切っ先の狙いは確か――だが、それは相手が並の存在だったなら、と注釈を付けるべきだったか。今の場合は『彼』の身ごなしの方が僅かに早く、躱される形になる。
 く、と唇を噛み締めつつもヒルデガルドは今度は政人を庇う形にすかさず移動。現場作業員を庇っただろう体勢から、政人の動きがやや鈍い事を見越して彼女はそうしていた。煙を避ける為騎士服の袖口で口許を覆いつつ、再びヒルデガルドは『彼』へと相対する。そして――早くその人を! と政人に向け鋭く促した。
 目の前の『彼』は、割って入って来た彼女を見、やれやれ、とでもいいたげに肩を竦めている。相手にもされていないか。思ったところで煙がやや薄らぎ風に巻かれる。…偶然風が強くなったか火勢がやや弱まったか。
 ほぼ同時に、ばさりと大きな鳥が舞い下りるような音がする。何か。思い、その場にある視線がそれぞれ音の源を探す。舞い下りていたのは一対の翼――それも光で出来た翼を天使の如く背に生やした騎士風の人物――サフェール・ローラン。
「その制服、北欧の『真・聖堂騎士団』! 助太刀するぞ!」
 言葉と共に舞い下りた彼女の手には翼同様、光が具現化したような――いや、よう、ではなく光そのものを生み出し実体化させたものなのだろう――剣が握られている。それを認めヒルデガルドも即座に察し、頷いた。改めて『バーミリオン』を構え直すと再び『彼』へと強襲。そこを軽く片手で受ける相手方。効いていない――否、その手には何らかの霊的な力場が纏われている。守られている。…ならば防御を取っていない部位に直に切り込めさえすれば有効な攻撃であると認めた事にもなるだろう。剣を受けられてしまったヒルデガルドがそう思った時には、今度はサフェールの剣の切っ先が横薙ぎに『彼』を狙っていた。が、それもまた簡単に受けられている。ただ、そちらに対しては眩しそうな嫌そうな顔をしているような気がしたのは錯覚か現実か。
 ヒルデガルドとサフェールの剣両方を受け、『彼』は今度はその剣ごとふたりの騎士を突き放す。軽い仕草だったが――見た目に反しその威力は絶大。『彼』だけを見れば軽い仕草でも、ヒルデガルドとサフェールの方は嘘のように軽々と投げ飛ばされていた。放物線を描き、少し離れたアスファルトの路面に叩き付けられる。
 瞬間、息が詰まった。それでも彼女たちは立ち上がる。咄嗟に光の翼を扇いで身に掛かる勢いを削ぎ、僅かながら衝撃が少なかったサフェールの方が動き出すのが早かったか。が、サフェールに続きヒルデガルドも時を置かずすぐに体勢を立て直し、『バーミリオン』を握り直すと地を蹴り出し再び『彼』に掛かっていく。サフェールがヒルデガルドの制服で素性を判断している以上、初対面ではあるのだろうが――元々が似た気質だったか、互いが互いの動きの筋を読み、隙が出来たそこを補う形でそれぞれ動いている。彼女らの剣技はなかなかに息が合っていると言えた。
 が。
 …だからと言って、それで勝てるかと言うと――別問題だ。
『何故にそのような無粋な姿で居るものか。か弱き花ならばそれらしくしていればまだ可愛げもあろうに?』
 彼女らの攻撃を簡単に受け、躱しつつ溜息混じりに告げる『彼』。…どうも見るからに手加減されているような節があり。決定的な攻撃を仕掛けて来ずに何やら考え込んでいる風なのがその証拠。そしてその言葉――揶揄するような『彼』の言葉にヒルデガルドは思わず呻く。
「セエレ…貴様っ!!」
 が――それを押さえるように、サフェールが鋭く声を上げた。
「奴はセエレの双子の兄だ! 能力も性格も違う!」
「なにっ!?」
 サフェールの声にヒルデガルドは弾かれるよう反応する。
 と、ヒルデガルドにセエレと呼ばれた目の前の『彼』はやや意外そうな顔をした。
『…? ほう。お前は『奴』を知っているのか』
「黙れっ!!」
 軽く確認する『彼』に対し今度はサフェールが激昂し、『彼』の科白を断ち切るよう叫ぶ。…ヒルデガルドに注意を促したその瞬間、サフェールの脳裏に浮かんでしまったのは自身の兄の事。『アヴァロンの園』を――『グラストンベリ騎士団』を裏切り敵に回った双子の兄。それは今この時この相手、この戦いとは何も関係は無い話だが――何処か、重ねて見てしまうのは仕方が無いのかもしれない。
 別の話。わかっている。けれど、一度でもそう重ねて見てしまった以上――余計に、人々に害を為すこの悪魔の仕業が許せない。騎士の使命以上に、僅かながら私情が入ってしまう。
 微かにだが唐突に態度が変わったサフェールに気付いたか、長い髪の『彼』は、ヒルデガルドの振るう『バーミリオン』の切っ先を無造作に掴み押さえ動きを止めると、今度は改めてサフェールの方を興味深げに見遣る。次いで飛んで来たサフェールの光の切っ先も『バーミリオン』同様、受け止めた。…そもそも、先程路面に叩き付けられた衝撃によるダメージが彼女らふたり、どちらの身体にも色濃く残っている。まだ本気を出している風にも見えない相手の方が優勢なのは仕方が無かろう。
 サフェールは押さえられたと見るなり押さえられたその光の剣を消し、別の位置に光の剣を作成。今まで何も無かったその位置から改めて光の剣を振るう――が、それもあっさり避けられた。
 悔しそうに唇を噛み締めるサフェールのその姿を今度は確認もせず、思案風の『彼』は静かに口を開く。
『私についてある程度知るのは『弟』か…かの女吸血鬼辺りになるか。ふむ。ならば用は済んだと言えるな』
「何!?」
「…どう言う意味だ」
『小うるさい羽虫に付き合っている理由も無くなったと言う事だ。さすがにそろそろ面倒になっていたのでな』
 言って、彼は『バーミリオン』の切っ先を掴んでいたその位置から、その『バーミリオン』ごとヒルデガルドを直接足許に叩き付ける。彼女のその口から、かは、と息が漏れた。吐かれる血。衝撃に見張られる目。それを見ていたサフェールが怒りに吼え、再度光の剣の切っ先を向けると『彼』に躍り掛かる――が、サフェールの視界に落ち着き払った『彼』の瞳が入るのが先だった。静かに片腕が動いている。そこに集まる何らかの力。逃げて下さい! とまた別の男の声が響く――「FZ−00」、政人の声。
 長い髪の『彼』が今サフェールに向け放とうとしているのは――先程政人が自らの勘に従った結果、何とか間一髪で避ける事が叶った、アスファルトをさっくりと切り込める程の破壊の力。そう察した政人からの警告。だが、サフェールの今の位置では、もう遅い。
 と。
 おらぁっ、と豪快な掛け声が何処からか割って入るのが先だった。続いて飛んでくる大柄な人影――人だろう。その人影が凄まじい地響きを立て、自身のすぐ前に着地し、自分を見て何やら動いたところまでをサフェールは一応ながら視認。視認したところで、腕に掛かる負荷。…腕が掴まれている。思った時には既に自分の身体が宙に浮いていた。同時に、ぎぃん、と何とも言い難い鈍い金属音に似た音が響き渡る。直後、ってぇな、と、割って入って来たのと同じ声が軽く吐き捨てるのが聞こえた、と思ったら、サフェールの身体がすとん、と静かにアスファルトの路面に落とされている。
