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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


ママを探して!



□はじまり

 しとしとと降る雨が、傘に重苦しく圧し掛かる。
 京谷 律(きょうや りつ)はうねり始めるくせっ毛を気にしつつも、神聖都学園までの道のりを急いでいた。
 雨の日に外に出るのは嫌いだった。くせっ毛が可愛らしくクルリとカールするのが、どうしても許せないのだ。
 「ったく・・そんなことくらいで呼ぶなっつーの。」
 律は苦々しく呟くと、道に転がっていた小石を思い切り蹴っ飛ばした。
 歩道から落ちて車道へと転がった小石は、向かいからやってきたダンプカーの下敷きになった。
 「何で俺が・・。」
 ブツブツと呟く律の耳に、ふいに何処からか小さななき声が聞こえてきた。
 子猫が母親を恋しがって鳴いているような・・そんな声・・。
 律はよくよく耳を澄ませてみた。
 雨の音をくぐるようにして聞こえてくる小さななき声、まるで赤ん坊の泣き声の様な・・。
 そう思った律の視線の先に、小さな乳母車が見えた。
 日除けは立ててあるが、側に母親か父親らしき人の姿はない。
 丁度人通りの少ない道だ・・。
 律は慌てて乳母車に駆け寄ると、中を覗き込んだ。
 中には小さな赤ん坊が寝ていた。白いふわふわの布団がかけてある・・・。
 その布団はしっとりと雨に濡れていた。
 日除け程度では、雨を防ぐ事は出来ない。
 「・・ちっ・・!!」
 律は小さく舌打ちをすると、赤ん坊を抱き上げた。
 しっとりとした重みと、布越しでも伝わる冷たい体温。
 大急ぎで上着を脱ぎ、赤ん坊をくるんだ。
 とにかく着替えさせなくては。ここから神聖都学園までは目と鼻の先だ。
 先生に言えば布くらいくれるに違いない。
 律は少しだけ考えた後で、乳母車を押しながら学校まで向かった・・・。


 温かい教室内で、目の前に座った響 カスミは律の手の中で眠る赤ん坊をじっと見つめた。
 今はすやすやと眠っている赤ん坊は、とても可愛らしい。
 「それにしてもビックリしちゃったわ。いきなり乳母車押しながら学校にやってくるんですもの。」
 「・・・不可抗力です。」
 「分ってるって。」
 カスミはヒラヒラと手を振ると、小さくため息をついた。
 「この子を誰か育ててくださいねぇ・・。どんな理由があったのか知らないけど、雨の中赤ん坊を置き去りにするなんてね。」
 そう言って、カスミは持っていた便箋を机の上に放り投げた。
 赤ん坊の下に入っていた封筒の中には、赤ん坊の母親らしき人物が“誰か”に宛てた手紙だった。

 『この赤ちゃんを誰か立派に育ててください。』

 たったそれだけの言葉は、赤い丁寧な字で書かれていた。
 「あんな人通りの少ない所に置き去りにして・・もし俺が通らなかったらどうするつもりだったんでしょう・・・。」
 「思うに・・その子のお母さん、どこかの物陰で様子を見ていたんじゃないかしら?」
 「え?」
 「う〜ん・・何となく思っただけよ。もしかしたら違うかも知れないし・・でも“立派に育ててください”って、なんだか凄く感情がこもってる気がして・・。」
 カスミはチョンチョンと手紙を人差し指でつついた。
 「でも、もしそうだとしたらその母親、こんな学生なんかに赤ん坊が見つかって、大誤算だったでしょうね。」
 「後つけて来てたらどうする?」
 「えっ!?」
 「やぁだ、ただのもしもよ〜!」
 カスミがそう言って笑った時、廊下で何かが倒れる音がした。バタバタと走る足音・・・。
 大慌ててカスミがドアを開けてみるものの、そこには誰もいない。
 「・・大当たりですね、先生。」
 「とりあえず、出入り口は先生方や主事さん方におさえてもらって・・。」
 「大かくれんぼ大会・・ですね。」


