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<東京怪談・PCゲームノベル>


50円玉が20枚



 中を歩いてみると、思った以上にボロボロだ。
 校舎の薄暗い廊下を歩きながら、散見される遺物に気を配る。
 くすんだ壁。
 錆び付いた消火器。
 2年前の学園祭ポスタ。
 廃部したサークルのメンバ募集。
 少しずつ腐敗するものたちが集まってきて、墓場のように静かだ。
 真っ直ぐな片側廊下の窓は、均等な間隔を守って並び、大して意味を果たせないにしても、何の価値も無い外の景色を眺めるだけの需要はある。
 先ほどの会議は死ぬ程つまらなかった。死んだ方がマシに思える事があるなんて、人生も捨てた方が良いのかもしれない。ぬるま湯に長時間浸かって殺されるみたいだ。危うく幼稚園の頃からを回想する所だった。
 何を議論したかと言うと、本来なら議論の必要すら無いことばかり。生協食堂のメニューの方針と、今後の衛生対策や、新しい運営法の基準について、渋滞の上り坂を登るみたいにぐだぐだと、ただの時間と茶と煎餅の浪費サークルに他ならなかった。
 給料が良いからと会社の言い分を飲んだのが失敗だった。
 夏野影踏は廊下の端から外へ出た。両開きの納まり悪そうな鉄の扉は、あらかじめ解放されていて、三角柱の木片で底辺を固定されていた。
 国立大学に召喚されたのは初めての事だった。大抵予想は出来る事だが、国立大学というのは歴史が長い。その分だけ、周りに取り残された感がそこら中に閉じ込められている。基本的な構造は高等学校と変わらない。呼ばれるなら、私立大学が良かった。
 彼は、アーチの連なる連絡通路から芝生へ道を外し、生協へショートカットすることにした。
 時刻は昼過ぎ。
 食事には丁度良い。



「すみません、これ、ここでいいですか?」
「返却ですか? ええ、そのボックスへ入れておいて下さい」
「はい、どうも」
 TD363。
 TT210。
 FA129。
 文芸、2列目奥の棚、上から5段目。右から24番目か。
 129は上から3段目。結構高い。でも、踏み台は必要ない。
 コンソールで返却処理を完了すると、綾和泉汐耶は、ボックスから本を取り出し席を立った。
 同時に、カウンタ裏の閉鎖書架から、書架の移動する音がした。古いジェットコースタのような、きしむ音。
「あ、綾和泉さん、あとは私がやりますよ。もうお昼終わりましたし、あがってください」
 書架の整理をしていた司書が言った。青のシャツにアイボリーのベストを着ている。IDカードの入った透明のビニルを首からかけていた。綾和泉も、同様のタグを首からかけている。
「はい。では、これだけしまって上がりますね。お疲れさま」
「お疲れさまです、またお願いしますね。なんちゃって」
「うん、いいよ」
 綾和泉は手を挙げて答える。
 仕事柄、図書関係に知り合いは多い。リファレンスやカウンタの仕事を手伝うのは、そう珍しい事でもない。自分の頭の中のアーカイブが、膨大な情報によって満たされる感覚も、希有な体験だろう。
 ただし、今日は、わざわざ手伝いに来た訳ではない。ついでと言うと語弊があるが、他の用事で来たという動機の方が、明らかにウェイトを占めている。
 図書の封印。シールを貼ると言うと、普通の司書ならばIDシールの事を示すが、一般的な解釈からは随分遠い。馬鹿げた話だと思われても、致し方ない面もある。
 死海文書、テトラビブロス、ヨハネの黙示録、法の書、グリモア。名の知られない書物まであげれば切りがない。これらは、ただのオカルトでは済まされないだ。
 書物が人間に与える影響は、未だ計り知れない。単なる小説と思っていたものが、恐ろしい力を秘めていた例もある。暗殺者が世界的アーティスト謀殺の後に自殺したとき、片手に海外の著名な小説をもっていたという話は有名だ。
 綾和泉は滞りなく本を棚に戻すと、ゲートから図書センタを出た。出口でセンタ主任と出くわしたのだが、会釈は忘れない。一言交わして後にした。
 手首を返して腕時計を見る。
 綾和泉は、行き先を生協に決定した。



