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少年易惚恋難成(しょうねんほれやすくこいなりがたし)
■オープニング■
「こんな人を知りませんか?」
早朝の校門前で一人の少年が、登校して来る生徒達にスケッチブックを示して問いかけている。
あなたは、何が描かれているのかと好奇心に駆られて、彼のその画帳を覗き込んでみれば、そこにはかなり達者な筆致で、一人の少女の似顔絵が描かれていた。なかなか可憐な風情の美少女である。
この絵を描いたという少年本人に事情を問いただしてみれば、今年のバレンタインデーに、この少女からチョコレートをもらったのでお返しがしたいのだとの事。
彼にとっては、これが生まれてはじめて、家族以外の女性から贈られた記念すべきチョコレートなのだそうだ。
そして、人から受けた恩は必ず返さなければならないと、厳しいお祖母ちゃん(故人)にキッチリ躾けられたという彼が、きたるホワイトデーに何か彼女にお返しをと思いつめてしまったのは、けしてその義理堅い性格だけが理由ではないのだろう。彼の似顔絵の腕前を素直に信じるのならば、少しくらい甘い夢を見てみたくなるレベルの容貌を、彼女は備えているようだから。
しかし、彼が彼女をこうまでして捜し求めるのには、もう一つ理由があった。
何しろ、彼はそのチョコレートの送り主について、何も知らなかったのだ。
少なくとも彼は、その日まで彼女の存在自体を認識していなかった。早い話、そんな少女が身近にいたことすら知らなかったのだ。
あの、運命の2月14日の放課後。帰宅しようと高等部の玄関で靴を履き替えていたところ、いきなり肩を叩かれ、驚いて振り向いた彼に、彼女は「はい」と小奇麗なパッケージのなされた小箱を手渡し、そのまま何もなかったようにその場を去ってしまった。
自分に対する彼女の行動が持っていた意味を彼が知ったのは、帰宅して、そのパッケージの中身を確認し、夕方のニュースで世間的に今日がどういうイベントの日なのかを思い出してからの事だった。
当然、翌日から彼は彼女を探して校内を彷徨い歩いた。
しかし、彼女の姿はおろか、彼女を知る人間も誰一人として現れないまま今日に至っているのだという。
「僕、からかわれただけだったんでしょうか……?」
少年は肩をおとし、俯いた。
見れば、背は低めで体躯もやや細身で貧弱ではあるが、やぼったい黒ブチビン底眼鏡の向こうには、なかなか涼しい目元が光る、ぶっちゃけ眼鏡をはずせば別人のように美少年。でも本人はその隠された魅力に全く気づいていない、醜いアヒルの子状態。というベタな外見だが、その心根は、今時レッドデータブックにも載りそうなほど純粋なようである。
ここで関わったも何かの縁。あなたは、彼のこの不器用な想いをなんとか彼女へと届けられるようにおせっかいを焼いてみることを決心した。
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「……あら?あの男の子……」
午前7時30分、学園内の寮から高等部の校舎へと登校する途中、通りかかった正門前で月夢・優名(つきゆめ・ゆうな)はかねてから気になっていた少年が、中等部の生徒とおぼしき少女となにやら真剣に話し込んでいるのを目にした。
気になっていたといっても恋愛感情ではなく、2月のなかばから連日校門に立って、スケッチブック片手に何か呼びかけていたので、一体なにをしているのだろうといったものだったが。
いつも誰にも相手にされていなかった彼が、中等部の少女に何を話しているのか。
優名ひとりでは、好奇心がうずいても少年に話しかけることなど出来そうになかったが、今日はもう一人いるということでちょっと気が楽になり、思い切って彼らの話に加わってみることにした。
「え〜っ?この似顔絵の女の子を探してるの? なんかそれってロマンチック! いいわ、あたしも断然協力しちゃう」
