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<東京怪談・PCゲームノベル>


お願いBaby!


〜OP〜


嗚呼、嗚呼、嗚呼、こんな場所に来てしまって。

君は…トム・ソーヤか…それとも、アリスか?

君の好奇心が、この王宮の扉を開く鍵となったのか?
無邪気に、さまよい歩いて此処まで来たのか?
ならば、猫をも殺すの言葉通り、その身を一思いに喰らうてやろうか?


それとも…、


違うのか?
切なる願いを抱えているのか?
それは、千年の呪いに匹敵する願いなのか?


動かしてみよ。


私の心を。
君の言葉が、私の心を動かせば、或いは…。

嗚呼、或いは、この王宮で飼っている、大事な「奴隷」を貸してやらない事もない。
それとも、この孤独の王の力、奮ってやらない事もない。

さぁ! 言葉を!
私の退屈を癒す言葉を………頂戴。




本編



「ったく、何なんだ、此処は…」
 苛立ち含みに静かに囁き、それからぐるりと辺りを見回す。
 長く広い、冷たい空気に満ちた廊下。
 見上げても、振り返っても、暗い色をした壁の廊下が続いており、一体自分は何処からこんな場所に来たのか見当もつかない状況に陥っている。
 確か自分は、翼と墓参りに行っていた筈だった。
 帰り道、途中で翼と別れ、いつもと違う道ではあったが、そういう気分だったので公園の並木道を抜けて帰ろうと考えたのだ。
 当たり前のことだが、人通りがないとはいえ、普通の公園の、普通の道を歩くのにさしもの金蝉を警戒しながら歩いたりはしない。
 のんびりとした歩調で、蕾が膨らみ始めた桜の枝なんかを少し眺めたりしつつ歩いていれば、いきなりこんな場所に連れてこられてしまった。
 金蝉はもう一度呟く。
「何なんだよ、此処は」
 その瞬間、何かの叫び声のような甲高い声が廊下のずっと奥のほうから響き渡り、次いで、けたたましい笑い声や、獣の鳴き声が聞こえ、そしてまた、深い深い沈黙が金蝉の周りを満たした。
 金蝉は軽く眩暈のようなものを感じ、自分が、また、結構どうしようもないトコに知らぬうちに迷い込んだことを悟る。
 ていうか、職業柄もおかしな事には慣れっこなのだが、慣れているといるからといって、面倒臭くなくなるかといえばそんな事はないし、大体、いきなり意味の分からない世界に迷い込んでしまうだなんて、それこそ、RPGか御伽噺でしかお目に掛からない展開に慣れてしまっている自分が悲しかった。
 とりあえず、金蝉は一時静かに立ち尽くし、自分がこれからとるべき行動を考えてみる。
 三秒で、出た。
 こっから出て、何もかも忘れて、自宅にて酒を呑む。
 その為にも出口を探さねばならない。
 振り返れども、廊下。
 どうも此処は入り口と出口が別々なのだと、普通の屋敷ではありえない現象を無理矢理自分に納得させると、金蝉はスタスタと歩き出し始めた。


何メートル歩いた事だろう。
廊下には幾つもの展示物や扉が並んでいて、扉の中から声や物音が聞こえてくるのだが、どうしても開ける気にならない。
中にいるのであろう、この屋敷の住人に道を聞く事も考えたのだが、どうしてだろう。
 そういう「真っ当な手段」が通用する場所でない予感が凄くあった。
 大体、展示されている絵や装飾品も、みんな奇妙極まりないのだ。
 動く絵に、笑う花。 見事な装飾を施された壷には、ぐねぐねと動く人の腕が数本活けられ、ガラスケースに飾られた見事な宝石の飾られた王冠やネックレスも、その大きな宝石を凝視すれば中に小さな人が閉じ込められていたり、美しい宝石のように見える「目玉」だったりして、ここの屋敷の主は人間にしろ、そうでないにしろ、間違いなくイかれた野郎に違いないと確信する。
 そういう屋敷の住人と、無闇矢鱈と接触しないようにするのは、基本的な自己防衛であり、こそこそ隠れまわる気もないが、さりとて自分の存在を主張しながら歩く気にもなれなかった。
そんな風に、とりあえず出口を探しつつ歩く金蝉の耳に、今度は誰かの複数の足音が聞こえてきた。
 背後から迫ってくる足音に立ち止まり、眉間に皺を寄せる金蝉。
 耳を澄まし、状況を見極める為に、集中すれば、間違いなく何かに追われているものと追っているものの足音だった。
 だが、追われているほうにはそれ程焦りはなく、軽快な足取りなように思える。
 通常ならば知り合い同士がふざけて追っかけあっているのかと思うのだが、追っている方はドスドスとかなり真剣に追っているように思え、さて、どうしたものかと金蝉は考え込んだ。
 いい加減情報が足りないし、そろそろ誰かに会いたい時でもある。
 自分から面倒事に突っ込んでいく気もないが、このままだといずれ追いつかれるのは間違いないだろう。
「フン」と一つ鼻を鳴らし、立ち止まるとクルリと今まで歩いてきていた方向に体を向き変え、そして銃を取りだしじっと立ち尽くす金蝉。
 目を閉じ、足音を聞きながら、自分の呼吸を整える。
 攻撃の際に、打って出る側より、待つ側のほうが圧倒的に有利だというのは言うまでもない話だが、相手は「追っている側」と「追われている側」とはいえ、二人なのだ。
 どちららかが、自分の味方になってくれるという可能性は一旦捨て、目を開くとギッと廊下の奥を見据える。
 タッタッタッという足音は次第に近付き、そして微かに二人の姿が金蝉の目に映った瞬間、彼は銃を構え、引き金を引いた。
 二つの影のうち「追っている方」の影が倒れ伏す。
 事情が分らないうちから、命を取る事は控え、呪術の力を込めた閃光段を銃内には仕込んであった。
 そのまま、一気に足音なく走り寄り、呆然と倒れた者の身体を眺めていた人間の頭に金蝉は銃口を突きつけた。
 ダークブロンドの髪がさらりと揺れ、両手をゆっくりと挙げた男が此方を振り返る。
 ニッコリと笑いながら、「わぁ、物騒なものを持ってらっしゃいますネェ?」と呑気な口調で呟き、それからこちらに対して敵意がない事を示そうとしてだろう。
「私、デリク・オーロフという都内にて英語講師をしている者なのですガ、気付いたらこんな場所に来てしまっていまして、あなたもそういうクチでスカ? それとも、此方にお住まいの方とカ?」と滑らかな口調で問いかけられた。
 度胸が据わっているというよりは、金蝉と同じくこんな事態に慣れてる男に見える。
 深い群青色した瞳が緩み、張り付いたような笑みを浮かべていた。
 だが、デリクの言葉を信じるのなら、こいつも此処に迷い込んだだけの男なのだろう。
 勿論、この胡散臭い男の言葉全てを信用する気はないが、敵意がない男にわざわざ殺意を向けるような事はしない。
銃を下げ「俺も、迷い込んだ」と一言告げ、懐から煙草を取り出し咥える。
火を付け煙を深く吸い込むと、「えーと、お名前は?」とデリクが問うてきた。
 「桜塚・金蝉」と一言で答え、「とにかく、出口を探してる。 お前は知っているか?」と問い返す。
 途端、デリクはわざとらしい弱り顔を見せ、「いえ、出口なんて全然分んないデスよ。 こんな場所にいきなり放り出されて混乱してるトコなんでス。 でも、良かった。 同じような立場の人がいテ」と、情けない口調で言った。
 何だか、裏があるような予感が凄くするのだが、だからといって、自分に係わりがない事に関して深く突っ込む気もなく、デリクの言葉を半ば聞き流す。
故に、「あの、絶対に足手まといになりませんから、一緒に行って良いでスカ?」と尋ねてきたデリクに対し、この後どれだけ面倒な事に巻き込まれるかも知らず、金蝉はフンと鼻を鳴らし、勝手にしろと一言告げていた。
 一人でこの広い屋敷をうろつくよりは、二手に分かれて道を探す事も可能だろうから、二人のほうが便利だとその時は判断してしまったのである。
「良かった! 何しろ、ただの英語教師の身の上ですので、こういった事態にはどうやって対応すれバ良いのか…」
 そう弱気な口調で言い募るデリクを、あんまり馬鹿にされるのもなんだしという事で、ぎろりと金蝉は睨み「そう言う割りにゃあ、余裕の表情で逃げてたな、あいつから」と倒れたまんまの男を指差す。
 金蝉が気絶させたのは 薄汚れた麻袋を被り、眼の部分にだけ真っ暗で小さな穴の開いた、上半身裸の大男だった。
 手には大きな鋏が握られていて、二人のおっかけっこの姿が目に入った瞬間に、明らかに異常な風体をしている大男の方から眠らせさせて貰ったのだ。
 何処かのホラーゲームのキャラクターのような風貌に眉をしかめ(こんなんが、他にもウロウロしてたらたまんねぇなぁ)と内心穿き捨てる金蝉。
「あれ、殺しちゃったんですか?」とデリクに聞かれ、「いや。 目くらまし様の閃光弾だ。 衝撃も結構あるから、暫くは寝てるだろう」と答えると、金蝉はさっさと歩き出した。



