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<東京怪談・PCゲームノベル>


お願いBaby!


〜OP〜


嗚呼、嗚呼、嗚呼、こんな場所に来てしまって。

君は…トム・ソーヤか…それとも、アリスか?

君の好奇心が、この王宮の扉を開く鍵となったのか?
無邪気に、さまよい歩いて此処まで来たのか?
ならば、猫をも殺すの言葉通り、その身を一思いに喰らうてやろうか?


それとも…、


違うのか?
切なる願いを抱えているのか?
それは、千年の呪いに匹敵する願いなのか?


動かしてみよ。


私の心を。
君の言葉が、私の心を動かせば、或いは…。

嗚呼、或いは、この王宮で飼っている、大事な「奴隷」を貸してやらない事もない。
それとも、この孤独の王の力、奮ってやらない事もない。

さぁ! 言葉を!
私の退屈を癒す言葉を………頂戴。




本編




 急なバイトだった。
 本業の邪魔にならない程度にと気をつけていたのだが、どうしても自分の手がいるという事で、旦那様の許しを得て出た出張だった。
 バイト期間中に実は、鵺と前から遊ぶ約束をしていたのだが、すっぽかさざる得なかった。 
 いつもの自分だったらそんな事はしない。
 しないが、その時はどうしようもなかった。
だが、そこまでだったら良かった。
帰ってきてからでも良い。
何度も、謝って、機嫌を取れば、案外単純なトコがある鵺は、何か甘い物でも奢る事で、きっと許してくれただろう。
だが、デートの約束が果たせないと知った時に、かなり膨れ、文句を言うてきた鵺を可愛いと思ったのがいけなかったのだ。
「もう、幇禍君なんか知らない!」
 そう言われ、何だか幸せな気分になる。
 危ない…だなんて、誰にも言えはしないであろう。
 むしろ、一つも残念がれらない方がずっと寂しいし、恋人に「もう、知らない!」だなんて可愛く叱られて、胸が痺れる事のない男性諸君はいない筈なのだから。
 で、幇禍は、少し調子に乗った。
 うっかり、「デートに行けなくなった時間の分、英語の課題を出していってあげます。 このテキストを、俺だと思って…」とかなんとか言ってしまっていた。
 で、三日間の出張から帰宅してみると…。