 ●月夢 優名

 どこからか聞こえてくる猫のような鳴き声に、優名は小首をかしげた。
 ここは学校の中。それも・・廊下の真ん中。
 猫が入り込むにしては、ちょっと危険すぎる場所だ。
 学校に猫が侵入した場合、大抵の場合はぞんざいに扱われ、外に放り出される。
 以前に一度、学校に猫が入り込んできて主事のおじさんが捕まえた時、中庭の太い柱の下に繋がれて、篭をかぶせられていた。
 小さくなって、酷くおびえたように震える猫が可哀想で・・優名はそっと篭をどけて、紐を解いてやったのを覚えている。
 元気良く駆け出す猫の後姿が可愛らしくて、太陽の光を全身に浴びながらはしゃぐ子猫が綺麗で、思わず見とれてしまった事も、しっかりと覚えている。
 優名はその場をキョロキョロと見渡した。
 か細く聞こえてくる声は、廊下の前方から聞こえているようだ。
 もし、またあんな状況に猫がなっていたとしたならば、きっと優名は躊躇なく、猫を助けるだろう。
 自由が一番素敵なのだから・・・。
 うっすらと開く扉からは、淡い光が斜めに暗い廊下を突き刺している。
 声はそこから聞こえてきていた。
 よくよく耳をすませてみて・・優名ははたとソレに気がついた。
 か細くなく声は、猫の鳴き声とは少し違っていた。
 もっと、大きな・・・そう、それこそ、人間の赤ん坊のような・・・。
 優名はそっと扉に手をかけ、押し開けた。
 見慣れた女性と、見慣れない少年の姿がすぐに飛び込んでくる。
 少年の手にはまだほんの小さな赤ん坊が、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっているのが見えた。
 「これは・・?」
 「あの・・俺、京谷 律って言います。もし、お時間があれば、お付き合い願えないでしょうか・・・?」
 泣きそうになりながら、丁寧な物言いで頼む律に、優名はコクリと小さく頷くと後手で扉を閉めた。


 □酷く降る雨


 しとしとと降っていた雨は、いつの間にか堰を切ったように振り出していた。
 けれどそれは、決してバケツの水をひっくり返したかのように激しく降る雨ではなく、どこか悲しみを含んだ、酷く降る雨だった。
 町は白い筋で覆われ、雨音は一筋にまとまる。
 ザーっと、1つの音しか聞こえない。


