コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


お願いBaby!


〜OP〜


嗚呼、嗚呼、嗚呼、こんな場所に来てしまって。

君は…トム・ソーヤか…それとも、アリスか?

君の好奇心が、この王宮の扉を開く鍵となったのか?
無邪気に、さまよい歩いて此処まで来たのか?
ならば、猫をも殺すの言葉通り、その身を一思いに喰らうてやろうか?


それとも…、


違うのか?
切なる願いを抱えているのか?
それは、千年の呪いに匹敵する願いなのか?


動かしてみよ。


私の心を。
君の言葉が、私の心を動かせば、或いは…。

嗚呼、或いは、この王宮で飼っている、大事な「奴隷」を貸してやらない事もない。
それとも、この孤独の王の力、奮ってやらない事もない。

さぁ! 言葉を!
私の退屈を癒す言葉を………頂戴。




本編





ドアの外から、ガンガンガン!と叩きつけられる、何か途方もない破壊的な音の攻撃から、いずみは必死に耳を塞いで耐えていた。
 どうしてこんな事になったのか、全く検討がつかない。
 ただ、学校の理科の宿題で、春が近くなったから、自然の草花はどんな様子に変化したか観察してきなさいと言われたので、観察ノートを片手に公園を訪れたのだ。
 蕾が少し色付き始めた桜や、公園内の色んな草花を見て周り、スケッチしていた筈なのに、いつの間にか、何処かのだだっ広い廊下に放り出されていた。
 慌てて辺りを見回しても、先程まで自分がいた公園の気配は全くない。
 呆然と佇んでいたら、いきなり後ろから大きな鋏を持った大男が現れた。
明らかに此方に敵意を抱いている様子に、足元がおぼつかなくなる程の恐怖を覚えた。
 怖かった。
 立ち向かおうとかそういう考えは微塵も浮かばなかった。
 本能的に逃げ出せば、追われる事によって益々恐怖が増し、廊下に並んでいた扉の一つに飛びつき中に逃げ込んだ。
 扉を背中で押さえ込み、それからいずみは息を潜めて、じっと蹲っている。
 部屋の中には灯りが全くなく、真っ暗闇だった。
背中をガクガクと揺らす扉の揺れは、それでも「無理矢理開けよう」とするものではなく、ただ、ただ、脅す為に扉を殴るのみで、あの大男は扉の開け方を知らないのだろうか?なんて、頭の隅で考える。
 喉の奥に、ぐるぐると渦巻いている悲鳴や泣き声の塊を、何度も、何度も苦労して飲み下し、じっと我慢する事数分。
 やっと、あの大男は諦めたらしい。
 ズルズルと足を引きずる音がして、扉の前から気配が去る。
 それから再び、数分。
 もう、誰も扉の外にはいない事をしつこい程確かめた後、いずみはとびらを開け出ようとした。
 闇の中手探りで、ドアノブを掴んで出ようとしたのだ。
 だが、その扉にはドアノブがなかった。
 どれだけ手で探ってみても、ノブの存在は見当たらなかった。
 つまり、内側から開けられるような作りにはなっていなかったのだ。
 目を見開き、硬直するいずみ。
 どうやって外に出れば良いのだろうと、考え込んでいると、さわさわといずみの肩に触れる者がいる。
 いずみがビクンと飛び上がるや否や、肩と言わず、腕と言わず、足首と言わず、彼女の体のありとあらゆる部分を掴んで、部屋の奥へと引きずり込もうとする力に捕らえられた。
 我慢しきれず「きゃぁぁぁぁ!!」と声をあげるいずみ。
 しかし、その力は容赦なく、いずみをずるずると引っ張っていく。
 歯の根が合わない。
 涙が目に滲む。
「だ、誰かぁぁぁ! 誰か、助けてぇっ!」
 そう恥じも外聞もなく叫んだ瞬間だった。
 
 ガチャリとドアが開け放たれ、廊下の光が真っ暗な部屋に差し込んだ。
 ゾワゾワゾワ。
 たくさんの虫が這っているほうな音を立てて、いずみから手を放し光から逃げる、何かの気配がする。
 這うように、光の方向へと逃げれば、そこには口をぽかんと開けた黒須の姿があった。
「…いず…み? おっまえ、え? 何やってんだ? ってか、どうやって此処に?!」
 そう声をあげる、相変わらず酷薄そうで、陰険そうな顔を見上げて思わずへたりこむいずみ。
 涙が、意識せずともボロボロと流れ、そんな自分をみっともないと思う余裕すらなかった。
「く…黒…須さん…こそ、どうして?」
 そこまで言って、漸く回転し始めた、いずみの優秀な脳がある答えを弾き出す。


そうか、此処が、千年王宮。


半年前に聞いた話を思い出し、それから、どうしてそんな場所に自分が迷い込んだのか、訳も分からず理不尽すぎて、何だか、泣きながらも怒りたいような気分になった。
「おい…。 大丈夫か?」
そう言いながらいずみの前にしゃがみこみ、顔を覗き込んでくる黒須。
ビクン!と、いずみは思わず条件反射で仰け反ってしまう。
そうなのだ。
この黒須、蛇と半融合してる為に、どうしたって身体は生理的嫌悪感を抱き反応してしまうというか、近くに寄れないというかなんというか…、そんないずみの様子を見て、「あ、悪ぃ」と素直に謝る黒須の姿に、自分への苛立ちを感じた。
部屋の奥で、ざわざわと、まだ、何かが揺れ続ける気配がする。
振り返らないほうが良い。
絶対に、その姿を見ない方が良いとは分っていたのに、いずみは好奇心に負けて、自分を捕らえようとしていたものの正体を確かめてしまった。
 くるりと後ろを向いたいずみの目に映ったのは、暗闇の中から伸びる、何十本、いや何百本もの、真っ黒な…腕。
「…ひぅっ」
 自分が捕らえられようとした生き物の、余りに奇怪な姿に、知らず小さく悲鳴をあげる。
「Black Flowers この子はお前の餌じゃない。 我慢しろ」
 そう言いながら真っ黒な腕の固まりに近付く黒須。
 その黒須の髪や腕に手を伸ばし、文句を言うように掴んで引っ張ったり、引っ掻いたりするグロテスクな姿に、いずみは、知らず、意識を失った。