『探さないで下さい』

 英語のテキストの、課題出題ページに描かれた紛う事なき血文字を見て、思わず床に膝をつく幇禍。


「お、おお、おじょーーさぁぁぁぁああああん!!!」


悲痛な叫び声が屋敷に木霊する。
 然し、屋敷勤めの人間達は、一週間に一度は響き渡っている、幇禍のその声を聞いて「またか…」としか思わなかったそうだ。


「ううう、役立たず、へぼ探偵のトコにもいないし、お友達の家にもいないし、ど、何処行っちゃったんですか? お嬢さん…」
 そうブツブツと呟き項垂れながら、幇禍が街をさ迷い歩く姿は、さしずめちょっと危ない人?という風情もあったが、正直、鵺の事となると周りの世界が目に入らない幇禍からすれば、他人の目ってなぁに? 世間って美味しいの?ってなもんで、グルグルとめぼしい場所は探し尽くし今は溜息を吐きつつ、屋敷への道を辿っていたりする。
「やはり、旦那様にお聞きするべきか…」
 そう小さく呟くが、慌てて鵺を探し出す為に屋敷を飛び出す幇禍の背中に「婚約者の機嫌は、もっと巧く取んなきゃ駄目だよ〜」とか言ってくれちゃってた、あの主の事だ。
(多分、お嬢さんの居場所知ってるけど、絶対に教えてくれない!)と確信し、なんで、あの親子は、義理の親子の癖にイケズな性格ばかり似通ってるのかと、「キーッ!」と一声上げて、白いハンカチでも噛んでやりたい気分になる。
 そのまま、足早に帰路を急ぐ幇禍の背中が、何だか覚えのある気配を察して、チリチリと痺れた。
「うん?」
 そう言いながら辺りを見回す。
 確かここら辺には、幇禍の行きつけの店になっている屋台「和音」が出てると思うのだが…。
 そう思いながら何とはなしに、店の方向に目を向ければ「わ、いた」と、何だか珍しい動物を見かけた時のような声をあげてしまった。
 猫背の、おっさん臭くもみっともない背中が、和音の暖簾の奥に見えている。
 その背中だけなら、大して特徴のないもので、夕方の酒場なんかではたくさん見かけられるものと同じだったろうが、唯一、会社勤めの人間ではないだろうと分る特徴が、彼の背中に流れ落ちていた。
 日の光を弾き、まるで生きているかのように艶やかで美しい黒髪。
 是だけおっさん臭い背中をしているのに、そんなに綺麗で長い黒髪有している人間などそうはいまい。
 彼に間違いないだろうと思いつつ、近付けば「くっそ、何が、3番、鉄板だ! 押し切りスピードで複勝は確実だ! もー、信じねぇ! あそこの競馬新聞は買わねぇ!」と、店の主人に、独特の高めの掠れ声で愚痴る声が聞こえてくる。
 うん、間違いない。
 そう確信しつつ、「お久しぶりです」と、近付き声を掛ければ、男は大袈裟なまでに肩をビクつかせ、それからソロソロと此方を振り返った。
「えーと、黒須さん…ですよね?」
 険の強い、吊りあがった細い目を見返しそう聞けば、「うん? あ、えーと、そうだ、魏…幇禍? 幇禍…であってたよな?」と、問い返してくる、
「当たりです」と笑顔で答え、相変わらずの、胡散臭いという言葉をそのまま体現したかのような、堅気の人間でないフェイスに「昼間から酒だなんて、駄目な大人の見本みたいですね」と言いながら隣に腰を降ろす。
 まぁ、滅多に会えない珍しい顔を、こんな場所で見かけたのだ。
 鵺捜索にも万策尽きたという状態だし、ちょっと話でもしていこうか、と思いながら、「おじさん。 熱燗」と注文する。
 鵺を探しまくって、精神的にもいい加減疲れていた。
 所謂、「呑まなきゃ、やってらんない、ヤサグレ気分」状態にあった幇禍としては、良い呑み相手を見つけたといった所だろう。
 黒須は、苦笑を浮かべ、「昼間っから呑むのはお前も一緒じゃねぇか」と言いつつ、幇禍のお猪口に酒を注いでくれる。
 とろりと甘い酒に舌鼓を打ち、適当なつまみをニ、三品注文した後、「で、あんた最近はどうなんです? あれから調子は?」と聞けば「んー、まぁ、アレだ、少なくとも、今まで過ごしてきた生活とは全く違う日々を送れてはいるやなぁ」と、つまらなそうに答えた。
 此処とは全然別の世界の住人…らしいのだが、どうもそうは見えない。
 黒須の傍らにあるのは、丸めて置かれた競馬新聞。
 耳には、もちろん赤鉛筆が差してあり、どう見たって休日チンピラというか、物凄く所帯じみてて泣けてくる。
 俺、そういや、この人と一応、死闘(?)みたいなのも繰り広げたんだけどなぁ…?と、 半年ほど前の出来事を思い出してみる。
 あの時、結構手練だった彼に意表を付かれたのは、日常がこんな風に、確実にヘタレそのものな風情だったからかもしれない。
 まぁ、こういう人が、ああいうモノに変身しちゃうってんだから、世の中面白かったりするのかな?と、先日、生首から黄金龍へと華麗な変身を遂げた少女の事等を思い浮かべてみたりする。
「んで、お前は、どうよ? 元気?」
 そう問われ、思わず顔をくしゃりと崩し「それがですね、もう、散々って言うか、ちょっと聞いて下さいよ〜〜」と言いながら、今日の出来事を話した。
 意識せずとも、長々と愚痴ってしまう幇禍。
「仕事から帰ってきて、世界一可愛い婚約者の、世界一可愛い笑顔でも見ようと、お土産も沢山買ってきたのに『探さないで下さい』ですよ?」
 そう言えば、「むしろ、美形に生まれて、14歳も年下な美少女婚約者のいる人生勝ち組なお前の愚痴なんざ聞きたかないよ」と、黒須に素の声で言い返されるが馬耳東風。
「もう、可愛さ余って可愛さ百倍とはこの事ですよ!」と、「え? それって、結局凄く可愛いって事だよね?」ってな事を言い、幇禍がテーブルを叩く。
「ま、女はな、一遍怒らせたら、ほんと、後が怖ぇっつうか、霧華も、うっかりあいつの誕生日に同僚と呑みに行って深夜帰宅した時とか凄かったからな…」
 そう遠い目をする黒須に興味を惹かれ「何があったんです?」と問えば、「ふふふ…。 何か、ラミアの姿になって玄関先に仁王立ちでさ、そのまま風呂場に引きずり込まれて…、それからは、浴槽に張られた熱湯…、巻き付かれて窒息…、剃刀…、手錠…、荒縄…」と、彼は遠い目のまま、虚ろな口調で明らかに怖いキーワードを呟き続ける。
 深く聞けば、何だか、物凄く怖い世界を覗くハメになりそうで、何も言えないまま(俺、鵺お嬢さんの婚約者でホントに良かった)と我が身の幸運を噛み締める幇禍。
「…とにかくな、女は怒らせないに限るぞ。 絶対」
 そう心からの声で言われ、それは日頃から痛感している幇禍も深く、深く頷く。
「竜子もな、怒らせると面倒で仕方ねぇからなぁ。 アイツ、一応俺と同じ立場の癖しやがって、ベイブにまでズケズケ説教かますからな」と言う黒須に「そっか、アレですもんね。 奴隷ですもんね、お宅ら」と何だか嬉しそうにそう言ってしまう幇禍。
 そのちょっと浮かれた声に、半眼になって「おっまえ、他人事だと思って、そういう風に言うがな、ほんと大変なんだぞ? あの腐れ王様は、何考えてんだか底知れねぇし、我儘だし、竜子は竜子で、うるせぇし、いらん事ばっかりしでかすし、『千年王宮』の住人だってとんちきな奴らばっかしで、俺はあそこでの生活に、どれ程神経すり減らしているか…」と、憔悴した口調で言う。
「ま、所謂『奴隷生活』ってやつですからね。 お察しします」と全く口先だけだと丸分りな口調でそう言った後、「でも…」、と幇禍は言葉を続けた。
「でも、そうなると職業・奴隷って事になる訳で、それって、何かむしろ、素敵過ぎて笑い死にしそうになるんですけど…、ま、俺だって、結局は雇われって立場は変わってないし、お嬢さんは自分の雇い主である訳だし、……だからね、考えてみれば俺も大差ないっちゅうか、職業・奴隷に等しいのかなぁって、あんたとは、そう言う意味でお仲間?みたいな感じなんですけどね。 ま、俺の場合は、フフ、『恋の奴隷』みたいな? みたいな?」
 そう言い、「お! 俺、巧い事言った! 座布団一枚?」みたいな気分になるが「や、凄い、得意げだけど巧くない。 その言い回しは巧くない。 何か、満足感得ているみたいだけど、それは全然巧くない」と、黒須が冷たく一刀両断してくる。
「え〜? そうかな?」と、反論しようとした時だった。
肩をポンと叩かれ、「お久しぶりね。 幇禍さんとは、えっと、温泉以来か…。 鵺ちゃんは元気? ってか、珍しい組み合わせで昼間っからお酒呑んじゃって、どうしたの?」と女性の声が頭上から聞こえてきた。
首を仰け反らせるように仰ぎ見れば、シュライン・エマが微笑を浮かべて立っている。
そのまま、黒須の隣に腰掛けた彼女に、「わ! エマさん、どうしたんです? こんなトコで」と聞けば「それは、私の台詞よ」と言い返された。
それからエマは、隣の黒須に目を走らせ、「そっちも、変わりないみたいで」と言う。
「お互い様だろう」と、黒須が滑るような口調で言い返せば、エマは相変わらずみたいねというように小さく笑って、「で、どうなの? 『千年王宮』の、ほら、あの人、えーと、ベイブ、うん、ベイブさんとか、竜子ちゃんはどうなの? 元気にしてるの?」と問い、それから、店の主に「えーと、ウーロン茶とかありますか?」と聞いた。
 流石に、ダメ男二人の如く、昼間っから酒を呑む気はないらしい。
程なく白い陶器のコップに注がれたウーロン茶を出され、嬉しげに啜るエマ。
 そんな彼女に「ああ、どっちも元気っちゃあ、元気だよ。 ま、あの、腐れ殿様なんかは、病気ですらしようがないんだから、むしろ、元気じゃなくなりたいかもしれないがな」なんて、憎々しげに黒須が答える。
 どういう意味なのだろう? 少し気にならないでもなかったが、それよりもエマに、自分の行きつけであるこの店の良さを知って貰いたくて、幇禍は嬉しげに「エマさん、何か食べます? 此処、明太子お好み焼きが絶品なんですよ」と教えた。
「へぇ、そんなの作ってくれるんだ。 じゃ、それお願いします」と、店の主に告げ、それから、「で、何話してたのよ二人で?」と、エマが会話の水を向けてくる。
エマにも、鵺の話を聞いてもらおうと、「や、それがね、聞いて下さいよ〜〜」と、幇禍は待ってましたと言わんばかりの口調で食いつき、黒須が「やめとけ、やめとけ。 コイツ、話長ぇぞ?」と、げんなりとした口調で言いながら、目の前のイカ焼きをつついた。
 エマは、黒須の言葉に苦笑し、それから、「で、どうしたのよ?」幇禍に聞いてくる。
ここぞとばかりに、婚約者兼生徒である鵺への愚痴を話そうと、「もうね、報われないのとか、そういうのには慣れっ子なんですけどね、危ないトコに一人で突っ込んでいったり、無茶ばっかりするのだけでも、何とかして欲しいと思ってですね…ほんと、目を放していられないというか、落ち着かないというかね…」と、少し酔っちゃったかな?と自分でも気付ける位のロレった口調で言い募った後、「でもね、今回は、俺が悪いんです。 絶対的に俺が悪いんです。 一緒に遊びに行く約束してたのに、急な仕事で、すっぽかしちゃったから…」とやっぱり反省してしまい俯く幇禍。
然しエマは、どうでも良いと思ってるんだろうな…と分る風情で、出されたお好み焼きを「あ、ほんとだ、結構美味しい」とか言いながら、口に運んでいるし、黒須は黒須で、「あ、コレもつまんでみろよ。 茄子の浅漬け。 かなり、イケんぜ?」と、エマに薦めたりしちゃっている。
だが、幇禍はそんな二人の様子にへこたれる事もなく、グズグズとした声で「ね、コレ見て下さいよ。 こんなん迄残して消える事ないじゃないですかぁ」と言いながら、英語のテキストの血文字の残されたページを二人の前に差し出した。
とりあえずという感じで覗き込む、エマと黒須。
そして、当然だが、そのまま、二人硬直する。
「えっと、えーと、こ、これって?」
そう震える指で指し示すエマに、「お嬢さんの書き置きです」と、あっさり答える幇禍。
「もう、こんなもん残して何処に消えたのやら。 俺、朝から探し回ってんですけど、一向に見つかんなくって…」と、また愚痴の続きを始めようとする幇禍を、エマは慌てて止めてきた。
「うん、ちょっと待って、待て。 ストップ。 えーと、まず、聞きたいんだけどね、普通の女の子がね、こういうものを残して消えたとなると、正常な感覚を持つ人間としてはね、『え? もしかして、この子このまま、樹海の奥とか、東尋坊とか、虹の大橋とかで、命を絶つつもりでは?』とか思っちゃうもんなんだけどね…」
「や、それはないです。 だって、お嬢さんですし」
「そうよね。 鵺ちゃんだものね」
 そう訳の分からない安心の仕方をし、「じゃあ、この血みたいなものも、ケチャップとか、絵の具とかそういうのか。 なんか、ほのかに鉄臭いんだけど」と笑顔で聞いてくるので、「いえ、それは、ばっちりお嬢さんの血です」と笑顔で返しておく。
 興味深げに、血文字を指先で触っていた黒須が慌てて指を引っ込め「は?! マジかよ?」と、問うてきた。
「はい、お嬢さんは、変なトコで、リアリティを追求するこだわり派な方ですから、そういうアイテムでは手を抜きません。 間違いなく、お嬢さんの血です。 ほんと、そういう意味では、お茶目な方なんですけどね…」
 そう言う幇禍に「ねぇ、私の知ってるお茶目って言葉の意味と、幇禍さんの言う、お茶目って言葉の意味に、大きな隔たりがあるような気がするんだけど?」と、エマが小声で黒須に問い掛けている。
黒須も、小声で「俺も、同意見だよ。 てか、アイツのお茶目の範囲は何処まで広いんだ」と呻いていて、(えっと、俺の言ってるお茶目って世間の基準と違うのかな?)と一瞬不安になりながらも、「でね、お嬢さん、前まで風邪ひいてましたし、病明けなんだから、ほんと、早く連れ戻したいんですけど…何処にいるかなんて知りませんよね?」と、エマに聞いた。
 そんな幇禍の質問に首を振り、「私は見かけてないわ。 興信所にも行ってみたの?」と聞いてくるので「ハイ。 真っ先に訪ねたんですけどね…。 それに、お嬢さんのめぼしい友人の家も…」と答える。
「そっか…。 じゃ、完全にお手上げ。 ごめんね、お役に立てなくて」と侘びられ、ガクリと肩を落とすと(うう、ほんとに、何処にいるんだろ?)と、途方に暮れたような気持ちになった。
 だが、エマは、呑気にウーロン茶を啜っているし、黒須も、「ま、その内見つかるさ。 中学生のガキなんざが行けるトコなんて、そうねぇんだからな。 案外、もう、自宅に戻ってのんびりしてるかもしんねぇぜ?」なんて気楽な事を言ってきて、幇禍は思わず「何て、相談し甲斐のない人達なんだろう」なんて呟いてしまう。
 三人の上を、轟音を立てて電車が通り抜けていく。
「相談ねぇ…。 ま、相談どころか、ウチの、あの腐れ殿さんなんかに話しゃあ、とんでもない事態にしちまうだろうけどね」
そう、熱燗を啜りながら、薄く黒須が笑う。
「え? なぁに? ベイブさんって、相談所かなんかやってらっしゃるの?」
 エマの問いに「もっと、性質の悪ぃもんさ」と、黒須が答える。
「あいつは、ある事情があって、一定の時間しか、こっちの世界に来る事は出来ねぇんだ。 で、そういうせまぁい世界で、えらい事長い間いるせいか、大層な暇人でな。 時折、思い出したみてぇに、『千年王宮』とこっちの世界を繋ぎやがる。 俺や、竜子は鍵があって自由に出入り出来るし、鍵がある以上『千年王宮』っていう空間が、俺らに牙を剥く事はねぇんだが、鍵を持たない人間に対する『千年王宮』っちゅうか、『千年王宮』の住人達の反応は千差万別だ。 中にはとんでもなく凶暴な奴もいるしな。 そんでも、中にはベイブのいる、王座まで辿り着く奴だっている。 で、そういう奴の『願い』を、そん時のベイブの機嫌が良ければだが、叶えてやってんだ。 つっても、あくまで機嫌が良ければで、しかも、俺や竜子を使ってな。 ま、唯、願いもなぁんもねぇのに、気まぐれで繋げられた王宮に迷い込み、そのまま神隠しに合っちまうような、気の毒な奴だっているだろうし、俺としては、そうゆう事止めろよと、言ってはいるんだけどな」
 そこまで言って、自嘲するような笑みを浮かべて「ま、ご主人様のする事に、奴隷風情が口出し出来る訳はないと、そうゆう訳よ」と、吐き捨てる。
 そこまで聞いて、フト幇禍、ある考えが頭の隅を掠めるのを感じ、黙りこくって、思考の淵に沈んだ。
(願いを…叶えてくれる?)
 黒須のその言葉が、妙に心に引っ掛かる。
 そんな幇禍を余所に、「何か、やっぱり苦労してるみたいねぇ」と、エマが黒須に同情するように言えば、「おうよ。 サラリーマン時代にも、そんなに肌に合ってなかった階級制度が、まさか、こんな風にもっと厳しい世界での生活を余儀なくされるだなんて、考えてもみなかったからな。 人生どう転ぶか分かったもんじゃねぇなぁ…」と、彼はしみじみとした調子で言い、それから、ちょっと笑って「てか、同情してくれてるのか?」とエマに聞いた。
 彼女はその言葉にフフンと笑って「ま、ね。 幾ら見た目、ヤクザで、明らかに堅気の人間じゃなくて、真実を知り、髪等の特徴とか考えると、むしろ下半身蛇の姿の時のが違和感ないよね?ってくらい、色んな意味で胡散臭く、不気味な印象を拭えない人でもさ、可哀想だなとは思うもの」と、きっぱり告げる。
「「うわぁ」」
 思わず幇禍ですら、その言葉の痛さに顔を歪め、同じタイミングで圧倒されたような声を発すると、黒須は「よく言うぜ。 あの姿になった時にゃあ、あんだけ騒ぎまくってくれたのによ」と、半年前の出来事を指し、呆れたように言った。
 すると、エマは、「そうなのよねぇ、おっかしいな、おかしいなって、それは思ってたの。 私って基本的に、生き物に苦手なのはいないっていうか、ゴの付くあの忌々しい、多分ノストラダムスの言ってた大魔王って、ああいう生き物の事差してるのよと断言できるくらいに気味の悪い黒い生き物以外は、嫌悪感抱かない人種だから、爬虫類もね、鱗の感じとか綺麗だなぁって頬ずり出来ちゃう位平気なんだけど…」と、言いながら、黒須の人相の悪い顔をマジマジと見上げ溜息を吐き、「あの時っていうか、あの事件の中で、貴方の姿に嫌悪を抱いたのはね、大蛇に抱いたんじゃなくて、多分、心底貴方の事が気に入らなかっただろうなぁという結論にね、達したのよ」と、言い放った。
 わぁ、剛速球、ストレート、300km、メジャーリーガー並!と、感嘆するような言葉の暴力に、幇禍は最早、尊敬の念すらエマに抱いてしまう。
 夏の頃の経験もあって、人間として大人の女性としてエマを、高評価していた幇禍であったが、此処まで凄いとは…と、圧倒されるしかない。
 そんなエマの口撃に、黒須は憔悴した表情で「なぁ? なぁ? そんなに、俺の事嫌いか? あの一日やそこらの付き合いで、そんな嫌いになれたか?」と聞けば「そうなのよねぇ…。 ほんと、不思議な位! やっぱさ、合わない人はとことん合わないんだなぁって、一目惚れがあるように、一目嫌いもあるんだなって深く知る事の出来た一件だったわ」と、うんうんと頷き、「さて、私は、そろそろ、興信所にでも戻ろうかな」と言いながら立ち上がりかける。
 黒須はエマにヒラヒラと手を降り「へぇへぇ、せいぜい、あの甲斐性なしの彼氏にでも宜しく言っておいてくれ」と言うと、「さ、俺も、戻るかな」と、一つ伸びをする。
 だが、幇禍としては、先程、少し思いついたこれからの行動を、どうしても実行したくて、咄嗟にその伸び切っている黒須の腕と、それから立ち上がったエマの服の裾をハシッと幇禍が掴んでしまっていた。
(願いを叶えてくれるって事はさ…人の望みを聞いてくれるって事で…それって、人生相談に乗ってくれるって事だよな? と、するとだ、俺のお嬢さんへの悩みだってきっと、この二人と違って親身になって聞いてくれるし、巧くすれば、お嬢さんの居場所だって教えてくれるかも…!)
 幇禍という人は、とんでも娘鵺にすら「幇禍君って、頭は凄く良いのに、時々凄く馬鹿よね」と言われる位、突拍子もない思考回路をしてる男だったりするのだが、この思いつきは、今までのとんでも思考の中でも、トップ3に入る位には、物凄くとんでもない思い付きであった。
 あの、訳の分からない、たった一度しか会った事のない、その一度の出会いも、どう考えたってこの人ヤバイ人だろう?としか思いようのない、ベイブという男に、恋愛相談を持ちかけようとしているのだ。
 怖いものしらずを超えて勇者である。
 七つの海に冒険の旅に出て然るべき位の、勇者っぷりである。
 だが、そんな自分の凄さになど全く気付かず、幇禍は黒須に向って、「行きたいなー」と小さく小さく呟いた。
「は?」
「千年王宮行きたいなぁ」
「はい?」
 黒須が、裏返った声で問い返す。
 まるで、父親に遊園地に行きたいと強請る子供とそう変わらぬ口調で「千年王宮行きたい」と繰り返せば一瞬、黒須とエマは顔を見合わせ、その刹那、何故か、エマはわたわたと、幇禍の手から逃れるべく身を捩った。
 そして、これまた何故か、「あ! てめっ! 逃げる気だろ!」の声と共に、黒須が逃がさないとばかりにエマの肩を掴む。
傍目には、強引に誘われている女性に見えなくもないが、その実情は何というか、もっとしょぼい。
「ちょっ! 放して! 私は、今から、武彦さんとこで、美味しい桜餅を食べるの! ちゃんと、そうやって決めてきたの! だから、ちょっと、放しなさいよ!」
 そう子供の駄々のような事をいって、逃げようと必死になるエマに「分かった! 行って良い! 何処へでも行って良いから、コイツも一緒に連れてってくれ!」と幇禍を押し付けようとする。
 どうして、そんな扱いを受けるのか、心底分らずむくれて、「何ですか、二人して、俺をお荷物みたいに…」と言った後、エマの言葉に耳を止め、「っていうか、エマさんは桜餅を持ってるんですか。 うわぁ、楽しみだなぁ。 じゃ、俺は、ここのおでんを持ち帰りにしようかな? あと、焼酎! 此処、結構珍しい銘柄置いてあって、頼めば譲って貰えるんですよねぇv どれにします?」と、幇禍はゴーイングマイウェイに話を進める。
 すると、二人が動作を止め「空気よめよ!」と、ある意味当然の突っ込みを入れてきた。
 もう、何が何だかっていうか、大の大人三人が小さな屋台の前で大揉めに揉めている姿はみっともない以外の何者でもない。
「だ、大体、楽しみだなぁって何よ? 桜餅はね、興信所で頂くんであって、『千年王宮』とか何とか言う、意味の分かんない場所で食べるつもりはないの! 私は、もう、此処で、帰るの! 帰りたいの!」
 そう主張するエマに、「だって、黒須さんと二人ぼっちで、そういう訳分かんない場所行くの、ちょっとドキドキっていうか、恥ずかしい感じじゃないですか。 ほら、向こうの住人の方にすぐ、馴染める自信ないし。 だから、一緒に行って下さいよ」と、暢気に言い、店の主に適当なおでんの具を、保温パックに詰めて貰う。
「どーんな、人達が、いるのかなぁ」
 そんな風にウキウキしてる幇禍とは対照的に、青ざめ、焦りまくるエマと黒須。
「ちょ、ちょっと待て、ちょっと待てよ? 俺は、ひとっことも連れてくだなんて言ってねぇっつうか、馬鹿、おい、やめろ! そんな行く気満々な感じで、おでんを注文するな。 焼酎も買うな! 連れてないぞ、俺は連れてかないからな!」と黒須が喚く。
 そして、縋るようにエマを見て「お前も、何とか言ってくれよ!」と言うが、エマは「そっちは、そっちで、解決してよ! 私を巻き込まないで!」と冷たい事を言い、それから再び何とか、幇禍と黒須から逃れるべく、わたわたと暴れている。
 だが、幇禍にしてみれば、どうしてエマがそんなに嫌がるのか、黒須が幇禍を連れてってくれないのか、全く見当付かなくて「変な二人」と考えつつ「あ、卵もう一個入れて下さい」と注文を続けるのであった。