暫く二人で歩いていると、何処からともなく美しいハープの哀切な音色が聞こえてきた。
「ワォ! 金蝉サン聞いて下さい! 素敵ですネェ。 ロマンチックですネェ。 どなたが演奏なさってるんでしょウ? 探してみませんか? ほら、此方の住人の方でしょうし、もしかしたら出口の場所を知ってるかもしれませんよ?」
デリクのテンション高い提案にうっとうしげに顔を顰めつつも、確かにそろそろ此処に住んでる奴に、話を聞きたいと思い金蝉は一つ頷く。
連れ立って声のする方向へと歩みを進めた。
「凄い美女とかだと、良いですネェ。 なんだかシチュエーションに合ってるじゃないですカ」
嬉しげに語るデリクに「どーでもいい」と疲れた声で返し、暫く歩いたところで、緑色に染められた金色の美しい装飾を施された扉の前で二人同時に立ち止まる。
「ここですね」
 デリクが扉に耳をあて中からハープの音が聞こえている事を確かめ一つ頷くと、金蝉が何か言うより早く扉を開けた。
 その瞬間、なんとも嫌な予感がした金蝉であるが、何の警戒もなく部屋の中に入るデリクの背中を見て、ここで待っているのも、何だか臆病者っぽいのが悔しくて金蝉もゆっくりと足を踏み入れる。
 その瞬間、部屋の中からハープだけでなく、フルオーケストラの盛大な演奏が聞こえてきた。
 目を見開き、その部屋の中の姿に立ち尽くす金蝉。
 それは、まるで何処かのコンサートホールのような広い広い劇場だった。
 客席の向こうには舞台があり、そこにはたくさんの楽器が配置してある。
 だが、演奏者の姿は一人もなく、フルオーケストラの重厚な調べが劇場の中を満たしていた。
「こりゃ…とんでもねぇな…」
 金蝉は呆れたように呟く。
 ここは、やはり異常だ。
 こんなコンサートホールが、屋内にある屋敷なんざ、どんな金持ちの家でも見た事はない。
 しかも、無人のフルオーケストラ演奏が聴ける劇場など、世界中何処を探しても見つからないだろう。
 デリクが、目を輝かせ客席を駆け抜け、舞台に登り、楽器の側に寄っていくのを、金蝉は警戒心を露にした表情で「おい!」と注意を促すように声を掛ける。
 だが、聞く耳持たないというか、好奇心に全て支配されてしまているらしいデリクは、一人でに弓が動き、音楽を奏でているヴァイオリン等をしげしげと眺め、そして手を伸ばしてその身に触れていた。
 その瞬間だった。


カンカンカンカン!!


 指揮台で、空中に浮きオーケストラを指揮していた指揮棒が激しく打ち付けられ、そして音楽が止まる。
 そしてデリクの背後、オーケストラが配置されているバックの壁がジーッという音と共に二つに割れ、その奥に立つ真っ黒で巨大なある獣の姿を覗かせ始めた。
 犬だ。
 大きな犬。
だが、余りにもその姿は巨大すぎたし、三つの頭に、蛇の尻尾という普通の犬ではありえない身体的特徴を有していた。
 余りにも有名な伝説の獣の登場に眩暈すら覚える金蝉。
 だが、ふらついている場合じゃない。
 まだ、自分の背後で何が起こってるのか分かってない様子のデリクに、「っ、馬鹿野郎が!」と吼え、舞台へと駆け寄る。
振り返って、舞台の奥と壁が横開きに開き、奥からグルグルと喉を鳴らしながらのノシノシと歩み寄ってくる、巨大な生き物の姿を目にし、ワォ…。 地獄の番犬、ケルベロス…。 まさか、実際にこの目に出来るだなんて…」と、感嘆したように呟くデリクをどんだけ呑気なんだと、苛立つような気分で眺める。
 ケルベロスが、一声吼えた。
 音響の素晴らしいホールに、ビリビリとその声が響き渡る。
 その瞬間、オーケストラが壮大ながらも重く、のしかかるような曲を演奏し始めた。
 金蝉も知っている。
 フォーレのレクイエム。
 荘厳な響きの中、ゆっくりとケルベロスが歩み出てくる。
 デリクが、「さぁて、どうしたものカ…」と呻くと、金蝉を振り返り、オーケストラに負けないような大声で「金蝉さぁン。 なんか、地雷踏んじゃったみたいデス」と告げてきた。
 ヒョイと舞台に飛び乗った金蝉は「面倒臭ぇ事すんな」と憎々しげに言いながら、予備動作無しにケルベロスに銃弾を撃ち込む。
「ギャヒン!」
 丁度真ん中の顔の額に命中した弾丸にのけぞり、そう大声で鳴いたケルベロスではあったが命を奪うまではいかなかったのだろう。 逆上した眼差しで此方を射、そして、一足飛びに飛び掛ってきた。
 慌てて二手に分かれ、さて、もう一発、今度は目玉に撃ち込んでやろうと銃を構えた時だった。
「スイマセン! ちょっと、ばっかり、自分の尻は自分で拭こうかな?と、何時になく殊勝な事を考えてみたので、先、外逃げて下さい! こっちで、引き付けますんデ!」
そうデリクが叫んでくる。
一瞬悩まないでもなかったが、所詮はさっき出会ったばかりの赤の他人。
 しかも言動を見るに、かなり一般人とはかけ離れた男だ。
 こういう事を言い出すからには、何か勝算があるのだろうと考え、一つ頷き、振り返りもせず外へと走り出す。
 ケルベロスが此方の後を追おうとしていたようだが、デリクが何事かして、化け物のいく手を阻んでくれたのだろう。
「キャヒン!」というケルベロスの声を背に、金蝉は部屋の外へと飛び出した。
 扉を閉め、一息つく。
 何となくだが、あの獣はこの扉の外へは出られないような気がしたのだ。
 あの部屋だけの生き物というか…。
 中でどんな事が起こっているのか、再びハープの音だけが聞こえてきている扉の外からは窺い知る事は出来ないが、金蝉は一本煙草を咥えると、この煙草を呑み尽くすまではデリクを待っていてやろうと考えた。
 正直、うざったいのもあって、置いていってしまおうという欲求はあるのだが、自分の行った所業の後始末は自分で行ってくれている分、いっつも面倒ばかり掛けやがる癖に何の役にも立たない知り合いの探偵よりよっぽどマシだし、正直、デリクの正体自体がちょっと気になる。
 煙草の煙で肺を満たしながら、暫しの間、物思いに耽る。
 然程待たされたという感覚のないうちに、デリクが悠々とした足取りで扉の外に現れた。
 煙草を咥えながら「…何だ、生きてんのか」と無表情に呟く。
 デリクは笑って「だって、そう思ったから待っててくれたんデショ?」と問うてくるので、金蝉は正直に「この煙草を呑み終える迄はいてやろうと思ってた」と告げ、それから「何が、しがない英語教師だ」と吐き捨てた。
 デリクが大袈裟なくらい仰け反り「エー? 本当ですヨ? ほら、都内の、結構有名な教室で、雇われ教師をデスね…」と説明しかけるも、ヒラヒラと手を振り「いい。 しがない英語教師が、あんな化け物相手に張り合える筈がねぇっつうのは、どんな頭の足りネェ奴でも分るからいい」と話を遮る。
 そして、ギラリとデリクを睨みあげ「何考えてんだか、知らねぇが、テメェ、今度面倒臭いことしでかしたら、俺が引導渡してやる」と凄むと、足音荒く廊下を進みだした。
 相変わらず、中から奇妙な物音が聞こえてくる扉の前を幾つも通り過ぎはするが、先程の事を踏まえ(例え踏まえなくとも)ドアノブに絶対に手を伸ばすまいと心に決める金蝉。
 デリクも、興味は持っているが無闇矢鱈と手出しする気はなさそうで、暫くは二人の足音だけが廊下に響く。
 とにかく何処まで歩けば、出口が見つかるのだろうと、多少絶望的な気分に陥り始めた時だった。
 どう言い表せばいいのか良く分からない音なのだが、あえていえばゴロンゴロンという音と共に、何かが薄暗い廊下の奥から転がってくるのが金蝉の目に映った。
「おい」
思わず、デリクに声を掛ける金蝉。
今、己の見ている光景を、誰でもいいから他人と共有したいという強烈な欲求にかられつつ、「ハイ」と返事を返したデリクに「アレ、何だ?」と、転がってくる物体を指差しつつ尋ねてみる。
それは、金蝉ですら目を疑うような、ある種猟奇的な光景だった。
バレリーナが舞台で着る、真っ白なチュチュを着た少女の肢体が物凄い勢いで転がってきている。
出来の悪い悪夢ならば、こんなシュールな光景にでもお目に掛かれるかもしれないが、これが紛う事なき現実世界なのである。
胴体は、まさに転がっているだけというシンプルな姿勢でもって二人の間を通り抜けていく。
「何をあんなに急いでるんでしょうネ?」とデリクが現時点において多分、もっともどうでも良い事を言ってきたので、「…多分、気にすべき所はソコじゃない」と金蝉は呻くように答えた。
「や、だって、凄い速さで転がってましたよ?」
「だが、首も足もないんだ。 転がってるというより、それこそあの鋏男にでも解体された死体が転がされたと考える方が自然だろうが」
「でも、掌でちゃんと地面をついて自分の意思で転がってるようでしたかラ、アレ多分、生きてますヨ?」
 デリクの冷静な言葉に、金蝉は、物凄い勢いで転がり続け、今は大分小さくなってしまった、その胴体少女を眺めると「ここが、マジでどうなってやがんだ」と呟いた。