 どれ位ぶっ倒れていたのか、気付いたら、柔らかなベッドに寝かされていた。
 気遣わしげな表情で覗き込んでいる黒須に気付き、一瞬体が逃げかけるのを無理矢理押さえ込んで、「…此処は?」と掠れた声で問いかける。
 ふっと表情を緩ませ「良かった。 いきなりぶっ倒れるから、心臓冷えたぜ」と黒須は言い、「此処は、千年王宮内の客室だよ」と教えてくれた。
「…やっぱり、此処が千年王宮」
 そう呟いた後、寝ぼけていた頭が覚醒し、先程の、黒い腕が密集していた情景がフラッシュバックのように脳内に蘇って、ブルリと体を震わせるいずみ。
 黒須がそんないずみの頭を撫でようとするかのように手を伸ばし、そして躊躇うかのように引っ込める。
「うー、竜子呼んだ方が良いか?」
 困ったように黒須に問われたので、「何故です?」と問い返せば、「や、ほら、俺じゃ、いずみを慰められない」となんとも切ない事を言われてしまった。
 そういうことを言ってくれたのが、二枚目の男性とかだったらうっとり出来たかも…とか失礼な事を思いつつも、ふっと笑って「良いです。 慰めてもらわなくても、立ち直りましたし」と気丈に告げる。
「それに、蛇や虫に対する生理的嫌悪感はやはり拭えませんが、黒須さんのように意思疎通の手段を持った相手を生理的な問題だなどと言い訳して嫌うのは、私位の年齢の人間としては絶対にしたくない事ですので」
 立石に水の如くの言葉に、「お前、変わってねぇなぁ」と言われ「そちらこそ」と答えておく。
「大体、半年ほどで外見上の変化はそれほどありませんが、私、対爬虫類部門に関しましては、かなり修行を積ませて貰いました」
「ほぉ。 どんな?」
「まず、最初に、図書館にて爬虫類図鑑を借りてきて、爬虫類の写真に触れるようになるまで頑張ってみました」
いずみの言葉にキョトンとする黒須に「御存じないでしょうが、苦手な人間にとって、あの爬虫類図鑑というのは、悪夢の書ともいうべき、鬼門の書籍なのです!」と力説する。
「その書籍の、しかも写真部分に触れられるというのは大いなる進歩で、次いで、ペットショップに出向き、ガラスケース越しに、爬虫類との接触にも成功しました」
 いずみがそう自慢げに言えば「何だかよく分んないが、それもきっと大いなる進化なんだな」と黒須が言う。
 深く頷き、「そこに到達するまで、一ヶ月ほどペットショップに通いましたので、私はすっかり動物好きの小学生というレッテルを貼られてしまいました」と、いずみは黒須に告げた。
「へぇ…。 そりゃ、凄いというか、何というか…」
 そう呟く黒須に、恐る恐る指を伸ばすいずみ。
 黒須が、そんないずみの指先を不思議そうに眺める。
「つ、つまり、そろそろ、は、爬虫類本体に、さ、触れるようにならないと…いけない、段階にきたわけで…」
「うん」
「黒須さんは、曲がりなりにも、人の姿をしているので…」
「うん」
「こ、此処からを…入り口に…苦手克服…に」
 そう言いながら、黒須の長く、美しい髪にチョンと触れるいずみ。
 その瞬間、鳥肌がザァッと立ち、いずみはひゅんと指を引っ込める。
「おお! 触った! いずみが、触った! えらい、えらい」
 そう言われ、「馬鹿にしてるでしょう」と口を尖らせて言えば「いやいや、本気で、エライなぁとな、俺は思ってんだよ」と黒須は笑った。
「俺くらいの年になりゃあ、嫌なもんにゃあ近付かねぇし、嫌いだと思ったら、もうそこまでなんだが、いずみは、ちゃんとそういうのにも向き合って、自分の中の基準で許せなければ人を嫌わねぇだろ。 それは、凄ぇ偉い事だなって、おっちゃんはな、感心してるわけよ」
「…何だか、頑固者呼ばわりされてるみたいで、褒められた気になりません」
 いずみは拗ねたようにそう言って、それから、少し迷うと、思い切って口を開いた。
「あのっ…」
「ん?」
「あの、さっき、泣いちゃってた事…」
「?」
「あの、さっきの、手のお化けが怖くて、私が泣いちゃってた事…お願いだから、内緒にして置いて下さい」
 いずみの言葉の意味が分らなかったのか首をかしげ「誰に?」と問う黒須に「誰にもですっ!」といずみは、力一杯答える。
「…や、普通の子だったら、ああいう場面で泣いたって、何にも恥ずかしい事じゃねぇんだから」と黒須は言うがブンブンと首を振り、「私は、もう十歳なんです! あんな風に人前で泣いてしまった事を、人に知られたら…」とそこまで言って、くっと、悔しげに呻く。
 その様子に、流石いずみだなぁと思ったのかどうか、「俺なんか、ごく最近泣いたばっかりだってぇのに、お前はほんと、徹底してんな」と黒須は呆れたように言った。
 思わず「え? どんな事で泣いたんです?」と聞くいずみに、遠い目をして「初登場から、半年ほど、まっっったく、登場機会を与えられない日々にちょっとな…」と呟く黒須。
「ああ…」
思わず同情しながら、同意すれば「ふふ…。 もう、正直日の目見れねぇんじゃねぇかな? とは、考えてた」と、本気の声で呟いてくる。
 自分的にも、もうこの人には会えないのだろうなぁと思い始めていた頃なので、そう言う意味でも、この再会は奇跡的なのだろうなぁと思いつつ、「ほら、大丈夫ですよ。 現時点で、己の計画性のなさへの反省と、良心の呵責に耐え切れなくなってる人間がいますから」といずみは慰める。
「ま、自業自得ですけどね」
そう冷たい声で言ういずみに、何度も何度も頷いて「自業自得だよな」と答える黒須、ごめんなさい、すいません。
 まぁ、そんなうっかり漏れた第三者の心の声はスルーして、黒須は「分った、黙っててやるよ」と言いながら立ち上がり、「じゃ、俺はちょっと出かけるから。 竜子呼んでおくから、大人しく待ってろ」と彼が言う。
「え? どちらに行かれるんですか?」
 いずみがそう問えば、思わずと言った感じで「んー、競馬…」とまで言って、硬直した。
ギギギと音が立ちそうな程の動作で此方を見て、「けいば…、け、けい…そう、競売にでもね、うん、おつかいに、行こうかとね!」と焦った様子で行ってくる。 
だがいずみは冷静な声で「そうですか。 競馬に行かれるんですか。 勝つと良いですね」と言い、「今日は高松宮記念ですし、頑張って下さい」だなんて事まで突っ込む。
思わずがくりと膝をつき「お前は、ほんとに小学生か」と呻く黒須。
それから、パンと両手を合わせて此方を拝むと「頼む! 竜子と、ベイブには内緒にしといてくれ! 特に、ベイブは、昨日巧い事だまくらかして、外出許可を貰ったもんだから、バレたらちょっと、面倒なんだよ」と言ってきた。
 黙ってて貰わなきゃいけない事もあるし、助けて貰った手前、分りましたと頷くいずみ。
「でも、賭け事はほどほどにした方が良いですよ」と、こまっしゃくれた事を言うと「分ってるよ」と言いながら、黒須は部屋の外に出て行った。
 竜子の訪れをぼんやり待っているいずみだが、何だか暇になってゴロゴロと転がってみる。
「この布団、柔らかいな…。 羽毛かなぁ?」
そう呟いてみると「羽毛は、羽毛でも、どこぞの超人族の羽の毛らしいがな…」と、虚ろな声が側でした。
ガバッと跳ね起き、声の方向を見れば何時の間に現れたのかベイブが座っている。
「なっ、え? なっ、ななっ、な…えーと、えと、お久しぶりです」
 驚きながらもそう頭を下げたいずみに「礼儀正しい娘だ」と呟きそれから「どうも、ウチの門番が大変な失礼をしてしまった。 お詫びする」とベイブが言った。
「あ、いえ。 あの…その…」と言葉に詰まるいずみを見て、ふっと息を吐き出すと、「竜子か、誠に送らせてやるが、その前に少し、竜子の相手をしてやって欲しい。 あれも、此処の暮らしで、少し寂しがっている」と言ってくる。
 しげしげとそんなベイブを眺め「ベイブさん…竜子さんの事、大事にしてるんですね」と聞けば「大事の奴隷だからな」と虚ろな声でシレッと答えられた。
「…実際、ああいう生き物を、側に置く気はなかったのだが、所詮人間、やはり孤独には耐えかねる」
 そう言われ、目をパチパチさせてしまういずみ。
「だが、私の命はある呪いで、千年続く事になっている。 娘よ。 千年は…長いな。 本当に長い。 皆、死んでいく。 私が、側に置いたものは全て、私より先に滅ぶ…」
「…千年…。 どうして、そんなに?」
「さぁな。 そういう魔女の呪いだ。 アレは、アレなりに、私を愛しての呪いだったそうだが…、とんでもない。 本当に、地獄のようなものだ」
 そう虚ろに呟いたベイブは、いずみを眺め「お前は、澄んだ良い目をしている。 お前のような娘の、目に映る事すら、本来は私は許されぬ生き物なのかも知れない」と言って首を振ると、そのまま、目の前で霧のように消えうせた。
 驚きつつも、何だか、この王宮の中では、そんな出来事が自然に思えるいずみ。
 

私が、側に置いたものは全て、私より先に滅ぶ。


それは、何度も何度も、あの夏に経験した志之さんとの悲しい別れを繰り返すという事なのだろうか?と考えると、とてつもなく寂しいところに、ベイブはいるのだと、いずみは感じた。



 程なく、竜子がいずみの寝ている客室へとやってきた。
「黒須に聞いたぜ? 公園から迷い込んだんだって?!」
 そう、久しぶりの挨拶もそこそこに聞かれたいずみが頷くと「悪ぃ! それは、完全にこっちのミスだ。 今日、鵺…知ってたよな? 鬼丸・鵺。 その鵺が、こっちに来る事になっててさ、その関係で公園に入り口を開けたんだよ。 だから、お前多分、そっから迷いこんじまったんだな」と、竜子が頭を下げてきた。
 鬼丸・鵺とは、何度か興信所がらみの出来事で顔を合わせた事のある、少し年上の女の子だ。
 言動が年齢に見合わない位幼いのだが、大層な美少女で、歯に衣着せぬ言動を、いずみは結構気に入っていた。
「いずみが? どうして?」
そう問えば、「さぁ? ただ、ベイブが今日来るから、迎える準備をしとけってだけ言っててさ。 どうも、鵺のオヤジさんと、ベイブが何か知り合いみたいなんだけど…」とそこまで言い、「あ! やべ、もうじき来る時間だ」と、客室にかかっている時計を見る。
「いずみ、もう大丈夫か? アレだったら、もうちっと寝てても良いけど…」
そう竜子が聞いてきたので、首を振り「私も一緒に鵺を迎えに行きます」といずみは告げた。


 二階へと登る螺旋階段に、二人並んで腰掛けた。
「絶対此処を通るから、ここで待ってりゃ良いんだ」と告げた竜子は、「それにしても、Black Flowesの部屋に入っちまうだなんて、災難だったな。 さぞかし、怖かったろ」と聞いてくる。
 いずみは、「いえ。 そうでも。 すぐ、黒須さんが来てくれましたし」と、泣き叫んでしまった自分の事は隠す事にした。
 竜子は目を見開き「へぇ。 偉いな、いずみは。 流石だ」と感心してくれる。
 良心の呵責を感じないでもないが、神様だって、この位の嘘なら見逃してくれるだろうと思う。
 そのまま、二人暫く鵺を待ち、竜子がこっくりこっくり居眠りを始め、いずいがそんな竜子に持たれて、読みかけの文庫本に取り組み始めた時だった。
 この螺旋階段のあるホールの扉がゆっくりと開けられ、外から、鵺がひょこんと顔を出した。
「遅い」
 いずみは、そう一言言うと、傍らに眠る竜子の身体をそっと揺らす。
 鵺は何だか、いずみがいる事に驚いたようだ。
 目をパチパチさせながら近付いてくる。
 ビクッと身体を跳ねさせるようにして飛び起きた竜子が、キョロキョロと辺りを見回し、それから鵺の姿を目に留めると、「よぉ! 鵺。 話は聞いてるぜ?」と言いながら立ち上がった。 そして、鵺の持っている鞄を勝手に持ち上げ「じゃ、とりあえず部屋案内するわ」と言う。
 鵺は「ありがと」とまず礼を述べた後、「で、いずみは何で此処に?」と二人の顔を交互に見比べながら聞いてきた。
 いずみは、チロリと鵺を見て「ある意味では、あなたのせいね」と、静かに言ってやる
「ほえ? 鵺のせい?」
「ええ。 あなたの為に開けられた入り口から、偶然迷い込んでしまったの。 変な生き物に追い掛け回されたり、逃げ込もうとした扉の中に、逆に閉じ込められそうになったり、大変な思いさせて貰ったわ」
 いずみは、そこまで言って、それから少し笑った。
「ま、ちょっとだけ楽しかったけどね」
 強がりだが、でも実際何でもない春休みの中で、良いアクセントになりそうな、千年王宮探検なんていうイベントに、今はワクワクしていたりするのだ。
 全部が、全部嘘っていう訳じゃない。
 鵺が「いずみって案外度胸あるよねぇ」と言って笑う。
 そうやって、素直に感心されるとやっぱり心苦しくて、「鵺が来るって聞いたから、もう少しだけお邪魔してようかな?って思ったの。 ほら、竜子さんがいれば、怖い事は起こらないみたいだし…」と正直に答え、竜子を見上げた。
 そんないずみの視線にニカッと笑みを返すと、「そりゃ、お姫様方二人を守る位は、あたいにだって出来るよ」と言って、二人の手を左右の手に握り、「さ! 行こうぜ」と元気良く竜子は言った。


鵺が今晩止めて貰う客室へと荷物を置きに向う途中、「ねぇ、ねぇ、まこっちゃん達は何処?」と、尋ねてみる。
 すると竜子は、憎々しい名前を聞いたというような反応を見せ、「さぁ、ベイブは、玉間にいるけど、誠は何処行ってんだか。 あいつ、時々何にも言わずに姿消すから性質悪ぃよ。 ベイブに聞いても、面倒くさいとかいって答えてくれねぇし…」と、むくれた声で答える。
 黒須が何処に行ったのかバッチリ知ってるいずみは何だか落ち着かない気持ちになる。
 表情を変えないよう努力していると、有り難いことに鵺が、「ねぇ、ねぇ、荷物置いたらさ、色んなトコ見せて!」と話題を変えてくれた。