 彼女の目の前に立っていたのは、白銀に煌く巨大な蛇腹の剣を当然のように握った、褐色の大柄な背中。
「…ったく。こりゃ確かに向こうさんと違って説得は効きそうにねぇな」
 あの悪魔も何処移動させんだってのはあるが…まぁ、結果的には良かったか。とひとりごち、その背中の主――ディオシス・レストナードは振り返ってサフェールの様子を確認。…今彼は月刊アトラス編集部に居るセエレの能力でちょうど長い髪の『彼』とそこに躍り掛かろうとするサフェールの中間点、それもその上方――空中に放り出されたところだったらしい。そして目の前の状況から明らかにサフェールの方が危ないと見、着地するなりひょいと彼女のその腕を引っ手繰り相手の攻撃の筋から力尽くで逸らしつつ、同時に自らの相棒である愛剣を召喚、相手の攻撃の筋を真っ向から打ち返す形に振るっている。が、咄嗟の判断故に正体不明の相手の攻撃の質を見誤ったか、ある程度の威力は殺せたがディオシスも無傷で居られた訳でも無い。
 が、このディオシスの場合はそれでもちょっと痛い、程度で済んでいた。…サフェールを振り返ったその時には、今負った僅かなダメージ――傷はもう癒えている。
「大丈夫か?」
「かたじけない。だが――!」
 彼女が、と既に満身創痍のヒルデガルドを指し言い募ろうとするサフェール。
 と、今度は。
「…無力な人間甚振って楽しい?」
 まぁ、少しはわからないでもないけど…この世界で大っぴらにそれやると色々面倒だって事は判ってる?
 そんな、つまらなさそうな声がまたも唐突に響いた。告げる声は長い髪の『彼』のすぐ側。いつの間にそこに居たのか、声の主は――田中緋玻。
 緋玻はその場で無造作に両手を組み合わせ振り上げると、両手で作ったその拳を力任せに長い髪の『彼』へと叩き下ろしている。それが為されるまで殆ど誰にも視認できなかったその仕業。直撃し、『彼』はアスファルトの路面に叩き付けられ――そのままアスファルトが陥没までした。…初めて与えられたダメージらしいダメージ。そんな凄まじい破壊力を見せはしたが、さて、と緋玻は改めて陥没させたその後の穴を隙無く覗き込んでいる。
 …さすがにすぐは起きて来ないが、こんな一発程度で終わる訳は無い。どうせ今のは不意打ち――とは言えその不意打ち自体が能力的に可能だった者がそもそも今まで居なかった。つまりは漸く『彼』と互角程度に戦える相手が出た、それだけの事だろう。緋玻の拳が直撃はしたが、ひょっとするとこれから無傷で起きてくる可能性だって無い訳じゃない。
 他方、緋玻のその脇――倒れ、動く事もままならなくなっているヒルデガルドの元。…十字架に磔にされ、聖痕から血を流しているキリスト像――異端のデーモン『ジーザス・クライスト・スーパースレイヤー』を無造作に抱えた飯城里美が満身創痍の彼女を助け起こしていた。よくここまで頑張ったわね! と声を掛けつつ、何はともあれ自らの使役するデーモンの血を用いヒルデガルドの身体を癒し始める。それは彼女は凄まじい力で路面に叩き付けられたようだが、どれ程酷くてもダメージ自体は物理範囲。当人もまだ生きている。ならば、里美にとっては治癒は特に難しい事は無い。後はあたしたちに任せて、と里美は頼もしくヒルデガルドに言っている。
 …神、か? と里美の持つ像を見、目を丸くするヒルデガルド。次いで、自らの傷が癒されている事に気付くと殆ど無意識の内に胸の前で十字を切り、祈る。里美はそんなヒルデガルドの仕草を見て少し肩を竦めるが、それについては特に何を言う事もせず、起きられる? とそれだけ声を掛けていた。そろそろ血の効果が表れたか、ヒルデガルドからは、ああ。と素直な――先程よりも力強い返事。よし。と里美も相手を元気付かせるような笑みを見せ、彼女が立ち上がるのを手伝った。
 そこに、早く離れた場所に移動しなさいね? と緋玻からついでのように忠告が来る。…この彼女も一応気を遣うだけは遣って、長い髪の『彼』のすぐ側に倒れていたヒルデガルドにまでは被害が及ばないように攻撃を仕掛けていたので。言われた通り、里美とヒルデガルドは少し離れた場所に離脱する。ディオシスと緋玻の圧倒的な力を見れば、彼女らの出番はひとまず終わったようだと見ていい。
 …緋玻も里美もディオシス同様セエレの能力でこの場に飛んで来はしたのだが、場所やタイミング等、図ったようにピンポイントでちょうど良い位置に飛んでいる気がするのは気のせいか。場所がわかるならば相当精密に使える能力らしい事に、今更ながら少々感心する。
 特殊強化服「FZ−00」を纏った葉月政人と逃げ遅れた現場作業員のすぐ側に飛ばされた、天薙撫子に雪ノ下正風の方も同様と言えるか。ふたりはその場に出てすぐ、政人と協力して現場作業員をすぐさま煙から連れ出している。何とかその場まで来る事が出来た救急車両へと現場作業員の身柄を預けた。警察と、そして協力して動いているセレスティの命によりリンスター財閥のものらしい車両も、周辺を封鎖する事が叶っている。一般人らしい人影は――さすがに無いとは言えないが、相当、遠巻きになっていた。消防車も来る事が出来ている。…放水が始まっている。…そちらもそちらで、予め警戒していたか。
 政人はそちらに合流する形で、まずは消火活動に当たった。他に煙に巻き込まれている者は居なかった事、現在セエレの双子の兄と言う放火犯の悪魔と、有志の者が交戦中――足止めをしている事も各所に連絡。その位置関係も大雑把にだが伝えた。燃えているのは工事車両と油。厄介な火元。現時点である程度薄れてはいるが、それでも残っている煙の凄まじさでそれも判るだろう。そしてこんな街中。運転者や同乗者は避難させているにしろ、渋滞から始まって車もまったく動かない行列を為している。…まだまだ類焼の危険は大きい。
 現場作業員を救急隊に託した後、正風は緋玻が悪魔に対し一撃を放ったところを黙して見据えている。…この悪魔、この程度で滅びるような訳も無い。この程度で済むならば退魔師であった父が敗れる訳も無い。『黄龍の篭手』の下、己が拳が疼いて堪らない。
 そんな中、漸くがらりと瓦礫の音がする。緋玻の一撃で陥没したそこ。ゆるゆると立ち上がり、振り払うようぶん、と頭を振る長い髪の『彼』の姿。今までの、周囲の誰の姿も殆ど気に留めていなかったような余裕の表情は消えていた。憎々しげに緋玻の顔を見遣っている。が、今の一撃と、新たに現れた複数の――それも油断ならない気配から判じて軽々しく動けないのか、立ち上がった以上はひとまず行動を起こそうとしない。
『貴様…何のつもりだ』
「言った通り。派手な事されると色々鬱陶しいのよ。それに貴方の弟クンも貴方の行動には迷惑してるらしいし、普段は静かに暮らしてるあたしも、たまには心置きなく暴れたいってのがあってね?」
 ちょうどいいから話に乗った訳。
 にこりと微笑み、あっさりと好戦的な事を言ってのける緋玻。
 が、その遣り取りを見ていた撫子の方から声が飛ぶ。
「…セエレ様の双子のお兄様と伺いましたが…何故にこのような事をなさるのです?」
 撫子の鋭い声が、長い髪の『彼』へと掛けられる。


