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<東京怪談・PCゲームノベル>


お願いBaby!


〜OP〜


嗚呼、嗚呼、嗚呼、こんな場所に来てしまって。

君は…トム・ソーヤか…それとも、アリスか?

君の好奇心が、この王宮の扉を開く鍵となったのか?
無邪気に、さまよい歩いて此処まで来たのか?
ならば、猫をも殺すの言葉通り、その身を一思いに喰らうてやろうか?


それとも…、


違うのか?
切なる願いを抱えているのか?
それは、千年の呪いに匹敵する願いなのか?


動かしてみよ。


私の心を。
君の言葉が、私の心を動かせば、或いは…。

嗚呼、或いは、この王宮で飼っている、大事な「奴隷」を貸してやらない事もない。
それとも、この孤独の王の力、奮ってやらない事もない。

さぁ! 言葉を!
私の退屈を癒す言葉を………頂戴。




本編






春が近い。
エマは、厳しい寒さが過ぎて、少し温んだ温度を、目を細め肌で感じながら胸中で呟く。
春が、近い。
エマの細く長い腕の中に納まっているのは、薄紫の小花が散った風呂敷袋。
中身は、昼中頃に作ったばかりの桜餅だ。
事務所で、武彦達と食そうと思い作ったものだが、かなり会心の出来だったりして、足元が浮き立つように軽くなるのを抑えられない。
来る途中、良い匂いに惹かれ購入した、御茶屋の玉露の茶葉を使ってお茶を淹れて、武彦さんと零ちゃんと一緒に……だなんてぼんやり考えていた時だった。

ゾワゾワゾワ!と、一瞬髪の毛が逆立つようないやぁな予感がした。

このシュライン・エマ。
草間興信所という日本でも変人の集まり具合は随一という事務所で事務員をやっているが、本人は至って常識と礼儀を弁えた大人の女性としての自己を確立してると思っているし、世間の評価も、「出来る女」という至って高評価を得ていたりする。
故に、だからこそ、「〜な気がする」とか「〜な予感がする」という気分に襲われた際、その直感のようなものが正しいのかどうか、きちんと己の目で確かめ、形にしたいという好奇心に似た妙な使命感をエマは有しており、その時も一度立ち止まり、そして、ゆっくりと視線を巡らせた。