スケッチブックの少年から事情を聞いた馬渡・日和(まわたり・ひより)は、興奮して少年の背中をばんばん叩いた。
「馬渡さん、ちょっと力入りすぎ……」
日和に背中をどつかれて、簡単に2メートルほど前へ吹っ飛んだ少年を助けおこしながら、優名がやんわりたしなめる。
日和も、優名同様に少し前から彼のことが気になっていたのだが、今朝、ついに好奇心に勝てず、彼に声をかけてみたのだそうだ。
「でも〜、このスケッチはよく描けているとは思いますけれど、これだけじゃチョコレートをくれた女の子を探すのは難しいんじゃないんでしょうか」
優名は改めて手に取った少年のスケッチブックを眺めながら、軽く眉根を寄せた。
「……じゃ、じゃあ、他にどうすれば……」
少年はずり落ちかけた眼鏡をかけなおしながら、心細そうに少女二人に問いかけた。
「そうねぇ、とりあえずは学校の友達や先生にこの似顔絵の子を知らないか聞き込むことくらいだけど……。ここで聞き込みをしてるってことは、その子は神聖都の生徒なのよね?」
と、日和。
「うう……それが、あんまり自信はないんです。でも、最低でもバレンタインのあの日は、彼女、この学校に来ていたわけですから、生徒じゃないにしても、誰か見かけた人がいないかと思っていたんですけれど……」
「そうねぇ。あ、もらったチョコレートについてなんだけれど、メッセージとかはついていなかったのかしら?」
なんとか手がかりを引き出そうと、優名も問う。
「手紙はもちろん、メッセージカードの類は何もありませんでした」
しかし、彼から返ってきたのはなんとも張り合いのない回答だった。
「(その貰ったっていうチョコレートがどこで売られていたものなのか探してみたらどうだ?手作りだとしてもパッケージされてたなら袋とかシールとか、何か手がかりになるものはあるはずだろ?)」
少年の煮え切らなさに痺れを切らして、日和の中から日向も問いかける。
急に口調の変わった日和に優名は一瞬驚いて、彼女の顔をまじまじと見つめた。が、少年はそんなことには気づかない風で、虚空を睨みながら一生懸命記憶の糸を手繰り寄せていた。
「チョコレートは、たぶん手作りだと思います。……そのう……売っているものにしては形がいびつすぎましたし、味の方も……」
そのチョコを口に含んだときの事も思い出したのか、少年はなんとも複雑な表情を浮かべた。
「でも、ちゃんと食べてあげたんですね。それでラッピングはどんな感じでした?」
少年の誠実な対応を聞いた優名は穏かに微笑むと、続きを促した。
「ラッピングは、ごく普通にブルーのつるつるした包装紙で、リボンは薄い水色のレース風でした。あ、でもちょっと不思議な飾りがついていたな」
「「えっ!?」」
やっと出てきた手がかりらしき発言に、少女二人は色めき立ち、同時に少年に詰め寄った。
「ヒイラギと、銀色の小さな魚のモチーフがリボンの根元にくっつけてあったんです。クリスマスプレゼントなら、そういう飾りも見るけれど、バレンタインにはちょっと見ないアレンジだから、印象に残ってて……ほら」
言いながら、少年は制服の胸ポケットからハンカチに包んであったそれを取り出し、二人に示した。あれ以来常に持ち歩いていたらしい。
言葉だけで聞くとなんとも珍妙な飾りのような印象だったが、実際のそれは白い斑(ふ)入りのヒイラギの葉を小さなコサージュ風にレースのリボンでまとめ、結び目に、おそらく純銀であろう、3センチほどの小さなほっそりした魚の形の根付らしきものが取り付けられている上品なものだった。
「ヒイラギはともかく、魚はクリスマスとも関係ないと思うけど」(そこが手がかりになるかもな)
と日和が自らの内の声と新たに得た情報を検討する。
「ヒイラギ……お魚……」
優名は何か思い当たることがあったらしく、得た情報を口の中で復唱する。
「……月夢さん?」
「『ゆ〜な』でいいですよ。あ、あれかしら?……でも……」