さて、ひたすら歩き続けた結果、何だか、廊下の様子が変わり、両端に七色の不思議な水が川のように流れ、空気の温度自体も温かくなったように感じられた頃の事である。
「ハロー、ハロー、ハロー? ウェルカムトゥー、狂気の王宮へ!」
 そうはしゃいだような声と共に、金蝉とデリクの頭にバラバラと赤い薔薇の花びらが降ってきた。
 驚き見上げれば、そこには重力の法則を無視して天井に立っている派手な道化の姿をした男がいた。
 真っ逆さまに立つ男を見上げ、デリクが笑いながら「アラ、あなた! どうしちゃったッテいうんでス?」と問いかける。
 道化は、耐え切れないという風に笑うと「どうしちゃったんですってのは、こっちの台詞さぁ、お二人さん? こんなトコまで来ちまって、あんたらご主人様に会いに来たのかい?」と、問うてくる。
 金蝉はその無闇に朗らかな声音にうんざりしながらも、折角ちゃんと(?)会話を交わせるこの屋敷の住人に会えたのだからと、「ご主人様? この屋敷の主のことか?」と聞き返した。
「そうさね。 他に誰がいる。 狂気の王様、おかしな王様、憐れな王様、リリパット・ベイブ!」
 デリクが、その名を聞いて、ふと眉間に皺を寄せ「リリパット・ベイブ…?」と小さく呻く。
「ちょっと、待ってクダさい? ベイブ…狂気の王様…、千年魔法……アリス! 時の大魔女アリス!」
 そう叫び、道化を見上げ、「ここは、千年王宮なのですか?」と殆ど叫ぶようにしてデリクは問う。
 道化は、「ひゃはっ!」と笑ってトンボ返りし「あんた、魔術師だね? そうだろ、そうさ! あーあーあー、ご主人様と一番相性の悪い人種だ。 そうさ、御名答、ここは呪いの王宮千年王宮さね」と嬉しげに答えた。
「千年王宮…? んだ、それは?」
 聞き覚えのない単語に眉を顰め、そう訝しげに問う金蝉に、殆ど独り言のような熱に浮かされた口調で「時の大魔女に封印された伝説の王宮です。 此処には、彼女が髄を凝らして作り上げた宝が山と積み上げられ、たくさんの魔造物や生き物が暮らしているという話だったのですが、まさか実在するとは…」と、デリクが答える。
「ベイブってのは?」
「時の魔女が愛する余りに死に際に、千年の呪いにかけ、城と共に閉じ込めた男の名です。 この城も、同じく千年の呪いの只中にあり、その呪いを掛けられた日から、千年後にベイブと一緒に滅ぶ運命にあるそうです」
 そこまで言い切り、「素晴らしい」と呟くデリク。
 何だか分りはしないが、御伽噺に出てくるような、おかしな場所に来てしまっているのだろうなという事だけはよく分かった。
 千年の呪いだの、時の魔女だの、童話の中でしかお目にかかれないような単語の羅列に、もうきちんと理解しようとする意思を放棄する。
 だが、デリクは此処がどういう場所で、どれ程価値がある場所なのかすら、きっちり理解しているらしい。
 愉悦を含んだ笑みを、抑えきれないといった調子で浮かべる。
 そんなデリクの表情を見て、「お前、ロクでもねぇ事考えてんだろ」と金蝉は指摘するが、その言葉をデリクは無視し「道化さン。 あなた、そのベイブの居場所分りませんか? もしくは、白雪の場所でも良いのデスが…?」と、あからさまな迄の猫なで声で問いかけた。
 白雪?なんだ、それはと思うのだが、興味のない事は、どうでも良いかと結論付け、デリクが質問するに任せた。
 だが、道化は笑って「知らないようで、知ってるようで、知らないけれど、知っている。 ルール違反だよ、ルール違反だよ。 他の奴らは、みんな自力でベイブに会っている。 もしくは、ジャバウォッキーか女王にね」と言う。
「ジャバウォッキー? 女王? なんだそれは」
意味の分からない言葉の連続に不機嫌になるのを止められない金蝉に「ベイブの大事な奴隷だよ。 飼われているんだ、この城で。 珍しく、大事にしてる。 そんでも、いつ壊されるか、気まぐれ王のする事だから、皆目見当が付かないがね!」と、まるで、早く二人が壊されるのを望んでいるかのような声音で道化は答えた。
そして、デリクに向って「白雪の居場所は、ベイブしか知らねぇんだ。 大事な姫様だかんな。 ジャバウォッキーなら、或いは…?ってトコだろうが、まぁ、どっちにしろ教えてくれないと思うよ」と言い、「しっかし、欲深だねあんた! こんな地獄のような場所で、それでも宝が欲しいのかい」とデリクに言う。
「魔術師はね、例外を除き、皆欲深でス」
シレッとそう答えたデリクの頭を、思わず遠慮も何もなく渾身の力ではたいた金蝉は「白雪だかなんだか知らねぇが、俺はこっからとっとと出てぇんだ」と言い、それから道化に向って銃を構えた。
 知りたい事を知ってる者が目の前にいるっていうのに、どうして聞き出せないなんて事がある?
「お前、ベイブとかいう野郎の居所は知ってんだろ。 案内しろ」
 そう低い声で言われ、道化はわざとらしい仕草で身を震わせる。
「こっわいお人だ! そんな火を噴く鉄の笛、愚かな道化になんて向けないでおくれよ、おっかない」
 そこまで言って、道化は首をかしげてヒタリと笑うと、「あんたら、ちょっとばっかし、厄介な二人組みだね。 君子危うきに近寄らず、道化恐ろしに長居せずってもんだ!」と告げ、その瞬間消え失せた。
 金蝉は、銃を下げ「ちっ」と舌打ちし、「とにかく、そのベイブ探すぞ」と告げる。
 デリクも何にしろこの城の主人に会いたい気持ちは同じなのだろう。
目を輝かせながらも、一つ頷いた。