うん、いた。


思わず眩暈を覚え、天を見上げる。
明るい、心根まで染め上げてしまいそうな程に青い空。
昼過ぎとはいえ、まだ、世間は日中と呼ぶに相応しい時間帯で、こんな天気の日には健康的に外を歩いたり、何処かへレジャーに行ったり、暇な人間ならもっと、こうアクティブな事に出向きそうなそんな時間、そんな日に、男が二人、高架下の小さな屋台で肩を並べて酒を呑んでいた。
もう、その情景が薄汚れている。
暗い。
侘しい。
みみっちい。
だが、問題はそこではない。
その、男二人が、見間違いようもなく顔見知りの人間である事が、エマにとっては例えようもなく痛かったのだ。
(何でこんな時間帯から、酒なんかカッ喰らってんだか…)
そう呆れつつも、ピンと背筋の伸びた美しい背中と、流れ落ちる滝のような艶やかな髪を、その髪質とは対照的に猫背のみっともない背中に垂らした男の背中を眺め比べて「ま、聞きたい事あるし、いっか」と一人呟き、屋台へと近付く。
「……だからね、考えてみれば俺も大差ないっちゅうか、職業奴隷に等しいのかなぁって、あんたとは、そう言う意味でお仲間?みたいな感じなんですけどね。 ま、俺の場合は、フフ、『恋の奴隷』みたいな? みたいな?」
「や、凄い、得意げだけど巧くない。 その言い回しは巧くない。 何か、満足感得ているみたいだけど、それは全然巧くない」
明らかに、脱力を誘う会話を交わしている幇禍と黒須、二人の肩をポンと叩き、「お久しぶりね。 幇禍さんとは、えっと、温泉以来か…。 鵺ちゃんは元気? ってか、珍しい組み合わせで昼間っからお酒呑んじゃって、どうしたの?」と言いながら、エマは黒須の隣に腰掛ける。
「わ! エマさん、どうしたんです? こんなトコで」
そういう幇禍の言葉に「それは、私の台詞よ」と言いつつ、隣の黒須に目を走らせ、「そっちも、変わりないみたいで」と言えば、「お互い様だろう」と、相変わらずの掠れた、神経の何処かを引っ掻くような声で言い返された。
「で、どうなの? 『千年王宮』の、ほら、あの人、えーと、ベイブ、うん、ベイブさんとか、竜子ちゃんはどうなの? 元気にしてるの?」
そう問いながら、店の主に「えーと、ウーロン茶とかありますか?」と聞く。
小さく頷き、「温かいの? 冷たいの?」と問いかえされるエマ。
春が近いとはいえ、まだ、気温は低く、冷たい飲み物よりは、温かいお茶が欲しいと思ったエマが「じゃ、温かいの」と告げれば、程なく白い陶器のコップに、熱いウーロン茶が注がれて出される。
 コップ自体には、小さなピンク色の花がワンポイントとしてあしらってあったりして、「こんな屋台なのに、随分としゃれた入れ物で出てくるのね」なんて感心していると、「ああ、どっちも元気っちゃあ、元気だよ。 ま、あの、腐れ殿様なんかは、病気ですらしようがないんだから、むしろ、元気じゃなくなりたいかもしれないがな」なんて、憎々しげな先程の質問への黒須の答えが帰って来た。
 どういう意味なのだろう?と首を傾げる間もなく、幇禍が嬉しげに「エマさん、何か食べます? 此処、明太子お好み焼きが絶品なんですよ」と言ってくる。
「へぇ、そんなの作ってくれるんだ。 じゃ、それお願いします」と、店の主に告げ、それから、「で、何話してたのよ二人で?」と会話の水を向けた。
「や、それがね、聞いて下さいよ〜〜」と、幇禍が待ってましたと言わんばかりの口調で、食いつき、黒須が「やめとけ、やめとけ。 コイツ、話長ぇぞ?」と、げんなりとした口調で言いながら、目の前のイカ焼きをつつく。
色の濃い遮光眼鏡の隙間から覗く目は爬虫類の目の色と同じ真黄色で、そういえば、昼間は殆ど視力がないという話だったなと思いつつ、「で、どうしたのよ?」幇禍に聞けば、出てくる、出てくる、婚約者兼生徒である鵺への愚痴が。
「もうね、報われないのとか、そういうのには慣れっ子なんですけどね、危ないトコに一人で突っ込んでいったり、無茶ばっかりするのだけでも、何とかして欲しいと思ってですね…ほんと、目を放していられないというか、落ち着かないというかね…」
そう、明らかに、結構呑んでるな?と思わせる口調で言い募った後、「でもね、今回は、俺が悪いんです。 絶対的に俺が悪いんです。 一緒に遊びに行く約束してたのに、急な仕事で、すっぽかしちゃったから…、しかも、その時に、英語の課題なんかを『遊びに行けなくて出来た暇を、どうぞ、これで潰して下さい』と言って、残してきたりしちゃったから…」とそこまで言って、俯く幇禍。
正直、もう、どうでも良いかな?なんて、思い始めているエマは、出されたお好み焼きを「あ、ほんとだ、結構美味しい」とか言いながら、口に運んでいるし、黒須は黒須で、「あ、コレもつまんでみろよ。 茄子の浅漬け。 かなり、イケんぜ?」と、エマに薦めたりしちゃっている。
だが、幇禍はそれに構わず、グズグズとした声で「ね、コレ見て下さいよ。 こんなん迄残して消える事ないじゃないですかぁ」と言いながら、英語のテキストを二人の前に差し出す。
とりあえずという感じで覗き込む、エマと黒須。
そして、そのまま、二人硬直した。
幇禍が指し示すページ一杯に、真っ赤な、うん? コレってもしかして、血文字ちゃうん?という字で「探さないで下さい」と書かれていたからだ。
「えっと、えーと、こ、これって?」
そう震える指で指し示すエマに、至って当然という風に「お嬢さんの書き置きです」と答える幇禍。
「もう、こんなもん残して何処に消えたのやら。 俺、朝から探し回ってんですけど、一向に見つかんなくって…」と、また愚痴の続きを始めようとする幇禍を、エマは慌てて止める。
「うん、ちょっと待って、待て。 ストップ。 えーと、まず、聞きたいんだけどね、普通の女の子がね、こういうものを残して消えたとなると、正常な感覚を持つ人間としてはね、『え? もしかして、この子このまま、樹海の奥とか、東尋坊とか、虹の大橋とかで、命を絶つつもりでは?』とか思っちゃうもんなんだけどね…」
「や、それはないです。 だって、お嬢さんですし」
「そうよね。 鵺ちゃんだものね」
 そう訳の分からない安心の仕方をし、「じゃあ、この血みたいなものも、ケチャップとか、絵の具とかそういうのか。 なんか、ほのかに鉄臭いんだけど」と笑顔で確認すれば、「いえ、それは、ばっちりお嬢さんの血です」と笑顔で返された。
 興味深げに、血文字を指先で触っていた黒須が慌てて指を引っ込め「は?! マジかよ?」と、問う。
「はい、お嬢さんは、変なトコで、リアリティを追求するこだわり派な方ですから、そういうアイテムでは手を抜きません。 間違いなく、お嬢さんの血です。 ほんと、そういう意味では、お茶目な方なんですけどね…」
 そう答える幇禍に「ねぇ、私の知ってるお茶目って言葉の意味と、幇禍さんの言う、お茶目って言葉の意味に、大きな隔たりがあるような気がするんだけど?」と、小声で黒須に問い「俺も、同意見だよ。 てか、アイツのお茶目の範囲は何処まで広いんだ」と呻く。
「でね、お嬢さん、前まで風邪ひいてましたし、病明けなんだから、ほんと、早く連れ戻したいんですけど…何処にいるかなんて知りませんよね?」
 幇禍の質問に首を振り、「私は見かけてないわ。 興信所にも行ってみたの?」と聞けば「ハイ。 真っ先に訪ねたんですけどね…。 それに、お嬢さんのめぼしい友人の家も…」と答える。
「そっか…。 じゃ、完全にお手上げ。 ごめんね、お役に立てなくて」と侘び、ウーロン茶を一口啜る。
 血文字の書置きを残して消えるだなんて、まぁ、普通の子なら確かに大問題なのだが、あの鵺の性格を鑑みる限り、どうしてだろう、何にも心配なんてないような気もする。
 黒須も、「ま、その内見つかるさ。 中学生のガキなんざが行けるトコなんて、そうねぇんだからな。 案外、もう、自宅に戻ってのんびりしてるかもしんねぇぜ?」なんて気楽な事を言っていて、幇禍は「何て、相談し甲斐のない人達なんだろう」なんて憎たらしい事を呟いた。
 三人の上を、轟音を立てて電車が通り抜けていく。
「相談ね。 ま、相談どころか、ウチの、あの腐れ殿さんなんかに話しゃあ、とんでもない事態にしちまうだろうけどね」
そう、熱燗を啜りながら、薄く黒須が笑う。
「え? なぁに? ベイブさんって、相談所かなんかやってらっしゃるの?」
 エマの問いに「もっと、性質の悪ぃもんさ」と、黒須が答える。
「あいつは、ある事情があって、一定の時間しか、こっちの世界に来る事は出来ねぇんだ。 で、そういうせまぁい世界で、えらい事長い間いるせいか、大層な暇人でな。 時折、思い出したみてぇに、『千年王宮』とこっちの世界を繋ぎやがる。 俺や、竜子は鍵があって自由に出入り出来るし、鍵がある以上『千年王宮』っていう空間が、俺らに牙を剥く事はねぇんだが、鍵を持たない人間に対する『千年王宮』っちゅうか、『千年王宮』の住人達の反応は千差万別だ。 中にはとんでもなく凶暴な奴もいるしな。 そんでも、中にはベイブのいる、王座まで辿り着く奴だっている。 で、そういう奴の『願い』を、そん時のベイブの機嫌が良ければだが、叶えてやってんだ。 つっても、あくまで機嫌が良ければで、しかも、俺や竜子を使ってな。 ま、唯、願いもなぁんもねぇのに、気まぐれで繋げられた王宮に迷い込み、そのまま神隠しに合っちまうような、気の毒な奴だっているだろうし、俺としては、そうゆう事止めろよと、言ってはいるんだけどな」
 そこまで言って、自嘲するような笑みを浮かべて「ま、ご主人様のする事に、奴隷風情が口出し出来る訳はないと、そうゆう訳よ」と、吐き捨てる。
「何か、やっぱり苦労してるみたいねぇ」
 そうエマが同情して言えば、「おうよ。 サラリーマン時代にも、そんなに肌に合ってなかった階級制度が、まさか、こんな風にもっと厳しい世界での生活を余儀なくされるだなんて、考えてもみなかったからな。 人生どう転ぶか分かったもんじゃねぇなぁ…」と、しみじみとした調子で言い、それから、ちょっと笑って「てか、同情してくれてるのか?」と聞いてきた。
 エマはフフンと、笑って「ま、ね。 幾ら見た目、ヤクザで、明らかに堅気の人間じゃなくて、真実を知り、髪等の特徴とか考えると、むしろ下半身蛇の姿の時のが違和感ないよね?ってくらい、色んな意味で胡散臭く、不気味な印象を拭えない人でもさ、可哀想だなとは思うもの」と、きっぱり告げる。
「「うわぁ」」
 思わず幇禍ですら、痛そうに顔を歪め、同じタイミングで圧倒されたような声を発すると、黒須は「よく言うぜ。 あの姿になった時にゃあ、あんだけ騒ぎまくってくれたのによ」と半年前の出来事を指し、呆れたように言う。
 すると、エマは、「そうなのよねぇ、おっかしいな、おかしいなって、それは思ってたの。 私って基本的に、生き物に苦手なのはいないっていうか、ゴの付くあの忌々しい、多分ノストラダムスの言ってた大魔王って、ああいう生き物の事差してるのよと断言できるくらいに気味の悪い黒い生き物以外は、嫌悪感抱かない人種だから、爬虫類もね、鱗の感じとか綺麗だなぁって頬ずり出来ちゃう位平気なんだけど…」と、言いながら、黒須の人相の悪い顔をマジマジと見上げ溜息を吐き、「あの時っていうか、あの事件の中で、貴方の姿に嫌悪を抱いたのはね、大蛇に抱いたんじゃなくて、多分、心底貴方の事が気に入らなかっただろうなぁという結論にね、達したのよ」と、言い放った。
 黒須は、憔悴した表情で「なぁ? なぁ? そんなに、俺の事嫌いか? あの一日やそこらの付き合いで、そんな嫌いになれたか?」と聞けば「そうなのよねぇ…。 ほんと、不思議な位! やっぱさ、合わない人はとことん合わないんだなぁって、一目惚れがあるように、一目嫌いもあるんだなって深く知る事の出来た一件だったわ」と、うんうんと頷き、「さて、私は、そろそろ、興信所にでも戻ろうかな」と言いながら立ち上がりかける。
 黒須はヒラヒラと手を降り「へぇへぇ、せいぜい、あの甲斐性なしの彼氏にでも宜しく言っておいてくれ」と言うと、「さ、俺も、戻るかな」と、一つ伸びをする。
 その伸びきった黒須の腕と、それから立ち上がったエマの服の裾をハシッと幇禍が掴み、「行きたいなー」と小さく小さく呟いた。
「は?」
「千年王宮行きたいなぁ」
「はい?」
 黒須が、裏返った声で問い返す。
 まるで、父親に遊園地に行きたいと強請る子供とそう変わらぬ口調で「千年王宮行きたい」と繰り返す幇禍。
 一瞬、黒須とエマは顔を見合わせ、その刹那、エマはわたわたと、幇禍の手から逃れるべく身を捩った。
 何か嫌な予感がする、何か嫌な予感がする。
 この二人の姿を最初に見かけた時の不安な感じが、益々強くなって、エマの胸を締め付けた。
(このままだと、絶対、何か面倒な事に巻き込まれる!)
その予感は、悲しい位正しいものだったが、然し、「あ! てめっ! 逃げる気だろ!」の声と共に、黒須にまで肩を掴まれるエマ。
傍目には、強引に誘われている女性に見えなくもないが、その実情は何というか、もっとしょぼい。
「ちょっ! 放して! 私は、今から、武彦さんとこで、美味しい桜餅を食べるの! ちゃんと、そうやって決めてきたの! だから、ちょっと、放しなさいよ!」
 そう子供の駄々のような事をいって、逃げようと必死になるエマに「分かった! 行って良い! 何処へでも行って良いから、コイツも一緒に連れてってくれ!」と幇禍を押し付けようとする。
「何ですか、二人して、俺をお荷物みたいに…。 っていうか、エマさんは桜餅を持ってるんですか。 うわぁ、楽しみだなぁ。 じゃ、俺は、ここのおでんを持ち帰りにしようかな? あと、焼酎! 此処、結構珍しい銘柄置いてあって、頼めば譲って貰えるんですよねぇv どれにします?」
 二人の騒ぎに、少しむくれた後、自分の思いつきに浮かれたかのように、勝手に話を進める幇禍。
 余りのゴーイング・マイウェイっぷりに、一瞬二人は動作を止め「空気よめよ!」と突っ込んでしまう。
 もう、何が何だかっていうか、大の大人三人が小さな屋台の前で大揉めに揉めている姿はみっともない以外の何者でもない。
「だ、大体、楽しみだなぁって何よ? 桜餅はね、興信所で頂くんであって、『千年王宮』とか何とか言う、意味の分かんない場所で食べるつもりはないの! 私は、もう、此処で、帰るの! 帰りたいの!」
 そう主張するエマに、「だって、黒須さんと二人ぼっちで、そういう訳分かんない場所行くの、ちょっとドキドキっていうか、恥ずかしい感じじゃないですか。 ほら、向こうの住人の方にすぐ、馴染める自信ないし。 だから、一緒に行って下さいよ」と、暢気に言い、店の主に適当なおでんの具を、保温パックに詰めて貰いだす幇禍の姿に青ざめ「ちょ、ちょっと待て、ちょっと待てよ? 俺は、ひとっことも連れてくだなんて言ってねぇっつうか、馬鹿、おい、やめろ! そんな行く気満々な感じで、おでんを注文するな。 焼酎も買うな! 連れてないぞ、俺は連れてかないからな!」と黒須が喚く。
 そして、縋るようにエマを見て「お前も、何とか言ってくれよ!」と言うが、エマは「そっちは、そっちで、解決してよ! 私を巻き込まないで!」と冷たい事を言い、それから再び何とか、この二人から逃れるべく、わたわたと暴れるのであった。



