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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


日常の一片

【T】


 朝日は既に昼の眩しさをまといつつある。窓の向こうは明るすぎに光に照らし出されて、手入れの行き届いた木々や花々が降り注ぐ陽光を全身に受けて煌いていた。モーリス・ラジアルが呼ばれたのはそんなブランチと呼ぶには時計の針は進みすぎて、ランチという言葉が相応しくなった頃。相変わらずの低血圧で平素白いその肌に常よりも深い白をまとい、そしてどこか冷たい蒼の気配をかもしていたセレスティ・カーニンガムは、ふと思いついたようにぽつりと零したのだった。
「お買い物に行きますので、一緒に来て下さい」
 細い銀糸のような長い髪をそっとかき上げ、どこか気怠げな雰囲気を隠せないセレスティだったがまとう高貴な雰囲気は常と変わらず、モーリスは異を唱えることもなく、かしこまりました、と答えた。軽く躰を折ると一つにまとめた金の髪がさらりと肩を撫ぜる。思いつきのようにこぼした一言でもきっと本当に不意に思いついたことではないことは明白だった。きっとあらかじめ考えていたことなのだろうと思っても、セレスティの一言で珍しさを刺激される。オークションなどの買い物であればついて行くことも多いモーリスであったが、普段の何気ない買い物は滅多にすることがない。だからショーウィンドウや店内にディスプレイされる品々を手に取り、吟味することができるだろうという予感は少なからず楽しみを呼んだ。
「お車をご用意致しますので、少々お待ち下さい」
 云ってモーリスは下がる。セレスティは常に礼儀正しいモーリスの背を見送って、まだ全身のそこかしこに残る気怠さに細いため息を零した。


【U】


 店へと向かう道すがら、車中でセレスティが話した言葉をモーリスは再度なぞる。
 すっかり身支度を整え、つい先ほどまでまとっていた気怠さをどこかに置き忘れてきたように涼しげな顔をしたセレスティは後部座席にその身を沈め、誰へともなく呟くように言葉を綴った。曰く、イギリスのほうで懇意にしていた店が日本にも出店していたことが今回の買い物のきっかけだ。普段ならば向こうから屋敷へと赴いてもらうことが常だが、今回ばかりは初めてということもあって自ら足を運ぶことにしたのだとセレスティは笑った。その言葉にモーリスは純粋な興味が湧いたのだろうと思う。興味を面倒の一言で片付けてしまうような無粋なことをセレスティは好まない。その高貴な外見に相応しい礼儀と慎ましやかでありながらもまっすぐな好奇心を持ち合わせている。これまで多くの調査に立ち会ってきたことにもそうしたものが影響しているのだろう。
「到着致しました」
 運転手が告げて、モーリスはその言葉にすかさず車を降りると慣れた仕草で後部座席のドアを開ける。ステッキを手に降りるセレスティの物腰は優雅だった。周囲の視線が引き寄せられるようにしてその姿を捉える。
 店はステッキの専門店。通りに面していながら、どこか異国情緒漂う不思議な雰囲気をまとって日本のブランド店街特有の華やかさに馴染みきれずに建っていた。通りを行く多くはそれぞれに自身を飾る女性たち。彼女たちの目が一目で高価とわかる車から降りる二人の姿を捉える。それでなくとも二人の姿はその場においてひどく目立った。整った顔立ちの男性が二人でいることだけでも目立つというのに、物腰の優雅さやかもす雰囲気の落ち着いた気配は夢見がちな女性の心を捉えるには十分だった。
 けれど二人がそうした視線を気にする様子はなかった。モーリスはセレスティの一歩前を行き、初めて訪れた店だということを微塵も感じさせない滑らかさでドアを開ける。そのドアを決して高慢ではない様子で静かにセレスティが潜った。
 店内には静かにピアノの音が響いている。
「いらっしゃいませ。ようこそおいで下さいました」
 店の奥から店主とおぼしき初老の男性が顔を出す。しっかりとスーツを着こなし決して媚びる風ではなく、ただ純粋に客を客として出迎える態度はモーリスに好感を与えた。
「この度は日本への出店おめでとうございます。ご挨拶に伺おうと思っているうちに、随分時間が経ってしまって申し訳ないのですが……」
 軽く店主と握手を交わしセレスティが云う。店主は恐縮したように言葉を返し、ゆっくり店内を見ていってほしいという旨の言葉を丁寧に綴って深く腰を折った。そんな店主に短く言葉をかけて、セレスティが視線を店内に向ける。モーリスはその僅か後ろに立って、同じように店内に視線を巡らせた。
 決して品数が多いとは云えなかった。それでもディスプレイの仕方、カウンターや照明の配置、ドアや窓の位置にまで微細な心配りが施されているのが明白だった。そして通路には客が滑らかに足を運ぶことができるような配慮があった。どうすれば一本一本のステッキが持つ魅力が引き出されるのかをよくわかっていると思いながらモーリスは、カウンターの奥にひっそりと佇む店員がいる限りで人気のない店内を優雅に散策するよう歩くセレスティの後に続いた。