どれくらい歩いた事だろう。
幾つかの階段を登り下りし、廊下を歩き続け、二人はようやく今までみたどの扉よりも大きく、立派な鉄の扉の前に出た。
 外に立っていても分る強烈な魔力の波動に金蝉は、この向こうにベイブがいる確信を深める。
 どんな狂った野郎が待ち受けてんだろうか…と、今までの城内の様子から、既にげんなりしたような気分になりつつ、ゆっくりと扉を押し開き、室内に入る。
 

虚ろな声が、玉間に響いていた。
広い広い、寒い部屋の一番奥に、ぽつんと小さな王座がある。
そこに座り込んでいる男こそ、この無限とも思えるほどに広大な、いや、デリクが思うに多分まさに無限の広さを有する城の主。
リリパット・ベイブだった。
「この城も…、所詮は、あの女の創造物…。 いまや、私の手足と成果て、望みのままに形を変えるこの場所で、どうして…、この飽いた心を…慰められようか…」
 ベイブの前に一人男が立っている。 モデルめいた程にスタイルの良い男性だ。
 その後姿に、見覚えがあった金蝉は、今までこの屋敷の中でどんな生き物や不思議物を見かけた時よりも強い眩暈を感じた。
 魏・幇禍。
 何度か会った事はあるのだが、どうも気に食わない(とはいえ、金蝉が気に入る人間など、そうはいないのだが…)男だった。
 とにかく、立ち居振る舞いに、尋常じゃない世界を渡り歩いている凄みを感じさせる癖に言動が、突拍子もないというか、呑気が過ぎるというか、彼の雇い主である鵺も含めて非常識という言葉をそのまま体現してるかのような人間なのだ。
 何故彼が此処にいるのか、猛烈に気になりはしたが、心情的なものから、頑固なまでに視線を逸らしつつ、この城の主らしき男に視線を据える。
 灰色の目。
 真っ白な髪。
 広い肩幅。
 虚ろな、なのに、狂気的なまでにぴんと張り詰めた場に満ちる空気。
 近寄りがたい、まるで永久凍土のように不毛な印象を与える男。
 リリパット・ベイブ。
 狂気の王宮の主。
デリクは、そんな彼にスタスタと歩みながら、朗々と響く声を張り上げた。
「飽いた! ワォ! 私なら、飽いたままにはいませんヨ?! このお城があれば、貴方、その気になれば、全ての世界を飲み込んで、王になれると言うのニ!」
 そう言いながら、デリクはゆっくりと玉座に足を進める。
「お初に御目に掛かりマス。 狂気と孤独の王ヨ! 私の名はデリク・オーロフ。 しがない……、英語学校の講師で御座いマス」
 ふざけた口調でそう言いながらデリクは、ベイブの前に立ち止まった。
張り付いた笑みを浮かべ、まさに慇懃無礼そのものといったように深く一礼する。
 その後を、金色の髪を揺らしながら、ずかずかと金蝉もベイブの側へと歩み寄った。
 無愛想な眼差しで、じっとベイブを睨み据えながら「貴様が此処の、主か。 糞下んねぇ、仕掛け満載の、悪趣味な城作りやがって。 とっとと、こっから出して貰おうじゃねぇか」と、今までの苛立ちを全て込めて金蝉は低い声で言う。
 だが、金蝉のそんな気持ちなんか、勿論気にせず「うーん! もう、金蝉さン! そんな、イケズな事仰らずに、もっと、此処をエンジョイする方向で、話を進めてみましょうヨ! ほら? 東京って頭についてる癖に、実際ある場所は千葉ってなランドよりも、此処はずっと面白いですヨ? さっきだって、三つの頭を持ってる巨大犬なんて言う、とっても可愛いお友達にも会えたじゃナイですか!」と、能天気に言ってくる。
 グラリと、視線が揺れるようなムカつきを覚えつつ、それでも必死に自分を抑える為に、じっと、こぶしを握り締めて立ち尽くす。
 そして、とりあえず一度デリクに凄まじい視線を送った後、再びベイブ方を向き、「出してくれ」と唸るように言った。
 もう、心から言っていた。
 出たい。
 この男からおさらばしたいし、それに…とそこまで考えたトコで、「お久しぶりですっ!」と、場を読まないKING幇禍に明るい声で挨拶されて「コイツとも、係わり合いになりたくない」と心底願う。
 もう、此処に辿り着くまでに不条理の極みとも言うべき光景にうんざりさせられ続けたのだ。
 此処にいたくないし、出来れば、何も言わずに外に出して欲しい。
 最初のうちは、こんな屋敷作った野郎は一発ド突き倒してやる!位の気持ちでいたのだが、正直、今じゃ、もし「分かった。 出してやろう」なんて言われて素直に外に出れたのなら、目の前の男に何もかも忘れてうっかり感謝してしまいそうになる位、完全に疲れきっていた。
とにかく、幇禍の存在に「なんで、コイツが此処にいるんだ…」とウザそうな声で、金蝉はそう呟くと、再度「とりあえず、此処からの出口が何処にあるか、ハッキリして貰おうか」と、ベイブに詰め寄る。
しかし、そんな金蝉を余所にマイペースに、「それにしても、金蝉さんはどーやって此処に来たんです? 三つの頭の巨大黒犬ってどんな感じでした? 俺はね、忍者ピエロと、足だけお化けに動く絵を見たんですけど…」と、幇禍は聞いてくるわ、その言葉にデリクも「ピエロなら、私も見ましたヨ? あとね、少女の胴体だけガ、廊下をゴロゴロ転がっているのトカ、勝手に歌い出す楽器とかネ…」と言いながら「ネェ?」金蝉に同意を求めてくるわで、神様、出来る事なら、俺だけ此処から出して、こいつらは一生此処に閉じ込めても良いですと思わず願ってしまうほど、能天気な事を言っている二人に対し、金蝉は頭痛に耐えるかのような表情を見せた後、「…どうでも良い」と地を這うような声で答える。
だが、ベイブがそんな金蝉を見返し「出口…というものは…何処にもない…」と言った瞬間、金蝉はこめかみの辺りでプツリと何かが切れる音が聞こえ、そんなに容量のでかくない堪忍袋とやらの緒が切れてしまうのを感じた。
「ねぇんだったら…、どっからでも、良い。 とにかく、俺をこっから出して貰おうか」と剣呑な声で告げ、銃をベイブの額に突きつける。
「望んでもいねぇのに、勝手にこんな場所に連れてきやがって、てめぇ、主だって言うんなら、客人の管理ぐらいしっかりしやがれ」
 獣の唸り声のような声音の金蝉に、「あ! 駄目デスよ? 脳みそに傷を付けるのは止めて下サイね? その人、貴重な研究資料になるんですかラ!」と、叫んでくるデリク。
 魔術師とかいう職業柄の発言かもしれないが、そんなもん自分には関係ない。
「知るか」
 そう端的に答え、引き金に手を掛ける金蝉を見上げ、ベイブが表情を変えないまま眼を閉じる。
「終われるのか?」
「あ?」
 金蝉は、ベイブの問いかけにうっとうしげに返事を返す。
「終われるのなら終わらせてくれ」
「どういう意味だ?」
「早く、引き金を引けという事だ」
 そのある種の諦念に満ちた声に 金蝉は、少しだけ目を見開き、「よっぽど死にてぇらしいなぁ」と唸る。
 だが、分る。
 そういう意味での諦めではない。
 むしろ是は、まるで…。
 心から死にたがってるかのような…。



「二百数十年前のお話でス」


 そう、何処か、朗々とした、聞き入らずにはいられないような声を、デリクが発した。



「昔、昔、ある所に、一人の魔女が住んでおりマシた」



 幇禍がどこか好奇心を含んだ眼差しでデリクを眺め、金蝉も、鬱陶しそうな表情のままではあるが、デリクに視線を送る。
ベイブの視線が金蝉を通り越し、じっと語り続けるデリクを見つめた。


