コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


株分け増殖夢心地


 最近、お天気続きで気分もすっきりしていた。
「うん」
 藤井・葛(ふじい かずら)は大きく頷き、微笑んだ。ベランダに干した洗濯物たちは、真っ白な姿をひらひらと風に揺らし、実に気持ちよさそうだ。
「まさに、洗濯日和だな」
 葛はそう言うと、小さくくしゃみをした。いい天気が続いているとは言え、まだまだ風は冷たい。
「中に入るか」
 葛は小さく呟くと、洗濯籠を持って、石鹸の爽やかな香りのするベランダから、部屋の中へと戻った。
 窓を閉めると、太陽の光をふんだんに取り入れた室内は、ぽかぽかとした暖かな空気に包まれていた。
「おや」
 葛はふと窓際にいた、オリヅルランを見て微笑んだ。同居人の、藤井・蘭(ふじい らん)だ。普段は人間型をしている小さな住人は、時々こうして下の姿である鉢植えのオリヅルランに戻る。
「いい天気だからな、ひなたぼっこでもしているんだな」
 光合成もできるしな、と葛は小さく呟いた。暖かな太陽の光は、蘭に一杯の光合成をさせていることだろう。
 葛はじっと蘭を見つめ、ふと思い返す。
「そう言えば、オリヅルランって株分けで増えるんだっけ……」
 葛は目の前のオリヅルランが株分けされ、たくさんの蘭が生まれてしまうのを少しだけ想像して、ぷっと吹き出した。それはきっと、さぞかし賑やかな事だろう。
 葛は洗濯籠を元の位置に戻すと、台所から紅茶をマグカップに入れ、クッションを二つ手にして蘭の隣に座った。一つは自分が使うためのクッションで、もう一つは蘭のお気に入りのビーズクッションである。起きた時に人型に戻り、ビーズクッションの感触を楽しみながらもう一眠りをしたくなるかもしれない。
「それにしても……気持ちいいな」
 葛は思わずその陽気に、ふあ、と欠伸をする。
(そういえば、昨日寝たのって結構遅かったっけ?)
 昨日は、最近なかなかクリアできずに困っていたゲームのダンジョンの攻略が、手に届きそうになったのだ。お陰で、少しだけ、と決めていたはずのゲーム時間は、気づくと当初予定していた何倍もの時間を費やしてしまっていた。
(まあ、結局クリアできたからいいんだけど)
 葛はくすりと笑う。相棒と一緒にクリアまで、励ましあいながら突き進んだのを思い出したのだ。お互い眠気と戦いながら、眠りそうになったら起こしあい、それぞれが支えあって漸くクリアする事が出来たのだ。
 達成感でいっぱいだった。
 勿論、眠気もたっぷりあった。
「ふあ……」
 再び出てきた欠伸を皮切りに、葛の瞼がだんだん閉じようとしてきた。頭の中はどんよりと眠る事だけを考えるようになってきて、柔らかなクッションがさらなる眠気を誘い込んでくる。寝不足に加えての、このぽかぽか陽気。これで眠くなるなという方が無理な話である。
「少しだけ……」
 ぽつりと葛は呟くと、クッションを枕にごろりと横になった。その途端、暖かな陽射しが葛の体全体に優しく降り注いでくる。
「気持ちいい……」
 ぽつり、と再び葛は呟いた。これに蘭もやられたのだ、という納得感が駆け巡る。気持ちよく、心地よく……。
 それ以降、葛の口からはすうすうという寝息だけが聞こえてくるのであった。