【V】


 ステッキは足が弱いセレスティにとって日常生活に必要不可欠なものである。よって数あるデザインの物を持っており、それらを気分次第でいろいろなステッキを使用していた。それでも手に入れてしまったというそれだけのことで選択肢は狭められてしまう。どんなに多くのステッキを持っていたとしても、手に入れてしまえばそれだけになってしまうのだ。だから自ずと新しいものをと望む気持ちは生また。今回はそんな気持ちと懇意にしていた店が日本へ進出したということが上手くかみ合い、セレスティは自ら足を運ぼうと思ったのだ。モーリスを付き添いに選んだのは、似合いような品物をチェックしてもらおうと思ったからだった。
 入店してからどれほどの時間が流れたのかはわからない。店内には静かにピアノの音が響き、店員はひっそりとカウンターの奥で自分の立場をわきまえている。決して余計な言葉をかけてこない。安い洋服を買うわけでもないのだから、店員が綴る余計な商品説明が不要であることは明らかだった。心の琴線に触れるものをゆっくりと選ぶことができる時間ほど貴重なものはない。
 店内にディスプレイされているステッキを見て歩いているといっても、そこからただ一つのステッキを選び出そうと思っているわけではなかった。ディスプレイされていない品物も確かにこの店にあることをセレスティは知っている。店内を見て歩くのはただ店の持つ雰囲気が快いものであるからで、問えば的確な答えをくれるモーリスの言葉を聞いていたかったからだった。
 中国製の東洋色が強い彫り物が施されたもの。英国製のアンティーク品。質素でありながらも仕掛けが施された遊び心に溢れた品。珍しいものや純粋に美しいと思える数多くのステッキが店内のそこかしこに居場所を与えられて腰を落ち着けている。
「モーリス」
 店内を網羅しつくした頃、セレスティが慎ましやかに後ろに立つモーリスの名前を呼ぶ。控えめな返事があり、店主を呼んでほしいという旨の言葉を告げるとその言葉が紡がれることを予めわかっていたような滑らかさでモーリスはカウンターの方へと爪先を向けた。そして程なくして奥に控えていたのであろう店主が現れる。
「何かお気に召した品物は御座いましたか?」
 柔和な声に微笑みで答え、
「こちらに展示されているもの以外のものを見せて頂けますか?」
 セレスティの言葉に店主がありがとうございます、と云って深々と頭を下げた。そしてセレスティとモーリスを伴い、カウンター脇のドアへと向かう。その向こうには慎ましやかでありながらも高級感に溢れた応接セットが設えられ、決して無駄な装飾ではないもののそこかしこにはしっくりと収まる丁寧な装飾が施され、そこに通される者がどんな者であるかを物語る。
「少々お待ち下さい」
 ソファーに腰を落ち着けたセレスティに頭を下げて店主が去る。程なくして店主が戻ってくると、その両手には細長い箱が抱えられていた。
「<天使の旋律>と呼ばれているものでございます。この世界に一点しかないもので、製造年代などは一切不明な品ではありますが、これまでオークションなどで何度か高値で取引されてきた物でございます」
 云って店主はクリスタルのローテーブルの上で箱を広げた。深い紅色の天鵝絨の生地に抱かれるようにして一本のステッキが収まっている。すらりとした直線を描きながらも、柄の部分には硝子のように安っぽくはない硬質で透明な素材で、その内側には丁寧な細工が施されている。
「お手にとってごゆっくりご覧になって下さい」
 店主の言葉に頷いて、セレスティはそっとステッキを手に取る。決して重たくはなかった。だからといって軽すぎるということもない。しっくりと掌に馴染むそれをそのままに、傍らに立つモーリスを振り仰ぐ。
「どうですか?」
 その問いに軽く身を屈めて、セレスティの手にあるステッキを覗き込むようにしながらモーリスは答えた。
「とても素敵なデザインだと思います。まるで水のような清廉さがあって、セレスティ様によくお似合いではないかと」
 柔らかな応え。言葉を綴り終えたモーリスの視線は柄の部分に施された細工に集中しているようだった。
 硬質で透明な鉱石の内側に純白の天使の像が埋め込まれている。竪琴を手に曲を奏でる姿をかたどったものだ。波打つ長い髪は滑らかな曲線を描き、竪琴を爪弾く指先の一つ一つ、爪の一つ一つまできちんと掘り込まれていた。細く歌声を紡ぐかのような唇が薄く開き、伏せた目はどこか切なげで、それでいて波間へと人を誘うセイレーンの妖しさを漂わせる。躰を包み込むように広げられた翼も柔らかで、触れることができたなら温かさを感じられるのではないかと錯覚するほどだった。支柱の漆黒と柄の白のコントラストのバランスがとても美しかった。
「こちらを頂きましょう」
 セレスティが笑顔で答えると店主はそのステッキがセレスティの手に渡ることを心から嬉しく思っているような満面の笑みでありがとうございますと云った。
「ではこちらをお包みしますので、少々お待ちください」
 云って店主がステッキを箱に戻し、席を立つのを見送りセレスティは満足そうな微笑と共にモーリスに向かい云った。
「今日はとても楽しかったです」
「いいえ。私も十分に楽しませて頂ました」
「それは何よりです。あのステッキを手に入れられたのはモーリスのおかげです」
 余計な会話をすることもなくただ二人で店内を巡り、心満たされるまで一つのものを探す楽しみ。
 そんな慎ましやかな楽しみを壊すことなく傍にいてくれる者がいる幸福。
 セレスティはそれを噛み締める。
「それは何故でしょう?」
「ディスプレイされていた物には一度たりとも頸を縦に振らなかったではありませんか。貶すようなこともしませんでしたが」
「それは私の趣味を信頼して頂けているのだという意味で受け取って宜しいのでしょうか?」
 セレスティはモーリスの言葉に微笑で答えた。
 そしてモーリスもまた同じような微笑でそれで答えるのだった。