■決着

『それをお前に告げて何の意味がある?』
 撫子を視界に入れ、長い髪の『彼』は静かに受け答える。
「…何か理由があって、わたくしたちに何か解決が出来る事でしたら…事件を起こすのを穏便に止めて頂く道もあるかと」
 そう告げる撫子の手には、錦織の刀袋から出されている状態の、一振りの日本刀――天薙神社の御神体、『神斬』。そして、彼女自身が持つ、神気とも言える、気質。
 その『気』の問答無用の強烈さと、真逆とも言える礼儀正しい腰の低さに、『彼』は訝しげな顔をする。…とは言え彼女のその力について疑惑を持った訳ではない。もっと、別の話。
『穏便に?』
「はい」
『私は充分過ぎるくらい穏便にやっているつもりだが?』
「…は?」
 目を丸くする撫子。
 それを見て、『彼』は物分かりの悪い子供に対するよう、ふ、と笑みを見せる。
『…私には人の世界を壊して何か困るとは思えないのだがね。そうだな…『人間』の立場で考えて――例えてみよう。…お前らは蟻を踏み潰した事を気にするか? 蚊を叩いて心が痛むか? …特に危険に晒される訳でなくとも忌避すべき邪魔者であるだけで害虫とし駆除もするな。そんな時、どう思うものだ?』
「――」
『…所詮、それらと何も変わるまいよ』
 それに、今回はなるべく余計な事はしたくないからな。同郷の連中の縄張りにも極力手を出していない。まぁ、東の者の縄張りではあったのかもしれないが…そこまでは確認を怠ったな。…私にしてみればこれ以上ないくらい譲歩をしているのだがそれでもまだ『穏便』とは言えないか。
 はぁ、と困ったように苦笑し、『彼』は撫子を見る。話す途中で緋玻を見たのは、彼女こそが『東の者』とでも見た訳で。
「………………その時点から、そこまで考え方が違ってしまいますと…やはりセエレ様の仰る通り、何をお話ししても無駄のようですわね」
 静かに呟く撫子。かちゃり、と『神斬』の鯉口が切られ、引き抜かれる。
 それを見ても『彼』は動じない。
 ただ。
 何事か、考えている。
 …奴はセエレの双子の兄だ、能力も性格も違う。
 …向こうさんと違って説得は効きそうにねぇな。
 …弟クンも貴方の行動には迷惑してるらしいし。
 …セエレ様の双子のお兄様と伺いましたが。
 今まで現れた者から聞いた声を思い出す。
 ならば、今ここに来ている連中は。
『…そうか、よくわかったぞ…『弟』よ』
 これ以上は押さえられない。そうとでもいいたげな――勝手に浮かんでくるのが消せないような、それでいて暗い笑みを漏らす『彼』。呪詛を吐くよう唇を歪め、後になって現れた者たちを見る。
 そして。
 これがお前の答えなのだな! と高らかに言い放つと、『彼』はその両手に強烈な力を集め始め、同時に跳躍していた。反応して動いている緋玻にディオシス。撫子もその場で『神斬』を構えたまま『彼』の攻撃に備え、正風もまた、その動きを油断無く見据えている。…だが、今の時点で同時に出てはむしろ緋玻とディオシスの邪魔になり兼ねない。そう判断し、ふたりは構えたままで待機し、戦況を見計らっていた。
 まず『彼』が狙っていたのは緋玻。まず自分を沈めた相手、その事もあったか『彼』は緋玻の頭部を狙って鋭く打ち込んでいる。だが緋玻も黙ってその攻撃を食らわない。紙一重であっさり避けると、逆に相手の頭部を狙う。だが相手も緋玻と同様、簡単には食らわない。その隙を突いて割って入ってきたのはディオシスの手にある白銀の蛇腹剣。が、『彼』は咄嗟にそちらにも対応。すると、今度はすかさず緋玻の抜き手が『彼』の肩口をざくりと貫いていた。緋玻のその抜き手には『彼』の手にあるものと同種の力が集められている。それを認めた『彼』は一度大きく舌打ちすると、自分を貫くその抜き手の為、必然的に止められた緋玻の身体をがん、と殴り倒した。貫かれた、そうは言っても特にダメージの色は無い。ただ、忌々しげな顔をしているだけ。
 ディオシスの剣に抗するよう『彼』の手にも闇が凝る。重い剣戟が続いた。暫し打ち合う中、『彼』はもうひとつ闇を凝らせ、別の角度からディオシスに向け振るっている。…そちらは間に合わないか。冷静に判断したディオシスはそちらを避ける事を諦め、受ける為に相手の攻撃が到達するだろう場所――腹部に力をこめる。が、ただ黙ってやられるつもりも無い。ディオシスもまた金色の炎を作り出し、『彼』へとぶつけた。…ディオシスは凝る闇に強か腹部を打たれ、『彼』は炎で灼かれ――双方で一旦、動きが止まる。
「…ったく、頑丈ね」
 程無く、殴り倒され瓦礫に半分埋もれていたそこから半身を起こす緋玻。同時に相手の血に塗れた右手をぶんと振りつつ、自分の具合を確かめる為かこきこきと首と肩を回してみる。取り敢えず問題無し。…妖術をこめた掌で『彼』を襲いはしたが、やはりどうもやり難い。
「…まったくだ」
 腹部への衝撃を受けたそこで飛び退り、億劫そうに大剣を肩に背負うと、ぺっ、と血が絡んだ唾を吐き捨てるディオシス。辟易したよう緋玻に同意する。ふたりとも――特にディオシスはデフォルトで回復能力がある為、少しくらい傷付けられても大して問題はないが、それでも痛いものは痛いし消耗する事は消耗する。…単純に、面倒でもある。