 葛はご飯を作っていた。
 朝食だか、昼食だか、はたまた夕食なのかは分からない。ただはっきりしているのは、葛はご飯を作っていたという事だけだ。
 それに対して、葛は何も思わない。自分はご飯を作っているのだという意識はあっても、それがいつのご飯だという事は全く問題にはなっていなかった。
「できた」
 葛は小さく呟き、鍋の火を消した。作ったのはカレーライス。蘭でも食べられるように、甘口にしてある。さらに蘭にはスペシャルサービスとして、ハンバーグを乗せてやる予定だ。自分のカレーには、何を乗せるかは決めていなかったけれども。
「蘭?」
 いつもならば、こういったカレーの匂いにつられておおはしゃぎでやってくるはずの蘭が、珍しく来なかった。自分も、特にカレーの匂いがするとか、しないとかは全く気にしてはいなかったけれども。
「……どうした、蘭?ご飯だぞ」
 葛はそう呼びかけながら、ぱたぱたと歩きながら台所から蘭の居る部屋に向かった。何故、そこに蘭がいるのかは気にもならなかった。居て当然だし、そこに居る事を知っていて当たり前なのだという、不思議な思いがあったのだ。
「蘭、できたぞ」
 ガラリとあけたその扉の向こうに、蘭はいた。
「はーい、なの」
「分かったのー」
「まだ遊びたいのー」
「持ち主さん、遊ぶのー」
 蘭はいた。確かに居た。
 だが、葛の動きは存在していた蘭を見て、ぴったりと止まってしまった。
 部屋の中にいる蘭は、一人ではなかったのだ。一人であるはずの蘭に話し掛けたのに、返って来た返事は多数。
 しかも、一人一人が紛れも無く蘭なのだ。
 姿かたちは勿論、各自が喋っている言葉や細やかな動きが、蘭そのものなのだ。これだけいるのならば、個性くらい出てきてもいいものなのに。まるで、株分けをして蘭自身を分身させてしまったかのように。
(株分け)
 ふと、葛の頭にそれが浮かんだ。自分はいつ、株分けをしてしまったのだろう?思い出せないが、きっとやってしまったのだろう。現にこうして、蘭たちがたくさん存在してしまっているのだから。
 いささか、やりすぎたような気もするが。
「あ、カレーなの!」
「カレー?何カレーなの?」
「なーにー?持ち主さん、何カレー?」
 誰か一人の蘭が、匂いを感知してしまったらしい。カレー論議が、蘭たちの間で急速に広まっていく。
「……ハンバーグカレーだよ」
 とりあえず答えた葛に、蘭たちの目がきらきらと輝く。
「ハンバーグ?」
「ハンバーグなのー!」
「おいしいのー!」
 口々に嬉しそうに話す蘭たち。葛は小さく「あ」と呟く。
「でも、ハンバーグは一つしかないんだ」
「えー」
「一つだけなのー?」
「一つってことは……僕は食べられないのー?」
 一人が悲しそうな顔をすると、他の蘭たちも悲しそうな顔になる。中には涙を一杯溜めてしまった蘭もいる。
「なら、まだ遊ぶのー」
 一人が、また不思議な事を言い始めた。すると、他の蘭たちもそれに便乗する。
「遊ぶのー」
「楽しいのー」
「何して遊ぶのー?」
「持ち主さんも、一緒に遊ぶのー」
 きゃっきゃっと楽しそうな蘭たち。葛の周りをぐるぐると走り回る蘭たち。葛の手をぐいぐいと引っ張ったり、しゃがみ込んで足に絡みついたりする蘭たち。
「……こら!」
 葛の声に、蘭たちはぽかんとしながら、葛を見上げた。たくさんの蘭からの、たくさんの視線。きょとんとした大きな銀の目が、たった一人の蘭を見つめている。
 葛はそれらに負けぬように、ぐっと拳を握り締める。
「今からご飯だっていっただろ?ご飯を食べるぞ!」
 堪えかね、ついに葛が蘭たちを叱ってしまった。すると、全員元気良く手をあげ、一斉に叫んだ。
「はーい!」
 素晴らしく、良いお返事が部屋一杯に広がった。通常ならば「よくできました」と誉められるかもしれないが、今はその対象が大人数である為。煩い事限りない。
 ここは幼稚園でも保育園でも何でも無い。ただの、マンションの一室なのだから。
「ちょっと、藤井さん!」
 ドンドンドン、とドアが叩かれた。煩いという苦情を、隣の住人が言ってきたのだろう。当然といえば当然の結果である。
「……まったく」
 葛は大きな溜息をつき、ドアへと向かった。とりあえずは謝らなければ、と決心しながら。


 葛は、はっと目を覚ました。ゆっくりと起き上がると、自分の持ってきたビーズクッションに蘭が眠っていた。
「……いつの間にか、人間型になったんだな」
 葛は小さく微笑み、蘭の頭をそっとなでた。時計を見ると、どうやら二時間ほど眠っていたようであった。
「夢、か」
 葛は先ほどまで見ていた夢を思い返し、苦笑した。夢でよかったと、認識せざるを得ない。
「眠ると、水分が欲しくなるからな」
 小さくそう呟くと、葛は台所に向かった。
「紅茶……いや、蘭はやっぱり水がいいかな。で、あったかいココアでも……」
 微笑みながら呟く葛には、知る由もなかった。
 オリヅルランから人型に戻った時に書かれたらしい日記が、蘭の枕元に置いてあった事を。さらにその日記には、こう書いてあったのだ。
『僕がいっぱいいたなのー。みんなで、ハンバーグが一つしかなくて、かなしかったのー。でも遊ぶのー。そしたら持ち主さんに起こられたのー』
 その日記は、沢山の蘭がいる絵と一緒に書かれていた。勿論、今日の日付である。
 夢か現か幻か。とりあえず、現時点では現とは言い難い……かもしれない。ぽかぽかした陽気の見せた、悪戯心満載の幻想……なのかもしれない。
 真実は誰も知らない。ただ、はっきりしているのは、蘭の書いた日記が不思議と葛の見た夢と似通っているという事だけだ。
「今日はハンバーグカレーにしようかな」
 ぽつり、と台所で葛が呟いた。不思議な内容の日記には、未だ気づいていない。
 陽だまりの中、ビーズクッションを抱き締めながら眠っている蘭が、そっと小さく微笑んだ。
 その事にも、葛はやっぱり気づかないのであった。

<増殖は夢の中だけに留まる事を祈りつつ・了>