「まぁ、ね、あの展開だと、このオチだろうなぁとは、目に見えていたのよ。 うん、分かってた、分かってた」
 エマは、疲れきった表情と口調でそう呟く。
 確かに、竜子達の様子は気になってた。
 アレからどうしてるだろうな?位は、時折思い出す事もあった。
 だが、今日黒須の口からはっきりと、元気である事を聞けて、それで、もう、気がかりは何にもなくなったわけで、決して、決して、こんな普通に生活してれば一生足を踏み入れずに過ごせるだろう、不思議空間に来たかったわけではないのだ。
「ねぇ、何で私まで連れて来たのよ」
 そう、むしろ、虚ろに笑いながら聞けば、黒須も虚ろに「へへっ」と笑いながら「正直、俺一人だけで、あいつの相手を出来る自信がなかったし、女がいた方が、ベイブもそれ程、無体な事をしでかしゃしねぇだろうからな」と答える。
 黒須の身体はこの世界に来る為に、半身蛇の姿になっていて、やっぱりこっちの方が、何だかんだで違和感ないなぁと感じるエマ。
 だが、そんなエマの気持ちなど知らぬ気に、「大体、お前、自分だけで逃げようだなんて、冷たいにも程があるってもんだ。 こうなりゃ、トコトン付き合って貰うからな」と、弱り切っているような声で言った。
エマは、面倒くさい事になってしまったと思い、深々と溜息を吐くと、ゆっくりと周りを見回す。
 乳白色の大理石の壁に覆われた宮殿の床には、真っ赤な絨毯が敷き詰められている。
 天井に垂れ下がった煌くシャンデリアが目を射、壁一杯に並べられた本棚には、こんな時でなければ、飛びついて貪り読みたくなるような海外書物の原書が並べられている。
 黒須が、何をどうやったのかは覚えていない。
 昼が過ぎ、夕闇が迫る頃、人気のない広場まで連れてこられ、突如幇禍に「何か良いモン持ってねぇ?」と聞いた。
 幇禍は、最初意味が分からないといった顔をしていたが、「ああ、そうか、蛇になんないと、扉を開けられないんでしたっけ。」と、ポンと手を打ち、「夜限定じゃないと変身出来ないそうですけど、大丈夫ですか?」と聞く。
黒須が、空を見上げ「ま、この位まで日も暮れれば大丈夫だろう」と言った瞬間だった。
「了解しました。 じゃあ、コレで」と言って、その胸に、目に見えないような早さで大振りなナイフを突き立てた。
 その手際や、何処にそんな物騒なものを隠し持っていたのかという驚きに加え、例え死なないと分かっていても、よくもまぁ、そんなあっさりと人の体にナイフを振るえるものだ、目を剥いていれば、黒須も「お、まえ、そういう事、する前に、ちゃんと、一声掛けるとか…」と、息も絶え絶えと言った調子で告げ、そのまま引っくり返る。
 ずぶりとナイフを抜く、幇禍。
 見る見るごぼごぼと胸から血が流れ出て、黒須の顔も土気色になる、それから瞬きする間もなく、彼は「下半身大蛇」の化け物に変化した。
「いってぇ…。 倒れた時、頭打った」と言いながら、黒須は身をくねらせる様にして起きる。
 そして、あの鍵を、黒須の恋人・霧華の薬指を真っ赤な舌を閃かせて咥えた瞬間、三人は此処にいた。
 そういや、舌に鍵穴を作って貰っていた。
 そんな事をぼんやり思い出していると「とにかく、一度着替えを取りに、俺の部屋寄ってくれ。 この姿のままじゃ、敵わん」と、言いながら部屋を出る先頭に立って、部屋を出る黒須。
「あんま、離れて歩くなよ?」と、言わる迄もなく、エマは目の前に広がる光景に黒須の側から決して離れまいと決心した。
それは、無限回廊とも言うべき、長く広い廊下。
 両端には虹色の水が川のように流れ、花の様な匂いが何処からともなく鼻腔を擽る。
天井には凝った装飾の施された照明器具が点々と並び、柔らかな灯りを点していた。
 その下を、三人は並んで歩く。
 廊下には、無数の色んな形をした扉が並び、前を通る時に、何故か獣の鳴き声や、人のすすり泣く声、陽気な宴会を繰り広げているような騒がしい物音等、様々な音が漏れ聞こえてきた。
「ね、ねぇ。 ここのお家ってどの位の人が住んでんの?」
 そうエマが聞けば「さぁな? ベイブの許しなく、扉を開けると命の保証は出来ないって事位しか知らねぇからなぁ。 この扉の位置だって日によって違うし、それに、内装すらベイブの気分しだいで変わるから、住人の事なんざ、どうやっても把握出来ねぇよ」と、さらりと怖い事を言った黒須は、正面に目を向け、「ああ、まぁだ、迷ってやがる」とうんざりしたように呟く。
「え? 何がです?」
 そう幇禍が、興味深げに問いかけ、それから、黒須と同じ方向に視線を向けて、何故か歓声をあげた。
「わぁ! エマさん、ほら、何だか面白いものが来ますよ?」
 エマも、正面を向いたまま硬直し「い、言われなくても、見えるわよ。 ただ、面白いものっていう意見には賛同しかねるけどね」と、幇禍に答えた。
 正面から来るもの。
 それは、トトトトと、軽い足音を立てて駆けて来る、まさに「足」だった。
 白いトゥシューズを穿いた、真っ白な、細く美しい足が、三人の前で立ち止まる。
 さぞかし、上半身も美しい少女なのだろうと思えど、其処には何もない。
 本当にただ、足のみ。
「…エリザ。 また、はぐれたのか? 胴体は、知らないが、首だったら中庭で歌ってんの、今朝見かけたぜ?」
 そう黒須が言えば、まるでバレエダンサーが客席に礼をするかのような形に足を折り曲げ、三人の脇を通り抜けて走り出す。
 すると、今度は天井付近から「…ハロー、ハロー、ハロー? ご機嫌は如何が?」と、まるでふざけきった声がして、見上げれば、天井に派手な格好をした道化が立っていた。
 重力の法則を無視しているか如く天井に立ち、此方を「見上げて」いる道化。
 エマが「もう、驚かない。 何も驚かない。 蛇男に、足女に、天井ピエロと立て続けに遭遇してんだもの。 もう、何でも来いって感じよ。 そうよ、アリス。 私は、アリスにでもなったと思えば良いのよ」と自己暗示に掛けるように言えば、クルリと黒須が振り返りからかうように「随分、年喰ったアリスだな」と言う。
 勿論、その瞬間鉄拳での制裁はくわえておいて、再び道化に視線を送る。
 幇禍が、「まるで、忍者ですねぇ」と暢気に言えば、「忍者? まさか、私は唯の道化さ」と陽気な声で答えた。
 そして、クルリと手を閃かせ、手の内から真っ赤な花を一本咲かせる。
 思わず拍手してしまったエマに、「では、そこのレディに」と笑いながら花を落とし、そして黒須に目を向けた。
「いいね。 君は。 今日は、檻から出して貰ったの? この迷宮のジャバウォッキー。 ただ今、ご主人様のご機嫌はすこぶる良いよ。 何だか、可愛いお客人や、おかしな連中が王宮の中を賑わしているようだ。 君も、早くもてなしに行けば良い。 今からなら、お茶会に間に合うかもしれない」
 そう謎めいた事を言い、それからフラフラと天井を歩いていく。
「客って、何だよ?! また、面倒なモン引き入れてんじゃねぇだろうな? あの、野郎」
 そう問われカラカラと笑うと「さぁて、そいつあ、私の口からは言いかねる。 そんな風に主人を口汚く呼んだりして、また、キツイ仕置きを喰らっても知らないよ。 女王様も、お前の事を探していたからね。 こうなると、さぁて、見物だ。 蛇男の鞭打ちショーだ!」と、天井で一度トンボ返りし、「その時は、王宮中の仲間を誘って見学に行ってあげるよ」と、馬鹿にするかのように黒須に言い、その瞬間煙の如く消えた。
「あ“〜〜〜もうっ! 此処の奴らはどいつもこいつも!」
 そう言いながら、足音荒く歩き出しかけ、「そこ! 変なもん触って、指喰い千切られても知らねぇぞ!」と黒須が語気荒く、幇禍に言う。
 見れば、幇禍が、壁に掛かっていた絵に手を伸ばしかけていた。
黒須の言葉に、悪戯が見つかった子供のように頭を掻き、「や、だって、ほら、絵なのに動いてるもんだから…」と言い訳する。
中には、ツンとした美女が胸元の大きく開いた服を着て、扇で顔を仰ぎながら座っていた。
確かに扇で扇がれた髪が揺れ、扇自体も優雅な動きを見せている。
「言っておくけどな、顔の良い男が触ると、そのまま引っ張り混まれて食われるぞ。 ほら、後ろ見てみろ」
 そう指し示せば、確かに、女の座るソファの後ろに、何人かのやせ細った男の手足や、身体が見えている。
「お前だったら、充分コイツの合格点だ」
 黒須に言われ、確かに美形と呼ぶに相応しい整った顔を歪めると「わぁ、危機一髪」とホントにそう思っているかどうか、不明瞭な声音で呟いた。
 こんなに命の危険に満ちているような屋敷でよくもまぁ、生活できるものだと、少し感心し、エマは黒須の後ろを歩き続ける。
 足がなく蛇の身体がシュルシュルと波打ち動くさまを眺めていると、まるで催眠術にかかっているかのように、意識が酩酊してきて、気付くとエマは、今まで壁に並んでいたどの扉とも違う、無骨で分厚い鉄の扉の前に立っていた。
「じゃ、着替えてくるから、そこで待ってろ」
 そう言いながら、霧華の薬指を、鉄の扉の鍵穴に差し込む黒須。
(王宮の扉だけでなく、自室の鍵にもなってるのね)
 そう思い、少し部屋の中の様子が気になったが、やっぱり覗くのは失礼だと我慢して、黒須の背中を見送る。
 幇禍は、幇禍で、よっぽど怖いもの知らずなのか、ふらふらと廊下端を流れる七色の水を掬ってみたり、廊下に飾ってある展示品をマジマジと覗き込んだりしている。
「触ると、危ないわよ?」
 まるで、子供を注意する母親のような気分になってそういえば、ニコリと笑って幇禍は「ハイ! でも、面白いですよ、これ?」と、言いながら、小さな腰元までしかない台の上に置かれた真っ黒な球体を指差した。
 側によって、覗き込んでみる。
 すると、息を呑むほどに美しい星空が、球の中に見えた。
「ね? あ、ほら、流れ星が」
 指を指されてみてみれば、確かに、キラリキラリと、球体の夜空の中を星が流れ落ちている。
「これって……」
「忘れられた世界の果ての、夜空なんだそうだ」
 そう言いながら、人間の姿に戻った黒須が背後から声を掛けてきた。
 ゆったりとした、黒のセーターに、細身のジーンズを穿いている。
 どっからどうみても、休日チンピラといった風情なのだが、ベイブに隷属するものの証であるらしい首輪だけが、異様で浮いて見えた。
「ああ見えて、案外ロマンチストだからな。 気に入った風景や何やを見つけると、すぐに閉じ込めて持ってくる」
 そう告げ、ヒョイと持ち上げる。
「欲しかったらやろうか? ここらに置いてあるって事は、もう飽きたって事だからな」
 そう黒須に問われ、首を振るエマ。
 幇禍も「それは、お嬢さんの趣味ではないみたいですし、良いです」と答えれば、「ま、確かに、こんなんが一般家庭に飾ってあったら変か」と言って、元の場所に戻した。