 生協食堂の押し扉の取手を握る。静電気が起こる事を心配したが、何とかセーフだったようだ。次第に雑音のボリュームが上がり、聞き取れない数多の会話がノイズ化している。
 食券を購入して、カウンタに渡した。水色の盆が塔を作っていた。天辺から一枚引き、料理を待つ。今日は明太パスタとサラダだ。時々、みそ汁かコンソメスープがサービスされる。サービスされない日もあるけれど、その周期性や法則性は未だにわからない。
 微かに聞き取れる有線ラジオに聴覚の指向性を向けて、最近のヒット曲を聞き流す。交通情報も合間に流れる。それから2分程で料理を受け取った。
 食堂を見回すと、案外混んでいることに気がついた。いつも座っている窓際の高椅子のテーブルは、1つ空いていたけれど、風体の悪いグループに占領されていて嫌な感じだ。
 パス。判断に1秒もかからない。
 海原みなもは、料理をのせた盆を慎重に運び、他に好条件で空いている場所はないものかと、ぐるりと一望した。
 柱の向こう、窓際のテーブルにその兆候あり。
 学生風の3人が立ち上がり、お盆を片付けている。荷物を持っているから、帰ってくる心配はない。
 決定。揺るぎはない。
 海原は歩調を早めてテーブルへ向かった。そこで、柱に隠れて見えなかった一人がいたと気付く。否、それよりも強烈な物を見落としていた。
 お金?
 全て50円玉。
 無造作に散らばっている。
「あの」
「ああ、どうぞ、空いてますから」
 先住民が言った。明らかに30は越えている。講師か何かだろう。
「あ、いえ」
「あ、講義の質問? うん、まあ。とりあえず、座ったら」
「えっと、……どうも」
 海原は50円玉を配慮しつつ、盆をテーブルへ置いた。
 新手のナンパ法か、という意識が脳裏を駆け巡った。



 かくも運命とは偶然のうちに結びつけられるものだ。それは必然であると言う運命論者や、数多の詩人や哲学者が語るように、それは一定普遍の理論ではないにしても、多くの人が運命という言葉に魅了され続けてきたように思える。
 言わせてみれば、運命が偶然か必然かなんて不確定性は最初から問題にはしていない。どこへ帰着するか、因果はどこにあったか等という問いかけは、全く無味乾燥的な言葉遊びでしかない。
 如何様な人間が関わったか。事態がどのような変化を遂げるか。その過程に存在した確かな奇跡の数々を観察している方が、よほど有益である。
 サイコロを振ってみよう。誰でも、最終的には全ての目が平均的に出そろう事を知っている。その結末を、勘や憶測に頼らず、経験的な知識から導きだせる。だが、次に振る1目は、誰にも予想できない。
 必然というカテゴリをじっくり目を凝らして見つめてみると、そこには偶然の集積がフラクタルのように綺麗な綾を象っている事に気付かされる。
 今日の出会いの中にも、私はそれを発見するのである。
 偶然か必然であるにせよ、私とその3人は同じテーブルの席に着いた。その巡り会いに関する理由や動機は不問としたい。経緯を説明する手間も省きたい。そこに物語の起承転結にまつわるエピソードなんて無いに等しいのだから。
 多くの人は既に気付いていることだろう。私の名前は守山浩、工学部の助教授にあたる。以降の物語は3人称で語られるが、それは私の考察から創作された擬似的な視点として捉えて頂きたい。ただし彼氏彼女らの意見はなるべく私の工夫を加えずに、実直素直に反映しているつもりなので安心して欲しい。
 場面は私を含む4人がテーブルに着いた、その後まもなくから始まる。
 いざ、幽明のディスカッション。
 50円玉と、余剰の僕らと共に。