「魔女は、時の果ての荒野に住み、この世界の時の流れを管理しながラ、この退屈な世界から、自分を連れ出してくれる王子様を待ち続けていましタ」


「やめろ」


 ベイブが、顔を歪め、そうデリクに言う。
 だが、デリクはその言葉を聞かなかったかのように話を止めない。


「そして、どれ位の月日が経った事でしょウ。 彼女の元に、一人の騎士が現れました。 彼は凛々しく、厳格で、正しカッた。 彼女は、そんな騎士に一目惚れをし、彼が自分の王子様である事を確信しマシた」


「やめろ」


「だが、彼は違っタ。 彼は身も心も、神に捧げ尽くした聖騎士ダッた。 髪の毛一筋すら、彼女の物にはならなかっタ。 然し、時の果てでの、永き孤独に耐えた末に、現れた騎士を諦める事なぞ、時の魔女には出来なかっタ。 愛して、愛して、愛して、愛しテ…」


 デリクが、薄く笑って告げる。


「愚かなるかな、聖騎士達ヨ。 時の大魔女を、何故に狩っタ? あの時生まれた、時の歪みの全てがココにある。 狂信的な、魔女狩りの果てに、貴方、こんな所で、魔女の愛の檻の中で、可哀想に……千年死ねナイ」


「やめろっ!」


 真っ白なの髪の隙間から、ぎょろり灰色の眼を覗かせて、ベイブが歪んだ声で言った。



「…止めないと、…食べちゃうよぉ?」  
 


 その瞬間、宮殿が微かに揺れ始め、金蝉は、ベイブから禍々しいとしかいいようのない気配が立ち上り始めるのを感じた。
 金禅は躊躇う事無く、ベイブに向って引き金を引く。
 タンと、軽い衝撃を受け仰け反るベイブ。
 だが、ぐらりとそのまま、首の据わってない赤子のように首が横に流れ、少し爆ぜた頭に手を伸ばして、ゆっくりと弾丸をつまむ。
 色のない唇から、妙に肉感的なピンク色した舌が伸ばされ、その舌に弾丸が乗せられた。
 


グビリ



真っ白な喉が蠢き、弾丸を飲み込む。

「熱くて…ビリビリするねぇ…」

恍惚とした声で、そう呟き、それから、顔を起す頃には、彼の頭に損傷の後は少しも残っていなかった。
「今度は、甘くて、とろとろするやつ頂戴?」
 ぐらりと揺するような笑い方をしながら、ベイブが金蝉に掌を差し出す。
 その瞬間、天から真っ白な光が振り、咄嗟によけた金蝉の足元を直撃した。
「赤いやつ…。 飲むとね…、凄くね…気分が、良くなるの…。 誠のは、す、す、凄く甘くて、美味しいのだけど…ほら、全部、呑むと……動かなくなるから、じっと我慢…して、他の奴のを呑んでるの…。 竜子は…嫌がるし…、ま、ま、誠は、あんまり、食べ過ぎちゃ、駄目っていうけど……あれ、美味しいんだよね」
 狂気に満ちた、声でそう歌うように言いながら、金蝉をじっと見る。
「美味しいの、たくさん、頂戴」
 その変質的な声音に、背筋を寒気のようなものが駆け上がるのを感じ、今度は喉に銃弾を打ち込む。
 ゴボリと、大きな穴が開き、そこから、ヒューヒューとベイブは息を漏らしながらも、うっとりと笑う。
 それは、下手なホラー映画よりもえぐぐ、ショッキングな光景だった。
幇禍が、ボトボトと床に落ちる大量の血を眺め「あーあーあー」と溜息を吐き「これ、後掃除、大変ですよ」なんて、この事態の何処を見てるのか?という、びっくり発言を行い、金蝉は憤懣やる方ないというか、もう、言葉では言い表しようのない位の怒りを湛えた眼を一瞬彼に向け、それから、デリクに「こいつ、こうしやがったんは、てめぇだろぉが! 何とか、始末つけやがれ!」と、怒鳴ってしまった。
あの昔語りの何がこのような事態の切欠になったかは知らないが、あの魔術師がこの結果を予想した上で、ベイブを挑発したのだけはよぉく分る。
両手を広げ「…そうは言われましてもネェ」と笑った後、デリクは少し考え込むかのように顎の下に指を当て、そして、ベイブに告げた。


「で、彼女は何処にいるんでス?」
 小さく笑いながらベイブが、デリクに視線を向ける。
「誰?」
「アリス」
「……」
「アリスは、この迷宮の何処ニ?」
「……」
「恋狂いアリス…気狂いアリス…、貴方の、お姫様の名前でスヨ」



「金蝉!」


 突如玉座の間の扉が開かれ、白金の髪を揺らして見慣れた人間が飛び込んできた。
 蒼王翼だ。
 幇禍が「どーもー」なんて声を掛けたので、まず翼は、驚いたように彼を見、そして、デリクに視線を送り(彼はヒラヒラと呑気に手を振っていた)何が何だか分からないといった表情で、とりあえず此方に走り寄ってくる。
「お前、何で此処に!」と怒鳴る金蝉の隣に「君を追って来たんだよ」と言いながら立ち「一体是はどういう事なの?」とそれは俺が聞きたいよ的な事を聞いてきた。


「アリス…?」


 ベイブが、引き攣った声で、翼を凝視し、そして呟く。


「アリス?」

デリクがまるで、こうなる事は分かっていたという風に、翼を恭しい手付きで指し示して答えた。



「そうですヨ。 アリスでス」



 それは、紛れもなく、発狂の瞬間。
 


ベイブの顔が醜く歪み、見たのだ。
その場にいた、間違いなく全員が見たのだ。


ベイブの背後から、細い灰色の手が伸びてくるのを。
そして、その子供のような手が、スルリと、ベイブの首に廻されるのを。


アリスの手。



 ベイブが、言葉にならない声で、絶叫した。

「っ!」
 王宮がグラグラと揺れている。
 髪を掻き毟り、何かから逃れるように、玉座の上でのたうちまわるベイブに視線を送り、「また、何か面倒が起こるのか?」という不安感に襲われる。
突如、「あがぁっ! あぁぁっ! い、いぅわあぁ! ま、誠! 誠! 誠、ドコ! 早く、呼んで! り、りぅ、竜子と! 誠を! よ、呼んで!」と、ベイブが喚き始める。
「誠? 竜子? 誰だ、ソイツは?」
 そう訝しげに首を傾げる金蝉に「王宮の鍵を持っている方々です。 俺は、黒須さん…って、えーと、誠って人の方ですね、その人にココ、連れてきて貰いました。 それで、あのですね、多分言い遅れたかな? もう、取り返しつかないかな?とは思うんですけど、多分、彼らがいれば、こっから出れますよ」と、幇禍が物凄く笑顔で告げてくる。



…へー、そうか。
 鍵を持ってる二人ね。
 そいつらが、いれば、この王宮から出してもらえるという事で、え?


 その瞬間、金蝉は、カッと目を見開き、修羅のような顔をしながら、幇禍の胸倉を掴んでいた。
「あぁ? てことは、アレか? こいつに、無駄に構う事ぁ無かったって事か?」
 そうガクガクと揺さぶりながら問われ、「んー、そうなりますかね☆」と明るく返答してくる幇禍。
 だったら、途中でコイツを見放して黒須って奴か、竜子って奴を探した方が多分、ずっとか効率が良かった。
 こんなイかれた野郎をわざわざ追い詰める事などなかったのだ。
 翼が、何処か諦念の表情で「ねぇ、君は、ずっとこの場にいたみたいだけど、その事実を早めに伝えて、事態がこうなっちゃうまえに止められなかったのかな?」と幇禍に聞いたが、幇禍はとびっきりの笑顔で「や、出来ても止めませんって。 楽しくないもの」と答えてくる。
 一瞬、本気でくびり殺してしまおうかと手に力をこめてしまう金蝉と、ガクリと、音がしそうな勢いで項垂れる翼。
「どうしよう。 こういう場合、僕の立場としては、金蝉の暴力を抑えるべきなのだろうが、今現在、心から、息の根が止まれば良いのにと祈ってしまってるんだよね」
 そう虚ろな翼の声に後押しされるように、益々、金蝉が男の首の締め上げてしまう。
そんなある種どうしようもないやりとりを繰り広げる三人に「あハハー。 お三方お知り合いでスカ? 良いですね、楽しそうデ」と明らかに何も分ってないっていうか、分ってても気にしない事が丸分かりな口調でそう言った後、「でもね、ほら、こっちも結構大変な事になってマスよ?」と、デリクがベイブを指差した。