呼びかけた日和に答えながらも、優名は自分のたどり着いた答えに確信が持てないのか、ぶつぶつとつぶやいた。
「あ、あの。どんなささいな情報でもいいんです。手がかりに気がついたんだったら教えてもらえませんか?」
少年が優名にすがる。
「そーよ、そーよ。ゆ〜な、今の段階では手がかりなんてほとんどないも同然なんだから。なんでもいいから思いついたことどんどん言ってみて?」
日和も優名を促す。
「えっと……じゃあいいますけど。その飾り……ヒイラギとお魚って『魔よけ』じゃないのかしら?」
「「魔よけ?」」思ってもいなかった言葉に、聞き手二人が声をそろえて復唱する。
「そう、ほら、節分の豆まきのときに、軒にヒイラギと鰯の頭を飾るというの、聞いたことない? あたし、あなたの話を聞いて、真っ先にそれを連想したの」
「(魔よけ……ねぇ)」
日向があきれたようにつぶやく。それはそうだ。バレンタインのチョコレートに魔よけ。なんとも珍妙な取り合わせである。
「で、ね?このヒイラギの葉っぱなんだけれど、あたし、見覚えがあるの。ほら、葉っぱの周りを白い斑がふちどっているでしょう?」
少年から受け取った飾りを手のひらに載せると、優名は二人にヒイラギの葉っぱの部分がよく見えるようにリボンを押さえながら説明を続ける。
「斑入りの葉っぱ自体はそうめずらしいものじゃないんだけれど、この葉っぱ、真ん中の葉脈まで白いでしょう?こういうのは、あたし、他で見たことないのよ。これって、隣町にある神社のじゃないかと思うの。以前、寮の友達が面白いところに行ってきたからって採ってきたのを見せてくれたことがあるのよ」
「面白い?」
優名の説明にひっかかるところを覚えた日和が、問う。
「うん、そう……面白いって言うか……」
優名はそこで一旦言葉を切ると、改めて少年に向かって語りかけた。
「あなたにひとつ確認をしておきたいんですけれど。ここ(神聖都学園)の生徒だから知っているとは思いますけど、その女の子が“そういう”存在であるという可能性もあることは覚悟してますか?」
「“そういう”存在って……」
優名の真剣なまなざしに気圧された少年は言葉に詰った。
「“そういう”存在……妖怪、心霊、その他もろもろこの世にいないはずの存在や、現実にいるはずのない存在のことですよ。あたしとしては幽霊でも妖怪でも、好きなら好きで通してほしいと思うから……」
「そっかー、そういう可能性もなくはないのよね」
日和も相槌を打つ。
思いがけない優名の言葉に、少しの間少年は黙り込み、考えていたがやがて顔を上げると
「それでも、僕は彼女にあいたいです」
きっぱりと言い切った。
「おー!えらいっ」
何かを決心したような少年の姿に拍手する日和。
優名も再び穏かな微笑を浮かべると、ヒイラギについての説明を続けた。
「友達が行ってきた場所と言うのは、隣町にある小さな神社なんです。そこに縁の方じゃないかと思って……ただ、その神社に奉られているのって『貧乏神』なんですよね」
「貧乏神ぃ!?」
日和(と、日向)が素っ頓狂な声を上げる。しかし、当の少年はもう決心したのかさほど動ずる気配もなく、優名に問題の神社までの簡単な地図を描いてもらっていた。
「よっしゃ!じゃあ放課後、みんなでこの神社まで手がかりさがしに行ってみましょ」
光明らしきものが見えてきたことで、俄然はりきりだした日和が二人に提案する。
「あ、ごめんなさい。あたしもついていきたいんだけれど、放課後は寮の当番があって付き合えそうにないの。かわりにお茶を用意しておくから、よかったらあとで学園の寮に寄って話を聞かせてくれないかしら?」
優名の暮らす学生寮では、浴場や洗濯室(ランドリー・ルーム)などの公共の設備の掃除が持ち回りで義務付けられている。
今日、彼女は娯楽室の掃除当番をまかされていたのだった。
「そっかー、当番はやんないといけないもんね。おし!キミ!放課後、あたしと一緒にこの貧乏神神社までいってみよう」
「ええ、お二人ともありがとうございます」