 それは、凍りつくように、気温の低い、そして虚ろな部屋だった。
 広い広い、入り口から玉座までどれ程の距離があるのか全く計り知れない広間に一人、ベイブが玉座に、しな垂れるようにして座っている。
 血色の悪い、白灰色の顔。
 疲れきり、飽いきったような、その表情。
 真っ白な唇は固く引き結ばれ、灰色の、冬の夜空のような目が、三人を見据える。
「おい、道化の野郎が、何やら千客万来だって喜んでたんだが、どういう事だ? また、面倒ごとを引き込みやがったのか?」
 そう言いながら、猫背のまま、何の遠慮もなく、その近寄りがたい男に走り寄った黒須は突如、何か大きな力に引っ張られたかのように、地面に倒れ伏し、そしてズルズルと玉座に引き寄せられた。
長い髪が床に乱れ散らばり、何かに抗おうと暴れる黒須の動きに合わせて悶えるように舞う。
 見れば、ベイブが何かを握るような仕草を見せ、自分の元へと引っ張っていた。
 黒須は、首輪を引き掴み、見えない鎖に引かれているかのように、苦しげに呻く。
「っ! 馬鹿! 痛ぇ! 痛ぇって! くそっ! 道化の、野郎、出鱈目言いやがって! 何が、機嫌が、良い、だ!」
切れ切れにそう悪態を吐きつつ、ベイブの足元まで引き寄せられた黒須は、ぐいと黒髪を掴まれ顔を無理矢理上げさせられた。
「何処へ行っていた?」
 そう問われるが、髪を掴まれているのがよっぽど痛いのだろう。
「禿げる! 禿げる! このままだと、確実に禿げる!」と喚き、ベイブの白い手に爪を立てる。
「38歳で禿げたら、もう、取り返しつかないでしょうね」
そう、幇禍が目の前の光景を、完全に超越しきった感想を述べれば、「うぅわぁぁ! 嫌だ! 取り返しの付かないのは、嫌だぁぁ!」と、また、黒須は喚いた。
「え? でも、霧華さんと半同化しちゃってる訳だから、禿げてもまた、その髪になるんじゃないのかしら?」
 エマも、エマで、連続して見せ付けられた異常な世界に、正常な感覚は麻痺しきり、そう呟いてみる。
 すると、ベイブは「ふむ」と呟き、物凄く軽い思い付きだろうなと分かる声で「試してみるか」と言って、一層、黒須の髪を引く手に力を込めた。
「うあ! あ! ああ! ちょ、やめっ! ブチブチ言ってる! 髪の毛、ブチブチ言ってるから! ホントに禿げて、元に戻らなかったら、どうすんだよ!」
 そう怒鳴りつけられ、「んー」と少し悩む素振りを見せる、ベイブ。
 そして、灰色の目を瞬かせ「ちょっと、面白い?」と、黒須に告げた。
「うわ! 面白いて! しかも、疑問形やし! ちょっとやし! やめろ! そんな、ちょっとした娯楽で、俺を苦しめるのは!」
 もっともな事を、もっともな声音で言い放ち、黒須は渾身の力で、何とかベイブの手を自分の髪から引き剥がす。
 その間に、広間を突っ切り、二人の側まで来ていたエマと幇禍は、涙目になって「オー、人事、オー人事に、連絡してやるっ!」と、頭を押さえて叫ぶ黒須に、「いやいや。 多分、彼らでも貴方は救えないし」と突っ込んでおいた。
 ベイブが、退屈そうに首を傾け「で、この方々はどうしたんだ?」と問えば「へぇ、今日は白雪で覗き見はしてなかった訳だ」と、黒須が返す。
「生憎、今日は客人が多くてな、その相手をするのに、忙しかった」
「それは、それは、退屈王様もご満悦ってトコじゃねぇの」
 其処まで言って、「で、コイツに何か用あったっけ?」と問いかければ、幇禍が勢いよく頷き「ちょっと、お話聞いて貰って良いですか!」とベイブに言った。
 ベイブは、少し目をむき、黒須を見上げ「貴様、私の事を、悩み相談室かなんかだと、彼に説明したのか?」と胡乱気に聞く。
 黒須は首を振り、「まさか。 唯、お前が時たま暇つぶしに、人の願いを叶えてやってるって、教えてやっただけだよ」と答えた。
「それでは、私はまるで、ランプの魔人ではないか…」
 呆れたようにそう言うベイブを見て「や、そんな愉快な人にはどうやったって見えないわね」とエマは小さく呟く。
「で、願い事を叶えてくれるんだったら、人生相談にも乗って貰えるかと思って。 あ、大丈夫です、ご安心召されよ! ちゃんと、手土産持参ですから」
 そう、朗らかに告げる幇禍を、暫し見つめ、一つ溜息を吐くと「まぁ、話だけは聞こうか。 どうぞ?」と、その好奇心一杯の眼差しに負けたかのように促した。
「あのですね、相談というのは、まぁ、言うまでもなく、世界一可愛い俺のお嬢さんについてなんですけど、お嬢さんってば、俺が、急な仕事が入ったせいで、デートの約束をすっぽかしちゃって、それで、今猛烈に怒って、行方くらまし中なんですけどね、ほんとに何処行ったのかな?って事と、どうやったら、仲直り出来るかな?っていうのを、教えて欲しくって…」
 そこまで、一気に言い募る幇禍に、虚ろな穴のような目を据えていたベイブが、その眼差しのまま傍らに立つ黒須を見上げ「私は…、恋愛百当番の相談員か?」と問いかける。
 すると、憐れむように、「永遠童貞決定のお前が、恋愛相談に答えられる程、経験豊富だ何て、誰も思ってやしねぇよ」と、黒須は答えた。
 その瞬間、再びグイと見えぬ鎖に引かれて、地面に膝を付く黒須。
「口が…過ぎるようだが?」
 そう冷たい声で言われ「へぇへぇ、すんません」とおざなりに詫びる。
「大体、アレだ、そういう女性経験は皆無だが、200年以上生きているのだから、全くそういう相談に乗れないという事もない…んだ」
ベイブの強がるような言葉に「じゃあ、幇禍さんの悩みを是非今すぐ解決してあげて、早急にもとの世界に帰して貰えると、私は嬉しいんだけど」とエマが言えば、眉間に深い皺を寄せ、彼は、じっと黙りこくる。