 …他方、消火活動の効果が見えたそこ。そこを確認し政人は消防隊員たちに退避を促す。犯人の悪魔はまだそこに居る。消火と言う役割に目処が付いたなら――彼らもまた、逃げる必要がある。その旨受け、消防員たちが最後に退避したそこで――唐突に、ふ、と視界が暗くなった。慌て、政人は「FZ−00」のセンサーで目の前の状況をスキャン。…すると――『何もない』。
 物質と言えるものが何も無いそこ。何事か広範囲に攻撃が為されたか。政人はそれを見て咄嗟に本部との通信を試みる。が――連絡が、取れない。
「葉月政人です。応答願います。…本部!?」
「申し訳ありません。外部との連絡は取れないと思いますよ」
「…え?」
 そんな政人の耳に唐突に飛んできた敵意の無い――先程の悪魔とは別の穏やかな声。それを聞き、政人は思わず声の主を振り返る。
「空間を切り離してありますから。…最後まで残っていた消防隊員の皆さんが離脱したなら、そうするのが一番手っ取り早いと思いましたのでね」
 ご近所への影響も考えると。…無論、事が終わったら元には戻しておきますよ?
 連絡が取れなくなった事に慌てる政人に、声の主――神山隼人はあっさりと言い、微笑む。…彼もまたセエレの能力でここに唐突に出た人物か。
「なるべく、一般の方への迷惑は掛からないよう考えてみたのですが…ひとつ不都合があると言えばついでに外部との連絡も取れなくなるんですよね」
 さすがに空間を切ってあるので、と苦笑する隼人。…何でしたら、依頼者のセエレさんの能力をお借りしまして、アトラス経由で警察の方に一報を入れておくのも手かと思いますが、とひとまず提案。セエレの能力は物質どころか声や思考も『移動』――伝達出来るらしいとついでに聞き、その情報を得るなり政人はそれを実行。すると――実際の通信と然程変わらぬ時間差で、程無く攻撃許可すると返答を頂き、政人は「FZ−00」の装備である高周波単結晶ソードを構え直して長い髪の『彼』へと対峙した。隼人の方は、特に何も構えない。少し離れた場所で見物でもしているように悠然と佇んでいるだけ。
 同刻。
 正風もまた、『彼』と対峙する形で、居た。
 緋玻&ディオシスと『彼』との交戦が一段落した、その刹那に――低く唸るような声が、その身体から発される。
「貴様に殺された者たちの仇を討ちに来た…」
 空間が切り取られている以上、当然の如く風は凪いでいる。その筈だ――が。
 ――『正風』は、そこに居た。
「歯を食い縛って滅びろっ――」
 正風は長い髪の『彼』――父親の仇に向け、宣言する。
 途端、正風の身から黄金のオーラが発された。ばん、と破裂するような音が続く。その全身が筋肉で膨張し、鎧われる。…破裂音は内側から上半身の服が破かれた音だったか。きょとんとした顔でそれを見る緋玻。発される気の強さに軽く驚き、同時に驚きだけでは無い意味でも目を細めるディオシス。…雪ノ下様、と痛ましげにその姿を見る撫子。父の仇、その言葉を聞き、はっとして正風を見る政人。同様のヒルデガルド。…ここに来る前から一応ながら話を聞いていた里美やサフェールも、反応は殆ど同じだった。
 手が、出せない。
『…手品か?』
 そんな正風を訝しげに見、ぼそりと呟く長い髪の『彼』。気にも留めていない。
 が。
「ふざけた事を言っていられるのも今の内だけだ!」
 と、正風は『彼』へと突進する。肉迫したそこで何度も攻撃を叩き込む。正拳、掌底、蹴撃。流れるような動き。が――『彼』は、軽くそれらひとつひとつを受けている。最後、奥義・黄龍破天腿っ、との声と共に、連続した強力な蹴打が『彼』へと容赦無く浴びせられた。もうもうと上がる煙。
 が。
 その煙が晴れたそこには――何も無かったように立つ『彼』の姿。
 途端。
 正風に『彼』の力の塊が叩き付けられた。路面をずざざと音を立て派手に滑り、倒れる正風。
 前後して、ひゅ、と何か空気が動いた。正風がやられた、その瞬間を見計らい、別の誰かから何かが『彼』に打たれている――糸? 光を受け煌く細いその糸、そしてその糸の端を握る撫子の手を見、『彼』は呻いた。打たれたのは撫子の『妖斬鋼糸』数本。『彼』の片腕を捕らえた。動きを縛している。
 そこに。
「貴様の犠牲者たちの痛みに比べれば…――痛みなどないっ!!」
 一度は倒れた正風が、再び半身を起こし、立ち上がる。起きる爆発的なオーラ。
 そして――あら、と意外そうな顔をする緋玻。…正風のその金色のオーラが周辺に満ちたと思ったら、それは元々大した事の無いものではあるが後で生命力を補給した方がいいかなあとは思う程度の――『彼』に殴り倒された際の傷や身体に残る衝撃が消えている。人間の癖にやるわねあの子、と緋玻は少し手を休める事にした。…正風がやられた時点で、再び出ようと思っていたのだが。
 他、そのオーラに無傷とは言い切れなかった政人やサフェールの身に残る疲労ごと掠り傷までもが癒される。とんでもない力。これは、思いの力でもあるのか。
 撫子の『妖斬鋼糸』に絡め取られた腕を、『彼』は力尽くで引いた。腕に食い込む糸は切れない。
 長い髪の『彼』が負った、他の傷も――そのまま。
 癒す力は持っていないのか。それとも――間に合わないのか。
 …撫子に片腕を縛められた、それ以上に――動きの切れも、やや鈍っている。



