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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


【ロスト・キングダム】姑獲鳥ノ巻

「雑司ヶ谷の産院『須藤クリニック』を調べて下さい。恐ろしいことが起こっています」

「なんですって?」
 午下がりの編集部にかかってきた、その電話を取ったのは、碇麗香だった。
「……どちらさま?」
 とりあえず、相手の名を問うてみたが、電話の主はそれには答えるつもりがないようだった。ただ、若い女の声であることしかわからない。
「……産院と言ったわね。違法な堕胎とか、そういうことなら警察にタレこんだらどうかしら?」
 麗香は言った。情報提供はいつでも歓迎だが、アトラスにとって使えるネタかどうかという問題がある。
「赤ん坊を……」
 電話の声が告げた。心なしか、声がふるえているようだった。
「赤ちゃんをどうにかしているの?」
「あのひとたちが……赤ん坊を――」
 しばしの、沈黙。そして声は言った。
「……夜中に来てみてください。赤ん坊をとり」
 唐突に、電話が切れた。
「もしもし? もしもし?」
 それっきり、かかってくる気配もない。どちらかというと、本人の意志ではなく電話が切られた、という印象だった。彼女は何を言わんとしたのか。赤ん坊を……「とり」?
「…………」
 何が言いたいのかもよくわからない、匿名のタレコミ。だが麗香の勘が、なにかの匂いを嗅ぎとってもいるのだ。派遣すべき調査員の名を、麗香は思い浮かべた。

■姑獲鳥のはばたき

「『赤ん坊をとり』。電話はそう言ったのですね?」
「ええ。でも話の途中で切れたって感じだったわ」
 セレスティ・カーニンガムは、麗香に頷いてから、辞書を開いた。
「『とりあう』『とりあえず』『とりあげ』『とりあげる』『とりあつかい』……」
 指先で字面を追う。
「『取り上げる』か『取り殺す』とでも言いたかったのでしょうか?」
「赤ん坊を取り殺すのかい。何かが」
 瀬崎耀司が腕組みして言った。にやりと吊り上げた唇には、どこかしら事態を楽しむかのような微笑が宿っている。
「『とり』……『とり』……そのまま『鳥』ってことはないかしら」
 口の中でしばらく言葉をもてあそんだあと、ふいに発言したのは光月羽澄だ。
「赤ん坊を鳥がとり殺すの? 何それ。洒落?」
 城田京一が、なんとも言いがたい表情で応じる。
「そうじゃないですけど……ただ、赤ん坊と鳥、ってことで連想したものがあって」
「もしかして姑獲鳥(うぶめ)のことを言っている?」
 耀司が言った。
「うぶめ、とは何でしょう」
 訊ねるセレスティに、耀司は、アトラス編集部の本棚から、古めかしい本をひっぱり出しながら説明する。
「日本の妖怪の名ですね。起源は中国だとも言われている。うぶめは『産女』の意味だ。でも『こかくちょう』と書く。そう書いて『うぶめどり』と読ませることもある。これを見て」
 さすがにアトラス編集部、怪異の類について記した本は豊富にあるようだった。耀司の示した頁には、赤ん坊を抱いた女が、雨の中に立ち尽くす図が掲載されていた。
「『此の鳥、鬼神の類なり。毛を着て飛鳥となり、毛をぬぎて女人となれり。是れ産婦の死して後なる所なり』とあるね。つまり鳥の妖怪で、毛皮を着て鳥になり、それを脱げば女になる。そしてこれはお産で死んだ女が化けて出たものだと言うんだ」
「昔は出産時の死亡率が母子ともに高かったものね」
 京一が口を挟んだ。
「で、これが今回の件に関係しているかもしれないって?」
「わからないけれど……あえてアトラスに電話をしてきたのだから、なにか普通じゃない現象が起きたってことでしょう? 碇さん、通話録音しました?」
「残念ながら。あっというまに切れちゃったんだもの」
「ともあれ、調べてみるよりありませんね」
 セレスティが微笑んで、もっともな意見を述べた。
「私もあたってみようと思いますが……、城田さんなら、なにか業界での評判のような、そういった情報も集めていただけるのでは?」
「お安い御用。病院っていうのは、結構、人脈でつながっているものでね」
 医師は青い瞳を閃かせた。
「そして、いろいろと裏があるものでもある。妖怪とまでは言わなくても、何か面白いものが出てくればいいけどねえ」
 耀司というこの男といい、どうも怪奇の類歓迎、といった空気を発散している。羽澄はかるく息をついて、
「夜に来てくれ、なんていうけれど、昼間のうちにも見ておきたいわ。でも……」
「僕もだ。一緒に行こうか」
「え」
 なにげない耀司の申し出に、羽澄が絶句する。
 耀司以外の一同は、その銀の髪の女子高生と、暗い眼光の壮年が、連れ立って産婦人科のクリニックを訪れる場面を想像した。どう考えても、なんらかの「わけあり」としか見えないであろう。
 くすくすと笑いを漏らすセレスティと京一。耀司だけが、最後まで意味がわからず目をしばたいていた。