 「それで・・俺が見た時には・・・。」
 律が、この赤ん坊を見つけた経緯を話す。
 「もし、律君が見つけなかったら・・この赤ちゃん、こんな雨の中一人だったって事?」
 窓の外を見ながらそっと呟いたのは桐生 暁だ。
 どこか濁った瞳は、狂おしいほどの赤色だった。
 「でも、お母様が近くにいたんですよね?」
 「・・多分。」
 少し悲しげな瞳を、じっと赤ん坊に向けながら言ったのは月夢 優名だ。
 愛しさと哀しさと切なさ・・色々と混じりあった瞳は儚いほどの夜色だった。
 「なにか、母親の方にも考えがあったのかも知れないな。」
 月宮 誓は、懐かしさと優しさの混じる瞳を向けながら小さく呟いた。
 どこか遠くを見つめる瞳は、壊れそうなほど繊細な輝きを見せる青色だった。
 「何かあったのかも知れないけどさ、赤ちゃんを1人で置いていくなんて・・・。」
 僅かに眉根を寄せながら、愛しそうに赤ん坊を見つめているのは霧杜 ひびきだ。
 赤ん坊に向けられる優しい瞳は、全てを映してしまいそうなほどに美しい銀色だった。
 「この子が嫌いで置いていったわけではないって・・そう、信じたいです。」
 赤ん坊を抱きながら、潤ませる瞳は空虚な茶色だった。
 律は愛しそうに赤ん坊を2度3度と揺らすと、そっとソファーの上に寝かせた。
 その瞬間、グラリと体が僅かに傾き、ヘナヘナと力なくその場に崩れる。
 「律さん!?」
 驚いて駆け寄る優名とひびきに、軽く手を振ると席に座るように合図する。
 「律君は、体力がミジンコなみだから・・。ちょっとの事で直ぐに倒れるんだけど、しばらくすれば良くなるから大丈夫。」
 カスミの言葉に、とりあえずほっと息をつく優名とひびき。
 それにしても・・少し赤ん坊を抱いただけで倒れてしまうなんて、どれだけ虚弱なのだろうか・・・。
 「でも、さっき聞こえた音って、お母さんだったのかな?」
 「そうだと思うが?」
 「こんな所まで追って来て・・きっと放っておけないんだと思うんだよね。でもそれなら、なんで置き去りになんてしたんだろう。」
 「それほどの理由があったって事ですよね。」
 「あぁ。思いつめるほどの理由があったんだろうな。」
 誓はそう言って立ち上がると、今だ青い顔で蹲る律に近づいた。
 小刻みに震える肩は、別段寒いからと言うわけではなさそうだった。
 「なんで・・置き去りになんてしたんだよ・・・。」
 ポツリと呟く暁の言葉は、誰に言うわけでもなかった。
 「記憶の中の人物は美しいと言うけれど、母親ってこんなモンなのか……?」
 誰もその言葉に答えないのは、それが答えを必要とする疑問なのではなく、ただ思ったままを口に出している言葉だったからだ。
 つまり、暁の心の中ではそれに明確な答えが出ているのだ。
 「・・大丈夫かと聞きたい所だが・・。何を聞いても大丈夫だと答えそうだな。」
 誓が律の隣にしゃがみ込む。
 合うはずの視線は、合わなかった。それは、律の焦点があっていないからだった。
 「置き去りにされた赤ちゃんって、お母様に何がしら事情があったにせよ、許されることではないと思います。」
 「私も、ちょっと親としてどうかと思うよ?」
 優名の言葉を受けて、ひびきもそれに同意する。
 「とりあえず、こんな所でしゃがんでても仕方がない。あっちのソファーまで歩けるか?」
 律がコクリと頷くが、その足に力は入らない。
 「まぁ、個人の勝手だけどさ。自分の子供を捨てようがどうしようが。……でも子供は親の物であって、一つの命なのにな。」
 しんと静まり返る室内に、雨の音だけがやけに大きく響く。
 「暁、ちょっと・・。」
 「・・ん?なに・・・?」
 「どうも具合が悪そうだから、そこのソファーまで運びたいんだが・・。」
 「大丈夫!?律君?なんか、真っ青通り越して蒼白になりつつあるよ?」
 暁はそう言うと、律の肩に手を乗せた。
 怯えるように肩が大きく上下をする。そして、焦点の合わない視線が、震える小動物のような潤みを持って暁に向けられる。
 「・・・これは、可愛い〜!って言ったらダメなもの?」
 「別にダメではないが・・。今後一切、俺に近づくな。」
 「それはダメって事じゃない?」
 訴えるような視線から逃れるように、誓は優名とひびきに視線を送った。
 「そっちのソファーに寝かしたいんだが・・。片付けてくれないか?」
 「分かった。」
 ひびきが軽く頷いて、さかさかとソファーの周りを片付ける。
 「よし、大丈夫。」
 「暁、そっちの腕を持って。行くぞ。」
 「せーのっ・・・って、軽っ!」
 暁が思ったままを口に出す。
 実際、律はありえないほどに軽かった。背に回した腕も、儚いくらいに細かった。
 「とりあえず・・俺達は母親を探しに行くか。」
 律を一先ずソファーに寝かせ、誓は小さく息を吐き出しながら言った。
 「私は他の先生達と合流して説明をしなくちゃいけないし・・・。」
 さっきは内線で大まかな流れを言っただけだから。
 カスミはそう言うと、壁にかかっている時計を見つめた。
 「律さんと赤ちゃんを2人で残しておくのは・・。」
 「いや、大丈夫です。俺がこの子を見てますから。」
 「律君さぁ、携帯持ってる?俺の番号教えとくから、なんかあったらかけて。」
 「はい。」
 暁の言葉に、律は素直に頷くと携帯を取り出した。
 「お母さん、どこにいるんだろうね。」
 「そうですね・・・。生きているのですから、生命を育むことができるのですから、その幸せを捨てるなんていけないことだと、あたしは思います。」
 「・・・だがここまで心配で来る程大事に思ってる以上、それはまだこの子を捨ててないってことだ。その人には無理だよ、本当にこの子を捨てることなんてな。」
 「だったら、こんな雨の中1人で置いて行くなよな。」
 呟く音は、小さすぎて聞きづらかった。
 けれどダイレクトに鼓膜を揺さぶるその言葉は、決して口先だけの感情ではない事を教えてくれる。
 「こんなに可愛らしいのに。」
 優名がそっと赤ん坊に触れる。
 もぞもぞと動き出し、優名の人差し指をキュっと右手で握る。
 か弱くて、儚くて、振りほどこうと思えば造作もなく振りほどける、小さな掌。
 けれど優名にはこの掌を振り解くことが出来なかった。
 一生懸命に握ってくる温かな温度は、決して冷たく出来るものではなかった。
 「・・行くか。」
 誓の言葉を聞いてか否か、赤ん坊はその小さな掌を優名の人差し指から離した。
 「はい。」
 今だに儚い温もりの残る人差し指は、泣きたいほど愛しかった。