 アトラス側では結局、調査の中放っていた隼人の使い魔が現場状況把握の最大手段になっていた。アトラスからの転移組はその使い魔の視覚を通じ、セエレが送り出した――それも図ったようなタイミングと場所に送り出せている――者たちになる。
 皆を送った後、隼人は使い魔の視覚を置いたままその感覚をセエレに貸し出す。直接そうされ、どうしましたとセエレも聞き返すが――私も直にお兄さんを見てみたいと思いまして、宜しければ現場の…邪魔にならないところに放り出してはくれませんか? と頼む。了解しました、とセエレは頼まれた通り実行。隼人は交戦中の皆からやや離れた、同時に人目にも付き難いだろう場所に転移していた。
 他の方はどうしますか、とセエレはアトラスのその場に残っている面子に訊いてみる。ま、まさか僕なんか考えてないでしょうねええ、と怯える三下。…心配しなくても初めから勘定に入れられてませんよ、と匡乃からさっくりと突っ込みが入れられ、胸を撫で下ろし安堵する三下。そう言う匡乃さんは? とのシュラインの声に、僕が行っても先に行った皆さんのお邪魔になるのが関の山な気がしますけど、と匡乃。退魔の力があるとは言え人間離れした身体能力はありませんしねぇ、と呟いている。…その実、行かなくて事が解決するなら行かないに越した事は無いとも思っているようで。
 一方のシュラインや編集長に関しては、初めから交戦中の現場に割って入れるとは思っていない。訊いた方のセエレも匡乃もそれは承知の上なので、今度は受話器の向こうのセレスティに一応訊いている。と、私は運動能力は極めて低いですからと苦笑する声が届く。そこで――電話では無く直接お互いに声をお届けしましょうか、とセエレが言い出した。どう言う事? と問う編集長。セエレは声を『物』と見なせばリアルタイムで伝達出来ます、とあっさり言ってのける。
 出来るならその方が電話代掛からないわねと頷く編集長。では、とセエレは今言った通りに実行した。聞こえますかと確認するセエレの声。ええ。セエレ氏のそれは――実はなかなかに便利な能力なのではありませんか? とセレスティからもあっさり声が返ってくる。そして、その声はその場に居る皆にも本当に届いた。
 そして最後、エルへも交戦中の現場に向かうかどうかの話が投げられている。
 と、さっき撫子さんにも聞かれたけど、居合わせちゃったら他に動く気にはなれないのよね、と返してくるエル。そして、セエレへと目をやった。
「セエレはずっとこうだし、私もキリエを勝手にいじられるのは楽しくないから」
 向こうの戦力は充分足りてるっぽいし、こちらはこちらで万が一にも備えたい訳。
「って、そう言えばキリエさんはどちらに?」
 ふと気付くシュライン。…今回の事件が起きてから、セエレよりも余程近隣に居る理由がある筈のキリエの姿の方が――何故か、奇妙なくらい見えない。そもそも、セエレもセエレで、本来は主のキリエが居るからこそ、それに付いて歩いて近隣に居ると言える訳で――?
『それは――』
 渋るようなセエレ。と、それを遮るようにエルが口を開く。
「…このビル内に居るわよ」
「え?」
「別室借りて、アトラスでライターやってもいる似非陰陽師に気配断ち頼んであるの」
「…いつの間にそんな事に」
 ぽつりとシュライン。
『私が能力で部屋まで直にお連れしました』
 補足するセエレ。
 そして。
「…実はキリエって今暴れてるこの子の『兄』にね…時々だけど、操られて使役されちゃってる事があるの」
「はい?」
 予想外のエルの科白に、思わず訊き返す匡乃。
 …それは主従関係が滅茶苦茶な気が。と言うかそもそもそれはありなのか。
 シュラインもそれを聞き、思わず止まっている。
 エルは続けた。
「『生前』は聖職者――それもこのセエレが召喚出来るくらい魔術に造詣が深かった訳だから何の手出しも出来なかっただろうけど、今のキリエだと…それは私の『息子』になるから力だけはあるわよ? でもそれでもやっぱり年季が足りないの。魔物としては赤子同然になるから…年季の入った上級に対する抵抗力は格段に弱くなる」
 それは大抵の相手ならものともしないけど、ソロモン72柱の魔王クラスになるとちょっと話が違ってくるのよ。
「ってどうして」
 …セエレさんの主でもあるキリエさんに対して――お兄さんの方がそんな事をする必要が。
 どうにも奇妙な状況に、悩むシュライン。
 と、あっさりとエルが指折り挙げる。
「セエレの情報を得る為、セエレを困らせる為、このセエレに偽装する為…って辺りかしらね?」
 どちらにしろセエレ絡みとしか思えないけどね。…そうでもなかったらキリエは興味の対象外だと思うから。
(それは…今回の事件に関しても言える事、なんでしょうかね?)
 セレスティの声。
「わからないけど今回も連れてかれた事は確かなのよ。で、早い内に隙を見計らってセエレが能力でキリエ取り返して、こちらで準備万端整えておいた似非陰陽師に操りの糸切ってもらって気配も断たせて今に至る訳」
 で、今は別室で寝てるような状態になるんだけど。
「だから多分、地図で見えた――過去の事件現場を記した点を合わせて見えた『絵』みたいなのって、ひょっとするとキリエの頭から記憶でも読み取った――って言うかこんなものだと読み違えたとしか思えないんだけど、正教会のイコン…宗教画って事も考えられるかなって思うのよ」
 生前はああ見えて結構真面目に聖職者やってたみたいだからイコンの何枚かくらい鮮明に記憶にあっても良い筈だし。…だからって今この件に何か関係あるとは到底思えないんだけど。
(確かに)
 と、苦笑混じりの声でセレスティ。セエレもすぐさま同意した。
『仰る通りです。『兄』は意図してこんなまだるっこしい絵を描こうなんて考えるとは到底思えませんから。だからと言って無作為…にしては事件現場が何かの絵柄に見え過ぎますし、ヒントを読み違えた、と言う線が一番考え易いですね』
「読み違えにしろ何にしろ、何かの理由で興味の対象外である筈のキリエさんの記憶を読む必要があるんでしたら…やっぱり、お兄さんの目的は弟さんって線が濃いと考えていいんでしょうかね?」
 考えながら、匡乃。
「…そうね。セエレさんと無関係とは到底思えない、瓜二つの姿を持つ自分はここに居る、って――緋玻さんが言ってたみたいに狼煙だった――と言う事もあるのかも。…でもどちらにしろ、お兄さんには早く止まってもらわないと皆が困る事は確かなのよ」
 言いながら、ちゃき、と何処からともなく聖水を取り出すシュライン。…今回の事件が悪魔絡みだと判明した時点で、この程度のものは既に用意している。そして、これを使うのはどうでしょう、とひとまずセエレに訊いてみた。
 普通に効果はあると思いますよ。セエレはあっさりとそう告げる。でしたら、凝縮した方がより効果的かもしれませんねとセレスティ。弾丸にでも作ってみましょうか、と申し出た。そして、聖水をこちらに運ぶ事をお願い出来ませんか、と改めてセエレに頼む。と、程無く聖水の瓶が消え、セレスティの手許へと静かに移動していた。届きましたよとセレスティは一応確認の為に声を掛ける。宜しくお願いしまーす、と受け答えつつも、シュラインも他に何か出来るか色々思考を巡らせていた。そこに、匡乃の姿が視界に入る。
「…匡乃さんもお願いしますよ?」
 折角、強い力をお持ちなんですから。そう告げるシュラインの科白に、何とも言い難い苦笑を見せる匡乃。では――落雷のような形にでもしてみましょうか、と自分の能力をその形にイメージ開始。セエレもそんな匡乃の技を見遣り、技が最大限の効果を齎すタイミングを――移動させるそのタイミングを見計らっている。
 セレスティの元へと転移させた、シュラインが元々用意していた聖水。セレスティはそれでひとつひとつ丁寧に銃弾を作り出し、机上に転がしている。…出来ましたよ、とアトラス側へ報告。
 この聖水の弾丸を実際に『移動』させるのはセエレに任せる。対象を定め、銃口から発射される程度の加速度を付けて『移動』させれば、銃撃と同じ効果が齎せると言う。…応用するならセエレの能力はそんな事も可能のようだ。
 そんな事が出来るのなら、充分に不意打ちにもなる。