 後日――。
 雑司ヶ谷の一画にひっそりと建つ白亜の産院。その二階建ての様子を、ちょうど眺められる位置に喫茶店を見つけた一同は、ある日、それぞれの調べものの報告のために落合うことになった。
「悪い噂どころか」
 京一は言った。
「むしろ評判はいい。ずいぶんと歴史のあるクリニックのようだね。大正の頃からあるそうだよ。医者の家系だねえ、代々院長が継承されてる。あの家から出て他の病院に勤めている医者もいるよ。でもどれも、これといって埃が出てこないんだ」
 まるで期待はずれだと言わんばかりに肩をすくめる。
「私も調べてみました。風評に関しては城田さんの仰るとおり。……あの医院、ずいぶん盛況なのですね。院長が長者番付に出ていましたよ。かなりの資産を保有している形跡があります」
 セレスティは財界ルートで調べ上げた資料を示した。
「産婦人科ってそんなに儲かるのかしら。……瀬崎さんが言っていたわね、赤ちゃんの死亡事故なんかは起きていないか、って」
 資料を繰りながら、羽澄が言った言葉に、
「私もその点が気になっていました。ですが、これもまったく逆なんです」
 とセレスティ。
「これがあそこに入院した母親の数……こちらが出生の記録です」
「すこしだけ増えている?」
「双児以上の場合がありますから」
「あ、そうか。じゃあ、ほぼ一致していて、不審じゃないというわけね」
 羽澄は小首を傾げた。
「いや、待った。それはヘンだ」
 しかし、京一が資料を奪って、低い声を出した。
「あの長い歴史のあるクリニックで、今までただの一度も死産や流産がなかったっていうのかい。逆に不自然じゃないか。むろん、それだけいいクリニックだとも言えるけど……どうしようもない場合だってあるだろうに。それに……産婦人科医院に入院するのは、なにも子どもを産む場合だけじゃないだろう?」
「あ――」
 京一の言葉に、羽澄とセレスティは顔を見合わせる。
「それじゃあ……どういうこと。赤ちゃんが……」
「文字通り増えている。そういうことですか」

