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花に浮かれて……?
空には薄雲がのんびりとたなびいて、陽気はぽかぽか。
冬の気配は去ろうとしているものの、桜前線が日本列島を北上しはじめるまでには、まだしばしの間がある。そんな時節。
しかし、あやかし荘の中庭に根を下ろす桜は、既に花を咲かせていた。
日本中どこよりも早く開花し、前線が北海道まで上がりきってしまってもまだまだ満開を誇るという、息の長い桜である。あやかし荘の住人たちに似て少々天邪鬼……という噂だ。
その桜の下、上機嫌に歌など歌いながら、色鮮やかな和服にきりりとたすきをかけて、くるくると動き回っているのは『薔薇の間』に住む小学生女子、本郷・源(ほんごう・みなと)。
外に持ち出され、桜の樹下に置かれたテーブルの上には、カセットガスコンロと、天婦羅鍋がセッティングされていた。
外に出るのが何かと億劫になってしまう冬が終わり、運動の甲斐もあって正月に蓄積した脂肪も取れた。少々のカロリーオーバーも平気であろうと判断し、源は決めたのだ。
去年の花見は鍋だったが、今年は屋外で天婦羅と洒落込もう、と。(天婦羅を歌った歌を聴いたことが影響しているとか、いないとか――)
「椅子を持ってきたのぢゃ!」
がたごとと、椅子の脚を引きずりながら、座敷童子の嬉璃(きり)が、縁側から降りてくる。
テーブルの上を覗き込んだ嬉璃は、首を傾げた。
揚げ箸に、和紙の敷かれた取り皿。桜をかたどった箸置きに、朱色の塗り箸。小皿には、塩と山椒。小鉢には出汁の良い匂いのするツユ。
ここまで揃っていて、一番大事なものが欠けている。
「新鮮なところをー、集めてー、お鍋でカラリとカラリと、なのじゃー」
歌いながら、散り落ちる花びらを箒で掃き集めている源の肩を、嬉璃はつついた。
「新鮮なところをカラリと、と言うが。その、カラリと揚げる肝心の材料はどこなのぢゃ?」
天婦羅には、具材が必要ぢゃろうが。訝しげに眉を寄せる嬉璃に、源は、
「今、集めておるのじゃ。慌てるでない」
箒を動かす手を止めず、にんまりと含み笑った。
「何ぢゃ。おんしが集めておるのは、花びらではないか??」
「そうじゃ。ぼんやりしておらんと、嬉璃も花びらを集めるのじゃ!」
「……?」
箒を押し付けられた嬉璃の手も加わって、見る見る内に、こんもりとした花びらの山が出来上がる。
「それで、これをどうするのぢゃ?」
「これを使うのじゃ!」
首を傾げる嬉璃の前に、シュピーン、とばかりに源が取り出したのは、白墨だった。
白墨。つまり、チョークだ。胡散臭げに眉根を寄せた嬉璃をよそに、源はそれで地面に何やら描き始めた。
まずは円、それから、中に書き込まれる複雑な文字と図形。おお、と嬉璃が呟きを漏らす。
「……何やら、見覚えがあるような気がするのぅ」
「魔方陣じゃ。練習したのじゃ」
指からチョークの粉を払って、源は桜の花びらを地面に描いた魔方陣の中に盛った。
「見ておれよ……」
そして、源が円の前に立ち、パンと両手を打ち鳴らすと、チョークの線が光って――花びらが、豪勢な海鮮の盛り付けられた大皿になった。
「おおおっ!」
キラキラと陽光に光るホタテやエビを見て歓声を上げた嬉璃に、源は胸を反らした。
「どうじゃ。これぞ【等価交換】というやつじゃ!」
「すごいのぢゃ! どんどんやるのぢゃ、源!!」
「ふっふっふ。やらいでか!」
源は次々に花びらを円の中に盛り、今度は菜の花にアスパラにと、旬の野菜に【等価交換】してゆく。
たちまち、テーブルの上は華やかになった。
以前、とある神様からもらった、酒の湧き出る朱塗りの大杯もそこに加わって、準備は万端。
「お鍋でぇー!」
「カラリとー!」
氷水で衣を溶き、鍋の中の油が温まるのを待ちながら、源と嬉璃の二人はワクワクと瞳を輝かせて、歌など歌っている。
しかし、さてさて。
この二人、去年の出来事をすっかり忘れていた。
去年の出来事、即ち。
あやかし桜の持つ毒のことだ。
それは、酒と一緒に摂取することにより、強烈な幻覚作用を発揮する。