 …そろそろ出る? と緋玻は撫子と里美に目で問い、たんっ、と軽やかに地面を蹴って飛び退る。そのまま跳躍し、離れた位置に着地した。…事前に聞いた能力から考えると、里美が動くなら戦線離脱しておかなければ、鬼の本性を持つ緋玻の場合少々痛い。それに、目的通りある程度は相手の力を削れもした。
 と、緋玻と入れ替わる形で今度は撫子が本格的に入る。御神刀である『神斬』と、常に持ち歩いている『妖斬鋼糸』を用い、ディオシスの大剣での対峙を助けるような形で動いた。一方の長い髪の『彼』は先程同様闇を凝らせ――それはオーラか術の塊か――それらを受けている。多少、息が上がっているのは気のせいか――と思ったら、ディオシスと撫子の技の合間、そこを突いた絶妙のタイミングで『彼』の身体が唐突に二、三度痙攣するよう傾いだ。何事かと目を見開く『彼』。ディオシスも撫子も何もしていない。『彼』の口端から、つ、と体液が一筋流れる。まだ把握できない。思ったそこで――再びまた同じ攻撃が来た。傾ぐ身体には――今度こそ、数点の弾痕が穿たれている。そこから、奇妙に煙を吹いている。まるで灼かれているような。じゅ、と音までする。…何か聖なるもので造られた弾丸が穿たれている。何処から狙われた。『彼』は慌て、周囲を見渡すが撃ったと思しき相手は何処にも居ない。誰も、撃っていない。ならば誰が? 思ったところで――今度は強烈な退魔の光が『彼』を狙い落雷の如く降って来た。避けられない。が――そこで何かに気付いたか、おのれぇッ!! とそれまで以上の怒りを込め、誰にともなく――いや、特定の相手に向けてではあるのだろう――『彼』は呪詛を吐いた。
 謎の攻撃の直後――それでもまだ『彼』は動いている――『彼』の視界に入ったのはヒルデガルド。彼女はこの場では自分は直接的な力にはならないと見、仲間の力を上昇させる為、神の加護を祈り続けていた。…ただ祈りと言っても魔術を心得た『真・聖堂騎士団』第十七師団長の祈祷でもある。一般の信者のような気休めでも何でもない。事実、それなりに効力の上がるもの。…だからこそ『彼』の目にも付いた。今自分を害した仕業と同系統の力、そう見えたから。『彼』は対峙しているディオシスや撫子ではなく、腹いせか、そちらを直接狙おうとする。
 が。
 長い髪の『彼』が何らかの攻撃を仕掛けようとした、そのタイミングで里美が先を読んで動いていた。異端のデーモン『ジーザス・クライスト・スーパースレイヤー』を使役し、『彼』へ向けて――霊的能力の完全無効化の結界を張った。そして怨霊や汚れを浄化し、アンデッドや悪魔に深刻なダメージを与えると言う――後光も照らす。
 が、その中にあってもまだ、長い髪の『彼』は倒れない。喚き、血を吐く姿。それでもまだ、がん、と結界を内側から力尽くで叩くような仕草をして見せていた。それで、僅かながらではあるが外側に振動が伝わっているようで。
 それは結界を破られはしないだろうが、それにしても頑丈だ。…ったくまだ動くかよ、とディオシスが左耳のピアスにふと手を触れる。…『封印』解くか、とそこまで考える。
 同刻、撫子もまたディオシス同様、もう一段階上の行動を考えていた。…『天位覚醒』の必要があるでしょうか、と。
 …が、そこで。
 空気ごと周囲を揺らしたのは――正風の吼える声。
 …瞬間、気付いた里美は使役するデーモンの能力による結界を解く。凄まじい氣が練り上げられているのがわかる。正風の体内で起きている霊的エネルギーの上昇振り、そして拳に集められているその圧倒的な力。里美は密かに、イイものが見れそうだわと内心で思いもする。
 こちらもまた正風の力に舌を巻きながらも、政人は荷電光霊子ライフルの照準を長い髪の『彼』に定めた。相手の霊的性質の走査結果。そこからレーザーの振動数を設定する。…威力を増す為、振動数の調整精度を上げていく。
 サフェールも政人の荷電光霊子ライフル、その振動数を読み取り、光の槍を作り出した。凝縮される光の力。…振動数を合わせると言う、誰の手にも汎用可能な方法を導き出せる事が『人間』の強み。それはひとつひとつは弱くとも、それが、たくさんありさえすれば――強くなる。
 政人のライフルとサフェールの槍の振動数が完全に一致。『彼』に対しても――政人の「FZ−00」で計測出来る限りは、一番近い振動数の値に設定された。
 刹那。
 振動数を合わせたそれらが同時に――セエレの双子の兄、の身に叩き付けられる。
 そして、その上から。