「まぁ、ね、あの展開だと、このオチだろうなぁとは、目に見えていたのよ。 うん、分かってた、分かってた」
 エマが、疲れきった表情と口調でそう呟いている。
 そして、黒須に「ねぇ、何で私まで連れて来たのよ」と、虚ろに笑いながら聞いた。
黒須も虚ろに「へへっ」と笑いながら「正直、俺一人だけで、あいつの相手を出来る自信がなかったし、女がいた方が、ベイブもそれ程、無体な事をしでかしゃしねぇだろうからな」と答える。
幇禍にしてみれば、見た事もない楽しい場所に連れて来て貰えた喜びで胸が一杯になっていて、何でこんなに、黒須とエマがしんどそうな顔をしてるのかなんて、是っぽっちも気にならなかった。
 黒須の身体はこの世界に来る為に、半身蛇の姿になっていて、おどろおどろしい姿に、「こっちの姿の時の黒須さんとも、一度お手合わせ願いないなぁ」とか、好戦的な事を考えてみる。
 だが、そんな幇禍の気持ちなど知らぬ気に、「大体、お前、自分だけで逃げようだなんて、冷たいにも程があるってもんだ。 こうなりゃ、トコトン付き合って貰うからな」と、弱り切っているような声でエマに黒須は言っていた。
 勿論、黒須を弱らせ、エマを疲れさせている最大の原因が自分だなんて事は、この幇禍、全くと言って良いほど理解してない。
なので、なーんの気兼ねもなく彼は、期待一杯の眼差しでゆっくりと周りを見回した。
 乳白色の大理石の壁に覆われた宮殿の床には、真っ赤な絨毯が敷き詰められている。
 天井に垂れ下がった煌くシャンデリアが目を射、壁一杯に並べられた本棚には、こんな時でなければ、飛びついて貪り読みたくなるような海外書物の原書が並べられている。
 黒須が、何をどうやったのかは覚えていない。
 昼が過ぎ、夕闇が迫る頃、人気のない広場まで連れてこられ、突如幇禍に「何か良いモン持ってねぇ?」と聞いてた。
 幇禍は、一瞬その言葉の意味を図りかねたが、そういえば…と思い出し、「ああ、そうか、蛇になんないと、扉を開けられないんでしたっけ。」と、ポンと手を打って、「夜限定じゃないと変身出来ないそうですけど、大丈夫ですか?」と黒須に聞く。
黒須が、空を見上げ「ま、この位まで日も暮れれば大丈夫だろう」と言ったので、素早く、躊躇う事無く、まさにプロの技を発揮して「了解しました。 じゃあ、コレで」と言いながら、その胸に、いつもの仕込み場所から取り出した大振りなナイフを突き立てた。
 黒須が目を剥き「お、まえ、そういう事、する前に、ちゃんと、一声掛けるとか…」と、息も絶え絶えと言った調子で告げながら、引っくり返る。
 ずぶりとあっさりナイフを抜く、幇禍。
 見る見るごぼごぼと胸から血が流れ出て、黒須の顔も土気色になる、それから瞬きする間もなく、彼は「下半身大蛇」の化け物に変化した。
「いってぇ…。 倒れた時、頭打った」と言いながら、黒須は身をくねらせる様にして起こす。
 そして、あの鍵を、黒須の恋人・霧華の薬指を真っ赤な舌を閃かせて咥えた瞬間、三人は此処にいた。
 そういや、舌に鍵穴を作って貰っていた。
  そんな事をぼんやり思い出していると「とにかく、一度着替えを取りに、俺の部屋寄ってくれ。 この姿のままじゃ、敵わん」と、言いながら先頭に立って、部屋を出る黒須。
「あんま、離れて歩くなよ?」と言われ、廊下に出てみればそこには思わず歓声をあげたくなるような光景が広がっていた。
それは無限回廊とも言うべき、長く広い廊下だった。
 廊下の両端を虹色の水が川のように流れ、花の様な匂いが何処からともなく鼻腔を擽る。
天井には凝った装飾の施された照明器具が点々と並び、柔らかな灯りを点していた。
 その下を、三人は並んで歩き始める。
 廊下には、無数の色んな形をした扉が並び、前を通る時に、何故か獣の鳴き声や、人のすすり泣く声、陽気な宴会を繰り広げているような騒がしい物音等、様々な音が漏れ聞こえてきた。
「ね、ねぇ。 ここのお家ってどの位の人が住んでんの?」
 そうエマが聞けば「さぁな? ベイブの許しなく、扉を開けると命の保証は出来ないって事位しか知らねぇからなぁ。 この扉の位置だって日によって違うし、それに、内装すらベイブの気分しだいで変わるから、住人の事なんざ、どうやっても把握出来ねぇよ」と、さらりと怖い事を言った黒須は、正面に目を向け、「ああ、まぁだ、迷ってやがる」とうんざりしたように呟く。
「え? 何がです?」
 興味を引かれ、そう問いかけ、それから、黒須と同じ方向に視線を向けて、幇禍は今度こそ抑えきれずに歓声をあげた。
「わぁ! エマさん、ほら、何だか面白いものが来ますよ?」
 そう声を掛ければエマも、正面を向いたまま硬直し「い、言われなくても、見えるわよ。 ただ、面白いものっていう意見には賛同しかねるけどね」と、幇禍に答えてくる。
 正面から来るもの。
 それは、トトトトと、軽い足音を立てて駆けて来る、まさに「足」だった。
 白いトゥシューズを穿いた、真っ白な、細く美しい足が、三人の前で立ち止まる。
 さぞかし、上半身も美しい少女なのだろうと思えど、其処には何もない。
 本当にただ、足のみ。
「…エリザ。 また、はぐれたのか? 胴体は、知らないが、首だったら中庭で歌ってんの、今朝見かけたぜ?」
 そう黒須が言えば、まるでバレエダンサーが客席に礼をするかのような形に足を折り曲げ、三人の脇を通り抜けて走り出す。
 すると、今度は天井付近から「…ハロー、ハロー、ハロー? 今日のご機嫌は如何が?」と、まるでふざけきった声がして、見上げれば、天井に派手な格好をした道化が立っていた。
 重力の法則を無視しているか如く天井に立ち、此方を「見上げて」いる道化。
 エマが「もう、驚かない。 何も驚かない。 蛇男に、足女に、天井ピエロと立て続けに遭遇してんだもの。 もう、何でも来いって感じよ。 そうよ、アリス。 私は、アリスにでもなったと思えば良いのよ」と自己暗示に掛けるように言い、クルリと黒須が振り返ってからかうように「随分、年喰ったアリスだな」と、恐ろしい事を言う。
 勿論、その瞬間鉄拳での制裁をエマから喰らう黒須
まぁ、どうでもいいかと、幇禍は再び道化に視線を送り、どういう仕組みで天井に立ててるのだろうと思いながら、「まるで、忍者ですねぇ」と暢気に言えば、「忍者? まさか、私は唯の道化さ」と陽気な声で答えた。
 そして、クルリと手を閃かせ、手の内から真っ赤な花を一本咲かせる。
 思わずといった風に拍手するエマに、「では、そこのレディに」と笑いながら花を落とし、そして黒須に目を向ける。
「いいね。 君は。 今日は、檻から出して貰ったの? この迷宮のジャバウォッキー。 ただ今、ご主人様のご機嫌はすこぶる良いよ。 何だか、可愛いお客人や、おかしな連中が王宮の中を賑わしているようだ。 君も、早くもてなしに行けば良い。 今からなら、お茶会に間に合うかもしれない」
 そう謎めいた事を言い、それからフラフラと天井を歩いていく。
「客って、何だよ?! また、面倒なモン引き入れてんじゃねぇだろうな? あの、野郎」
 そう問われカラカラと笑うと「さぁて、そいつあ、私の口からは言いかねる。 そんな風に主人を口汚く呼んだりして、また、キツイ仕置きを喰らっても知らないよ。 女王様も、君の事を探していたからね。 こうなると、さぁて、見物だ。 蛇男の鞭打ちショーだ!」と、天井で一度トンボ返りし、「その時は、王宮中の仲間を誘って見学に行ってあげるよ」と、馬鹿にするかのように黒須に言い、その瞬間煙の如く消えた。
 凄いなぁ、魔法使いみたいだなぁと、呑気に考えていると、ふと、すぐ脇の方から視線を感じ「ん?」と思いながら、横を向いてみた。
 そこには、一枚の絵が飾ってある。
ツンとした美女が胸元の大きく開いた服を着て、扇で顔を仰ぎながら座っている絵だ。
だが、不思議な事に、扇で扇がれた髪が揺れ、扇自体も優雅な動きを見せている。
 女が、流し見るように色っぽい視線を此方に送り、ニコリと小さく微笑んだ。
動く絵だ、凄い。
 そう感心し、どうなっているんだろう?と気になって、そっと手を伸ばしかけた時だった。
「あ“〜〜〜もうっ! 此処の奴らはどいつもこいつも!」
 そう言いながら、足音荒く歩き出しかけた黒須が、「そこ! 変なもん触って、指喰い千切られても知らねぇぞ!」と語気荒く、注意してくる。
 黒須の言葉に、悪戯が見つかった子供のように頭を掻き、「や、だって、ほら、絵なのに動いてるもんだから…」と言い訳する。
「言っておくけどな、顔の良い男が触ると、そのまま引っ張り混まれて食われるぞ。 ほら、後ろ見てみろ」
 そう指し示せば、確かに、女の座るソファの後ろに、何人かのやせ細った男の手足や、身体が見えている。
「お前だったら、充分コイツの合格点だ」
 黒須に言われ、危ないとこだったのかと、ちょっとぞっとすると、幇禍は「わぁ、危機一髪」と呟いた。
 だが、危険な目に合いかけたばかりだというのに、こんなに楽しい人や物がつまってる所で暮らしているなんて、ちょっと羨ましいかもと、やっぱり呑気な事を考えながら、幇禍は黒須の後ろを歩き続ける。
 足がなく蛇の身体がシュルシュルと波打ち動くさまを眺めていると、まるで催眠術にかかっているかのように、意識が酩酊してきて、気付くと幇禍は、今まで壁に並んでいたどの扉とも違う、無骨で分厚い鉄の扉の前に立っていた。
「じゃ、着替えてくるから、そこで待ってろ」
 そう言いながら、霧華の薬指を、鉄の扉の鍵穴に差し込む黒須。
(王宮の扉だけでなく、自室の鍵にもなってるのか)
 そう思い、少し部屋の中の様子が気になったが、やっぱり覗くのは失礼だと我慢して、黒須の背中を見送る。
 そして、監視の目のない内にと、ずっと気になっていた廊下端を流れる七色の水を掬ってた。
「うわぁ」
 思わず、そう小さく溜息のような声をあげてしまう幇禍。
 さらさらとした水が指の間から流れ落ちる感触に、思わず目を細めてしまう。
 それは、何というか、今まで感じた事のない、心地の良い触り心地で、水というよりも、上質の布に触れているような、そんな感触だった。
 全く冷たくなく、花の様な微かに甘い匂いの立ち込めるその水に、「この廊下に満ちている、花の匂いの正体は是か」と納得する幇禍。
 一頻り、虹色の水で楽しんだ後、今度は廊下に飾ってある展示品に興味を抱き、小さな腰元までしかない台の上に置かれた真っ黒な球体を覗き込んだ。
 球体の中にキラキラと散る輝きに、幇禍は目を見開く。
 美しい星空が、球体の中に閉じ込められていた。
「触ると、危ないわよ?」
 まるで、子供を注意する母親のような口調でエマが言ってくるので、ニコリと笑って幇禍は「ハイ! でも、面白いですよ、これ?」と、球体を指差しながらエマに伝える。
すると、彼女も興味を引かれたのだろう。
おっかなびっくり近寄ってきて、その球体に顔を近付ける。
「うあ…」
 そう感動したかのような息の音が、エマの唇から漏れた。
 その反応が何だか嬉しくって、「ね?」と言いながら幇禍も一緒になって球体の中の夜空に目を凝らす。
 キラリキラリと尾を引いて、一粒の流れ星が球体の中を落ちた。
「あ、ほら、流れ星が」
 そう指を指すと、エマが不思議そうに「これって……」と何か言いかけた。
「忘れられた世界の果ての、夜空なんだそうだ」
 そうエマの言葉を継いで、人間の姿に戻った黒須が背後から声を掛けてくる。
 ゆったりとした、黒のセーターに、細身のジーンズを穿いている。
 やっぱりどっからどう見ても、休日チンピラといった風情なのだが、ベイブに隷属するものの証であるらしい首輪だけが、何処か異様で浮いて見えた。
「ああ見えて、案外ロマンチストだからな。 気に入った風景や何やを見つけると、すぐに閉じ込めて持ってくる」
 そう告げ、ヒョイと持ち上げる。
「欲しかったらやろうか? ここらに置いてあるって事は、もう飽きたって事だからな」
 そう黒須に問われ、首を振るエマ。
 幇禍も「それは、お嬢さんの趣味ではないみたいですし、良いです」と答えれば、「ま、確かに、こんなんが一般家庭に飾ってあったら変か」と言って、元の場所に戻した。