 耳を、柔らかで澄んだ調べが擽ってくる。
 少女二人の声が、重なり合い、離れ、また重なって、うっとりとするような二重奏を奏でていた。
 黒髪の人形がそのまま動いているかのような愛らしい少女が、ベンチに座って歌っていた。
 黒いビロードのスカートに、赤いリボンのあしらわれた蝶の透かしが入った白いブラウスを着、その上に、黒いレースのたくさんついた上着を着ている。
 足は編み上げブーツ。
 髪には、ブラウスについているものと同じ色のリボンがあしらわれ、所謂ゴシックロリータファッションという、着る人間を大変選ぶ服を見事に着こなしている。
 だが、彼女が、こうも皆を硬直させているその訳は、その艶やかな光を放つ黒いスカートの膝の上に、コロリと金髪のふわふわとした髪をした幼女の頭を乗せていたからだった。
 幼女の口はパクパク動き、間違いなく、少女と共に歌っている。
「…あの子も、此処の子?」
 鵺がそう聞けば竜子が首を振り、「膝の上のはともかく、あのヒラヒラした服着てんのは、多分、外からの人間だ」と少し警戒心の滲んだ声で答えた。
 目の前を黒揚羽が飛んでいく。
 竜子が「女の子だったら、こういうトコが好きなんかなぁ?」と頭を掻きながら、鵺といずみを連れてきてくれたのは、真っ赤な薔薇の咲き乱れる、城の中庭だった。
 噴水まで設置してあって、廊下を流れる虹色の水と同じ水が、噴き上げられている。
 中庭と言っても、別に空が見えるわけではなく、上を見上げればドーム型の白い天井が目に入るのだが、この城には窓自体も一つもなくて、ここまで「外」というものを無視した作りになっていると、この王宮自体が一つの異世界であり、全てであるのだろうと、推測できる。
 日の光を浴びていないというのに、見事に咲き誇る花の姿に、この城内に満ちるベイブの魔力というものを感じるのだが、今はそれよりも、もっと不思議な事がある。
中庭に設置してある黒いベンチに腰掛け歌っていた少女が此方を見つめそれから、引き攣ったような声で言った。
「…ようこそ! って、トコかしら? あのシケた面の野郎に聞いてるわ。 貴女が、女王ね。 さ、私を台所に案内して? 女王のお茶会の準備をしなきゃ!」
 そして「クヒッ」と奇妙な笑い声を発し、少女の首をそっとベンチの上に置く。
「早く、体と足、見つけて貰った方が良いわ。 だって、そうじゃなきゃ、踊れないじゃない」
 そう言いながら、こちらへと近付いてくる少女に、竜子が穏やかな声で尋ねる。
「お嬢ちゃん。 あんた名前は?」
 すると少女は、スカートを摘み、貴婦人のような仕草で一礼して言った。
「お初にお目にかかるわね。 ウラ・フレンツヒェンよ。 覚えなさい」
 傲慢な、だが、その物の言いがこの上なく似合う少女は、中庭を見渡す。
「この庭は中々良いわ。 赤い薔薇と、黒い蝶のコントラストが素敵だもの。 あのシケた野郎の城にしちゃあ、まぁ、上出来ってなものよ」
「そりゃ、どうも。 で、嬢ちゃん、どうしたんだ? あんた、迷子かい? どうも、ベイブに会ったみてぇだが、それにしちゃあ、度胸が据わってんじゃねぇか? エリザと遊んでくれてたみてぇだが…」
 顎で、生首の少女を差し示して「怖くないのかい? アタイなんか、最初見たときゃ、悲鳴をあげたんだけどね」と竜子が言う。
 ウラはつまらなそうに一つあくびをして、「文字通り、手も足も出ないようなモンを、何であたしが怖がらなきゃなんないのよ。 ばっかじゃない」と言い捨て「で、台所よ。 台所。 この馬鹿みたいな城を勝手に探し回ろうとしたのだけど、やっぱ非効率的だから、貴女の事を待ってたのよ。 案内なさいな」と勝手に話を進める。
 竜子は弱ったような表情を見せ、それから「ま、ベイブも知ってるって事なら、大丈夫だろう」と呟くと、「ついてきな」と言い、先頭に立って歩き始めた。

この時はすっかり忘れていたのだが、竜子はかなりの方向音痴だったりする。

 で、まぁ、竜子についてった結果、当然のように迷った訳だが…。



「もーーー! 信じられないってか、ばっかじゃねぇの? クソがっ! てめぇの住んでるトコで、迷ってどーするよ? おい、脳みそ足りてんのかよ、てめぇはよぉ!」
 竜子に物凄い罵詈雑言を並べ立てるウラと、「わ、あの絵、凄い! 中の人が、踊ってるよ?」とはしゃぐ鵺。
「客室が、あちらの方角だったという事は、平均的屋内構造の在り方としては、大体、東の方角の…」
冷静に道を探り始めるいずみと、少女達は三者三様の反応を見せているが、方向音痴女王竜子は、ガクリとうなだれたまま「あたい情けないよ。 半年以上住んでるトコなのに、案内出来ないなんて…」と呻いた後、「でも、てめぇは言い過ぎだー! このお竜さんを舐めんなよクソガキがー!」と吼えながらウラに掴みかかる。
そんな馬鹿騒ぎを余所に、優秀な頭を回転させ、古今東西の建築様式とこの城の作りを照らし合わせつつ「ん、っと、そうね、うん。 多分そうなんだわ」と一人理解したいずみは「じゃ、行きましょうか」と冷静な声を三人に掛け、テクテクと今まで歩いてきた方向とは全く逆の方向に歩き始める。
自分の推理が正しければ、台所の場所は、この場所とは殆ど正反対の位置にある筈だった。
 
「で、何で着くんだ? いずみ、お前、もしかして、超能力者か? テレパシーか?」
「テレパシーというのは、能力単体を差すものであって、能力者のことはテレパシストと言います。 それから、これはテレパシーでもなんでもなくて、王宮内の建築様式と、中庭や客室の位置から、台所の場所を推理しただけであって、知識さえあれば誰でも出来る事です」
 いずみはそんな、「や、普通は知識あっても、絶対無理だよ」というような事を飄々と答え、それからピカピカの広いキッチンを見回す。
「とりあえず、台所番が手伝ってくれると思うから、好きにしなよ」なんて、竜子が言うまでもなく、ウラは勝手に台所内を闊歩し、色んなものを漁りだしていた。
「クリームを泡立てたり、生地を作るのに、ボールと泡だて器がいるわ? それに、間に挟むフルーツや、バニラエッセンス、小麦粉に卵! とにかく、ケーキの材料が欲しいのよ」
 そう言いながら、まるで業務用冷蔵庫並みに大きな冷蔵庫の前に立つ。
 鵺が好奇心に目を光らせて走り寄り、いずみも後に続いた。
「うんっ! んっ! んはつ!」
 ウラが、冷蔵庫の取っ手を掴み精一杯引っ張っているようだが、扉はビクともしていない。 鵺やいずみも、一緒になって取っ手を掴み、引っ張ってみるも、開きそうになかった。
「はいはいはいっと、そこはね、こいつがないと開かねぇんだよなぁ」
 そう言いながら、竜子がひょいと、薬指を取り出す。
 あの時、自分で切り落とした、王宮の鍵となる指だ。
 その時一緒にいた能力者によって、指自体はまた再生しているのだが、まぁ、よくもあんな恐ろしい事をやったというべきであろう。
 竜子は、自分の切り落とされた指を、取っ手の部分にある小さな穴に差し込むと、ぐるりと捻った。
「この鍵はな、王宮全ての部屋の鍵となってんだ。 ま、だからといって無闇矢鱈に開けると、命を失いかねねぇがな」
 かちゃりと音が聞こえ、竜子が取っ手を掴んで引っ張る。
 音もなく開いた冷蔵庫の中身は、見た事もないようなものばかりが詰まっていた。
「りゅ、竜子さん、これ、一体何?」
 いずみは震える指先で、ピンクやブルー、グリーンの入り混じったぶよぶよとしたスライム状の物体を指差す。
「ん? 是か? こりゃ、結構美味いぞ? 食ってみるか?」
 竜子が、無造作にそのスライムを引きちぎり、いずみにひょいと手渡した。
 小さな手の中でぶるぶると震え、しかも、にょろりと細い触手を伸ばしだすスライム。
「ひっ」
 その気味の悪い感触と姿に、いずみは小さな悲鳴をあげ、思わず助けを求めて鵺を見る。だが、鵺はにっこり笑って「鵺にも一口頂戴」と信じられない事を竜子に強請った。
 凝視するいずみの視線をものともせず、鵺はぱくりとそのスライムを口に放り込む。
 そして、見る見る内に幸せそうに微笑み、目を細め「…オイシー」と溜息を付く鵺に、まさか、こんなものが?!とは思いつつも、 後押しされたような気分になって、いずみも勢いを付けて口の中に放り込み、ぎゅっと目を瞑って噛み締めた。
 ぐにぐにとした、グミに似た噛み心地なのだが、一噛みごとに、まるで果汁たっぷりの甘酸っぱいフルーツを噛んでいるようなジュースが溢れ出てきて、凄く美味しい。
いずみは鵺と同じようにうっとりした表情を浮かべてしまう。
まさか、あんなグロテスクな姿をしたものが、こんなに美味しいなんて…。
「そっちのお嬢ちゃんには、これが良いかな?」
 竜子が、銀色の触ったらすぐ崩れ落ちてしまいそうな程に繊細な小さな薔薇を取り出し、そっとウラの掌に載せた。
「ベイブの大好物だから、内緒な?」
 そう唇に指を当てて言われ、「フン」と鼻を鳴らしたんだか、返事したんだか分らない言葉を返すとウラはうっとりと銀の薔薇を見下ろし、それから口の中にそっと運んだ。
 ゆっくりと口の中の感触を楽しむように目を細め「溶けてしまったわ。 でも、なんて、美味しいんでしょ!」と感極まったようにウラが言う。
「ねぇ、こんな物、何処で手に入れたの?」
 ウラの問いに、竜子は首かしげ「何か、ベイブは、冷蔵庫が作ったとか言ってた。 確かに、こん中には知らない内に、知らないもんが一杯出来上がってんだ。 この台所は、誠がたまに使う以外は、殆ど使ってなくて、飯なんかも、冷蔵庫が作ってくれるもんを適当に暖めたりして食ってるからなぁ…。 や、よく分んないんだ、実際」と毎日自分が食しているものだというのに、そんなアバウトな事を答えてきた。
あまつさえ、「でも、今まで一度だって、腹痛くなった事ぁねぇから、大丈夫だろ」と、いい加減な事を言っていて、流石だなぁと、なんだか感心すらさせられる。
(後で、調子悪くなったりしないわよね…?)と、少し不安になっていると、鵺が、「でも、この中から、ケーキの材料を探し出すだなんて、大変じゃない?」と竜子に問うた。
「や、こんなかから探さなくとも…」竜子が振り返り、キッチン台を指す。
「もう、全部揃ってるから」
 三人揃って振り向けば、確かに、材料が山積みになっておいてある。
「おお、張り切ってんなぁ、台所番」
 どこか楽しげな口調の竜子に、「台所番? でも、全く姿が見えないんだけど…」と言おうとして、どーせ、この王宮の住人なんだし、変な奴なんだろうと思い直した。
 ウラは、そもそもそんな疑問すら抱かないのが、喜々とした様子で材料に飛びつくと見ていてヒヤヒヤするような手付きで、ボールに材料をぶちまけ、かき混ぜ始める。
「ほら、ぼさっとしてないで、オーブンを誰か暖めて? それから、誰か平行してクリームを泡立てて頂戴!」
 ウラがそう言うのを聞いて「調子狂うなぁ」と言いつつオーブンに向う竜子と「貴女、料理はからっきしだったわよね?」と鵺に確認した後、クリームを泡立てだすいずみ。
 鵺が台所の隅にあった椅子に腰掛け、「ね、ウラ。 何で、ケーキなんか作ろうとしてるの?」と聞けば、ウラは「クヒッ…。 そりゃ、あの野郎がシケてたからよ。 シケて、凹んでぺっちゃんこ! そういう時は、甘い物が定番だわ? いつもはデリクしか食べる人がいないんだけど、今日は四人もいてくれる。 クヒヒッ。 腕が鳴るわね」と答える。
「へー、そんなもんか…」と料理を忌み嫌う鵺は呟き、それから竜子に視線を向けた。
 オーブンの温度調節をしている竜子の、困惑気味の横顔に「ね、まこっちゃんは、此処で何を作るの?」と、いずみもそういえば気になった事を聞く。
「焼きそば」
「焼きそば?」
「ん。 ベイブが、一度あいつが昼に食ってんのをつまんで、すげぇ気に入ったんだ。 あと、何か、野菜炒めとか、ほら男のやもめ暮らし長ぇから、自然身についた簡単な料理とかが、誠は妙に美味くて、あたいもよく作って貰ってんだけどな…」
 そこまで言って竜子は、やっと温度設定できたのだろう。
立ち上がると、「でも、変な感じだぜ?」と小さく笑った。
「ほんの半年前までは、こんな異常な場所で、異常な暮らしなんてしてなかったのに、今じゃ、まだ道に迷いはするけど、こんな城で三人で焼きそば食ったりしてんだもん。 誠はさ、結構世話焼きでさ、ベイブは、殆ど何にも出来ない野郎でさ、あたいも、何だかんだと失敗ばっかりするもんだから、マジ、ほとんどお袋かよ?って感じで、ベイブの世話やら面倒やら見てて…、あたいに小言言って、でも、自分はちゃらんぽらんで…」
 竜子の言葉を聞き鵺は笑って言った。
「良かったじゃん」
「え?」
「異常でも何でもさ、とりあえずは、まこっちゃん元気出た訳だし、一緒に焼きそば食べれるようになった訳だし…とにかく、良かったじゃん。 全部捨てて、此処に来た甲斐あったね」
 竜子は、少し口を噤み、それから微笑み返すと、「ま、そうかもな」と優しい声で答えた。




