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<東京怪談ノベル(シングル)>


「みどりもふかき」 賛美歌 122番


 一度フランスへ帰るという二人を空港まで見送って、自宅の屋敷へと戻ったセレスティは、服を着たクマのぬいぐるみのような人形を見つめならが、車椅子の背に深くもたれかかった。
 まさかよもや自分が、杖を使う事無く立ち上がり、歩く事が出来る日が来るなど思いも寄らなかった。
 それがたとえ自分の意思からによるものでなくても、確かに嬉しかったのだ。
  窓際まで車椅子を移動さえると、青く澄んだ空を見つめ、自分に立つ力を与え、歩く機会を与えてくれた二人に遠く思いを寄せる。
 膝の上には、彼女から頂いたクマの人形。

「セレスティさんが私の作ったウサギのフランス人形を持っているって聞いたので」

 と、作品ナンバー“0”の、最新だが公表されていない人形をセレスティにお礼として渡した。やはり彼女も普通の人形師では無かったのだろう。セレスティの膝の上のクマの人形も「話しかければ意思を持つ」と言われ、一瞬きょとんとしたものだった。
「こんにちは。私はセレスティ・カーニンガムと言います」
 どれだけ話しかければこのベアが意思を持つようになるかは分からないが、意思を持つ事もまた一興。手始めに挨拶を投げかけてみる。
「………」
 やはり、一言話しかけてだけではなんの変化もあるはずがない。幼子も言葉を覚えるために何度も復唱するものだ。きっとこのベアも何度も話しかける事で意思を持つのだろう。
 その時が少しだけ楽しみだ。
 意思を持った人形や、意思を持ってしまう人形に対して、それはよく作り手の心が篭ったものだと良く言われるが、その事に対して、彼も彼女も苦笑をこめてこう言っていたのを覚えている。

「確かに、それはとても嬉しいけれど、必ずしもそれが人形の幸せではない」

 と。
 作り手がどれだけ愛を込めようとも、人形の所有者となった者に愛がなければ、捨てられてしまう。

「だから私は、この子の親になってくれる人の愛情でこの子が育って欲しいって思います」

 小さな女の子が大好きな人形を毎日持ち歩いて煤汚れてしまっても、一緒にいて一緒に汚れられる事は人形にとって幸せな事。どれだけ汚れてしまっても汚れた分だけ愛情が確認できるから。
 逆にとても綺麗な人形は、大切にされていると感じられる。

 一番悲しいのは、そこに「置かれている」だけの人形だと。


「キミが意思を持つようになったら、どんな子になるのでしょうね」
 男の子のベア人形。
 作品名も『ベア・ボーイ』。
 着ている服も小さな男の子のような半ズボンのチェックのつなぎ。
 ふわふわしている手を握手をするように掴んで、セレスティはベア・ボーイににっこりと笑いかける。
「そういえば、表情も変わるようになるのでしょうか」
 顔の作りは殆どテディベアと変わらない。
 要するに、口が無い。
 まぁ、首を振ったり頷いたり、その仕草だけでもきっと可愛いだろう。
 本当に、楽しみだ。
 セレスティはふと思いを馳せると、何かを思いついたように顔を綻ばせた。
「今日の出来事をお話しますね」
 ニコニコと嬉しそうに微笑を浮かべて、セレスティは膝の上のベア・ボーイに今日であった人や、出来事を話して聞かせた。






(……?)
 翌日ベットから目覚めたセレスティの枕元に、なにやらふわふわとした感触があった。
 瞳を開けてみると、ベア・ボーイがちょこんと鎮座している。
 確か昨晩チェストの上に座らせておいたはずだ。誰か夜中のうちに枕元に運んだのだろうか。
 人の気配に気が付かないほど疲れて眠ってしまったのだろうかとセレスティは考え、その日は深く考えず、
「おはようございます」
 と、挨拶を投げかけたのだった。
 だが、そんな事が何日も続けば怪しさは満点なわけで。
 相変らずのベア・ボーイは、セレスティがどれだけ話しかけても反応に変化が見られない。
「昨晩、夜中に私の部屋に入った者はいますか?」
 と、部下や使用人に問いかけてみても、誰もが首を横に振る。
 セレスティは神妙な面持ちで、ベアボーイを抱き上げると、じっと見つめる。
 無表情な黒いプラスチック―硝子の瞳に自分の顔が映し出され、その表情にセレスティ自身が肩をすくめて苦笑した。
「キミが意思を持つようになったら、二人に合わせて差し上げたいですね」

 まだまだ内気なベア・ボーイが、心を開いてくれそうにはありませんけど。

 セレスティは、ベア・ボーイに向けて微笑みかけると、チェストの上に座らせる。そして、ベットに入りチェストに背を向けて瞳と閉じた。
 時計の針の音だけが響く静寂の夜、ガサゴソと音がする。セレスティは瞳を閉じたまま、うっすらと微笑みを浮かべた。
 枕元で感じる気配に、寝返りを打つフリをして顔の向きを変える。
 そして、瞳を開けた。
「こんばんは」
 やっと枕元までたどり着いたベア・ボーイの足がピタっと止まる。おろおろと、そう…マンガで例えるなら全身で汗をかいて直立不動のベア・ボーイ。
 数秒そうしたままで、ベア・ボーイはわざとらしくコロンと転がる。
 ニコニコ笑顔のセレスティは上腿を起こすと、そんなベア・ボーイを抱き上げた。
「ごまかしては、いけませんよ」
 きっと人間ならば瞳を泳がせると表現するのだろうが、いかんせん硝子の瞳は泳がす事が出来ない。
「キミに名前をつけてあげないといけませんね」
 ベア・ボーイは(多分)きょとんとして動かないフリをしていた手を動かした。
『セ…レ…ごめん……ね』
 舌足らずな言葉で、「内緒にしててごめんね」とすりよる。
 セレスティは、そんなベア・ボーイに満面の笑みを浮かべると、優しく抱きしめた。



fin.