 「俺、かくれんぼなんてちっさい頃以来だよ。・・後、裏路地でとか?」
 母親を探す道中、暗い廊下は雨音が支配していた。
 その中をパタパタと軽快に響く靴音は滑稽で、それでいて心落ち着くものがあった。
 「・・それは違うと思うが・・?」
 「暁さんってさ、何かの犯罪者?」
 「えっ!?俺、どんだけ危険な人になっちゃってるの!?」
 「ま、もとから危険と言えば危険だがな。」
 誓の厳しい一言に、暁が隣にいた優名に助けを求める。
 「優名ちゃん〜!!誓が酷いんだよ〜っ!?」
 「・・仲が良いんですね〜。」
 穏やかに微笑む優名は、どこか淡い輝きを発していた。
 「心外だな。」
 「誓ってばぁ〜、本当は俺の事が好きなくせに〜!」
 「・・・・・・・・・・・。」
 「あっ!無視!?今度は無視なのっ?!」
 「ダメだよ誓さん、そこは“好きだよ”ってサラっと言わなくちゃ!」
 ひびきの叱咤に、誓がガクリと肩を落とす。
 「コイツ相手に愛の告白・・・。」
 「え〜俺、誓よりも優名ちゃんかひびきちゃんの方が良い〜!」
 暁はそう言うと、隣を歩いている優名に微笑みかけた。
 「優名ちゃんは俺の事嫌い?」
 「え・・そんな・・・。」
 「ヤメロ、馬鹿。お前は自分自身に愛の告白でもしてろ。」
 「あはは!一人二役だね!」
 「え〜。一人二役ぅ〜?え〜っと・・『好きだよ、暁。』『俺もだよ、暁』って?」
 ひびきが思わずと言った感じで笑い出し、優名も堪えきれずにクスクスと肩を震わせる。
 誓が笑いを押し殺そうとするが・・思わずプっと笑ってしまう。
 「あ・・危ない光景だぁ〜!」
 「うわっ、酷いや、ひびきちゃんっ!」
 「あ、なんでしたら、律さんに言ってみてはどうです?先ほどなにやら、可愛いと言っていたのを小耳に挟んだのですが・・?」
 優名が人畜無害な微笑でそう提案する。
 ・・・憎めないのは、それが素の言葉だからだ。
 “ほんわか天然”さん・・・?
 「あはは、優名ちゃん最高!そうだね、律君に言ってみたら良いかも〜!」
 「反応が目に浮かぶな。」
 「なんか、同情しちゃうな〜。」
 ひびきはそう言うと、手と手を合わせた。
 所謂“合掌”である。
 「それにしても、お母様・・どこにいらっしゃるのでしょうか・・。」
 「そうだなぁ、ちょっと待って。そこの人に聞いてみるから!」
 ビシリと指された空間は、真っ暗に落ち込んでいた。
 人の姿は微塵も見えない。
 所謂、幽霊と言うやつなのだろう・・・。
 「・・そっかぁ、それじゃぁ、この場所にはいないんだ・・?うん、大丈夫。ありがとう。」
 ひびきは丁寧にお辞儀をすると、こちらに舞い戻ってきた。
 「この場所にはいないみたい。」
 「・・現状考えて、お母様がいるとしたならば、トイレではないでしょうか。」
 「トイレ??」
 優名の呟きに、暁が小首をかしげる。
 ・・・どうしてトイレなのだろうか・・・?
 「生後数ヶ月といったら母乳が張って痛いから、洗面台に流していると思います。あまり人気がなく、走り出した教室からそんなに遠くないところ・・・。」
 「それだったら、この真上かも知れないな。」
 「扉出て直ぐ、階段があったもんね。そっから上に駆け上がったとか?」
 耳を澄ませてみても、雨の音以外に聞こえてくるものはない。
 「行ってみるか。」
 「鬼、もとい母親を見つけるぞぉ〜〜っ、おーーっ!」
 「・・・お前はどこか螺子が外れているよな。」
 「誓君、酷いっ!」
 ぶりっ子ポーズで裏声を出す暁に、盛大なため息をつく。
 「それじゃぁ行くか。」
 誓はそう言うと、優名とひびきを促した。
 「え?俺は置いてけぼり!?」
 「それじゃぁまたね、暁さん〜!」
 ひびきがヒラヒラと手を振るのを、暁は必死で追いかけた。
 「待って〜!!」