 そのまま、十分。



「うん、ごめん、無理させた。 無理させたな」
「ごめんなさい。 そんな、貴方を追い詰めるつもりはなかったのよ。 あのね、軽いつもりでね…」
「スイマセン。 謝ります。 ほんと、スイマセン。 あの、勘違いしてました。 ほんとスイマセン」
 三人が、必死にベイブに謝っている。
 だが、ベイブはと言えば、黙り込んだまま、じっと動かず、幇禍の相談への答えを探し続けている。
 瞬きの回数すら極端に少なく、正直言って見てる人間の心臓に悪い。
 その生真面目な表情の下で、どんな思考が渦巻いているのかは知らないが、少なくとも幇禍の相談への答えを探しているにしては時間が掛かりすぎているっていうか、もう、マジで、この人、この格好のまま心停止とかしてんじゃないの?という、時を経て、やっと、ベイブが口を開く。
 一瞬、気おされたように、三人は口を閉ざし、重苦しい沈黙が場を満たした。
「…謝れば…許して、貰えるんじゃないか?」
 そんな、何処の誰でも言いそうな事をやっと口にしたベイブに脱力する三人。
「そうですね! 謝ります! 埋まる位謝ります!」と、強い声で答え「良かった。 良かった。 動いてくれた。 良かった」と幇禍が呟く。
 黒須は、黒須で「コレが、この子の精一杯なんです。 褒めてやって下さい。 どうか、褒めてやって下さい」と、涙目で二人に訴えた。
 エマも、途方もない安心感を覚え、何で、他人の恋愛相談如きにこんな緊張を強いられなきゃいけないのか、理不尽に感じながら、「何か疲れたし、甘い物でも食べる? 桜餅、あるんだけど?」と告げる。
「あ、じゃあ、おでんも空けちゃいましょう。 そんで、焼酎でも飲みません?」
 そう手土産の二品を掲げる幇禍に「私は、酒が飲めん」と告げたベイブ。
 エマは「じゃ、お茶淹れてあげるわ。 来客用の茶葉だから、玉露よ、玉露〜?」と言い、「お台所貸して貰える?」と問いかける。
 ベイブは、頷き、「案内してやれ」と黒須に言うと、幇禍の手の中にある、おでんの保温パックを興味深げに見下ろした。
「じゃ、行くか」
 そう黒須に言われ、連れ立って一旦、玉座を辞す二人。
「貴方はどうする? お茶にする? それともお酒?」
 長い廊下を歩きながらそう問えば。
「べらぼうに呑みてぇ気分だから、酒がいいやな」と、答え、そして、長い髪を鬱陶しげに後ろに払った。
「ねぇ…」
 ふと、気になっていた事を思い出し、エマは、黒須に問いかける。
「ねぇ、黒須さんて、ベイブさんとどうやって出会ったの?」
 黒須は、ふっと細く剣呑な形の目を緩め「どうやってってなぁ…、別に聞いても面白いもんじゃねぇぞ?」と言った。
 エマは、目の端を掠めていく、様々な不思議な光景から意識を逸らす為にも「差し支えなかったら、聞きたいわ」と言う。
 黒須は、「そうだな。 まぁ、良い思い出でもないが、話したって支障ねぇな」と呟くと、ゆっくりと、掛けている遮光眼鏡を外した。
 真黄色の目が、エマを射る。
「こういう風な生き物になっちまって…」
 そう喋る黒須の口元から覗く舌先が、いやに隠微に動いた。
「こういう風な生き物になっちまって、俺は途方に暮れていた。 誰を頼れば良いかも分かんねぇ。 竜子は、俺の事を、受け入れてくれたが、まだガキなあいつを、ややこしい事には巻き込みたくねぇ。 それでも、霧華を殺した奴放ってなんていられなかった俺は、異形の生き物となっても呆れる位無力な自分に絶望し、そして力を切望した」
「霧華さんを、殺した人は…、どういう人なのかしら? どうして、霧華さんを…」
「さぁな。 恨みを買うような奴じゃなかったが、世の中にゃ、下手な正義の味方気取りが、唯、人とは違う異形の生き物だからってだけで、悪と判断し、天誅と称して攻撃を仕掛けてくる奴もいる。 問題は、霧華を殺した奴は、まだ、誰にも捕まっておらず、誰の裁きも受けずにのうのうと生きてるって事だけだ」
 そう、淡々と言い、「願った。 俺は、力を。 霧華を殺した奴に復讐できる力を。 だから、千年王宮に迷い込んだ。 そして、ベイブに会い…」と、此処まで黒須が言った所で言葉を継ぐ。
「願ったのね。 力を」
「ああ。 『邪蛇丸』はそん時に、預けられた。 アイツに仕える限りは、あの刀も俺に仕えてくれる。 竜子の言う通り、馬鹿馬鹿しい事をしちまってるのかもしんねぇが、まぁ、この位の年になると、何かに希望を見出して生きるよりは、憎しみの対象を追ってる方が遥かに生き易い」
 黒須の言葉に首を振り、エマは「馬鹿ね」と一言言った。
「馬鹿だよ」
 あっさり黒須は答えた。
 だけど、エマは黒須の復讐を否定する事は出来なかった。
 大切な人間がいる者ならば、どうやったって、黒須の復讐を否定する事など出来る筈はないと思った。
 


 もし、武彦が、無残に殺されて、その相手がのうのうと逃げ延びたなら。



 私も、この王宮に迷い込み、そして願うだろう。 力を。
それで、例え、ベイブの奴隷となったとしても。



「急須、急須っと…あ、これか」
 そう言いながら、惚れ惚れする程広いキッチンの棚を探り、急須を取り出す。
 何故か、甘いバニラエッセンスの匂いが漂っているが、誰かケーキでも焼いたのだろうか?と思いつつ、「あと、湯のみ茶碗は…」と、言いながら見回した目の前に何故か、二個手頃な大きさの湯飲み茶碗が唐突に置かれている。
「えーと、そ…れから、お盆もあれば…」
 そう呟くと、茶碗の奥に前からあったかのように、朱塗りの盆が現れる。
「ねぇ、是って…」
そう言いながら黒須に視線を送れば「台所番が手伝ってくれてんだよ。 日頃、此処を使う奴が中々いなかったもんで、拗ねてたんだが、お前が来てくれたおかげで上機嫌だ」と言う。
「だ、台所番?」と、此処にも妙な住人がいるのかと思い、当たりを見回せば、トトトトと、キッチン台を駆ける、小人の後姿が目に入った。
「ね、ねぇ、アレって?」
 そう聞けば、「だから、台所番。 此処に何人住んでんだか分んないんだが、洗いもんや水周りの掃除、冷蔵庫の中の整理なんかをやってくれてるらしい。 っても、竜子は料理出来ねぇし、ベイブは言わずなものがだし…俺は…」と、そこまで言った所で「あっれぇぇ? まこっちゃん? まこっちゃんだよね? ね? あ! エマさんもいんじゃん!」と、明るい声が聞こえてきた。
 驚くなかれ。
 ある意味、自分がこんな場所に来る羽目になった何もかもの原因、鬼丸・鵺が立っている。
「おっひさぁって感じじゃない? 元気してた? 元気してた?」
 そう言われ、「うん! 久しぶり! 元気そうで何より!」と、言った後、「よし、じゃあ、何より先に、お前、アイツに会え! 会って来い!」黒須が怒鳴る。
「は? 誰? 誰に会えば良いの?」
 鵺にそう問い返され「幇禍さんよ!」とエマも勢い込んで言う。
「あ、貴方をあの人が探してるせいで、私は此処まで、連れてこられちゃって、足だけ女だわ、天井ピエロだわ、恋愛百当番で、沈黙の惑星で、緊張しすぎで、胃潰瘍で…!」
 そう意味の分からない事を並べ立てるエマに「相変わらずのハイテンションコンビよね」と鵺は呟いた後、「幇禍君来てるんだ」と、それが何の不思議でもないように言った。
「ふぅん。 此処までも追いかけてくれるっていうのは、ちょっとポイント高いかも」
 そう、美少女だからこそ許される台詞を吐き、それから「分った。 会ってきてあげる。 何処にいるの?」と首を傾げる。
 黒須は「玉座。 ベイブのいる、部屋だ。 一人じゃ危ねぇし、案内してやるから、姐ちゃんが茶淹れるまで待ってろ」と言った。