蹲り、黒須と竜子の名を交互に呼び続けるベイブの周りに、銀色の見た事の無い文字で描かれた文様が浮び上がっていた。
 アリスの手はもう無い。
 だが厄介なことに、その文様がバチバチとまるで、稲妻のような、あまり耳に心地良くない音を立てて発光し始めている。
「っ! ベイブ!」
 そう叫びながら、金髪にピンク色のジャージ、派手な化粧をした女が部屋に飛び込んできた。
 首に赤い首輪を巻いている。 
 アレが多分、竜子とかいう女なのだろう。
 続いて、数人の男女が飛び込んでくるが、その中には見知った顔も結構あって、自分と同じように此処に迷い込んでいる人間がこんなにいるのかと、少し驚く。
いつの間にか現れていた大剣に縋るように、しがみつく様に泣いていたベイブが顔を上げ、「誠? 竜子? 早く、は、やく、来ないと、つ、かまる。 つ、かまったら、壊れる。 こ、われ、る、割れる。割れて、あ、また、寒い…た、すけて、助けて…」と呟きながら、泣きそうに歪められた顔で当たりを見回していた。
 それはまるで、迷子の子供のような、それは酷く弱弱しい姿だった。
「壊れる…ネ。 魔女の呪とハ、かくも恐ろシイ。 差し詰め、この赤子は、その魔女を知らず虜にしてしまった、不運な時の迷子に過ぎないと言う訳、でスカ」
 デリクは愉悦に満ちた快哉をあげる。
「何て、興味深イ!」
 
「デリク!」
 
嬉しげな声を上げ、一人の少女がデリクの元に駆け寄った。
黒髪の、人形めいた愛らしさを有する少女だ。
「おヤ? 私の姫君。 こんな所にお出でになられて、どうしたんダイ?」
 そう言いながら、壊れ物を扱うような手付きで、その身体を抱きしめ、デリクは笑う。
 そして、「ウラ。 御覧なさイ。 アレこそ、究極の愛の形デス」と、ベイブを顎で指し示した。
その瞬間、バチッ!と音がして、デリクの足元に銀色の光が飛んでくる。 それを、ウラを抱えたまま、ヒョイと身軽に避け「危なイ、危なイ。 赤子が強力な力を持つと、加減を知らないカラ、面倒ダ」と飄々とした声でデリクが嘯く。
 すると人の輪の中から、艶やかで、ぬめるように色っぽい光を放つ黒髪を有する男が、ずいと進み出て、「お前、何かやったのか?」とデリクに問いかけた。
 髪の美しさに反比例するかのように、陰険で爬虫類のように、人に根源的な嫌悪感を与える顔つきをした中年男だ。
 黒い首輪を嵌めている。
こいつが、黒須か…。
そう確信し、これといって会話すら交わしていないのに、どうにも押さえきれない気分の悪さを感じる。
性質的に、最も自分が嫌うものを有してそうな(それは、黒須の性癖に起因するものではあったのだが)そんな直感を得て、絶対に、あの男には近付くまいと金蝉は決意を固めた。
黒須がデリクに掛ける声に怒りはない。
 ただ、本当に尋ねているだけという声音。
「何カ? 何カ?とは、何でス? ああ、そうダ、そうダ。 あなた、初めて、お会いしまスネ。 私、デリク・オーロフと申しまス。 以後お見知りおきヲ」
 そう自己紹介したあと、優雅に一礼し、それから首を傾げてじっと、黒須を見る。
「あなたも、随分、面白い身体ダ」
 そう呟き、「そして此処は、面白い場所ダ。 もうちょっと、知りたい事もあるのだけれド…」と言いながら辺りを見回し、それから腕の中のウラを見下ろす。
そして「お姫様もいらっしゃる事だし、そろそろ帰らねバ」と黒須に言うと、その言葉に、ウラはむくれ「折角、女王様のお茶会をしていたのに、全部台無し! デリク、この罪は、『気狂いアリス』のバニラアイスでしか償えなくってよ?」と言った。
「仰せのままニ」とデリクは甘い声で答え、それから黒須に視線を戻す。
「出口、私一人でしたら、無理矢理作って外に出るのですガ、この子がいるので、余り無理はしたくないデス。 この、赤子、宥める事が出来ますカ?」
 そう問われ、辺りをぐるりと見回す黒須。
 そして、全ての面々を見渡すと、黒須はこの上なく、面倒臭そうに顔を歪め、「何で、こんなに、いるんだよ」と呻きそして、「とりあえず、危ないから、ちょっと離れろ。 鵺といずみ…は、外出てた方が良いかもしんねぇ。 そこのウラとかいうお嬢ちゃんも、兄ちゃん部屋の外に出してやんな」と言った。
 何が起こるというのだろう?
また、面倒臭い事じゃなければ良いが。
部屋の中にいる、黒須に名指しされた者達は、皆、部屋の外へ出て行く気などないらしい。
「…ま、こういう場所でお茶会だなんて呑気な事が出来る子達だもの、それこそ、十八禁にでも引っ掛からなきゃ大丈夫じゃない?」と、何故か彼女も迷い込んできたのか、顔見知りであるシュライン・エマが言い、「そうですね。 もし引っ掛かっても、ちゃんとOMCでチェックしてくれるし」と、見知らぬ紳士的な風貌な男性も身も蓋もない事を言う。
 黒須が、もう、どうにでもしてくれというような憔悴した顔をし、「で、何でこうなったんだ? 何を切っ欠にしたんだ?」と問えば、デリクがニッコリと笑って「魔女」と一言答えた。
 その瞬間、ベイブを囲む銀色の文様がバチバチと音を立てて一層鮮やかに輝き、王宮の揺れが激しくなる。
 ビクンとベイブが一度のけぞり、口を大きく開けると「あああぁぁぁぁああっ! こ、わい、怖い、怖い、あ、こ、ろして、殺して、死にたい、終わりたい、壊して、こわ、して…りゅ、うこ……まこ…と…、ドこ? 何処? 助けて! 何処!!」と、叫び、惑う。
 そんなベイブになんとも言えない視線を送り、それから「知ってるのか?」と、黒須が問う。
「一応、魔術師ですかラ」とデリクは答え、「騎士団内で起きたあの悲劇については、書物でとはいえ、知識として有しておりマス。 ただ、こうやって、実際に御目文字出来るだなんて、想像もしていなかったですケドネ」と、言葉を続けた。
「然し、素晴らしイ。 千年の呪い。 まさか、本当に有効であるトハ。 この奇跡の目の当たりにして、魔術師としては、捕獲して、どういう人体構造になっているのか、解体でもしてみたいところですガ…」
 そう言いながら、本心を見せない笑みを益々深め、「ジャバウォッキー、許してくれませんヨネ?」と、デリクが聞き、黒須は「本当に、コイツを殺せるってんなら、何処へだって、連れてってやれよ。 本人もそれを望んでる」と、答えた。
「死にたい。 終わりたい。 解放されたい。 そればっかりで、たかが人間の分際で二百年以上も生きてんだ。 誰でもいいや。 コイツ殺せるなら、殺してくれよと頼みたいとこだけどな…」
 そして、一つ溜息を吐く。
「期待持たせるだけ、持たせて、結局、無理でしたって事になるんだったら、許してやれや。 コイツの絶望は、既に今で限界なんだ。 これ以上は酷過ぎる」
 デリクは、笑みを深め「時の魔女の最期の呪に対抗出来る程の、魔術構造を発見いたしましたら、是非、再び此処を訪れさせて頂きマス」と答えた。
「ま、せいぜい期待させて貰うわ」
 黒須は気のない声で答え、それから竜子に目を向けた。
 竜子は「お前、ほんっと、何処行ってたんだよ。 どうせ、しょうもない飲み屋とか、競馬とか、そういうのなんだろうけどよ、マジで何も言わず出かける癖止めろよな」とブツブツ言いつつ、黒須の隣に立つ。
「どうだ? イケそうか?」
「んー? ヤバくね? いつも以上にはしゃいじゃってる」
「でも、放っておけば、ここら辺一帯それこそ歪むぞ? そうなると、『道』が変わるし、鍵持ってねぇ、コイツらを無事出してやれる保証がなくなる」
 そんな相談のしてる二人を眺め「なんか怖い事言ってるねぇ」と翼がのんびりという。
 翼を見下ろし「余裕じゃねぇか」と呻くようにいえば「ま、こういう時は大体、なんとかなってきたからね」と彼女は答えた。
「でも、僕達だけで逃げるんじゃなくて、此処にいる人達全員無事に出すためには、やっぱりあの人に、落ち着いてもらわないといけないみたいだな」
 ベイブを見つめ翼が言う。
 金蝉はフンの息を吐き出し「知った事か」と言いはしたが、「時間が掛かり過ぎた。 せめて、あの結界内にもう少し近づければ…」という竜子の深刻な声が聞こえてくると、とりあえず、何でも良いからとっとと決着をつけたい気分になり、「…やってやる」と宣言してしまっていた。
「あの、銀の結界の威力を弱めれば良いのだろう? やってやる」
 そう言いながら一歩進み出ると、翼が、ついと見上げてきて「出来る?」と聞いてきた。
 ベイブの周りに浮き出ている構成を凝視しつつ、「構成されている術式こそは違うが、接点を見つけ出し絡ませれば何とかなるだろう」と金蝉は冷静な声で答える。
「何より、俺は、この糞みてぇな場所から、とっとと出ちまいたい。 おい、そこの、二人」
 そう言いながら、金蝉が、ギッと竜子と黒須をねめつける。
 やっぱりそうだ。 
 女の方はともかく、あの男はざわざわとした吐き気のような込み上げる嫌な姿をしている。 金蝉は、いつも以上に尖った声で、「誰だか知んねぇが、その結界の威力は抑えてやる。 それで、この事態の収拾を付けられんだろうな?」と問いかけた。
 その声に肩を竦め、黒須が「ホントに、そんな器用な事やってのけてくれるってんなら、鋭意努力するよ」と答え、竜子は「任せときな!」と請け負った。
 その気軽な様子に信用出来ない気持ちを込めて「フン」一つ鼻を鳴らし、それからおもむろに、金禅は懐から銃を取り出す。
そして、金蝉はその銃弾を、ベイブの周りで閃光を放つ結界へと打ち込んだ。
 耳をつんざく音が、ホール内に響き渡る。
 間を置かず、金蝉は複雑な印を両手で組み、術の詠唱に入る。
 全く違い術式を、陰陽の術で抑え込む。
 言うは易しという奴だが、中々骨が折れるやり方ではある。
 集中力を高め、詠唱を続けていると、銀の文様の上に、金色の梵字で描かれた別の文様が浮び上がった。
 銀と金の光が絡まりあい、一瞬眩いばかりの光を放つと、その銀の結界が放っていた稲妻のような光が収まる。
「長くは持たん。 とっとと行け」
 金蝉が、目を閉じ、小さく術を唱え続けながらも、そう早口で二人に告げる。
「どぉも。 あんた、かなり良い腕してんな」
 そう、黒須が言った後、竜子と黒須は一気にベイブに近付き、竜子は前から、黒須は後ろに回り込んでベイブの身体を抱きしめた。