■クライ・ベイビー

 新生児室の中が望めるガラスの前に立つのは、瀬崎耀司だ。
「ほう」
 十指にはすこし充たない程度の新生児たちが、保育器の中に寝かされ、並んでいる。
 生まれて間もない赤ん坊というのは、親以外には見分けもつかない。男か女かもわからず、猿の子のようだという云うものもいる。しかし、おどろくほど小さいのに、きちんと手と足には5本の指が揃った、大人のミニチュアそのものの姿を見ると、生命というものの不思議を、多くの人が感じ入るのだ。耀司がそのとき、どんな思いでいたかはわからないが。
 彼がそこに立つと、眠らずに手足を動かしていた新生児たちが、いっせいに泣きはじめる。それにつられて、寝ていた子までが泣き出し、たちまち新生児室は泣き声の大合唱だ。
 様子を見に来た看護師が。ガラスの前に立つ壮年の男にぎょっとして立ちすくむ。
 にぃっ、と、笑ってみせたのは、男なりの親愛の表現か。
「お……お見舞いですか」
 念のため身元をたしかめたほうがいいような気がして、彼女は訊ねた。
「ええ。まあ、そんなところです」
 しかし男は言葉を濁した。
「いいですね。子どもは」
「…………」
 泣叫ぶ赤ん坊たちを尻目に、耀司は産院の内部を見回す。
「あのう……、どなたかのお見舞いにいらしたのでは……」
「いや、まあ、いいんです、それは」
 またも曖昧な返事をする。
「すみませんけれど、当院は関係者以外――」
「失礼しますよ、すぐに」
 耀司の眼光に射抜かれると、看護師は金しばりのように身体を硬くした。そうだ、まさにそれは――蛇に睨まれるカエル。
 しかし言葉通り、耀司は長居をしない様子だ。
 去り際、彼はちらりと視線を投げる。
 廊下の角から、そっと彼を見送る、別の看護師に気づいたからだった。大人しそうな、まだ若い娘だ。耀司の赤い左目が、きらりと輝く。

「行って来たよ」
 そして、耀司も合流する。
「……産婦人科に男性ひとりでよく行けましたね」
「堂々としていれば案外あやしまれないものさ」
 そう思っているのは本人だけではなかろうか、とひそかに羽澄は思った。
「それで、どんなふうでした」
「どんなふうって……普通の産院じゃないのかな。いや、そんなに産院に詳しいわけじゃないけれど。少なくとも、霊的な異常や、呪術的な痕跡のようなものは見つけられなかった。その意味ではいささか拍子抜けだな。……けれど行った甲斐はあった。帰りに履物の中にこんなメモが入っていたんだ」
 切り取ったメモ帳のきれはしを、彼は示した。
 ――今夜0時、来訪アリ
 一同は目を見交わす。
「やはり夜に来てみますか」
 セレスティの提案に、乗るより他はないようだった。
「まだだいぶ間がありますね。一度、解散しますか」
「そうだね。すこし準備もしたいし」
 と京一。
「城田さん。念のため云っておきたいんですけど」
「わかってるって、こんな街中で、そんなに重装備で来ないよ。今回のわたし的な目標はマガジン交換ナシ、爆破もナシ」
「…………」
「相手が妖怪じゃないらしくて気がラクだよ、ホント」
(でももしそうなら――)
 羽澄は思った。
(どうしてアトラスに電話があったの……?)

 そしてその夜。
 産院も一種の病院だ。病院の夜は深く、その闇は濃い。その屋根の下で眠るのが静かに養生する必要のあるものばかりだからかもしれないし、あるいは、生と死にまつわる人の想いが凝っているからか。
 新生児たちも、母親のかたわらで、あるいは新生児室で、やすらかに眠っているそれはいわゆる丑三つ刻だ。
 常夜灯のうすぼんやりとした明りに浮ぶシルエットが、ベビーベッドに忍び寄る。
 小柄な人影だ。そっと赤ん坊のひとりを抱き上げる。
「……ごめんね」
 かすかな呟きを聞いたものがいたかどうか。
 ――ィィィィ……ンンン
「ッ!」
 振動する空気の波動が何者かを取り囲む。
 パチン、とスイッチが弾かれる音がして、部屋に明りがついた。それに刺激されたか、赤ん坊たちがいっせいに泣き出しはじめる。
「外から侵入者が来るかと思ってたけれど」
「……」
 羽澄とセレスティだった。泣き出した赤ん坊を抱き締めたまま立ちすくむ看護師の女性を、ふたりは見つめた。
「あなたですね。瀬崎さん……昼間、こちらへ来た男性にメモを渡したのは」
「私たちアトラスから来たの。もしかして、電話をくれたのって……」
「……ご、ごめんなさい」
 女性は、ぽろぽろと、大粒の涙を零しはじめた。
 赤ん坊のやわらかな頬に、その雫が落ちて散った。