「ほんとに、食堂に、運ばれてるんですか?」
「おう。 ウチの台所番は優秀だぜ? ちゃあんと、セッティングしといてくれるよ」 
 いずみと竜子はそう会話しながら歩く。
 ウラが、「デコレーションをするから、少し待ってなさい!」と言った後、一人奮闘して出来上がったケーキは、その全貌を見せてもらえないままに、台所に置かれていた。
 自分達が、食堂に移動する間に、ケーキも食堂に運ばれ、お茶などもセッティングされているという竜子の話だが、そんなに便利なシステム、何がどうなっているのか、是非仕組みを知りたいと願ういずみ。
 そんな風に四人連れ立って、廊下をのたりのたりと歩いている時だった。
 突如、ドスンッ!といった重い音と、「イッテテテテ…」という男の呻き声が、鵺がいずみ達と出会った螺旋階段の辺りで聞こえてきた。
 一瞬顔を見合わせ、それから、皆同じタイミングで走り出す。
「客か? 今日は、どうなってやがんだ?」
 そう訝しげに竜子が呟き、皆、階段前に辿り着くと一階から登ってくる階段の途中で、ひっくり返っている男の姿が目に入った。
「シオンさん?!」
 いずみは、驚きその名を呼ぶ。
 シオン・レ・ハイ。
 いずみが、何度か会った事のある、紳士的で、柔らかな物腰が印象深い、素敵な男性である。
 だが、出会って早々なのだが、シオンは、かなり大ピンチな状況だった。
 いずみが追っかけまわされた、王宮で一番最初に出会った、大鋏を持った大男が、倒れているシオンの頭部分に立ちの、彼に鋏をつき立てるようにして振り下ろそうとしている。
 大男の姿にもだが、シオンのピンチにも心臓が凍り、ぎゅっと眼を瞑りかけた瞬間だった。
 

「ジャック!!」


 階段の上から、堂に入った、迫力のある声で竜子が、大男の名らしきものを呼んだ。
「ジャック! てめぇ、んな所で何してやがんだ!」
 ドカドカと階段を駆け下りる竜子に、シオンがぽかんとした声で「お、竜さん?」と呟く。
竜子は顔を緩ませ「よぉ、シオン!」と気さくに声を掛け、まるで大男から守るようにシオンの側に立つ。
「何で、此処に?」
「そりゃ、おめぇ、此処が千年王宮だからに決まってんだろぉが」
 竜子が明快な声でそう答えた後、鵺もシオンに声を掛ける。
「オーッス! シオンさん、おっひっさぁ〜♪」と明るい声の鵺を、「鵺、はしゃぎすぎ…。 シオンさん、命からがらのピンチを脱したばかりなんだから、もうちょっと気遣ってあげなさいよ」と、いずみは窘めた。
 実際、あの大男に追い回された経験有のいずみからすれば、シオンの危機は他人事ではないのだ、
ウラは何がおかしいのか口に手をあて「クヒッ…クッ…クククッ…ヒッ、ヒヒヒヒッ」という引き攣ったような笑い声をあげている。
「えーと?」
 シオンがキョトンとした表情のまま、「鵺? いずみ? どうして、此処に」と問うと、いずみが答えるよりも早く、ウラが「あたしは、ウラよ! ウラ・フェンツレン!」と叫び、「さぁ、言い直して! 質問を、頂戴?」をと言い優雅な笑みを浮かべた。
 何のことだかと、いずみは思えどシオンは、その訳の分らない迫力に押されたらしい。
「鵺と、いずみと、それからウラは、どうして此処に?」
 なんて言い直している。
 するとウラは満足げに頷いて、「馬鹿ね。 決まってるじゃない? 退屈だからよ! さ、お茶会が始まるのよ? いらっしゃい」と告げた。
 何が何だか分からない、というような顔をするシオンに、そりゃそうよね、と思いつつも、だからと言って、自分もこの城の事は良く分かってないのに、何て説明してやればよいのかが分らない。
 とりあえず、階段に視線を走らせて見れば、先程「エリザ」と呼ばれていた少女の胴体らしきものがバレリーナの衣装、チュチュを着て、ゴロリ、ゴロリと転がって階段を降りているというか、落ちていた。
「アラ! こんな場所に…」
 ウラが、そう呟く。
 シオンはきっとアレを踏んで転んだんだなぁと思っていると、エリザの肢体はシオンの隣を擦り抜け、転がっていく。
「エリザ? 頭なら、中庭で歌っているのを、見かけたぜ?」
 そう竜子は、肢体に声を掛け、それから、「ったく、今日は千客万来だな」と頭を掻いた。
 ウラが、「クヒヒッ」と笑い、「お茶は、大勢の人間で頂いた方が楽しくてよ? ほら、そこのお前も、とっとと登っていらっしゃいな。 あたしの手作り絶品ケーキを、食わせてあげるわ」と、高慢な口調でシオンに言う。
 だが、シオンは、口調なんていう些細な事は気にならないのであろう。
ケーキという言葉に顔を綻ばせ、「はい! じゃあ、お邪魔します」と、即答していた。
 呆れたように眼を瞬かせ、「あんた、ほんと、適応力高いトコ変わってねぇなぁ」と竜子が呟き、それから大男に「ジャック、持ち場に戻れ。 ベイブは、どうせ全てお見通しなんだ。 証拠隠滅だなんて、ケチ臭い真似すんじゃねぇよ」と、叱るかのような声で言う。
 大男は、「ぐぅぐぐぅぅ…」と唸って首を振り、シオンを、丸い指で指し示した。
「ああ、良いんだよ。 コイツは、あたいのダチだ」
 竜子の言葉に、残念そうに「うぐぅぅぐぐぐ…」と一つ鳴いた後、彼はのそりのそりとその場を立ち去った。
「すっごいですね、お竜さん」
 あんな大男に、言う事を聞かせる事が出来た竜子を褒めるシオンに、竜子は苦笑しながら首を振り「そりゃ、あたいがベイブから鍵を貰ってる『奴隷』だかんね。 元々の、王宮付きの奴らは、言う事聞かざる得ないんだ。 あたい自身が凄い訳じゃないよ」と言い、「ま、折角来てくれたんだから、一緒に茶飲もうぜ?」とシオンの手を引っ張って起こした。