少年は感激にビン底眼鏡の奥の瞳を潤ませながら、深々と頭を下げたのだった。
そして放課後。朝出会った正門前で待ち合わせた二人は、優名の描いてくれた地図を頼りに、隣町の神社へと出発した。
どうやらそこへは直通のバスも電車もないようなので、ちょっと距離はあるが歩いてゆくことにする。
「でもさー、貧乏神神社なんて、なんだか縁起が悪そうだよね〜。キミ、そのチョコレートもらってからツキが落ちた……なんてことなかった?」
並んで歩きながら、日和がからかうように話しかける。
「いえ、特にそういうのは思い当たらないですね〜。もっとも、僕、昔っからあんまりツキには恵まれてないほうだから、いまさらこれ以上運が悪くなりようはないのかも」
少年も笑いながら答えた。そのとき。
ぱぁん! と、硬い破裂音とともに、彼らの目の前の歩道に小さな植木鉢が砕け散った。
思わずその鉢が元あったであろう頭上を振り仰ぐと、地上からかなり遠ざかった位置にあるベランダから、その部屋の主とおぼしき老婦人が真っ青な顔でこちらを見下ろしていた。
ほどなく階下へ降りてきて平謝りする婦人に、少年は「誰も怪我しなかったんですから大丈夫ですよ」と、告げると再び二人は歩き出した。
道はやがて閑静な住宅街へと二人を誘う。と、そこへ二人の背後から「グルルルル……」という不穏なうなり声が、チャッチャッというスパイクがアスファルトを蹴るような音とともに近づいてきた。
いやな予感に二人が振り返ると、そこには千切れた鎖を首から垂らした大型犬が今にも彼らに襲い掛からんとジャンプしている真っ最中だった。
(ちっ!)
日向は素早く日和とチェンジすると、どこからか取り出した細い板のようなもので、向かってくる猛犬の鼻を打ち据えた。
犬は向かってきた勢いのわりには根性がなかったらしく、その一発で「キャウン」という情けない悲鳴とともに転がるようにもと来た道を逃げ帰っていった。
「日和さん、どうもありがとうございます。女の子に撃退してもらっちゃって僕……」
「びっ……びっくりしたわねぇ。でも、さっきの植木鉢のことといい、意外とキミ、度胸が据わってるっていうか落ち着いててすごいと思ったわ」
さりげなく、再び日向とチェンジした日和は愛用の鉄扇を上着の内ポケットにしまいながら、素直な感想を述べた。
「いやあ、あれくらいはわりとしょっちゅうなんで、僕、慣れてますから」
「慣れてるって、キミ……」
とんでもないことをさらっと言う少年に驚いた日和が立ち止まり、なおも何か言おうと発しかけた声を、けたたましいクラクションの音がかき消した。
たしかに青で渡りはじめたはずの横断歩道に、ブレーキ音を響かせながら小型のトラックが二人めがけて突っ込んできたのだ。
「あぶない!」
少年はとっさに日和を突き飛ばす。日和は車道わきの植え込みに頭から突っ込んだ。そして次の瞬間、トラックはドライバーの「バカヤロウ!」の罵声を残し、そのまま走り去ってしまった。
「何がバカヤロウよ!あんたなんか事故っちゃえ!……あたた……」
突き飛ばされ、植え込みに突っ込んだときに小枝で擦りむいた額をさすりながら、日和がトラックに悪態をつき、ついで少年を振りぎょっとする。
少年は右の肘を押さえたまま、身体を丸めるようにして車道に横たわっていた。
「大丈夫!?轢かれちゃったの?」
駆け寄る日和に、少年はわずかに頭をあげ、首を振った。
「いえ、ちょっと腕が……。ころがった拍子に折れちゃったかもしれない」
言って、痛みに顔を顰める。
とにかく車道からは移動する必要がある。日和は少年に肩を貸すとよろよろと歩道へと移動した。
「どうしよう、キミ、大丈夫?」(とりあえず救急車呼べ、救急車)「ええっと、救急車って電話番号何番だっけ?」(そんなのもわかんないのかよっ!?)「ちょっと黙ってて、そんなにギャーギャー騒がれたら思い出すもんも思い出せなくなるじゃない!」