花粉と、幹に生えたキノコで毒を取り込んだ去年に比べ、今年は桜の花びらから生み出された食材を、これから多量に食べようとしているわけで――。
そんなことは髪の毛の先ほども思い出されることなく、やがて、天婦羅鍋の中から、衣の揚がる良い音がし始める。
「やはり、海老天は最高ぢゃのぅ」
「アスパラも良いのじゃ! ほれ、そっちが揚がっておるぞ」
「ハモは塩が良いかのう?」
「天ツユで行くのも乙じゃぞ。薬味たっぷりでな!」
アツアツハフハフと揚げたての天婦羅を頬張りながら、日も高いうちに堂々と酒宴を始める童女二人。
小一時間後には、不気味な酔っ払い二人が出来上がっていた。
「ひゃっひゃっひゃっ。良いではないか良いではないかァ!」
覚束ない足取りで、嬉璃の帯を引くのは源。
「あーれー、お代官様、お許しをー! なのぢゃ! ひゃーっひゃっひゃっ!!」
別に帯はほどけてはいないが、クルクル回る真似をするのは嬉璃。
どうやら、「悪代官と町娘」ごっこをしているらしい。双方、顔は真っ赤、目は据わり、正気ではないことが一目でわかる。調子の外れた笑い声が、ちょっと怖い。
人の身にあらず、ちょっとやそっとでは酔わないはずのこの二人が、この体たらく。あやかし桜、恐るべしである。
既に、テーブルの上の食材は全て嬉璃と源のおなかに収まっていた。天婦羅鍋の火はとっくに消えて、つわものどもが夢の後、といった態だ。しかし、二人の酔いは加速度的に深まって行く。
「おろー?? 桜が光っとるぞー? 虹色じゃぁー!」
と、源が桜の根元に座り込めば、
「本当ぢゃ。キラキラぢゃのうー!」
嬉璃もその隣にへたり込んだ。
その後、へらへらキャラキャラと意味なく笑いあう声は、二人が寝静まるまで続いたという。
++++
次の日。
「うう……不覚を取ったのじゃ……、へくしっ!」
布団の中で、源は小さくクシャミをした。まだ肌寒い外で、日が暮れるまで眠りこけたおかげで、軽く風邪をひいたようだ。
しかし、今彼女をさいなむ頭痛と吐き気は、けして風邪がもたらしているものではない。
「このわしとしたことが、二日酔いなど……」
生涯二度目の二日酔い体験に、源は苦々しく唇を歪めた。
そこに、がらりと襖の開く音。
「薬湯を煎じてやったぞ。調子はどうぢゃ?」
湯気を立てる湯のみを盆に載せて、嬉璃が入ってきた。
布団の中からその姿を見上げ、源は目を見開く。
「ひっ!!」
例によって、幻覚症状、であった。源の目には、嬉璃の姿が、尻尾を上に逆立ちした、巨大な海老天に見えた。
「何ぢゃ。嬉璃の顔が、どうかしたのか?」
海老天が、赤く揚がった尻尾をぷるぷると揺らして、首を傾げる。去年の出来事を踏まえると、これは幻覚であると、源には自覚できたが……海老天=嬉璃だとわかってはいても、不気味な絵であることには、変わりがなかった。
「い、いや。少々、頭が痛いのじゃ……。薬湯をくれるかぅ」
眩暈を我慢して、源は布団の上に身を起こした。もうすっかり元気な様子の海老天、否、嬉璃が、少しばかり恨めしい。
「も、もう当分、天婦羅はよいのじゃ……」
手渡された二日酔いの薬湯を啜りながら、源は呟いた。
中庭では、誘うようにあやかし桜が春風に枝を揺らしている。
三度目の正直、という言葉がある。そして、二度あることは三度ある、という言葉もある。
源の来年が、その前者にあたるものになるのか、後者にあたるものになるのか。
それは、彼女の記憶力にかかっているのであった。
+++++++++++++++++++++++++++++++END.
お世話になっております、担当させていただきました、階アトリです。
去年のお花見、「お気をつけあそばせ」での出来事を踏まえて、構成など、少し参考にさせて頂いています。
納品が遅くて申し訳ありません。楽しく読んでいただければ幸いなのですが……。
では、失礼します。楽しいお話を書かせていただいて、ありがとうございました。
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