「お静まり下さいませご主人様」


 竜子が、ベイブの耳元に囁く。
「お静まり下さいませご主人様」



「魔女は来ませぬ。 魔女は、来ませぬ。 だって、ほら…」



 竜子が、静かな顔で天を指差す。



「貴方様が、あの魔女めを殺したのだから」



 思わず、その場にいた人間皆。
 黒須と、竜子を覗く全ての人間が空を仰ぎ、そして息を呑んだ。



いた。


玉座の天井にいた。



女が、目を閉じ、手と足に杭を打たれて天井に張り付けにされていた。
両手を開き、足を揃え、胸を深々と一本の槍を突き刺して、女がいた。


 アリス。


 灰色の、時の魔女。



「御覧下さい。 あれが、時の魔女に御座います」
 


デリクが、震える声で「ブラブォー」と呟いた。


  
天を仰いだベイブが呟く。


「ああ…。 アレが、私の罪の証」
 その瞬間無防備に仰け反ったままのベイブの首筋に、長い髪を揺らして黒須が顔を埋め、深々と噛み付いた。



ベイブが、意識を完全に失い、黒須の腕の中に倒れこむ。
後で聞いたのだが、黒須の八重歯部分には、蛇の猛毒が仕込まれてて、噛まれると普通の人間ならば即死するが、ベイブには、丁度良い睡眠薬なっているらしい。
つまり、彼を強制的に眠らせたという訳なのだろう。
非力なのか、少しふらついた黒須を竜子が支え「とにかく、寝室に運ぼう。 あたいは、皆を食堂あたりに一旦案内するよ」と提案した。
 頷く黒須。
 ベイブを取り囲んでいた銀の文様は完璧に消え去り、揺れも完全に収まっていた。
 きつそうにベイブを運ぶ黒須の姿に同情したのだろう。
「なぁ、金蝉。 ちょっと運ぶのを手伝ってあげよう」と、翼が言ってくる。
 何だか分らない嫌悪感のせいもあって、黒須に近付きたくない金蝉ではあったのだが、真摯な翼の瞳に見上げられるとどうも分が悪い。
 一つ溜息を吐き出して、黒須の側に寄ると、何も言わずにぐいとベイブの片側の肩を持ち上げた。
「おお。 サンキュ」
 黒須が屈託のない声でそう礼を言い、「えーと、あんたは…」と戸惑ったように口ごもるので「桜塚・金蝉」と不機嫌な声でそう名乗る。
とにかく、この頭のおかしな王様をどこかに運ぶ手伝いをした後は、即効現世に戻してもらうつもりだった。
 翼が、金蝉の隣を歩きながら「僕は、蒼王・翼」と黒須に名乗っている。
「ま、災難だったな。 こんなに客人が多い日は、まぁ、そう滅多にあるもんじゃねぇんだ。 犬に噛まれたかなんかと思って、忘れてくれりゃあ、もう俺達とあんた達会う事もないだろうよ」
 そう言う黒須の言葉に鋭い視線を送れば、クッと喉の奥で笑って、「随分、そっちの兄さんはおかんむりみてぇだかんなぁ」と揶揄するように言ってくる。
 その粘つくような独特の掠れて高い声音すら、金蝉の神経を酷く引っ掻いて、顔を歪めて黒須から視線をそらすと「金輪際、こんな場所にゃあ来たかねぇよ」と吐き捨てるようにして答えておいた。
 ずるずると、ベイブの広い寝室に彼を運び、黒須が投げ出すみたいにして、彼をベッドに放り出す。
「くっそ。 手の掛かる赤ん坊だぜ」と毒づくと、黒須はポケットから煙草を取り出し咥えた。
「ごくろーさん。 マジ、助かった。 ちっとばっかし、あんたら現世に送る手筈整えてくっから、ちょっと待っててくれ」
 そう言いながら部屋を出て行く黒須。
 長い髪の揺れる後姿を見送っていると、翼が笑いを含んだ声で「金蝉、あの人の事嫌いだろ?」と聞いてきた。
 翼に視線を向ければ澄ました顔で「すぐ分るよ。 表情に出てた」と言ってくる。
「ま、僕もね、彼がっていうよりは、此処自体がどうも苦手だ。 あの竜子嬢は大変魅力的なんだけどな」と残念そうに呟く。
「気に入らねぇ人間なんざ、多すぎていちいち意識してらんねぇが、どうも、あいつは吐き気がする」
 そう吐き捨てるように言った金蝉に、少し笑い声をあげ「酷い言い草だな」と咎めるような、同意するような声で翼が言った瞬間「…それが…、アレの選んだ運命だ」と憐れむような声が背後から聞こえてきた。
 思わず顔を見合わせ、振り返れば薄く目を開いたベイブと眼が合う。
 先程の様子を思い出し、警戒態勢を取る金蝉に首を振ると、「覚えてはいないが、私が…ここで…寝ていると言う事は…何があったかは…大体分る…。 貴様らは、この城に…もっとも、居難い種類の…人間なのだろう。 安心しろ。 竜子が…お前らを送ってくれる…。 誠は……人の感情に聡い…。 ああいう、生き物故だろう。 臆病なまでに聡い…」と静かな声で呟いた。
「ああいう…生き物?」
 そう問いかける金蝉に、「…悲しい生き物だ」とだけ言葉を返す。
「私も…千年の呪いに縛られた…哀れな存在といえば…そうなのかも知れぬが…アレも、異端を愛したが故に…異端にならざる得なかった……」
 ベイブは虚ろにそこまで言って「ククッ」と小さく笑うと、「貴様らには、何の関わりもない事ではあったな」と口を噤んだ
 翼は、少し逡巡したような表情を見せ、それから「…すまない」と小さく謝る。
 不思議気に見上げるベイブに「何も知らない内から、他人を貶めるような事を話すのは、狭量な人間のする事だった。 すまない」と誠実な声音で詫びる。
 そんな翼の、彼女らしい率直さを呆れたような眼差しで見下ろせばベイブが、「…いや、お前達を責めた訳ではない」と言い、そして「もう一度言うがそれが、アレの運命で、不可抗力な現象なのだから」と静かに呟いた。
「…千年の孤独を…少しでも紛らわせる為に、アレと竜子を引き入れたのだが…、孤独というのは…厄介だな」
 薄く笑ってベイブが、翼を見る。
「…誰か他の人間といるときの方が、よりくっきりと浮び上がる」
金蝉は、退屈極まりないその言葉に、一つ溜息を吐くと、「所詮、人間なんざ、生まれてから死ぬまで一人だろうが」と言い、「お前がどんな苦しみの只中にいようが、知ったこっちゃねぇんだ。 まぁ、せいぜい、千年間好きなように生きろとしか言いようがねぇな」と金蝉は言う。
 薄く笑うベイブ。
 そして、翼を見上げ「だ、そうだ」と何処か、冷酷な声で言う。
「私は千年だが…お前はどれほどの年月になるのだろうか…ね? この男は、置き去りにするぞ? お前は、間違いようのない一人にならざる得ない訳だ…」
 ベイブの言葉に、翼がサッと青ざめ唇を噛んだ。
 翼が、傷付けられた。 
そう感じ、反射的に金蝉はぐいと、ベイブの胸倉を掴む。
「ふざけた事を抜かすと、死ぬまで殺してやる」
 その脅し文句に、無表情なままベイブは手を打ち「面白い言い回しだ。 是非、あと七百年ほど吐き合って頂きたいものだ」と言い、そして翼に囁いた。
「方法はある…」
 翼が、ベイブを見つめる。
「あと八百年程なら、この男を永らえさせる事の出来る方法だ」
 金蝉は思わず硬直した。
 ベイブは、ぞっとするような光を目に宿らせ、少し狂気の滲んだ声で言った。
「もう、その方法は、誠と、竜子には実行してあるんだ」
 翼が、掠れた声で聞く。
「…どういう方法?」
「此処は、千年王宮。 千年経たねば滅べないお城。 私が、この城から殆ど出れないのはな…、この城こそが、呪いの全てであるからなんだ…」
 金蝉は、ベイブの能面のように真っ白な顔に、言いようのない怖気を感じた。