「公園から?」
「ええ。 お腹空いたなって思ってふらふらしてたら、何だかこういう場所に来ちゃってて…」
 そう何故、自分が此処に来たのかを説明するシオンの言葉を聞き、鵺が、ペロリと舌を出して「うん、それね、多分、鵺のせい」と告げる。
「え?」
 そう短く問い返されれば、「鵺ね、ある用事があって、此処に来る事になったんだけど、その時に、ベイブさんに公園に入り口を開けて貰ったの。 で、多分、その入り口が閉じない内に、シオンさんが迷い込んじゃったんだと思う」と言い「でも、ほら、此処ってかなり楽しいからさ、来れて良かったね!」と、先程殺されかけたシオンに、それでも呑気発言をかましていた。
だが、シオンも大概呑気なのだろう。
「うーん、そうなのかなぁ?」と首を傾げつつも、うっかり同意してくれるシオン。
「いや、そこは、ちゃんと否定しましょうよ」といずみが言うのだが、「あら? 今から、あたしのケーキを食べれるのよ? 全ての嫌な事が、その幸運で全部帳消しだわ!」とウラが笑い、黒いビロードで出来た美しいスカートを花のように広げてクルリと回った。
 竜子がそんなやり取りに苦笑を浮かべ「ほら、嬢ちゃん方、騒いでっと迷子になんぞ」と言いながら、ウラと鵺の手を掴んで歩き出す。
「いやいや、方向音痴なあんたが、一番の迷子候補だよ」とは、流石に口に出さず、いずみはそんな竜子の背中を眺めた。
 シオンが気を遣ってか、慌てていずみの手に手を伸ばしてくるので、「私は、迷子になんてなりません」と冷たく言う。
だが、ふと考え込み、「あ、でも、シオンさんが、迷子になるか…」と小さく呟いて「やっぱ繋いで下さい」と手を伸ばすいずみ。
「うう。 いずみ、私の事、何だと思ってるんです?」と眉を下げて問われたので、正直に「大きな子供」と答える。
 いずみの言葉を聞いて、鵺とウラが一緒に笑うと、「大人はみんな、大きな子供よ?」とウラが言い、鵺は鵺で「特に男はね」とこまっしゃくれた事を言った。

食堂は、とてつもなく広い部屋だった。
日頃、こんな場所で三人で食事をするだなんて寂しすぎると感じつつ、いずみはぐるりと部屋を見回す。
真ん中にどんと置かれた長い白いクロスの掛かったテーブル。 そこにどんな宴会でも開けそうな位たくさんの椅子が並べられている。
 シャンデリアや、内装の品々も、豪奢で、でもやっぱり不思議で、テーブルの上にある銀の燭台は、シオン達が部屋に入った途端に火が点っていた。
 テーブルには、大きなお皿にてんこもりにされたケーキが乗っている。
 ウラが作ったケーキだ。
 竜子の言うとおり、きちんと運んでくれている。
 だが、ケーキには、上から丸々生クリームが掛けられていて、何が何だかというか、どういう種類のケーキかすら判別できない状態になっていた。
(これは…何ケーキ?)
いずみは内心首を傾げる。


「………」


 黙りこくったまま、ケーキを見つめる四名。
 然し、ウラは「クヒヒヒッ」と嬉しげに笑い、「さぁ、たらふく食いなさいな! すべて、あたしの手作りよ? 美味しすぎて、ポックリ逝っちゃっても、責任はもたないけどね」と言いながら、勝手に席に座る。
怖いもの知らずというべきか、シオンが真っ先に手を伸ばし、クリームの塊の中から、フォークで一切れケーキを掬い上げ、机に並んでいた取り皿に取ると、ぱくりと口の中に放り込んだ。
「……美味しい」
 小さく呟き、再び、ケーキ皿にフォークを伸ばすシオン。
 そんな彼の様子を見て、見た目に反して味は良いらしいと悟った、鵺やいずみ、竜子も席に座り、ケーキに手を伸ばす。
「うん。 美味い。 ウラ、これ、美味ぇよ!」
 竜子がそう言うのを、「フフン」と笑って「当然でしょ? 他に、どんな味がするって言うの?」とウラが言えば、鵺が、正直丸出しの声で「見た目は、白いアメーバって言うか、細胞分裂間近?みたいな、どう見たって、コレ食べ物じゃないよ感があるけど、味は美味しいね」と答えた。
 当然というか、ムッとした表情をして、「鵺なんて、オーブン一つ満足に操れなかったくせに!」とウラが言えば、鵺は「だぁって、鵺は、オーブンなんて使えなくても、幇禍君が、美味しい料理作ってくれるもーん」と言い返す。
 しかし、いずみは火に油を注ぎやしないかと思いながらも「でも、幇禍さんとは喧嘩したんでしょ? さっき、『あんな出べその事なんて、もぉ知らない!』って言ってたじゃない」と、先程暇そうにしてた鵺に愚痴られた事を冷静な声で突っ込んだ。
 だが、その話の流れの中で、もっともどうでも良いと思われる単語に引っ掛かり、竜子は「え? 幇禍って出べそなのか?」と鵺に聞いている。
 突然ウラが甲高い声で笑い、「あたしは、デリクと喧嘩なんか一度もした事はないわ? だって、あたしは、愛されてるんですもの」と勝ち誇ったように言い放った。
 今度は、鵺が、むっとして「違うもん! 鵺だって愛されてるもん。 婚約指輪だってほら!」と、キラキラ光る赤い石のついた指輪を見せ(スタールビーという宝石なのだが、勿論シオンには分らなかった)「貰ってるし〜、喧嘩だって、鵺が我儘言ってるだけだもん」と、「じゃ、やっぱり自分が悪いんじゃん」というような事を自慢げに宣言する。
 ウラは美しい髪を、白い指先で梳くと「ククッ、でもね、出べその婚約者っていうのも、何だか間抜けよね。 デリクは体中の、何処かしこも綺麗よ?」と言った。
「幇禍君だって綺麗だもん。 美形だもん。 渋谷で、よくモデルになりませんか?ってスカウトされてるもん」
「はいはい。 でも、出べそなんでしょ?」
「誰が、そんな事言ったのよ! 幇禍君、出べそじゃないもん!」
(あ、やっぱり違うんだ)
そう思い、いずみは静かに「自分で言ったんじゃない」と呟く。
 いつの間にか手元には、淹れ立ての紅茶が白い陶器のテーカップに注がれ良い匂いを立ち上らせており、いずみは静かに香りの良いその液体を啜った。
そして、ケーキを口に運びつつ「男の事で喧嘩出来るって、微笑ましくて良いですね」と、大人びた事を言う。
竜子が「まぁ、喧嘩できる程、良い男に惚れてんのなら、それに越したこたぁねぇな」と、相手が子供であるという事を忘れているような言葉を返してくれた。
 鵺とウラがそんな風に一通り言いあった後、竜子がとりなすように「ほら、甘いもん食ってる時は、喧嘩しねぇ、喧嘩しねぇ」と言い、「鵺。 お前ぇ、クッキー持ってきたとか言ってたじゃねぇか。 アレも食っちまおうぜ?」と声を掛ける。
 鵺はピョコンと頷くと、「鵺のパパのクッキーは、見た目は満点、味は30点なんだから!」と、「えーと、それって、むしろ、駄目なんじゃ…」というような一言を言って、竜子と連れ立って食堂の外に出て行った。
 ウラが苛立ちを沈めようとするかのように、猛烈な勢いでケーキを口の中に放り込み始めるのを、いずみは横目で眺め、その形の良い唇にたくさんクリームがついているのを溜息を吐きたくなるような気持ちで眺めると「ほら、そんなに急いで食べると、喉に詰まるわよ。 それに…」と言いながら、強引に自分の方にウラの顔を向けさせ、唇をテーブルにおいてあった白いナプキンで拭う。
「こんなにクリーム一杯つけて」
 唇を尖らせ、されるがままになってたウラは、いずみが唇を拭き終わるのを待って、「あたしも、指輪欲しい」とポツリと呟いた。
「デリクさんって言う人から?」
 いずみが問えば首を振り、「誰でも良いの。 指輪が欲しいわ。 男から貰うの。 重大な事を忘れていた気分よ。 だって、一個も指輪を貰った事が無いなんて。 女としては、悲しすぎる」とウラが答える。
 いずみは、そんなものなのだろうかと考えていると、シオンがウラに向って、「お姫様、どうぞお手を」と、気取った声を出しながら、そっと彼女の手を取り、どうしてそんなものを持っていたのか玩具の指輪を嵌めてあげた。
「…宝石じゃないですけど、許してくれますか?」
 そう首を傾げるシオンに、ウラは、マジマジとガラス玉の嵌った指輪を眺めた後、「これは、あたしへの貢物って事?」と聞く。
シオンは、笑顔を浮かべ「勿論です、お姫様」と明快に答えた。
ウラは、見る見る内に、表情を溶かし、甘い綿菓子のように、にっこり笑って「許すわ」と満足げに答える。
「じゃ、そちらのお姫様にも」と言いつつ、シオンはいずみの手を取ってくる。
 何だか気恥ずかしくて、手を引っ込めかけたいずみだが、シオンに柔らかく笑いかけられれば、どうも抵抗できなくて、ビーズの指輪を嵌めて貰うと、「…シオンさん、モテるでしょ?」と、俯き、ボソボソとした声で言ってやった。
 申し訳ない。
 申し訳ないが、年零は近いだろうに、黒須とは大違いである。
 そう感じて、今頃競馬予想に勤しんでいるであろう蛇男の事を頭に思い浮かべ、頭の中で両手を合わせる。
 突如、そんないずみの後ろで「俺ぁ、そんな食えねぇもんよりも、こっちの方が嬉しいんだがなぁ?」と言いつつ、ひょいと包帯だらけの手を伸ばす者がいた。
 三人が一斉に目を見開き、振り返れば、包帯を体中に包帯を巻いている青年が、もぐもぐとケーキを食みながら立っている。
「…お前、失礼よ? 何も言わずにあたしのケーキを食べるだなんて」
 ウラがそう言えば「…いただきます」と口の中のものがなくなってから、青年が告げた。
(いや…遅いし…)
 思わず胸中で突っ込むいずみ。
 それから、シオンが「新座さんも、迷い込んじゃったんですか?」と問うていた。
 どうも、シオンと、この新座という男、知り合いらしいのだが…そう思うと、今日は、この千年王宮の中に、随分知り合い同士が迷い込んできているという事になる。
 世間は狭いという事なのか?と首を傾げるいずみ。
だが、新座は目を見開き「あんた、よく俺の名前知ってんな。 エスパー? もしかして、エスパー? ちょっと待って、テレパシー受け取る準備するから」と、何故か両こめかみに中指と人差し指をピンと伸ばしてあて、目をぎゅっと瞑ると、「ハイ、どうぞ!」とシオンに掛け声を掛ける。
 困惑するシオン。
 そんなシオンを見上げて、堪えきれないという風に「クヒヒヒッ」と笑うウラ。
 明らかに、新座がシオンの事を忘れているとしか思えなくて、こんな馬鹿な遣り取りには付き合ってらんないと思い紅茶を啜る。 
 そうこうしている内に、クッキーの入った可愛い花柄プリントの紙袋を抱えた鵺達が戻ってきた。
「このクッキー…確かに、見た目は良いが30点って感じだぞ…」なんて、言いながら、既につまみ食いをしたらしい竜子が、明るい声で言い、それから新座に目を留め「また、新しい客か」と言う。
 すると新座は「客? 客か。 でも、客は、招かれないとなれない訳で、俺は、ここの城の王様だっていう奴から、追い出されちまったからなぁ…」と首を捻り「客じゃないかも」と竜子に、少し不安げに言った。
 それから、「なぁ、お前、金色だし、この城の住人の匂いがする。 もしかしたら女王か?」と問いかける。
 竜子は、ポリポリと頬を掻くと「ま、そういう風に此処の連中には呼ばれてるな」と答え「ベイブに探せって言われたのか」と聞いた。
「ああ。 女王か、ジャバウォッキーに出して貰えって。 でも、二人を見つける前に、死なないように気を付けろとも言われたから、とりあえず気をつけて来た」
「ベイブの意地悪だ。 自分で出してやりゃあ良いのに、時々、こうやって楽しみやがる。 ほんと、性格悪いよ。 それにしてもあんた、あたいに会えて運が良いよ。 この城、何処がどうなって、どんだけ広いか分りゃしねぇかんな。 あたいなんて何度迷った事か。 一日中迷い続けた時なんか、誠に見つけて貰わなきゃ、飢え死にするトコだった」としみじみ言う竜子に、いずみは「や、それは、ただ、竜子さんが方向音痴なだけでは」と小さく呟く。
 鵺が、そんな二人の会話に嘴を突っ込むように「やっほ。 ニィル君。 元気ー?ってか、こんな場所で会うなんて、超奇遇じゃない?」と、彼女も新座と知り合いらしく声を掛け(しかし、凄い偶然だ)、新座が嬉しげに「ガー!」と声をあげると「鵺! お前もか! どうした? しかも、何か美味そうな物持ってる!」と言いながら、クッキーの入った紙袋に手を突っ込む。
 何枚かを一気に噛み砕き、飲み下した後、先程ウラに叱られたのを思い出したのだろう。
「いただきます。 でも、何か、あんま美味くない…」と神妙な声で告げた。
(だから、遅いし…)
 再び胸中で突っ込めど、新座は、勿論そんないずみの気持ちなど知るはずもなく、よっぽど腹が減っているのか、勝手に茶をポットから直接飲み、再びケーキへと手を伸ばす。
 シオンの、負けじとケーキを皿に取っていて、いずみとしては何だか騒がしくなってきたものだ…と感じつつも、少し楽しくなってきている自分を見つけた。
 最初の、あの恐怖体験から考えてみれば、格段の心境の変化だ。
 そんな浮き立つような雰囲気の中で、鵺は、先程の喧嘩の事なんかコロリと忘れてしまっているのだろう。
「このクッキー、ウラのケーキのクリームを付けて食べれば、何とか味誤魔化せるかも!」と天真爛漫な声で言いながら袋の口をウラに向け、ウラも、シオンの指輪効果なのか、機嫌良く、「アラ! ホントに、見た目は美味しそうだ事!」と言い、袋の中に手を伸ばした。 
  