なんとか歩道までたどり着き、その場に座り込んだ日和は軽いパニックに陥り、傍目には一人漫才にしか見えないケンカをはじめてしまった。
「おねーちゃん、何やってるの?」
唐突に、背中をぽんぽんと手のひらで叩かれる感触に気がついて、彼女は後ろを振り返る。
そこには、見たことのない小柄な少女が日和たちを覗き込むようにして立っていた。
「ああ、よかった。あなた救急車呼んでくれない?この子が大怪我しちゃったの」
やっと現れた救いの手に、日和は協力を求めた。しかし、それを聞いた少女はなぜかにいっと意味ありげな笑いを浮かべると
「そんなモノ呼ばなくても大丈夫だよ」
と、言い放った。
「あなた!何考えてるの? この人、腕の骨折れてるかもしれないのよ」
言って傍らの少年を指差す。相当痛みがひどいのか、少年の額には油汗が浮いていた。
「大丈夫、大丈夫。ボクにまかせて」
少女はそういうと、少年の腕の折れたとおぼしき場所を両手で包み込み、目を閉じた。
「ちょっと、何してるの?早くお医者に……」
日和がみなまで言い終わるその前に。
少女の全身が淡く光りだした。光はやがて背中を中心に強さを増してゆき、その光の中から一対の純白の翼が出現する。
それと同時に全身を覆っていた淡い光は彼女の肩を経て腕へ、そして少年の怪我にあてがわれている両手へと集まってゆき、そこで一旦ソフトボール大の玉になると、まるで水の雫が紙に吸い込まれるように、すうっと少年の身体のなかへ消えていった。
「はい!おしまい」
少女の声にはっと我に返る日和。
見ればもう、彼女の背中に翼はなく、得意げな銀色の瞳が「どう?」と日和を見上げていた。
「……あれ?あれあれ?」
少年はと言えば、さっきまで痛みに顰めていた顔を呆然とした驚きに変え、押さえていた右腕をぶんぶん振ったり、肩から回してみたりしている。
「キミ……腕、もういいの?」
恐る恐る日和が尋ねると、ようやく我にかえった少年は日和を振り返り、信じられないと言った面持ちで
「治っちゃったみたいです」
と告げた。
「あなた、一体何者なの?」
日和が少女にやや強い語調で問いかけたのも無理はなかった。学園を出てからの立て続けのアクシデント、そのあげくの彼女の登場はこれから赴こうとしている場所の胡散臭さとあいまって、なんらかの意図を勘繰ってしまうに充分すぎるほどだった。
「ボク? ボクは月野・寿(つきの・ことぶき)。ごらんのとおりの可憐な美少女だよ。それよりも、ハイ!」
言って寿は日和に掌を上向けてぱっと広げた右手を差し出した。
日和は寿の意図がよくわからないままほとんど無意識にその手をとる。
「ちがう、ちがうってば〜。握手じゃないの。ほら〜、カンシャのキモチっていうのがあるでしょう?」
「? 」
「治療代」
「ええ〜っ!?お金とるの?」
「あったりまえじゃない。世の中只ほど高いものはないのよ〜?」
きっぱりと。
元気よく。
天真爛漫に。
この上もなく世俗の垢にまみれた台詞を、極上の天使の笑顔で日和に向けて放った寿は、それでもこれ以上反応しない彼女に見切りをつけて、少年へと向き直った。
「お……お礼ですか? ええ、もちろん。ただ、今は僕たち行くところがあるので後日改めて……という事ではだめでしょうか?」
『何が何でもお礼を貰うぞ』というオーラを放ちまくっている少女の瞳に気圧されて、たじたじとなった少年は、しかし、持ち前の義理堅さを忘れることなく、少女にそう告げた。
「むー。キミたちが行くところってどこなの?」
少女は、それでもまだ不服そうに少年に問いかける。
「僕たちがこれから行こうとしているのは、隣町の『貧乏神神社』という所で……」
「! おもしろそうっ」
少年が目的地の名を口にすると、ただでさえ大き目の寿の瞳は好奇心でよりまん丸になり、おまけにらんらんと輝きだした。
「ボクもいきたいっ。一緒に連れてって」
「ええ〜っ?」
日和が不服そうな声を漏らす。
「いいじゃない。ボクがいれば、さっきみたいにケガしてもすぐ直してあげられるし。ねっ?きまり〜っ」