■真夜中の揺籃

 春を目前の頃とはいえ、夜は冷え込む。
 須藤クリニックの庭――さほど広いわけではないが、建物裏に、芝生と、すこしの樹々が植えられた敷地があった――の茂みに、ふたりの壮年は身をひそめていた。
「城田さんはお子さんは?」
 ふいに耀司がそんなことをささやいたので、京一がアクアマリンの瞳をぎょっと見開いた。
「……いるように見えた?」
「いいや。でも人は見かけによらないものだから。……欲しいと思ったことは?」
「んん……。今のわたしにはいろいろな意味でリスクが大きいかもね」
「子どもはね……でも、あれはなかなかいいもんですよ」
「友人にはかなり子煩悩なのもいるけど。……あれは一種の――、そう、呪いだね。いや、悪く言うつもりはないんだけどさ。親子関係ほど人の気持ちや選択を左右する強固な人間関係って、ないからね」
「呪いか……言い得て妙かもしれません。僕はね……瀬崎の家は、子どもが死ぬ家なんだ」
「え?」
「ひどい時は本当に赤ん坊のうちに死ぬ。そういう運命なんだ。でも家を絶やさないように、子どもは生まれる。死の運命を背負って」
「…………」
「城田さんは昼間、現代の医学で、子どもの死亡率は減ったというけれど、現代の日本にだって、そういう家系はあるんです。医学や……科学がこれほど進歩して、東京のような都会は不夜城になって闇を駆逐した気になっているけれど、ほんのすぐそばに、実は魔はひそんでいる」
 あやしい赤い左目と、青い双眸がかち合う。
「そして子どもという、弱い立場のものがその犠牲になるんだ」
 男たちが、夜の庭でそんな会話をしていたのも束の間――
「あ……」
 ふたりは陰に身を低くする。
 庭に人影を見たからだ。
 夜目にも、白衣を着た人物であることがわかる。背格好からして、男性のようだ。こんな夜中に、何をしているのだろうか。
 京一の手の中には、銃があった。黒い硬質な金属を、彼の手がぐっと握る。
「……!」
 同時に、耀司がはじかれたように顔をあげた。
「なんだ」
 庭木の葉が、ざわざわと揺れた。
「何かくる」
 風だ。
 ザ、ザ、ザ、ザ、ザ――
 そして……どこか遠くから響くような、人の声のようなもの。
「おーーーーーーい」
「おーーーーーーい」
「おーーーーーーい」
 それは声であり、声ではなかった。閑静な住宅街の真夜中は、依然として静まり返っている。だが耀司は――いや、京一でさえ、その音を聞いたのだ。

「落ち着いて、さ……坐って」
 ともかく、赤ん坊を寝かせ、看護師を廊下に連れ出した羽澄は、できるだけやさしい声をかけた。セレスティもベンチに腰を降ろし、3人が並んで坐る格好になる。
「あなたは、ここにお勤めの?」
「須藤未佳といいます」
「須藤……」
「父が院長なんです」
「ああ――」
「でも私……もうこんなことは、父にやめてもらいたくって」
「今の赤ちゃんを……いったい」
 どうしようとしたのか。訊くのが恐いような気さえしたが。
「今日の約束は《トリカエ》。あの人たちの赤ん坊と交換するの」
 羽澄とセレスティは驚いて顔を見合った。
「『赤ん坊を取り替えている』。それを言いたかったのですね」
「取り替えられた赤ちゃん……どうなるの」
「十四歳まで、里の子は山で、山の子は里で育つの。里で育った山の子は十四になれば山に還るし、山に連れて行かれた里の子は……帰されることもあるけど、だいたいは《ツチグモ》になるわ」
「そんな」
 羽澄が息を呑んだ。
「取り替えるだけですか」
 セレスティが問いを加えた。つらそうに、須藤未佳は首を振る。
「運悪く流産した人や……子どもが欲しくても産めない人たちも来るの。それと、死産だった場合。そのときは、《トリカエ》なしに、山の子を渡すの」
「何のためにそのようなことを」
「私たちの、それが役割だから、って。もうずっとずっと前に、私たちの家は里に降りて《トケコミ》になって、でも、《トリカエ》や《アズケ》の世話をすることが、私たちの《ツナギ》で……」
 聞き慣れない言葉ばかりが、彼女の口からこぼれる。
「……!」
 そのとき、羽澄がはっと空を仰いだ。
「何。この気配」
「ええ、何者かがいらしたようですね」

