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<東京怪談・PCゲームノベル>


Calling 〜水華〜



 はあ、と少年は息を吐き出す。
 冷たく体を叩く雨の中、見上げる。
(……くる)
 いや、居る。
 己の敵。封じるべき敵。
 彼の名は遠逆和彦。四十四の憑物を封じるためにこの地へとやって来た。
 少年はゆっくりと瞼を閉じ、それから右手を緩やかにあげる。その手に持たれた闇色の傘。
(……行くぞ)
 ああ、行く。封じるために――――!



 橘穂乃香は傘を強く叩く雨音を聞きつつ、帰路についていた。
 すっかり遅くなってしまったことを、反省してしまう。家で心配している執事とメイドの顔を思い浮かべ、申し訳なくなった。
 周囲は薄暗く、もうすぐ完全な闇に染まってしまうことだろう。
 雨はやまない。
(でも、みんな嬉しそうでした……)
 水は命だ。植物もそうだ。
 だから雨の日は皆、元気がいい。久しぶりの雨ということもあり、ついつい話し込んでしまった。
 いつもは。
(いつもは)
 そう、いつもはこれほど心臓の音を強く聞くことは無い。
 屋敷までの道を不安に思ったり、夜を不気味に感じることも無い。
 けれども今日は。
(……どうしたんでしょうか……)
 やけに自分の心臓音が大きいような気がする。雨音以外が聞こえないせいだと自分に言い聞かせた。
 ふいに足を止めて穂乃香は周囲を見回した。やはりだ。
 街灯以外、ない。
(………………)
 弱々しい灯かりを見上げ、穂乃香は足を動かす。屋敷までもうすぐだというのに、ひどく遠く感じた。
 まだ着かないのか、と思ってしまうほどに…………。
 遠くで鈴の音が響いた。びくりとして穂乃香は振り向く。
 雨はやまない。
 街灯の明かりから僅かに外れたそこに、誰か立っている?
 目を凝らす穂乃香は、怪訝そうに足の向きを変えた。
 刹那。
 穂乃香の真横を何かが凄いスピードで通り抜ける。頬と耳に風と空気を切り裂く感触を残し、それはびしゅ! と音をさせて地面に突き刺さった。
 ゆっくりと、追うように顔を後ろに向けた穂乃香は、黒い棒に突き刺さったモノを見遣る。蠢くソレは、まるで水でできたゼリーのような……。
(あれは……?)
 なんだろう。
 そう思う穂乃香は、じゃり、と足音がしてまた顔を正面に戻す。



 彼は足を止める。
 居た。
 さあ。
(封じてやる――――)
 そう思った瞬間、彼は自分の前を無防備に歩いている少女の姿に気づいた。
 少女のすぐ向こうに潜んでいる憑物の姿がわかる。少女は気づいていない。
 口を開けて待っている憑物に、飛び込むようなものだ。待ち受ける魚に気づかず口の中に入る餌のように……。
 思わず口を小さく開き、そしてすぐに唇を噛む。
 右手の傘の形が揺らぐ。
 彼はぐっと腰を落とした。その右手の傘が彼の動きに呼応するようにぐにゃりと形を変えていく。
 徐々に棒状に変形していくそれを、彼は気にしない。
 彼が「そうあれ」と望んでいる形へと成っていくだけなのだから。
 その全ての動作は一瞬の中の出来事だった。
 槍投げの選手よりも速く、彼は「敵」目掛けて武器を放った――――!