そういうと、少年の直りたての腕にしっかりつかまって、彼を引きずるように先に歩き出した。
「ちょっと、あなた!」
「僕はかまいませんから。さっき月野さんには助けていただきましたし」
気色ばんだ日和が声を荒げそうになるのを、苦笑いとともに振り返った少年がやんわりと制した。
「お?キミ、話がわかるねぇ。じゃあかわりにさっきの治療代はチャラにしといてあげる」
「……もうっ!」
先ほど目の当たりにした寿の能力は確かなものだった。この調子だとまだこのあと何があるかわかったものではない。彼女の能力はそのとき役にたつかもしれない。
そう、自分に言い聞かせて、なんとか心を落ち着けた日和は、もう随分と先へ行ってしまった二人を追って駆け出した。
「あれ……?貧乏神神社ってここのことだったのか」
小一時間ほど歩いて、ようやく目的の神社にたどり着いた少年は、心底意外そうに境内を見回してつぶやいた。
「え?キミ以前もここに来たことあったの?」
日和が驚いて聞き返す。
「貧乏神神社なんていうから、もっと暗くて汚いところを想像してたのに、とてもきれいな場所だよね」
道中、二人から詳しい事情を聞いた寿が、少し感心したよう境内の木々を見渡した。
そこはもう春で。満開の梅の花が小さな社殿を囲むように咲き誇っていた。
「ええ、以前来たときは親戚に連れてこられたんで、場所とかよくわかってなかったんですけれど、梅の木がたくさん植えられていたから、これが満開になったらすごくいい絵が描けそうだなと思っていたんです」
いいながら、少年は嬉しそうに手近の梅の木の幹に手を当て、かすかに香る花を仰いだ。
「あっ!あれ、チョコレートのヒイラギじゃない?」
寿が目敏く社殿の裏からわずかに覗いている斑入りのヒイラギの枝を指差した。
「行ってみましょ」
日和(と、日向)は油断なくあたりを警戒しながら、少年と寿を促して社殿の裏手へと回りこんだ。
「わー、何これぇ?」
社殿の裏にあるものを見た寿が、驚きと好奇心のいりまじった歓声をあげた。
そこには、社殿とは別に簡単な屋根を四本の柱で支えた相撲の土俵のようなものが設えられていた。
ただ、土俵とは違って、その真ん中には丸太を荒く人型に削った仏像のようなものが立っている。
「ここのご神体なんだそうですよ」
少年が説明する。
「じゃあ、これが貧乏神さんなわけ?」
日和が気味悪そうに木製の像を覗き込みながら確認する。
「ええ。僕が以前聞いたときは、貧乏神とは言いませんでしたけど。このご神体を気の済むまで殴ったり蹴ったりすることで厄をおとせるんだそうですよ」
「じゃあ、あなたは厄落とししたのに効かなかったわけだ」
「いえ、しなかったんです。……できなかったっていうか」
「えー?どうして」
寿も不思議そうにたずねる。
「以前ここに連れてきてもらったのは、僕があんまり普段からついてないものだから、みかねた親戚が厄払いにと思ってのことだったんですよ。でも、この像を見たらなんだかかわいそうになっちゃって……だって、この像自体は参拝者に何も悪いことはしていないでしょう? むしろ参拝者の不満や嘆きを文字通りその身に受け止めて、彼らが心穏かに帰ってゆけるようにとここにあるわけだし。幸い、僕はツキのないのには慣れっこで、そんな風に他の存在に自分の不幸を叩きつけなければやっていけないとは思えなかったから、結局そのまま帰ってきちゃったんですよ」
そう語ると、少年は懐かしそうに木像の顔のあたりを撫でた。
「……なんか、あなたって」
「人がよすぎるよねー」
知らず、出会ってはじめて互いの意見の一致を見た日和と寿は、なかば呆れながらそんな少年の優しさに顔を見合わせて苦笑した。
そのときだった。
少年が撫でていた木像の、荒くノミで刻んだだけの目からすうっと涙がこぼれたのは。
「えっ?」
驚いて後ずさる少年。
日和は日向とチェンジして鉄扇をかまえ、寿は素早く社殿の陰へと身を隠した。