そうやって暫くお茶を楽しみ、鵺が「こうなったら、アレも持ってこよ!」と言いながら、何かを取りに食堂に向い、シオンが竜子から「良いか? ステゴロってのはな、最後は気合の勝負なんだ。 殴り合えばどっちも痛ぇよ。 激しく動きゃあ、そりゃ疲れるさ。 そういうのを如何に気合と根性で押さえつけるかってのがな…」と、ヤンキー講座を受けている時だった。


ジリリリリリリリリリリリリ!


 耳をつんざくような非常ベルの音が、食堂内に響き渡り、それから食堂にある椅子やらテーブルやらが一斉に暴れだした。
 それは、皆が座っている椅子も例外ではなく、激しく動く椅子に皆振り落とされ、床に転ぶ。
「! な、っ、ななな、なっ何があったって言うんですっ!」
 シオンがそう叫べば、尻をさすりながら竜子が立ち上がり、「まじぃな。 面倒臭い事が起こりやがった」と唸った。
「面倒臭いこと?」
 いずみが首を傾げて問いかける。
「ベイブが、発作を起しやがった。 アレは、誠がいねぇと止められねぇんだ。 畜生。 あいつ、何処行きやがってんだよ!」
 そう苛立たしげに竜子が言い、それから、食堂にいる皆に「此処も、あんまり安全じゃねぇ。 悪いがベイブのいる、玉座に一緒に来て貰えねぇか?」と、告げる。
 否応も無く頷いたいずみやシオンと、明らかにこれから何が起こるのかに期待してワクワクした表情を浮かべた新座と、ウラは、食堂の扉から飛び出し駆け出した竜子の後を追って走り出した。
 そんないずみ達の頭上にいつの間にか、天井に派手な格好をした道化が立っていた。
 まるで、重力を無視した生き物であるかのように、真っ逆さまに此方を見上げている。
その道化が「女王様に御注進! 女王様に御注進! 呼んでるよ! ベイブが、あんたを呼んでるよ! 早く! 早く! 早く行かなきゃ皆殺しだ!」と、楽しげに竜子に喚き、くるりとトンボ返りを天井で決める。
「黙れ! てめぇは、城のどっかにいるかもしんねぇ、誠でも探せ! ベイブが壊れたら、てめぇだって、死んじまうんだろうがよぉ!」
 そう、竜子が怒鳴れば「おお怖い!」と道化はわざとらしい仕草で身を竦め、それから煙のように消えた。
 壁に掛かっている人物画達が狂気じみた声で「ベイブ! ベイブ! 早くあやして! 皆殺しだよ! 皆殺しだよ!」と、叫んでいる。
「くっそ! 何時になく余裕がねぇじゃねぇかよぉ!」
 竜子がそう、意味の分からない事を吼えた。
シオンが、いずみとウラの手を引き、新座と並んで竜子の後を必死で追う。
 そして、長い長い廊下の果てにある、大きな鉄の扉を、竜子が蹴り飛ばすようにして押し開いた。
 