 こちらに向かって歩いてくるのは、穂乃香が先ほど見た人物のようだ。
 傘も差さず、雨に濡れることなど歯牙にもかけていない感じだった。
 彼は穂乃香の横まで来ると、足を止めた。
 穂乃香は彼を見上げる。
 黒髪と黒の制服は雨で濡れ、眼鏡からは水がしたたり、整った顔立ちにはなんの感情も浮かんでいない。
(誰……?)
 誰だろう。見たことがない人だ。
 彼は闇に溶け込むような印象を受けた。
 穂乃香を一瞥した少年の瞳はひどく冷たい。
 声をかけようと口を開きかけた穂乃香から視線を外すと、彼は蠢いているものに近づいていく。
(危ないです!)
 穂乃香は声を出して少年に注意をしようとする。蠢くそれは触手を伸ばして少年を傷つけようとした。
 だがそれより速く。
 突き刺さった黒い棒に手を触れる。
 棒が、ゼリーの中で変形した。
 ハリネズミのようだ。球体に変形した武器は鋭く長い刺を外側にたくさん向けていたのだ。
 先ほどよりひどくのたうち回るゼリーのようなものを冷ややかに見下ろす彼。
 球体は一旦溶けると、彼の右腕に集まる。
 反撃しようとしたゼリー状のものは、一瞬でバラバラにされた。細斬りにされたと言っていいだろう。
 少年の手には黒一色の刀が握られている。先ほどまでそんなものはなかったはずなのに。
 ぼたぼたと地面に落ちたそれは、ぴくりとも動かなくなった。
 少年はその様子を眺め、何かを取り出そうとするが動きを停止する。
 ちがう。
 と、彼の口が動いたのが穂乃香にも見えた。
 何が違うのか。
 刹那、彼は穂乃香のほうを振り返る。そして駆け出した。
 えっと驚く穂乃香に一瞬で駆け寄ると、彼は何かを受け止める。彼の着地と、攻撃を受け止めた衝撃で足もとの水が派手に散った。
 はらり、と穂乃香の長く美しい髪が数本舞う。
 攻撃をズラされて、髪の数本で済んだのだ。
 水の。
(水の槍……?)
 それは地面から生えていた。
「ぐ……っ」
 少年は両足に力を入れて踏ん張っている。穂乃香は彼の斜め後ろにいる状態だ。
 では先ほど少年が倒したのは――――。
(分身……?)
 穂乃香の体が浮き上がる。無遠慮に彼女の腰に手を回して脇に抱えた少年は、繰り出される攻撃を刀で受けながら後退していく。
 右腕一本で攻撃を防ぎきる少年も凄腕だが、敵は明らかに彼の様子を楽しんでいるようだ。
(あ……)
 理由がわかってしまう。
 自分がいるからだ。
(穂乃香のせい……?)
 ステップを踏むように艶やかに後退していく彼は、まるで舞っているようだ。
 穂乃香の眼前に槍が迫る。手数を増やしたのだろう。
 目を閉じる暇さえない……!
 眼球を貫かれたと思った。だからこそ、穂乃香は体を強張らせたのだが。
 彼女の目の前には別のものがあった。
 少年の右手だ。
 貫かれて、歪に歪んでいる。
 一瞬で血の気が引いた。彼の血が穂乃香の顔に散っていた。
 右手の武器を彼は捨てたのだ。穂乃香を護るために。
 穂乃香は視線を上げた。彼は表情を一切動かしていない。
(……!)
 痛くないはずがないのに、どうして。
 少年の手から水が形を失って地面に落ちていく。血と一緒に。
 すぐさま彼は攻撃するためにまた右手を動かす。べき、と妙な方向に指が曲がった。無理やり使おうとしたためだろう。
 だが彼は止めない。
 ああ、と穂乃香は顔を覆いたくなる。どうしてそこまでして戦うのか彼女にはわからない。
 足もとから浮き上がった黒いものが集まって武器の形をとる。それを彼は握りしめた。
(え……? 治って……ます?)
 穂乃香は瞬きをした。彼は武器を握った。先ほどと同じように。
 だがその手には血の跡はあるが傷はない。折れた指も治っている。
 これはもしかして夢なのだろうか。
 不死身のヒーローと、その敵。本当に夢のような話だ。
(邪魔に……)
 邪魔になっているのは自分?
 穂乃香はどうするべきか思考を巡らせる。彼の手から逃れ、走って逃げるのは容易ではない。
 やめてください。もういいんです。
 穂乃香は涙が目元に浮かび、滲む。ここで泣いてもしょうがないのに。
(穂乃香を捨てて……倒してください……!)
 見ず知らずの自分を庇うことはないのだ。
 喉が引きつる。言葉が出ない。
 ぐっと息を吸い込む。口を開こうと決心したが、彼の瞳を見て動きを止めた。
 穂乃香からはよく見える。あの、桃色の瞳が――――!
 全身から力が吸い取られるような感覚に陥り、意識が朦朧とする。
 ぐったりしてしまう穂乃香に気づき、彼はぎょっとしたように目を見開く。
 そしてすぐさま後退していた足をそこで止めた。
 ぐ、っと……そこで足を止めたのだ。まるで今すぐにでも決着をつけようとしているように。
 ギラッと彼は敵を見据える。敵の姿は無い。
 あるのは雨の音と、地面の水だけ。
 水だけ。
 右手の武器が大きくうねる。槌の形に変わる。だがそこで止まらない。
 槌の柄の大きさは変わらない。だがその先端部分がみるみる大きくなっていく。
「一撃で――――!」
 少年の声が、混濁する意識の中で響いた。
 次の瞬間。
 ごぉん!
 激しく鈍い音が辺りに響く。
 少年が右腕で振り下ろした槌が、地面が揺るがした――!