 …この悪魔を不倶戴天の仇と定めていた正風の手による、全身全霊、全力を込めた渾身の一撃が――炸裂した。


■『願いの貴公子』

『…『兄』は消えたようですね。皆様、有難う御座いました』
 ん、と何処か満足げに、静かに頷いていたのはアトラスで来客用ソファに落ち着いたままのセエレ。滅ぼす事など叶うまい、言外にそう思われていたセエレの双子の兄であったが、最後、正風の一撃でその存在する『力』が四散した――その瞬間はさすがに、離れた場所に居るセエレにも感じられたらしい。
「って…大丈夫、なんですか?」
 恐る恐る訊くシュライン。自分が言い出した話。力の源が同じなら自分自身の存在がブレて感じられるようになるとか、そんな風なのでは――と言う、あの件。だったら、その『兄』の方が倒されてしまったと言うのなら、このセエレ当人の方にも何か影響が出る可能性もあるのではと思う訳で。
 が、セエレは問題ありませんよ、とむしろ晴れ晴れした様子でシュラインを見返し、悠然と紅茶を啜っている。
『影響がまったく無い事は無いですが、元々私が望んだ事ですし。『兄』の存在は色々と厄介ですから…他の方の邪魔にもなるようでしたら、ついでに消して頂いた方がいいんです』
 そうすれば私も懸念が消えますし、ご近所迷惑な人間界での事件も治まりますし、雪ノ下様の仇討ちも叶う事になりますし、飯城様のお仕事のお役にも…ひょっとすると、立てたのかもしれませんしね。
「悪魔とは言え、随分あっさりしているものなんですね?」
 こちらもまた紅茶を啜りつつ、匡乃が静かに問う。と、セエレは小さく息を吐きつつ、微笑んだ。
『それはどうしても『己が意志に反する自分』など…目障りなだけですからね?』
 私の方で『彼』の力を取り込めるならいざ知らず。
「…え?」
 言われた科白に一瞬、その場で聞いていた面子は停止する。
 と、そこに。
「…つまり、『兄』も『弟』もセエレはセエレなんですよ」
 いつの間に戻っていたのか、神山隼人がセエレの代わりに静かに答える。
「…そうですね、何処でイレギュラーが起こったのか知れませんが…元々双子として生まれた訳では無く、本来ひとつである筈の存在が何らかの理由で分かたれて、それぞれまったく違った別の意志を持ってしまった、そんなところなんじゃないですか?」
『やはり貴方はお気付きになられましたか』
 初めからそこまで話さなかった事、お怒りになられるでしょうか? と隼人を窺うセエレ。いえ、構いませんよ、と受ける隼人。彼にしてみれば自分の正体を無闇に明かされるような事が無ければどうでも構わない。…そして、この目の前の悪魔はその辺りの事は心得ている風である。
 それを受け、セエレは改めてその場に居る他の面子に向けても話し出す。
『…そうです。神山様の仰る通り。『私』も『兄』も、同じ名を持つ者。私は皆様に『兄』の名をお教えしなかったでしょう? それは『兄』もまた、名乗るならばセエレと名乗るべき者になるからなんですよ。…但し、その名を忘れて動かれる事があまりにも多いもので。これまで、『兄』の不始末が何度私の身に降りかかってきたか知れません』
 はぁ、と疲れたような溜息を吐くセエレ。…余程の事があったのだろうと思わせる態度。
「でしたらその時も――その旨訴えれば貴方には面倒が無く済んだのでは? 今回のように」
 そんなセエレの姿を見、ふと問う匡乃。
 が、セエレは静かに頭を振った。
『いえ。そうも行かない場合があるんです』
 公では私は『ひとり』と言う事になっていますから。
 …あまり大っぴらに人違いとは言えない時もまた多いんですよ。向こうの世界では――弱点と見たら突付かれるのが常ですからね。状況により、ある程度隠しておく必要もある訳です。一応…それなりの配下も居る身ですから、周囲に対してある程度の信用は保っておかないと…皆にも示しが付きません。
「…ふたりいらっしゃる事は弱点になりますか?」
『協力し合える相手であるなら弱点でもないですが…私たちの場合は土台、無理なんですよ』
 何故こうなったのか…性格がまったく相容れませんからね。むしろ敵対していると言っていいですから。
「…確かに…伝承だと、ソロモン72柱のセエレって――『瞬きするだけで何でも行える』能力があるのよね?」
 実際のセエレさんの話からすると少し違うけど、と、ふと確認するシュライン。それはこのセエレの言う通り、どれだけ遠いところにでもどんな大量にでも、一瞬にして物を移動する力を持つ、そんな説もある事はあるが――『何でも行える』などと、深読みするなら万能と見ていいかも知れない能力まで伝承によっては歌われている。
 シュラインの科白に、セエレは静かに頷いた。
『ええ。それもまたその通りです。ですが私にあるのは――セエレとしての本来の意志と性質、そして『移動』と見なして扱える力だけになります』
 まぁ、『移動』と見なす事が出来れば…ある程度の事をこなせはしますが。それ以上の能力となると…素性からして当然の事と言うか…人間よりやや頑丈であったり属性が偏っている程度の話になりますよ。
 他の能力はすべて『兄』の方に持って行かれていたと思います。…まぁ、具体的に確認した訳ではないですが。元々、確認のし切れない能力でもありますし。
 それだけではこの近所では――人間の範疇であっても弱い方にはならないでしょうか? と肩を竦めるセエレ。だが直後に――けれどそんな私でも、と続けられる。
 …もし、いい機会があったなら『兄』を滅したいとは常々思っておりましたから、と。
(では…今回の件は、君と同じ事を、お兄さんもまた――考えていたと言う事でしょうか?)
 自身の『弟』を、滅ぼしたいと。
 セエレの科白を聞き、その場には居ないセレスティの言葉が直接飛んでくる。…最後には電話での中継ではなくセエレの能力の方で向こうとの会話も為されていた。そして、今もまた同様にセレスティの言葉を持って来ている。…こちらの言葉を運んでもいる。
『だからこそ、我が主に手を出しているのだと思いますよ?』
 魔物としてはまだまだ幼いキリエ様を操り使役し、私の居場所を――私に関る何かを引き出す道具に扱おうとした。…そこがこちらの逆鱗だとも知らないままに。
 エル様とキリエ様の気配は独特と言えますから『兄』にすれば探し易かったのでしょう。
 と、その科白に対し、匡乃からふと疑問の声が飛ぶ。
「…さっき、貴方はお兄さんの位置が掴めるって言ってませんでしたっけ?」
『私は可能ですが――『兄』の方では私の位置や気配は探知出来ないようなんです』
(そうなんですか?)
 確認するセレスティ。
 その声に対し自嘲するよう静かに笑い、セエレは答えた。
『…そうでもなければ私は疾うに『兄』に殺されていますよ』