 それは、凍りつくように、気温の低い、そして虚ろな部屋だった。
 広い広い、入り口から玉座までどれ程の距離があるのか全く計り知れない広間に一人、ベイブが玉座に、しな垂れるようにして座っている。
 血色の悪い、白灰色の顔。
 疲れきり、飽いきったような、その表情。
 真っ白な唇は固く引き結ばれ、灰色の、冬の夜空のような目が、三人を見据える。
「おい、道化の野郎が、何やら千客万来だって喜んでたんだが、どういう事だ? また、面倒ごとを引き込みやがったのか?」
 そう言いながら、猫背のまま、何の遠慮もなく、その近寄りがたい男に走り寄った黒須は突如、何か大きな力に引っ張られたかのように、地面に倒れ伏し、そしてズルズルと玉座に引き寄せられた。
 長い髪が床に乱れ散らばり、何かに抗おうと暴れる黒須の動きに合わせて悶えるように舞う。
 見れば、ベイブが何かを握るような仕草を見せ、自分の元へと引っ張っていた。
 黒須は、首輪を引き掴み、見えない鎖に引かれているかのように、苦しげに呻く。
「っ! 馬鹿! 痛ぇ! 痛ぇって! くそっ! 道化の、野郎、出鱈目言いやがって! 何が、機嫌が、良い、だ!」
切れ切れにそう悪態を吐きつつ、ベイブの足元まで引き寄せられた黒須は、ぐいと黒髪を掴まれ顔を無理矢理上げさせられた。
「何処へ行っていた?」
 そう問われるが、髪を掴まれているのがよっぽど痛いのだろう。
「ちょっと、待て! 待てって! 禿げる! 禿げる! このままだと、確実に禿げる!」と喚き、ベイブの白い手に爪を立てる。
「38歳で禿げたら、もう、取り返しつかないでしょうね」
 そう、幇禍が目の前の光景を、完全に超越しきった感想を述べれば、「うぅわぁぁ! 嫌だ! 取り返しの付かないのは、嫌だぁぁ!」と、また、黒須は喚いた。
「え? でも、霧華さんと半同化しちゃってる訳だから、禿げてもまた、その髪になるんじゃないのかしら?」
 エマも、エマで、かなりぼんやりとした口調でそう呟いてきて、ベイブは、その言葉に「ふむ」と呟くと、物凄く軽い思い付きだろうなと分かる声で「試してみるか」と言って、一層、黒須の髪を引く手に力を込めた。
「うあ! あ! ああ! ちょ、やめっ! ブチブチ言ってる! 髪の毛、ブチブチ言ってるから! ホントに禿げて、元に戻らなかったら、どうすんだよ!」
 そう怒鳴りつけられ、「んー」と少し悩む素振りを見せる、ベイブ。
 そして、灰色の目を瞬かせ「ちょっと、面白い?」と、黒須に告げた。
「うわ! 面白いて! しかも、疑問形やし! ちょっとやし! やめろ! そんな、ちょっとした娯楽で、俺を苦しめるのは!」
 もっともな事を、もっともな声音で言い放ち、黒須は渾身の力で、何とかベイブの手を自分の髪から引き剥がす。
 その間に、広間を突っ切り、二人の側まで来ていた幇禍とエマは、涙目になって「オー、人事、オー人事に、連絡してやるっ!」と、頭を押さえて叫ぶ黒須に、「いやいや。 多分、彼らでも貴方は救えないし」と突っ込んでおいた。
 ベイブが、退屈そうに首を傾け「で、この方々はどうしたんだ?」と問えば「へぇ、今日は白雪で覗き見はしてなかった訳だ」と、黒須が返す。
「生憎、今日は客人が多くてな、その相手をするのに、忙しかった」
「それは、それは、退屈王様もご満悦ってトコじゃねぇの」
 其処まで言って、「で、コイツに何か用あったっけ?」と問いかければ、「あ、そうだ!」と今日、自分が何故此処に来たがったのか、その目的を思い出し、幇禍は勢いよく頷いて「ちょっと、お話聞いて貰って良いですか!」とベイブに詰め寄った。
 ベイブは、少し目をむき、黒須を見上げ「貴様、私の事を、悩み相談室かなんかだと、彼に説明したのか?」と胡乱気に聞く。
 黒須は首を振り、「まさか。 唯、お前が時たま暇つぶしに、人の願いを叶えてやってるって、教えてやっただけだよ」と答えた。
「それでは、私はまるで、ランプの魔人ではないか…」
 呆れたようにそう言うベイブを見て「や、そんな愉快な人にはどうやったって見えないわね」とエマが小さく呟いている。
そんな三人の戸惑う様子はオールスルーを決め込み、「で、願い事を叶えてくれるんだったら、人生相談にも乗って貰えるかと思って。 あ、大丈夫です、ご安心召されよ! ちゃんと、手土産持参ですから」と、朗らかに告げる幇禍を、暫し見つめ、諦めたように一つ溜息を吐くと「まぁ、話だけは聞こうか。 どうぞ?」と、促してきた。
 なので、遠慮する事無く幇禍は口を開く。
「あのですね、相談というのは、まぁ、言うまでもなく、世界一可愛い俺のお嬢さんについてなんですけど、お嬢さんってば、俺が、急な仕事が入ったせいで、デートの約束をすっぽかしちゃって、それで、今猛烈に怒って、行方くらまし中なんですけどね、ほんとに何処行ったのかな?って事と、どうやったら、仲直り出来るかな?っていうのを、教えて欲しくって…」
 そこまで、一気に言い募る幇禍に、虚ろな穴のような目を据えていたベイブが、その眼差しのまま傍らに立つ黒須を見上げ「私は…、恋愛百当番の相談員か?」と問いかける。
 すると、憐れむように、「永遠童貞決定のお前が、恋愛相談に答えられる程、経験豊富だ何て、誰も思ってやしねぇよ」と、黒須は答えた。
 その瞬間、再びグイと見えぬ鎖に引かれて、地面に膝を付く黒須。
「口が…過ぎるようだが?」
 そう冷たい声で言われ「へぇへぇ、すんません」とおざなりに詫びる。
「大体、アレだ、そういう女性経験は皆無だが、200年以上生きているのだから、全くそういう相談に乗れないという事もない…んだ」
 ベイブの強がるような言葉に「じゃあ、幇禍さんの悩みを是非今すぐ解決してあげて、早急にもとの世界に帰して貰えると、私は嬉しいんだけど」とエマが言えば、眉間に深い皺を寄せ、彼は、じっと黙りこくる。
 幇禍は、ベイブからのアドバイスを眼を輝かせたまま、待つ事にした。