「ん……」
 穂乃香は瞬きをする。
 誰かの背中に、自分はいる。
 穂乃香の小さめの傘を差し、穂乃香を背負って歩くのは先ほどの少年だ。
(暖かい……)
 彼の鼓動の音が聞こえる。穂乃香は小さくしがみついた。
 自分を呼ぶ誰かの声が聞こえる。だが、穂乃香の意識はそこでまた途切れた。



 どうしてなんだろう、と彼は思う。
 少女を背負って歩く彼は、そう思う。
 視線を伏せる。
(封じても封じても……意味がない)
 確かに四十四の数を封じれば自分はここに居る用はなくなる。
(だが)
 人間が居る限り、憑物の存在は消えやしないのだ。
(……こんな女の子を)
 巻き込むなんて。
 無傷で済んだとはいえ、紙一重な場面が多かった。それが……それが。
 ぐっと歯を食いしばる。
 なんて――――歯がゆい。
 彼は顔をあげた。誰かを探す声が聞こえる。
(そうか……心配してくれる人がいるんだな)
 ふ、と彼は微笑した。少女はまだ意識が戻らない。



 次に目覚めたのは自分の屋敷の、自分の部屋のベッドの上。
 穂乃香はニ、三度ほど瞬きし、周囲を確かめる。
(そういえば……)
 夢の中で聞いたような。
 知り合いの少年と、あの黒髪の少年の会話を。
(……一方的に責められてた感じが……)
 穂乃香は気絶していたし、あの黒髪の彼を弁護することなどできないのだから。
 鮮やかに戦う少年の姿を思い出して、穂乃香はしばらく無言になる。
 目の前にかざして穂乃香を庇ったあの手を思い出す。水に貫かれたあの手のことが心配だ。
 起き上がって窓から外を覗く。雨がまだ降っていた。
 そういえば……。
 夢かと思った一瞬の中で、穂乃香は彼が心配そうにこちらをうかがっていたのを見ているような……。大丈夫か、と訊かれたはずだ。
 ぼんやりと、それを反芻する。
(声も……素敵でした)
 最初に見た冷ややかさはそこにはなかった。
 窓にそっと指先を当て、穂乃香は呟く。
「名前……今度会ったら……」
 訊こう。名前を。彼の名前を。
「きっと……きっとまた会えますよね……?」
 それは確信に近い思い――――。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【0405/橘・穂乃香(たちばな・ほのか)/女/10/「常花の館」の主】

NPC
【遠逆・和彦(とおさか・かずひこ)/男/17/高校生+退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 初めまして橘様。ライターのともやいずみです。
 ほとんど会話なしになってしまいました……。まだまだ何かの序章のような感じになってしまいましたが、いかがでしたでしょうか? 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
 和彦の憑物封じにお付き合いくださり、ありがとうございます!

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!