木像は一同の警戒をよそにその目の前で、無骨で荒いフォルムをブレザー姿の一人の少女へと変えていった。
「君は!」
少年は声をあげた。
「……もう、あわないつもりだったのに……来てくれたんですね」
少女は涙を零しながらも、嬉しそうに微笑んだ。
「どどっ、どうして?いや、それよりなんで僕にチョコなんて……?」
「やっぱり、迷惑でした?」
とんでもない! と、少年はすごい勢いで首を横に振り
「嬉しかったんです。とっても。だからどうしても会ってお礼が言いたかったんです」
と、耳まで赤く染めながら少女に、この約一月間抱いていた思いを告白した。
「私も、嬉しかったんです」
少女は少年に近づき、彼女の思いを語りだした。
「私は元々、このご神体に使われている原木に宿る精霊でした。それがある日突然山から切り出され、ご神体として加工されて。以来、ここで参拝に来る人々の不平や不満、嘆きなどをこの身に受けてまいりました。元々が木ですから、あまり痛いとか辛いとは感じませんでしたが、参拝者には何もしていない自分に負の感情しか向けてもらえないのは切なく思っておりました。そんなところへ、あなたがさきほどご自身で仰られたような優しい感情を私に向けてくださって……」
「でも、どうしてバレンタインのチョコを渡しただけで終わりにしようと思ったの?」
せっかく再会できた二人の邪魔をしては悪いと口を挟むのを我慢していた日和だったが、どうしても好奇心に勝てず、少女にたずねてしまった。少女はそんな日和を寂しそうに微笑みながら振り返った。
「だって……私、厄病神で貧乏神なんですよ? こんな私がこの方に親しくつきまとったりしたら、この方不幸になってしまうじゃないですか。だから気を使ってお渡しする『ちょこれいと』にも魔よけの飾りを添えさせていただいたりしたんです」
「あー、それであのヒイラギとイワシの飾りなのね」
いつの間にか物陰から出てきて、成り行きを見守っていた寿が納得する。
「大丈夫です。僕、運がないのには慣れてますから!」
少年が必死で少女に言い募る。
(いや、違うと思うな)「日向?」
傍で見ていてじれったくなったのか、唐突に日和とチェンジした日向が割って入った。もっとも、傍目には日和が急に乱暴な口調になっただけのようにしか見えなかったが。
(今日一日、お前と付き合ってみて思ったんだが、お前って、全然ツキがないわけでもなけりゃ、運が悪いわけでもない、むしろまれに見る強運の持ち主だと思うぜ? だって、考えても見ろよ。しょっちゅう、今日みたいな調子で災難にぶちあたってるんなら、とっくに寝たきりか、最悪あの世行きじゃねーか)
そこで日向は一旦言葉を切って、にやっと少年に笑って見せた。
(それに、何よりお前が強運な証拠に、貧乏神とはいえ神様のハートをゲットしちまったんだからな。こんなこと、運やツキのない野郎にできるわけがないだろうが)
言うだけ言って、自らの台詞に照れたのか、日向は再び日和とチェンジしてしまった。
「馬渡さん……」
少年は日向の言葉に勇気付けられたように顔を輝かせた。
「そーだよー、ついてない君には神様も天使も味方にはつけられないよっ!」
寿も応援する。なにせ目の前でカップルが誕生する瞬間に立ち会うと言う、貴重な体験ができるかもしれないのだ。
少年はまだ戸惑っているような少女にきっぱり向き直った。
「お願いします!僕と付き合ってくださいっ」
緊張でわずかに声が裏返った。そのまま深々と少女に頭を下げる。
しばしの沈黙。そして。
「……喜んで」
消え入りそうな少女の答えがあった。
「「やったぁ♪」」
外野の少女二人は、手を取り合って、興奮にぴょんぴょん跳ねた。
「ねね、それでキミ、彼女にホワイトデーに何をおかえしするつもりだったの?」
自分の今後の参考に……と、寿が少年にたずねる。
と、彼女の言葉を聞いた瞬間、少年が「しまった」という顔になった。
「……それが……彼女を探すので頭がいっぱいになっていて、プレゼント用意するの忘れてました……」