■止まない雨音


 先ほどまでの勢いは衰えた。
 しかし、未だに外は雨の音を奏でていた。
 複数の雨音が行く筋にも連なり、幅を持って一定のリズムを作り出す。
 心地良いと言うには、あまりにも憂鬱なメロディーだった。


 「それで・・理由をきかせてもらえないかしら?」
 まだ若い、それこそ20代前半と言った感じの女性は、ただ力なく首を振るだけだった。
 トイレに隠れていた女性は・・・優名の言った通りだった。
 まだ生後数ヶ月の赤ん坊。力強く育つように、願いを込めてあげる母乳。
 それはトイレの洗面台で乳白色に輝いていた。
 「あたしはまだ高校生ですから、大人の事情なんて理解できないと思いますし、なんとかできるとも思えません。けど、愚痴を聞いたり、相談に乗ることは出来ると思います。無知でも“三人寄れば文殊の知恵”ですから。」
 「そうそう、それに、この場には5人もいる!赤ちゃんとお母さんも合わせると、7人もいるんだよ?」
 優名の優しい言葉にも、ひびきの元気付けるような言葉にも、女性はただ力なく首を振るばかりだった。
 「何か事情があっての事じゃないのか?」
 誓の問いかけにも、ただ首を振るばかりだ。
 「・・・実際さぁ、別になんとも思ってなかったんじゃないの?邪魔になったから捨てたんじゃないの〜?」
 からかうような軽い口調の奥に潜む冷たい軽蔑は、一瞬だけ女性の瞳を凍りつかせた。
 暁がゆっくりと赤ん坊を抱き上げ、その額にそっと口付けをする。
 「いいわけも出来ないって事はさ、皆が思ってるほど切羽詰った理由なんてなかったんじゃない?違う?」
 女性は暁の瞳から逃げるように視線を逸らせた。
 「暁・・・。」
 「何かあったんですよね・・?それが、ただ言い出せないだけなんですよね?」
 優名の言葉に、女性はそっと瞳を伏せると・・ポツリと呟いた。
 「理由なんてないわ。ただ、邪魔だから捨てただけ。」
 「そんな・・・」
 「ほら、言ったとおりだろう?理由なんてない。自分の身勝手な都合だけで子供を捨てるんだ。子供は弱いから、何も出来ないから・・親の都合だけで良い様にされる。」
 「暁・・・。」
 「その通りよ。子供なんているだけ邪魔だわ。だから、捨てたの。まだ小さいから、親の顔なんて知らないでしょう?だから、都合が良かったのよ。」
 「そんなの酷いよ・・!」
 「酷い?偽善者ぶらないで。子供を生んだ事なんてないくせに・・・!」
 吐き捨てるように言われる言葉に、誰も反応が出来なかった。
 確かに、彼女の気持ちになる事は出来ない。なぜなら、体験した事がないからだ。
 分かってやる事は出来る。でも“解って”やる事は出来ない。
 「それじゃぁ、何故追いかけてきた?こんな所まで・・・。」
 「誰かに拾ってもらえれば良いと思ったの。ただ捨てるだけじゃ、寝覚めが悪いじゃない。けど、大誤算だったわ。高校生に拾われるなんて・・・。」
 女性はそう言うと、大げさにため息をついた。
 重苦しい雰囲気が部屋の中に充満し、湿った空気を膨張させる。
 誰も何も言わなかった。
 赤ん坊を捨てた母親。そして、こんな場所まで追ってきた母親。
 そこには何かしらの“理由”があるのだと思った。
 それこそ、赤ん坊を雨の中置いていかなければならないほどの、思いつめた何かが・・・。