 コポコポと沸かしたお湯を、茶葉を入れた急須に注ぐ。
「ちょっと、蒸らす時間だけ頂戴ね?」と言えば、鵺が、「凄い良い匂い。 ね、鵺も欲しい!」と言った。
「さっきまで、紅茶とクッキーとケーキでお茶してたんだけど、緑茶もイケてるよね」
 鵺の言葉に、黒須がそういえばという感じで「な、そのお茶ってのは、お前の他に誰としてんだ?」と問いかける。
 すると、鵺は指折り数えながら、「えーと、シオンさんでしょ? いずみでしょ? あとね、ウラと、竜子ちゃん!」と笑顔で告げた。
 その瞬間、よろめく黒須。
「何で、また、そんなに迷い込んで来やがってんだ…。 しかも、聞いた事ある名前が結構いるし…。 今日は、どういう厄日だ?」
 そう嫌そうに言う黒須に、「アラ、私はみんな知ってるわ」とエマが言い、「つまり、興信所関係者が結構来ちゃってるって事か」と呟く。
「ま、当然と言えば当然なんだけどな。 ここは、よっぽど強い願いを抱いていなきゃ、普通の人間が呼び込まれる事は滅多にない。 あの興信所は、異能力者が集う場所だったんだろ? そういう、何かしら他人とは違う能力を持っている奴の方が、此処の扉は通り易いんだよ」
「だから、自然と、東京では、興信所関係者がこの王宮内に迷い込んでしまったっていう訳か」
 そう納得し、お茶を茶碗に鵺の分も含めて注ぐと、「じゃ、行きましょ」と言う。
廊下を歩きながら「ね? 幇禍君きっと、喜ぶわよぉ。 だから、許してあげてね?」と言うエマに「うっそ。 幇禍君ってば、鵺と喧嘩した事まで喋っちゃったの? もう、信じられない!」と膨れつつも、少し嬉しげで、黒須は「まぁ、そう言わずに、な? お姫様?」と明るい声で、鵺を宥める。
 これで、幇禍も気が済むだろうし、桜餅だけみんなで食べて、帰して貰おうとほっと一安心した時だった。
 王宮が微かに揺れ、壁にかかっていた人物画が一斉に「発作だ! 発作だ! 誰かが、赤ん坊をむずからせた!」と叫びだした。
 

 黒須がはっとしたように、表情を引き締め「やべっ。 何も、こんな時に!」と呟き、「ちょっと走るぞ? はぐれると、やべぇから、絶対見失うな」と言ってくる。
「え? えっと、お茶? お茶、どうすれば…」
 そうお盆に載ったお茶を示せば、黒須は苛立ったように、「小人! 出張依頼だ! 後で、茶、玉座まで運んで来い!」と台所の方向に向って叫び「そこら辺置いとけ!」とエマに言った。
 言われるがまま、床に置き、「た、頼みます!」と黒須と同じように台所に向って叫ぶエマ。
「蛇男! 千年の城に住む魔物! このお城のジャバウォッキー! 呼んでるよ! ベイブが、あんたを呼んでるよ! 早く! 早く! 早く行かなきゃ皆殺しだ!」
 いつの間にか天井に現れていた道化が楽しげに、そう甲高い声で喚き、黒須は一言「うるせぇ」と吐き捨てると、一気に走り出した。
 エマも、その走りに遅れぬよう、鵺の手を引いて駆ける。
 絵から、そして、ずらりと並んだ扉の奥から、悲痛で騒がしい、狂気じみた声で「ベイブ! ベイブ! 早くあやして! 皆殺しだよ! 皆殺しだよ!」と黒須に叫ぶ声が聞こえてくる。
 黒須が一直線に玉座の間に飛び込み、続いて突入したエマと鵺が見た光景は、先程までの何処か空っぽな人形めいたベイブの様子から一転した酷い有様の彼だった。