さっきまでの幸せ満面の笑顔がみるみる曇ってゆく。
「いいんですよ、私は、あなたに受け入れていただけただけで充分嬉しいんです」
とりなすように少女が言う。
「あーあー、早速おあついわね〜。あなた、プレゼントならこれ以上ないってくらいいいもの持っているじゃないの」
日和があきれたようにそう言って、少年のカバンを指差した。
「あっ」
少年は日和の言葉が示すものを瞬時に理解すると、カバンの中からあの、少女が描かれた大判のスケッチブックを取り出した。
「これ……ホワイトデーのプレゼントです」
言って、少女に差し出した。
少女は手に取ったスケッチブックを開き「……まあ……」とつぶやいたあと、境内で咲き誇る梅の花もかくやという満面の笑みを浮かべたのだった。
「さー、あとは若いお二人にまかせて、あたしらは退散しますかね〜」
日和が冗談めかして、そっと寿を促した。
「えー?つまんな〜い。もっとみていようよ〜」
寿が不満げに鼻を鳴らす。
「いいからいいから。あ、あたしこれから友達にこのことを報告に行くんだけど、よかったらあなたも来ない?お茶出るわよ」
「う〜ん、ケーキもつくなら……と、言いたいところだけれど、もう一度はじめからこの事件のこと聞きたいし。いいよ、ボク一緒にいってあげる」
少女たちはもう一度、夕日に染まる出来立てほやほやカップルを振り返ると、神社の境内をあとにしたのだった。
「さて……っと」
寮の娯楽室の掃除当番を終えた優名は、ひとつ大きく伸びをする。
そろそろ日和と少年が戻ってくるかもしれない。
そんなことを思ってふと暮れかけた窓の外に目をやると、ちょうど日和と見知らぬ小柄な少女が手を振りながらこちらへ歩いてくるのが見えた。少年の姿がないが、日和と、もう一人の少女の満足そうな笑顔を見る限りでは、どうやら彼は無事に思い人と再会できたようだ。
優名は、これから聞けるだろう彼らの物語にわくわくと胸をはずませながら、とっておきの柘榴入りハーブティーを用意するべく、給湯室にお湯を沸かしに立ったのだった。
(おわり)
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2803 / 月夢・優名 / 女性 / 17歳 / 神聖都学園高等部2年生】
【2021 / 馬渡・日和 / 女性 / 15歳 / 神聖都学園中等部三年(淫魔)】
【4935 / 月野・寿 / 女性 / 13歳 / 神聖都学園中等部2年生】
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■ ライター通信 ■
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月夢・優名さま、はじめまして。このたびは当方の依頼に入っていただき、まことにありがとうございました。
そして、大変お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。
優名さまのおっとりと周囲を和ませるような穏やかなキャラクターは、書いている方も癒されるような気持ちになれました。
優名さまの知識のおかげで少年もなんとか無事に彼女とめぐり合うことができました。
ここからは余談ですが、実は当方も学生時代の一時期、寮生活をしていたことがありまして。
ほんのわずかしか描写できませんでしたが、寮のエピソードなどは当時を懐かしく思い出しながら書かせていただきました。
今回は本当にありがとうございました。
PS:ちなみに『貧乏神』の神社というのは長野の方に実在するそうです。
※誤字脱字、用法の間違いなど、注意して点検しているつもりではありますが、お気づきの点がございましたらどうかご遠慮なくリテイクをおかけくださいませ。
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