「とある民家で老婆が何者かに殺された。鑑識が調べた所、出入り口も窓も、鍵は閉まっていたそうだ。この状況をどう読み解く?」
 守山は指を交互に組んで言った。カレーはまだ5割は残している。
「それって50円玉と何か関係あるんですか?」
「僕は意識していないけど、僕の知らない所で関係しているかもしれない。例えば、この中の一部が、当時の関係者の持っていた証拠品だったとか」
「当時のってことは、それって実在の事件なんですね。密室殺人か」
「うん、確かに実在した」
「もしかして、先生が関わったとか?」
「それはない。無意識のうちに関連していたらホラーだね」
 密室殺人。今時冴えない言葉である。新聞や雑誌が面白おかしく演出するためのキャッチコピーとして、稀に小さく掲載される印刷界用語だ。
 その言葉を発したのは、夏野影踏。栄養士である。所用のためにこの大学を訪れた所、このテーブルに着座するに至る。
「それじゃあ、問題を一つにしぼろう。犯人はどうやって民家を抜け出したのか」
「鑑識の1人だった。抜け出した振りをして、実は中に隠れていたんじゃないかしら」
 そう答えたのは綾和泉汐耶。論理的に論述を組み立てている。「50円玉と関係あるのか」と口述したのも綾和泉である。そういったクールさは惜しみない。
「あ、それありそう」
「残念。犯人は缶詰工場の従業員だった」守山はカレーを一口含む。
「それに、ちゃんと外部へ抜け出している」
「えっと、条件が曖昧すぎませんか? もっと、こう、どういう風に倒れていたとか、死因や、天候とか」
 海原みなもが指を立てて言った。海原の場合、物事の裏側にある事象を穿ってくる。
「確かに条件はフェアじゃないね。でも、そういった諸々の情報は、この場合必要ない。ヒントはすでに与えられている」
「あ、この事件……」綾和泉は両目を閉じて、顔を俯けるようにして思考を始めた。頭のアーカイブを、図書ロボットが検索を開始する。昭和ではない。もっと近い。
「わかったんですか?」
「というか、知ってる、って感じ」
「これ、確か、犯人は窓を割って逃げたんですよ。缶詰工場……、老婆、ええ、きっと間違いない」綾和泉は腕を組んで言った。
「そう、その通り。犯人は窓から外へ出て、外から窓を割り、鍵を閉めたんだ」
「え、それじゃあ密室じゃないじゃん」夏野はそう言って、居ずまいを直す。
「密室なんて言葉、僕は1度も引用してないよ」
「叙述に惑わされましたね」海原がため息を吐き出した。
 昼時を過ぎ、食堂もまばらに人が出入りするようになった。有線ラジオの音楽が、より鮮明に伝播してきている。
「それでは、もう一つ。これもとある殺人現場の話。殺害されたのは金融会社の社員。どこにでもいそうな、平凡な人。刺殺された形で発見されたのだけど、そこには妙な点が2つ。まずは、ドアの鍵が閉まっていた事。窓ははめ殺しで、もちろん割られてもいない。つまり、密室状態であった点。それが一つ」
「今度こそ密室か」夏野が身を乗り出す。守山も頷いた。
「もう一つは、その亡骸の周りに、50円玉が散らばっていた点。無差別に、丁度20枚」
「丁度?」海原が首を傾げる。
「1000円分ってこと。まあ、確かに丁度という表現はそぐわなかったね」
「今度は50円玉もあるのね……」
 綾和泉は検索を開始したが、50円玉に関連する事柄は引っかからなかった。実在の事件ではないようだ。
「そう、その50円玉って、一体何なのだと思う?」
「凶器に使われた・・、って刺殺でしたね。あ、でも、50円玉で殴ってから、刺殺するとか。うーん、やっぱり変ですね」
「この場合はおかしいけど、凶器としての価値は割とあるよね。凶器として使った後、お店や自販機で支払いに使ってしまえば証拠隠滅できる」海原の意見に夏野が付け加える。
「そうだなあ、犯人か被害者が50円玉マニアだったとか」
「マニアだから硬貨を現場に残すの? 飛躍しているなあ。悪くは無いけど」
「脱マーのファンとか」
「ノーコメント」守山の眼鏡が光を反射する。
「あーん、酷い」
「散らばり具合にも依りますけど、ゲームの掛け金かなにかかしらね。被害者と加害者が、そういう間柄で」
「ゲームで興奮して、殺した? でも、そこはね、会社の備品庫だったから。あんまり騒げる場所じゃないね」
「まあ、アンフェアね」
 綾和泉は緑茶を一口飲んだ。彼女の御前には焼き魚の定食がある。夏野もうどんを口にして、議論から一時離脱している。
「ダイイング・メッセージだとしたら、どうでしょう?」
「そんな用意できる時間があったら、僕なら人を呼びに行くけど」
「そっか」