 そのまま、十分。



「うん、ごめん、無理させた。 無理させたな」
「ごめんなさい。 そんな、貴方を追い詰めるつもりはなかったのよ。 あのね、軽いつもりでね…」
「スイマセン。 謝ります。 ほんと、スイマセン。 あの、勘違いしてました。 ほんとスイマセン」
 三人が、必死にベイブに謝っている。
 だが、ベイブはと言えば、黙り込んだまま、じっと動かず、幇禍の相談への答えを探し続けている。
 瞬きの回数すら極端に少なく、正直言って見てる人間の心臓に悪い。
 その生真面目な表情の下で、どんな思考が渦巻いているのかは知らないが、少なくとも幇禍の相談への答えを探しているにしては時間が掛かりすぎているっていうか、もう、マジで、この人、この格好のまま心停止とかしてんじゃないの?という、時を経て、やっと、ベイブが口を開く。
 一瞬、気圧されたように、三人は口を閉ざし、重苦しい沈黙が場を満たした。
「…謝れば…許して、貰えるんじゃないか?」
 そんな、何処の誰でも言いそうな事をやっと口にしたベイブに脱力する三人。
「そうですね! 謝ります! 埋まる位謝ります!」と、強い声で答え「良かった。 良かった。 動いてくれた。 良かった」と幇禍は呟く。
 最早何を相談してるのか、欲しい答えは何だったのかも全く分らない状態だが、とりあえずベイブが動いてよかった。(わぁ)
 黒須は、黒須で「コレが、この子の精一杯なんです。 褒めてやって下さい。 どうか、褒めてやって下さい」と、涙目で二人に訴えた。
 エマも、安心したような声で、「何か疲れたし、甘い物でも食べる? 桜餅、あるんだけど?」と告げる。
「あ、じゃあ、おでんも空けちゃいましょう。 そんで、焼酎でも飲みません?」
 そう手土産の二品を掲げる幇禍に「私は、酒が飲めん」と告げたベイブ。
 するとエマが「じゃ、お茶淹れてあげるわ。 来客用の茶葉だから、玉露よ、玉露〜?」と言い、「お台所貸して貰える?」と問いかける。
 ベイブは、頷き、「案内してやれ」と黒須に言うと、幇禍の手の中にある、おでんの保温パックを興味深げに見下ろしてきた。
 初めて見るのかな?と、何だかその様子がおかしい幇禍は、「はい」と言いながら、ベイブにそのパックを渡す。
 ベイブは、戸惑った方に幇禍を見上げ、それから、黙ってそのパックを受け取ると、真っ白な無骨な手で少し撫でた、
「じゃ、行くか」と黒須に言われ、エマ達は連れ立って一旦、玉座を辞し、幇禍とベイブが二人玉座に残される。
「これに温かい食べ物なんかを入れるとね、保温されて、食べる時も温かいまま食べられるんです」
 そう説明する幇禍に、虚ろな眼差しを向け「世界は…どんどん…変わっていくのだな」と溜息混じりに呟く。
「私が……あの世界に…いられる時間は余りに短くて、変化には…ついていけそうもない」
 切なげな事を言うベイブを「や、むしろ、今、デジタル化が進みすぎて、復古主義でアナログな感じも流行ってきてますから、イケてんじゃないですか? 貴方のその感じも」と適当な事を言って慰めると、「それに、こんな面白い城持ってんだから、世間なんて、どーでも良くなんないですか? 俺だったら、お嬢さんと二人で一生かかっても遊び尽くすんだけどな…」と羨ましそうに言う。
「この城も…、所詮は、あの女の創造物…。 いまや、私の手足と成果て、望みのままに形を変えるこの場所で、どうして…、この飽いた心を…慰められようか…」
 そう遠い眼のままに言う、ベイブに、唐突に、何処かはしゃいだ、場違いなまでに明るい声が浴びせられた。
「飽いた! ワォ! 私なら、飽いたままにはいませんヨ?! このお城があれば、貴方、その気になれば、全ての世界を飲み込んで、王になれると言うのニ!」
 そう言いながら、一人の男がゆっくりと玉座に足を進める。
「お初に御目に掛かりマス。 狂気と孤独の王ヨ! 私の名はデリク・オーロフ。 しがない……、英語学校の講師で御座いマス」
 ふざけた口調でそう言いながら近付いてくる、デリクという男。
 張り付いたような笑みを浮かべ、深い群青色の油断ない光を浮かべる瞳を三日月型に緩ませながら、まさに慇懃無礼そのものといったように深く一礼する。
 だが、幇禍が最も驚いたのは、その男の隣に、桜塚・金蝉がいたからだった。
 金色の髪を揺らしながら、ずかずかと此方に近付いてくるにつれ、その表情に、ちょっと小さな子供とかだったら軽くトラウマになっちゃいそうな位、不機嫌な表情が浮かんでいる。
 相変わらず、無愛想な眼差しで、じっとベイブを睨み据えながら「貴様が此処の、主か。 糞下んねぇ、仕掛け満載の、悪趣味な城作りやがって。 とっとと、こっから出して貰おうじゃねぇか」と、低い声で言う。
 するとそんな金蝉に「うーん! もう、金蝉さン! そんな、イケズな事仰らずに、もっと、此処をエンジョイする方向で、話を進めてみましょうヨ! ほら? 東京って頭についてる癖に、実際ある場所は千葉ってなランドよりも、此処はずっと面白いですヨ? さっきだって、三つの頭を持ってる巨大犬なんて言う、とっても可愛いお友達にも会えたじゃナイですか!」と、デリクが能天気に言う。
 こんな遣り取りをずっと繰り返して此処まで辿り着いたのだろう。
 眉間に深い皺を寄せ、じっとそんなデリクに凄まじい視線を送った後、再びベイブ方を向き、「出してくれ」と唸るように言った。
(わぁ、何ていう、ミスマッチな組み合わせなんだ)
 そう、ちょっと愉快な気分になりながら二人を見比べ、とりあえず金蝉に「お久しぶりですっ!」と明るい声で挨拶する。
 出来るだけ自分の姿を眼に入れないようにしていたようだが、とうとう挨拶までされて、観念したらしい「なんで、コイツが此処にいるんだ…」と面倒ごとが増えたとばかりのウザそうな声でそう呟くと、再度「とりあえず、此処からの出口が何処にあるか、ハッキリして貰おうか」と、ベイブに詰め寄った。
しかし、幇禍は、幇禍で、持ち前のマイペースさを発揮し、「それにしても、金蝉さんはどーやって此処に来たんです? 三つの頭の巨大黒犬ってどんな感じでした? 俺はね、忍者ピエロと、足だけお化けに動く絵を見たんですけど…」と、浮かれた声で聞き、その言葉にデリクが「ピエロなら、私も見ましたヨ? あとね、少女の胴体だけガ、廊下をゴロゴロ転がっているのトカ、勝手に歌い出す楽器とかネ…」と言いながら「ネェ?」金蝉に同意を求める。
 金蝉は頭痛に耐えるかのような表情を見せた後、「…どうでも良い」と地を這うような声で答えたが、ベイブがそんな金蝉を見返し「出口…というものは…何処にもない…」と言った瞬間、彼は多分、そんなに容量のでかくない堪忍袋とやらの緒が切れてしまったのだろう。
「ねぇんだったら…、どっからでも、良い。 とにかく、俺をこっから出して貰おうか」と剣呑な声で告げ、何処からともなく取り出した銃を、ベイブの額に突きつける。
「望んでもいねぇのに、勝手にこんな場所に連れてきやがって、てめぇ、主だって言うんなら、客人の管理ぐらいしっかりしやがれ」
 獣の唸り声のような声音の金蝉に、「あ! 駄目デスよ? 脳みそに傷を付けるのは止めて下サイね? その人、貴重な研究資料になるんですかラ!」と叫ぶデリク。
「知るか」
 そう端的に答え、引き金に手を掛ける金蝉を見上げ、ベイブが表情を変えないまま眼を閉じる。
「終われるのか?」
「あ?」
 金蝉が、ベイブの問いかけにうっとうしそうな声音を返した。
「終われるのなら終わらせてくれ」
「どういう意味だ?」
「早く、引き金を引けという事だ」
 金蝉は、少しだけ目を見開き、「よっぽど死にてぇらしいなぁ」と唸る。
 幇禍は、どうするでもなく、何をしようとする気もなく、今の状況を唯、静観していた。
 なるようになるだろう。
 そう思いながらも、さて、幇禍も、此処でベイブに死なれてしまって良いのか、どうかは分らないし、それこそ、出口なんてもの分らなくなってしまう気がしたが、鍵を持つ黒須がいるのだから大丈夫なのだろうと思う。
 そして、ああ、そうか、「鍵があるから、大丈夫だ」という事をこの二人に伝えてやるべきなんだろうなぁと、ぼんやり思いついた時だった。


「二百数十年前のお話でス」


 そう、何処か、朗々とした、聞き入らずにはいられないような声を、デリクが発した。



「昔、昔、ある所に、一人の魔女が住んでおりマシた」



 金蝉が、鬱陶しそうな表情のまま、デリクを振り返り、ベイブはじっと語り続ける彼を見つめる。


「魔女は、時の果ての荒野に住み、この世界の時の流れを管理しながラ、この退屈な世界から、自分を連れ出してくれる王子様を待ち続けていましタ」


「やめろ」


 ベイブが、顔を歪め、そうデリクに言う。
 だが、デリクはその言葉を聞かなかったかのように話を止めない。


「そして、どれ位の月日が経った事でしょウ。 彼女の元に、一人の騎士が現れました。 彼は凛々しく、厳格で、正しカッた。 彼女は、そんな騎士に一目惚れをし、彼が自分の王子様である事を確信しマシた」