 「・・捨てるくらいなら、最初から生まなければ良かったじゃないか。自分の身勝手で生んで、捨てて、誰かに拾ってほしいなんて、そんな他人任せな事よく出来たよね。」
 「貴方に何が解るって言うの?」
 「それなら、あんたにこの子の何が分かるって言うんだ?親だからって、子供を勝手に捨てて良いのか?子供は親の所有物なのか!?」
 「暁さん・・・。」
 静まり返る室内で、不安になった赤ん坊が小さくぐずりだす。
 決して激しく泣き出さない。
 「・・ふぇっ・・ふぇっ・・。ふっ・・ふぇっ・・。」
 誓が立ち上がり、暁から赤ん坊を受け取ると、そっと穏やかに左右に揺らした。
 見た事もないような穏やかな笑みで赤ん坊を見つめ、小さな背を柔らかく撫ぜる。
 すぐに赤ん坊はぐずるのを止め、トロリと瞳を閉じる・・・。
 「慣れてるのね。」
 「妹がいるんですよ。結構年の離れた・・・。」
 「そうなの。」
 カスミは納得したように頷くと、小さく微笑んだ。
 「それで、あんたはどうしたいわけ?」
 「何を・・?」
 「一度は捨てた赤ん坊を追ってココまで来た。今だったら何もなかった事にして・・・」
 「その子をもうこれ以上育てるつもりはないわ。」
 「お母様・・・。」
 「そう、それじゃぁ話はついた。」
 暁はそう言うと、ポケットから携帯電話を取り出した。
 「暁・・?どこにかけるんだ・・?」
 「施設。知り合いのね。警察に連絡するのは嫌でしょう?それだったら、施設に預けるほかないだろ?」
 「待って、暁さん・・まだ・・・!」
 「まだ?まだ何?」
 止めようとした優名は、思わず言葉を飲み込んだ。
 そう言われてしまっては何も言い返せなかった。
 “まだ”も“もう”も、決めるのは彼女だった。そして、彼女は既に決めてしまった。
 「言っておくけど、あんたにはこの場所は教えない。良いよね?すっぱり別れられるわけだし。」
 「あっ・・・。」
 「あ、もしもし?俺だけど・・ちょっと相談したい事が・・・」
 「ダメっ!!!」
 女性が暁の手から携帯電話をむしりとる。
 カツリと携帯電話が床に落ちる・・・。
 『プルルル〜プルルル〜プルルル〜・・・もしもし?暁?どうしたんだよ?お〜い?もっしも〜し。』
 マイクになってしまったらしく、携帯からは少し低い男性の声が必死に暁を呼ぶ声が聞こえる。
 「え・・・?」
 「嘘。全部嘘だよ。施設に電話なんてしてない。これは俺の友達。」
 ふっと、暁は小さく微笑むと携帯を床から取り上げた。
 「もしもし〜あ〜、うん。なんでもない〜。え?あ〜、気のせいだよ、気のせいっ!」
 普段と何ら変わらない明るい声で話す暁に、ひびきと優名はほっと胸をなでおろした。
 「ギリギリで合格点だな。」
 誓が苦笑交じりに言うのが聞こえる。
 「なにがです?」
 「あの演技の事よ。どこが本気で、どっからが演技だかは分からなかったけど・・・。」
 「ま、一応これで一件落着だな。」
 誓はそう言うと、呆然と立ち尽くす母親に子供を手渡した。
 寝ていた赤ん坊が薄く目を開け、にっこりと母親に微笑みかけた・・・。


□雨上がり


 小ぶりになった雨は、いつの間にか音を消していた。
 それでも時折窓硝子に斜めに走る白い線が、今だ空から恵が降り注いでいると言う事を教えてくれる。
 暗く落ち込む空からは、まだ光りは見えない。