 私自身は『兄』と真っ向戦って勝てる力は無いのですから。
 幾らこれ見よがしに姿を見せられたって、こちらがわざわざ殺される為に出て行く訳もないでしょう? もし今回、事件を起こしていたのが私を呼ぶ為の行動だったなら――見当違いもいいところですよ。それは多少なりとも人間の法と情を認める側に付いている以上、放って置かない方がいい事だとは思いますが…だからと言って自分の身を捨ててまで被害にあっている方を助けようとは思いません。
 …けれど、アトラスに集うような貴方がたならそうとも限らないでしょう? この件をお話ししさえすれば、私が以前キリエ様と草間興信所に初めて伺った時のように――人に、仲間に敵対する者を放っておくとも思えませんでしたから。
 それに、草間興信所やアトラスにいらっしゃる方は――私などより余程お強い方も多い。
 ですから、『その為』に私の力でお手伝い出来る事があるなら、私は喜んでしましたよ?

 …『セエレ』の名を持つ者はふたりも要りません。
 まぁ、私の力が不完全なままである以上――また何処かに『弟』が生まれる可能性も否定は出来ませんがね。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■0638/飯城・里美(いいしろ・さとみ)
 女/28歳/ゲーム会社の部長のデーモン使い

 ■2240/田中・緋玻(たなか・あけは)
 女/900歳/翻訳家

 ■0328/天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)
 女/18歳/大学生(巫女):天位覚醒者

 ■3737/ディオシス・レストナード
 男/348歳/雑貨『Dragonfly』店主

 ■1537/綾和泉・匡乃(あやいずみ・きょうの)
 男/27歳/予備校講師

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ■1855/葉月・政人(はづき・まさと)
 男/25歳/警視庁超常現象対策班特殊強化服装着員

 ■0391/雪ノ下・正風(ゆきのした・まさかぜ)
 男/22歳/オカルト作家

 ■2263/神山・隼人(かみやま・はやと)
 男/999歳/便利屋

 ■1771/ヒルデガルド・マクスヴェル
 女/25歳/真・聖堂騎士団第17師団長

 ■3337/サフェール・ローラン
 女/20歳/アヴァロンの園・グラストンベリの12騎士

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ※表記は発注の順番になってます

×××××××××××××××××××××××××××

 …以下、公式外の登場NPC

 ■セエレ/依頼主の悪魔(弟)・同時に依頼対象の悪魔(兄)でもあった模様。
 ■エル・レイ/セエレの茶飲み相手。キリエの親吸血鬼。
 ■キリエ・グレゴリオ/セエレの現主。元聖職者で今吸血鬼。吸血鬼化してまだ50年(魔物としては赤子同然)

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××

 この度は発注有難う御座いました。
 日数上乗せの上に毎度納期ぎりぎりもしくは破り気味(汗)で稼動しているライターで御座います…。
 ところでPL様にはPC二名様投入も有難う御座いました。って…それだけでもプレッシャーだったりしますが(汗)
 そして今回とにかく長いです。更には精魂尽き果てましてライター通信で内容に触れる気力に乏しく(遠)
 何か内容に関しての言い訳のようなものが気になる場合は、お手数ですが…当ノベルお渡しの数日後に当方サイト(各発注窓口下方に入口があると思います)の「雑記」の方にまでお越し下さいませ。…復活し次第、多分書いてます…。

 …近頃回を重ねる毎に最長記録を微量ずつ更新中の気がし…そろそろ通らなくなりそうな気もするので…いい加減文章量を少なく纏められるようになりたいです…。お客様のみならずオフィシャルに対しても申し訳無し…。

 ノベル、こんな風になりましたが、楽しんで頂けていれば幸いです。では、また機会がありましたら、その時は宜しくお願い致します。

 深海残月 拝