「あ、ああ、あっ、来る! クるんだ! ま、誠! 何処? 何処にイる? 竜子! 竜子、来て! 魔女が、また、ま、魔女が、あ、あ、寒い、寒い、寒い…」
 錯乱したように叫ぶベイブが、玉座にいる。
 広い、広い部屋だった。
 虚ろな、凍えるほどに虚ろな空間。
 そこに、ベイブと何故か、美少年めいた美貌の少女、蒼王・翼に、見覚えのない金髪の美丈夫、そして鵺が喧嘩したと言う魏・幇禍がいた。
 自分だけでなく、コレだけの人間が迷い込んでいるなんてと、ちょっと息を呑むいずみ。
 この王宮には、他にも迷い込んだまま、此処まで辿り着けず、ずっと迷ってる人もいるんじゃないかなんて怖い想像をしてみる。
玉座に蹲ったベイブの周辺に、不思議な銀色の文様が浮び上がっていた。
 その銀色の文様内ではバチバチと電気が弾けるような音と共に、銀色の稲妻のような光が走っていた。
 大剣に縋るように、しがみつく様にしていたベイブが顔を上げ、「誠? 竜子? 早く、は、やく、来ないと、つ、かまる。 つ、かまったら、壊れる。 こ、われ、る、割れる。割れて、あ、また、寒い…た、すけて、助けて…」と呟きながら、泣きそうに歪められた顔で当たりを見回す。
 まるで、迷子の子供のような、それは酷く弱弱しい姿だった。
 初めて会った時の、黒須を大剣で突き刺しながら辺りを睥睨した、あの威厳に溢れる印象は何処にもない。
 ウラが、「クヒッ」と笑って「まぁ? さっきの様子とは随分違うわ? ま、どっちにしろシケてるって事は変わりないけど」と呟いた。
 新座も「ありゃりゃ? 同じ奴だとは思えないぞ? 腹でも痛いのか?」と見当外れなことを言う。
「り、竜子さん…アレは?」
 そうシオンが問えば、竜子が端的に「発作だよ」と答えた。
「壊れる…ネ。 魔女の呪とハ、かくも恐ろシイ。 差し詰め、この赤子は、その魔女を知らず虜にしてしまった、不運な時の迷子に過ぎないと言う訳、でスカ」
 唐突に響く声にビクリと肩を揺らし、いずみは声の方向へと視線を向ける。
先程は気付かなかったが、ベイブの側に気配なく立つ男の、ダークブロンドの髪が揺れ、群青色の目が、細く三日月の形に歪んだ。
「何て、興味深イ!」
 そう感極まったように言う男の側に、ウラが軽い足音を立てて走っていった。
「デリク!」
 嬉しげに名を呼ばれ「おヤ? 私の姫君。 こんな所にお出でになられて、どうなさったんでス?」と言いながら、壊れ物を扱うような手付きで、その身体を抱きしめ、そして、笑う。
 ウラの言っていた「デリク」とは、彼の事か。
 しかし、どうして此処に?
一体此処で、何が起こりつつあるというの?
 そう考え込んでいると、いつの間にか、背後には先程のお茶会メンバーに加えて、何かを取りに行った筈の鵺や興信所事務員のシュライン・エマ、それに戻ってきてたらしい黒須まで来ていた。
 竜子が、黒須の姿を見つけ、「ったく、ヒヤヒヤさせたがって」と呟くと、少し安心したような表情を見せる。
「ウラ。 御覧なさイ。 アレこそ、究極の愛の形デス」
 デリクが、ウラを抱いたまま、そうベイブを顎で指し示した瞬間、バチッ!と音がして、彼の足元に銀色の光が飛んだ。 それを、ウラを抱えたまま、ヒョイと身軽に避け「危なイ、危なイ。 赤子が強力な力を持つと、加減を知らないカラ、面倒ダ」と飄々とした声で言う。
 黒須が、ずいと進み出て、「お前、何かやったのか?」と問いかけた。
 だがその声に怒りはない。
 ただ、本当に尋ねているだけという声音。
「何カ? 何カ?とは、何でス? ああ、そうダ、そうダ。 あなた、初めて、お会いしまスネ。 私、デリク・オーロフと申しまス。 以後お見知りおきヲ」
 そう自己紹介したあと、優雅に一礼し、それから首を傾げてじっと、黒須を見る。
「あなたも、随分、面白い身体ダ」
 そう言った後、「そして、此処は、面白い場所ダ。 もうちょっと、知りたい事もあるのだけれド…」と言いながら辺りを見回し、それから腕の中のウラを見下ろす。
「お姫様もいらっしゃる事だし、そろそろ帰らねバ」
 デリクの言葉に、ウラはむくれ「折角、女王様のお茶会をしていたのに、全部台無し! デリク、この罪は、『気狂いアリス』のバニラアイスでしか償えなくってよ?」と言う。
「仰せのままニ」とデリクは甘い声で言い、それから黒須に視線を戻した。
「出口、私一人でしたら、無理矢理作って外に出るのですガ、この子がいるので、余り無理はしたくないデス。 この、赤子、宥める事が出来ますカ?」
 そう問われ、辺りをぐるりと見回す黒須。
そして、黒須はこの上なく、面倒臭そうに顔を歪め、「何で、こんなに、いるんだよ」と呻くと、そして、「とりあえず、危ないから、ちょっと離れろ。 鵺といずみ…は、外出てた方が良いかもしんねぇ。 そこのウラとかいうお嬢ちゃんも、兄ちゃん部屋の外に出してやんな」と言う。
 何かショッキングな出来事が起こるのだろうか?
 でも、外に出るだなんて嫌だ。
 目を逸らすなんて出来ない。
 鵺がまず、頑迷な調子で「やだ。 見る」と首を振り、いずみも「子供だからって、お気遣い頂かなくても結構です。 ちゃんと見届けさせて下さい。 大体、貴方の正体であれだけ驚かせて頂いたんです。 もう、何が起こったって平気です」と強い表情で告げた。
ウラに至っては、黒須の言葉など全く聞いていないのだろう。
 デリクの腕の中に納まって、惑っているベイブの姿を興味深げに見つめている。
(大丈夫。 黒須さんの正体以上のショッキングな光景ってそうないわ!)
 そう、自分を鼓舞していると、「…ま、こういう場所でお茶会だなんて呑気な事が出来る子達だもの、それこそ、十八禁にでも引っ掛からなきゃ大丈夫じゃない?」とエマが言うので、「そうですね。 もし引っ掛かっても、ちゃんとOMCでチェックしてくれるし」とシオンも身も蓋もない事を言った。
 黒須は、もう、どうにでもしてくれというような憔悴した顔をし、「で、何でこうなったんだ? 何を切っ欠にしたんだ?」と問えば、デリクはニッコリと笑って「魔女」と一言答えた。
 その瞬間、ベイブを囲む銀色の文様がバチバチと音を立てて一層鮮やかに輝き、王宮の揺れが激しくなる。
 ビクンとベイブが一度のけぞり、口を大きく開けると「あああぁぁぁぁああっ! こ、わい、怖い、怖い、あ、こ、ろして、殺して、死にたい、終わりたい、壊して、こわ、して…りゅ、うこ……まこ…と…、ドこ? 何処? 助けて! 何処!!」と、叫び、惑う。
そんなベイブになんとも言えない視線を送り、それから「知ってるのか?」 黒須が問えば「一応、魔術師ですかラ」とデリクが答え、「騎士団内で起きたあの悲劇については、書物でとはいえ、知識として有しておりマス。 ただ、こうやって、実際に御目文字出来るだなんて、想像もしていなかったですケドネ」と、言葉を続ける。
「然し、素晴らしイ。 千年の呪い。 まさか、本当に有効であるトハ。 この奇跡の目の当たりにして、魔術師としては、捕獲して、どういう人体構造になっているのか、解体でもしてみたいところですガ…」
 そう言いながら、本心を見せない笑みを益々深める、「ジャバウォッキー、許してくれませんヨネ?」デリクが聞き、黒須が「本当に、コイツを殺せるってんなら、何処へだって、連れてってやれよ。 本人もそれを望んでる」と、答える。
「死にたい。 終わりたい。 解放されたい。 そればっかりで、たかが人間の分際で二百年以上も生きてんだ。 誰でもいいや。 コイツ殺せるなら、殺してくれよと頼みたいとこだけどな…」
 そして、一つ溜息を吐く。
「期待持たせるだけ、持たせて、結局、無理でしたって事になるんだったら、許してやれや。 コイツの絶望は、既に今で限界なんだ。 これ以上は酷過ぎる」
 デリクは、笑みを深め「時の魔女の最期の呪に対抗出来る程の、魔術構造を発見いたしましたら、是非、再び此処を訪れさせて頂きマス」と答える。
「ま、せいぜい期待させて貰うわ」
 黒須は気のない声で答え、それから竜子に目を向けた。
 竜子は「お前、ほんっと、何処行ってたんだよ。 どうせ、しょうもない飲み屋とか、競馬とか、そういうのなんだろうけどよ、マジで何も言わず出かける癖止めろよな」とブツブツ言いつつ、黒須の隣に立つ。
 いずみ、思わず「正解!」と竜子に言ってやりたくなったが、黒須との約束を思い出してぐっと堪えた。
「どうだ? イケそうか?」
「んー? ヤバくね? いつも以上にはしゃいじゃってる」
「でも、放っておけば、ここら辺一帯それこそ歪むぞ? そうなると、『道』が変わるし、鍵持ってねぇ、コイツらを無事出してやれる保証がなくなる」
 何やら、怖い事を相談しあう二人を見てシオンは思わず青ざめる。
(『無事出してやれる保証がない』って、じゃあ、一生此処暮らし?! 勘弁してよね) 
そう思いながら、ふと鵺達に視線を向けてみるが、喧嘩中だったとかいう幇禍が鵺に会えて嬉しいのか、何やら楽しげに彼女と話しており、鵺は鵺で幇禍や、知り合いだったらしい新座・クレイボーンと賑やかに語らっていて、何やらそこら辺一体だけ、この緊迫した空気とは全く別種の空気になってしまっている。
(つ、強者揃い…)
 そうふらつきかければ、「時間が掛かり過ぎた。 せめて、あの結界内にもう少し近づければ…」という竜子の声が聞こえてきた。
 つまり、ベイブに近づけないから、彼の発作を止める事が出来ないという訳か。
 とするなら、あの銀の結界を誰かが…。
「…やってやる」
 それは、ドキリとする程に凛とした声だった。
「あの、銀の結界の威力を弱めれば良いのだろう? やってやる」
 そう告げ、金髪の美丈夫が一歩進み出る。
 翼が、ついと彼を見上げ「出来る?」と聞けば「構成されている術式こそは違うが、接点を見つけ出し絡ませれば何とかなるだろう」と美丈夫が冷静な声で答える。
(何か、力を持ってる人なんでしょうか?)
 そう興味津々で見守るシオン。
「何より、俺は、この糞みてぇな場所から、とっとと出ちまいたい。 おい、そこの、二人」
 そう言いながら、美丈夫が、ギッと竜子と黒須をねめつける。
「誰だか知んねぇが、その結界の威力は抑えてやる。 それで、この事態の収拾を付けられんだろうな?」
 そう言われ、肩を竦めると、黒須は「ホントに、そんな器用な事やってのけてくれるってんなら、鋭意努力するよ」と答え、竜子は「任せときな!」と請け負った。
 信用出来ないという風に「フン」一つ鼻を鳴らし、それからおもむろに、彼は懐から銃を取り出す。
 シオンがぎょっとする間もなく、美丈夫はその銃弾を、ベイブの周りで閃光を放つ結界へと打ち込んだ。
 耳をつんざく音が、ホール内に響き渡る。
 そして、間を置かず、美丈夫は複雑な印を両手で組み、術の詠唱に入った。
(陰陽術!)
 何度か聞いた事のある、抑揚のない歌うような詠唱。
 無愛想な様子からは想像もつかないほど、耳に心地良い声での、その真言に思わず、シオンはうっとりしかける。
 銀の文様の上に、金色の梵字で描かれた別の文様が浮び上がっていた。
 銀と金の光が絡まりあい、一瞬眩いばかりの光を放つと、その銀の結界が放っていた稲妻のような光が収まっていた。
「長くは持たん。 とっとと行け」
 美丈夫が、目を閉じ、小さく術を唱え続けながらも、そう早口で二人に告げる。
「どぉも。 あんた、かなり良い腕してんな」
 そう、黒須が言った後、竜子と黒須は一気にベイブに近付き、竜子は前から、黒須は後ろに回り込んでベイブの身体を抱きしめた。


「お静まり下さいませご主人様」


 竜子が、ベイブの耳元に囁く。
「お静まり下さいませご主人様」



「魔女は来ませぬ。 魔女は、来ませぬ。 だって、ほら…」



 竜子が、静かな顔で天を指差す。



「貴方様が、あの魔女めを殺したのだから」



 思わず、その場にいた人間皆。
 黒須と、竜子を覗く全ての人間が空を仰ぎ、そして息を呑んだ。



いた。


玉座の天井にいた。



女が、目を閉じ、手と足に杭を打たれて天井に張り付けにされていた。
両手を開き、足を揃え、胸を深々と一本の槍を突き刺して、女がいた。


「御覧下さい。 あれが、時の魔女に御座います」
 


デリクが、震える声で「ブラブォー」と呟いた。


  
天を仰いだベイブが呟く。


「ああ…。 アレが、私の罪の証」
 その瞬間無防備に仰け反ったままのベイブの首筋に、長い髪を揺らして黒須が顔を埋め、深々と噛み付いた。

 