 赤ん坊だった。
 最初は気のせいかと思った。だが夜風に溶けるか細い赤ん坊の泣く声を、かれらは聞いたのだ。
 ゆらゆらと、闇の中に立つ影。
 影そのもの――闇が凝固したように見えるのは、それが黒装束をまとっているからか。だがそのものの腕の中に、赤ん坊が抱かれているのだ。
 産院の赤児ではない。建物は羽澄とセレスティが守っている。
 連れ出されたのではなく……その何者かは赤ん坊を連れてやってきた。
(ふぎゃあ ふぎゃあ)
 猫と聞きまがいそうな、赤ん坊の声。
 それを抱くあやしい人影。ああ、これは――
(まるで姑獲鳥だ)
(『此の所へ夜な夜な、うぶめと云ふ化け物来たりて、赤子のなく声するとて、日暮るるれば通る人なく、此のあたりには、背戸、門をかためて、人出で入りせず ……』)
「お待ちしておりました」
 白衣の男が言った。
「はい、問題ございません。娘が今すぐ……おかしいな、何をしておるのでしょう。すこし、見て参ります……」
 しかし、そこへ。
「お父さん!」
 悲痛な声がかかった。

■カッコーの巣の上で

「未佳! どうした。子どもは……?」
「お願い、もうこんなことはやめて」
「未佳ッ!」
 男の声に、ひどい焦燥と、恐怖が混じった。
「そのことはあれほど……、このあいだ話して聞かせただろう。はやく子どもを連れて来い。お待たせしているんだぞ」
「私たちはもう普通の、街の人間よ。ただの東京都民だわ。そんなひとたちとかかわる必要なんかない。こんなひどいこともうやめて!」
「馬鹿ッ!」
 父は娘を殴った。
「す、すみません。お許し下さい。娘はすこし……気がどうかしているようで。はい、ただいま、《トリカエ》の子を……、は……? …………そ、そこに誰かいるのか!?」
「見つかった!」
 京一が銃を構えた。だが、それより早く。
 謎の人影は、信じ難い跳躍を遂げた。クリニックの、二階建ての屋根の上まで、一気に飛び上がったのだ。跳躍というより、糸にでも吊り上げられたかのような動きだった。
 茂みから飛び出し、狙いをつける。そのものは屋根の上を駆けていく。だが、京一のアクアマリンの瞳はそれを執拗に追い――
「駄目だ!」
 耀司が彼の腕を掴んだ。
「赤ん坊がいたんだ!」
「しかし――」
 言いかけて、彼はやめた。逃げた影とは違う、その気配に、気づいたからである。
 ザ、ザ、ザ、ザ、ザ――。
「おーーーーーーい」
「おーーーーーーい」
「おーーーーーーい」
 声なき声が、クリニックを取り囲んでいる。
「城田さん!」
 羽澄とセレスティだ。
「赤ちゃんは無事」
「かれらは……?」
「いる。たくさん来ている」
 セレスティの疑問には、耀司が答えた。
「僕たちを見ている」
「お父さん!」
 未佳が悲鳴をあげた。
「大変!」
 羽澄も指さす。クリニックの窓のひとつが赤く染まっている。そして漏れ出す煙……見る間に、ガラスが割れて、そこから炎が噴き出す。
「か、火事だぁあっ」
 院長とその娘は建物に飛び込んでいった。
「未佳さん!」
「大丈夫です」
 セレスティが落ち着きながらも、力をこめた声で言った。さっと手を振る。それに指揮されたように……空からは大粒の雨が降り出した。
「……引いていく」
 と京一。
 火勢のことではない。周囲の、気配のことだ。
 真夜中の雨音の彼方に、赤ん坊の声が遠ざかっていった。