「やめろ」


「だが、彼は違っタ。 彼は身も心も、神に捧げ尽くした聖騎士ダッた。 髪の毛一筋すら、彼女の物にはならなかっタ。 然し、時の果てでの、永き孤独に耐えた末に、現れた騎士を諦める事なぞ、時の魔女には出来なかっタ。 愛して、愛して、愛して、愛しテ…」


 デリクが、薄く笑って告げる。


「愚かなるかな、聖騎士達ヨ。 時の大魔女を、何故に狩っタ? あの時生まれた、時の歪みの全てがココにある。 狂信的な、魔女狩りの果てに、貴方、こんな所で、魔女の愛の檻の中で、可哀想に……千年死ねナイ」


「やめろっ!」


 真っ白なの髪の隙間から、ぎょろり灰色の眼を覗かせて、ベイブが歪んだ声で言った。



「…止めないと、…食べちゃうよぉ?」  
 


 その瞬間、宮殿が微かに揺れ始め、幇禍は、ベイブから禍々しいとしかいいようのない気配が立ち上り始めるのを感じた。
 金禅が躊躇う事無く、引き金を引く。
 タンと、軽い衝撃を受け仰け反るベイブ。
 だが、ぐらりとそのまま、首の据わってない赤子のように首が横に流れ、少し爆ぜた頭に手を伸ばして、ゆっくりと弾丸をつまむ。
 色のない唇から、妙に肉感的なピンク色した舌が伸ばされ、その舌に弾丸が乗せられた。
 


グビリ



真っ白な喉が蠢き、弾丸を飲み込む。

「熱くて…ビリビリするねぇ…」

恍惚とした声で、そう呟き、それから、顔を起す頃には、彼の頭に損傷の後は少しも残っていなかった。
「今度は、甘くて、とろとろするやつ頂戴?」
 ぐらりと揺するような笑い方をしながら、ベイブが金蝉に掌を差し出す。
 その瞬間、天から真っ白な光が振り、咄嗟によけた金蝉の足元を直撃した。
「赤いやつ…。 飲むとね…、凄くね…気分が、良くなるの…。 誠のは、す、す、凄く甘くて、美味しいのだけど…ほら、全部、呑むと……動かなくなるから、じっと我慢…して、他の奴のを呑んでるの…。 竜子は…嫌がるし…、ま、ま、誠は、あんまり、食べ過ぎちゃ、駄目っていうけど……あれ、美味しいんだよね」
 狂気に満ちた、声でそう歌うように言いながら、金蝉をじっと見る。
「美味しいの、たくさん、頂戴」
 そう言う、ベイブの喉に、今度は銃弾を打ち込んだ。
 ゴボリと、大きな穴が開き、そこから、ヒューヒューとベイブは息を漏らしながらも、うっとりと笑う。
 それは、下手なホラー映画よりもえぐぐ、ショッキングな光景だった。
 幇禍は、ボトボトと床に落ちる大量の血を眺め「あーあーあー」と溜息を吐き「これ、後掃除、大変ですよ」なんて、金蝉に言ってしまう。
 すると金蝉は、憤懣やる方ないというか、もう、言葉では言い表しようのない位怒りを称えた眼を一瞬幇禍に向け、それから、デリクに「こいつ、こうしやがったんは、てめぇだろぉが! 何とか、始末つけやがれ!」と、怒鳴った。
両手を広げ「…そうは言われましてもネェ」と笑った後、デリクは少し考え込むかのように顎の下に指を当て、そして、ベイブに告げる。


「で、彼女は何処にいるんでス?」
 小さく笑いながらベイブが、デリクに視線を向ける。
「誰?」
「アリス」
「……」
「アリスは、この迷宮の何処ニ?」
「……」
「恋狂いアリス…気狂いアリス…、貴方の、お姫様の名前でスヨ」



「金蝉!」


 突如玉座の間の扉が開かれ、白金の髪を揺らして蒼王・翼が飛び込んできた。
 ああ、やっと、金蝉の保護者登場かだんなんて、本人に知られたら、即座に頭に銃弾を喰らいかねない事を考えつつ「どーもー」なんて声を掛けてみる。
 翼は、幇禍を見、そして、デリクに視線を送った後(彼も、ヒラヒラと呑気に手を振った)、何が何だか分からないといった表情で、とりあえず「お前、何で此処に!」と怒鳴る金蝉の隣に「君を追って来たんだよ」とドコの王子様だよ的台詞を言いながら駆け寄った。
 しかし、今日はこんなにココを訪れている人がいるなんて、黒須さんもあんなに渋る事無く連れてきてくれたら良かったのに…なんて考えていた時だった。


「アリス…?」


 ベイブが、引き攣った声で、翼を凝視し、そして呟いた。


「アリス?」



デリクがまるで、こうなる事は分かっていたという風に、翼を恭しい手付きで指し示して答えた。



「そうですヨ。 アリスでス」



 それは、紛れもなく、発狂の瞬間。
 


ベイブの顔が醜く歪み、見たのだ。
その場にいた、間違いなく全員が見たのだ。


ベイブの背後から、細い灰色の手が伸びてくるのを。
そして、その子供のような手が、スルリと、ベイブの首に廻されるのを。


アリスの手。



 ベイブが、言葉にならない声で、絶叫した。

「っ!」
 王宮が揺れている。
 幇禍は、ココまで、黙ってみていたが、そろそろ逃げる手立てとかも考えた方が良い事態なのかな?と思いつつ、「でも、エマさんの桜餅を食さず逃げる訳にも…」と、この時点になっても、そんな事を考えてみる幇禍。
髪を掻き毟り、何かから逃れるように、玉座の上でのたうちまわるベイブに視線を送り、何となくだが「早く黒須さん来ないかな」と考えた。
 とりあえず、彼が来れば、この事態が収まるような気がしたのだ。
 それは、幇禍が有する能力の中でも、獣並みに鋭敏である直感により感じ取れた事柄ではあったが、その思いを後押しするかの如く、「あがぁっ! あぁぁっ! い、いぅわあぁ! ま、誠! 誠! 誠、ドコ! 早く、呼んで! り、りぅ、竜子と! 誠を! よ、呼んで!」と、ベイブが喚き始める。
「誠? 竜子? 誰だ、ソイツは?」
 そう訝しげに首を傾げる金蝉に「王宮の鍵を持っている方々です。 俺は、黒須さん…って、えーと、誠って人の方ですね、その人にココ、連れてきて貰いました。 それで、あのですね、多分言い遅れたかな? もう、取り返しつかないかな?とは思うんですけど、多分、彼らがいれば、こっから出れますよ」と、物凄く笑顔で告げてやった。
 その瞬間、金蝉は、カッと目を見開き、修羅のような顔をしながら、幇禍の胸倉を掴んでくる。
「あぁ? てことは、アレか? こいつに、無駄に構う事ぁ無かったって事か?」
 そうガクガクと揺さぶりながら問われ、「んー、そうなりますかね☆」と明るく返答する。
 翼が、何処か諦念の表情で「ねぇ、君は、ずっとこの場にいたみたいだけど、その事実を早めに伝えて、事態がこうなっちゃうまえに止められなかったのかな?」と言ってきたので「や、出来ても止めませんって。 楽しくないもの」と答えておいた。
 ガクリと、音がしそうな勢いで項垂れる翼。
「どうしよう。 こういう場合、僕の立場としては、金蝉の暴力を抑えるべきなのだろうが、今現在、心から、息の根が止まれば良いのにと祈ってしまってるんだよね」
 そう虚ろな翼の声を聞いたか、聞いていないのか、益々、金蝉が首の締め上げる圧迫感が強くなっている。
(うーん、怒ってるなぁ。 やっぱ、カルシウム足りないんじゃないかな?)
 そんな事を考え、さて、そろそろ脱出せねば、本気で窒息死及び首の骨を折られかねないと思い始めた時だった。
「あハハー。 お三方お知り合いでスカ? 良いですね、楽しそうデー」と明らかに何も分ってないっていうか、分ってても気にしない事が丸分かりな口調でそう言った後、「でもね、ほら、こっちも結構大変な事になってマスよ?」と、デリクがベイブを指差した。


蹲り、黒須と竜子の名を交互に呼び続けるベイブの周りに、銀色の見た事の無い文字で描かれた文様が浮び上がっていた。
 アリスの手はもう無い。
 だが厄介なことに、その文様がバチバチとまるで、稲妻のような、あまり耳に心地良くない音を立てて発光し始めている。
「っ! ベイブ!」
 そう叫びながら、竜子が部屋に飛び込んできた。
 続いて、前にこのベイブ達絡みの出来事やら他、色んな事件で見かけた事のある、天才少女飛鷹いずみと、小奇麗なのにホームレス、シオン・レ・ハイ。 それに、見た事ない黒髪の人形めいた美少女と、右目から全身にまでグルグルと包帯を巻いた青年が部屋に駆け込んでくる。
「うわぁ、俺達以外にこんなに人が来てたんだなぁ」と感じていれば、続いて、お茶を淹れに行ってくれたエマと黒須、そして、何故か、そう、何故か、朝からずっと自分の心を悩ませ、掛け釣り回らせていた鵺が玉座の間に現れた。
「お、お嬢さん?!」
 素っ頓狂な声で思わずそう叫べば鵺が、此方を向き、ぷくっとむくれた顔で「反省した?」と聞いてくる。
 うんうん、と声も無く頷く幇禍に「じゃ、ま、許してやっても良いけど〜」とそこまで言い「課題の量減らしてよね!」ときっちり要求してくる。
「う…」と、何か奢れというのならば、喜んで奢って許してもらおうと思ってたのに、家庭教師としてのアイデンティティを問われるような要求に、思わず眼を泳がせる幇禍。
 然し鵺は、「減らしてくれるよね…」と、再度重ねて問いかけてきて、幇禍はなす術も無く「分りました…」と頷くしかなかった。
 満足げに笑って「幇禍君だーいすき!」という鵺に、「おお! 俺も、大好きだ!」と何だかよく分からないままに首を突っ込んでくる、包帯男。
「あと、アレだ、おでんと桜餅も好きだぞ? 匂いがするんだ! 喰ってないよな? 俺、確か、その二つは喰ってないよな?」
 そう問いかけてくる男に鵺が首をかしげて「桜餅は、エマさんのだろうけど…おでんは知らないよ?」と答えている。
「えーと、コレですか?」と言いながら、おでんの入った保温パックを掲げてみれば、「うおっ! それだ! 俺は、大根が好きだ」と言いつつ勝手に開けようとする。
 思わず、ヒョイと取り上げ「是は後で、みんなで食べるもんです」と注意すれば、悲しげに顔を曇らせ、「そっか…。 おでんだもんな。 みんなで食べないとな。 俺が先走りすぎた、悪ぃ」と何故か深刻な声で謝られ、そして「アイツも、腹減ってるから、おかしくなってんのかな? それ、分けてやってくれよ」と何故か頼まれた。