 あれが、狂気。
 いずいは、食堂の、明るい雰囲気の中、じっと考え込んでみる。
 ベイブが、あの客室で言っていた、悲しい別れの連続の果ての、アレは狂気。
狂気に陥るというのは、ああいう状態になるのか。
あんなに、寂しい事になるのか。
理解できずとも狂気は厳然と存在するのだと実感し、いずみは少し震える。
千年の命。
そんなもの、凶器でしかなかった。
 ベイブが言っていた。
 愛されたから、千年の命を与えられる事になったと。
 シオンが、眉を寄せ、「う〜〜、分んないなぁ…。 愛の結晶なのに、苦しんじゃってるわけで、ベイブさんって結局一体何がどうなって、此処にいるんだろう?」と呟いている。
 いずみは、そんなシオンに声を掛けた。
「…復讐は、憎しみを抱いて行うものです。 愛情とは、相手の事で心が一杯になって満たされる事です」
 そんな大人びたことを言う、いずみにシオンが視線を向ける。
「では、復讐によって相手の事で胸が一杯になるのと、愛情によって相手の事で胸が一杯になる事に、どんな差異があるというのでしょう」
 いずみは自分が凄く難しい話をしていると思いながらも、ベイブのあの様子を見て、どうしても言わずにはいられなかった。
シオンが何だか、諭すような、優しい声で答えてくれる。
「それはね、愛情というのは幸せな気持ちのことで、憎しみというのは悲しい気持ちのことだから、全然違いますよ、いずみ。 相手のことを想う時に、一つも幸せな気持ちになれないのはね、愛情じゃないのです」
 それは、違うのだろう。
 それは、本当に幸せな考え方だけど、素敵な考え方だけど、違うのだろう。
 いずみが、悲しいような笑みを浮かべる。
「そうですね。 シオンさん…。 本当に、そうだったら良いのに…」
 それは、たくさんの年齢に見合わぬ事を見聞きしてしまったが故の、少女にあるまじき程の諦念の滲んだ言葉。
「私、ベイブさんとお話したんです。 何百年も、天井にいた女の人によって生き永らえさせられてきた、そんなベイブさんと。 シオンさん。 例えば、シオンさんの言う通り愛してるの気持ちが、幸せなものならば、どうしてベイブさんはあんなに苦しんでるんでしょうね? あの女の人は、間違いなく、ベイブさんの事が好きで、好きで、好きで、だから、ベイブさんを此処に閉じ込めてしまったのです。 可哀想だなと思います。 同時に、そうやっておかしくなってしまった苦しみを、こんな王宮の中に、色んな人を招いて、弄ぶことで癒すのは、やっぱり間違いだと思います」
 シオンが黙ったまま、いずみの言葉を聞き、それから、小さな形の良い頭に手を置くと柔らかな声で言った。
「いずみ。 貴方の見聞は広い。 知識も豊富だ。 そして、凄く優しい。 でもね、いずみ。 言葉じゃ、届かない世界や、見ているだけでは分らない事実が人にはあります。 ベイブさんは、苦しんでました。 私はびっくりしました。 誰の目から見ても彼は不幸です。 しかし、本当に、今、彼が不幸で、彼が苦しんでいるのかどうかは、彼自身にしか分りません。 よしんば、ベイブさんが今、凄く苦しんでいたとしても、『千年生きなきゃならない』という呪が、時の魔女さんの愛情によって掛けられたものであるのなら…」
 シオンは、そっと笑って言った。
「幸せ、きっとありますよ。 ベイブさん、きっと幸せが側にありますよ。 長く生きなきゃならないという事は、もしかしたら、そんなに不便な事じゃないかもしれない。 このお城に閉じ込められているという事も、もしかしたら、どこか楽しい事があるかもしれない。 気付いてないだけです。 きっと、気付いてないんです。 だからね、いずみ」
 いずみは、ベイブに褒められた澄んだ瞳でシオンを見上げる。
「教えてあげましょう。 ベイブさんに。 そんな暗い顔をして、色んな人を、迷路で迷わせたりなんかしても楽しくないよって。 他に、きっと楽しい事、あるよって。 そうしたら、気付くかもしれない。 ベイブさん、大事な事に気付くかもしれない。 ね?」
 シオンの言葉に、いずみは、そういう考え方もあるのかと、思い知らされる。
 取り返しの付かない事態の中で、例えば、苦しみしかないと思うような情況の中でも、それが故の幸せを見つける事…、シオンさんみたいな人なら出来るのかもしれない。
 いや、きっと、他の誰だって…。
 そう思い、笑みを浮かべると、有難う御座いますとお礼を言い、自分はまだまだ、青いなと思う。
 まだまだ、子供なんだなと気付く。
 シオンは首を振って「どーいたしまして」と笑顔で答えた。


 そんな風に雑談を交わしつつ、未だ王宮の中に残っているのは、幇禍、新座の能天気三人組と、エマにいずみだけでデリクとウラは既に、自力で王宮を脱し、翼と金蝉も、王宮を辞している。
新座がいつも連れている玩具の怪獣(に見えるが、玩具では決してない)ぎゃおが、ウロウロと辺りをうろつき「変なもん喰うなよ〜?」と新座に諌められていた。
「ぎゃお?」
 首を傾げ分っているんだか、いないんだかの返事をしたぎゃおが、忽ち鵺に掬い上げられるようにして抱かれ、「おーっす! ぎゃお、ぎゃお、ぎゃおう♪」と妙な節で歌われながら、弄繰り回される。
 エマは、竜子に「姐さん!」と呼ばれながら、ドクドク幇禍の買ってきた焼酎を注がれ、これまた幇禍持参のおでんを突いている。
 シオンは、ニコニコと、緑茶を啜り、エマが持ってきたという桜餅を食べながら「やぁ、今日は来て良かったなぁv」と、呟いていた
 いずみは、シオンと語り合って、色々吹っ切れたので、「…話から察するに、歴史的事実として書物の残る程の過去の遺体が、あのように、完全な状態で天井に残されているという事になる訳で、やはり、それは、此処が異空間だからなのか…どれとも、あの女性自体が特別な存在だからなのか…」とブツブツと呟きながら、また別の事を考え込んでみる。
ガチャリと扉の開く音がしたので、食堂の入り口を振り返った。
 憔悴しきった表情の黒須がぐったりと足を引きずるようにして扉から入り、そのまま倒れこむみたいに椅子に座り込んだ。
「うー、疲れたーー」
 そう呻く黒須に「ね、ね! ベーやんどうなったの?」と、うん! 彼のことそんな風に呼べるのは、世界中で多分貴方一人だけさ!という呼び方をしながら、ベイブの容態を尋ねる鵺。
 黒須に噛まれた瞬間、ぐったりと全身の力を抜いて倒れこんだベイブを、黒須は城のわけの分らない住人に手伝って貰いながら彼の寝所に運び、竜子はこの食堂までエマ達を案内してくれたのだ。
「誠の、八重歯んとこにはな、蛇の猛毒が仕込まれてて、そいつで噛まれると普通の人間は一発で逝っちまうんだが、あの千年生きなきゃなんない王様にとってみりゃあ、丁度良い睡眠薬なんだ。 夜、眠れない時とかに、誠、噛んでやってるもん」と、竜子が説明してくれたのだが、蛇の猛毒で安眠を得る男の話なんてもんは、もう、此処まで現実離れしてるとどうでも良いという気分にすらなり、「ふーん、そうなんだぁ」とおざなりな返事しか出来なくなる。
 そうやって、あの狂気の王様を寝かしつけた黒須は、べったりと机に身を投げ出したまま、「…とりあえず、寝てるし、もうちょっとしたら起きるだろうが、ま、そん時にはいつも通り落ち着いてるだろう」と、告げる。
 そんな黒須に、先程のシオンの意見からある事を思いついたいずみ。
黒須の側にスススと寄り(それでも、嫌悪感を抱かない適度な距離だが)「私考えたんですけど…」と言ってみる。
「私考えたんですけど、千年も時間があるなら、私ならですけど、この世の本を全て読破するか数学者にでもなって未証明の公式に挑戦し続けると思うんです。 でね、ベイブさんにもそれをお勧めしたら、あんな風に錯乱なさる事はなくなるんじゃないかなぁと…」と、提案してみると、半眼になった黒須、「千年間数式と格闘する数学者の姿はかなりシュールだし発狂した数学者の逸話も山程あるので結局、おかしくなんじゃねぇか?」と答え、その上「やっぱ、お前、小学生じゃねぇだろ」と突っ込んできた。



王宮から、黒須に出してもらっての帰り道。
シオンの言葉に従って、ベイブが「千年生きているが故に幸せな事」を考えてみる。
たくさん別れはあるが、たくさん出会いもあるだろう。
長い時間があれば、それこそ一人で、何かの研究や、創作で物凄い成果だってあげられるかもしれない。
悪くない。
いずみは思う。
だって、しょうがないんだもの。
そうなっちゃったんなら、そこから幸せを探した方がずっと良い。


そう考えると、きっと千年の命も悪くないよと、ベイブに伝えてあげたくて、いずみは、あんなに怖い思いをしたのに、また、千年王宮に行ってみたくなった。



end



□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2414/ 鬼丸・鵺  / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3342/ 魏・幇禍  / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】
【3356/ シオン・レ・ハイ  / 男性 / 42歳 / びんぼーにん(食住)+α】
【1271/ 飛鷹・いずみ  / 女性 / 10歳 / 小学生】
【3427/ ウラ・フレンツフェン  / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【2916/ 桜塚・金蝉  / 男性 / 21歳 / 陰陽師】
【3060/ 新座・クレイボーン  / 男性 / 14歳 / ユニサス(神馬)/競馬予想師/艦隊軍属】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
お久しぶりの方も、初めましての方も、今回は「お願いBaby!」御参加いただきまして有難う御座います。
ライターのmomiziで御座います。
今回は、久しぶりのOMCな上、初自NPC登場でのゲームノベル挑戦って事で色々あわあわしてしまいました。
何だか、参加して下さった方のブレイングの着地点が皆さん同じ感じだったので、集合ノベルにしてみたり。
とはいえ、例によって個別に近い形で書かせてもらってるので、どの話を読んでもらっても、新鮮な楽しみ方が出来ると…えーと、いいな?(弱気)

半年振りの執筆に些か戸惑いもあったのですが、何とか書き上げる事が出来ました!
ではでは、また、今度いつ書けるのか分りませんが、これにて〜。


momiziでした。