 火はすぐに消し止められたが、須藤父娘の姿はどこにもなかった。
 羽澄は焦ったが、すぐに、アトラス編集部に娘と思われる女性から、「私たちは大丈夫。ありがとうございました」と電話があったと聞き、とりあえず、安堵の息をついたのだった。
 院長不在のまま、妊婦をかかえておくわけにもいかず、入院していた妊婦たちはセレスティが手を尽くして、他の産院や病院に転院させた。何人かは、城田の勤める病院に回ったようだ。
「目標は達成したけれどね」
 京一は、暴れ足りないとでも思ったのか、あまり晴れやかとは言えない顔で言ったのだった。
「しかしあれは……人間だったよ。だった、と、思う。そして……かれらはおそろしくよく訓練された集団だった。わたしにはそれがよくわかった。あんな軍隊は見たことがないくらいにね……」

「託卵――、ご存じですよね」
 セレスティは語った。
「カッコーとかがやる、あれ?」
 麗香が問い返す。
「ええ、そう。いわばそれの人間版ですね。自分たちの子どもたちを育てさせている集団がいた」
「でも……取り替えていたのでしょ。逆に、よその子を育てていたのなら託卵とはすこし違うわ」
「妖精がやるという『取り替え子(チェンジリング)』のようなものだろうか」
 と耀司。
「今の段階では、謎が多いわね」
 そして麗香は言った。
「でも……、おかしなとっかかりだったけど、私のカンははずれてなかった。なにかが起こっているのよ。この東京で、とてつもない、何かが」


(姑獲鳥ノ巻・了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1282/光月・羽澄/女/18歳/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2585/城田・京一/男/44歳/医師】
【4487/瀬崎・耀司/男/38歳/考古学者】

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■         ライター通信          ■
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大変お待たせいたしました。
『【ロスト・キングダム】姑獲鳥ノ巻』をお届けします。
リッキー2号「ロスト・キングダム」の世界へようこそ。……といいますか、この組は、いつもお世話になっている皆様ですので、大変、リラックスして書かかせていただくことができました。いつもありがとうございます。
こちらはアトラス編集部を通じて垣間見た、本作のプロローグとなります。
そして、核心へとつながる情報や伏線が見え隠れしております。

>光月・羽澄さま
むしろどなたか、産婦人科に潜入なさるかと予想していましたが、高校生の羽澄さまと男性3人のチームでは……(笑)。瀬崎さんの名誉のためにいうと、どの組み合わせでもそれなりにワケあり風だったと思います。

>セレスティ・カーニンガムさま
産婦人科とセレスティさまというのも、よくよく考えると奇妙なシチュエーションですが、今回も深い思索と財力によって調査の重要な一角を担っていただきました。

>城田・京一さま
マガジン交換どころか、一発も撃ってません! もしかして新記録(笑)? 真夜中の壮年男性語らいのシーンが今回のハイライトです。子煩悩なご友人にもよろしく!

>瀬崎・耀司さま
ちょっと強引でしたが瀬崎さま自身のベースの設定にからめた台詞と描写など入れてみました。お子さま好きとは意外(笑)だったので、なんとなくその背景を想像してみたり。

それでは、機会がありましたら、今後ともおつきあいいただければさいわいです。
ご参加ありがとうございました。