 うん、分ってない。
 全然今の状況分ってない。


 だが、鵺も「そっか、お腹減ってるからべーやんは、おむずかりなのね」と納得すると、「とりあえず、こんにゃくだけは残しといてって、ベーやんに伝えてね」と言い、それから「言い遅れたけど、この子はニィル君。 で、こっちのが、鵺の家庭教師兼まぁ、婚約者?って事になってる、幇禍君」と、いきなり紹介し始める。
 緊迫した状況の中、かなり浮いた会話をしているなぁと思ってチラリと周囲に視線を走らせれば、自分が強引に此処に連れてきてしまったエマが、物凄く冷たい眼で睨んでいた。
(や、俺はね、この人達ほど、非常識じゃないですぅ〜)と、説得力のない言い訳をしたくなる幇禍。
 そして、この騒ぎの要因ベイブに視線を戻した。
 いつの間にか現れていた大剣に縋るように、しがみつく様に泣いていたベイブが顔を上げ、「誠? 竜子? 早く、は、やく、来ないと、つ、かまる。 つ、かまったら、壊れる。 こ、われ、る、割れる。割れて、あ、また、寒い…た、すけて、助けて…」と呟きながら、泣きそうに歪められた顔で当たりを見回す。
 まるで、迷子の子供のような、それは酷く弱弱しい姿だった。
「壊れる…ネ。 魔女の呪とハ、かくも恐ろシイ。 差し詰め、この赤子は、その魔女を知らず虜にしてしまった、不運な時の迷子に過ぎないと言う訳、でスカ」
 デリクが愉悦に満ちた快哉をあげた。
「何て、興味深イ!」
 
「デリク!」
 
嬉しげな声を上げ、一人の黒髪の少女が彼の元に駆け寄る。
「およ? ウラってば、あの人とお知り合いなのねん」
 そう、鵺が言い「ウラはね、美味しいケーキ作ってくれたんだよ?」と嬉しげに幇禍に囁いた。
「おヤ? 私の姫君。 こんな所にお出でになられて、どうしたんダイ?」
 そう言いながら、壊れ物を扱うような手付きで、その身体を抱きしめ、デリクが笑う。
「ウラ。 御覧なさイ。 アレこそ、究極の愛の形デス」
 彼がそうベイブを顎で指し示した瞬間、バチッ!と音がして、デリクの足元に銀色の光が飛んだ。 それを、ウラを抱えたまま、ヒョイと身軽に避け「危なイ、危なイ。 赤子が強力な力を持つと、加減を知らないカラ、面倒ダ」と飄々とした声で言う。
 黒須が、ずいと進み出て、「お前、何かやったのか?」と問いかけた。
 黒須の声に怒りはない。
 ただ、本当に尋ねているだけという声音。
「何カ? 何カ?とは、何でス? ああ、そうダ、そうダ。 あなた、初めて、お会いしまスネ。 私、デリク・オーロフと申しまス。 以後お見知りおきヲ」
 そう自己紹介したあと、優雅に一礼し、それから首を傾げてじっと、黒須を見る。
「あなたも、随分、面白い身体ダ」
 そう言った後、「そして此処は、面白い場所ダ。 もうちょっと、知りたい事もあるのだけれド…」と言いながら辺りを見回し、それから腕の中のウラを見下ろす。
「お姫様もいらっしゃる事だし、そろそろ帰らねバ」
 デリクの言葉に、ウラはむくれ「折角、女王様のお茶会をしていたのに、全部台無し! デリク、この罪は、『気狂いアリス』のバニラアイスでしか償えなくってよ?」と言う。
「仰せのままニ」とデリクは甘い声で言い、それから黒須に視線を戻した。
「出口、私一人でしたら、無理矢理作って外に出るのですガ、この子がいるので、余り無理はしたくないデス。 この、赤子、宥める事が出来ますカ?」
 そう問われ、辺りをぐるりと見回す黒須。
 そして、全ての面々を見渡すと、黒須はこの上なく、面倒臭そうに顔を歪め、「何で、こんなに、いるんだよ」と呻きそして、「とりあえず、危ないから、ちょっと離れろ。 鵺といずみ…は、外出てた方が良いかもしんねぇ。 そこのウラとかいうお嬢ちゃんも、兄ちゃん部屋の外に出してやんな」と言う。
 何が起こるというのだろう?
 何だかワクワクする幇禍同じ気持ちなのだろう。 
 「やだ。 見る」と、鵺は頑迷な調子で首を振り、いずみも「子供だからって、お気遣い頂かなくても結構です。 ちゃんと見届けさせて下さい。 大体、貴方の正体であれだけ驚かせて頂いたんです。 もう、何が起こったって平気です」と強い表情で告げた。
ウラに至っては、黒須の言葉など全く聞いていないのだろう。
 デリクの腕の中に納まって、惑っているベイブの姿を興味深げに見つめている。
(うーん。 お嬢さんはともかく、怖いもの知らずな子ばっかりだなぁ)
 そう、感心するように思っていると、「…ま、こういう場所でお茶会だなんて呑気な事が出来る子達だもの、それこそ、十八禁にでも引っ掛からなきゃ大丈夫じゃない?」とエマが言い、「そうですね。 もし引っ掛かっても、ちゃんとOMCでチェックしてくれるし」とシオンも身も蓋もない事を言う。
 黒須が、もう、どうにでもしてくれというような憔悴した顔をし、「で、何でこうなったんだ? 何を切っ欠にしたんだ?」と問えば、デリクはニッコリと笑って「魔女」と一言答えた。
 その瞬間、ベイブを囲む銀色の文様がバチバチと音を立てて一層鮮やかに輝き、王宮の揺れが激しくなる。
 ビクンとベイブが一度のけぞり、口を大きく開けると「あああぁぁぁぁああっ! こ、わい、怖い、怖い、あ、こ、ろして、殺して、死にたい、終わりたい、壊して、こわ、して…りゅ、うこ……まこ…と…、ドこ? 何処? 助けて! 何処!!」と、叫び、惑う。
 そんなベイブになんとも言えない視線を送り、それから「知ってるのか?」 黒須が問えば「一応、魔術師ですかラ」とデリクが答え、「騎士団内で起きたあの悲劇については、書物でとはいえ、知識として有しておりマス。 ただ、こうやって、実際に御目文字出来るだなんて、想像もしていなかったですケドネ」と、言葉を続ける。
「然し、素晴らしイ。 千年の呪い。 まさか、本当に有効であるトハ。 この奇跡の目の当たりにして、魔術師としては、捕獲して、どういう人体構造になっているのか、解体でもしてみたいところですガ…」
 そう言いながら、本心を見せない笑みを益々深める、「ジャバウォッキー、許してくれませんヨネ?」デリクが聞き、黒須が「本当に、コイツを殺せるってんなら、何処へだって、連れてってやれよ。 本人もそれを望んでる」と、答える。
「死にたい。 終わりたい。 解放されたい。 そればっかりで、たかが人間の分際で二百年以上も生きてんだ。 誰でもいいや。 コイツ殺せるなら、殺してくれよと頼みたいとこだけどな…」
 そして、一つ溜息を吐く。
「期待持たせるだけ、持たせて、結局、無理でしたって事になるんだったら、許してやれや。 コイツの絶望は、既に今で限界なんだ。 これ以上は酷過ぎる」
 デリクは、笑みを深め「時の魔女の最期の呪に対抗出来る程の、魔術構造を発見いたしましたら、是非、再び此処を訪れさせて頂きマス」と答える。
「ま、せいぜい期待させて貰うわ」
 黒須は気のない声で答え、それから竜子に目を向けた。
 竜子は「お前、ほんっと、何処行ってたんだよ。 どうせ、しょうもない飲み屋とか、競馬とか、そういうのなんだろうけどよ、マジで何も言わず出かける癖止めろよな」とブツブツ言いつつ、黒須の隣に立つ。
「どうだ? イケそうか?」
「んー? ヤバくね? いつも以上にはしゃいじゃってる」
「でも、放っておけば、ここら辺一帯それこそ歪むぞ? そうなると、『道』が変わるし、鍵持ってねぇ、コイツらを無事出してやれる保証がなくなる」
 そんな風に相談しあう二人を見て、「うーん、お嬢さんは無事、旦那様の所へ帰してやらなきゃ駄目だし困ったなぁ」と小さく呟くと、鵺がキラリと瞳を瞬かせながら見上げてきて「ま、いざとなったら、パパに来て貰うから」とさらりと凄い事を言う。
「え?」と息を呑む幇禍に、「患者さんを診るのは、医者の仕事でしょ」と、答えた。
「え? ベイブさんって、旦那様の患者さんなんですか?!」
 そう思わず聞けば「ん、まぁね。 鵺も今日聞いたんだけどさ」となんでもない事のように返答してくる。
(ま、益々底知れない方だ…)と、幇禍が鵺の養父への畏怖の感情を高めていると、新座が、名残惜しげにおでんを眺めながら「まだ、おでんアイツにやらないのか? 幇禍って、ケチなのか?」と聞いていた。
「んー、多分ね、今、俺が、このおでん片手に、ベイブさんのトコへ飛び込もうものなら、色んな意味で抹殺確実だと思いますよ?」
 そう言うと「そうか? 俺だったら、大歓迎するのになぁ」と不満そうに答える新座。
  そんな、ある種和やかな会話を交わされているのを余所に「時間が掛かり過ぎた。 せめて、あの結界内にもう少し近づければ…」という竜子の深刻な声が聞こえてきた。
 つまり、ベイブに近づけないから、彼の発作を止める事が出来ないという訳か。
 そう幇禍は思いながら、ベイブを取り囲む銀色の文様に眼を凝らす。
とするなら、あの銀の結界を誰かが…。
「…やってやる」
 それは、ドキリとする程に凛とした声だった。
「あの、銀の結界の威力を弱めれば良いのだろう? やってやる」
 そう金蝉が言いながら一歩進み出る。
 翼が、ついと傍らの美丈夫を見上げ「出来る?」と聞けば「構成されている術式こそは違うが、接点を見つけ出し絡ませれば何とかなるだろう」と金蝉が冷静な声で答える。
「何より、俺は、この糞みてぇな場所から、とっとと出ちまいたい。 おい、そこの、二人」
 そう言いながら、金蝉が、ギッと竜子と黒須をねめつける。
「誰だか知んねぇが、その結界の威力は抑えてやる。 それで、この事態の収拾を付けられんだろうな?」
 そう言われ、肩を竦めると、黒須は「ホントに、そんな器用な事やってのけてくれるってんなら、鋭意努力するよ」と答え、竜子は「任せときな!」と請け負った。
 信用出来ないという風に「フン」一つ鼻を鳴らし、それからおもむろに、金禅は懐から銃を取り出す。
そして、金蝉はその銃弾を、ベイブの周りで閃光を放つ結界へと打ち込んだ。
 耳をつんざく音が、ホール内に響き渡る。
 間を置かず、金蝉は複雑な印を両手で組み、術の詠唱に入った。
 すると、銀の文様の上に、金色の梵字で描かれた別の文様が浮び上がる。
 銀と金の光が絡まりあい、一瞬眩いばかりの光を放つと、その銀の結界が放っていた稲妻のような光が収まっていた。
「長くは持たん。 とっとと行け」
 金蝉が、目を閉じ、小さく術を唱え続けながらも、そう早口で二人に告げる。
「どぉも。 あんた、かなり良い腕してんな」
 そう、黒須が言った後、竜子と黒須は一気にベイブに近付き、竜子は前から、黒須は後ろに回り込んでベイブの身体を抱きしめた。