 「この子のお父さん・・私の最愛の夫は、先日過労で倒れたんです。この子が出来て、色々と入用になってくるだろうからって言って、昼も夜も惜しまずに働いて・・。」
 赤ん坊が母親の腕の中で嬉しそうにキャッキャとはしゃぐ。
 哀しそうに、それでも愛しそうに赤ん坊を見つめる女性の瞳は、確かに“母親”としての愛情を感じた。
 「過労で倒れて・・そのまま・・・。私は、この子をどう愛したら良いのか分かりませんでした。夫が残してくれたこの子を、どう愛したら良いのか・・・。」
 愛した人が愛した子。
 2人きりになって、戸惑ったのは、決してこの子が嫌いだったからではない。愛し方が分からなかったのだ。
 一生懸命愛さなくてはならない。
 夫の分まで愛さなければならない。自分の精一杯で愛さなければならない。
 一番身近に感じるはずの“愛”が、酷く遠いもののようになってしまった。
 一種の脅迫概念を含んだ愛は、彼女の両肩に重くのしかかった。
 「お母様が、赤ちゃんを大切だと思う、その心こそが、愛だと思います。」
 「そうそう、難しく考えたって、それは感情の問題だから・・・考えるよりも勝手に身体が動いちゃうものなんだよ。」
 「赤ん坊を追って、学園の中に入ってくるとか・・な。」
 「私・・・。」
 「もし1人で悩むような事があったら、また相談してください。あたしで良ければ、何時でも力になります。」
 「私も相談に乗ることくらいは出来るよ!それと・・・。」
 ひびきがクルリと手を回した。
 掌から、小さな赤い薔薇がひょこりと顔を覗かせる。
 「ちょっとくらいなら楽しませる事も出来るし。」
 そう言って、女性の胸ポケットにそっと薔薇の花を差し込んだ。
 「・・ありがとうございます・・。」
 「うちで良ければ、近くを通りかかった時にでも寄ってくれて構わない。妹も、子供が好きだからな。」
 「ぜひ・・。」
 誓がテーブルの上に置いてあったメモとペンを取ると、スラスラと住所を書き記す。
 「あ、雨が上がったみたいですよ・・・。」
 優名が窓越しに外を見つめ、そっと呟いた。
 雲間から穏やかな光の筋が1本だけ地上に注ぎ、再び雲間に隠れる。
 「・・幸せに・・・。」
 暁の呟いた一言は、赤ん坊に向けられたものだった。
 けれどそれは・・母親の幸せも願っているように響いた。
 「明日は、晴れますね。」
 優名の言葉は、確信を持った肯定だった・・・。


 ●晴れ間

 「う・・んっ・・。」
 小さなうめき声に、優名は窓から視線を移した。
 ソファーに力なく横たわる律に駆け寄る。
 「大丈夫ですか?」
 「あ・・大丈夫・・。寝てたって言うより、目を瞑ってたって感じだから。」
 起きるのを手伝い、そっと額に掌を寄せる。
 「熱はないみたいですね。」
 「病気じゃないからね・・。」
 律はそう言って肩をすくめると、クスリと小さく微笑んだ。
 「ありがとう。お母さんを、連れてきてくれて。」
 「いいえ、あたしも嬉しいです。お母様に会った時の、赤ちゃんの嬉しそうな顔・・とっても素敵でした。」
 「そっか。」
 律はコクリと頷くと、傍らにおいてあった鞄から何かを取り出し、優名に差し出した。
 「え・・?」
 「あげる。」
 優名の掌に、コロリと落ちる淡い水色の丸い・・・飴。
 「雨、上がったみたいだね。」
 クスリと微笑む律の言いたい事が、何故だか少しだけ分かった気がして・・・優名は穏やかに口の端をあげた。
 「そうですね・・・。」


    〈END〉


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 ■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  2803/月夢 優名/女性/17歳/神聖都学園高等部2年生

  3022/霧杜 ひびき/女性/17歳/高校生

  4782/桐生 暁/男性/17歳/高校生アルバイター、トランスのギター担当

  4768/月宮 誓/男性/23歳/癒しの退魔士


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 ■         ライター通信          ■
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 この度は『ママを探して!』にご参加いただき、まことにありがとう御座いました。
 母親と会った後、すんなりと子供を引き取る・・と言う話の流れではあまりにも一般的かなと思い、一悶着起こしてみましたが如何でしたでしょうか?
 今回は全体的な雰囲気を考慮して、言葉の1句1句にもこだわってみました。
 お気に召されれば嬉しく思います。


 月夢 優名様

 初めまして、この度はご参加有難う御座います。
 優しくて穏やかなプレイングを有難う御座いました。
 優名様をプレイングと同じくらい柔らかく描けていればと思います。


  それでは、まだどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。