「あ、ああ、あっ、来る! クるんだ! ま、誠! 何処? 何処にイる? 竜子! 竜子、来て! 魔女が、また、ま、魔女が、あ、あ、寒い、寒い、寒い…」
 玉座に蹲った彼の周辺に、不思議な銀色の文様が浮び上がっている。
 その銀色の文様内ではバチバチと電気が弾けるような音と共に、銀色の稲妻のような光が走っていた。
 大剣に縋るように、しがみつく様にしていたベイブが顔を上げ、「誠? 竜子? 早く、は、やく、来ないと、つ、かまる。 つ、かまったら、壊れる。 こ、われ、る、割れる。割れて、あ、また、寒い…た、すけて、助けて…」と呟きながら、泣きそうに歪められた顔で当たりを見回す。
 まるで、迷子の子供のような、それは酷く弱弱しい姿だった。
「壊れる…ネ。 魔女の呪とハ、かくも恐ろシイ。 差し詰め、この赤子は、その魔女を知らず虜にしてしまった、不運な時の迷子に過ぎないと言う訳、でスカ」
 ダークブロンドの髪が、揺れ、群青色の目が、細く三日月の形に歪んだ。
「何て、興味深イ!」
 ベイブの側に立ち、嬉しげに言う男にエマは見覚えがある。
 そうだ。
 一度だけ会った事がある。
 正体不明で、油断ならない印象がある男。
「デリク!」
 嬉しげな声を上げ、一人の少女が彼の元に駆け寄った。
 彼女も知っている。
 一度だけ会った。
 ウラ・フレンツヒェン。
 黒く、美しい髪を靡かせて良く出来た人形のように愛らしい少女がデリクに飛びつく。
「おヤ? 私の姫君。 こんな所にお出でになられて、どうなさったんでス?」
 そう言いながら、壊れ物を扱うような手付きで、その身体を抱きしめ、そして、笑った。
 あの二人が知り合いだったなんてと驚くエマ。
 だが、何処か非現実的な空気を有する二人が並んでいる姿は、至極しっくりきてしまう。
「ウラ。 御覧なさイ。 アレこそ、究極の愛の形デス」
 そうベイブを顎で指し示した瞬間、バチッ!と音がして、デリクの足元に銀色の光が飛ぶ。 それを、ウラを抱えたまま、ヒョイと身軽に避け「危なイ、危なイ。 赤子が強力な力を持つと、加減を知らないカラ、面倒ダ」と飄々とした声で言った。
 黒須が、ずいと進み出て、「お前、何かやったのか?」と問いかける。
 だがその声に怒りはない。
 ただ、本当に尋ねているだけという声音。
「何カ? 何カ?とは、何でス? ああ、そうダ、そうダ。 あなた、初めて、お会いしまスネ。 私、デリク・オーロフと申しまス。 以後お見知りおきヲ」
 そう自己紹介したあと、優雅に一礼し、それから首を傾げてじっと、黒須を見る。
「あなたも、随分、面白い身体ダ」
 そう呟き、「そして、此処は、面白い場所ダ。 もうちょっと、知りたい事もあるのだけれド…」と言いながら辺りを見回し、それから腕の中のウラを見下ろす。
「お姫様もいらっしゃる事だし、そろそろ帰らねバ」
 デリクの言葉に、ウラはむくれ「折角、女王様のお茶会をしていたのに、全部台無し! デリク、この罪は、『気狂いアリス』のバニラアイスでしか償えなくってよ?」と言う。
「仰せのままニ」とデリクは甘い声で言い、それから黒須に視線を戻した。
「出口、私一人でしたら、無理矢理作って外に出るのですガ、この子がいるので、余り無理はしたくないデス。 この、赤子、宥める事が出来ますカ?」
 そう問われ、辺りをぐるりと見回す黒須。
 エマも、今頃になって漸く周りに注意を向けてみた。
 急いで飛び込んできたため気付かなかったが、部屋の中には、鵺の言っていた一緒にお茶をしたというメンバーの他に、美少年めいた美少女蒼王・翼と金髪の無愛想美丈夫桜塚・金蝉。 それから、包帯だらけの新座迄もがいる。
 黒須はこの上なく、面倒臭そうに顔を歪め、「何で、こんなに、いるんだよ」と呻くと、そして、「とりあえず、危ないから、ちょっと離れろ。 鵺といずみ…は、外出てた方が良いかもしんねぇ。 そこのウラとかいうお嬢ちゃんも、兄ちゃん部屋の外に出してやんな」と言う。
 何か嫌なものでも見せられるのだろうか?
 そう考え、思わず「私も外出て良い?」言いかけるが、それより先に、頑迷な調子で「やだ。 見る」と鵺が首を振る。
いずみも「子供だからって、お気遣い頂かなくても結構です。 ちゃんと見届けさせて下さい。 大体、貴方の正体であれだけ驚かせて頂いたんです。 もう、何が起こったって平気です」と強い表情で言い、子供がそんな調子なのに、大人の女性であるエマはパクパクと「私も部屋の外出たい」という言葉を飲み込まざる得ない。
 ウラに至っては、黒須の言葉など全く聞いていないのだろう。
 デリクの腕の中に納まって、惑っているベイブの姿を興味深げに見つめている。
(さ、最近の子には、敵わないわ…)
 そう、戦くように思いながら、「…ま、こういう場所でお茶会だなんて呑気な事が出来る子達だもの、それこそ、十八禁にでも引っ掛からなきゃ大丈夫じゃない?」と言えば、「そうですね。 もし引っ掛かっても、ちゃんとOMCでチェックしてくれるし」とシオンが身も蓋もない事を言う。
 黒須が、もう、どうにでもしてくれというような憔悴した顔をし、「で、何でこうなったんだ? 何を切っ欠にしたんだ?」と問えば、デリクはニッコリと笑って「魔女」と一言答えた。
 その瞬間、ベイブを囲む銀色の文様がバチバチと音を立てて一層鮮やかに輝き、王宮の揺れが激しくなる。
 ビクンとベイブが一度のけぞり、口を大きく開けると「あああぁぁぁぁああっ! こ、わい、怖い、怖い、あ、こ、ろして、殺して、死にたい、終わりたい、壊して、こわ、して…りゅ、うこ……まこ…と…、ドこ? 何処? 助けて! 何処!!」と、叫び、惑う。
 そんなベイブになんとも言えない視線を送り、それから「知ってるのか?」 黒須が問えば「一応、魔術師ですかラ」とデリクが答え、「騎士団内で起きたあの悲劇については、書物でとはいえ、知識として有しておりマス。 ただ、こうやって、実際に御目文字出来るだなんて、想像もしていなかったですケドネ」と、言葉を続ける。
「然し、素晴らしイ。 千年の呪い。 まさか、本当に有効であるトハ。 この奇跡の目の当たりにして、魔術師としては、捕獲して、どういう人体構造になっているのか、解体でもしてみたいところですガ…」
 そう言いながら、本心を見せない笑みを益々深める、「ジャバウォッキー、許してくれませんヨネ?」デリクが聞き、黒須が「本当に、コイツを殺せるってんなら、何処へだって、連れてってやれよ。 本人もそれを望んでる」と、答える。
「死にたい。 終わりたい。 解放されたい。 そればっかりで、たかが人間の分際で二百年以上も生きてんだ。 誰でもいいや。 コイツ殺せるなら、殺してくれよと頼みたいとこだけどな…」
 そして、一つ溜息を吐く。
「期待持たせるだけ、持たせて、結局、無理でしたって事になるんだったら、許してやれや。 コイツの絶望は、既に今で限界なんだ。 これ以上は酷過ぎる」
 デリクは、笑みを深め「時の魔女の最期の呪に対抗出来る程の、魔術構造を発見いたしましたら、是非、再び此処を訪れさせて頂きマス」と答える。
「ま、せいぜい期待させて貰うわ」
 黒須は気のない声で答え、それから竜子に目を向けた。
 竜子は「お前、ほんっと、何処行ってたんだよ。 どうせ、しょうもない飲み屋とか、競馬とか、そういうのなんだろうけどよ、マジで何も言わず出かける癖止めろよな」とブツブツ言いつつ、黒須の隣に立つ。
「どうだ? イケそうか?」
「んー? ヤバくね? いつも以上にはしゃいじゃってる」
「でも、放っておけば、ここら辺一帯それこそ歪むぞ? そうなると、『道』が変わるし、鍵持ってねぇ、コイツらを無事出してやれる保証がなくなる」
 何やら、怖い事を相談しあう二人を見てエマは思わず青ざめる。
(冗談じゃないわよ! 『無事出してやれる保証がない』って、どういう意味よ…!)
 そう思いながら、ふと、自分がこんな場所に来るはめになったそもそもの原因に視線を向けてみれば、幇禍は鵺に会えて嬉しいのか、何やら楽しげに彼女と話しており、鵺は鵺で幇禍や、新座と賑やかに語らっていて、何やらそこら辺一体だけ、この緊迫した空気とは全く別種の空気になってしまっている。
(あ、頭痛くなってきた…)
 そうふらつきかければ、「時間が掛かり過ぎた。 せめて、あの結界内にもう少し近づければ…」という竜子の声が聞こえてきた。
 つまり、ベイブに近づけないから、彼の発作を止める事が出来ないという訳か。
 とするなら、あの銀の結界を誰かが…。
「…やってやる」
 それは、ドキリとする程に凛とした声だった。
「あの、銀の結界の威力を弱めれば良いのだろう? やってやる」
 そう金蝉が言いながら一歩進み出る。
 翼が、ついと傍らの美丈夫を見上げ「出来る?」と聞けば「構成されている術式こそは違うが、接点を見つけ出し絡ませれば何とかなるだろう」と金蝉が冷静な声で答える。
「何より、俺は、この糞みてぇな場所から、とっとと出ちまいたい。 おい、そこの、二人」
 そう言いながら、金蝉が、ギッと竜子と黒須をねめつける。
「誰だか知んねぇが、その結界の威力は抑えてやる。 それで、この事態の収拾を付けられんだろうな?」
 そう言われ、肩を竦めると、黒須は「ホントに、そんな器用な事やってのけてくれるってんなら、鋭意努力するよ」と答え、竜子は「任せときな!」と請け負った。
 信用出来ないという風に「フン」一つ鼻を鳴らし、それからおもむろに、金禅は懐から銃を取り出す。
 エマがぎょっとする間もなく、金蝉はその銃弾を、ベイブの周りで閃光を放つ結界へと打ち込んだ。
 耳をつんざく音が、ホール内に響き渡る。
 そして、間を置かず、金蝉は複雑な印を両手で組み、術の詠唱に入った。
 すると、銀の文様の上に、金色の梵字で描かれた別の文様が浮び上がる。
 銀と金の光が絡まりあい、一瞬眩いばかりの光を放つと、その銀の結界が放っていた稲妻のような光が収まっていた。
「長くは持たん。 とっとと行け」
 金蝉が、目を閉じ、小さく術を唱え続けながらも、そう早口で二人に告げる。
「どぉも。 あんた、かなり良い腕してんな」
 そう、黒須が言った後、竜子と黒須は一気にベイブに近付き、竜子は前から、黒須は後ろに回り込んでベイブの身体を抱きしめた。


「お静まり下さいませご主人様」


 竜子が、ベイブの耳元に囁く。
「お静まり下さいませご主人様」



「魔女は来ませぬ。 魔女は、来ませぬ。 だって、ほら…」



 竜子が、静かな顔で天を指差す。



「貴方様が、あの魔女めを殺したのだから」



 思わず、その場にいた人間皆。
 黒須と、竜子を覗く全ての人間が空を仰ぎ、そして息を呑んだ。



いた。


玉座の天井にいた。



女が、目を閉じ、手と足に杭を打たれて天井に張り付けにされていた。
両手を開き、足を揃え、胸を深々と一本の槍を突き刺して、女がいた。


「御覧下さい。 あれが、時の魔女に御座います」
 


デリクが、震える声で「ブラブォー」と呟いた。


  
天を仰いだベイブが呟く。


「ああ…。 アレが、私の罪の証」
 その瞬間無防備に仰け反ったままのベイブの首筋に、長い髪を揺らして黒須が顔を埋め、深々と噛み付いた。

 