「つまり、この城にいる限り、その人間の身体には一秒たりとも時間は流れないという訳だ」



翼が、ゆっくりとへたり込む。
金蝉は、まるで汚いものに触れていたかのようにベイブから手を放した。



狂っている。



「竜子と、誠は、私の奴隷だ。 その気になれば、この城から出れなくする事も出来る。 大体、生活の基盤が此処にある以上、今、あの二人の年を取るスピードは、時たま私が外に出るのを許した時に位しか、身体の上に時間が流れないが故に、遅々たるものになっている筈だな」
翼が震える声で、ベイブに問うた。


「そ…それを、あの二人は、知っているのか?」


ベイブはゆっくりと首を振り笑う。
「今は知らない。 だけど、いつか…遠いいつか気付く。 私がその気になれば、あいつらは私と同じ時間を生きねばならぬようになる事を。 今でも、そう、通常の人間よりずっと遅いスピードで老いている事を。 その時のね…二人の顔が楽しみなんだ。 いや。 竜子は…竜子は、まだ若いし、女の子だから、可哀想だから、許してやっても良いんだ。 アレは、厳密に言うと現状を自分で選択したとも言い難い子だからな…。 だが、誠は、ダメだ。 アレは、もう決めた。 アレは、全部自分で選んで此処に辿り着いた…。 だから、許してやらない。 私と、同じ、時間を生きてもらう。 今の絶望に…、更なる絶望を重ねて…な」

 そして、翼に向ってこれ以上ない程陰惨な視線を向けると「だからね、この男、この王宮に閉じ込めれば、お前、八百年ほどなら永らえさせる事が出来るよ」とそこまで言い、カクリと首を傾げる「でも、駄目だな。 許してやらない。 お前たちなんていらない。 だって、お前達は健全すぎる。 この世界にはあまりにそぐわない。 それに、誠の事虐めるだろう? いいや。 誠と竜子がいるから、お前らなんかいいや」と言い「ざまぁみろ!」と子供の声で喚いた。


 金蝉は、黒須誠という人間には嫌悪感しか抱けなかったし、竜子という人間に対しても何の思い入れもなかった。
 なかったが…それでも、この、他人の人生を勝手に弄繰り回す言動が許しがたくて、どうしても苛立ちが抑えきれなくて、思いっきり、ベイブの顔を殴り倒していた。



 漸く外に出れた二人が、ゆっくりと街道を歩いている。

「ベイブから聞いた事、竜子さんに言わなくて、良かったんだよ…ね?」
 翼が、青い顔で此方を見上げて問うてくる。
「言ってどうなる。 もう、どうしようもない場所にいるんだろう? 下手に絶望に早めるような真似はしない方が賢明だ」
金蝉はそう答えながらも、それが正しかったのか、迷っている自分を見つける。
自分達を送り出してくれた時に笑顔で「面倒掛けたな!」と言ってくれた、竜子の笑顔を思い浮かべる。
派手な化粧で分らなかったが、あれはまだ十代の少女の笑顔だった。
しかし、やはり所詮は他人事だ。
自分がアレコレ口出しすべき事ではない。
何も知らず、自分達が正常な時の流れから取り残されてしまったあの二人の事を思い浮かべ、黒須に対してはともかく、竜子に対しては微かな同情心を覚えた。
何だかもやもやした気持ちが晴れず、金蝉は珍しく自分から「…少し歩いて帰るか」と提案してみる。
同じ気持ちだったのだろう。
「いいね。 じゃあ、駅の近くに出来た新しい喫茶店でも覗いてこない?」と提案する翼。
 熱いコーヒーでも啜れば、今の気持ちも少しはほぐされるかもしれない。
 そう考え、金蝉は深く頷いた。
 


end



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2414/ 鬼丸・鵺  / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3342/ 魏・幇禍  / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】
【3356/ シオン・レ・ハイ  / 男性 / 42歳 / びんぼーにん(食住)+α】
【1271/ 飛鷹・いずみ  / 女性 / 10歳 / 小学生】
【3427/ ウラ・フレンツフェン  / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【2916/ 桜塚・金蝉  / 男性 / 21歳 / 陰陽師】
【3060/ 新座・クレイボーン  / 男性 / 14歳 / ユニサス(神馬)/競馬予想師/艦隊軍属】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】

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■         ライター通信          ■
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お久しぶりの方も、初めましての方も、今回は「お願いBaby!」御参加いただきまして有難う御座います。
ライターのmomiziで御座います。
今回は、久しぶりのOMCな上、初自NPC登場でのゲームノベル挑戦って事で色々あわあわしてしまいました。
何だか、参加して下さった方のブレイングの着地点が皆さん同じ感じだったので、集合ノベルにしてみたり。
とはいえ、例によって個別に近い形で書かせてもらってるので、どの話を読んでもらっても、新鮮な楽しみ方が出来ると…えーと、いいな?(弱気)

半年振りの執筆に些か戸惑いもあったのですが、何とか書き上げる事が出来ました!
ではでは、また、今度いつ書けるのか分りませんが、これにて〜。


momiziでした。