「あり得なくは無いよ」
「言っておいて、慰めになりません」
「確かに」
 うどんを食べていた夏野が顔をあげた。
「もう、そんなの一生わかりっこないですよ」
「そうかな?」
「ねえ、正解は何なんですか?」
「まあまあ。じゃあ、これならどう?」
 そう言って、守山は卓上の50円玉を指差した。
「カラス除け」
「問題外」
「これ、インベーダ台ですか?」夏野はテーブルの側面を覗き込む。
「古いね。2人はわからないって顔しているよ」
「銀閣寺」
「意味がわからない」
「あー、もう無理。パスパス」
「ナンパ道具かと思いましたけど」
 海原は50円玉の1つを手に取った。昭和51年と年号が刻まれていた。
 夏野も50円玉を手に取り、年号を確認した。一旦テーブルの下へ隠して、硬貨を盗み出すシミュレートをぼんやりと考える。
「失敬な」守山は水を口にする。
「俺はナンパされたのか・・男に」夏野が肩を落とした。
「実は、ある教授が毎朝両替しているんだ。1000円札を、50円玉20枚に」
「この50円玉が?」
「そうだよ」
「何故?」
「何故だと思う?」
 守山は挑戦的な表情で微笑んだ。
「何か、インスピレーションの材料にしているかしら? でも、生協の方も大変でしょうね。毎朝なんて」
「インスピレーションか、占い師みたいだね」
「いっそ占い師になれば良いのに」こういう場面では、夏野が欠かさない。
「大学の名誉に関わる」
「毎朝って時間帯が気になりますね」海原が言った。やはり、穿ってくるのが彼女の常套的な姿勢らしい。「講義の準備とか」
「講義は不定期だから、それはないけど。その着眼点は悪く無い」
「ああ、なんだか、泥沼を掘っている感じ」
「本当。先が見えないわね」
「僕もね、よくわからない。その教授が何を考えているのか。教授の場合も、先ほど言った犯人の場合も、本質的に立場は変わらないのかもしれない。意味や理由に囚われない、そういった素直な思考によってもたらされた状況なのではないかと。宗教的、意味論的といった事象からは遠く、趣味や遊びという概念に近いと思える」
「つまり」と綾和泉。
「はじめから」海原が続く。
「答えはないと」夏野が顔をしかめる。
「そう、僕が用意した答えは無い。でも……」
「いや、何でも無い。そろそろ、講義の準備をしないと」
「でも、の続きが気になるなあ」
「何て事無いよ。どこかに答えになりうる物がある。確実に。でも、それを発見した瞬間、それは正解でも何でも無く、ただそこに沈着していた事実になってしまう。誰の意思にも影響されずにね。正解っていうのは、必ずしも事実ではない」
「それって……」
 綾和泉が口を開いたが、守山は席を立って食器を棚へ戻しに行ってしまった。
「あ、このお金は?」
「ごめん、募金しておいてくれるかな。そこのカウンタの横」
 守山は食堂を出て行ってしまった。3人は手分けして50円玉を拾うと、募金箱のもとへ向かった。
「あ、こういうこと?」
 そこにあったのは、小さな円柱形のアクリルの入れ物。投入口はというと、お札をいれるのには窮屈そうだ。
「でも、100円玉でもいいのに」海原が呟いた。
「盗まれないため、かな」夏野は背伸びしてこたえた。50円玉じゃ、欲求が足らない。シミュレートして、何となく想像していたことだった。
 その後、硬貨の衝突する音が、20回続いた。
 優雅なノイズだった。



 生協食堂を出て、守山は煙草に火をつけた。食堂の苦手な所は、人が多い事と、禁煙になっている事に限定される。彼はポケットから携帯電話を取り出すと、短い手順で電波を発信した。
 呼び鈴が3回鳴って、相手が出た。
「あ、草間。やっぱり、あれね。大して意味はないと思うよ。……そう。やったとしたら、犯人。メッセージ性の何か。例えば、カウントダウンとか。……どっちにしろ、次の推理には結びつかない。類似の犯行をなるべく早く探すんだね。シリアルの可能性は、少なからずある。……あそう、もう1件出たか。次は10円玉ね。……わかった。それじゃあ」

 守山は煙を空へ吐いた。強い風に煽られて、一瞬で不可視になる。

「全く、春だなあ」



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
「1449/綾和泉・汐耶 (あやいずみ・せきや)/女性/23歳/司書」
「2309/夏野・影踏 (なつの・かげふみ)/男性/22歳/栄養士」
「1252/海原・みなも (うなばら・みなも)/女性/13歳/中学生」
「NPC/守山・浩 (もりやま・ひろし)/男性/33歳/助教授」