「ううううう。 な、なな、なんで、天井にあんなもん、置いてあんのよ?」
 エマが震える声でそう問えば、竜子がケロっとした顔で「んー? ま、ベイブの趣味らしいんだけど、アイツの考えてる事って、全然分んないっすからねぇ」と言い「姐さん! 良い呑みっぷりですね! もう一杯如何です?」と竜子が、エマの杯に焼酎の瓶を傾けてくる。
 そうか、此処で暮らすには、竜子位、何ごとも気にしない性格じゃないと無理なのね…。
 そう納得しながら、杯を差し出すエマ。
 トクトクと、酒を注ぎ、「やぁ、然し、姐さんまでお越し下さってただなんて、出迎えする事出来ずに申し訳ありませんでした!」と、竜子が頭を下げる。
「や、だから、姐さんじゃないし…」と小さく呟き、相変わらず化粧の濃い顔がニコニコと此方を見てくるのをげんなりするような気分で見返す。
 本当はお茶で済ませるつもりだったのに、怒涛の出来事の連続で、呑まずにはいられない気分になってしまった。
 此処は、食堂になっているようで、長いテーブルに、どんな宴会でも開けそうな位たくさんの椅子が並べられている。
 その端の方の椅子に座りながら、幇禍の買ってきたおでんを突き、エマの作った桜餅を頬張っている面々を見渡して、「絶対、このメンツの中じゃ、私が一番千年王宮暮らしに適応出来まい」と確信を深めた。
 デリクとウラは既に、自力で王宮を脱し、翼と金蝉も、王宮を辞している。
 残っているのは、鵺、幇禍、新座の能天気三人組と、天才少女いずみにシオンだけだ。
 新座がいつも連れている玩具の怪獣(に見えるが、玩具では決してない)ぎゃおが、ウロウロと辺りをうろつき「変なもん喰うなよ〜?」と新座に諌められていた。
「ぎゃお?」
 首を傾げ分っているんだか、いないんだかの返事をしたぎゃおが、忽ち鵺に掬い上げられるようにして抱かれ、「おーっす! ぎゃお、ぎゃお、ぎゃおう♪」と妙な節で歌われながら、弄繰り回される。
 シオンが、ニコニコと、緑茶を啜り、桜餅を食べながら「やぁ、今日は来て良かったなぁv」と、正気の沙汰とは思えない事を言っていた。
 思わず、常識仲間を求めいずみに視線を送れば、「…話から察するに、歴史的事実として書物の残る程の過去の遺体が、あのように、完全な状態で天井に残されているという事になる訳で、やはり、それは、此処が異空間だからなのか…どれとも、あの女性自体が特別な存在だからなのか…」とブツブツと呟きながら考え込んでいる。
「駄目だ…」
 そう呻き、酒を煽れば、再び竜子が「よ! 日本一の飲みっぷり! もう、一杯お注ぎしやす」と言いながら、酒を注いできた。
 エマは、鵺が手土産に持ってきたという「臭い乾物詰め合わせ」の中のくさやを(どうして、まぁ、こんな微妙な感じのものを手土産に?)と思いながら口に運ぶ。
 いつもなら、この後恋人と会う予定があるのに、こんなに匂いがきついものを口にする事はないが、自棄になってる今は別だった。
 それから、竜子にチラリと視線を走らせ、相変わらずの濃いメイクに覆われた顔を見て(やっぱり、まだ、竜子ちゃんは無意識な片思い中なのかしら…?)とぼんやり考える。
 自分の年の二倍以上の男を追って、何もかもを捨て、此処で暮らす竜子を、それでも、エマは哀れとは思えなかった。
(ある意味、とっても贅沢な状況なのよね。 憧れと惚れた相手が一緒になっちゃっているのだもの。 一粒で二度美味しい。 …なぁんてね。 本人には言えないか…)
 そう胸中で呟くエマの思い等、全く察する事無く、ニコニコと他愛ない話をしてくる竜子が口を噤み、ふいと食堂の入り口を振り返る。
 そこから、憔悴しきった表情の黒須がぐったりと足を引きずるようにして入り、そのまま倒れこむみたいに椅子に座り込んだ。
「うー、疲れたーー」
 そう呻く黒須に「ね、ね! ベーやんどうなったの?」と、うん! 彼のことそんな風に呼べるのは、世界中で多分貴方一人だけさ!という呼び方をしながら、ベイブの容態を尋ねる鵺。
 黒須に噛まれた瞬間、ぐったりと全身の力を抜いて倒れこんだベイブを、黒須は金蝉と翼に手伝って貰いながら彼の寝所に運び、竜子はこの食堂までエマ達を案内してくれたのだ。
「誠の、八重歯んとこにはな、蛇の猛毒が仕込まれてて、そいつで噛まれると普通の人間は一発で逝っちまうんだが、あの千年生きなきゃなんない王様にとってみりゃあ、丁度良い睡眠薬なんだ。 夜、眠れない時とかに、誠、噛んでやってるもん」と、竜子が説明してくれたのだが、蛇の猛毒で安眠を得る男の話なんてもんは、もう、此処まで現実離れしてるとどうでも良いという気分にすらなり、「ふーん、そうなんだぁ」とおざなりな返事しか出来なくなる。
 そうやって、あの狂気の王様を寝かしつけた黒須は、べったりと机に身を投げ出したまま、「…とりあえず、寝てるし、もうちょっとしたら起きるだろうが、ま、そん時にはいつも通り落ち着いてるだろう」と、告げる。
 そして、エマの手の中にある杯を見て「お前、いーもん、呑んでんじゃねぇか」と言うと、手を伸ばして来る。
 その手をぺしりと叩き落としてエマは低い、低い声で「酔っ払う前に、お願いだから、此処から私をいい加減に帰して!」と黒須に告げた。


 竜子に扉を開いて貰って現世に戻る。
 隣には、新座がぎゃおを連れて歩いていた。
「で、なんで、新座さん達はあの場所に?」とエマが問えば「や、何か知らないうちに迷い込んでた。 な、ぎゃお?」と、足元のぎゃおに同意を求める。
 すると、どうみたって玩具にしか見えない鉄の小さな恐竜が新座を見上げ「ぎゃお」と鳴いた。
うん、もう、この生き物がどういう原理で動いてるものかも、実はどうでも良い。
エマは、「へぇ、で、一人であの玉座まで?」と問えば、「いんや、途中まで翼と一緒だった」と笑顔で答えた。
 あの男嫌いで有名な翼のことだ。
 さぞかし、このアクの強い男相手の道行きじゃあ苦労した事だろう。
 そう思いつつ、「それにしたって、ベイブさんの豹変には驚いたわ。 デリクさんが、ベイブさんに何を言ったかって、貴方は知ってるの?」と聞いてみる。
 すると、新座は首を振り、「がーっ、分んね。 てか、そういうの含め、あの城、面白ハウス過ぎ。 何か、動く絵とかあったし、まだまだ、あの城にゃあ気になる事が一杯ありそうだ」と嬉しげに言い、「また、行きたくね?」と聞いてくる。
 そんな新座の問いかけに、エマはブンブンと勢いよく首を振り「もう、結構!」と断言すると、夜闇の中、足音荒く興信所への道を歩き始めた。
 
 そして、恋人の元へと一目散に向いながら、ふと「…でも、桜餅は、あの無口な王様にも食べて貰いたかったかも」とぼんやり考えてしまう自分を必死に押さえ込む。

だって、会心の出来だったんだ。
 アレを食べれば、あの無表情な王様も少しは笑ってくれたかも知れないだなんて思ってしまう自分に、そんな事を望めばまた、あの迷宮に連れて行かれてしまうと、強く言い聞かせて…。


end



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2414/ 鬼丸・鵺  / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3342/ 魏・幇禍  / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】
【3356/ シオン・レ・ハイ  / 男性 / 42歳 / びんぼーにん(食住)+α】
【1271/ 飛鷹・いずみ  / 女性 / 10歳 / 小学生】
【3427/ ウラ・フレンツフェン  / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【2916/ 桜塚・金蝉  / 男性 / 21歳 / 陰陽師】
【3060/ 新座・クレイボーン  / 男性 / 14歳 / ユニサス(神馬)/競馬予想師/艦隊軍属】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】

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■         ライター通信          ■
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お久しぶりの方も、初めましての方も、今回は「お願いBaby!」御参加いただきまして有難う御座います。
ライターのmomiziで御座います。
今回は、久しぶりのOMCな上、初自NPC登場でのゲームノベル挑戦って事で色々あわあわしてしまいました。
何だか、参加して下さった方のブレイングの着地点が皆さん同じ感じだったので、集合ノベルにしてみたり。
とはいえ、例によって個別に近い形で書かせてもらってるので、どの話を読んでもらっても、新鮮な楽しみ方が出来ると…えーと、いいな?(弱気)

半年振りの執筆に些か戸惑いもあったのですが、何とか書き上げる事が出来ました!
ではでは、また、今度いつ書けるのか分りませんが、これにて〜。


momiziでした。