「お静まり下さいませご主人様」


 竜子が、ベイブの耳元に囁く。
「お静まり下さいませご主人様」



「魔女は来ませぬ。 魔女は、来ませぬ。 だって、ほら…」



 竜子が、静かな顔で天を指差す。



「貴方様が、あの魔女めを殺したのだから」



 思わず、その場にいた人間皆。
 黒須と、竜子を覗く全ての人間が空を仰ぎ、そして息を呑んだ。



いた。


玉座の天井にいた。



女が、目を閉じ、手と足に杭を打たれて天井に張り付けにされていた。
両手を開き、足を揃え、胸を深々と一本の槍を突き刺して、女がいた。


 アリス。


 灰色の、時の魔女。



「御覧下さい。 あれが、時の魔女に御座います」
 


デリクが、震える声で「ブラブォー」と呟いた。


  
天を仰いだベイブが呟く。


「ああ…。 アレが、私の罪の証」
 その瞬間無防備に仰け反ったままのベイブの首筋に、長い髪を揺らして黒須が顔を埋め、深々と噛み付いた。

 


「でね、でね、女の子の首がさ、中庭で歌っててね、鵺としては、アレ欲しいなぁとか思ったんだけど…」
「俺は、アレだ! あの、動くぬいぐるみ! アレが欲しい。 ぎゃおと、ケツァの友達に良い感じだしな」
 そう語り合う二人を横目に、桜餅をパクつく幇禍。
 天井に垂れ下がる豪奢なシャンデリアの暖かな光が、部屋をぼんやりと照らしている。
 此処は、食堂になっているようで、長いテーブルに、どんな宴会でも開けそうな位たくさんの椅子が並べられていた。
 鵺が、嬉しげにこんにゃくを口に運ぶ姿を見て、とりあえず彼女を見つけられ、しかも、仲直りまで出来た事に安堵を覚える幇禍。
 デリクとウラは既に、自力で王宮を脱し、翼と金蝉も、王宮を辞している。
 残っているのは、鵺、幇禍、新座の能天気三人組と、天才少女いずみにシオン、それにエマだけだ。
 新座がいつも連れているらしい玩具の怪獣(に見えるが、玩具では決してない)ぎゃおが、ウロウロと辺りをうろつき「変なもん喰うなよ〜?」と新座に諌められていた。
「ぎゃお?」
 首を傾げ分っているんだか、いないんだかの返事をしたぎゃおが、忽ち鵺に掬い上げられるようにして抱かれ、「おーっす! ぎゃお、ぎゃお、ぎゃおう♪」と妙な節で歌われながら、弄繰り回される。
 シオンが、ニコニコと、緑茶を啜り、桜餅を食べながら「やぁ、今日は来て良かったなぁv」と、やっぱりこの人も強者だよなぁとしみじいしてしまいそうな事を言っていた。
 エマは、竜子に「姐さん!」と呼ばれながら、ドクドク幇禍の買ってきた焼酎を注がれ、いずみはいずみで「…話から察するに、歴史的事実として書物の残る程の過去の遺体が、あのように、完全な状態で天井に残されているという事になる訳で、やはり、それは、此処が異空間だからなのか…どれとも、あの女性自体が特別な存在だからなのか…」とブツブツと呟きながら考え込んでいる。
 焼酎を啜り、鵺が養父に持たされたという「臭い乾物詰め合わせ」を突きながら、「それにしたって、お嬢さんと、新座さんはどうやって、此処に来たんです?」と、問いかけた。
「えーとね、パパに幇禍君がチョーむかつくんだよねぇって言ったら、じゃあ、近頃来てなくてちょっと心配だから、様子見がてらベイブさんとこ行ってきてって言われて来た」
「何か、腹減ってフラフラしてたら、迷い込んでた」
 二人、そう端的に答え「でも、美味しいもん一杯食べれたから良かった」と同じ結論に達している鵺と新座。
 親友同士と言っていたが、これだけ思考回路が似通ってりゃあそうなるだろうと納得しつつ、「それは、良かったですね」と言ってあげる幇禍。
 そうやって、のんびり酒やお茶を楽しんでいると、食堂の入り口の扉が開き、そこから、憔悴しきった表情の黒須がぐったりと足を引きずるようにして入ってきた。
倒れこむみたいに椅子に座り込み「うー、疲れたーー」と、呻く黒須に「ね、ね! ベーやんどうなったの?」と、鵺がベイブの容態を尋ねる。
 黒須に噛まれた瞬間、ぐったりと全身の力を抜いて倒れこんだベイブを、黒須は城のわけの分らない住人に手伝って貰いながら彼の寝所に運び、竜子はこの食堂までエマ達を案内してくれたのだ。
「誠の、八重歯んとこにはな、蛇の猛毒が仕込まれてて、そいつで噛まれると普通の人間は一発で逝っちまうんだが、あの千年生きなきゃなんない王様にとってみりゃあ、丁度良い睡眠薬なんだ。 夜、眠れない時とかに、誠、噛んでやってるもん」と、竜子が説明してくれたのだが、蛇の猛毒で安眠を得る男の話なんてもんは、もう、此処まで現実離れしてるとどうでも良いという気分にすらなり、「ふーん、そうなんだぁ」とおざなりな返事しか出来なくなる。
 そうやって、あの狂気の王様を寝かしつけた黒須は、べったりと机に身を投げ出したまま、「…とりあえず、寝てるし、もうちょっとしたら起きるだろうが、ま、そん時にはいつも通り落ち着いてるだろう」と、告げる。
 そうか、良かった、良かったと思い、鵺に「じゃ、俺達もそろそろ、此処をおいとましましょうか?」と聞けば、キョトンと何言ってるの?っていう風に眼を見開き、「だって、鵺、今日此処にお泊りだよ? ね、竜子ちゃん」と竜子に問う。
 竜子は笑顔で頷くと「ああ。 そう約束したな。 後で、一緒に風呂入るんだもんな」と軽く答えた。
 その瞬間、エマと何やら話していた黒須が跳ね上がるようにして顔を上げ、此方を向き「は? な、何言ってんだお前?」と震える声で、竜子に問う。
「や、だから、何か、ベイブが世話んなってるトコの娘さんらしいし、アイツも、一泊くらいだったらさせてやれって…」
「冗談じゃねぇぞ? こんな、とんちき娘一晩も面倒見れるか!」
「むぅ。 鵺、とんちきじゃないもん! むしろ、まこっちゃんの性癖のがとんちきだもん!」
 鵺は、文句を言う黒須にそう言い返し、なおかつ「やーい、変態、へんたーい」と苛めっ子口調で黒須をなじる。
 然し幇禍にしてみても、そんな話は聞いてないといった所で「と、泊まるって、此処にですか?」と不安一杯の声で言えば「良いでしょ? パパも、ベーやんも、竜子ちゃんだって、OKしてくれたんだから」と天真爛漫な笑顔で言い返され、かなり凹んでいる黒須と共に項垂れる事になった。




 さて、その後、竜子と鵺が仲良くお風呂に入り、エマと新座、シオンといずみも無事王宮から辞した、食堂で、黒須と眠りから目覚めたベイブが三人辛気臭く酒を舐めていた。
 ベイブは、おかしくなっていた時の記憶が全く無いらしく、しきりに、首に残る黒須の噛み後を気にして「こんな、強く、噛む事はないのに…」だの、「目立って、みっともない…」だの言っている。
 しかし、黒須はもっと不機嫌に、自分の肩口を指差すと「おっまえ、さっき、自分のやった事踏まえて、んな事ほざいてんだろぉなぁ?」と吐き捨てた。
 そこには、くっきりと赤黒く浮かぶ、歯型があって、少し前まではうっすら血まで滲んでいたという代物である。
 何を隠そう、ベイブが、何も覚えておらずに起床した後、噛み痕だけ見てムカついたらしく、食堂に物言わず現れ、黒須の背後に忍び寄ったかと思うと、吸血鬼もかくやといった風情で噛み付いたのだ。
「んぎゃぁぁぁぁ!!」
 そう、みっともない事この上ない悲鳴をあげて、暴れる黒須を易々と押さえ込み、思う存分噛み付いた痕、唇の周りを真っ赤な血で染め、自分の喉を指して「是はどういう事だ」と黒須に問うたベイブの顔は、流石王様というべき傲慢さに満ちていて、「あぅあぅ」と言葉にならない声で唸っていた黒須の哀れな姿が忘れられない。
 ベイブ曰く、「混血」の血は美味いという事で、幇禍は不死だったりする自分がどんな成り立ちによって出来ている生き物なのか分らないという事を、ベイブに言うのは絶対に止めようと心に決めた。
 下手に、味を見て確かめてやるとか言われたら、大変痛い目に合いそうな気がしたからだ。
 ズルズルと酒を呑みつつ、黒須に横目で睨まれ「お前は、そろそろ帰らなくて良いのかよ」と聞かれる幇禍。
 ベイブは何も言わずに、お茶を啜り、それから黒須の髪をぎゅっと引っ張って「芥子」と端的に告げていた。
「だから、禿げるつってんだろ」と文句を言いつつ、練がらしを取り、あまつさえ、ベイブの器の中に適量搾り出してやる黒須。
 それを、大根に塗りつけて食べたベイブが辛かったのか少し顔を顰めれば、「ん」と言いながら、桜餅を取ってやったりして、「オオ、流石奴隷」と、思わず呟いていた。
 ぎろりと、睨まれ「言っとくけどな、こいつがあんまり何にも出来ないから、俺がどんどん甲斐甲斐しくなってったが故の、この結果だ」と苦々しく告げられる。
「竜子さんもですか?」
「いや。 竜子は、超絶的に鈍いからこんな気遣いは出来ん。 てか、そういや、竜子の面倒も俺が見てやってる」
 即座にそう言葉を返し、「誠」とベイブに再び名を呼ばれれば、うんざりしたような顔をしながらも、黒須は新しいお茶をベイブの湯飲みに注いでやった。
(『サラリーマン時代にも、そんなに肌に合ってなかった階級制度が…』なんて言ってたけど、コレを見てる限りじゃ…)
と、幇禍は、黒須の様子を見守り「けっこー、合ってるよな、奴隷って立場」と、小さく呟く。
 むしろ、鵺への対応の仕方の参考にしたいとも思える、至れり尽くせりな行動に、幇禍は深く感動し、今度鵺のことで、何か困る出来事に出会ったら、黒須に相談しようと固く心に決めるのであった。


 

end



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2414/ 鬼丸・鵺  / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3342/ 魏・幇禍  / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】
【3356/ シオン・レ・ハイ  / 男性 / 42歳 / びんぼーにん(食住)+α】
【1271/ 飛鷹・いずみ  / 女性 / 10歳 / 小学生】
【3427/ ウラ・フレンツフェン  / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【2916/ 桜塚・金蝉  / 男性 / 21歳 / 陰陽師】
【3060/ 新座・クレイボーン  / 男性 / 14歳 / ユニサス(神馬)/競馬予想師/艦隊軍属】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】

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■         ライター通信          ■
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お久しぶりの方も、初めましての方も、今回は「お願いBaby!」御参加いただきまして有難う御座います。
ライターのmomiziで御座います。
今回は、久しぶりのOMCな上、初自NPC登場でのゲームノベル挑戦って事で色々あわあわしてしまいました。
何だか、参加して下さった方のブレイングの着地点が皆さん同じ感じだったので、集合ノベルにしてみたり。
とはいえ、例によって個別に近い形で書かせてもらってるので、どの話を読んでもらっても、新鮮な楽しみ方が出来ると…えーと、いいな?(弱気)

半年振りの執筆に些か戸惑いもあったのですが、何とか書き上げる事が出来ました!
ではでは、また、今度いつ書けるのか分りませんが、これにて〜。


momiziでした。